2015.05.11 08:59

 最近読んだのですが、コーヒーや緑茶をたくさん飲んでいると健康にとてもいいそうですね。罹患率や死亡率が、まったく飲む習慣のない方たちと比べて著しく減少すると書かれていました。相当たくさんの事例を調べたようですから、確かにそういう事実はあるのだと思います。
 で、ここからが面白かった。緑茶やコーヒーの成分の何々が健康にいいというようなことがさかんに話題になっていました。神経を休めるのだろうとか悪い病気を予防するのだろうとか。
 そういうことだけではないと思いますよ。
 
 自分も日に2~4杯ぐらいコーヒーを飲みます。最低で2杯、最高で4杯ということですね。コーヒーを飲む時間は自分にとっては非常に落ち着く瞬間で、行為自体に多幸感と言っては大げさですが何かが宿るように思います。
 あれをそれこそサプリメントみたいに摂取したところでうれしくも何ともないですよ。そもそも安らがないでしょう。コーヒー1杯と同成分の錠剤を手っ取り早く飲む。それで同じ意味を得られるわけがない。
 
 要するにゆっくりコーヒーなり緑茶なりを飲むという発想、その行為自体に成分以上の大きな意味があるのではないかと考えるのです。
 自宅でコーヒーを飲むとき、私はだいたい香を焚いています。音楽も流していますね。ソウル・ミュージックが多いかな。そしてコーヒーを飲みながら占いのカードを引き、さらに日記を書く。大きめのマグカップを使用しているのでゆっくり他のことをしていてもコーヒーは少し余る。余ったものは冷えてしまうのですが、いつまでも残しておきたい気持ちもある。幸せな時間を引き延ばしたいのですね。
 
 愛もまた同じだと思います。愛が大切であるとはあちらこちらで提唱されています。愛という概念について哲学や宗教で難しく論じられ、私たちの多くが愛情深くあるべきであるというそれなりの信条を抱いています。
 それらの「信条」はしかし場合によっては錠剤に近いかもしれません。愛情というのはもっと自然な行為の発露であるべきで、かわいそうだなとかこうしてあげたら喜ぶかなというごくごくあたりまえの思いやりの積み重ねのなかで本来の力を発揮するのではないでしょうか。
 
 自分で言えば、たとえば生徒が黒板を見にくそうにしているときは説明の最中でもさっと身体を引いてやるとか、息子が何かで困っているようであれば自宅を出るときに手紙を置いておいてやるとかーーそんなことを仰々しく愛だぞ! とは言わないでしょうーーそれでも自然の行為の中に宿る何かがあるのだと思います。
 コーヒー、緑茶に限らず何でもかんでも成分単位に分析するだけで原因や理由がわかるはずだという盲信は、ある意味本質を見逃す可能性がありそうですね。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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