2015.06.30 08:09

 毎月そうですが、月末はいろいろやることがあって今週は2回お休みをとるのはちょっと難しい感じです。ありがたいことに会社には「半休」という制度があって早く帰れたり遅く出てこられたりするので、今日はそれを使わせていただこうと考えています。
 月の終わりに先生方の出してくださる業務報告書というのを確認する作業があります。明日1日で大慌てでやるとちょっと危ないような気がする・・・というわけで、30日と1日に分けて見ようと思っています。
 
 もう2015年も半分すぎてしまったことになりますね。今年はここまで本当にいろいろなことがありました。お正月早々拙著「励ます力」の出版(ありがとうございます)でスタートして、Z会進学教室30周年、そのあと母親が倒れ(おかげさまで一命はとりとめ現在リハビリ中です。どう推移していくのかはちょっとわからないのですが・・・)最後は今年度一杯で自分も定年退職ということになります。どういう形であれ先生そのものは続けさせていただけそうですので、次年度も確実に教えているとは思いますよ。
 自分が歳をとったので弁護するわけではないのですが、生徒たちを見ているとやっぱり若い先生「ばかり」では十分ではないと感じるときがあります。
 
 Z会進学教室にはもちろんお若い先生もいらっしゃいますが、私より年上の大ベテランもいらっしゃる。そういう先生方の落ち着いた所作や話し方が現代っ子にいい影響を与えていると感じることが多々あるのです。
 気楽に友だちみたいに喋れないところがよかったり、振舞い方にある種のためらいを持てるところがよかったり、同世代、学校の先輩、お兄さんお姉さんのようなお若い先生とは違った種類の頼り甲斐を感じさせるところがよかったり。
 
 保護者の方との関係を考えても、ある程度年齢のいった先生方は安定感があります。たとえば自分の息子も中学校の内申で2(!)をもらってきたことがありました。いまでも照れくさそうに笑いますけどね。
 そんな彼も現在は親の目から見て申し分なく(忙しい就職活動の合い間に母親の見舞いに行ったり、洗濯物を届けたりしてくれますから)成長しました。そうした経験からも「まあ、そんなに心配いらないですよ」と言える。20代の先生がおっしゃるよりは、少しだけ安心していただけるかもしれません。
 
 年長者としてのきちんとした役割を果たしていこうという気持ちは持っています。これは仕事に限らないですね。社会全体にそうした「目」が必要なのです。
 いまの世の中やたらと若くあることばかりもてはやされる傾向がありますが、年齢にふさわしく熟していくこともまた大切だと考えています。
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2015.06.29 04:22

 先週の木曜日、ちょっとだけ二子玉川教室に行ってみました。講演会の場所(オーキッドミュージックサロン)にも行ってみた。若干わかりにくいですね。4日の講演会当日は案内のどなたかが近くに立つことになると思います。地下の会場には入りませんでした。お約束があるわけではないので。
 教室のほうもまだ看板は出ていませんでした。こちらも外からながめた程度です。駅から近くていい感じですね。ある科目は個別でとろうかなと話していた生徒が渋谷教室にいます。渋谷からは急行で10分ですから、いずれそういう選択も可能だと思います。
 
 そのあと約束があったので遠出はできませんでしたが、少しだけうろうろしてみました。デパートの中にも入ってみた。以前来たのが1981年ですから34年ぶりになります。何でそんなことを正確に覚えているか。
 その日、当時勤めていた塾の事務の方にデパート内でばったり会ったのです。信じがたい偶然でした。その塾には私はあまり長いこと勤めていませんでした。それだけに「あの年」とピンポイントでわかるのです。
 帰りは大井町線に乗りました。面白いので当然座らない。外の様子をずっとながめていました。
 
 講演会で私の書籍を売りますか? というご質問があった。今回会場での販売はいたしません。その後、渋谷ではジュンク堂さんに多めに置いていただくことになったというお話を編集者の方からうかがっています。
 ここからです。
 用事をすませて夜になった。どこかぶらぶらしてみようかなと思いました。沿線の大井町とか自由が丘ではスケールが大きすぎてつまらない。もっとローカルな駅に何か面白いお店ーー飲み屋さんに決まっているのですがーーがありそうな気がします。
 
 で、ある小さな駅で適当に下りた。そういうところは鼻がきくのです。
 はたしてものすごいお店を見つけました。これは・・・さすがに詳しくは書けないなあ。いまだに夢だったのではないかという気持ちになります。
 おばあさんがやっている。他にお客さんはいらっしゃらない。私が入っていくと「うちに?」とおばあさんがびっくりしている。「何? 食事?」飲食店ですから当然だとも思うのですが、いちおうそうですと答えました。ところが、おばあさんは「あらー!」と大きな声を出す。
 
 ウーロン杯を頼みました。するとものすごくあやしげなペットボトルから液体をコップに注ぎます。ラベルも何もないのですが、まあ焼酎なのだと信じたい。そこにウーロン茶を加えます。こちらは普通のやつ。「何時までやっているのですか?」「お客さんがいるかぎり朝まででも」・・・うーむ。
 メニューにあった食べ物を頼んだら、何やら得体の知れないものをフライパンで創作しはじめました。実験か? 
 やがて「こんなんで・・・本当にすみません」と出てきましたよ。時空がゆがむような貴重な体験。もう1度うかがってみたいのですが、祠になっていそうでこわいですね。
 
 
 
 
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2015.06.28 00:15

 ありそうでなかった「Z会進学教室のブログ」というのができたそうです。担当の荒井さんがこれからは面白い記事をたくさん書いていきますと張り切っていらっしゃったので、こちらでも宣伝しておきます。
 
http://www.zkaiblog.com/z-shingaku/55766
 
 自分が1本目の記事を書いたときのことを思い出しましたよ。こういうのが、どこまで続くのだろうと考えた。当時、冗談で千日行みたいに1000回書こうかなと話したことがあります。周囲の方もそれはいいと笑っていらっしゃった。そんなに続くわけがないという共通認識がありました。
 
 何かを表現して残していくというのはーー考えてみればーーとても不思議な行為です。動物は表現しますが瞬間的なものでしかない。怪しい奴だとわんわん吼えて怒る、ご主人に知らせる。ただ「あのとき私は相手を怪しい人間だと考えたのです」みたいに形に残すことはできません。仮に意識の中で覚えていても書くことができない。
 人間だけがあの夏は・・・みたいなことをいつまでも言って(書いて)います。そしてときには他の方が書き残したものを読んで涙を流したりします。
 
 書いたものには自分があらわれますね。隠していても早晩出てきてしまう。自分のブログにしてもはじめは学習と子育てのことだけを書くつもりでした。それがだんだんエッセイみたいになってきた。とくに小説や音楽の話はあまりにも自分に密着していて、体温みたいなものが外部に漏れ出てしまう。
 将棋や酒場の話もそうかもしれません。1本2本記事を書くだけであれば自分の正体を完全に隠せますが、500本1000本となると隠し切れません。この人はこんな感じだなとすぐにわかってしまいます。まさに「文は人なり」ですね。
 
 表現していく過程で何かを発見するということもよくあります。もともと伝えたかったことがなぜかずれていく。核の部分が揺らぐ。書かなければわからなかったことです。書けば書くほど当初目論んでいたものから離れていったりする。そして流れが止められなくなります。
 最後の最後にあることを「致命的な出来事だった」と書くつもりが「救いだった」と書いてしまってあれれ? と自分でびっくりしたことがありました。真逆ではないですか。書いているうちに真逆の気持ちを発見した。ウソは書けないですからね。生きているというのはそういうことなのだと思いますよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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2015.06.27 06:44

 今日は山手線のことを書きます。以前も書いたかな。
 東京生まれの東京育ちですから、山手線は数え切れないぐらい乗りました。中学高校大学と基本的には山手線を利用して通学していました。わざと変な経路でバスを利用する機会も多かったのですが。
 それでもなじみの薄い駅というのがいくつかあります。おそらくいちばん行った回数が少ないのは浜松町ですね。昔は浜松町駅近くから海が見えたと言います。
 
 30代までは新宿から渋谷経由品川新橋方面でばかり活動していました。大学時代銀座のデパートでアルバイトしていたことがあるのですが、銀座という場所自体ーー私には似合わないことはよくわかっていますがーーそれほど遠いイメージはありません。恵比寿目黒五反田から中心部に入る感じで六本木や麻布もうろうろしました。
 まだ個人の住宅がたくさん残っていました。大江戸線が通る以前です。さすがに六本木はにぎわっていても、麻布十番まで来ると夜は全然人通りがなかった。
 
 40代に入ってからは新宿からいままでとは逆に池袋上野方面にやたらと行くようになりました。
 そちらのほうに心ひかれる酒場がたくさんあるということを知ったのですね。きらきらしたお店ではなくシブイ個人店。何もなさそうに見える鶯谷駅周辺でさえ、Kという日本を代表する名居酒屋があります。またSというやきとんの有名店もありますし、同じくSという大衆食堂(とは言え皆さん飲んでいる)があります。お客さんの層が渋谷や目黒あたりとは全然違っていて、そういう意味でも面白い。
 
 六本木や麻布には足が向かなくなりました。現在は王子や十条、北千住あたりをうろうろしています。最近何かと話題に出てくる赤羽は、ちょっと観光地化しすぎてしまって以前のよさが薄れているように感じます。10年ぐらいまえは本当に面白かった。最近は大衆居酒屋にも大量に「1度は来てみたかった」山の手風奥さま(?)がいらっしゃって、緊張するというか意識するというか、以前のように闊達に振舞えていない自分を感じるのです。
 突然、複数のご婦人にどちらからいらしたの? などと質問され、しどろもどろになって「そ、そのへん・・・です」と答えている自分が情けない。
 
 今後は亀有、綾瀬あたりだな。ちょっとうろうろしてみようかと考えています。ということは・・・西日暮里経由か。まだまだ山手線は乗り続けると思いますよ。
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2015.06.26 07:28

 Z会進学教室は毎年10月ごろから中学受験をしない小学生用の講座を開いています。最近はどこの塾でも似たような授業をされていますね。中には、複数の塾で受けてみましたという生徒もいました。比べてみたかったそうです。で、Z会進学教室に入ってきてくださった。
 どこが違った? と訊いてみました。先生がよかったと答えてくれた子がいます。自分が担当していた生徒なので誇らしい反面、ちょっとくすぐったい気持ちになりましたよ。来ている仲間がよかったと答えてくれた生徒もいる。こちらは単純に誇らしく思いました。
 
 小学生のときからしっかりやっておかないと高校受験は困りますか? という質問がありますが、それは一生懸命生きないと死ぬときに困りますか? という質問と同じです。当然ですよ。人生、つながっていますからね。
 少しでも早いうちからきちんとした勉強習慣を身につけたほうがいい。猛勉強しなさいという意味ではないですよ。猛勉強は必要ないかもしれません。ただ「正しい」勉強は覚えておいたほうがいい。正しい勉強というのはーーたとえば正しいノートのとり方とか覚え方の工夫とか正しい計算の仕方とか・・・いろいろありますね。
 
 つい最近も私は自分のクラスでノートは縦書きにとあらためて強調しました。春からずーっと言っている。言っているのですが、勝手に横書きに変えてしまう生徒がいるのです。審美的な何かでしょうね。他教科が横書きなので揃えたいのかもしれません。
 しかし、そのままでは古文や漢文で困るでしょう。作文だって困る。であればなるべく早くから縦書きの習慣をつけておいたほうがいい。
 こういうことは中学生になるまで待つ必要はありませんね。じつは小6の10月まで待つ必然性もない。 
 
 全教室に先行する形で、葛西教室では「中学受験をしない小学6年生のための夏期講習」を開講することになりました。
 地域のご要望がそれだけ強かったそうです。当然、エース級の先生に担当していただく予定になっている。本当はひそかに自分もやりたかったのですが、自教室を放り出して他教室に出張するわけにもいかないので断念しました。
 その説明会が7月の18日と26日に2回あります。映像授業でも有名な教室長のN先生がお話します。N先生のことは以前も書きましたね。私が心から敬愛する国語科の先生です。
 
 講習を受ける受けないはのちのちじっくりお考えくださればいいのですが、小学校6年生の夏からどういう心構えで過ごすといいかということは非常に大切なのでお近くの方は可能であればどうぞご参加ください(ホームページから予約できるようになっています)。
 我流でがしがし勉強してかえって悪いクセがついてしまうと直すまでに一苦労です。スポーツでも何でもそうですが「フォーム」は大切にしないといけないですね。堅苦しくお考えにならず、むりのない「フォーム」作りの講習会ぐらいにとらえてくださるといいかもしれません。
 
 
 
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2015.06.24 00:08

 そもそも私はひとさまに干渉したいとは思わない人間です。それぞれの人生であって、こちらの勝手な思いこみで余計な口出しをしたくないのです。手助けでさえそうです。特殊な状況であれば何かするかもしれませんがーー電車の中で突然人が倒れたときはすぐ駅員さんに伝えました(高円寺駅)ーーこういうことでさえ余計なお世話かもしれないという気持ちが少しだけあります。生き方に干渉するのは、こわいことだとも思います。ですからブログについても、こんな考え方で幸せになった普通のおじさん(また出た!)がいましたよ・・・程度にとどめておきたいのです。
 
 毎日の記事は、400字詰め原稿用紙に換算すると3~4枚程度だと思います。週に5回書くとして15~20枚、ひと月4週とすると60枚~80枚。それぐらい書き続けているわけですね。文字のみで更新していますからぜんぶ足したら相当な枚数になりそうです。最低ラインをとっても1年間では720枚。
 もっとも読んでくださる方がいらっしゃるから書き続けられるのであって、いつもいつもありがとうございます。
 ある生徒に中学生のころから作文は得意だったのですか? と質問されたことがありました。
 
 私は中学校のころ、作文はほとんど書きませんでした。書けないと言っていた。本当は書けるのですが書きたくなかった。先生に評価されるのがいやだったのです。国語の先生のことは好きでしたよ。いい先生でした。ただ「作文を評価する」という姿勢に納得できないものを感じました。その先生が悪いのではなく、自分の書くものを他人に見られるのが自分には耐え難いことに感じられたのです。
 書くものってーー本心から書くのであればーー全裸になってひとさまの前に立つのと同じですね。ぜんぶ丸見えです。
 
 そしてじっくり観察されるだけでなく、ここがいいとか悪いとか言われる。そんな恥ずかしい場所に立てるか! という感じで、結局ほとんど何も書かないかわざと幼稚なことを書くということを繰り返してきました。くわしく気持ちを書けと言われても「うれしかったです」「楽しかったです」としか書かない。喜びもいずれは去っていくのではないかという予感が・・・などという本音は絶対に書きませんでした。
 評価は低かったですよ。ABCでよくCをつけられた。ただまったく気になりませんでした。私が最低のCです。それならそれでいい。
 
 あのときの自分のような生徒もじつはたくさんいるのだろうとよく考えます。作文だけではないですよ。何か理由がある。その理由についてーー思春期の私がそうだったようにーー彼らはまだ正確に言葉にできない。
 だからいまはその分野でCをつけられているかもしれない。それは実力とは全然べつの要素であり、いずれ変わってくるので安心してくださったらいいと思います。大人になるというのはそういうことだと思いますよ。
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2015.06.22 09:04

 宗教的なことはいろいろな考え方がありますから深入りすることは好みません。私自身はさまざまな宗教書や哲学書の類を「娯楽として」読んできましたが、たとえば私が「BURRN!」誌を毎月かかさず愛読しているからといってミュージシャンではないのと同じように、書籍を読んではいても自分は宗教家ではありませんし哲学者でもありません。自分で書くのも間抜けですが、私はあくまでも普通のおじさんです。
 昔、テレビで世界的に高名なある宗教家の方が「超能力だとか予言だとかというような考え方は、宗教の本質から見ると非常に子どもっぽいものだ」ということを話されていました。
 
 当時、私は30代でまだよくわかっていない面がありました。インドでサイババさんなんかがもてはやされていた時代ですね。いわゆるお茶の間の映像でもしょっちゅう流れていましたよ。
 私は単純に、この宗教家は自分に超能力がないことに劣等感があってこうした発言をしているのではないかとちょっとだけ考えました。つまり超能力を持っている(?)聖人たちより下に見られるのがいやで、そういうのはどうでもいいことだという話にしようとしているのではないかと考えたのです。
 
 いまはしかし、あのときの宗教家の発言は全面的に正しかったのだと感じます。
 仮にどなたかがーー私でいいかーー空を飛べたとしますね。空を飛べる。あるいは水の上をすたすた歩ける。あるいは地球の裏側がすべて見える。そういう能力があったとします。
 それでも何かでいらいらしていたり、どなたかのことをすごく憎んでいたり、昔のことをあれこれ悔やんでいたりしたら、どこをどう飛ぼうが全然救われていないと感じるのです。そんなのは単に生活が便利になったというだけではないか? 何かで悩みながら馬で移動していたのが同じように悩みながら新幹線になったぐらいの変化でしかないと思うのです。
 
 本当の超能力は意識の中でこそ起きることで、それこそ悪かった自分を美しいものに変容させられるとかどなたのことも憎まずに愛情を感じられるようになるとか過去に拘泥する気持ちがなくなるとか瞬間瞬間を大切にできるとか・・・そういう変化の中にこそあるのではないでしょうか。
 ごちゃごちゃした雑念いっぱいで空だけ飛べるようになったところで何の救いにもならないですよ。自分の救いにもならないし、もちろん他者の救いにもなりません。そういうことですね。
 
 こういったことはさすがに中学生の国語の授業中にお話することはありません。しかし、自分は自分自身の完全な統治者として、さらには意識を慈悲深さの中で育てることに全面的な信頼を感じられる人間として、彼らと接していこうと思っています。その穏やかさの中で、若干の喜びのようなものは伝わっているかもしれません。
 まあ、普通のおじさんですけどね。
 
 
 
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2015.06.21 00:06

 講演会用に拙著「励ます力」の主婦と生活社さんが、書籍の宣伝も兼ねたポスターを作ってくださるとおっしゃるのでお願いしました。講演のタイトルが「勉強生活を励ます力」になっていますから、ちょうどよかった。ありがたく活用させていただこうと思います。
 そのご連絡をいただいたときにうかがったお話です。拙著は新宿の紀伊国屋書店さんではそれなりに出ているらしいのですが、渋谷のブック・ファーストさんではあまり動いていないそうです。特定の書籍と書店さんとのあいだに相性があるらしく、面白いものですね。
 
 渋谷ではべつの書店さんに多めに置いていただくことになるかもしれません。そのあたりは状況がわかりましたらまた記事にしたいと思います。
 金曜日の晩、ラズウェル細木さんの「酒のほそ道」というマンガ(単行本)を買って帰りました。37巻だったかな。1巻からすべて揃えているのですが、半年に1回しか発売しないので発売日が近づいてくるとそわそわします。私だけがそわそわするのではなく家族全員でそわそわする。息子は幼稚園入園以前からこのマンガに親しんでいて、漢字のいくつかは「酒のほそ道」で覚えたと言っていました(春、だとか)。
 
 前回この単行本が出る期間私はうっかり失念していて、家内か息子が買ってきたのを見て(あ、もうその時期なのか)と思い出しました。あのときはひと月後に出る自分の書籍のことで頭がいっぱいで、そちらにばかり気を取られていた。あれからもう半年近くたつのですね。
 書籍刊行の影響はやはり大きく、今年の自分の講演会はどんどん埋まります。二子玉川の回もーー教室開校記念講演なのでちょっと趣は違うのでしょうがーー半分ぐらいまで埋まってきているそうです。この調子ですと8月に入ってから、もう1度どこかでお話する機会があるかもしれませんね。どうもありがとうございます。
 
 活字には活字のよさがあり、お話にはお話のよさがあるのではないかと思っています。活字はずっと残るので何度も何度も個人的に読み返すことができますね。自分はぼろぼろになった本を何冊か持っていますが、それこそ20代のときからどれだけ読み返したかわかりません。
 お話はーー映像にでも残さないかぎりーー繰り返しというわけにはいきませんが、その場に生身の人間がいて身振りや手振りも交えるので瞬間の圧力みたいなものはとても大きい。言葉だけではなく全身で訴える要素が強いからですね。それだけに原稿の棒読みになってしまうと面白くありません。 
 
 お話するときには必ずメモを用意します。ただ文章化はなるべくしません。単語を見て瞬間的に組み立てていくほうが伝えやすいですし、何より印象的に伝えられます。
 たとえば「私は3年前にどこそこで幽霊を見たことがあります」ではつまらない。「幽霊というのは本当にいるのでしょうか。じつは3年前だったと思うのですがこんな事件が・・・」とお話したほうがよほど面白い。
 もちろんこれは比喩ですが、メモには3年前に幽霊を見た話ではなく、ただ幽霊とだけ書いておく。そして組み立てる。遊びの部分が大切ですね。
 
 
 
 
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2015.06.20 00:44

 私たちは誰も「このままでいいや」と決してあきらめてはいないと感じることがよくあります。人間というのはそういう生き物なのだと思いますよ。
 ご自身でちゃんとわかっている。自分はこんなものではないということがよーくわかっています。そうですね。この程度で終わる人間ではない。もっともっと大きくなれる。もっともっと質の高い人生を目指せる。そして、その考え方は間違いではない。どなたも例外なく、はるかに高い位置まで上がっていくことが可能でしょう。
 
 ところがここで1つ問題が出てきます。その高い位置というのが何かの数値や具体的な用語で安易に置き換えられてしまう。たとえば偏差値60とか、何とか高校合格とか、年収いくらいくらとか。本当の自分自身から出てきた数値や用語であればべつに問題ないのですが、実際はそうではないことが多い。大人でさえ無意識のうちに変なことになっています。漠然と「偉くなりたい」とか。
 するとどうなるか。心底向上したいという内側の飢えと外側のとりあえずの目標とが日々乖離していく。それでもうひとつ頑張りきれない部分がちらちら見えてくる。
 
 場合によっては、向上心がないように見られることさえあります。自分でも深い部分では燃えているのに、どうしてうまくいかないのか不思議で仕方がない。
 そういうときは1回外側から課せられた(自分でそうしているかも)具体的な目標を忘れてください。何々高校合格は忘れる。偏差値いくつも年収いくらもーーとりあえずーー忘れる。
 そして、自分1人で(他者を頼らない内省的な姿勢がすごく大切)自分は本当はどういう人間になりたいのか、どう輝きたいのか、世の中全体にどういう形で役立ちたいのか、静かに思いめぐらせてみてください。言葉にするというより、イメージの力が大切です。
 
 冷静に落ち着いて考えれば絶対に悪い方向にはいかないものです。もっとサボってやろうとかメチャクチャなことをしてやろうとか感じるのは現在の方向性がおかしいからであって、自分自身の意志で自分を世界のために活かすという観点に立てば、いままでとは全然違う自己像が見えてくるものです。
 進歩する心も向上心もちゃんとあるではないですか。そこからスタートしてくださいよ。いままでは「なりたい自分自身」のイメージが乏しい状況で、やたらに合格とか年収とか条件だけで力むからうまくいかなかったのです。
 
 こうやって日々ブログを更新している自分にしても、ふだん意識しているのは好ましい自己像を強めることだけです。いい記事を書こうとか授業をうまくやろうとか教室の生徒数を増やそうとか家族仲よく生きようとか、そういう個別の何かに飛びついてあたふたするようなことはありません。まずきちんとした自己像を意識して、そこから各分野におろしていく。そうすれば自分はこういう人間なのだからここはこうしようという知恵は必ず出てくるものです。
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2015.06.19 02:02

 よく「あいつはくだらないやつだ」というような言い方がありますね。おかしなことばかりしているとそんな評価を受けてしまうことがあります。もちろんそんな評価にならないほうがよいのであって、思慮深く正しい行動を積み重ねていきたいものだと思います。
 自分の場合、子どものころは本当に「くだらない」ことばかりしていました。くだらないどころか悪質ないたずらみたいなこともたくさんした。どういうわけかそういうことしか思いつかないのです。くだらない人間の典型だからでしょう。
 
 現在もやっているのかな。ラジオで「子ども電話相談室」というのがありました。それぞれが相談の電話をかける。面白い相談だと局側が判断したとき、ラジオに出演することができます。
 そこでーーくだらない私は考えたーー真面目な面白い質問をしてうまくラジオに出られたら突然大声で歌を歌ってみたらどうか? たぶん大騒ぎになるでしょう。そもそも法的にも問題がありますね。しかし当時はそんなことおかまいなしです。これは面白そうだ、ぜひやってみなければ・・・ということで、さっそく電話をかけました。
 
 当時、中学受験のために塾に通っていた。そこで塾のそばの公衆電話からかけた。大声で歌うつもりですから電話ボックスです。やはり同レベル(?)の友だちに「今日は歌うから聴いていてくれ」と伝えてある。
 タイガースとかテンプターズとかいわゆるグループサウンズというやつが大流行していた時代です。ここはしかしちょっとひねってカーナビーツかジャガースの曲を歌ってやろうと考えた。曲も決めていて「好きさ好きさ好きさ」か「マドモアゼル・ブルース」でいくぞ! と練習も積んだ。
 
 どうです。目まいがするぐらいくだらないでしょう?
 実際、何度も何度も電話をかけたのですがーーそのため塾には毎回遅れていくーーラジオ出演までは届かずじまいでした。惜しいところまでいったときもあった。練りに練った質問で出演が決まったと言われたのですが、時間が押して結局順番が回ってこなかった。うーむ・・・ですよ。友だちに「出なかったじゃないか」と言われ、今度こそ! と情熱を燃やして歌の訓練。おおっ! くだらない。
 私は所詮その程度の人間なのだと思います。それが少しだけ経験を経てましになった。
 
 ですからどんな生徒を見ても(あのときの自分よりははるかにましだ)となります。自分でさえこの程度までは更生(?)できたのだから、目の前にいるこの子なんかどこまで偉くなるかわからない。
 サボっている生徒を注意しながらも、よくそんなことを考えたりしています。
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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