2015.05.07 02:13

 連休なのでうろうろしています。行きたくてもなかなか行けなかったところを見て回る。
 昔、新宿から大森までバスが出ていました。相当の距離がありますね。それがいつのまにか2つの路線に分割されるようになった。野沢銀座のあたりで切断された。私は何度も何度もそのバスに乗りました。野沢銀座からは五反田や大森行きのバスに乗り継ぎました。
 ところが最近気づいたのですが、その野沢銀座までさえ行けなくなっています。新代田で終点になっている。
 
 以前、名古屋在住の昔の生徒からコメントをいただいたことがあります。Z会に勤める以前に教えていた生徒です。勉強ができるだけでなくすごく人生がわかっている子でした。1980年代のことです。10年ひと昔というくくりでいったら、大昔ですね。
 野沢銀座のバス停の近くにネジの会社がありました。私は授業中その話をした。ああいうネジ屋さんで堅実に働くというのは人間生活の美しさだと思うと話した。それができない自分は何なのかということまで話しました。その話を強烈に覚えているというコメントをいただいた。
 
 当時、私はーーこういう話は大げさに書いているわけではありませんーー小説を書いていて、いずれはノーベル文学賞をとろうと考えていました。男一代の目標ということであればやはりノーベル文学賞だろうと。時期も明確に意識していて、周囲には2025年と吹聴していた。
 そういう日々に忽然とそのネジ会社は私の目の前に現れた。遅い時間にどなたかが働いている気配が感じられる。何だかやたらと恥ずかしくなりました。何がノーベル文学賞だよという気持ちになる。
 
 こういうところで地道に働いてこそ生きるということではないかと直観的に気づいていたのでしょうね。しかし、それを全面的に認めてしまうと10代からの自分の生き方を全否定しないといけない。みんなが当たり前に勉強しているときに「ごくろうさん」などと笑っていた日々が、すべて強がりでしかなかったという事実を認めざるをえないことになる。その不思議な葛藤や矛盾の正体を確認したいがゆえに、あえて何度も何度も野沢銀座に足を運んだ時期がありました。
 
 ネジの会社はもうなくなっていました。周囲を歩きながら、若いころの勘違いを全面的に受け止められる柔らかさだけはまだ残っているなというようなことを考えましたよ。
 そうそう、新代田のバス停のまえで偶然知っている方ーー新宿にある飲み屋さんの女性オーナーですーーに遭遇しました。しかし私は恥ずかしくて声をかけられなかった。歳をとった私が10代の少年少女に少しでも好かれるのは、こういうところだと思います。私はいろいろなことが恥ずかしいのです。しかし、それは罪ではないのですよ。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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