2015.05.02 01:19

 歳をとって思いもかけないことを考えるようになりました。個人的なお話で、人さまのなさっていることとは関係ありません。あくまでも個人的な美学の問題です。
 最近、私は人前であまりにも流暢にお話したりするのはちょっと下品ではないかと考えるようになりました。若いころは思いもよらなかった発想です。
 たとえば授業でもあまりにもなめらかなのはちょっと何かがおかしいと感じるのです。予定調和という言葉がありますが、あまりにも予定通りすぎる。
 
 それでいいのかもしれないのですが、予定通りぴったり進むということは途中で新しい発見がほとんどなかったということになります。あれ? と自分で立ち止まる瞬間がなかった。生きることを本質的にとらえ直したとき、そうした要素が一切ないというのは本当に一生懸命生きているのだろうかという疑問が湧くのです。
 説明会や研究会、講演会すべてそうですね。国語の入試問題の説明をする。すらすらよどみなく・・・というのは当然のようでいて、見失っている何かもあるのではないか。
 
 最近は塾向けの学校説明会でも例のパワーポイントというやつが使われていて非常にわかりやすい。わかりやすいですが、先生方はあまり真剣に聞いていないように見えます。詳しい資料をあとで確認すればいいやというゆるさを感じます。
 大昔、聖人がお説教なんかをされていた広場(?)にはパワーポイントどころかマイクもないわけですね。何百何千人もの群集が集まっていれば、後方は聞こえるはずがない。聞こえないだけではなく話者の姿も見えないでしょう。それでも確実に伝わってくるものがあったからこそ人が集まった。コミュニケーションというのは視覚聴覚だけのものではありません。
 
 準備しないのは論外ですが、準備しすぎるというのもよくないような気持ちになるのです。なめらかさがよくない。くれぐれも私個人のお話ですからそこは誤解なさらないでください。私個人に限って言えば、なめらかにーーつまり楽にやろう、うまくやってやろうーーという発想がちょっと・・・ということです。たどたどしく「えーと」と立ち止まる部分を残しておきたい。
 若いころのデートを思い出しますよ。前もって行くお店なんかを下見して完璧に準備しておくと、けっこうつまらなかったりしました。2人で作り上げていく生き生きとした瞬間が「予定」で塗り固められてしまうからなのでしょう。
 
 とはいえ・・・説明会や講演会でわざとたどたどしいというのも問題です。どの程度にしたらいいのか? そんなことに悩むようになってきました。歳をとるといろいろありますね。
 
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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