2015.05.01 01:12

 いろいろ不思議な出来事がありますが、最近個人的にいちばん興味をひかれたのは千曲川河川敷に作られていた謎の石造のニュースでした。どこのどなたが作っているのかわからない。だんだん大きくなってくる。やがてある男性が作っていたということがわかりました。無許可で危険物でもあるというので粉々に破壊されてしまったみたいです。壊される映像は私は見ていません。見たくないという気持ちがあります。
 石造をはじめて見たときは非常に心うたれました。巧拙は判断できませんが、真剣に作っていることはストレートに伝わってきた。
 
 子どものいたずらみたいなものではないですし、気まぐれでちょっとやってみたという類のものでもない。何かよほどの祈りがこめられているのではないかと想像しました。いわゆる鎮魂という要素まで感じた。
 相当話題になっていましたからね。ああいうのは県知事さんだとか市長さんだとかが「地域の誇りとしてどこかに飾りましょう」ぐらいのことをおっしゃってもばちはあたらないのにとちょっと思いましたよ。河川敷では、確かに濁流に飲まれたりして流れていくと危険ですからね。
 
 55歳の男性で、小さいころから工作が大好きで趣味が高じて思わず作ってしまったという記事を読みました。反省されているそうです。夜中に来て作業されていたみたいなので、石造は目立ってもご本人が目立つのは本意ではなかったのでしょう。
 本質的に芸術家タイプなのだと思います。完成させたところでお金になるわけではない。また地位や身分が向上するわけでもない。ご親族の誇りになることもない。ひたすら作りたいという欲求、自己の深い部分にある何かを表現したいという気持ちの噴出だったのですね。
 
 私は自分も同類であるという気持ちを持っています。たとえば今週の水曜日、私は朝6時まえに起きて昔書きかけていた小説の続きを書いていました。それこそ何のあてもない。家族にも一切見せませんから私1人だけのために書いているのです。
 お金にはならない。仕事とも関係ない。それでもひたすら書きたくなるときがあるのです。書きたくなるときというより・・・画面をあけてしまうと、自然に没頭してしまうのです。古いワープロですからもう印刷すらできないかもしれないですね(インクリボンというのはまだ売っているのですか?)。
 
 形になるならないはもうどうでもいいのです。
 少年期のいちばん大切な思い出が、じつは錯覚だったということに何十年もたって気づいて呆然とする中年男の話。何だかつまらなそうでしょう? 他人が読んだらつまらないだろうなと意識しながらひたすら細部に凝る。もはや世間の価値基準は何もないですよ。何もかも消えてしまった静けさだけがあります。やたらと静かです。
 石造を作られた男性もきっとそんな気持ちだったのではないかと想像します。壊されてしまったのはちょっと気の毒ですね。いや、また何か作るな。へこたれていないと思いますよ。
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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