2015.05.30 00:26

 昨日はどこかで雨が降るだろうという天気予報でした。玄関を出たところで一応空を見たのですが、その時点では降っていなかったので傘は持たずに出ました。途中で、そうだお香を買って行こうと思いたちました。荻窪と青山によく行くお店があります。今日は青山かなと考えた。単純な好みの問題ですね。
 原宿で下りて地下鉄に乗りかえる。そのとき非常に細かい雨が降っていました。青山を歩き回るなら傘を用意しておくべきだったか・・・という思いがちらりと脳裏をよぎりました。
 
 しかし、ここが大切なところです。「用意しておくべき」などという観念は本当は不自然なのです。生きるというのはもっともっと躍動的で変化に富んでいて、前もって緻密な作戦をたてて用意できるようなものではないはずです。いつも完全に準備できるということであればその対象物は死んでいます。生きていれば必ず変化が起きます。
 私はすぐに気持ちを切り替えました。表参道の駅を出て雨が降っていたらビニール傘を買う。降っていなかったらーーあたりまえですがーーそのまま手ぶらで歩く。確率的には降っている可能性のほうが高いかなとも思ったのですが、地上に出てみると大丈夫そうでした。そこでお香を買って落ち着いて教室に来ました。
 
 落ち着いてというところも大切です。雨が落ちてこないうちに・・・などと慌てて走ったりしない。途中で降ってきてもビニール傘を買って青山の雨を楽しみながら歩こうという覚悟ができていました。雨が降る降らないどちらがいいという先入観を持たない。余計なことを想像することで、自らにダメージを与えないということです。
 私たちはだいたい「事件」を自分に触れさせることで混乱を招いています。雨が降る降らない程度のことでもそうです。わざわざ「触れ」て(くそーっ!)と心をざわつかせる。事件は事件でも触れないでいることは可能です。
 
 いろいろ面倒なことが自分の生活には起きているのですがーーそしてこんなことをわざわざ公表するのは何らかのご参考になれば程度の気持ちなのですがーー私自身の幸不幸にはまったく影響していません。私は以前もいまも同じぐらい幸せです。
 要するに私は、面倒な事件を私に触れさせていません。比喩的に書けば、雨が降るなら傘を買い、傘がなければ濡れて歩く、耐え切れなければ雨宿りするというだけのことです。間違っても雨そのものを止めようとは考えませんし、ここで雨にあう自分は誰よりも不運であるとも考えません。
 起きていることにいいも悪いもない。意味を与えるのはあくまでも自分自身です。
 
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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