2016.03.31 06:23

 週刊将棋という将棋の新聞があったのですが、今月限りで休刊になってしまいました。以前からなくなることはわかっていたのでそんなにショックではないのですが、一時期毎週愛読していただけに寂しいですね。
 最近は新幹線の中なんかでよく読んでいました。1984年創刊ですから32年間続いたことになります。毎週のように買っていたのは1980年代ですね。その後はたまに買う感じになりました。
 
 将棋に、というより将棋界そのものに以前ほど興味がなくなってしまいました。自分が少年時代に親しんできた棋士が亡くなられたり引退されたりして、何となく興味が薄れてきたということはあるかもしれません。
 夢中になっている状態のときは、やはりひいきの棋士が何人もいました。ファンは、自分を棋士に重ね合わせて指したりするものです。当時はネット対局がありませんから、もちろん道場でした。
 
 若くして(と書いてさしつかえないと思いますが)亡くなられた美男子の真部一男先生が私は非常に好きでした。彼が名人候補として大活躍されていた時期は、自分も将棋に熱中したものです。真部先生の真似をしてよく穴熊を指したりしました。週刊将棋にも真部先生の記事が掲載されていたので、しょっちゅう買っていました。
 真部先生が体調不良であまり活躍されなくなり、同じく振飛車党だった森安九段が亡くなってからは将棋熱が冷めた感じがあります。
 
 1984年創刊というと私が毎月必ず購読している「BURRN!」誌と同い年だったということになります。私自身まだ20代でした。
 雑誌や新聞が本当に読まれなくなった、書籍が売れなくなったとさかんに書かれています。紙媒体で情報を得たり考えたりする機会はとても大切だという気がするのですが、どうなのでしょう。
 最後の週刊将棋は渋谷駅では売り切れで手に入らず、荻窪駅で入手しました。保管しておこうかなと思います。
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2016.03.29 06:18

 現在は春期講習期間中です。30日の水曜日だけ休室日でお休みですが、いつもと違って火曜日も木曜日も出てくるので記事を書きます。
 春期講習が終わると4月の10日からまた通常授業に戻ります。ちょっと心配しているのが日曜日の新中1の私の授業です。そろそろ教室に入りきらなくなりそうなのですよ。30名までは大丈夫だと思うのですが、それ以上の規模の教室はありません。
 
 まあ、学校がはじまるとそれなりにばらけていくものなので何とかなるかな。私を指名してくださる生徒が多いので、なるべく2つに割らないで自分が担当したいと思っています。
 自分でもちょっと面白いなと感じるのですが、私と中学1年生とは約半世紀も離れているわけですね。ところがここ3年ぐらいかえって自分のところに来てくださる中1生が増えたように感じます。
 
 若いころは私なんかでも多少の人気はあったかもしれません。40歳ぐらいのときですかね。一般的にはそれから徐々に下降線をたどっていく。先生と生徒との年齢がどんどん乖離していきますからそれは仕方がないことだと思っています。感性の近い先生に習いたいでしょう。
 それが再び自分のところに来てくれる生徒が増えてきた。アンケートなんかで見るかぎり、どうやら私をある種の「かたりべ」(?)のように感じてくださる方が多いですね。
 
 なるほどなと思いましたよ。話を聞きたいのでしょう。古い時代の話なんかをしていると(問題文にそういう話題が出てきます)、本当に楽しそうに聞いてくれます。電話の「もしもし」はどこから来たのかとか。
 ご存知ですか? はっきりしないもののどうやら「申します」から来ているらしい。「申します申します」と2度繰り返した。当時の日本人が「電話で話す」ということにどれだけ緊張したか想像できますね。
 
 そういう話がちらちら入るのが、彼らの知的好奇心を刺激するのでしょう。核家族化していますから、おじいさまやおばあさまの面白いお話を聞く機会が少ないのかもしれません。あるいは現代のおじいさんおばあさんは徹底的に若くありたいというお気持ちが強すぎて、古臭いお話をしたがらないのかもしれません。
 私は歳をとることこそが年寄りのいちばんの価値だと考えているので、時代遅れのことでもどんどんお話します。まあ、勉強しながら楽しんでくださったらいいですね。
 
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2016.03.28 06:13

 いつのまにか記事の回数が2000本を超えました。いつもお読みいただいてどうもありがとうございます。
 2009年の6月からですから約7年になりますね。仕事に出てくる日は必ず書き続けてきました。2000本というのはそれなりの達成感があります。記事を書きはじめたころ会社の親しい方に冗談で1000回書いてみようかなと話したことがありました。できるわけがないという・・・本当に冗談の意味で口にしました。その倍まで来た。
 
 勉強法であるとか子育ての工夫であるとか、すでにすべて書き尽くしてしまいました。それはそうですね。次から次へとよい勉強法や子育てノウハウが更新され続けるわけがありません。本当によいものはほぼ変わらない。ほぼ変わらないものを時代の変化に合わせてアレンジしていくぐらいでしょう。
 身体を使うことが何より大切だと思います。ぼんやり見ているだけというのはーー勉強に限りませんがーー本当に効果が薄い。しっかり声に出す。手を動かす。
 
 それが面倒だという気持ちもわかるのです。やりたくないというのであればそれは仕方がない。けっこう長いあいだ机に向かっているのに成績が上がらないという方の中には、ただながめているだけというケースが多いのです。勉強しながらどれだけ声を出しているか、書きとめているか、練習しているかを確認されるといいと思います。
 料理と同じです。テレビの料理番組を見て作り方が完璧にわかったとしても、実際に包丁が使えないということになるとおいしい料理が完成するわけがありません。
 
 じつは私はこの春期講習中に定年退職という形になります。3月31日ですね。翌日も同じように朝の頭から授業がありますから変な感じと言えば変な感じです。契約が変わってももちろん同じように、きちんと自分らしく授業を続けていくつもりです。
 この歳でなければできないことというのがいろいろ出てきて、たとえば10年前の自分がどう頑張っても表現できなかったことが表現できたりします。退化していく要素もあるものの、まだ成長可能な何かもあるということなのでしょう。
 
 またいまだから人さまが安心して話せる自分になったという感じも持っています。何に対しても批判的な見方が減ってきました。世の中、結局「人間」という枠の中で進行していることばかりです。枠の中では他の感情より悲しみが多く見えるようになりました。それは・・・多くの場合、優しい感情につながりますね。
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2016.03.27 00:15

 自分の場合、世間の常識というのは参考にする程度です。遵守しようという気持ちはありません。ただ明らかに皆さんのご迷惑になるようなことはもちろんしません。それは常識がどうのこうのではなく品性や礼儀の問題だと考えるからです。
 いくら信念(?)みたいなものを持っていても、人さまをことごとく不快にするような生活を送るのは自分の美学には合わないのです。ですから、内情はそうでもないのですが一見常識的な生活を送っています。
 
 個人的にやっていることばかりなので、とくに問題が生じるようなことはありませんでした。これまではそうでした。これからもそうであればいいと思っています。
 面白いのはその「非常識な何か」がどなたかのお役にたつときがあることです。何かの相談を受けたりしますね。相談に対して常識の範囲だけで答えるというのも不親切なので、私自身の人生観に基づいたお話をすることになります。相談者の方と信頼関係はできていますからね。
 
 すごく卑近な例をあげると、たとえば「勉強をやりたくない」と言う。そういうときに「そんなにいやならもうぜんぶやめちゃえばいいじゃないか」と見放すのではなく、あくまでも愛情をこめて提案することがあります。苦痛なら勉強をとりあえず捨ててしまってもそれなりに幸せに生きている人はたくさんいるよという感じですね。何とか考え直して勉強しなさいという提案はしません。塾の先生としては「非常識」ということになってしまうのでしょうが、勉強やめちゃいなよと個人的に答えることはあります。
 
 するとだいたいはまたどこかで復活します。復活して以前より熱心に勉強をはじめたりする。そういうケースが多いように感じます。ただそれは結果であって、私はその結果をはじめから狙っているわけではありません。
 ひょっとすると皆さん、常識にとらわれて息苦しいのかもしれないですね。詳しくは書きませんが生きるか死ぬかみたいな相談も受ける機会があります。そういうときも選択肢はいろいろあると話します。何々しなさいとは言いません。
 
 まあ、真剣に聞きますよ。相談されれば真剣に聞く。そういう姿勢だけが大切なのかもしれないですね。一対一で、真剣に聞きます。子どもだからな・・・と流すような気持ちはまったくありません。
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2016.03.26 09:05

 息子に「正体がバレたから大学卒業まではおれのことをブログに書かないでくれ」と言われていました。で、卒業式がこのまえありました。おかげさまで、彼は私のように浪人したり留年したりということもなく無事に卒業できました。ありがとうございます。
 解禁だと思うので、久しぶりに息子のおかしな話を書きます。これはしかし私もいけなかったのだろうな。息子だけがおかしいわけではないと思っています。
 
 しかし、笑ってしまいましたよ。
 先日、私は仕事中にふとあることを思い出しました。仕事とは関係ないことなのですが、あることをしておかなければならなかった。もうちょっと詳しく書くと自宅にあるあるものを書き写して家を出る必要があったのですが、それをしてこなかった。完全に忘れていたのです。
 そこで携帯で自宅に電話をかけました。息子がいるのはーー就職前でのんびりしていますーーわかっていましたから。
 
 昼すぎに電話をかけたのですが、まだ寝ていたようです。困ったものですね。まあ、私も大学時代はそんなものでした。
「お、いま目を覚ましたのか」とか何とか言った。「うん、まあね」
 私は「じつはちょっとお前に頼みたいことがあるんだ」と言いました。そして「お父さんの部屋に行ってくれないか」と確かに続けた。
 すると息子はすぐに「わかった」と返事をしました。そして、そのまま返答がない。私は慌てて「もしもし、もしもし」と呼びかけました。
 
 しばらくたって受話器に出てくると「行ってきたよ」と真面目な声で言う。「お父さんの部屋に行ってきた」
 おいおい・・・ですよ。そんなことだけが目的になるわけがないじゃないですか。私は呆れて「いや、行くだけではなくてやってもらいたいことがあるんだ」と言いました。
「なんだ、そうなのか」「行くだけでいいと思ったのか?」「いつも通りの部屋だというのを確認するのかと・・・」みたいなやりとりがありました。
 
 そのあとお互いの携帯電話で話しながら目的は達したのですが、お父さんの部屋に行ってくれないかと言われてそのまま部屋に飛びこんでじろじろ見てすぐ帰ってくるというのは、わが息子ながらコントみたいですごいと思いましたよ。
 こんなことがしょっちゅうです。またときどき息子のことは書きますよ。
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2016.03.24 00:45

 いろいろ苦しい状況下にいらっしゃる方も多いと思います。こんなことを書くのは自分の周囲にも現在苦しんでいる方がいらっしゃるからなのですが、とにかくご自身を責めないことがよりよい状況をもたらす大切な要素です。周囲はーー場合によってはーーあなたを責めるかもしれません。ただあなた自身は自分を責めない。これはこれで1つの選択にすぎず、ここからのスタートで十分だという落ち着いた気持ちが必要になってくると思います。
 
 何度も繰り返しますが、どんなに創意工夫を凝らしても私たちが握っているのは「この瞬間」しかありません。「この瞬間」しかないということに関しては、いくら意識してもしすぎることはないように思います。すべて瞬間瞬間がその人間のこの後の歴史を作っていくわけですから、せっかくの瞬間を自分を責めることに費やしてしまうのは非常にもったいないことです。仮に他者から責められるべき何かを持っていたとしても、ここからはよりよく生きるために使われたほうがいいですね。
 
 真・善・美という表現がありますが、迷ったらそちらに近づく感じのことを選択されるのがいちばんいい。ご自身が本当に好きなものを選択するーーそれがあなたを真に導いてくれるはずです。少しでもどなたかの役にたつことを選択するーーそれがあなたを善に導いてくれるはずです。全体の調和がとれる状況を選択するーーそれがあなたを美に導いてくれるはずです。だんだん呼吸をつかんでいってください。
 ひどい混乱のなかにあっても、そうしたことを意識されるといい。何もできないとご自身を責めないことです。この瞬間からはじめればいいことです。
 
 いままで本当にいい加減に生きてきてしまったという方もいらっしゃるかもしれません。大きなことでも小さなことでも同じですよ。勉強を本当に適当にやってきた、友だちを裏切ってばかりいた、何か不正をおかしてしまった、いつもいつも遅刻していた、部屋の掃除をしたことがない、暴飲暴食を繰り返している・・・何でもいいですよ。過去のご自身を責めることは何ら解決策にはなりません。ここから注意深く、生活をコントロールしてください。
 
 何度誓っても自分で誓いを破ってしまうから・・・という方もいらっしゃるでしょう。誓うという行為自体がじつは未来志向なのでうまくいかないのです。いま大切なことだけをなさってください。いまのことだけでいいですよ。たとえば一生タバコを吸わないではなく、いまタバコを吸わない。それだけで十分です。
 
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2016.03.23 07:58

 生まれてきてよかったのかどうか厳密にはわかりませんが、よかったと決めてしまったほうが間違いなく幸せですからそう決めています。すると生きてきて起きたことはぜんぶよかったということにしておいたほうがよさそうだという話にもつながってきます。
 失恋だとか落第だとか入院だとか近しい人間の死であるとか生まれてきたことに付随して生じたことばかりですから、まあそれはそれでよかったことになる。すべての失敗や落胆は、私という人間から生まれた作品(?)であるわけです。
 
 なぜ生きるのか? ということをときどき考えるのですが、あまりよくわかってはいません。こうした問いかけにはいろいろな答え方があるはずで、1つに統一されてしまったらかえって生きづらくなるような気もします。
 先日、高畠先生(会社の代表でもあります)の講演会を拝聴していて「中学高校時代、勉強を通してあれこれ深く思索し、かつ活発に行動してどう生きたいのかを見つけてほしい」というお話に、自分のメチャクチャな青春時代を重ね合わせたりしました。
 
 あの当時・・・自分は本当に病的な少年だったと思います。いまもちょっと変なのですが、当時は異常さがむき出しになっていました。何でもいいから壮絶に破滅してやろうみたいなことを考えていた。なぜそこに行き着くのかは何となくわかるのですが、とにかく美的に破滅したいと考えていました。
 日常生活もそうです。わざと病人のようによろよろ歩く。そういうのをものすごくかっこいいと思っていた。ショー・ウインドウなんかに背中を丸めてよろよろ歩く自分の姿が映ると、うれしくて合図を送ったりしていましたよ。
 
 そのときもしかし、愛だとか希望だとか美、幸福、正義・・・そうした概念についてはけっこう真剣に考えてはいたのです。考えてはいたものの、どこからアプローチしても不純に思えてしまう。すべて欺瞞で偽善でしかないと思えてしまう。どの人間のどの善意もおためごかし(調べてください)だらけであるという感覚ですね。自分の善行もすべていかがわしい。当時バスの中でお年寄りに席を譲ったりはしていましたが、その行為自体が不純で不潔に思えて譲るときはバスを下りると決めていました。どうぞと言わずさっと席を立ち、まっしぐらに降車扉に向かう。そのために大切な約束にも遅刻したりする。
 
 そして現在、私は60歳であの当時の自分と同じ年齢層の生徒たちに接しています。本質的な意味で、とてもではないですが断罪みたいなことはできません。「やる気がないおまえはだめだ」などとは絶対に決めつけられない。規則に関する注意ぐらいはしますが、彼らがどういう混迷の中で苦しんでいるのか私に見えない部分も当然あるでしょう。
 穏やかに、可能性を広げるためによかったら勉強してみないか? 相当のお手伝いはできると思うよといった気持ちで接しています。
 
 
 
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2016.03.21 07:39

 先日の新聞に、歳をとっても頻繁に笑う生活を送っている人は病気になる確率が低いというようなことが書かれていました。とくに脳関係の疾患ですか。脳内出血であるとか脳梗塞であるとか。
 免疫力も上がるらしい。わかるような気がします。笑うことは簡単そうに見えてけっこう奥が深いことなのかもしれません。笑うまえにそもそも笑おうという気持ちになれるかどうか。
 
 たとえば面白いコントがあるとしますね。見たらどういう状況下でも必ず笑うという予感がある。そもそも日々の生活があまりにも深刻であれば、コントを見ようという気にはならないでしょう。笑えるかもしれないけれども笑っている場合ではない。それだけ余裕がないのです。
 で、ばかばかしいから笑う機会は避けようということになる。そしてますます陰気さがつのる・・・という悪循環が生まれそうです。
 
 つまり笑う以前に、笑うにふさわしいリラックスした時空間が必要なわけです。その空間に包まれてはじめて、ではしみじみ笑おうかということになる。笑えることをご自身に許容できるようになる。
 動植物などを見ていると「深刻」には見えません。怒っている姿を目撃することはあっても「深刻」というのは目撃しない。深刻な薔薇だとか深刻な猫だとか、見かけませんよ。深刻さというのは人間だけに許された特殊な感情なのでしょう。
 
 特殊なと表現すると偉そうになってしまいますが、人間だけに特有のある種の病であると解釈することもできそうです。日々の生活に多少のストレスは必要でしょうが、考えすぎておかしくなってしまうというのはあきらかに度を超しています。
 明日のことは明日思いわずらえという言葉がありましたね。心配しだせばきりがない。起きるか起きないかわからないことについては、そのときはそのときだと決めつけてしまったほうがいいのかもしれません。
 
 自分の子育てのことを考えてもそうでした。このままだとちょっとまずいかなということはいっぱいありました。しかし、まあ元気ならいいかぐらいで乗り切ってしまいましたよ。いい加減であるとか不勉強であるとか・・・ただつねに食卓は明るかったし親子和気藹々とした空気は維持していました。
 気まずくなったときは、やはりあたりまえの挨拶がある種の役割を果たしていましたかね。おはようとかお帰りとか。それで無事にリセットです。
 
 
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2016.03.20 07:20

 ある高校の今年の入試問題を読んでいたら、非常に考えさせられる話が出ていました。この高校は入学するのが極端に難しく、首都圏の最難関校と断定してしまってもさしつかえないかもしれません。ただ私が感心したのは文章の内容であって、問題がどうこうということではありません。こうした文章をとりあげること自体がさすが! と感じるのです。
 こういうことが書いてありました。救世軍というのがありますね。民衆を物質的にも精神的にも救おうという組織です。
 
 昔、そこの人間が汽車である駅にやってきた。そういう組織ですから当然質素倹約をよしとしますね。昔の列車には一等車、二等車、三等車という区分があって、お金持ちは一等車にお金のない人は三等車に乗りました。
 救世軍のその方は二等車に乗ってきました。そのことがちょっと問題になったそうです。当然三等車で来るべきではなかったのか。二等車というのは無駄遣いである。けしからんと言う人もいた。
 
 文章の筆者はしかし違う意見を持っていました。三等車にしか乗れない人たちもいる。どうしても三等車にしか乗れない。お金がない。そういう人たちのために二等車に乗る余裕のある人間は二等車に乗って席を譲るべきではないか。その人が倹約の徳にこだわって乗れる二等車に乗らずに三等車に乗りこんだら、席をとれない人間が出てくる。他人を楽にするためには節約の徳を捨ててもいいと考えるほうが救世軍らしくはないか。
 さらにこういうことが書かれていた。あらゆる美徳を行うのに貪婪(どんらん)であってはいけない。
 
 貪婪という言葉はぜひ辞書でひいてみてください。
 うーん・・・この話には本当に考えさせられましたよ。いまの日本が抱えているいくつかの問題を解決する糸口が、潜んでいるような気さえします。昔の人間が持っていたこの種の倫理意識が希薄になった結果、さまざまな問題が生じてきているのではないでしょうか。
 こういうことはご家庭でも話題にされるといいと思います。どう思う? と。やっぱり倹約するべきだという意見もあるでしょうし、分かち合うべきだという意見もあるでしょう。
 
 いっそのこと一等車に乗って、より多くお金を使うことこそ世の中を救うことになるという考え方も出てくるかもしれない。正解はあるようでない。正解がないからこそ考える価値があるのです。感じることがあればーーご家族ですからーー恥ずかしがらずに発表してみることが勉強になる。お互いに一切批判はしない。ひたすら面白いお話としてとらえて、ああでもないこうでもないと和やかに話してみる。そういう姿勢から生まれてくるものが大きいと思います。
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2016.03.19 06:38

 今日はこれから渋谷の外部会場でお話をすることになっています。本来私は司会進行役で話をしてくださる先生はべつにいらっしゃる(会社の代表でもある高畠先生)のですが、せっかく渋谷に中学生の方が集まってくださるのだから高校受験のことも話したらどうですか? と皆さんが気遣ってくださった。まあ、前座として少しだけであればご迷惑にはならないだろうということで、30分未満でお喋りする予定になっています。
 
 明日は明日で渋谷教室で、こちらは2時間枠をとってお話する予定になっています。もちろん2時間も続けたら聞いていらっしゃる方が疲れてしまう(小さなお子さんを連れて来られる方も多い)でしょうから、会場を2時間分おさえてあるという意味です。渋谷教室に広い教室はいくつかあるのですが、すべて高校部が使用されていてこちらはお借りする立場です。
 中学生はそんな広い教室では授業ができませんからね。隅っこでこそこそ遊んでいたりすると困るので、最大でも30人規模で授業をしています。
 
 私のお話はだいたいいつも同じ。勉強をしよう。どうせするならこれこれこういう効果的な方法でやろう(このあたりがいちばんお役にたつのかな)。落ち着いて勉強できるように周囲は環境を整えてあげよう(これは物理的な環境ではなく、ご本人の「感情の環境」です)。さらに勉強することで多くの人助けができますよ。やりはじめると勉強は非常に面白いですよ・・・と続けますかね。
 同じは同じなのですが、具体例は少しずつ変えています。たとえば以前はこういう素晴らしい考え方があるとAさんを取り上げた。今回はAさんは出さずにBくんを取り上げる。
 
 たくさんの生徒を見てきましたからね。極端な挫折から立ち直った生徒だって数え切れないほど知っています。人間というのは間違いなく進化成長できるものです。いまのままではないということを伝えたい。
 いらしてくださった中学生の方に(自分だって頑張れるんだ!)と勇気を持って帰ってほしいと思っています。あるいはご家庭全体に強い希望を持っていただく。ご家庭の空気が停滞している中で勉強だけ頑張るのは非常に難しい。大人だってそうです。どんよりした中で、仕事だけきわめて快調とはなかなかいきません。
 
 いい意味で「躁」状態にもっていきたい。明るく生きられるというのは本当に幸せなことで、そのために「勉強」のお話を使っているようなところさえあります。今日はもちろんそこまでは話せないと思います。まあ、それでも明るくまとめますよ。行ってきます。
 
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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