2015.09.26 00:38

 人とお話する機会が多いですが、大切なことは「正論をぶつける」ことではないと考えるようになりました。これは本当にそうです。正論だけぶつけ続けても、どうにもならないことは多々あります。歳をとってわかるようになってきた。
 たとえば勉強をしていない生徒がいたとしますね。「きみは勉強しないからできない。点数が悪いのは不勉強だからだ」と告げることは簡単です。簡単ですし、おそらくその通りなのでしょう。しかし、それで相手が「はい、その通りです」と猛勉強をはじめるものでしょうか。
 
 逆に妙に萎縮してしまった結果投げてしまう可能性だってあります。自分なんか本当にだめな生徒だと見られているのだと失望して、一切やらなくなってしまうかもしれない。そんなことになるぐらいなら、やりたくない気持ちもよくわかるがいずれ努力できる人間だとは信じているよ・・・ぐらいのところでひとまず様子を見たほうが効果的でしょう。
 要するに話すというのは相手を少しでも元気にするということです。その努力こそが大切だと思っています。正しいことだけを言い散らかして、自分は正しいのだからどこからでも斬りこんでくるがいいという姿勢ではだめだと思うのです。
 
 真の交渉力というのもそのあたりにあるように感じますが、話があまり大きくなりすぎるとよくないのでご家庭内のことに限ってみます。
 お子さんがおうちの方とお話してどんどん縮んでいく、暗くなる、腹をたてるということであればやはり正しいことをおっしゃっていても伝わり方としては間違っています。もちろん善意で正しいことをおっしゃっているのでしょうが、結果としてあちら側は悪意に受け止めてしまっている。いじめと同じで、受け止める側が決める要素は強いのですよ。「本人のためを思って」というのは通用しません。
 
 そうした配慮ができるのが大人ではないでしょうか。うちの息子も小中学生のころは過激なことをしばしば発言していました。いまでもたまにそういうときがあります。うまくいかなくてエネルギーだけがからまわりするのですね。そういうときにその考え方はおかしいと説得しても相手は意固地になるばかりです。
 それよりは「すごい考え方だな」と軽く受け止めて、エネルギーを放出させたほうがあきらかにいいですね。その知恵というか余裕というか、大人側が持っていなくてどうするのかということですよ。
 
 話したあとで、とにかく話せてよかったと相手が感じてくれるかどうか。勝敗をつけるのであればそこに出てくるでしょう。相手が話せてよかったと思ってくださればあなたの勝ちです。相手が話さなければよかったと失望しているとしたら、どんなに正論を並べたてることができていたとしても残念ながら負けであると感じます。それが心の交流ではないでしょうか。
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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