2015.08.31 22:02

 家内のパソコンが壊れてしまいました。じつは昨年の10月ごろ、社内ではこれ以降ブログ関係の業務には触れないという取り決めができていました。出版にともなうさまざまな条件(印税のことなど)からご提案いただいたもので、私もそのほうがよさそうだなと考えました。
 ブログ関係はーーコメントも含めてーー自宅で個人の時間を使ってやるという契約(おおげさですが)になっています。この記事だけはこうして教室で書いていますがーーいきなりお休みしてご心配をおかけするといけませんのでーーあくまでも例外です。
 
 私はパソコンを1度も所有したことがないので、家内のものが壊れてしまうとお手上げです。家内がいつ修理に出すのか出さないのかあるいは新しいものに買い換えるのか、いまの段階ではよくわかりませんが、自宅でパソコンが使えるようになるまでコメント欄も含めて更新はお休みいたします。
 このまま消えてしまうということはないと思いますよ。将棋の対局もできなくなってしまうので、ちょっとだけ自分のパソコンを持とうかなあと考えないでもないのですが・・・そのあたりはまた様子を見て決めることにします。
 9月中の復活を目指したいと思っています。See You In Septemberですね。そういう名曲がありました。
 
 もともとはのんびりしたバラードだったのをザ・ハプニングスというアメリカのグループがうんとオシャレにして1960年代半ばに大ヒットさせた。さらにマイク・カーブ・コングリゲーションという大人数のグループが1972年に中ヒットさせていました。日本では非常に珍しい音源ですが、私は持っています。
 当時、遠くに住んでいる女の子に恋をしていました。この曲を聴くと、10円玉をたくさんポケットに入れて郵便局前の電話ボックスに行き長距離電話をかけた夏の日の夕暮れ時を思い出します。
 
 それではまた。
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2015.08.31 09:36

 拙著「励ます力」についてお話をいただいたのが昨年の初夏でした。ただその時点では主婦と生活社さんのほうでも何か決定しているというわけではなく、編集者さんが個人的に考えてくださっていただけでした。
 こちらの社内でもいろいろ規定があり一時期はどうなるかよくわからなかったのですが、皆さんがじつに好意的に動いてくださって無事出版できる運びになりました。そのあたり・・・私は日記をつけているのでよくわかるのですが、去年のいまごろは忙しく動いていました。
 
 じつは「撮影」と書かれていた日があり、はじめは撮影って何だ? と不思議に思ったのです。私が撮影? しばらくして書籍のための撮影だったということに思い当たりました。
 文章の校正をしていた日々を懐かしく思い出します。日記にはいまはそちらだけに集中するが、また小説も書くつもりだというようなことが書いてありました。要するに・・・書くのが好きなのでしょうね。あてがあるなしにかかわらず、とにかく文章を作ったりまとめたりするのが好きなのだと思います。子どものころからそうでした。お話みたいなものをよく書いていた。
 
 小学生ですからね。超人と悪者が闘うみたいな話を書いて興奮していました。書いているだけでは我慢ができなくなって闘うジェスチャーというか真似というか、そんなこともよくしていた。3年生のころですよ。ものすごく強い相手にどう立ち向かうかみたいなことを考える。武器があるのです。最後はその武器がある。しかしはじめから使ってはもったいないような気がして最初は素手で闘う。すると想像の中で圧倒的に劣勢に陥ります。圧倒的な劣勢下でいよいよ武器を取り出す。大逆転で毎回勝つ。
 子どもながらはじめからいきなり武器を使えばいいということはわかっている。わかっていてもそれでは面白くないということもまたわかっている。
 
 そんな風にして暴れているところを大人に見つかってしまうこともありました。「何をしている?」と訊かれてもうまく答えられない。以前も書きましたかね。誰もいないところで闘っていたのをクラス中の女の子たちが4階の講堂の窓から見ていた! という事件がありました。
 私はあっちに行ったり(悪者役)こっちに来たり(ヒーロー役)してめまぐるしく動き回っている。ときどきセリフまで用意してありました。細かいところは覚えていませんが、高笑いの真似なんかもしていた。優勢な悪者が腰に手をあてて肩を揺すって笑うのです。
「長野くん、さっき校庭の隅っこで何してたの?」
 参りましたよ。はたから見たら狂人です。
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2015.08.30 08:01

 この話は教室内でしたのですが、広く伝えたい気持ちもありブログに書くことにしました。
 先日、都立のトップ校に今春合格した生徒が教室に来てくださいました。奉仕活動というのですか、何かお手伝いをしてくださるということでしたので謝礼などは一切ないまま希望者に高校のお話をしていただきました。私は以前から予約が入っていた面談があり同席できなかったのですが、副教室長のN先生が仕切ってくださって会はうまくいきました。かなり長いこと協力してくださって本当に感謝しています。
 
 私が感心したのは次のようなことでした。
 午後2時からの会でしたが、彼らはだいぶ前に来てくださった。そしてすぐに何をしたと思いますか? 談笑なんかではないですよ。空き教室で勉強をはじめた。私ははじめーー背後から見たのでーー教室の前を通り過ぎたときには、彼らだということがわかりませんでした。あまりにも真剣にやっているので、受付の方に「入会テスト?」と質問したほどです。それぐらい真剣に無言で机に向かっていた。
 
 会が終わったあとはどうだったか。再び空き教室にこもって勉強をはじめた。途中出てきたのはN先生に質問を持ってきたときだけです。あとはずーっと集中して私語もなく勉強していました。
 夕方になって一段落したのでしょうね。まだまだ宿題がたくさんあるので自宅でも勉強だとおっしゃって帰っていった。高校1年生の夏休みですよ。受験生ではない。
 ひるがえって教室の中3受験生はどうか。先週ぐらいから自習室がうるさい、何々くんがお喋りする、スマホで遊んでいる人がいる、何々さんが頻繁に出たり入ったりする・・・と立て続けに苦情が出てきました。注意はしていますが、まだまだ自覚が足りない。
 
 何をやっているのかという話です。都立トップ校に入りたいという受験生が、合格して羽を伸ばしてもいいはずの高1生の足元にも及ばないような真剣さで、どうなるというのですか。
 これは人間性のお話ではありません。ただ現在のわさわさした生活態度であの生活が送れるのか、あの生活の中で本当に頑張りきれるのかということです。曲がりなりにも公的な空間で自分を統御できないような人間は、それこそ完全に落ちこぼれるでしょう。そういう世界なのです。それがわかっていない。
 
 めざすところといまの自分が乖離しているのであれば、考えられる手段は2つしかありません。めざすところを変える。自分を目標にふさわしい人間に作り変える。その2つだけです。そういうことは考えないといけないですよ。
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2015.08.29 07:51

 実話ですよ。
 20歳ぐらいのころ、私はいちばんばかみたいなルックスでした。まあ、あれはあれで仕方がなかったのかな。クイーンとかエアロスミスとかに憧れているうちにああなった。髪をすごく伸ばして女性用のシャツをよく着ていました。靴は極端にヒールの高いやつですね。
 銀座のデパートでアルバイトをした帰りでした。街を歩いているうちにふとトイレに行きたくなった。地下街に下りてトイレに入った。個室のほうです。当時はすべて和式でした。
 私はその日も踵の高い靴に黒いパンタロン(裾が広がったズボン)をはいていました。
 
 靴下も長いのをはいていた。それも敗因の1つです。
 ズボンの裾を太もものほうに裏返しに持ち上げて用をすませました。すぐに出ればよかったのですが、ちょうどロシアの文豪の文庫本を読んでいた。それが非常に面白いところにさしかかっていたので、トイレの中で直立不動でしばらく夢中で読みました。そういうことってありますね。場所を変えてしまうと熱が失われてしまうぞ・・・という感覚。
 よくは記憶していませんが、そもそも人間が存続し続けなければならないという発想自体おかしいというようなことが書かれていて、そうかもしれないと共感した覚えがあります。
 
 個室を出て手を洗っていると周囲の人間が私を見ている。そこで私は「あ、そうか」と勘違いしました。(おれみたいなスター然とした若者がすすけた地下街のトイレの個室から出てきたら、それは目立つだろう)と考えたのです。
 ばかなうえに勢いもありましたからね。当時、見知らぬ女の子にバス停やプラットホームで逆ナンパされたりした経験(本当ですよ)もあったので、それぐらいうぬぼれていました。
 地下街に出てからもやたらとみんなの注目を浴びます。おれは銀座でもやっぱり目立つのかと苦笑まじりに首をひねったりして・・・困ったものですよ。
 
 50メートルぐらい歩きましたかね。注目を浴びるのはいいとしてもどうも下半身のほうにばかり皆さんの視線がいっているような気がします。そこで「あっ!」と気づいた。ズボンをめくったままおろすのを忘れていたのです。靴下が長いのでむき出し感がなかった。
 そりゃ注目を浴びるはずです。いったいどういうファッションなのだろうと思われたでしょうね。慌ててズボンを下ろしてその場から逃げました。
 この話はときどき思い出します。つくづくばかだなと思います。私の青春時代はだいだいがこんな感じでしたね。
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2015.08.28 02:20

 私がこの仕事をはじめた35年ぐらい昔は塾の全盛期でした。大小さまざまな塾で教えてきましたが、中にはあれれ? というところもありました。ウソが多い。先生の経歴がでたらめである。暴力的指導がひどい。それでも通用した時代だったのですね。
 はじめての先生に英語指導歴7年間と言いなさいと指導していたところがあります。保護者の方を安心させたいということなのでしょう。いつも酔っ払ってくる「偉い」先生もいた。バイト感覚なのです。メチャクチャだなと思いましたよ。でも、長くは勤めない(そのつもりでした)業界だからまあいいやという感じでした。
 
 収益最重視という塾もありました。勤めている先生方も、早く独立して儲けることを考えている。資金をためるためにここで仕事をしているのだと公言されていた。ノウハウを学ぶには理想的な環境だというのです。
 実際、20代で独立された方もいた。うまくいったのかいかなかったのか。自分はぼんやりしていて、昔からほとんどそういう「動き」に興味を持ちませんでした。30年前Z会が教室スタート時に講師を募集していたときは心が動いたものの、まだそこまで自信が持てず見送ったことを覚えています。
 
 暴力的指導もけっこうすごかった。それをご家庭が歓迎する風潮もありました。竹刀を持って教室に入っていく先生がいた。「いてーっ!」という大声が聞こえたりする。笑い声も。ふざけている男子生徒のお尻を竹刀で叩いているのです。
 スパルタ塾がけっこう話題になっていました。テレビでも見たことがあります。何県だったか・・・合宿スタイルで、学校には塾から通う。そこに一時期通っていたという生徒を教えたことがあります。先生が授業するというよりお互いが教え合うことが多かったそうです。上級生が下級生の勉強を見る。先生はサボっている生徒を竹刀で叩くだけ・・・みたいな話でした。
 
 いわゆる裏口入学についてもいろいろと知識が増えました。さすがにもうないでしょうね。しかし30年前はそういう噂があった。ある保護者の方からは「噂でいいですから先生がご存知のかぎりの裏口可能な私立中学校名を教えてください」と直接言われて困惑しました。
 自宅に変な電話がかかってきたこともありました。「かねがね先生の名声はうかがっております」と歯の浮くようなセリフを口にする。「他塾が先生をスカウトしたいと思っているのですが、1度会ってお話を聞いていただけませんか?」
 
 他塾とはどこですかと質問してもとにかくお目にかかってから・・・としか答えない。あやしいでしょう? もちろんお断りしました。
 まあ、自然に淘汰されていきますね。塾だけではないでしょう。お店なんかもそうですね。続いているところにはそれなりの理由があるように感じます。
 
 
 
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2015.08.26 09:23

 存在に自信が持てない状況になると、私たちはすぐに何かと何かを比較します。比較することで居場所を定めようとする。乗っている車を比較する。あるいは住んでいる家の大きさを比較する。あるいは勤めている会社や通っている学校を比較する。
 もちろんある程度の目安にはなるでしょうが、それだけですね。それがすべてを物語るものではない。・・・というより、その生き方で本当に大丈夫なのだろうか? という一抹の不安は残ります。相対評価で終始していて、ホンモノになれるのだろうかという意味です。
 
 たとえばーー私のとても好きなーーサルスベリの樹がとうとう天寿をまっとうしたとします。このサルスベリの樹は生前桜にとても憧れていました。桜のように春先に開花して皆さんにお花見をしてもらいたい。毎日毎日場所取りまでしてもらって、何とか人気者になりたい。認知されたい。四六時中そう考えていました。
 サルスベリの開花時期というのはちょうどいまごろですね。盛夏。向かいの公園にも何本か咲いているので毎日サルスベリの花を見ながら教室に出てきます。真夏の炎天下ですから、さすがの私も「お花見」まではしません。きれいだなで終わりです。
 
 桜に憧れていたサルスベリの樹は死に物狂いの努力(?)をして、春先に僅かばかりの花を咲かせられるようになったとします。季節が違いますからりっぱな花を大量に咲かせることはできないでしょうが、曲がりなりにも春先に咲くようになり喜んだ。
 天国に行ったサルスベリの樹に神さまが「お前は桜になれず本当にだめなサルスベリだ!」とおっしゃると思いますか? そんなわけがない。叱るとしたら、どうして全力でサルスベリとして生きなかったのだということに尽きるでしょう。せっかく生まれてきて、なぜ他の何かになろうとするだけで一生をむだにしてしまったのか。真夏に本来の開花を志さなかったのか? そういう非難は出てくるでしょう。
 
 自分にしてもそうですね。何かしら効率のいい個人的なお金儲け(そんなものないでしょうが)を紹介してもらったとする。これは人さまを励ましたりしているよりはるかに楽ではないかということで、教えることも書くことも一切やめてひたすら稼いだとしますよ。
 死んであの世に行ったら神さまに「世の中を明るくできる余力があったのに、なぜ自分のことだけでぜんぶむだにしてしまったのだ」と嘆かれると思っています。その人なりの真実を生きるということが大切ですね。どんなに上手に真似しても、自分自身になりきることほどは上手にはなれません。それこそ尊厳というものです。
 
 ほかの何かになろうとはせずに、ご自身を生ききってください。ご自身の何かを直したいのであれば世間とは関係なく、ご自身の深い部分から要求されるものだけを微調整されればいいと思いますよ。
 
 
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2015.08.25 08:19

 昔、小説を書いていたころ(つねに何かしら書いてはいるのですが)何人か仲間がいました。そういうものですね。道場で将棋を指しているころは、将棋の仲間がいた。飲み歩いてばかりいたころは飲み歩く仲間がいた。
 するとこういう先輩がいました。いまは忙しくてなかなか書く時間がない。けれども構想だけは壮大なものができている。いつか時間ができたら作品に昇華する。その人はいつもいつも同じことを話していました。そして私が知る限りにおいてーー何十年も前に交流はなくなってしまいましたがーーついに何も書きませんでした。
 
 書くつもりだった人ではあっても書く人ではなかった。これはちょっと考えておかなければならないことだと思いますよ。
 いつか掃除しようと思っている人は、要するに掃除をしていない人ですね。いつか猛練習しようと思っている人も、猛練習していない人です。いつか働こうと考えている人は働かない人で、いつか勉強しようと考えている人はいまは勉強していない人。
 いつか勉強しようぐらいのこと・・・それこそ誰だって考えますよ。それだけなら偉くも何ともない。考えているだけですから。
 
 人間というのは、していることがその人すべてです。考えているだけではその人ではない。逆のケースを想像すればわかりやすいでしょう。
 大金が落ちていたとしますね。ネコババしようかなとちょっとだけ考えた。でも結局のところ交番に届けたとすれば、その人の定義は「盗もうと考えた人」ではなく「大金を交番に届けた人」ということになります。考えたことは実行に移していない限り、その人ではありません。人間はいろいろ突拍子もないことを思いつきますからね。それがぜんぶ個人の定義になったら収拾がつかなくなる。
 
 していないことはその人ではない。努力しなければと考えても、努力していない人は努力家とは呼べません。
 ちょっと厳しいようですが、わかりやすい定義ではありますよ。いつか痩せよう、いつかタバコをやめよう、いつか大金を稼いでやろう、いつか楽器を弾けるようになろう、いつか数学を得意科目にしよう、いつかやさしい人間になろう・・・いくら考えてもその人ではない。
 自分の場合、こうして日々ブログを書いています。書いているから「(人さまを)励ましていますね」と言われます。思っているだけではない。
 
 あなたが何かに到達したいと思っていたとしても、いま現在それをなさっていなければ到底到達できない可能性があります。到達するためにはあなたは行為者にならないといけない。それもいますぐにです。大丈夫ですね?
 
 
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2015.08.23 06:45

 個人的なことで恐縮ですが、何かしらご参考になるかもしれませんのであえて書いてみます。おととい母が胃ろうの手術を受けました。昨日もとのリハビリテーション病院に介護タクシーに乗って戻りました。私は毎朝早くから仕事をしていますから、家内と息子がつきそってくれました。手術当日は妹が面倒を見ていた。痛みを訴えていたそうです。
 詳しくは書きませんが、胃ろうには賛否両論ありますね。ご本人の意志とはべつに延命してしまうような要素があるからでしょう。
 
 ある年配の方からはーー相談したというより「その後どうなりました?」と質問されたので答えただけですがーーそこまでしなくてもいいのではないかと率直に言われました。彼はご自身に重ね合わせて「おれならそこまでして生かされたくないなあ。お母さんだってひょっとしたらそうなんじゃないの?」とおっしゃった。さらにその方はご友人の介護状況をふまえて「親族が自己満足のためにやっているように思う」と続けられた。周囲に対する見栄がある感じがして、患者さんご本人のご性格をよーくご存知なだけに気の毒だと言うのです。
 
 なるほど、そういう見方もあるのかと感じました。確かに母も意志があまりはっきりしていないので何を望み、何を望まないか正確に判断できないところがあります。さらに自分はこうやって忙しくしていますから、さまざまな決定は周囲の人間にお任せしていて長男ながらきわめて頼りにない存在になっています。
 ただこれからは、自分もちょっと考えないといけないかもしれません。5月まではそんなことは思ってもみなかった。しかし、そうも言っていられなくなってきています。
 
 お金をたくさん出すことができないとすればきちんとお手伝いするーー高齢の父の世話も視野に入れてーーということでしょうか。
 働き方がちょうど変わる時期なので、いずれは相談しないといけない。たとえば講師業だけであれば、時間が比較的自由になります。授業そのものは歳をとったとはいえまだまだ発展途上にある気概もありますから、研鑽を積んでいきたいと考えています。条件がどうなるかですが、+αで家庭教師ぐらいはやらないといけないかな。いろいろ大変ですが、人生はけっして「問題」などではなく個々の至福と結びつけるのはそれぞれの責任だと思っています。
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2015.08.22 06:27

 私はあまり詳しくないのですが、コレステロール値が高くても気にしなくてもいいということになりましたか? 最近、ラジオを聴いていたらそんな話が流れてきました。以前の基準値が間違っていたそうで、1日に玉子を何個食べてもさしつかえないとそのお医者さんはおっしゃっていました。
 何か・・・ちょっといい加減ですね。以前、コレステロール値を下げる薬を飲まれていた方を何人か知っているので、あれは何だったのだろうという感じです。
 
 ただ本当なのかどうか私にはわかりません。調べればいろいろ出てくるでしょうが、今日書きたいのは単純に玉子のことなのでこれ以上コレステロールの功罪については言及しないでおきます。
 私は多少コレステロール値が高いときもありましたが、玉子なんかは気にせず食べたいだけ食べてきました。血圧なんかでもそうですが、部分部分の数値はあまり信用していない感覚があります。数値を外側に取り出して観察すること自体若干抵抗があるのです。
 
 夏期講習の期間はちょうどお昼に食事ができるので(朝から授業を担当している)、よく居酒屋さんの「何とか定食」を食べる機会があります。ふだんから午前中起きてはいますが、昼の時間帯はさほどおなかが空きません。気がつくといわゆるランチタイムは終わっているので、そういった定食を食べるチャンスがほとんどありません。
 すると定食類に玉子がついてくることがよくあります。もちろん生ですよ。生の玉子をまさかじかに飲めということはないでしょうから、ご飯にかけて食べなさいという意味なのでしょう。
 
 そこで悩むわけです。玉子かけご飯というのは私は非常に好きなのですが、どういうわけかほかのおかずと一緒に食べるのは好まないのです。たとえば先日はサバの塩焼きを食べていた。その塩焼きは白いご飯で食べたい。玉子のかかった部分で食べたくない。しかし、玉子かけご飯にした場合、半分だけ玉子をかけて半分白いままにしておくというのも何か非常に間抜けな感じがしませんか。
 こいつ、まぜるの面倒くさいのかよ! と勘違いされそうな気がする。これは悩みますよ。すごく悩む。
 
 先日、玉子に一切手をつけずに黙々と定食を食べている男性が隣にいました。なるほどまったく手をつけないという選択も潔くていいものだなと感心しました。男の人はしょうが焼き定食を食べていた。おかずをすべて食べ切る寸前でしたので玉子はそのままか・・・と考えた。
 するとご飯とおかずをぜんぶ食べ終わってから店の人を呼び止めました。「ご飯、お代わり!」悠々と玉子を割って醤油をかけご飯にまぶして食べはじめるではないですか。こりゃ、ちょっと真似できませんね。
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2015.08.21 06:06

 いまから30年ぐらい昔の話でしょうか、海外で悲惨な出来事がありました。日本人観光客の若い女の子が襲われたとか殺されたとか非常に重い事件でした。申し訳ないのですが、細かいところまでは覚えていません。私は例によって昼間ぼんやりテレビをながめていました(当時はそういう生活でした)。
 するとコメンテーターの方がかなりきついことをおっしゃった。大学の先生だったような記憶がありますが、きついコメントのせいで印象に残っています。
 
 若い女の子が夜遅くに肌を露出させて繁華街を歩いていること自体が問題だとおっしゃるのです。あんな治安の悪い国(どこだか忘れてしまいました)で、日本人以外そんな無防備な格好でうろうろしている観光客はいませんよと断言されていた。
 普通は被害者の方を責めるような論調は控えるものでしょうから、ちょっと意外に感じると同時にそういうことはあるかもしれないと思いました。海外に行って羽を伸ばしたくなるのは理解できます。暑ければ薄着にもなりたいでしょうし、若い女の子なら夏のオシャレも楽しみたいでしょう。それでも時と場所を考えなければいけないということですね。
 
 中学生の女の子が亡くなるいたまして事件が起きました。毎日授業をしながらこの子たちと同い年の方が・・・という気持ちになります。
 と同時に、やはり小学生や中学生の方が深夜に街中(にぎやかなところであっても)をうろうろされるのは危険だと感じました。塾からの帰宅の道を歩いているのと、ただぶらぶらしているのではやはり相当違うムードが出てくるように思います。同じ23時に路上を歩いていたとしても身にまとう空気は絶対に違います。ぶらぶらしている=面白そうな出来事を探しているという雰囲気を漂わせるのは非常に危険だと思います。
 
 この事件とは関係ないですが、いまの若い子は1人でいることがなかなかできなかったりしますね。つねに何かで人とつながっていたい。そういう環境で生きてきた事情もあるでしょう。昔の中学生は夜中に誰かと連絡をとろうと思っても不可能でした。ラインもメールもありません。電話をかけたくても携帯電話がありませんから、両方の家族に叱られてしまう。どう頑張ったところで連絡をとれない時間帯があり、当然1人でじっとしているしかありません。1人であることの重みに耐えていたわけです。「いやでも1人でいるしかない」ということが鍛えにもなっていたのかもしれないですね。
 
 行き当たりばったりみたいな異常な事件ですから犯人はすぐにつかまるとは思いますが、犯人がつかまっても亡くなった方が帰ってくるわけではありません。それぞれが自分を守る気持ちを強く持たれることは非常に大切なことだと思います。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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