2015.05.04 10:16

 今日から5連休です。
 以前もどこかで書きましたね。革靴を磨く話。子どものときは父親の靴も磨かされていました。日曜日の夜必ず磨く。自分の靴も磨く。
 私は靴を磨くのがけっこう好きなのです。トイレの掃除も好き。好きというと語弊があるかもしれないですね。靴が汚れていたりトイレが汚かったりすると気になって仕方がないという表現のほうが正しいかもしれません。自宅のトイレはもう10年以上自分で掃除していますし、靴もほかの人間に磨いておいてと頼むことはまずありません。
 
 街角の靴屋さんで磨いてもらったことは過去に何度かありました。どんなものだろうと思って磨いてもらった。旅先でそうしたこともありました。きれいになりますね。とてもきれいになる。ただ自分とやり方が違うのでどんなにきれいでも違和感が残ります。で、やはり自分で磨くようになった。
 私は靴墨を使わないのです。昔は使っていました。持っている革靴は黒い(すべて同じ型!)ですから黒い靴墨ですね。あれを塗って伸ばして磨いていた。つけすぎるとかえって光沢が悪くなります。そういうことも研究した。
 
 いまはまずざっと湿らせた生地で汚れを落としてから無色透明のクリーム(?)みたいなもので磨いています。具体的に商品名を書くと「ラナパー」というやつ。大昔、テレビの通販番組で見ていてこれはいいと思った。おじいさんが地味に説明しているところがとくによかった。
 一時期は地元のスーパーなんかでも扱っていたのですが、いまは入手しにくくなりました。思うに「ラナパー」が1つあればどんな革靴でも磨けてしまいます。黒でも茶色でもグレーでもぜんぶ大丈夫。するとほかの靴墨が売れない可能性があります。それで姿を消したのではないか。
 
 息子が最近は就職活動ということでスーツに革靴スタイルで出かけて行くことが多くなりました。私は彼の靴も磨いています。靴はおれに磨かせてくれとわざわざ言いました。で、就職面接のとき万が一その靴はだれが磨いたのかと訊かれたら「父です。靴磨きが大好きで磨かせてくれと言うのです」と答えてほしいと伝えました。
 他人の靴を磨いているときはその人のことを考えるものです。こんなところが汚れているがどこを歩いたのだろう? とか。
 
 そういう小さなことが人間生活の幸せですね。心をこめて息子の靴を丁寧に磨く。本来は自分でやらせるべきなのでしょうが、私自身の喜びが1つなくなってしまうのでいましばらくは磨かせてもらおうと考えています。
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2015.05.03 07:25

 昨日の朝日新聞(デジタル)に面白い記事が載っていました。まあ、当たり前のお話なのですが。
 小4~小6、中2、高2の子ども17000人と小4~小6の保護者の方7800人を対象に調査したそうです。
 もっと頑張れと親がいくら激励したところで子どもの生活力は向上しないという結論が出た。いくら頑張れ頑張れと念仏みたいに唱えてみたところで、効果はまったくないということですね。これは親だけではなく先生も同じだと思います。
 
 それよりずっといい方法が4つ出ていました。①ご自身の体験を話す。②山、森、川、海などの自然の中で遊ばせる。③家の手伝いをさせる。④読書。
 頑張れ頑張れの何倍も効果がありました。ふだんこのブログで書いていることとまったく変わりません。変わりませんが、さすがに私は17000人も生徒は見ていませんから改めて記事に残しておこうと思いました。
 頑張れというのは大人側の勝手な希望なのですよ。昔、こんなことがありました。
 
 お父さまが頑張れ、トップを目指せとつねに激励されていた。中学生の男の子です。もういやだと彼は私のまえで涙を見せた。1度涙がこぼれたら、あとからあとから湧いてきてとうとう声をあげながら泣きはじめました。こみあげてくる思いがあるのですね。
 ずるいよずるいよ・・・と。お父さんは自分はトップなんか目指していないじゃないか。会社でトップになろうとしていないじゃないか。僕はそのことを何も責めないのに、どうして僕だけこんなに責められなくちゃならないんだ!
 
 言葉の激励なんてそんなものです。魂がこもっていないことが多々ある。魂がこもるということは相手のことを本気で深く考えるということなので、逆に「安易に」頑張れとは言えなくなります。もし、お子さんに日々頑張れと言われたら・・・私なら自宅に帰りたくなくなりますよ。お父さん、本当に頑張ったの? 頑張って会社で1つでも上をめざしているの? 現状で満足していたら進歩がないのはわかっている? やればできるんだからもっと頑張って努力しなよ。
 どう考えても逆効果でしょう。それよりは上記の①~④までちょっと配慮してあげてください。どれもこれも今日からできることばかりです。
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2015.05.02 01:19

 歳をとって思いもかけないことを考えるようになりました。個人的なお話で、人さまのなさっていることとは関係ありません。あくまでも個人的な美学の問題です。
 最近、私は人前であまりにも流暢にお話したりするのはちょっと下品ではないかと考えるようになりました。若いころは思いもよらなかった発想です。
 たとえば授業でもあまりにもなめらかなのはちょっと何かがおかしいと感じるのです。予定調和という言葉がありますが、あまりにも予定通りすぎる。
 
 それでいいのかもしれないのですが、予定通りぴったり進むということは途中で新しい発見がほとんどなかったということになります。あれ? と自分で立ち止まる瞬間がなかった。生きることを本質的にとらえ直したとき、そうした要素が一切ないというのは本当に一生懸命生きているのだろうかという疑問が湧くのです。
 説明会や研究会、講演会すべてそうですね。国語の入試問題の説明をする。すらすらよどみなく・・・というのは当然のようでいて、見失っている何かもあるのではないか。
 
 最近は塾向けの学校説明会でも例のパワーポイントというやつが使われていて非常にわかりやすい。わかりやすいですが、先生方はあまり真剣に聞いていないように見えます。詳しい資料をあとで確認すればいいやというゆるさを感じます。
 大昔、聖人がお説教なんかをされていた広場(?)にはパワーポイントどころかマイクもないわけですね。何百何千人もの群集が集まっていれば、後方は聞こえるはずがない。聞こえないだけではなく話者の姿も見えないでしょう。それでも確実に伝わってくるものがあったからこそ人が集まった。コミュニケーションというのは視覚聴覚だけのものではありません。
 
 準備しないのは論外ですが、準備しすぎるというのもよくないような気持ちになるのです。なめらかさがよくない。くれぐれも私個人のお話ですからそこは誤解なさらないでください。私個人に限って言えば、なめらかにーーつまり楽にやろう、うまくやってやろうーーという発想がちょっと・・・ということです。たどたどしく「えーと」と立ち止まる部分を残しておきたい。
 若いころのデートを思い出しますよ。前もって行くお店なんかを下見して完璧に準備しておくと、けっこうつまらなかったりしました。2人で作り上げていく生き生きとした瞬間が「予定」で塗り固められてしまうからなのでしょう。
 
 とはいえ・・・説明会や講演会でわざとたどたどしいというのも問題です。どの程度にしたらいいのか? そんなことに悩むようになってきました。歳をとるといろいろありますね。
 
 
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2015.05.01 01:12

 いろいろ不思議な出来事がありますが、最近個人的にいちばん興味をひかれたのは千曲川河川敷に作られていた謎の石造のニュースでした。どこのどなたが作っているのかわからない。だんだん大きくなってくる。やがてある男性が作っていたということがわかりました。無許可で危険物でもあるというので粉々に破壊されてしまったみたいです。壊される映像は私は見ていません。見たくないという気持ちがあります。
 石造をはじめて見たときは非常に心うたれました。巧拙は判断できませんが、真剣に作っていることはストレートに伝わってきた。
 
 子どものいたずらみたいなものではないですし、気まぐれでちょっとやってみたという類のものでもない。何かよほどの祈りがこめられているのではないかと想像しました。いわゆる鎮魂という要素まで感じた。
 相当話題になっていましたからね。ああいうのは県知事さんだとか市長さんだとかが「地域の誇りとしてどこかに飾りましょう」ぐらいのことをおっしゃってもばちはあたらないのにとちょっと思いましたよ。河川敷では、確かに濁流に飲まれたりして流れていくと危険ですからね。
 
 55歳の男性で、小さいころから工作が大好きで趣味が高じて思わず作ってしまったという記事を読みました。反省されているそうです。夜中に来て作業されていたみたいなので、石造は目立ってもご本人が目立つのは本意ではなかったのでしょう。
 本質的に芸術家タイプなのだと思います。完成させたところでお金になるわけではない。また地位や身分が向上するわけでもない。ご親族の誇りになることもない。ひたすら作りたいという欲求、自己の深い部分にある何かを表現したいという気持ちの噴出だったのですね。
 
 私は自分も同類であるという気持ちを持っています。たとえば今週の水曜日、私は朝6時まえに起きて昔書きかけていた小説の続きを書いていました。それこそ何のあてもない。家族にも一切見せませんから私1人だけのために書いているのです。
 お金にはならない。仕事とも関係ない。それでもひたすら書きたくなるときがあるのです。書きたくなるときというより・・・画面をあけてしまうと、自然に没頭してしまうのです。古いワープロですからもう印刷すらできないかもしれないですね(インクリボンというのはまだ売っているのですか?)。
 
 形になるならないはもうどうでもいいのです。
 少年期のいちばん大切な思い出が、じつは錯覚だったということに何十年もたって気づいて呆然とする中年男の話。何だかつまらなそうでしょう? 他人が読んだらつまらないだろうなと意識しながらひたすら細部に凝る。もはや世間の価値基準は何もないですよ。何もかも消えてしまった静けさだけがあります。やたらと静かです。
 石造を作られた男性もきっとそんな気持ちだったのではないかと想像します。壊されてしまったのはちょっと気の毒ですね。いや、また何か作るな。へこたれていないと思いますよ。
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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