2015.05.06 00:32

 連休中なので記事はしばらく休もうとも思ったのですが、4日のページビュー数を確認してみたところ6244と記録されていました。6244というのはーー自分で書くのも何ですがーーすごいですよ。それだけ多くの方が楽しみにしてくださっているのだと感激しました。感激してまあ、少し更新していこうと考えました。
 息子が就職活動をしている話は何度か書きました。私は彼にこういうことを伝えています。基本的な自分の姿勢についてです。
 
 私は過去、何かのリーダーになろうとか社会的に偉くなろうとかあまり考えてきませんでした。そういう意味で、たとえば都立高校のトップ校を目指している方たちとは人種が違うのかもしれません。いい悪いの話ではないですよ。私は彼らのことをもちろん尊敬していますし、私が彼らにーー生徒であってもーー敬意を抱いていることは伝わっているとも確信しますが、私自身はそういう過酷な生存競争に耐えられる人間ではないということです。あくまでも吟遊詩人(?)として生きているのです。
 
 ただ私はつねに概念としての神に近づこうという気持ちは持っています。私個人は何教の信者でもないので特定の神さまを信じることはありません。形式的なものは何も持っていない。しかし、つねに概念としての神さまは意識しています。
 ブログにも繰り返し書きました。迷ったときは(ブッダならどうするだろう?)と考える。これは神さまならどうするだろう? というのと同じ意味です。この発想はどんな小さなことにも応用するようにしています。
 
 生徒がカンニングをしていた、授業中にこっそりお菓子を食べていた、ウソばかりついている、あるいはほかの先生から「あの子は落ち着かないので何とかしてください」と指摘された。
 生活の上でもそうですね。何かの理由で人にご馳走する必要が出てきた、どなたかにお詫びをしなければいけない、健康についてちょっと不安なことがある、あるいは今日の昼はどこで何を食べよう? そんな小さなことも、概念としての神さまならどうするだろうということを意識する。
 
 世の中を少しでもよくしていくことはどうしても必要で、このままでは非常にまずいというのは指摘される通りでしょう。システムをどう構築していくかという問題はつねに存在しますが、私自身は個々人がもう少し根本的に目覚めようという発想が必要なのではないかという気持ちを持っています。と同時に、神さまであればそうしたことを他者に強いることはないとも感じるのでめったにそんな話はしません。
 ただ迷われたときーーひょっとするとこういう発想は何かの役にたつかもしれませんーー全世界で現在もてはやされている何とか先生ではなく、神さまならどうするだろうと考えてみる。
 
 息子? 私には何も言いません。家内には「お父さんはちょっとあれ(あれって何だよー!)なので全然参考にならないぞ」と嘆いていたそうです。
 それはそれです。届かない声のよさというものがある。神さまなら「伝わらないことも伝わっている」とおっしゃると思います。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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