2015.05.31 01:01

 先日ある男性の先生にお手紙を書いていて、ああそう言えばそんなことが・・・と思い出したことがあります。小学生のころ、私はある進学教室に通っていました。毎週日曜日にテストと解説授業がありました。会場が現在の上智大学。会場はあちらこちらに移動しましたが、とにかくある時期は上智大学でした。
 地下鉄の四谷駅前に交番があり「たずねびと」のちらしがたくさん貼られていました。行方不明の方ですね。現在とは比べ物にならないぐらい掲示されていた。ネットも何もない時代で、そんな方法しかなかったのだと思います。
 
 それを私は1人で丹念に読んだものです。何度も何度も読んだ。読んで、さらに考え想像した。具体的なことは何も覚えていないのですが、突然失踪したというのが不思議で本当に繰り返し読みました。身体的な特徴なんかも暗記するぐらいになりました。何だかわからないものの不気味な感じでわくわくする。考えようによっては不謹慎きわまりないのですが、とにかく小学生には刺激的(?)で文字通りどきどきしながら毎週記事に見入っていました。
 ある日、自宅に帰ってくると「帰りが遅い」と注意された。何をしていたのだと問われて、とっさに街中をぶらぶらしていたと嘘をつきました。
 
 小学生のくせに1人で盛り場をうろつくとはとんでもないやつだと叱られましたが、自分としてはたずねびとのちらしを繰り返し熟読していたと本当のことを告げるよりは若干健康的(?)な印象を与えるのではないかと判断したのです。たずねびとのちらしを帰りが遅くなるほど夢中で読みふけるのは子ども心にもやはり不健康な感じがしました。
 いまから30年ぐらいまえでしょうか、テレビで公開捜査という番組をやっていました。火曜日の正午。これまた私は欠かさず見ていました。講習のときは必ず録画しておいて夜中に見る。場合によっては繰り返し見る。
 
 ご近所の方が出てきたときは、さっそくそのお店(お店のある方が蒸発したというお話でした)まで行ってみました。その情熱たるや。やっぱりちょっとかたよっていますね。
 最近はインターネットで不可解な事件がたくさん報じられています。本当の出来事もあるでしょうし、嘘も混じっているかもしれません。それを夢中になって読んでいるといつのまにか朝が来ています。
 こういうのは興味のない方には全然面白くないでしょう。息子なんかまったく興味を示しません。人それぞれですね。ただ私はそういう人間です。ちょっと変かな? と思ったりはします。
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2015.05.30 00:26

 昨日はどこかで雨が降るだろうという天気予報でした。玄関を出たところで一応空を見たのですが、その時点では降っていなかったので傘は持たずに出ました。途中で、そうだお香を買って行こうと思いたちました。荻窪と青山によく行くお店があります。今日は青山かなと考えた。単純な好みの問題ですね。
 原宿で下りて地下鉄に乗りかえる。そのとき非常に細かい雨が降っていました。青山を歩き回るなら傘を用意しておくべきだったか・・・という思いがちらりと脳裏をよぎりました。
 
 しかし、ここが大切なところです。「用意しておくべき」などという観念は本当は不自然なのです。生きるというのはもっともっと躍動的で変化に富んでいて、前もって緻密な作戦をたてて用意できるようなものではないはずです。いつも完全に準備できるということであればその対象物は死んでいます。生きていれば必ず変化が起きます。
 私はすぐに気持ちを切り替えました。表参道の駅を出て雨が降っていたらビニール傘を買う。降っていなかったらーーあたりまえですがーーそのまま手ぶらで歩く。確率的には降っている可能性のほうが高いかなとも思ったのですが、地上に出てみると大丈夫そうでした。そこでお香を買って落ち着いて教室に来ました。
 
 落ち着いてというところも大切です。雨が落ちてこないうちに・・・などと慌てて走ったりしない。途中で降ってきてもビニール傘を買って青山の雨を楽しみながら歩こうという覚悟ができていました。雨が降る降らないどちらがいいという先入観を持たない。余計なことを想像することで、自らにダメージを与えないということです。
 私たちはだいたい「事件」を自分に触れさせることで混乱を招いています。雨が降る降らない程度のことでもそうです。わざわざ「触れ」て(くそーっ!)と心をざわつかせる。事件は事件でも触れないでいることは可能です。
 
 いろいろ面倒なことが自分の生活には起きているのですがーーそしてこんなことをわざわざ公表するのは何らかのご参考になれば程度の気持ちなのですがーー私自身の幸不幸にはまったく影響していません。私は以前もいまも同じぐらい幸せです。
 要するに私は、面倒な事件を私に触れさせていません。比喩的に書けば、雨が降るなら傘を買い、傘がなければ濡れて歩く、耐え切れなければ雨宿りするというだけのことです。間違っても雨そのものを止めようとは考えませんし、ここで雨にあう自分は誰よりも不運であるとも考えません。
 起きていることにいいも悪いもない。意味を与えるのはあくまでも自分自身です。
 
 
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2015.05.29 08:53

 私が通っている西荻窪の理髪店は、ご高齢のご主人がものすごく丁寧でいいお店です。話せば長いことながらーー短くまとめますーーじつは私は30代の半ば、ある占い師さんにあなたは53歳のときに脚光を浴びますと言われたことがありました。それを頼りにしていたとかすがっていたとかではないのですが、いよいよ53歳になる年度を迎えてそう言えば・・・と思い出し、ちょっと髪型などはきちんとしようかなと考えたのです。
 で、その前年ぐらいからいくつかの理容室に行ってみて、最後の最後にその理髪店に行きついたというわけです。
 
 技術的レベルももちろん非常に高い。それはすぐにわかりました。そして丁寧です。上手なのに丁寧。さらに年下の私がこんな書き方をしては失礼かもしれませんが、ご主人は大変な人格者でもあります。それもまたすぐにわかりました。そういうものですね。
 正直、価格は少し高い。銀座や青山なんかでは普通かもしれませんが、西荻窪界隈ではーー私が行った中ではーーいちばん高かった。ただまったく気になりません。ためになるお話もたくさん聞けるうえに上手に髪を刈ってもらえるわけですから、こちらとしてはまったく文句はありません。
 
 技術者の方の人格はけっこう大切だと思うことがあります。
 以前、飲み屋さんでちょっと気に入っていたお店がありました。以前と書いたのは現在は行かなくなってしまったからです。すごくおいしいものを提供しているのですが、ご主人がちょっと意地悪なのですね。従業員の方も同じ感覚があった。まごまごしているお客さんを(うちには合わないから帰ってくれ)的に扱う。あるいはお客さんとの会話で、野良猫なんか皆殺しにしてしまえばいいんだというようなお話をされる。
 私個人はよくしていただいていたのですが、やっぱりちょっと違和感が出てきて通わなくなってしまいました。
 
 理髪店のご主人が最後の最後の仕上げにヘアクリームをつけてくださるのですが、これがじつに心がこもっていて毎回感動します。両手に薄くのばし細やかに細やかに髪につけていく。目を凝らしながらの不思議なつけ方なので、思わず丁寧につけてくださるのですねと声に出しました。すると「こういうのは髪の裏側につけるのです」とおっしゃる。
 散髪したての髪にクリームをつけることぐらいわけないですよ。それをあえて時間をかけてじっくり行う。勉強もこれぐらい丁寧に慎重に「裏側」まで配慮しながらするべきなのでしょうね。
 
 べつの世界の優秀な方がなさっていることというのはすごく参考になりますね。共通項としてやはり丁寧さはあるように感じます。
 なぜか? 愛情が深いということだからでしょう。丁寧=いつまでもこうしていたい、ぐらいの感覚ですからね。心をこめて愛情深くやっているものが得意にならないわけがないのです。
 うまくいかないのはどこかに雑な要素や、成績でいえば「目先の点数だけ上がればいい」「早く終わらせたい」といった殺伐とした感情が隠れているからだと思います。
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2015.05.28 00:37

 先日主婦と生活社の編集者の方から久しぶりにご連絡をいただきました。拙著「励ます力」が新宿の紀伊国屋書店さんでずっと売れ続けて(?)いるので、今後の展開についてご相談くださるというお話でした。何か質問はありますか? とも訊かれましたが、私としては置いていただけるだけでありがたいのでとくに要望みたいなものは出しませんでした。
 特定の本と特定の書店さんとの相性というのは、やっぱりあるそうです。ご縁ということなのでしょう。
 
 今年も渋谷教室で私は小さな講演会を実施するのですが、やはり反響が大きく1回目の定員70名も2回目の定員100名もどちらもあっという間に満員になってしまいました。昨年度まではここまでは集まってはくださらなかったので、これまた書籍の影響は大きいと感じます。
 基本的に私は何かを書くにせよどこかでお話するにせよ、関係ある方々に少しでも希望を持っていただきたいという強い気持ちを持っています。世の中にはいろいろな考え方があり地位のある方の「絶望するしかない」というような意見もときどき耳にしますが、私の姿勢はどんな瞬間にも希望はあるはずだという考えで一貫しています。
 
 陸軍中佐だった祖父が「戦場でさえ選択肢がある」というような不思議な発言をしていた話は以前も書きましたが、いまになってみるとそういう意味に近いことを表現したかったのではないかと感じることがあります。戦傷を負った祖父は晩年言葉が少し不自由でしたし、私も私で幼かったので真意をきちんと理解することができなかったのですが、こうやって勝手な想像ができるのはある意味で幸せなのかもしれません。
 私はーーそれこそ勝手にーー祖父の言葉もまた自分の人生観を補強する材料の1つとして解釈しています。
 
 書籍が売れないというお話はよく聞きます。確かに皆さん電車のなかでもスマホばかりご覧になっていますね。私個人は所有していないのでよくわかりませんが、家内も息子もそうなのでしょう。また有名な小説家の新刊が初版1万部程度(!)であるという記事も何かで目にしました。それでは生活できませんから皆さんたくさん書いて次々出版しなければならない。本意ではない方もいらっしゃるでしょう。
 ただそういう時代であれば、淘汰されてホンモノだけが残るという気持ちもあります。平安時代や鎌倉時代でさえいい作品は残っている。それこそ戦場で希望が見つかるのであれば、どういう状況下でも希望は創造できると信じたいですね。
 
 「励ます力」の出版は個人的に本当にうれしかった。ただ、喜んでばかりいてはだめなのであって、私がやるべきことはここを1つの突破口として希望の輪を広げていくことでしょう。書籍の販促活動もブログの記事も講演などもーーもちろん授業や面談もーーありとあらゆる機会を光をともすきっかけにしたい。
 厳しい時代だからこそ、声を上げる意味がありましたね。まだまだまだ旅は続きます。むりをせずエレガントに支えていくつもりです。励ます力ですよ。
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2015.05.27 08:44

 息子が家内を相手にお辞儀の練習をしていました。就職面接があるのでしょう。いまさらお辞儀の仕方もないだろうとは思うのですが、確認したいことがあるらしく何度も何度もやっていました。
 就職試験でも高校入試でも同じだと思うのですが、面接官はその人間の「背景」まで見ています。表情や言葉の向こう側にあるものを感知しようとしている。表情や言葉は偽れても背景までは偽れないからですね。どうしても滲み出てしまう。
 
 乱暴な人間であれば乱暴さが、いい加減に生きていればいい加減さが滲み出てくる。感知するのは難しいことではありません。恋愛のときなんかにどなたでも相手の背景をそれとなく嗅ぎ取っているのと同じです。
 理由もなくひかれるとか理由もなく相手にされなくなったなどと言いますが、理由は背景にある。ただそれを的確に表現できないだけです。容姿だとか服装だとか年収だとかであれば具体的に指摘できますが、背景はなかなか具体的に指摘できません。そこは複雑な要素もあると思います。
 
 ですから人間が他者から評価されるためには背景も鍛えなくてはならない。どうしたら背景を鍛えらるか?
 やはりその人間らしくまっとうに全力で生きるしかない。他者の真似をするのではなく、その人らしくです。「私は世の中でリーダーとして生きていきたい」というのであれば、言葉に恥じないように日々リーダーらしく生きる。将来リーダーになる人はこの瞬間もリーダーであるべきです。学校や職場で皆さんをきちんと引っ張っていますか? 全然やる気のない人のことも含めてです。リーダーが批判ばかりしていたら、集団はうまくいきません。やる気のない人も鼓舞できてこそリーダーでしょう。
 
 私自身は全然リーダー的な人間ではないので、そういう方だけを評価しているわけではありません。内気だけれどもご自身のことをよくわかっていて、内気なら内気なりに世の中の役にたとうとしている人を見るとたいしたものだなと感心します。
 人間は個人で生きているわけではないので、そうやって世の中全体のことを力まずに考えられるというのは非常に大きな能力だと思います。ご自身のことをわかっていらっしゃるというだけで大きな進歩。そこからいいことがたくさんできると思います。
 
 学校なら進学先の学校で、就職なら入社したあとの会社で、世の中のために自分がどういうことができるかということを考えて実行する。そのための勉強であり、お仕事ですね。それぐらいのことまで考えてはじめて背景がしっかりしてくるのだろうと思いますよ。
 面接試験がいろいろ控えている方、どうかあなたの「背景」にまで心を配ってみてください。うまくいくことをお祈りしています。
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2015.05.25 09:27

 いわゆる「きれいごと」みたいになってしまうのでためらう気持ちもあるのですが、事実は事実ですから書いてみようかな。読んでくださっているーーとくにお若い方がーーそんな考え方もあるのかと思ってくださったら幸せです。
 先日、各教室の目標を教室長から発表する会議がありました。Z会進学教室の全体会議というやつですね。数字なんかはいろいろ苦心しなければいけないのですが、それとは別に私は皆さんのまえで「これからは生徒の忘れていったお弁当箱をぜんぶ自分で洗います」と宣言しました。
 
 忘れ物のお弁当箱については先月書きましたね。他教室の教務の方が「洗っておきました」と日報に書かれていたのを見て感激した話。あれから私はずーっと洗おう洗おうと狙っていたのですが、やっと昨日第1号の忘れ物お弁当箱が出てきました。やったー!(そこまで喜ぶことはないか)ということで、さっそく洗剤とスポンジを買ってきて洗いましたよ。
 私はZ会進学教室で最年長です。最年長の自分が率先して洗う。授業をきちんとやるのは当たり前ですが、それ以外でもできる限り思いやりを持つ。実際の行動にあらわすことが大切だと考えています。
 
 大げさに言えば世の中を少しでもよくするというのはそういうことではないか。誰かがきちんと行動に移すことでーーお弁当箱を洗うという行為ではなくてもーー思いやりの感情を外に出される方が連鎖反応的に増えないともかぎりません。
 私はZ会進学教室のパンフレットにも自分が一生懸命忘れ物のお弁当箱を洗っている写真を載せてほしいと思ったりしますが、まあそれは実現しないでしょうね。実現しないでしょうが、案外そういう部分に教室の本質が隠されているとも思っています。温もりですね。
 
 夏休みはけっこう皆さんお弁当箱を忘れますからね。Z会進学教室(高校受験部)渋谷教室のお弁当箱はぜんぶ私が洗いますから、安心してじゃんじゃん忘れてください。
 昔、深く考えずにお弁当箱を洗っていた時代がありました。中身が大量に残っているときがある。(体調が悪かったのかな?)と気になったものです。こういうことを通してわかることがたくさんあるなと考えた。ところが、いつのまにかーー半ば意識的にーー避けるようになっていました。
 同じ人が忘れていくケースもあるのです。またこのお弁当箱か! ということが。何となく愛着が湧いてきたりして・・・まあ、楽しいですね。ぜんぶ楽しいと言えば人生楽しいことばかりです。
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2015.05.24 00:06

 昔、ある生徒が問題を起こしたのではないか(事実関係がはっきりしない)ということがありました。大事件というわけでもなかったのですが、他の生徒にも少し関係することでしたのでご本人を呼びました。そして、これこれこういう噂を耳にしたのだが本当かね? と質問しました。
 すると彼は「は?」と答えました。なるほど、世の中にはこういう反応の仕方があるのかと私は何となく感心しましたよ。ご本人の強く抗議したい気持ちが伝わってきた。そこで「事実でないのならそれでいいんだよ」と言ってその場は終わりました。
 
 ところがやっぱりそういう事実があったということがあとになってわかりました。要するに彼はごまかそうとしたのですね。その心理もとてもよく理解できます。後日もう1度来てもらって注意はしましたが、強く叱ったりはしませんでした。子どもっぽいいたずらであり、目くじらをたてるほどのお話ではありません。
 私としてはむしろ「は?」が印象に残りました。何か質問されて「は?」という答え方がどれぐらい世の中に定着しているのだろうという興味が湧いてきたのです。
 
 はたして先日の読売新聞の夕刊に「は?」というのはいちばん嫌われている口癖であるという記事が載っていました。あのときの私はそこまで嫌悪感を抱きませんでしたが、それは相手がよく知っている生徒だったからだと思います。快活な彼のいいところをたくさん知っています。たまたまそのときは「は?」という反応になったものの、長所が消えてしまったわけではありません。あくまでもいいやつはいいやつなのですよ。
 しかし、一般的に考えるとやっぱり好印象は持たれないかもしれませんね。抗議したいけどストレートに抗議できないというようなときにはなかなか面白い表現方法ではありますが・・・
 
 単音ですからね。単音で返して問題が生じないのは「え?」ぐらいではないかと思います。「ん?」や「へ?」もあまり上品な感じがしません。深く考えたことはありませんが、コミュニケーションを単音ですまそうということ自体に品格の問題が生じてくるのかもしれません。
 「よ!」とか「や!」とかは返すというより挨拶です。 それでもちょっと簡便にすぎるかもしれません。言葉の機能というものをあれこれ考えてみると、単音で表現したがる精神そのものに問題が潜んでいるとも考えられそうです。 
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2015.05.23 05:57

 このことわざについて書くのは、たしか5~6回めになると思います。高校受験だけではなく大学受験にも出題されていました。それだけ皆さん間違えやすいのですね。①情けをかけることは相手のためにならない。②人に情けをかけておけばめぐりめぐって自分にいいことが起きる。どちらですか?
 ②が正解ですね。小中学生の方はここで完全に覚えてしまうといい。私もかけられるときは情けをかけるべきだと思っています。その人のためにならないと即断すること自体が傲慢に思えるのです。ただかけられない状況でむりをする必要は、まったくないとも考えています。
 
 昔、こういうことがありました。ある私立高校のあるコースを受けたい生徒がいた。ところが内申の関係で受けたいコースが受けられない。内申が1だけ足りない。1だけでも足りないものは足りません。おうちの方が高校まで相談に行きましたが、規則は規則ですからどうにもなりません。もう1つ下のコースなら受けられるのですが、そこにはご本人が進みたくないのです。そういうことってありますね。
 高校の先生が「塾はどこに通われていますか?」と質問された。「Z会進学教室です」「教室長は何先生ですか?」問われるままに私の名前を出した。
 
 すると相手の先生の表情がぱっと変化(?)したそうです。長くなりますからまとめて書きますが、要するに10年以上昔私がちょっと知っている先生でした。どちらかと言えば、少しだけお世話をした形になるかもしれません。
 するとどうなったか。特例として受験の許可をあげましょうということになりました。先生は長野には世話になったというようなことをおっしゃってくださったそうです。結局その生徒はべつの高校に進学することになりましたが、私立高校受験の許可を得て安心できたのがよかった。まさに「情けは人のためならず」ですね。
 
 昨日はクラスの人数のことを書きました。11年前池袋教室の初年度、スタート時点で3Kコースというのが2名しか集まらなかった。私は上にお願いしてあえて2クラスに分けました。1クラス1名です。
 2名の生徒の学力が大きく違う。また1クラスにしてしまうことで先生方の収入が減ってしまう。ほんのひと月やせ我慢をすれば確実に人数は増やせると考えました。できるだけ多くの方のご事情に心を砕いてーーこういうのは情けとは呼ばないですがーー新しくできた池袋教室はいい教室だと全員に感じていただきたかった。
 目先の損得だけにしがみついて大きな何かを失うのは上策ではありません。このことわざはそういう意味も含んでいるように感じます。
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2015.05.22 08:14

 薫陶(くんとう)という言葉、とても好きです。師の薫陶を受ける・・・というような使い方をしますね。小中学生の方は調べてみてください。表面上の意味だけではなく、どこからその言葉が生まれてきたかというようなことまで調べてみるといい。記憶に残るはずです。
 私は読んだ書籍をすぐに処分してしまうので、自宅にはたいして本がありません。大量に蔵書を保管されている先生をたくさん知っていますが、私自身はーー移動のときなんかにーーつねに身軽でいたいという気持ちが強いのです。
 
 それでも何冊かは繰り返し読む本があり、持ち歩くときにはブックカバーをかけています。昔は革のブックカバーをいくつも持っていたのですが、次々になくしてしまいました。どこかに置き忘れてくるのです。酔っていなくてもなくす。電車だったりお店だったり電話ボックスだったり・・・とにかくすぐに忘れる。さほどのショックはないのですが、そのたびに新しい革のブックカバー(けっこう高い)を買うのはばかばかしいので、いまは「革みたいに見える」素材のカバーを使っています。小動物に対するシンパシーも増しているので、それでよいと思っています。
 
 このブックカバーがいい匂いなのです。部屋で毎日ーー朝も晩もーー香を焚くからですね。机のうえにブックカバーの書物が乗っている。そこに煙が漂ってきて匂いがつく。いろいろな香を焚くので匂いの特定はできないのですが、成分的には白檀の香りがいちばん強いかもしれません。
 今年、私の平日クラスの新中1生がすごくたくさん集まってくださって現時点で30名近くになっています。普通は土日に来てくださって平日の夜は集まりが悪い。それをわざわざ平日に、学校のあとで遠くから来てくださっている。
 
 ブログや書籍(「励ます力」)の影響は大きく、保護者の方や生徒ご本人が初対面以前から私のことを知っていてくださったりします。お話していて「ああ、そうでしたか」とわかるときがある。一般的にZ会進学教室は25名ぐらいを1クラスの上限にしていますが、自分を意識していらしてくださった生徒は責任を持って全員見ようと考えています。
 中1の現時点では点数はあまり神経質にならなくてもいいですね。どうしたって、これまでの読書量と比例してしまう。それより、どれだけ面白いと思っていただけるかが大切だと考えています。
 
 先日はテキストに出ていたカミュについてお話しました。同時に哲学の話をした。哲学とはどういう学問か。まあ、問いも一応はやりましたが。
 大人になって覚えている部分というのはーー例外なくそうでしょうーー問い以外の「文化的な」話題だったりしますね。雑談に近いようなものであったとしても、文化的な話題であればご本人にいい意味で痕跡を残すことが多い。私レベルではさすがに薫陶というわけにはいきませんが、知識にせよ、思考力にせよ、文化的好奇心にせよ、いいものを伝えたいという気持ちは強く持っています。
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2015.05.20 02:24

 私はいつも生徒にそっけないーーこちらからあまりごちゃごちゃ話しかけないという意味ですーーのですが、わざとやっている部分もあります。
 自分の好きだった飲み屋さんがある。立ち飲み屋さんですね。比較的新しいお店で非常に居心地がよく、以前はちょくちょく行きました。立ち飲み屋さんですから値段も安い。お昼ご飯を食べるのとほとんど変わらなかったりします。これはいいお店ができたということで喜んでいました。
 
 お客さんもたくさん入っています。皆さん、考えることは同じですね。いいご主人、安価である、駅から近い・・・遠くからわざわざ電車に乗ってくるお客さんまであらわれるようになりました。ご主人と話されているのでわかるのです。
 そのうち毎日必ず来るお客さんが出てきた。常連さんですね。いつ行っても必ず同じ何人かの方がいる。その方たちは当然話をされます。学校や会社と同じですね。黙っているほうが不自然で不気味かもしれません。
 
 きのうあれからどうした? あのあと何々さんが荒れちゃってさあ。ねえマスター、このまえ借りたやつもうちょっと借りてていいかな。
 その種の会話が行きかうなかで1人で飲んでいるとけっこう気を遣います。自分がいることで他の方が快活に会話できない要素があるのではないかと考える。知らないやつが混じっていて話しにくいとあちらは思っているかもしれない。さらに入ってくるなり「あれ、場所とられちゃったな」などとおっしゃる方もいる。立ち位置が決まっているのでしょう。
 
 そのことを知らない自分がそこに立ってしまった。慌てて譲ろうとすると相手の方も恐縮して「いいんです、いいんです」と別のところに移動します。それで完全におさまりますが、こちらはどうしても悪いことをしたような印象を持ってしまいます。
 錯覚かもしれませんが何となく居心地の悪い思いをする。そういうことを新しく来てくれた生徒に教室内では感じさせないように気をつけています。1年生から来てくれている受験生もつい最近入ってくださった受験生も、私は同じ調子で話しています。特定の生徒とだけ親しげに話すということはしていません。
 
 講習だけ来てくださる方もいます。そういう生徒に対してもずっと通っている生徒と同じ口調で話す。「そこに置いておけばいいじゃないか」とか。初対面の女の子なんかはちょっと乱暴に感じるかなと思うときもあるのですが、わざと丁寧な口調は使わないのです。よそ者感を持たれないように。
 お店? うーん、残念ながらあまり行かなくなってしまいました。どなたも悪くないのですよ。意地悪な常連さんなんか1人もいらっしゃらない。ただ人間の心理というのはそういうものではないですか。
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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