2016.04.30 08:11

 首都圏のZ会進学教室は明日からお休みに入ります。1日~7日までは授業がありません。さらに6日までは教室も閉まっています。本科生の方は間違えないようにしてください。それにともなってブログもお休みします。
 どこかで記事を書くつもりではいるのですが、少しパソコンから離れようとも思っています。そして、例によって行きたいところをいくつかピックアップしてあります。へんなところばかり。
 
 川沿いの道を歩いてみたい。以前よく歩いた。10代のころですね。20代では歩かなくなり30代で再び歩くようになった。長い長い道なのでときどきベンチに座って物思いにふける。小説家の丸山健二先生の著書(エッセイでした)を持って歩いた日があります。ベンチに座ってあれこれ考えているうちにそのまま本を置いてきてしまった。私にはそういう間の抜けたところがあるのですが、あまり「治そう」という気持ちを持っていないのも事実です。
 あとで戻ってみるともう書籍はなくなっていました。
 
 すごくいい本だったので、私はどなたかがその本をーー私のようにーー愛してくださったらいいと考えました。
 同じようなことはしばしばあり、ある電話ボックス(私は現在でも頻繁に公衆電話を使用しています)に高価な宗教書(行き当たりばったりに購入したものです)を忘れてきてしまったこともありました。難解な書籍なので持っていった方が読まれるかどうか心配でしたが、何かしら単語1つでも心を打つものがあればいいのだが・・・と考えた。「同情は貧弱な愛の代用品である」というようなことが書かれている本でした。
 
 お金にしても同じような要素があり、無駄遣いしたあとであのお金もきっとどこかでどなたかの役にたってくれるだろうと考えるようにしています。私が仮に何かで千円無駄遣いするとしますね。受け取った方が大切に使ってくだされば、世の中全体から見れば悪いことではない。全体から見て悪くなければ、全体の一部である私にとってもいいことに違いない。
 戸越銀座や荏原中延や古川橋にも行きたいのですが・・・混んでいるかな。理由? あるようなないような。生きているのと同じ感覚ですよ。 
 
 
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2016.04.29 01:37

 最近こちらではあまり勉強法について述べていないですね。以前ちょっと書きましたがブログの右端「最新情報」の「こちら」をクリックしていただくと勉強法のページに飛ぶことができます。すでに記事を17回分投稿しました。順次掲載されていくはずです。よろしければそちらもご参考になさってください。なるべく多くの立場の方のお役にたつように書いているつもりです。
 私が提唱している勉強法は過去優等生たちがやってきたことを正確になぞっているだけです。個人的な解釈が入っていない分だけ、かえって効果はあると思っています。
 
 今日は久しぶりに読解力をつけるには・・・というお話を書きます。どうしたらよいですか? 質問されたとしますね。答えはものすごく簡単です。「考えながら読む訓練」を増やすしかありません。それ以外に何一つ方法はない。ですから、もしある人に読解力が足りないとしたら、それは頭のよしあしなどではありません。その人が単純に「考えながら読む訓練」をできる人ほどは恒常的に続けていなかったというだけです。
 楽しみながら読むだけではだめですかという質問が出てきます。それは考えながら読む第1歩ですから、とてもいいところまで来ていますよ。
 
 考えながら読むというのは何も評論だとか論説文ばかりを読めということではありません。小説のような文学的文章でもいい。たとえばこう書いてあった。「そのとき悟郎はある感情を持った」
 ある感情? こういうところで考える。考えながら進む。いい感情ではなさそうですね。しかし、なぜわかりにくく書くのですか。嫌悪感を持ったでもよさそうです。それがある感情と書かれている。ご自身でこんな使い方をしたことがありますか? なければ今度使ってみてもいいかもしれません。「強く叱られたとき、ぼくは両親にある感情を持った」という感じで。
 
 するとなるほどぼやかして違和感みたいなものを表現したいときには絶妙な言い回しだなということがわかってくる。考えているからわかる。
 新聞を読みなさいというのも、新聞は小中学生(高校生もそうですね)にとって少しだけ背伸びした内容になっているので考える機会が頻繁に出てくるからです。問題集では、それこそ週に3題長文をやったところで量的には新聞1日分も読んでいません。どちらのほうが恒常的な「考えながら読む訓練」になっているか。
 
 そもそも何とか読まずに読解力をつけようという発想自体が乱暴なのですよ。手間をかけずトレーニングもせずに、素晴らしいピアニストになろうというのと同じです。授業では「こういうことを考えながら読むのですよ」という見本を見せているつもりです。ピアノの先生と同じですね。見本は見本に過ぎません。見本に基づいてあなたがたくさん読まないといけない。量は多ければ多いほどうまくいくでしょう。考えながら「日々」読んでください。
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2016.04.28 00:38

 15年ぐらいまえの話です。男子生徒(中学3年生)2人が教室の備品をこわしてしまったことがありました。それもけっこう大きく破損させた。備品そのものがもろかったということもあります。
 ふざけて取っ組み合いのようなことをしていて、ぶつかったそうです。修理が必要ですから本部に報告した。場合によっては弁償していただく必要があるかもしれないので、双方のご家庭に連絡をとるようにという話になりました。
 
 ところが彼らが懇願してくるわけです。「お願いですからいまは言わないでください」けっこう受験が近かった。「いま、こんなことが発覚したらものすごく叱られると思うんです」「せめて受験が終わるまで待ってください」交互に懇願される。泣き出しそうな顔をしていましたよ。
 私はおうちの方を知っていました。きちんとされたそれなりに厳しいご家庭でした。確かに・・・精神面を叱られるかもしれません。
 
 そんなことが後遺症になって受験がうまくいかなくなったら困りますからね。わかった、受験が終わるまで待つからとにかく試験を頑張ってくれと伝えました。彼らは一流高校に合格したのですが、第1志望だけは落ちてしまいました。楽なところではなかったので、やむを得ない面もあります。優秀な生徒であり、不勉強だったとはいまでも思っていません。
 で、ここからが難しい。第1志望を落ちてしまった彼らのところに、これこれこういう事情で今日まで待ったので修理代を出してくださいと伝えるべきか否か。
 
 本部はそうしなさいと言う。まあ、筋ですからね。実際、弁償していただけたと思いますよ。ただいろいろ考えた末、私は自分がかぶることに決めました。かぶれる値段でしたからね。修理代は私が出す。ここで追い討ちをかけると彼らはすごく傷つくでしょう。私個人の金銭的な負担ですむのであれば何とかしたい。
 何度も何度もやりとりはあったのですが、結局上の方が、そこまで言うのなら修繕費は本部が負担しようと決断してくださった。
 
 ずーっとあとになってそのときの1人が突然教室に来てくれたことがあります。一流大学を出て誰もが知っている大企業に就職された。あのころはいろいろ迷惑をおかけしてしまって・・・と照れ笑いを浮かべていたので、覚えていたのかもしれませんね。いつ来るかいつ来るかとびくびくしていたかもしれません。しかし、とうとう連絡は来なかった。
 合理主義だけではないのですよ。幸せの提供には、まったく別の要素があると思っています。
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2016.04.27 00:21

 最近、いろいろなことに気づく。そういう歳になったのでしょう。
 いちばん好きな洋画は「世にも怪奇な物語」第3部テレンス・スタンプ主演の「悪魔の首飾り」か、ロバート・デ・ニーロ主演の「タクシー・ドライバー」か、クリストファー・ウォーケン主演の「キング・オブ・ニューヨーク」のどれかだろうと思います。少し下がってジョン・ヴォイト主演の「真夜中のカーボーイ」かな。「プレデター」や「遊星からの物体X」みたいなのも好きですが、それは全然別の意味です。
 
 「タクシー・ドライバー」の最後のシーン。ものすごく印象的なのですが、どう考えたらいいのかわからない。背景の説明をせずにいきなり本題に入ってしまいますが、ベッツイという女性はどれぐらいの気持ちでトラヴィスの車に乗ったのか。トラヴィスはトラヴィスでああいう態度をとってはいるものの、どの程度が強がりでどの程度がもういいやという気持ちなのか。半々ではないような気がします。あえて表現すれば自己陶酔のようなものが強く、あとで後悔したのではないか。
 
 ただあそこでトラヴィスが再びデートに誘っても、彼女は快く応じなかったようにも思えるのです。あらすじそのものがそうなっていないので、私の勝手な想像にすぎませんが。
 つまり謎が謎として残り続ける。説明され尽くされていない。バックミラーをじっと見つめるトラヴィスの冷めた視線の意味も、本当に冷めていたのではなく相手の気持ちを見極めようとした何かではないかとも感じます。要するに、全然ではないでしょうが私は大切なところがわからずもやもやする。
 
 しかし、それこそが名作の所以なのだなと考えるようになってきました。どこまでいっても結論が出ない。時と場合とこちらの成長によって解釈が微妙に変わってくる。「キング・オブ・ニューヨーク」の惜しいところは、主人公の確実な死が最後はわかってしまうところでした。
 ヘルマン・ヘッセの「デミアン」という小説があります。私は長いこと最後のシーンが死を意味するとは考えていませんでした。そういう解釈が当然であると知ったときには心底びっくりしました。
 
 表現の崇高さはそうした部分に潜んでいるということがわかってきた。鑑賞者が参加できる要素ですね。このことにとことん気づけたのは今後の生き方が変わってくるほどの衝撃なのですが、それは大騒ぎしないでおきます。
 謎を残していきますよ。これから。
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2016.04.24 01:03

 昨日の中3の教材にレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉が掲載されていました。これには考えさせられましたよ。
 人間にとってベストのスピードは馬であるというのです。レオナルド・ダ・ヴィンチは天才ですから当然車や飛行機やロケットみたいなものも間違いなく想像していたでしょう。いずれそういう時代が来ることは十分予見していたはずです。にもかかわらず馬のスピードがベストだと断言した。
 
 理由を見てなるほどと思いましたよ。「それが人間にとって一番幸せなスピードだから」というのです。
 便利だからではないですよ。「幸せだから」です。それ、わかるような気がしませんか。たとえば新幹線や飛行機、もちろん窓を開けることはできません。外気を感じ景色を楽しみ外部で起きている事象をひとつずつ確認しながら進んでいくためにさすがに徒歩だけではちょっと時間がかかりすぎる。馬で進むぐらいがちょうどいい、幸せであるということでしょう。
 
 同じようなことはたくさんありそうですね。漠然とお金持ちになりたいとかいい学校に入りたいとか有名になりたいとか言いますね。それはそれでいいのですが、人間にとって一番幸せな状況ということを考え出すと、なかなか難しい問題も出てくるような気がします。
 個人差も当然あるでしょう。宝くじの高額当選者の方がその後ちょっと悪い意味で大変なことになってしまったなどという事例を耳にすることがありますが、お金というものも、あればあるほど幸せかというと必ずしもそうではない。
 
 私は以前いわゆる「名士」の方から、こういう立場になってしまうとちょっとそのへんの焼鳥屋でいっぱいやって・・・というわけにはなかなかいかない。そうしたことが自由にできるご兄弟のことがじつはうらやましくて仕方がないという話を聞かされ、りっぱな方にはりっぱな方なりの悩みがあるものだと感心したことがあります。
 有名になれたらいい気分だろうなどというのも、それこそ際限なく有名になってしまったら逆に息苦しくなってくるかもしれないですね。
 
 ベストのスピードが馬であるという発想は、とても大切であるような気がしますよ。
 
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2016.04.23 02:30

 まあ、結局生きるというのはそういうことだと思いますよ。小さなことの積み重ねの連続から成り立っています。レンガをひとつずつ重ねていくうちに大きな建物になるのと同じです。ひとつひとつのレンガがいい加減であれば建物はーー仮に建ったとしてもーーきわめて脆弱なものになってしまうでしょう。
 ということは、私たちの生活もうまくいかないことが出てきたのであれば大きなことばかり考えるのでなく、小さな積み重ねであるところの「部分」を見つめ直す必要がありそうです。
 
 きちんと寝ていないとかきちんと食べていないとか整理されていないとか面倒くさいので放ってあるとかまあいいだろうと連絡していないとかおつき合いが負担なのにだらだら続いているとか。極端に不潔にしているとかまったく掃除していないとかも、積み重ねとしては褒められた状況ではないかもしれません。そうした「部分」はどうなっているか。
 勉強やお仕事がうまくいかないとき、勉強や仕事自体に問題があるというより生活そのものに問題が生じていることのほうが多いものです。すっきり片づけていく気持ちが第1歩です。
 
 その際、ご自分らしくという要素は大切ですね。いわゆる世間で言うところの優等生的生き方をお勧めしているわけではありません。だいたい私自身が変則的(?)な生き方をしてきました。そのことに対して自分なりの感慨みたいなものもありますが、いつも書いているように後悔は現在という貴重な瞬間をむだにすると考えているので、こだわらないだけです。
 ご自身らしくということは要するにあなたが本当はどうなりたいのかということですよ。昔、テレビでロック系のギターがけた外れに上手な幼稚園生が、憧れのロック・ミュージシャンと対面する番組を見たことがあります。
 
 面白かったですよ。憧れのギタリストに会えてうれしくて仕方がない。最後にそのギタリストの方がアドヴァイスをされていた。ロック・ミュージシャンとしてやっていくには・・・という心得だったと思います。「あんまり勉強するなよ」とおっしゃっていた。
 確かに、朝から晩まで勉強ばかりしているようでは心もとないものがありますね。ですからあなたが成りたいご自身と引き比べて、現在の積み重ねの「部分」はどうなっているかということです。
 
 ずっと昔、女の子にふられた卒業生が相談に来たことがあります。いつもふられる。どうしたらいいか。私はデートのときだけでなく、24時間異性に憧れられるような素敵な男になるべく努めなさいと答えました。デートの日の5時間だけキメていてもあとの全時間をだらしなく過ごしているのであれば、それは天から見れば瞬間的に他者をごまかそうとするだらしない男です。それではいけない。「部分」を整える必要がある。結局、人生あなたは誰なのか・・・ということになりますよ。
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2016.04.21 00:53

 こういう状況(震災など)になってくると落ち着かないという方も多いでしょう。落ち着かないというか、落ち着けないというか。
 こう考えられるといいと思います。全身、とくに問題がないときは意識しないですね。あまり身体のことを意識しない。ところがどこか具合が悪くなってくると強烈に意識します。たとえば何かの原因で胃が荒れていて食欲がない。食欲がないのであまり元気がない。頑張りがきかない。さて困った。
 
 そのときに各臓器がどう考えるべきかというお話です。もちろん比喩ですよ。
 たとえば心臓が胃のことを心配する。心配するぐらいであればまだいいのですが、四六時中自分が胃のために何ができるだろうと考えている。そしてこんな風に全身に血を送っている場合じゃないかもしれないと思いはじめる。自分も消化のお手伝いをしなければ。
 そして実際、ポンプの役割を中途半端にしたまま消化のお手伝いをはじめたりしたら大変なことになりますね。それこそますます具合が悪くなります。
 
 心臓のあるべき姿は、元気がないのは事実であっても消化のことは専門の胃に任せて、自分は少しでも心臓本来の作業に取り組もうということでしょう。結局のところ、全身のため全体のためにはそうするのがいちばんの上策です。本来の役割を全力で果たす。
 中学生の方で言えば、落ち着かなくてもとりあえず勉強生活、学校生活、家庭生活をしっかりやるということになりますかね。勉強も何も放り出して被災地に直行しお手伝いをしたいという発想は立派かもしれませんが、いまの場所でしっかりやることもまた全体への貢献になってくるのですよ。
 
 つらい生活を送られている方のことを思うからこそ、また日々の生活に感謝や丁寧さがもたらされるということもあるでしょう。自分も授業前はそう考えます。
 先日、コメント欄にちょっと書きました。私は慈悲深くありたいと考えて生活していますが、それはそのほうが「かっこいい」と単純に感じるからです。つまりそもそもは非常に利己的な理由でした。利己的な理由であっても、真善美に近づこうという姿勢は他者の利益を生むことが多いかもしれません。そこに何かしら救いがありますね。
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2016.04.20 10:01

 ロック音楽のイメージとして「バッド・ボーイズ」というのがありますね。バッド・ボーイズ・ロックンロールというジャンルみたいなものもあります。古くはそれこそローリング・ストーンズやエアロスミス。ニューヨーク・ドールズ、ハノイ・ロックス、そしてミック・マーズがギタリストとして在籍していたモトリー・クルーなんかもそういうくくりで語られてきました。
 彼らは例外なくーー平たく言えばーーみんなやたらとかっこいいのですが、私には少し派手すぎる感じがありました。
 
 これはもう感性の問題でありうまく説明できません。派手すぎるというかまぶしすぎるというか、自分はそういったバンドに深くのめりこんだことはありません。モトリー・クルーのアルバムも2枚ぐらい持っていた記憶はありますが現在は手許にありまぜん。
 自分はどちらかというと地味な感じが合うのです。アトミック・ルースターとかハンブル・パイとかパラダイス・ロストとか。どこが地味なんだよと怒られそうですが、いわゆる女の子にもてなさそうな雰囲気(?)が好きなのです。
 
 モトリー・クルーの中で唯一地味風で影のある感じだったミック・マーズが解散後初のソロアルバムを作っているそうです。ヴォーカリストがジョン・コラビ。短い期間でしたがモトリー・クルーにも在籍していたこれまた地味めのシンガーです。2曲だけ音源のさわりがYoutubeにアップされていたので聴いてみたら、これが絶品! ものすごくかっこいい。自分の世代にとってヘヴィ・メタルという音楽は、まさにこういう音楽なのだと思いました。
 以前、インタビューでミック・マーズは自分のアルバムはウルトラヘヴィになると語っていたのですが、こういうことかと感心しました。
 
 ヘヴィではあるけれどもドゥーミーではない。ドゥーム・メタルみたいにはならない。またいわゆるエクストリームな感じでもない。映像の中のミック・マーズも(昔からの病体で若干不自由なせいもあるでしょうが)じつにわかっている感じです。例によって上から下まで黒づくめに真っ黒なサングラス。隣のジョン・コラビはキリストみたいな風貌で(別人かと思いました)、音楽に合わせて激しく頭を振ったりしていました。しかし、隣でミック・マーズはぴくりとも動かない。
 早くアルバムが出ないかな。発売当日に買いに行きますよ。
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2016.04.19 11:44

 今日はお休みですが、更新しました。
 
 熊本の地震が鎮まる気配がないので心配です。救援物資がきちんと届いていないみたいですね。揺れ「続けて」いる。おまけに気象庁の方が「この先どうなるかわからない」とおっしゃる。震源域が拡大してきているのも不安です。
 近くに原発もありますしね。大丈夫だというニュースしか入ってきませんが、施設で働いていらっしゃる方や九州地方に住まわれている方は心配だろうと思います。「この先どうなるかわからない」自然に対して、ちょっと不用意であるようにも感じます。
 
 私は無料の良心的な地震予想サイトを毎日見ています。西のほうでちょっと大きめな地震があるかもしれないという記事は何となく記憶していましたが、ピンポイントで「熊本」とは出ていなかった。勝手に沖縄のほうが少し揺れるぐらいだろうと思っていました。震災級のものではあるまいとたかをくくっていたので、本当に唖然とするばかりです。
 渋谷教室にも、ご実家があちらにある先生がいらっしゃる。ご事情をうかがったところ、ご実家の方は「1日中揺れている」とおっしゃっているそうです。
 
 先日も書きましたが、熊本で准教授の職につかれている昔の生徒がいます。一段落したら連絡してみようと考えているのですが、その一段落がなかなかやって来ない。
 地震研究はそれなりに進んでいるのでしょうが、直前になっても揺れるかどうかほとんど予測できないというのは本当に難しいものなのでしょう。揺れそうであるということが何となくわかっても、規模まではわからない。大騒ぎすると風評被害が・・・という判断も働くのかもしれません。
 
 皆さんも心を痛めていらっしゃると思います。こういうときは目の前のことをひとつひとつしっかりやっていくしかないですね。勉強をする。部活や習い事の練習をする。お仕事をする。お掃除をする。料理を作る。きちんと睡眠をとる。それができる環境にいらっしゃる方は、全力で愛情をこめて取り組むことが全体への貢献だと信じます。
 感謝や祈りの気持ちも大切ですね。少し前「日本死ね」というちょっと過激な表現が話題になっていました。そう言わずにはいられないご事情があったそうです。
 ただ、世の中全体が少しでもいい方向に向かっていくことを個々人が祈る姿勢は非常に崇高な何かではないかと思います。「日本を死なせないよ」という気持ち。
 
 私のブログでしか読めないような変な記事を楽しみにしてくださっている方も大勢いらっしゃるでしょうから、これ以降自粛しすぎて湿っぽくならないようには気をつけます。ただどんなときも忘れているわけではありません。希望を持ってくださったらと思います。残されているよきもののリストをーー必ずあるはずですーー強く意識なさるようにしてください。それが希望の種ですよ。
 
 
 
 
 
 
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2016.04.18 10:20

 実話なので多少ぼかして書きます。私は今日までいくつかの塾で教えてきました。1999年にZ会の「社員」にしていただいてからは契約の関係がありますから、Z会以外では教えていません。昔の塾の生徒の何人かとはまだ年賀状のやりとりが続いていたりします。いまいちばん気になっているのは、熊本のある大学で准教授になられている昔の生徒です。天災が相手では本当にどうしようもない部分があり、1日も早く状況が落ち着くことを祈るばかりです。
 
 今日話題にしたいのは別の元生徒です。
 突然手紙が来たのですよ。拙著の感想を書いてくださった。お友だちに配ろうと思って数冊まとめ買いをしてくださったとも書かれていました。どうもありがとうございます。
 彼女にはお子さんがいらっしゃるのですが、Z会の通信をやってくださっています。「体験会でK先生という素敵な方のお話を聞いて」タブレットコースをはじめられたとありました。
 
 このK先生というのは去年まで教室でお仕事をされていた非常に美しい女性です。こういうところできれいだとか美人だとか話題にすること自体品性に欠ける気持ちがないでもないのですが、手紙に「素敵な方」と書いてくださっていたので私も何だかうれしくなってしまいました。仲間を褒められるとうれしいものです。
 彼女の手紙にはこういうことが書いてありました。約30年前、私は彼らにいずれ自分はノーベル文学賞をとると言っていた・・・みたいですね。
 
 みたいですというのは、そう考えたことは確かにあるのですが、まさか生徒にまで話しているとは思わなかった。どういう授業だよ・・・ですね。さらにそのあかつきには皆さんの前でお茶漬けを食べると言っていたそうです。意味がよくわからないのですが、いかにも昔の自分が発言しそうなことだとは思いました。
「励ます力」発刊の記念ですと、彼女は高級なお茶漬けのもとを送ってくださった。
 
 私はじつは彼女たちのはじめての授業を覚えています。学年の最初の授業はけっこう覚えているのですよ。天才か努力家しか成功できないという話をした。当時はよくそんなことを話していました。中学2年生になる彼女は身じろぎもせずにじーっと聞いていた。あのときの自分より現在の彼女は年上なわけで、時が流れました。こうして昔の生徒とも交流が続いていることを喜ばしく感じます。
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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