2015.09.30 09:59

 増税にともなう軽減税率のこととかオリンピック関係のこととか、いろいろばたばたしているみたいですね。私はそういうことは一定の距離を置いてながめているだけなのですが、世の中全体(とくに日本という国)がどうして以前よりはうまくいかなくなってしまったのだろうということは考えたりします。
 とは言え、世界中を見渡してみるともっともっと苦労されている地域が無数にありますから感謝の気持ちはもちろん保持しながら、さらにうまくいくためにはどうしたらいいだろうと考えるわけです。
 
 これからの世代がどういう風に考えたら世の中はよくなっていくかということですね。グローバル化とかリーダーシップがとか安易に横文字に頼らずに考えてみる。
 私は、部分が全体を意識できなくなってきたところにちょっと問題が潜んでいるような気がします。仮に私が何かよくないことをするとします。悪いことをして自分だけが得をした。すると私は一瞬しめしめと感じるかもしれませんが、全体にはダメージを与えていることになるので全体に含まれている部分の私も大局的に見ればじつは損をしていることになります。
 小中学生の方、ちょっとごちゃごちゃしてきましたが着いてきてくださっていますか?
 
 本当の得というのは全体が豊かになってこそということでしょう。部分の私も自然と豊かになる理屈なので、つねに全体を意識しながら思考し行動することがものすごく大切だと感じるのです。
 昔テレビで見たのですが、お金持ちの有名人が「自分の才覚でうんと金持ちになってなにが悪い?」というようなことをおっしゃっていた。もちろん否定することは何もない。悪くはないですね。ただその個人の周囲がーー全世界ということになってしまうのですがーーその方のおかげでどれだけ得をしているかという視点があればなおさらすばらしいのにと感じました。
 
 個人個人がいくら豊かになってもいいのですが、全体のことは常に意識しておくべきだとも思うのです。
 全体を意識しなさいという教育がちょっと弱くなってきているかなとは感じます。一時期流行した勝ち組負け組という考え方が若干乱暴ではないかということを説けるホンモノの大人が少なくなってきたのかもしれないですね。全体の勝ちを意識しない部分だけの勝利などというのは続かないんだよ・・・ということです。断言しなくても、続かないかもしれないよ・・・という暗示だけでも相当変わってくるように感じます。環境問題なんてまさにそうですから。
 
 全員の方が全体の部分としてご自身を意識されるとおのずから世の中はよくなっていくと思うのですが、そういうのは子ども時代の教育が大きいかもしれません。自分だけエリートになって勝てばいいのだという形がすりこまれてしまうと、なかなか全体のことまで配慮できる人間になれないでしょう。
 現在の日本のいわゆる指導者層にそういう視点が欠落しているとこわいですね。全体を意識できない政治というのは不気味です。
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2015.09.28 00:07

 飲食店で気になるのは味だけではありませんね。とくに大衆的なお店でそういうことをよく考えます。
 ある立ち食いのおそば屋さん、まずくはないのですが働いている方がほとんど外国の方で慣れていらっしゃらないのでしょうね。さかんにそばの分量をはかりで量るのです。量るのはいいのですが、なかなか決められた量にならないらしく取ったり足したりを繰り返します。あまりにも頻繁だと見ていて何となく興ざめするというか食欲がなくなるというか、そういう要素もじつは大きいのだなと改めて感じました。
 
 ラーメン屋さんなんかでもありますね。アルバイトの方が作っている。マニュアル通りに作れば同じ味になるということなのでしょうが、こちらから作っている様子が丸見えなので心理的にいろいろ出てきます。
 あるラーメン屋さん(いまはもう閉店してしまいました)、若い女の子が作っていた。途中で長い爪を傷めたのですね。「いたっ!」と大声を上げた。それからは「いたーい」と爪ばかり見ている。ひょっとすると少し欠けたのかもしれない。調理は中断していませんから別に不満もないのですが、それからもずーっと爪を気にされながら作られていたので何となくがっかりしたことがありました。
 
 またこういうこともありました。ある塾向け学校説明会のあとでその高校が用意してくださったバスに乗ってJRの駅に向かいました。私の横にお若い先生方がお仲間で複数座った。はじめは生徒の成績の話をされていたのですが、そのうち別種の話題になりました。具体的には書きませんが、ここで出さなくてもいいだろうというお話でした。好きなところで好きなように楽しむのは個人の自由ですが、学校説明会で用意してくださったバスの中でわざわざそんな会話をしなくても・・・。周囲に聞こえているわけです。何となくレベルが低い印象になってしまうのではないかと高校に対して気の毒に感じました。
 そのときどきに応じたふるまい方が大切だと思います。
 
 私はすごく変な人間だという自覚があるので、生徒のまえでは所作にも気をつけています。装うというよりがっかりさせたくないのです。爪ばかり見ながら作ったラーメンだな・・・という印象を与えたくない。授業中おかしな話をするときでも、あまり自分を崩さないようにしています。威厳を持って(?)くだらない話をする。
 逆に、わたしが変であることを理解してくださっている方のまえでは生真面目すぎる振る舞いを慎むようにするときもあります。これまたがっかりさせたくないのです。その配分が難しいかな。
 
 しかし、内申3がつくか4がつくか、けっこうそんな配慮で決まってしまったりします。相手に応じたふるまいですね。基本ははずさず、配慮も欠かさず。そういうことができるようになるのが大人になるということなのだと思いますよ。
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2015.09.27 00:59

 きのう教室の近くで、自分が夏まえに教えていた生徒が近くを歩いているのに気がつきました。いまも教室には来てくれているのですが、国語の担当講師は私ではなくなっています。テキストを手にしています。歩きながらちらちら見ているのでしょう。ちょっと危ないとは思いましたが、歩きながらも勉強しようというのは殊勝な心がけなので背後から声をかけました。
 すると彼はこう言った。「きのうからぼくは変わったんです!」くわしく聞いてみると、このままではだめだと思ったという。このままでは受からない、もっと頑張らなければいけないと考え直したと言います。
 
 私は、そういう発想は大切にしたらいいと告げました。あおらないですけどね。
 いろいろな考え方があります。「自分は変わった」と言う発言はうさんくさいという考え方も当然あるでしょう。しかし、こういうのはきっかけにもなりうるものですから大人側としては皮肉に評価するのではなく、できるだけ応援してやろうという姿勢が大切だと感じます。
 うまくいかなかったら「何度でも変わればいい」と考えてくださったらいい。そうやって日々アクセルを踏みこむことは大切なことだと思います。先へ先へと頑張る気持ちをつないでいく。
 
 そろそろ今年も1日1点上げていこうという記事を書こうと思っていました。3教科入試でも5教科入試でも同じことです。1日に全教科で1点だけは確実に上げていく。10月11月12月で総得点が92点も上がる。どこの学校だって間違いなく合格できるでしょう。
 1日1点という切実な気持ちが大切であって、大雑把に30点ぐらい上げようとか偏差値を10ぐらい上げれば合格できるかなとかぼんやりした目標設定にしないことが大切です。その勉強で本当に1点上がるかどうか、真摯な気持ちで日々自身と向き合うよう心がけてください。
 
 いわゆる過去問もーー国語であればーーもうできるでしょう。1教科やったら1とカウントしてください。50分より少し多めに時間をとってもいい。やってみて当然まるやばつはつけますね。ばつのところは解説を読む。練習してみる。解きなおしてみる。納得できなければ身近な先生に質問してください。この一連の作業を完全に終わらせてはじめて1とカウントします。
 中には200カウントぐらいまで努力する生徒がいます。ものすごく大変です。半分の100カウントでも相当大変。20カウントぐらいの人も当然います。5科を4年分だけやりましたという感じですね。ただ、それでは少し足りないかな。
 
 要するに、これからですよ。すべて、これからです。
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2015.09.26 00:38

 人とお話する機会が多いですが、大切なことは「正論をぶつける」ことではないと考えるようになりました。これは本当にそうです。正論だけぶつけ続けても、どうにもならないことは多々あります。歳をとってわかるようになってきた。
 たとえば勉強をしていない生徒がいたとしますね。「きみは勉強しないからできない。点数が悪いのは不勉強だからだ」と告げることは簡単です。簡単ですし、おそらくその通りなのでしょう。しかし、それで相手が「はい、その通りです」と猛勉強をはじめるものでしょうか。
 
 逆に妙に萎縮してしまった結果投げてしまう可能性だってあります。自分なんか本当にだめな生徒だと見られているのだと失望して、一切やらなくなってしまうかもしれない。そんなことになるぐらいなら、やりたくない気持ちもよくわかるがいずれ努力できる人間だとは信じているよ・・・ぐらいのところでひとまず様子を見たほうが効果的でしょう。
 要するに話すというのは相手を少しでも元気にするということです。その努力こそが大切だと思っています。正しいことだけを言い散らかして、自分は正しいのだからどこからでも斬りこんでくるがいいという姿勢ではだめだと思うのです。
 
 真の交渉力というのもそのあたりにあるように感じますが、話があまり大きくなりすぎるとよくないのでご家庭内のことに限ってみます。
 お子さんがおうちの方とお話してどんどん縮んでいく、暗くなる、腹をたてるということであればやはり正しいことをおっしゃっていても伝わり方としては間違っています。もちろん善意で正しいことをおっしゃっているのでしょうが、結果としてあちら側は悪意に受け止めてしまっている。いじめと同じで、受け止める側が決める要素は強いのですよ。「本人のためを思って」というのは通用しません。
 
 そうした配慮ができるのが大人ではないでしょうか。うちの息子も小中学生のころは過激なことをしばしば発言していました。いまでもたまにそういうときがあります。うまくいかなくてエネルギーだけがからまわりするのですね。そういうときにその考え方はおかしいと説得しても相手は意固地になるばかりです。
 それよりは「すごい考え方だな」と軽く受け止めて、エネルギーを放出させたほうがあきらかにいいですね。その知恵というか余裕というか、大人側が持っていなくてどうするのかということですよ。
 
 話したあとで、とにかく話せてよかったと相手が感じてくれるかどうか。勝敗をつけるのであればそこに出てくるでしょう。相手が話せてよかったと思ってくださればあなたの勝ちです。相手が話さなければよかったと失望しているとしたら、どんなに正論を並べたてることができていたとしても残念ながら負けであると感じます。それが心の交流ではないでしょうか。
 
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2015.09.25 00:29

 シルバーウイークという呼称だったみたいですね。連休が終わりました。私は例によって火曜日にお休みをいただいただけで、とくにふだんとは変わらない生活を送りました。朝か昼に教室に出てきて、夜は授業をして夜中に自宅に戻るような生活です。
 帰りの電車で人の流れが微妙にいつもと違うので「あ、連休か」と思い出したりしました。自分の場合「連休」はなかなかとれません。それなりに相談が入ってくる。ある日は不在でも次の日にはお話できるような状態が望ましいと考えています。「あさってご連絡します」と「明日ご連絡します」ではちょっと安心感が違ってくるような気がするのです。
 
 10月にホワイトスネイク公演に名古屋まで行くのですが、そのときぐらいではないでしょうか。あとは年内連休はとれないと思います。これはもう習慣ですから苦痛でも何でもありません。そういう人生を「喜んで」選択したということです。
 次年度、どうするかということをあれこれ考えました。両親の問題があります。私自身の問題があり、家族の問題がある。問題というのはトラブルという意味ではないですよ。節目節目に考えるべきことがあるということです。とくに母親の介護はーー昨日もお休みをいただいて病院に行ってきましたーー考慮せざるをえないですね。
 
 お世話になっている会社の方からご提案をいただいて、もう少しいまの形(教室長)で続けさせていただこうかなという方向でまとまりつつあります。はじめは一講師に戻ろうと考えたのですが、途中で考えが変わりました。
 何かあったときすぐ自由に動けるようにそれこそ連休をとれるようにしようと考えたのですが、上の方に「何かあるかないかのリスクはどなたも同じじゃないですか」と言われ、そう言われればそうだなと思いました。前もって過度に用心しておくのも不自然かもしれません。
 
 講師業で自分はまだまだ通用するという気持ちがあり(生徒のアンケートなどで見るかぎりということです)ばりばり稼いでやろうかとも考えたのですが、息子に「そういう生活だとお父さんはだらしなくなっていくような気がする」と意見されたのも大きかった。授業はしっかりやるでしょうし、支持はされるかもしれません。ただ毎朝きちんと起きてネクタイをしめて会社に出かけていく形を崩すと、けっこうだらだらしてくるかもしれない。息子はよく見ているなと感心しました。
 緊張感みたいなものは大事な要素だと思います。それを持続していたほうがいいのかな。
 
 とりあえず単年契約でということになりそうですが、ブログなどもこのまま続けさせていただけるのではないかと考えています。世のため人のため、そしてもちろん自分自身のためですよ。また正式に決定したらご報告いたします。
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2015.09.23 01:03

 先日、現小6生を対象とした公開授業というものがありました。6Vコース(中学受験をしない小6生用のコース)が今年もはじまる。その宣伝も兼ねたものなのですが、渋谷教室には毎年たくさんの小学生がいらしてくださることはわかっているので、私としてはこの機会に正しい考え方みたいなものを少しでもお伝えしたいという気持ちで国語の授業を行いました。ほんの30分ぐらいしかなかったのでどの程度まで伝わったかはよくわかりません。
 教室には生徒と一緒に保護者の方にも入っていただきました。自由参加です。
 
 生徒と保護者の方が一緒だとやりにくいとおっしゃる先生もいらっしゃったみたいです。他教室ではそんな声があがったという噂を耳にしました。私は気になりませんでした。歳をとって鈍感になっているところがあるのでしょうね。自分がどう思われるか・・・みたいなことは全然考えません。またーーこういうのは教室長として失格かもしれませんがーーいったい今日参加されたうちの何人の方が講座をとってくださるだろうという不安もほとんどありません。一期一会で伝えたいことだけは伝えてしまおうという気合い(?)だけでした。
 逆説的に書くと、そういう姿勢だから6Vの生徒が増えているのかもしれません。
 
 お金をたくさん持っているといろいろ使い道があって楽しいだろうという話をしました。あれも買える、あそこにも行ける、安心もできる。さらにお金を使うことによって周囲も潤いますから当然感謝される。あの人が来てくださると本当に助かる、もっともっと来てくださいということになる。
 知識とか知恵とか教養とか言葉とか概念とか知性(つまり勉強)もまったく同じだよというお話をしました。「絶対に講座を申しこんでください」「ブログを読んでください」「本を買ってください」・・・今回はそんなお話はしませんでした。伝えたかったことがぶれると困るからです。
 
 勉強することを、あるいは授業を受けることをーーどの環境下であってもーーいやだとか苦痛だとか損しているとかは考えないでほしい。あなたが豊かになることによって周囲も豊かになる。
 天気図の見方を学ぶことでご自身不意の雨に遭遇することが少なくなるでしょうし、友だちに天気図の見方を教えてあげることで「傘持っていて本当によかった」と感謝もされるでしょう。そうやって自他を豊かにできるのが世間で名づけたところの勉強で、決して意味のない苦行ではないのです。
 
 豊かになるためにお金を稼いだり貯めたりするのとおなじことですね。豊かになるために知識を集め整理し知性を磨き人間性にまで昇華して周囲に利益をもたらす。それが勉強です。受験に合格すればあとはもうどうでもいいなどと考えていると「芸として」浅くなりますよ。
 ・・・ということをお伝えしました。変な公開授業ですが、いちばん告げたいことからお伝えしないとという気持ちがある。10月からの6V授業にも参加してくださったらうれしいですが、授業を担当する私にとってそれはちょっとしたご褒美みたいなものだと考えています。
 
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2015.09.21 07:19

 昔、ピンク・フロイドのどなただったかコンサートにわざわざ来たのにプロモーターの人間が30代だったのを知って「信用できない」と帰ってしまったという話を聞いたことがあります。私も10代でしたから感動しましたよ。それぐらいでちょうどいいのだと思いました。
 私は自分の尊敬していたーー憧れていたというべきですかねーー宗教家や芸術家より長く生きてしまいました。太宰治しかり、梅崎春生しかり、マーク・ボランしかり、コージー・パウエルしかり・・・
 
 率直な感じで表現すると、自分も16歳のときがぎりぎり正直であったかなと思います。17歳になったあたりから不純なものが混じりはじめました。まあ、仕方がないですけどね。
 微妙なウソをついたり適当な妥協を試みるようになった。ある意味で投げている部分が多々ありました。どうでもいいと言えばどうでもいいや。本質的にはそういう人間なのですよ。肯定的なものに執着する感情はまったくなかった。それをよく他者にはごまかしていた。
 
 当時こういうことがありました。親友が勝算はないけれども好きな女の子を待つというのです。約束はしたものの来るかどうかはわからない。しかし、路上で待ってみると言う。
 渋谷パルコ(当時はありませんでした)の斜め前に「クリスタルハウス」という喫茶店があった。そのお店の前で待つという約束になっていた。彼は東急プラザのトイレで制服から高価なカシミヤのロングコートに着替えました。お洒落な男なのです。始業式とか終業式とか・・・とにかく早い時間帯だったことを覚えています。私は私で用事があり、渋谷の街中で別れました。
 
 1時間以上たって、私は渋谷から64番中野行きのバスに乗って自宅に帰りました。クリスタルハウスの前をバスが走るときに路上を見たら、まだ彼が女の子を待っていた。色の濃いサングラスをかけていました。女の子はとうとう来なかったのですね。
 この話は生まれてはじめてここに書いたことであって、彼には「帰りのバスできみを見たよ」とは告げませんでした。何かしら計算が働いていたような気がします。
 ちなみに彼は現在大変な有名人です。テレビやラジオや週刊誌に頻繁に出ていますよ。路上で待てる男だったのが幸いしたのではないかと思います。伝える機会はないですけどね。
 
 
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2015.09.20 00:41

 神の視座みたいなものは現実的にはなかなか難しいものです。すべて「どなたかのものの見方」ということになる。そのどなたかは神ではない。それどころか真逆かもしれませんよ。ですから、特定のどなたかの価値観の犠牲になるような生き方はあまりお薦めできません。
 何がいいたいのか。たとえばおつきあいしている異性が「髪を切りなよ」とおっしゃったとします。あなたは本当は切りたくない。ただ切らないと相手の評価が上がらないような気がする。で、仕方なくーー泣く泣くーーショートカットにする。
 
 それですめばいいのですが、次から次へとべつの要求が出てくるかもしれません。「すべて」応えていく必要はないと思いますよ。ご本人らしさというのはその人間の内面から滲み出てくるものですから。
 世間の評価というものがありますね。何度も何度も書きましたが、小学校時代の息子の評価はひどいものでした。学校の先生から呼び出されたお話も繰り返しになりますからもう書きません。ただ「最低にきわめて近い」評価であったのは事実だと思います。
 
 そのことで親の私の息子に対する評価が低くなったかというとまったくそんなことはありませんでした。私はつねに息子の美点を見失ったことはありませんし、肯定的に見守ることで質量を上げていこうとも考えていました。それができるのは身近にいる親だけです。
 どこに行っても、どんなことがあっても彼のまえで私は彼を否定しませんでした。実の両親にも家内にも褒めた。褒めているところを息子に聞かせようと考えた。そのことで彼は(なるほど自分もいいところが確かにあるな)と気づいたはずです。
 
 こうなってほしいという方向の特質を羅列して褒めました。「このまま大人になったら大変なことになりますよ」という小学校の先生の言葉をよく覚えています。私がついているかぎり、大変なことになるわけがないのです。はたして彼はきわめてまっとうな大人に育ちました。
 肩書きだとか何だとかも神の視座ではない。私は現在Z会進学教室渋谷教室の教室長ですが、これが仮に次年度どうなったとしても私は落ち着いてブログの記事を書き、面白く授業をし、できうるかぎり生徒には優しく接触します。厳しいことを言っても聞いてもらえるぐらい優しく・・・という意味です。
 
 逆に言うと本質的な人間の価値には、どんな肩書きも触れることはできません。私はただの私でしかありませんが、できることはたくさんありすべて誇りを持って続けるということです。
 
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2015.09.19 01:03

「なくて七癖」ということわざがありますね。どなたにも気づいていないクセがあるように感じます。言葉の使い方にもよくあらわれますね。聞いていていらいらすることはないのですが、おっ、また出たなと感じるときがあります。
 何でもかんでも「超」をつける小中学生がいます。やたらと「ヤバイ」という言葉をはさむ子もいます。さらに「なんか」と話の最中に連発する子がーーこれはみんな気づいていないーー相当数います。それがいいとか悪いとかではなく、無意識のクセでしょう。
 
 意識的に話すというのはちょっと大切であるとも思いますが、ここではべつのお話をしようと思います。
 先日、電車の中で面白いクセの方を見かけました。話しながらぴしゃりぴしゃりとやたらとおでこを叩くのです。何人かの方が輪になって話していた。30代ぐらいでしょうか。ラフな格好をされていたのでそういう感じのお仕事なのか、あるいは平日でしたがお休みだったのかもしれません。その方が中心になって話が進んでいくのですが、本当にものすごいいい音でおでこを叩くのです。
 
「でさあ、しくったー! と思って」・・・この「しくったー!」の発言の直後にぴしゃり! とおでこを叩く。大きな音で痛くないのかなとも思うのですが、叩きなれていらっしゃっていい音だけ出すコツというのがあるのかもしれません。「やばっ」ぴしゃり!「それから慌てて戻って・・・」ぴしゃり!「いったいどういうことかと・・・」ぴしゃり!
 ぼんやり見ているうちに何だか笑いそうになってしまいましたよ。お仲間の方はあたりまえみたいに聞いていらっしゃったので、おでこをぴしゃり! はその方の長年のクセであり、当然の仕草だと見られているのでしょう。
 
 昔、サンドイッチマンのコントを見ていたら、アドリブなのかネタなのかボケの方がおでこを叩いて反応するシーンがあり、つっこみの方が「おまえ、そのリアクションはやめろよ」みたいなことをおっしゃっていました。
 そのとき、確かに昔はこんな反応(おでこを叩く)があったなと感じました。テレビドラマなんかでもーー何か失敗したときーー役者さんがときどきそんな反応を見せていました。昭和のころですよ。
 それがすっかりすたれてしまった。いまおでこを叩くことでご自身の気持ちを表現される方はほとんどいらっしゃらないと思います。
 
 じつは自室で私も自分のおでこを叩いてみました。しかし、あんないい音はとても出ません。大きい音をたてるとかなり痛い。ぱんぱんぱんぱん叩いていたら真っ赤になるのですが、やはりコツがあるのでしょう。
 やってみると気分がよかった。ただ私もクセになってしまいそうな気がしたのでやめました。黒板に文字を書き損じてぴしゃり! ではちょっと先生として軽い感じがしますからね。
 
 
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2015.09.18 08:33

 火曜日に3つのクリニックをはしごしたらすごく歩きました。それ以外にもさまざまな用事もあって、結局17000歩以上。以前、旅行中でさえ16000歩程度でしたから相当歩き回ったことになります。疲れたと言えば疲れましたが、逆に考えるとそれだけ健康に歩けるのは本当にありがたいことで、文句を言うようなお話ではないですね。
 血圧のクリニックがちょっと遠いのですよ。25年以上昔に住んでいた地域にある。現在の自宅の近所に行けばいいとは思うのですが、かかりつけのお医者さんというのは頻繁に変更したりしないものですね。調子が悪いときは、そこにうかがうことにしています。
 
 何でも値上がりしていますね。
 水曜日は久しぶりにカレーのC&Cに行きました。すると10月いっぱいでラッキョウの無料提供は終わりますと書いてありました(福神漬けはそのままみたいです)。11月からはプラス40円で販売するそうです。
 最近は一見値上がりしていないように見えても、同じ値段でパッケージ内の分量が相当変わっていたりします。ときどき買うパウンドケーキなんかもずいぶん小さくなっている。ティッシュもそう。1枚1枚は大昔に比べると格段に小さくなっています。
 
 残念ながら収入は物価の上昇に比例して増えていくものではありません。現状維持、場合によっては相対的に苦しくなっている方も多いかもしれません。政治がどうであるか、経済がどうであるかは専門家ではないのでよくわかりません。
 わかりませんが、「幸せのヒントを告げる専門家」としてはこういうことは考えます。多少高かろうが何だろうがないよりははるかにましです。ティッシュなんてどうでもいいように思えますが、外に出て鼻が出てきたときはポケットの中に偶然1、2枚残っていただけでも本当に「ありがたい!」と感じますね。
 
 ラッキョウにしたって何をどう頑張ってもまったく手に入らないよりは40円という対価を支払って入手できるのであれば、考えようによっては幸せではないでしょうか。フリーでいくらでも食べられたいままでが幸せすぎたのであって、その幸福に鈍感であったことに反省し感謝するとともに今後は有料のものとしてありがたく受け入れようと切り替えるのが正しい発想のように思います。
 いつまでもいつまでも「ちぇっ、昔は無料だったのに」と恨んだりしているようでは幸福から遠のいてしまっているということです。
 
 世の中のために何かができるというのはものすごく価値のあることで、何かのためにお金を支払うのは自分1人だけの視点から見れば一瞬損しているようにも映りますが、世の中全体から見ればあの人は何て意味のあることをしているのだろう! ということになります。お金を流してくださるわけですから。
 お金は血液と似ているところがあって、よどみなく流通しないことにはまったく用をなしません。ですから、何か値段が上がってより多くの支払いが可能であることは悪いことではないと思います。
 
(自分は社会全体のためにいいことをしているのだ)という自覚や誇りを持ってお支払いするのと(何もかも値上がりして損ばかりだ)とむかっ腹をたてながらお支払いするのとでは、長い人生天と地ほどの違いが出てくるでしょう。あくまでも「幸せのヒントを告げる専門家」としてはそう考えます。
 
 
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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