2015.12.31 07:36

 2015年もいよいよ終わりですね。私は今日も仕事なのでこの時刻には自宅を出る準備にかかっています。何度も何度も同じことの繰り返しで恐縮なのですが、今年は本当にいろいろなことがありました。おとといモーターヘッドというロックバンドのリーダーであるレミー・キルミスターさん(となぜかさんをつけたくなります)が亡くなった。もともとあのジミ・ヘンドリックスのローディーだったというのですから、歴史の生き証人みたいな人です。
 これもまた私にとっては心に残る2015年の大きな出来事でした。モーターヘッドは大ファンというわけではありませんが、CDを買ったりコンサートに足を運んだりしたことはありました。
 
 1980年ごろ彼らは突如としてブレイクしはじめたわけですが、そのときのさまざまなインタビューに何となく感じるものがありました。ドラマーのフィルシー・アニマル・テイラー(この人も今年亡くなっています)のセリフだったと思うのですが、おれたちはどんなに金持ちになってもステーキなんか食わないんだ・・・というのがありました。いつだってフィッシュ&チップスだと宣言していました。労働者階級であることを誇りにしている感じで、いいことを言うなと思いました。
 当時は「フィッシュ&チップス」を扱っているお店自体が東京にはほとんどありませんでした。どんな食べ物だろうと辞書で調べたことを覚えています。
 
 イメージが湧きませんでしたよ。本場イギリスでは新聞紙にくるんで売られているというようなことが書かれていた。いまでこそどこでも見かけますが、日本のものはうんとオシャレですね。労働者階級の食べ物という感じはしません。
 AC/DCの古いプロモーションビデオでも、彼らが屋台みたいなところで新聞紙にくるまれたフィッシュ&チップスらしき物体を買うシーンを見たことがあります。細かいことは覚えていませんが、要するに日本人のラーメンみたいなものなのでしょうね。安くておいしくて親しみやすい。
 
 今日は授業後、例年のように街をうろうろするつもりです。バスに乗って適当に動く。
 師走の小さな飲み屋さんというのがまたなかなか切なくていいものなのです。私もはたからはそう見えるのでしょうが、寂しそうに1人で飲んでいるおじさんがいる。家内の母親が生きているころは、毎年大晦日は1人で過ごしました。私は仕事、家内と息子は家内の実家でお正月を迎える。
 その感覚が自分にはすごく心地よかった。で、家族がいても大晦日は1人がいいのです。1人でぼんやり杯を傾ける。レミー・キルミスターさんは私より10歳上でした。自分もそろそろ秒読みかもなという気持ちは持っています。
 
 今年も本当にありがとうございました。
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2015.12.30 06:47

 生徒が何か妙なことをしているときに礼儀がどうのこうのでいきなり叱ることはまずありません。まずありませんというのはこの歳ではありませんという意味で、若いころは見えていない部分も多々ありました。
 中学生の繊細さというのは、私のようなおじ(い?)さんでは気づけない部分がたくさんあります。いつもマスクをしているある生徒は、顔を見せるのが恥ずかしいと言っていました。きれいな顔をしているのですよ。それでも新鮮なむき出しの自意識は、見られるのが恥ずかしいと感じさせる。
 
 同じようなことを前髪を垂らしている男の子から聞いたこともありました。目にかかっている。自分の視界が妨げられるわけですが、自分から見えにくいのであちらからも見えにくいだろうという妙な錯覚が生じる。その錯覚が安心感につながるので垂らしたままにしておきたい。
 こうしたことは詳しく教えてもらえるわけではありません。ひと言ふた言のやりとりのなかで、テレパシー的に伝わってくるのです。それぐらい「察知」できないようではだめだと思いますよ。
 
 ときどき教室でこっそりガムを口中にとどめている生徒がいます。彼らの多くがガムが好きなのではなく、口臭があるのではないかと心配しているのです。そこで、気づかぬふりをすることもあります。
 こうしたことを大勢の前で叱責して謝らせても、お互い得るものは非常に少ないと思うからです。あちらはあちらで何が何だかわからない要素もある。人間の生活には非常に繊細な何かが潜んでいますから、ときにはあえて触れずにすます知恵みたいなものが必要でしょう。知恵というより感性というべきですか。
 
 親子関係でもそういうことはある。ご夫婦の関係でもありますね。何もかも赤裸々にして秘密は1つもないという状況は私個人(これはもう個人の問題です)はあまり好みません。実際、息子には小さいころから「お父さんやお母さんに言えない秘密ができてもそれが人間なのだから罪の意識は持つな」と言ってきました。
 すべてを赤裸々にしろ・・・と強く要求することのほうが、どちらかというと危険だとも感じます。そこまで相互依存を拡大してしまっていいものかどうか。
 
 わかっているのに「わかりません」という生徒がいる。やっていないのに「終わりました」という生徒がいる。間違えた答を書き直してまるをつけてしまう生徒がいる。多くの場合、あえてこちらから「えぐる」ような行為だけは避けています。
 触れているようで触れていない。触れていないようで触れている。人間と人間の関係を良好に保つには、どうしても必要になってくるように感じています。
 
 
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2015.12.29 00:04

 「酒のほそ道」の最新刊(今月発売)でまたまた面白い記事を見つけました。あのコミックは、あいまのエッセイも非常に面白い。今回は「新幹線飲み」でした。作者のラズウェル細木さんは京都にも(!)仕事場を作られたそうで、頻繁に京都にいらっしゃる。
 「酒のほそ道」を書かれているぐらいですから、当然新幹線の中では飲むことになりますね。飲むときつまみにされているお弁当について言及されていました。崎陽軒の「シウマイ弁当」のよさもちらりと書いてあった。
 
 シウマイ弁当については以前私もブログで取り上げたことがありました。「食の軍師」というマンガ(私はけっこうコミック類も読むのです)の影響を受けて、いろいろ研究しながら食べてみたくなった。1日に2つ食べたら気持ちが悪くなり(アホか?)それからちょっと遠のいていたのですが、いまは普通においしく食べられる状態に戻りました。
 じつは私にとっても、新幹線の中でお酒を飲みながら何を食べるかということはかなり悩ましい問題なのです。自分の場合、だいたい名古屋に行く。だいたい名古屋に行くという文章自体変ですかね。
 
 こだま号のグリーン車(ぷらっとこだまプランだと1万円かかりません)で行く。すると約3時間かかります。新幹線から出てきたら千鳥足・・・などというのは恥ずかしいので缶ビール(350ミリ)を2本とか缶ビールと缶チューハイとか、要するに2つだけ買います。ごくまれに片方は日本酒にするときもあります。
 食事というより飲むことにアクセントをつけたくてお弁当を買うわけです。駅で買うこともありますし、わざわざ改札口を出てデパートの地下で買うこともあります。ところがこれがなかなか難しい。
 
 有名な料亭のお弁当を買ったら味が上品すぎてあまり面白くない。単品の(何とか鮨というような)お弁当を買ったらすぐに飽きてしまって面白くない。惣菜パン系を買ったら旅情が感じられなくて面白くない。凝った容器のお弁当を買ったら周囲の目が気になって面白くない・・・という具合に私はわがままなのでしょう。なかなかこれだというものに出会えません。結局は(シウマイ弁当にしておくのだった)といつも後悔しながら、それでもシウマイ弁当はありきたりすぎて買わないということを繰り返しています。
 
 いちばん高いものだと4000円近くするうなぎ弁当を「えい、やっ!」の気合いで買ってみたことがありました。すごくおいしかったのですが、逆に飲んでいる場合ではないみたいな感覚になってしまってつまみとしては失敗したなと思いました。
 ここからです。品川貝づくし弁当というのが最新刊の記事に出ていました。これは究極のつまみ弁当であり、神奈川県から愛知県ぐらいまで(のぞみ号だとは思いますが)十分もつと書かれていました。インターネットで調べてみて、なるほどーと納得しましたよ。
 
 こうなってくると1日も早く食べてみたい。自宅で食べる気は全然しないので、どうでもいいからとにかくむりやり新幹線に乗ろうと思っています。お金がもったいないので静岡まででいいかな。行きは飲みながら貝づくし弁当を食べる。静岡の街を適当に半日ぶらぶらして帰りはまた飲みながら静岡の弁当を食べる。
 あ、これはいますぐやりたくなってきましたよ。どこかで必ず実行することにします。
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2015.12.28 06:28

 自分は昔から世間の出来事に疎い人間ではあるのですが、そんな私でさえ現代の世の中の「配分」には相当の問題があるように感じています。豊かさの配分とでも言えばいいのでしょうか。全然うまくいっていない感じがあります。
 持っている人間が欲張りすぎている(そういうことも多少はあるのでしょうが)というより、持っている事実に、あるいは配分すべきであるという状況にまったく気づいていないケースが多いのではないでしょうか。あ、自分も持っていたのか・・・ということですね。
 
 どこかにお金を寄付しましょうとかそういうお話ではないですよ。そうした活動ももちろん悪いことではないと思いますが、ここで話題にしたいのはお金をかけなくても分け与えられるものが自分たちにはたくさんあるのではないかということです。
 昨日、山手線の中で外国人の方が私のすぐ前に立っていらっしゃいました。よくはわかりませんが、雰囲気からはアラブ系の方ではないかと思います。日曜日でしたから車内は比較的すいていて、私は例によってドア脇で立ったまま本を読んでいました。
 
 この書籍についてはいずれブログにも書いてみたいと思っています。「フランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズのすべて」という679ページもあるとてつもなく分厚い本です。冬期講習中の行き帰りに読もうと思ってわざわざ今年最後の休みの日に買ったものです。
 外国人の方が向きを変えた瞬間、ちらりと肩口に本が触れた。どちらが悪いということでもなかったのですが、その方はすぐ私に「どうもすみません」とはっきりおっしゃった。むしろ狭い空間で分厚い書物を開いている自分のほうに非があるような気持ちもしたのですが、あまりにもとっさのことだったので私は軽くうなずいただけですませてしまいました。
 
 そのあと非常に柔らかないい感じが残りましたよ。ずいぶん礼儀正しい人だなと思った。その個人がどうのこうのというより、こうやって礼儀正しい外国人の方がいらっしゃるという事実そのものが(世の中本当に捨てたものではない)という気分にさせてくれました。まさに「礼は心の花」ですね。花をプレゼントされた気持ちがした。
 そんな配分もある。気持ちというか挨拶というか礼儀というか、そうしたものの適切な配分もある。自分も見習わなければと思いましたよ。
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2015.12.27 00:13

 2005年に1度将棋ソフトを買ったことがあります。その時点でコンピュータは非常に強くなっていて、最強の「五段」ランクに設定すると私の棋力では勝てませんでした。何十局も対局して1回だけまぐれで勝てて(偶然に詰みました)、それでもうれしかったのを覚えています。
 いまはそのときよりはるかに強くなっています。「五段」どころか「プロ+」というランクまである。そこまでいってしまうと冷静に考えて2枚落ちぐらいでいい勝負かもしれません。
 じつは昨日、ちょっと考えがあって最新のソフトを購入しました。
 
 以前も書いたことですが、不思議だなと思うことがあります。
 私が将棋に熱中していたころはプロの棋譜はなかなか入手できませんでした。将棋雑誌が月1回発刊されていて、それを見て並べる。当時はプロ棋士でさえ同じような状況だったらしく、コピー機も普及していなかった昔は先輩の棋譜を手書きで写したと書かれていました。手書きで何百枚も写すというのですから膨大な時間がかかったのではないかと想像されます。
 そうした棋譜がいまはーータイトル戦なんかはーー将棋ファンにもリアルタイムで、しかも解説つきで手に入るようになりました。
 
 現代はさらにコンピュータがプロ棋士と同じぐらい強くなってきています。教わろうと思えば僻地でも真夜中でも、教われる環境にあります。
 私が子どものころも近所に道場はありましたが、大人ばかりで子どもの姿はありませんでした。賭け将棋があたりまえのように横行していて柄が悪いので、行ってはいけないと周囲の大人から聞かされた覚えがあります。定跡の疑問を質問する相手がいませんでした。書籍も初心者向けのものばかりでしたし、さらには対局相手にも恵まれませんでした。
 
 月に1度月刊誌の棋譜を繰り返し並べ、自分対自分で指したりしてしていました。現在のような状況だったらどれだけ勉強(?)できただろう・・・という気持ちになります。
 しかしーーここからが問題なのですがーー恵まれた環境にもかかわらず、20代の若手強豪棋士がタイトル戦で40代の棋士になかなか勝てないのです。40代棋士の修業時代はコンピュータはまだまだ弱かったですし、リアルタイムで解説つきの棋譜なんか手に入らなかったはずです。
 不便な中で自分自身の頭で考えるということの繰り返しが、強靭な棋力と精神力をもたらしたのかもしれません。
 
 いまよりはるかに不利な環境が人間を鍛えた可能性があります。太平洋戦争で戦地に赴いた棋士が帰ってきたらなぜか将棋が強くなっていたという意味のことをエッセイで書かれていましたが、便利さの陰にある何かが棋力の向上を妨げている要素があるのかもしれないですね。
 私は勉強にもそういう傾向があるのではないかと危惧しています。みかん箱の机で勉強していた昔の秀才がなぜあれほどまでに秀でていたのか。逆に言うと環境を整えるだけで安心してしまってはいけないということかもしれません。
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2015.12.26 06:23

 私たちがあれこれ悩むのは問題を抱えるからです。お金をどうしよう、健康状態がよくない、嫌われたら大変だ・・・ただ昔の禅の教えなどを読むと、共通しているのは「じつは何も問題はない」ということに尽きると感じます。
 問題というものは抱える本人が作り出しているものにすぎず、本当はないというのです。ないと言われたって現にここで自分が苦しんでいるのだからと訴えたくなりますが、その種の書物を読めば読むほどやっぱり問題はないと定義されている。
 
 今年、自分の身辺にはじつにいろいろなことがありました。年のはじめに生まれてはじめての書籍が出ました(応援してくださってありがとうございます)。初夏に母親が倒れ、ついで父親も倒れました。両親をどうするかということになっています(進行形)。さらに実家の後始末で、煩雑な問題が生じてきている。家族で住んでいる賃貸マンションに妙な問い合わせが入った時期もありました。さらには私自身が60歳になり、ひとまず定年退職を迎えます。教室や、お預かりしている生徒たちへの責任はどう果たすべきなのか。そんな中で息子が無事に就職を決めてくれたことには心底ほっとしました。
 こうしたことは、すべて「問題」と見ることもできます。するとあれこれ心配したり一喜一憂したりということになりますね。
 
 ただ当人でなければ何もかも「それがどうした?」でしかないのも事実です。親が倒れるなどというのはあたりまえの順番であって、自分が親より先に倒れるよりよっぽど幸せではないか。
 さまざまな状況に身を置きながら、生じている現象以上の何物をも思わないという姿勢がいちばんいいのだろうと感じています。たとえば私たちは歩くときに左右の足を交互に出しますね。右、左、右、左と延々と作業を継続していく。その動作を問題とは呼びません。
 
 同じことなのではないかという気がします。困るときは困る。そこで切ってしまえばどこまでも問題が拡大していく感覚はなくなります。つまり(もっともっと困るのではないか)という幻影におびえることはやめる。実際は確かにもっともっと困るのかもしれません。しかし、そのときはやはり「もっともっと困った瞬間」を持つだけにする。
 逆に息子の就職なんかも喜びすぎると、彼が突然会社をやめたいと言い出したとき「大問題が起きた」となってしまう。そもそも喜びすぎるということ自体が問題を作り出す原因になりそうです。
 
 冷静に沈着に、瞬間瞬間に生きていくのがやはりすべてなのだという真理が体感的にわかるような1年でした。自分が手を出せる範囲は「いま」と「ここ」にしかない。そこを大切につかんで生きることがすべてなのだと改めて考えながら今年をしめくくっていこうと思います。
 今日から年内無休です。
 
 
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2015.12.24 08:31

 私はいわゆる食通とかグルメとかと呼ばれる方が書いたものをよく読むので、そうした風潮に反感は一切抱いていないのですが、自分が食べ物について発信することには何となく抵抗があります。これは昔からです。本当に全力で愛情を注いできたことであればあれこれお話する資格もあるような気がするのですが、そうではないことに偉そうに言及するのはちょっと気が引けるのです。
 たとえば音楽(とくにヘヴィ・メタル)に関しては、相当勝手なことも書いてきました。復活するレインボーのヴォーカルがジョー・リン・ターナーでなかったのはある意味で見識だとか。
 
 仮にどなたかに「どうして?」と質問されたら、それなりに持論を展開できると思うからですね。いまは詳しく書くこともないと思うので書きませんが、自分がそれをよしと考えた理由はあげられます。まあ、もちろん正しいも間違っているもありませんけどね。
 しかし、食べ物のおいしいまずいに関しては質問されても上手に答えられません。表現できるだけの経験も知識も語彙も持っていないということです。その自覚があるのであえて発信しません。
 
 最近ある記事を目にして、非常に感じるものがありました。老舗の鰻屋さんのお話。うな重という食べ物がありますね。重箱にご飯が入っていてその上にうなぎの蒲焼が乗っている。こんな説明をしなくてもほとんどの方がーー小中学生でもーーご存知でしょう。おいしいですね。私は好きですよ。
 そのうな重を頼んでご飯には一切手をつけないお客さんが昔はいらっしゃったとご主人がおっしゃっている。ご飯ははじめから保温材とだけ考えているというのです。つまり蒲焼を温めるだけのものとして認識している。最後まで温かい蒲焼を食べながらお酒を飲むことが目的なのです。
 
 私がほうと思ったのは、ご主人がそうしたお客さんのことを「昔は粋な人がいたものだ」と肯定的に語っていたことでした。
 こうなってくるともう価値観の問題ですね。仮に現代であれば、粋という感覚でとらえられるかどうか。息子がそんなことをしていたら私は間違いなく注意すると思います。そんなもったいない食べ方をするものではないと。またお店のほうも、せっかくのご飯が手つかずというのはどういうことだと怒るのではないでしょうか。ぜんぶむだになってしまいますから。
 
 それを昔は粋と評価した。
 生活の中に遊びみたいな要素がふんだんにあったということでしょう。そこまで贅沢を許容できた時代はそれなりに幸せだったのかもしれないですね。
 べつのある本には老舗の居酒屋さんのご主人の「昔は周囲のお客に、見ていて気分が悪いから食べるのだったらよそで食ってくれと言う常連さんがいた」という意味の言葉が載っていました。お酒だけを飲んでいろということで、他人に対してメチャクチャな要求なのですが、ご主人はどちらかというとそうした昔を好ましいものと考えているようなニュアンスでした。難しいですね。こういうのは、どう考えたらいいのか難しい。
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2015.12.23 06:27

 今週、他部署から「国語の本質」についてのインタビューを受けることになっています。私はお役にたてそうなお話は一部の方のためだけにこっそりとっておくのではなく、どんどん世の中に広めていくべきだと考えています。ちょうどいい機会ですのでブログにも書いておこうと思います。
 国語とは何か? 指導要領などを読んでいても、なかなかぴんとこない方もいらっしゃるでしょう。簡単に表現すると伝え合う力を涵養する教科ということになりますね。
 
 伝え合うとひと言で表現してしまいましたが、あくまでも双方向ということです。聞く、話す、読む、書く・・・ぜんぶ上手に伝わらないといけない。自分が一方的に発信するだけではまったくだめなのであって、相手が発信したくても上手に発信できないことまで聞き取るあるいは読み取る能力があるかどうか。そうした力が試されてきます。
 たとえば難しい講演を聞いたとします。あるいは難解な論説文や資料を読んだとします。筋道だけが理解できればいいというのは浅い理解であり、難しいことを発信している人間の背後にある苦渋や喜びまで嗅ぎ取れるかどうか。
 
 そこなのですよ。本当の力が試されるのは。理路整然とした表現の内側に悲しみが隠されていると気づけるかどうか。そうした背景に思いを致す力を持っているかどうか。逆の立場であれば、自分が論理的に発信(面接試験などはそうですね)しながら裏側に人間的情緒であるとか情愛であるとかまでをどこまでこめられるか、伝えられるか。そこに差が出てきます。
 いわゆる「上手なコミュニケーションの取り方」といった類のハウ・ツー本でどうにかなるものではないですね。もっともっと深い知性や教養や感性が必要です。伝え合うというのはそういうものですよ。
 
 内容だけが伝わればいいわけでもない。たとえば「べん強をしましょう」と書いたら何か変ですね。「勉強」と書けばいいのにと思う。あるいは「テレビが見れなくてもいい」とか「努力しなきゃだめ」と書いたらやっぱり少し格調が下がる。「テレビを見られなくてもいい」「努力しなければだめ」と書くべきです。
 最低限の知識や常識はその人の品格をあらわします。雑に汚い文字を書くなどというのも品性を下げてしまうことに気づかないといけない。
 そういったすべての伝え合いの中で最上位(得点や偏差値に特化する意味ではありません)に位置するために学ぶ。最上位を目指すのは、そうした人間こそ世の中に橋渡しができ全体の役にたてるからです。
 
 人間的な器が大きくならなければ他者の伝えてくるものを受け止められません。じつは発信できる秀才はけっこうたくさんいます。ところが受け止められる秀才はなかなかいない。「あれでけっこう弱っているんだな」とか「乱暴な発言をされるけれども本当は優しい先生なのだ」とか「いまは何も言わずに黙っていてくれということなのだろう」とか、きちんと正確に受け止められないのはある意味で国語力の欠如だと思います。
 大学入試希望者学力評価テストの記述式問題例なんかを見ても、芸術家の内面に想像を及ぼせばすぐに解答できそうな問題が出ていましたね。このタイプの小説家のエッセイは読んだことがあるから、すぐにぴんときたという人もたくさんいたはずです。その場で読み取る以上に、獲得してきたすべてが試されると考えるべきでしょう。
 
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2015.12.22 09:00

 今日は休講日で仕事はお休みします。年内はもう1回だけどこかでお休みできるかな。あとはお正月の5日ごろまで元旦以外すべて教室に出てきます。授業がありますからね。つまりブログも書き続けるということです。お正月も仕事で大変ですねということをおっしゃっていただくことがありますが、毎年なのであまり何も感じません。日曜日がお休みでなくてもとくに苦にしないのと同じですね。
 ふだんはお休みの日は記事も休んでいるのですが、今日はちょっと改めて御礼を申し上げたくて記事にしました。
 
 先日、主婦と生活社さんの拙著「励ます力」についての特設ページが更新されたお話を書きました。あれからどうなったか。
 ここのところアマゾンのランキングで「勉強法」の120位ぐらいにランクされていたのですが、じりじり上っていって昨日仕事に出るときはベスト10に入りそうになっていました。けさがたもう1度確認してみるとついに2位まで上がっています。多くの方が注文してくださったのですね。こういうのは素直にありがたく感じます。言葉が広く届く可能性がありますからね。
 
 拙著をとりあげてくださった主婦の方の影響力も甚大だと改めて思いました。どこかで本当に直接御礼を申し上げなければと考えたぐらいです。書籍化のきっかけも作っていただいた。さらにまたこうしてものすごい追い風をいただいた。
 この方のブログを拝読してみたのですが、これは確かにすごい影響力だろうなという気持ちがしました。特設ページからのぞくことができるようになっています。生活の涼風というか・・・多少なりとも自分の言葉がお役にたてているのであれば、本当に幸せです。
 
 私はーー自慢することでもないのですがーー本当につまらない人間で、昨晩は授業もなく面談が夜の8時ぐらいに終了したのでそのまま仕事場をあとにして、西荻窪の立ち飲み屋さんに何となく寄りました。昨日は飲まない予定だったのですが、お店がすいていたので「ふらふら入ってしまった」というのが正直なところです。入って20分ぐらいでしょうか、混んできたので逃げるように出ました。そういうところで自分を主張できないのです。私より以前からいらっしゃる方が何人も堂々とされているのに、何という気の弱さ! と同時に、自分に1つだけでもいいところがあるとしたら、こういう部分だろうとも感じるのです。
 
 気の弱い自分がこうして幸せに生きている。そこに何か秘密があるかもしれない。
「励ます力」が多くの方の応援で息をつないでいることに感謝しています。世の中、捨てたものではないですね。大声を出すことばかりが光ではない。ひっそりと、しかし優しい香りを広げていきたいと思います。
 どうもありがとうございます。
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2015.12.21 09:12

 こんなことをいまさら活字にしても仕方がない。仕方がないものの、何かしらひっかかってくるものがあるのであえて書くことにしました。
 どなたに伝えたいのかわからないですよ。おそらく自分自身ということになるのでしょうね。ペリー・コモの「愛の夢」(IT’S IMPOSSIBLE)という曲があります。この曲は本当にいい曲。若いころ、私は何度かカラオケで歌ったことがあります。機会は少なかったのですが、そういうおつきあいもありました。
 
 そっくりな曲があるのです。そのことに先週気づきました。CEHR(CHARではありませんよ)の「THE WAY OF LOVE」という曲。すごく似ている。どこかで聴いた覚えがあると思っていました。CHERのほうは確か邦題が「恋は悲しく」だったと思います。何度も聴いてきたのにそっくりであることに気づかなかった。
 高校時代、早朝に勉強しようと思いたった時期がありました。母親に起こしてもらうのですが、あまりの朝の美しさに勉強どころではないと考えて冬なのに窓を全開して外を見ていたりした。ラジオから「恋は悲しく」が流れていた。
 
 私があそこで勉強できる人間だったらいまここにいなかったと考えるとなかなか難しいものがあります。ペリー・コモは「愛の夢」のあと「夕べの恋」という似たような曲を出しています。「I THINK OF YOU」というこれまた非常に美しい曲です。
 ひょっとすると私は「夕べの恋」のほうが好きかもしれません。トム・ジョーンズの番組だったか、ペリー・コモがこの曲を歌う場面を見たことがあります。現在の私と同じぐらいの年齢の彼が最後のフレーズを首を横に振りながら歌う。そのあきらめみたいな感じが私の中の何かを打った。
 
 それと「夕べの恋」というタイトルですね。「愛の夢」より格段に深い。
 私は後年ペリー・コモのベストアルバムを入手しました。働きはじめたころですね。「夕べの恋」を聴いた直後、あまりにも感動して当時ひそかに憧れていた女の子に発作的に電話をかけてしまったことがありました。ほんの顔見知り程度でした。相手はびっくりしていましたよ。何を話したらいいのかもわからない。しどろもどろで1度会いませんか・・・と告げた。その後? 一生の思い出ができましたよ。ペリー・コモのおかげですね。
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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