2015.09.20 00:41

 神の視座みたいなものは現実的にはなかなか難しいものです。すべて「どなたかのものの見方」ということになる。そのどなたかは神ではない。それどころか真逆かもしれませんよ。ですから、特定のどなたかの価値観の犠牲になるような生き方はあまりお薦めできません。
 何がいいたいのか。たとえばおつきあいしている異性が「髪を切りなよ」とおっしゃったとします。あなたは本当は切りたくない。ただ切らないと相手の評価が上がらないような気がする。で、仕方なくーー泣く泣くーーショートカットにする。
 
 それですめばいいのですが、次から次へとべつの要求が出てくるかもしれません。「すべて」応えていく必要はないと思いますよ。ご本人らしさというのはその人間の内面から滲み出てくるものですから。
 世間の評価というものがありますね。何度も何度も書きましたが、小学校時代の息子の評価はひどいものでした。学校の先生から呼び出されたお話も繰り返しになりますからもう書きません。ただ「最低にきわめて近い」評価であったのは事実だと思います。
 
 そのことで親の私の息子に対する評価が低くなったかというとまったくそんなことはありませんでした。私はつねに息子の美点を見失ったことはありませんし、肯定的に見守ることで質量を上げていこうとも考えていました。それができるのは身近にいる親だけです。
 どこに行っても、どんなことがあっても彼のまえで私は彼を否定しませんでした。実の両親にも家内にも褒めた。褒めているところを息子に聞かせようと考えた。そのことで彼は(なるほど自分もいいところが確かにあるな)と気づいたはずです。
 
 こうなってほしいという方向の特質を羅列して褒めました。「このまま大人になったら大変なことになりますよ」という小学校の先生の言葉をよく覚えています。私がついているかぎり、大変なことになるわけがないのです。はたして彼はきわめてまっとうな大人に育ちました。
 肩書きだとか何だとかも神の視座ではない。私は現在Z会進学教室渋谷教室の教室長ですが、これが仮に次年度どうなったとしても私は落ち着いてブログの記事を書き、面白く授業をし、できうるかぎり生徒には優しく接触します。厳しいことを言っても聞いてもらえるぐらい優しく・・・という意味です。
 
 逆に言うと本質的な人間の価値には、どんな肩書きも触れることはできません。私はただの私でしかありませんが、できることはたくさんありすべて誇りを持って続けるということです。
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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