2015.11.30 03:39

 あるお店が路上にボードを出しはじめました。実話ですので、いろいろ配慮しながら書くことにします。そこは飲食店ではありません。ボードを出すのは若干不思議な感じがないでもない。ボードには殴り書きみたいに格言のようなものが書かれている。
 はじめはとくに気に止めていませんでした。ある日、何となく目を走らせて吹き出してしまいましたよ。書いてあることが要するにくだらないと言えばじつにくだらないのです。深い狙いがあってそうしているようにも見えるし、本当にくだらないことしか書けないようにも見える。
 
 「ヘタウマ」という表現がありますが、まさにヘタウマの中のヘタウマ。あまりにも絶妙なのでヘタだけなのかもしれないと感じてしまう。
 文字が丁寧であればまた印象は違ってくるのでしょう。どう見ても急いで殴り書いています。内容はたとえばこんな感じです。「腹が減ったらメシを食ってみよ」そっくりではないですよ。そっくりではないけれども似たようなことが書かれている日があった。日があった・・・というより、毎日そんな感じです。
 
 私はそのお店に用事があって入ったことが1度だけあります。ご家族とアルバイトの方とでやっている。ご主人は西部劇に出てくるガンマンのような格好をされていた。すごくオシャレなのですが、やりすぎみたいな感もあった。1度だけなので何とも言えないですけどね。あのご主人が考えに考えて書いていらっしゃるのではないかと思うと、やたらとおかしくなってしまいます。
 そういうのもやっぱり人間の表現欲なのでしょう。何か伝えたい。ただ私のブログと同じでネタがつきることがある。それでも更新しないわけにはいかない。結果として「腹が減ったらメシを食ってみよ」になってしまう。
 
 あるクリーニング屋さんではこういう内容の掲示を目撃したことがあります。怒ったような字で書かれていましたよ。「洋服はいつかはゼッタイ破れます!」それはそうでしょうね。何度も何度も洗濯していたらたしかに「いつかは」破れる。しかし、それは相当の回数洗ってからということになる。
 きっと苦情を言われたのでしょう。私も人さまからいただいたワイシャツを大切に何年も何年も着続けていたら襟が擦り切れてしまったことがありました。ただたくさん着たという自覚がありますから、どなたにも文句は言いませんでした。
 
 生きているといろいろなことがありますね。こんな時間に目が覚めてブログを更新している自分もどうかと思いますが・・・
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2015.11.29 06:51

 先日、元F高校のイケメンNくんからコメントをいただいた。彼もいつのまにか成人していました。いつのまにかというのも変ですが。
 難関大学に進学されたので大変だろうとは思いますが、エネルギーに溢れた人間なので大変であればあるほど溌剌と生活されているのでしょうね。ある老舗酒場のことをコメントに書いてくださった。ときどき私も記事にしているお店に行かれたらしい。マスコミの取材を一切受けていない老舗店ですので、そこはご迷惑がかからないように配慮して書かれていた。さすがです。
 
 当日、私は仕事を半休にして夕方あるところに行きました。用事が終わったのが夜の7時台。自宅で食事の支度はないと聞いていたので(家内は職場の忘年会だと言っていました)、たまには行ってみるかとわざわざ出かけていきました。
 久しぶりにゆったり飲んで帰ってきてブログのコメント欄を見たら、Nくんからそのお店に行きましたというコメントが入っていたのでちょっとびっくりした。そういうことって・・・じつはときどき起きますね。つながってくることが。
 
 格調の高い店内で考えました。私はその老舗酒場に30代半ばすぎから通いはじめました。当時はあきらかに自分は若造でした。2回目にうかがったときお店の方から「はじめて?」と質問されたことを覚えています。ええ、まあ・・・みたいに答えたのですが、たまにはお若い方もこういうお店もいいものでしょう? と質問された。
 周囲にいらっしゃったお客さんは全員年上ではなかったかと思います。悠然と杯を傾けている先輩方を横目で見ながら、こういうお店が似合うようになるにはあとどれぐらいかかるのだろうとため息をついたものです。
 
 カウンターを見回していて感じたのですが、おそらく私はその日のお客さんの中では2番目に歳をとっていたと思います。向かいにあきらかに年上の方が1人だけいらっしゃった。あとの十数人はたぶん全員年下です。
 そうか・・・と思いましたよ。と同時に、自分はあのころの先輩方のようにきれいに飲めているだろうか? という疑問が湧いてきた。酒場なのだからただ飲んで酔っ払えばいいという考え方もあるでしょうが、もしあのころの先輩方がそうであったら若いころの自分は何となくがっかりしたのではないかと思うわけです。
 
 年長者らしく背筋を伸ばしてきれいに飲むように気を遣いましたよ。お箸をどう持つかというようなことも含めて、姿勢の正しさを改めて意識した。「酒品」という用語を見たことがありますが、要するに酒場における「フォーム」ですね。気の緩む場所であるからこそ気をつけなければ・・・という要素は存在するように思いましたよ。
 
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2015.11.28 00:11

 少しだけ長くなります。
 最近、世界中が急激に暴力的になってきているように感じます。途上国も先進国もとにかく暴力的な感じがする。主張はいろいろあるでしょうが、どうしてこれほどまでに暴力的手段に訴えようとするのか。このままだと偶発的に世界大戦が起きるのではないかという危機感があります。どんな正論であっても暴力的な言動が出てくるのであれば、結局は「まきこまれて」いるのですよ。
 非常に単純な理由が根底に横たわっているように感じます。ことわざに「金持ち喧嘩せず」というのがありますね。この「金持ち」というのが全世界に存在しなくなった。客観的金持ちはいくらでもいるのですが、ご本人はそう感じていない。主観的金持ちというのがほとんどいない。そこに大きな原因があると思っています。
 
 以前ほどはパワーや豊かさを感じられなくなった個人、あるいは組織や国家が存在する。昔の状態が異常だったのではないかとは考えない。面白くねえなということになり、どこかから豊かさをぶんどってこられないか、もっと自身のパワーを感じられないかと躍起になる。そこにはまた恐怖もあり、この程度の豊かさでさえ失われたら本当に大変なことになると考える。もっともっと確保しておかなければ・・・ということで信奉者だとか冨だとかをかき集めようと焦る。あっちでもこっちでも焦る人間ばかりなのでバーゲン会場みたいに集団ヒステリー状態にもなりかねない。1つの洋服の両端をつかんで「ちょっと、それうちのよ!」「先に手にしたのはこっちでしょ!」・・・みたいな感じになる。
 
 昔の将棋の名人が「弱者は結論を急ぐ」という名言を残していましたが、本音のところでは無力を感じている個人、組織、国家ばかりなのでとにかく結論を急ぐ。急がないとますます力が落ちていくという錯覚もあるのでしょう。
 私は小学生中学生の国語の勉強を見ているまったく無名の一市民ですが、こういう状況下で自分はどう振舞うべきかということはつねに意識しています。何もできないと逃げるのは、他者の暴力を容認することになると感じられるからです。それもまた消極的に暴力に加担することになるのではないか。
 
 以前、集団リンチのニュースを見たことがありました。日本ではないですよ。ある国で犯罪を犯した人が群集に惨殺されるというショッキングな映像でした。放映されたのは途中までで、このあとこの人は殺されましたというアナウンスが入りました。
 世界の事件みたいな番組でビデオテープ(懐かしいですね)に予約して帰宅してから見た映像だったので、絶望的な気持ちで何度か再生した。すると救いがあった。あきらかに何人かの人間は被害者を群集から「こっそり」守ろうとしていました。指差して「あっちに逃げなよ」という素振りを見せる。数は少なくてもそういう人間もいるのです。私は本当に救われたと思いましたよ。
 
 私も部分ですから全体の影響は当然受けます。ただこう考えています。身体の中に悪い細胞が増殖する。放っておけば全体が倒れますね。その悪い細胞を免疫機能というのですか、食べてしまう。その機能が活発であれば全体は倒れずにすむ。
 その免疫機能的な生き方というのは徹底的に非暴力・・・というよりは積極的に慈悲深く周囲に接することではないかと考えます。生きていれば当然敵もできるかもしれませんね。その敵に対してさえ「まあまあ」と落ち着いて対処できる懐の深さみたいなものがあるかどうか。
 
 授業をしていて、ときどききみたちは世界に対して無力ではないという話をすることがあります。救える仕組みを作れるのは自分たちだと自覚しながら勉強するのとただ点数のことだけを考えて勉強するのとでは大きく違ってくるものがあるでしょう。
 世界は個人の集積ですから、とんでもないことになれば私たちは責任を感じるべきでしょう。世界中の5パーセントの人間でも徹底的に目覚めたら、それこそ世の中は激変すると思います。彼らはーー昔の宗教家のようにーー存在だけで暴力的な人々を抑制していくはずです。いまの場所でいまの行為を続けながらも「世界のために」発信できることは多い。私もまた穏やかに頑張るつもりです。
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2015.11.26 00:52

 ときどきZ会進学教室に入ってみたいのだが、様子がわからないので迷っているというご相談をいただくことがあります。どんな先生がどんなテキストでどう授業を進めていくのか、見てみたいものの何となくこわい感じがするというのですね。
 どの教科も1回だけは授業見学(体験)ができるようにはなっていますが、たとえば国語でも文法の回に見学が重なってしまうと(規則ばかりで何だかつまらないな)という印象をもたれるかもしれません。見学者のためにカリキュラムを変更するわけにはいかないので、そこは難しいのです。
 
 冬期講習で試してみるという方もいらっしゃる。ただ講習期間は短いと言っても1週間以上ありますからね。もっと短期間で試してみたいという生徒もいらっしゃるでしょう。
 冬期講習のまえに「単科ゼミ」という授業があります。これは基本的に90分授業を3日間ですから、ここでZ会進学教室を体験してみる手はあると思います。
 Z会進学教室の先生がZ会進学教室のオリジナルテキストを使用して授業をします。さらには本科生も混じっていますから、どんな雰囲気かということを知る絶好のチャンスかもしれません。
 
 私も複数の単科ゼミを担当しますし、最近生徒たちに大人気のーー彼のところにはつねに質問関係で生徒が群がっていますーー副教室長のN先生もいくつも授業を担当することになっています。
 本科生の方は講習本体は必修ですが、単科ゼミに関しては自由な申し込み制になっています。ですから1つもとらないという方もいらっしゃる。私は、それならそれでいいがその期間必ず冬期講習の予習をぜんぶ終わらせておくなり自分なりの勉強時間を設けるようにと言っています。
 
 たとえば単科ゼミを3講座とってくださる方は270分授業を受けています。さらにその予習復習で3講座分で100分近くは使うはずですから合計370分(6時間以上)ぐらい勉強してくださる計算になるでしょう。
 講習がはじまると単科ゼミをとっていなかったのにまったく予習が進んでいない生徒もいる。「ちょっと気が緩んで・・・」とおっしゃるのですが、それこそ1日1点心をこめて上げていかなければならない時期に「気が抜けた3日間」は痛い。受験生の方は祈るように勉強してくださるといいと思いますよ。
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2015.11.25 02:11

 時間とか空間というのは一定のもののようでありながらそういうものでもないですね。心理的な状況により、延びたり縮んだりします。
 今年、何だかものすごく忙しいような気がしているのですが(これは時間です)、よく考えてみると昨年とやっていることはほとんど変わりません。授業日数なんかもまったく同じです。なぜ忙しく感じるのだろうと考えてみて、両親が倒れたからだということに気づきました。病院や施設に行けていなくても(行かないといけない)という心理がそう感じさせるのですね。
 
 空間についても同じようなことを考えます。ホテルなんかに宿泊するとき広い部屋がいいと期待するものですが、自分の身長や体重が部屋によって増えたり減ったりするわけではありません。狭い部屋だって身動きもとれないほど狭いなどということはありえないですから、あくまでも心理的なものでしょう。実際に困らなくても少しでも天井が高かったり遠くまで見通せたりするほうがいいということですね。
 そうなると場合によっては工夫がいるように思います。ご自身の勉強部屋(ご家族と共有している方も多いかな)の居心地はどんな感じですか?
 
 できれば時空ともに余裕を感じられるほうがいい。机の上がメチャクチャであれば空間的な圧迫感が出てくると思います。物もおけないということになってきますから。その場合は少し片づけてーー机の大きさは変わらなくてもーーのびのびした感覚を取り戻したほうがいい。
 ほこりだらけなどというのも汚れを気にするでしょうから、どうしても使える空間は縮んだ感じになります。ここも触れない、あそこも触れない・・・みたいな状態はよくないですね。消しゴムのかすだけでもそういうものです。
 
 逆に机が大きくて何となく寒々しているというケースもあると思います。机の前に座るのが落ち着かない状態ですね。
 そういうときは逆に花を置いたり気に入った置物を置いたりすると心理的な柔らかさが出てくるように思います。要するにすべては演出です。ご自身が安心して勉強やお仕事ができる空間を生み出していくといい。
 1人だけで机に向かうのが苦痛という方もいらっしゃいます。同じことをするにしても図書館や自習室のほうが落ち着く。それは悪いことではありません。場所を変えて頑張ってくださったらいい。
 
 人生、そうした「時空の演出」はすごく大切です。
 私はいまこういうことを考えています。それこそ施設や病院に行かなくていい完全な休日を確保して、新幹線のグリーン車に乗ろうと思っています。行って帰る。泊まる余裕はありませんから日帰りでグリーン車内に滞在する。
 混雑しているといやなので、こだま号ですね。3時間も滞在すれば満足できるでしょうから片道1時間半ということは・・・静岡ぐらいまでですか。いろいろと考えてみようと思います。こういうことはじつはむだではないのですよ。
 
 
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2015.11.23 10:25

 息子は小学生のころよく暴れていました。暴れることで周囲に迷惑をかけていたらしい。らしいというのは私が実際に目撃したわけではなく、学校の先生からそう聞かされたからです。
 私自身が何度も呼び出されて同じようなお話をうかがった。ああいう子は大人になるにつれ危険が増すという内容でした。少年犯罪とか衝動的に他人を傷つけるとか、とんでもない事件を起こしかねない。そうなったら大変だからいまのうちに暴力的な芽を摘まなければいけないという。
 
 私はいつでも丁寧にお詫びして帰った。私の考えを主張することはありませんでした。
 私なりにもちろん分析している。幼稚園まで息子はあまりにも気弱でした。おもちゃでも何でも取られたら取られっぱなし。かわいそうだなとは思いましたが、そういう自分に罪悪感を持たせないために私は何も言わなかった。
 それがあるときから急に乱暴になった。ははあ・・・と思いましたよ。乱暴な態度に出てみたら相手が引くという現象を見て、キレた者勝ちだという印象を持ったのでしょう。であれば、少し大人になるまでこの論法で通すだろうと思いました。
 
 根底に、自分が育てているかぎり少年犯罪の方向に行くわけがないという自信がありました。本人は、親だけは信頼して大切にしてくれると痛感しているはずなのです。叱られるときも、非常に大きな愛情に包まれているということは実感できる環境に置いていた。
 ときどき、ご自身のお子さんを「好きなようにさせたらとんでもないことになってしまう」とおっしゃる方がいらっしゃるのですが、ご謙遜でなくもし本当にそう考えているとしたらその通りになってしまうでしょう。
 
 他者の見方がどうであれ私は「自分の子はりっぱな(?)大人になる」と信じて接しました。逆に「あいつはろくな人間にならないだろう」と確信して育てれば、当然のことながらろくな人間にはならなかったでしょう。家族が心からだめだと信じて育てているわけですから、その気持ちは相手のハートを直撃します。どうせ、おれ(私)なんか期待されていないんだ・・・の環境で、よくなる道理がありません。
 じつは私自身がそう育てられました。成績がよくないだけでおまえはきっとろくな人間にならないと面と向かって言われ続けてきた。そうした予言の呪縛を解き放つまでに相当の時間がかかりましたよ。
 
 完全な愛情の下に生きているという確信を持たせるためには実際にそう接するしかないでしょう。相手が何をどうしようとこちら側の愛情は減じない。50点をとっても減じない。0点をとっても減じない。息子も何かのテストで0点をとってきたことがありましたが、私は自分が悪い点を取ったときの話をして和やかに盛り上がったものです。
 そんなことで盛り上がることもないのですが、要点は(自分はいつも大切にされている)という感情を植えつけておきたいということでした。
 
 こちらの磁場にいるということです。勉強をさぼるぐらいのことはするかもしれない。しかし、この磁場にいる限り本当に悪いことはできるわけがない。規制しているというよりは本人の幸福に結びつかないからです。磁場そのものがエゴではなく愛だからですね。
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2015.11.22 00:55

 所作という言葉がありますね。たちいふるまい。歩き方とか食べ方とか眠り方とかいろいろありますが最近はすべてつながってくるのだという思いが強く、油断できないなと気を引き締めることがあります。すごく変な食べ方をしている、あるいは変な話ばかりしている、けれども人間としてはすばらしい・・・というケースはじつは少ないのではないか。
 人間が所作の主体なのですから、どうしても「その人」全体が出てくるでしょう。ということは、私たちが気をつけなければならないのは個々の所作以上にどういう人間であるかということなのだろうと思います。
 
 私は昔、どうしたら女の人にもてるのだろうということをさかんに考えました。最近ではありませんよ。10代のときです。女の子にもてる男の人になりたかったのですね。そういう友人が周囲にたくさんいました。
 そうか、あいつみたいにすればもてるのかと考えて、同じような髪型にしたり同じような服を着たりするのですが何だかもてない。おかしいなと思って女の人にもてる方法が書かれている変な書籍を買ってきて研究したことさえありました。実話ですよ。いろいろつまらないことが書いてありました。清潔にしましょうとか、さわやかに明るく話しましょうとか。
 
 それはそれで納得できるのですが、こっちは「悪魔の首飾り」のテレンス・スタンプを崇拝しながらヘッドフォンでずーっとブラック・サバスを聴いているような人間でしたから、清潔はともかくとしてさわやかに明るくがどうもうまくいかない。そのほうがよさそうだということはわかっていても、人格の統一がきかないのです。
 服装にしても破れている服をわざと着る。夜でも真っ黒なサングラスをかけて外出する。よく見えないので側溝に落ちてしまったことがありました。
 そういう状態でどうも満足がいくようにもてないと不満だったのですが、こうして書いていてももてるわけがないというのはよくわかります。
 
 まず人間でしょう。専門分野を探求する以前に人間がしっかりしていなければいけない。仕事や勉強もそういう要素は大きいと思います。しっかりした人間だから仕事ができ勉強ができる。もちろん例外はありますが、仕事や勉強の成果を長年に渡ってノウハウだけで向上させていくのは難しいのではないか。
 面白いもので歩き方とか食べ方とかに常に注意を払っていると、それにふさわしい人格でありたいとも感じるものです。つまりおれ(私)ほどの人間がこんな食べ方で本当にいいのか? という感じ。
 
 なりたい自分になるということですよ。
 
 
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2015.11.21 08:00

 先月発売予定日にこのDVDを買いに行ったら11月18日に延期されていた・・・という話を書きました。その11月18日が来た。タワー・レコードに行ってきましたよ。単品のリッチー・ブラックモア・ストーリーは棚に1つしか残っていなかったので、それなりに売れているのかもしれません。昔の武道館コンサートのDVDとセットになっているもの(当然値段は高くなります)は複数残っていました。
 あの時期の映像はまあいいかなと思ったので、インタビューだけのものを買いました。
 
 リッチー・ブラックモアというギタリストは昔から自分にとっては特別な存在でした。私はギターを弾かないのでうまいとかすごいとかーーまあ、すごいことは見ているだけでわかりますがーー詳しいことは理解できていません。リッチーに関しては、けっこう辛く評価しているプロのミュージシャンもいるそうですね。エリック・クラプトンやジェフ・ベック、ジミー・ペイジなんかのほうが世間的な評価は高いのでしょう。
 私がリッチー・ブラックモアを好きなのは、彼がとびきり変人だからです。初来日のとき色紙に「ウェルカム・トゥ・ジャパン」と(もちろん英語で)書いた。来日した彼自身がですよ。
 
 周囲はあれれ? となったわけですが、そんなエピソードがたくさんあります。
 この話も以前書きました。来日中新幹線のホームに見送りのファンが殺到するのですが、列車の中の彼はホームのほうを絶対に見ない。ずーっと逆方向に顔を向けていてそのまま列車は発車してしまう。ファンの皆さんがっかりされるわけですが、そういう気難しいところに魅力を感じました。
 DVDで「日本はすべてのバンドを熱狂的に迎える国で、自分たちだけが特別なわけではない」と冷静に語っていましたが、移り気なファンにいちいちいい顔をしていられるかという気持ちもあったのでしょうね。
 
 彼もとうとう70歳になった。画面を見ているととても70代に手が届く人には見えませんが、指が滑らかに動くうちにもう1度だけハード・ロックをやるというのです。ディープ・パープルやレインボーの曲を演奏する機会を限定的に作る。なにしろあの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」を作った人ですからね。
 2016年の初夏にドイツやイギリスで公演が予定されていますが、おそらく日本でもやるでしょう。昔からアメリカやイギリス以上に日本で高く評価されていたように思います。
 ヴォーカルにはロニー・ロメロという新人を発掘してきた。安易にジョー・リン・ターナーに声をかけなかったところは見識だと思いました。
 
 リッチー・ブラックモアがシリアスなハード・ロックから離れて約20年になります。復帰することはもう絶対にないとあきらめていました。それだけに本当に楽しみです。長生きはするものですよ。
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2015.11.20 01:55

 先日も勉強のことで同じような記事を書きました。質を変えるためにはどうすればいいのか。意識的に量を積み重ねていく必要があるように感じます。勉強だけではないですね。たとえばやさしくなりたいと思っていらっしゃるのであれば、意識的に親切にする瞬間を多く持つことだと思います。意識して意識して他者に親切にする。これだけ親切にしてその態度かよ・・・ということはたくさん出てくるかもしれない。ありがとうも何にもなかった。それでも親切にする。その過程で見返りを期待する自分の気持ちにの中にまだかたくなな部分があるかなということに気づく。無私でいくべきなのだなと。
 
 当然、そのころはとてもやさしい人間になっているでしょう。そうやって機会をつかんで量を増やしていくしかない。
 昔、自分は文章が思った通りに書けませんでした。要するに上手ではない。上手ではないのに文章を書くことで生活したいと矛盾したことを考えていた。うまく文章に表現できないことを表現できるようになるというのが究極の目標でした。本格的に書きはじめてから12年目ぐらいですかね。この話は以前も書いたことがあります。
 
 早朝、用事があって御茶ノ水駅の近くにいた。川沿いの土手がなぜか燃えている。周囲ではどなたも慌てていなかったので、意図的に燃やしていたのかもしれません。それは非常に深く私の心に残りました。
 用事を済ませてから自宅に帰ってFEN放送のスイッチを入れた途端にロバート・パーマーの「マーシー・マーシー・ミー~アイ・ウォント・ユー」が流れてきた。何か鼻の奥にきーんとくる感じがあってすぐワープロに向かってみたら、よどみなく文章が流れ出てくるではないですか。あれ? 躁状態なのかなとも思ったのですが、その朝を境に私は書きたいことを1つ上のレベルで書けるようになった気がします。
 
 そういう変化の瞬間というのがあるのです。悟りみたいなものですね。ただその瞬間はただ待っているだけでは訪れない。今日の努力が直接功を奏さなくても量の加算にはつながるのだからと考えて真剣に努力する必要がある。
 漢字が覚えられないという生徒がいます。みんなが10分の練習ですむところを20分も30分もかかる。しかしその20分30分を積み重ねていかないと10分で覚えられる人にはなれないのです。効率ばかり考えていてはだめだということです。
 
 逆に言うと効率よくできるようになるまで非効率な努力を重ねる必要があります。
 野菜の皮がむけない駆け出しのコックさんがいたとしますね。効率よく野菜の皮をむく便利な器具を入手すればいいやというのではだめなのであって、基本は包丁を上手に使えるようになるまで修業を重ねるしかない。効率よくやれないと悩む以前に、そもそもこれまでの総量が足りないのかもしれないと考える必要があるかもしれません。
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2015.11.18 08:34

 大学に通っているころのお話です。友人に「きみは小説が書きたいというより小説家というものになりたいのではないか」と質問されて面食らったことがありました。そうなのか? という感じで、私には自分の心がよくわからなかった。
 その後もこの件についてはわからないまま来ました。考えれば考えるほどわからなくなる。甲子園を目指す球児に、君は野球が好きというより野球選手に憧れているのではないのか? なんていきなり質問しても困惑されると思いますよ。
 
 現在の私は少なくとも「小説家」ということにはならないですね。そもそも小説そのものをどこにも発表していない。さらに今後そうすることで何かしら経済的な発展を企図するわけでもない。私はあくまでも自己満足のために表現しています。
 自分が書いているものに小説という名称をつけることにさえ、いまは若干の迷いがあります。要するに文章表現ですね。何かしら必要なのでそうしている。
 
 私が生涯でいちばん感動した文章というものを以下に書き写します。
 「柳原商栄会を抜けて、千草園の方に歩くと東武のガードに出た。このガードは、何と高さ1.7メートルである。こんな低いガードは初めて見た。頭を少し下げて通り抜けると、反対側から父親に手を引かれて盲目の少年がやってきた。ちょうど、すれ違う時、少年は父親に『・・・に行ってもいいの?』と訊いた。父親が『いいよ』と言うと、少年はうれしそうに笑った。どこに行くかは聞こえなかったが、弾けたような笑い顔が印象に残った。」(続・下町酒場巡礼 四谷ラウンド発行)
 
 書名でおわかりになるかもしれませんが、酒場案内の本からとったものです。この部分は大川渉さんという方が書かれています。
 2000年の発刊当時この一節を読んで、ひょっとしたらいままでの人生でベストの文章かもしれないと思った。それから何度読み返したかわからないのですが、どんな文学作品や経典よりも私自身の魂を揺さぶる何かがここにはあります。それが何なのかはわかりません。切り取られた一瞬の真実が持つきらめき・・・なんて書いてしまうとかえって凡庸ですね。
 
 欲を言えば、自分もそういう表現者でありたい。小説ではありませんが、たとえばこのブログも最近はそんな気持ちで書いています。
 歳をとってもこの分野「だけ」はいまだに確実に進歩していると感じます。だから書く・・・ということでしょう。何かになりたいというより何かであるーー何かの部分であると言ったほうが正確かなーーことを確認する。全体に対する賛歌。そういう要素も多分にあると思います。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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