2015.04.16 09:56

 毎年、この時期にマンションで断水があります。私はそういうどうでもいいことをあえて日記に書いておくので、この時期だったなということがわかります。タンクの中を清掃するのですね。断水がない清掃も告知されることがあるのですが、断水のときはもっと大々的に9時~13時まで水が出ませんと書かれています。
 昨年は10時からだったので1時間早まったということですね。ふだん意識していませんが、水が出ないところで生活するのは不便です。手を洗ったり口をすすいだりトイレに行ったり・・・あたりまえのことができません。
 
 私は普通に仕事でした。早く行って少し早く帰ればいいことなので適当にいつもよりは早起きして仕事に行きました。家族は休みだったのですが、やはりどこかに出る予定をたてていました。用事はいろいろあるのですよ。であれば、こういう特別な日にぜんぶ済ませてしまうのが賢いですね。
 ただ出かける準備があります。シャワーを浴びたり食器を洗ったり歯を磨いたりということです。それをあわただしく実行していました。10時からであればもう少し落ち着いた生活になるのですが、9時までに済ませるとなると忙しい。
 
 改めて考えました。9時~10時まで自由に水を使える幸せについて、私はふだんまったく意識していません。それがあたりまえ・・・みたいな気持ちもあった。失ってはじめて(こんなにありがたいことなのか!)と痛感した。そのありがたみ、幸せをカウントせずに生きていること自体がもったいないと思いましたよ。もっと感謝するべきでしょう。
 「励ます力」にも書きましたが、私は自分が幸せな10の理由を手帳に書きとめてあります。不安や不満が出てきたときにそれを見返して自身の幸福を再確認して落ち着くためです。それは非常にいい方法だと思っています。
 
 しかし、10の理由を倍の20に増やしたとしても「9時~10時まで自由に水が使用できる」という項目は入ってこないでしょう。つまり優先度は必ずしも高くない。けれどもやはり際限なくありがたい。私たちの生活にはそういうことが多いですね。
 電車やバスが時間通りに来るなどというのもあたりまえと言えばあたりまえですが、何かアクシデントがあったときーー先日の山手線の事故の日は私は代々木駅から教室までタクシーで来ましたよーーどれだけありがたいことかよーくわかります。幸せのために感謝できることを見つけてやろうぐらいの意気込みで生活されるといい。ご家族やお友だちと自分が幸せな理由を見つける競争をするぐらいの気持ちですね。
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2015.04.15 00:29

 肉屋さんで売っている安いコロッケというのがあります。西荻窪の有名店(テレビにも紹介された)ですと、1つ90円だったかな。あれ、おいしいですね。昨年の年末にも同じことを書きましたが、ご飯のおかずの中ではコロッケがいちばん好きです。
 そりゃ、うなぎのかば焼きとかすき焼きとか揚げたての天ぷらとかおいしいものはたくさんありますが、そういうのは特別枠という感じがあります。少なくとも私の生活では(それを不満に感じているわけではありません)、毎日そんなものを食べていられないですよ。
 
 しかし、コロッケであれば毎日でも食べられます。毎日食べても飽きないのではないかと思いながら、毎日はなかなか食べられないですね。
 帰りが夜中の0時だとしますね。豆腐なんかはコンビニエンスストアーで買えますが、肉屋さんは閉まっています。コンビニのコロッケ? コンビニで揚げ物を頼むと後ろに並んでいる方を少し待たせてしまうので、私は店員さんに揚げ物はお願いしないことに決めています。興味はありますが、コンビニでコロッケを買った経験はありません。
 
 まあ、家の者に頼んでおいてもいいのでしょうが、ただでさえ家族からは変な人間だと思われている(これは本当です)ので、これからは毎日毎日必ずコロッケを2個(1個だと足りません)以上買っておくこと・・・なんて言えないですよ。
 カレーコロッケとかちょっと変わった味のものもありますが、あくまでもオーソドックスな普通の芋のコロッケがいい。ソースも凝りますよ。ウスターソースはすっとしみこんでいいのですが、水っぽくなる感じがちょっとだけ気になります。逆にとんかつソースだと表面のもわっとした感触が気になると言えばやはり気になる。
 
 困りましたねー。
 コロッケのつけ合わせはキャベツの千切りがいいですね。ポテトサラダやマカロニサラダなども試してみた結果、潔くキャベツの千切りがいいということになりました。
 キャベツの千切りに何をかけるかというのもまたけっこう問題で、教室近くのとんかつ屋さんにはちゃんとドレッシングが置いてあります。昔、現立川教室長のW先生があのドレッシングがおいしいとおっしゃっていた。確かにおいしいのですが、自分の子どものころは皆さん例外なくソースをかけていた(醤油という方もいたような・・・)ので、その郷愁の余韻で自分はいまでもソースをかけることが多いですね。
 
 最近じっくり(?)コロッケを食べてみました。やっぱりおいしかった。それでもう1度コロッケについて書きたくなりました。あくまでもご飯のおかずですね。お酒には・・・そんなに合わないとはいまでも思います。
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2015.04.13 08:57

 先日講習生のご家庭対象の春期講習授業報告会というものがありまして、そのなかで読書の大切さについてお話しました。改めて記述しておこうと思います。
 じつはこの話は春期講習のテキストに書いてありました。生徒たちはすでに読んでいるので、講習中読書の効用の1つについて深く学んだことになります。Z会進学教室のテキストはそんな感じで単に学力をつける以上のーー大げさに書くと人生観みたいなものを得られるようにーーいろいろと苦心して作られているのです。
 
 偉い先生が提唱されていることで、じつは私も読書にはあれこれ効用があるとは思っていましたが、このテキストの文章をはじめて読んだときは「なるほどこういう考え方があるか!」と本当に感心しました。こういうこと、あるある! ・・・という感じ。
 もちろん効用ばかり考えて、いやいや読書するというのは感心しません。あくまでも好奇心を持ってその時点で面白く感じられるものを読むのが望ましいと考えています。小中高校生の方はそういう視点で読み進めてください。
 
 その先生がおっしゃっていたのは次のようなことでした。
 読書をしていると「これこそまさに自分の考え方にぴったりだ」という瞬間が出てきます。この作者は自分にそっくりだという感動ですね。そういう感動をさまざまな場面で獲得する可能性がある。そしてその感動が、まだ十分確立されていない自己を少しずつ成長させていくというのですね。
 だいたい著者はそれなりの方が多いものです。何かの世界で傑出されていたり努力を認められていたりする。そういう立派な方によく似ている自分というものを読者は意識することで、少しずつ自信を増幅していく。
 
 少年期、私は太宰治をはじめて読んで「男でも全然強くなくて構わないのか!」とびっくりしたことがありました。そういう考え方を教わったことがなかった。なかったものの、自身のことは弱い人間だと感じていましたから、自分なんかまったくくずみたいな存在でしかないという恐怖がありました。ところがここにこんなに弱々しい神みたいな存在の男がいるじ'ゃないかと本当に衝撃を受けました。
 もっともちょっと勘違いもありまして、10代のときの自分は弱さをやたらとひけらかすようになった。あれはやりすぎだったなと思います。
 
 ただ、そうした感覚ですね。書物で出会った著者との共通項から自分の人生観を自信を持って深めていけるという効用は、単に国語の成績が上がるとか語彙数が増えるとかどころではない読書の価値だと思います。
 憧れているサッカー選手の自伝でも好きな芸能人のエッセイでも何でもいいと思いますよ。自分もこういう人間だと改めて確認できる瞬間を多く持てるのは、成長していくうえでとても大切なことでしょう。
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2015.04.12 07:05

 自宅の向かいの公園は、梅だとかサルスベリだとか季節ごとにいろいろな花が咲きます。造られた公園なので、配置みたいなものも非常に整っている。雑然と咲いているのではなく、人の手がかかっているのですね。
 花なんか若いころはどうでもよかったのですが、最近はやたらと気になるようになりました。大昔、ギタリストのイングヴェイ・マルムスティーンが好きな花の種類を訊かれて「冗談だろ?」と返答を拒んでいたのを知って「そうそう、それでなくっちゃ」と賛同したのも、いまとなっては不思議な感じです。
 
 その公園のベンチに昔はよく座っていたのですが、あるときからそうしなくなりました。どうしてだろう? と考えて、昨年のデング熱騒ぎを思い出した。ある種の蚊が媒介しているという話がありましたね。公園内にはどうしても蚊がいます。それでわざわざベンチに腰かけたりしなくなったのでした。もっともいまの季節はあまり関係ないですね。
 その公園に現在やたらときれいな花が咲いています。ピンクと赤と・・・白っぽいのもあったかな。梅にしては時期が遅いし桃ともちょっと違う。
 
 近寄ってよく見てみると、ある樹に名札がかかっていました。ハナモモと書かれています。バラ科だそうです。なるほどハナモモかとある意味で少し落ち着きました。
 音楽でもそうですが、この曲大好きなんだ・・・だけではなかなか落ち着かない。誰の何という曲なのかどうしてもつきとめたくなります。ある意味で所有欲みたいなものかもしれませんね。名前を知っておけば目の前から忽然と姿を消されても、何とかたどりつけるという安心感のためでもあります。ハナモモの木は雨に打たれても強風にあおられてもほとんど変化がありません。きれいですよ。
 
 私の実家には柿の木があります。私が生まれたときに祖父が記念に植えたそうです。同い年ということになりますね。両親も高齢で手入れもできないので、いっそのこと処分してしまおうかという話が出ています。柿の実をとることもできない。するとネズミが来たりするらしい。ネズミが喜んで食べている。
 それはちょっとまずいだろうという話になった。あの家は害獣であるネズミを繁殖させている・・・はさすがにまずいでしょう。近い将来伐られてしまうと思うのですが、何となく私も死んでしまいそうな気がすることがあります。そういう話ってよくあるじゃないですか。
 
 まあ、そのときはそのときだな。
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2015.04.11 00:04

 この記事はあなたの心を撃つと思いますよ。
 中野と吉祥寺間を結ぶバスがあります。私は1980年、自動車学校に通うときにこのバスを頻繁に利用していました。自動車学校を無事に卒業して、またすぐ乗ることもあるだろうと思った。何ヶ月も通っていたのでなんとなくバス停の順番も覚え、すぐにでもまた乗りたいような不思議な感情にとらわれました。
 ところがそういうことはなかなか実現しないもので、私が次にこのバスに乗ったのはいまからほんの2、3年前のことです。しかも吉祥寺側から中野まで乗った。厳密に言うと逆から見たことになります。
 
 今週、母の見舞い(病院が中野駅の近くにあります)に行った帰り、わざわざ吉祥寺行きのバスに乗ってみました。終点まではけっこう時間がかかります。ちょうど1時間ぐらい。
 せっかくの機会に寝てしまっては意味がないので、後部右端に座ってきょろきょろ外を観察しました。ここは確か貸本屋さん(そういうお店が80年ごろ少しだけ流行っていました)だったはずだ・・・と記憶していた場所もありました。もちろんいまはべつのお店になっています。あれこれ思い出しながらけっこう充実した1時間でした。
 
 途中、1階がパン屋さんか何かなのですね。2階の窓に貸室という紙が貼ってありました。バスが走りすぎる瞬間に見ていますから正確に何と書いてあったかは自信がありませんが、しかし貸店舗ではなかった。貸室、あるいは貸間だったような気がします。
 全体的には2階建てのアパートみたいな感じでした。・・・ということは、あのパン屋さんの上に住まないか? ということになります。借りた方はパン屋さんの2階で日々生活することになります。どうなのだろうと私は考えました。
 
 パン屋さんの2階に住むってどうなのだろう? 親しいどなたかが隣にいらっしゃったらわたしは確実にそう声をかけていたと思います。パン屋さんの2階・・・パンの焼けるいい匂いとかお店の方のにぎやかな声とかお客さんの喧騒とか、いろいろ伝わってくるものもあるでしょう。いい面と悪い面があると思います。
 そしてさらに思ったのは、そうしたことが世の中には無限にあるという事実です。そのパン屋さんの2階に住むお話がどなたかと共有ーーこの記事自体がそれに近いかもしれませんーーできても、すぐまた別種の「パン屋さんの2階のお話」が出てきます。
 
 結局、どこまでいってもきりがない。そういうのがもう少し生きていたい原動力なのかなとも感じます。
 どうでもいいと言えばどうでもいいことです。天下国家を論じたり博愛精神を説いたりするのとは比べ物になりません。卑小も卑小、街道沿いのパン屋さんの2階に住むことについて。それでも小さな声で、訴えたくなるのですよ。あのパン屋さんの2階に住むのはどんな感じだろうね。 
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2015.04.10 07:51

 最近、新聞でこういう言葉を目にしました。「自己責任という用語を他人に使うのは下品である」非常に印象に残りました。人それぞれでもちろんよいとは思うのですが、私もこんな風に考えられる大人として生きていきたいという気持ちになりましたよ。
 自業自得も同じようなニュアンスですね。自身に使うのはとくに問題ないと思うのですが、そんなのおまえの自己責任だよとか自業自得だねとか・・・他者に使いたい気持ちにはなりません。感覚の問題ですから、いい悪いではなく。
 
 おととい、情緒安定について書きました。よくできる生徒は情緒が安定しているという意味の記事を書いた。ただーー私自身は中学時代情緒不安定の塊みたいな少年でしたから、情緒不安定の人間が悪いとも考えていません。それはそれでまたべつの選択肢というか、生き方があるということです。
 私が好きな萩原朔太郎や太宰治、オジー・オズボーン、マーク・ボラン、印象派の画家たち・・・情緒がきわめて安定していたらものすごくつまらなかったのではないかと思いますよ。不安定なところがかえってよかったのでは?
 
 ただひたすら勉強をやりたい、いい成績をつねにとり続けたいということであれば、やはり日々はらはらどきどきしてばかりでは落ち着かないのであって、そこは安定していく必要があるでしょう。
 ときどき、突然成績が落ちる生徒がいます。あれこれ質問しても、ご本人は以前とまったく同じように生活しているという。そんなわけがないのですが、彼らのすべてを知っているわけではないのでとにかく何かおかしいとこちらは心配している。
 するとだいたいは友だちが教えてくださるのです。「あいつはいま好きな人のことで悩んでいて、勉強が手につかないみたいです」ああ、それで不安定に・・・と思う。
 
 これまた恋愛がいい悪いの問題ではありません。自分のことばかり書きますが、私なんかも若いころは恋愛以外何もしていませんでした。少年期、相手がいないときでも部屋のなかで女性とのバーチャルな会話を延々と組み立てたり(病気か?)していました。勉強どころではないですね。
 そうしたあまりにもばかばかしいことすべてが現在の自分にすごく役立っているのもまた事実です。結果的に、ですけどね。どこからでも「賢く生きようという意志」ですね。そういう覚悟は必要なのでしょう。
 
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2015.04.08 07:56

 今年も多くの受験生が合格体験記を書いてくださった。ご本人だけではなく、保護者の方が書いてくださったものもあります。毎年のことですが、読んでいて本当にいろいろ考えさせられます。
 ある生徒ーー超難関校合格ですーーよくできる。とてもできます。じつははじめて講習に来られたとき、私が国語の授業を担当しました。直感的にこの子はすごく伸びるのではないかと思いました。なぜそう思ったか。
 情緒が安定しているのです。いらいらしたりわさわさしたりということがない。精神的にとても落ち着いています。
 
 それでもはじめて来られたときは最終結果(超難関校合格)ほどの力はありませんでした。それはそうですね。そこからがんばったということです。
 その生徒と保護者の方がどちらも体験記を書いてくださった。読んでいて、ははあそういうことだったのか・・・と秘密の一端を垣間見た気持ちがしました。
 その生徒はあるときテストで1桁の点数をとってしまったそうです。100点満点でですよ。100点満点で1桁の点をとってしまった。優等生でもそんなことがあるものです。
 
 落ちこんで泣きそうになっているその子にお母さまは何と声をかけられたか。「90点分以上まだ伸びしろがあるじゃないの」と笑顔で声をかけられたそうです。お母さまの明るさには常に救われたとありました。
 お母さまの体験記には、なさったことは食事のしたくと楽しんでいっていらっしゃいという声かけ「だけ」でしたと書かれていました。入試当日もそうおっしゃって送り出した。
 これには感心しましたよ。情緒の安定はここから生まれてきたのですね。点数がとれないというようなアクシデントは人生にはつきものです。そのアクシデントをやわらげる「安心空間」の演出が周囲にきちんとできているかどうか。
 
 その生徒が1桁の得点をとってきたときは、本当はお母さまだって動揺されたはずです。強く叱咤激励したかったでしょうし、不安にもなられたでしょう。しかし、それをぶつけたところで結局のところはご本人の精神状態をいっそう悪化させるだけです。であれば、ここは落ち着いてその場その場でできうる限りの「安心空間」を創造したほうがよっぽどいい。そうした配慮ですね。
 まあ、それぞれの人生観みたいなものもあるとは思いますが、情緒が安定していないとなかなかうまくいかないのは事実です。
 
 身近な人間がいろいろと正しい手当てをしてやらなければならないケースも多いと思います。おいしいご飯と「楽しんでいっていらっしゃい」。周囲の配慮は非常に大きいですが、ここまで完璧なのも珍しい。
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2015.04.06 00:57

 昨日、温かみの連鎖という言葉を書きました。
  母親が入院、再手術をしました。いろいろとご心配をいただき感謝いたしております。ありがとうございます。手術そのものは成功しました。具体的に書くと右ひざですね。以前は左ひざでした。結果的に両脚を手術したことになります。
 先日、その母が病院でちょっと暴れた(?)という報告が妹から入りました。びっくりして仕事を早退して病院に駆けつけた。
 
 要するに夜中にわけがわからなくなったそうです。お祭りの夢を見て興奮した(このあたりはちょっと私に似ているかもしれません)。
 私が行ったときは午後でしたから落ち着いていました。笑顔で「あなたもいまぐらいの髪型がちょうどいいんじゃない?」などとのんきなことを話している。こちらは仕事を早退してきていますからね。人騒がせな・・・とも思いましたが、まあ高齢ですから仕方がないですね。
 心配して父親と妹夫婦(彼らが献身的に面倒を見てくれています)も来ていました。
 
 そこにもう1人見舞いに来ている人間がいた。息子が来ていました。家内に行けと言われたのか? と訊くとそうではないと言う。心配だったので自分の意志で来たと答えます。
 私が仕事に出るとき、息子はまだ寝ていました。春休みですからね。友だちの家で朝まで遊んで帰ってきた。5時ぐらいに寝て、途中でトイレにでも行ったのでしょう。例によって私は息子に置き手紙をしています。そうです。まだ続けているのですよ。そこにばあさんが病院で暴れたようだとちらりと書いた。それを見て、こうしてはいられないと来てくれた。
 
 母はーー今後のこともあるのでーー病室も移されていた。息子が来たときいるはずの病室にいなかった。私は妹とメールでやりとりしていましたから移った病室もわかっていましたが、息子はあちらこちらをのぞいて自分でつきとめたと言っていました。
 昔の私だったら絶対ここまでやらなかった。祖母が入院していたときもお見舞いに行った記憶がありません。そういう気持ちが芽生えなかったのです。友人がおばあさんのお見舞いに行くときに着いていった経験がありますが、こんなことを孫がするものなのかと感じたほどです。
 
 それをごくごく自然に息子はやっている。温かみが連鎖しているのだなという感覚があります。そうやって育ててきたという自負も。
 大勢の人間がいて母は大喜びでした。ほらほらと無邪気に傷口を見せたりしている。息子はむりしないほうがいいよと声をかけていました。
 その後、彼はアルバイトがあるからと先に帰っていきました。私? いまさら仕事には戻れません。先に帰った父親のところに行ってみたものの留守だったので、そのまま「えい、や」と飲みに行っちゃいましたよ。そうか、いちばん困った人間は私かもしれないですね。
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2015.04.05 07:37

 今日は久しぶりに拙著「励ます力」のことを書かせてください。
 発売以来3ヶ月。数としてどれぐらい売れているのか私自身は知りません。売れていなければいろいろご尽力いただいた方々に大変申し訳ないという気持ちはありますが、結局のところ物事というのは「そうあるべき姿」に終わるのだろうと考えています。
 私がちょっとだけ心配していたのは、よく行く飲み屋さんに気づかれると恥ずかしいなということでした。お子さんがいらっしゃるのですよ。露出しすぎて、先生だったのか・・・と気づかれると恥ずかしいと思った。
 
 その心配は杞憂に終わりそうです。
 飲み屋さんで私は泥酔して暴れたりはもちろんしませんが、あまり周囲と関係ないことが多いのです。いわゆる大衆酒場ですね。1人でぼーっとできるところがよいのであって、わざわざ人間関係を構築しようとは考えません。どなたかと行くにしてもその方とお話するだけです。ですからお店の方ともほかのお客さんともめったに会話をしません。お店の方にはこんにちはとかごちそうさまとか、それぐらいでしょうか。10年以上お邪魔しているお店でさえそうです。
 
 一方でーーそれが悪いという意味ではありませんーーお店では見知らぬ方とお話したいという常連さんもいらっしゃいますね。天気が悪いねーとかジャイアンツはどうしちゃったんだろうとか消費税が上がって困っちゃったよとか。
 話しかけられたときはちょっと微笑んだり同意したりするぐらいで積極的に応じないので、あちらはひょっとすると私のことを面白くないやつだぐらいに考えているかもしれません。そうか先生だったのかと正体がバレるのはちょっと恥ずかしかったので、まあこれぐらい静かなほうが気持ちは安らぐ感じはあります。
 
 編集者の方から「読者からの感想の文章」というものを教えていただいたことがあります。まわりくどく書くのはそのものずばりを見たわけではないということを強調したかったからです。個人情報ですからどこのどなたかはまったくわからない。私が知っているのはあくまでも感想の文章の一部です。
 教育関係の方が参考になったと書いてくださっているものがいくつかあり、うれしく感じました。私は本当に何もできませんが、この歳になっても生徒にはそれなりに上手に接することができています。なかなか難しいのですよ。歳をとるとどうしても乖離が生じてきて。
 
 知識量や勢いで彼らを圧倒しているのではなく、人間の滋味みたいなもので引っ張っている要素が大きいでしょうね。すげー先生ではなく、何となく頼れる存在としてうまく力になれていると思うわけです。そのコツが伝わっているとしたらうれしいですね。
 お子さんに伝言の手紙(メモ)を残しておくようになったというお母さまもいらっしゃった。効果抜群ですよ。何年もたってわかる。ああいうことをしていてくれてありがとうと・・・彼らが言葉に出さざるをえない日が来ます。わが子に日々メモを残すことがどれほどの愛情か。その温かみの連鎖が世の中全体をよくしていくのです。
 
 
 
 
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2015.04.04 08:31

 生徒にはーーとくに受験生ですねーー気になるところは線を引いて手当たり次第に辞書をひいてみるといいと伝えています。国語辞典ですね。
 私も最近、熟知しているものを改めて辞書でひいてみることがあります。こんなわかりやすいもの、どうやって説明しているのだろう? という好奇心からです。先日、手許にある国語辞典で「うなぎ」というのを調べてみました。うなぎを知らない人にうなぎの説明をするのは難しいですよ。たとえを使うしかないかなとも思う。ホースみたいに細長くて黒っぽい魚とか。しかし、それだとちょっと誤解されそうです。
 
 はたしてこう書いてありました。三省堂の辞書です。
 深海で産卵し、春、川に上りすむ、細長い魚。ぬるぬるして、つかまえにくい。脂が強く、かば焼きにして食べる。
 日本に暮らしている方ならだいたい意味はわかるでしょう。しかし言葉の体験が少ないと「ぬるぬる」というのがわからないかもしれない。また脂が強いというのはどういう状態か。「かば焼き」にいたっては知識がなければまったくわかりませんね。当然、「ぬるぬる」「かば焼き」を調べてみることになります。
 
 そのまえにご自身ではどう説明しますか? とくにぬるぬるは。手がべたべたする? ちょっと弱いような気がします。
 同じ辞書です。ぬるぬる・・・その物の表面が何か粘膜(のような物)でおおわれている感じがして、つかもうとするとつるりとすべってしまう物を表す形容。また、そのもの。とあり、例が書いてありました。(納豆のーー・卵のーー)納豆や卵はどなたでもわかります。たとえを使うのであればこれぐらいわかりやすいものを持ってくるといいですね。
 かば焼きというのはちょっと意外な方もいらっしゃるかもしれません。私は昔、マンガで見て知っていましたが。
 
 はじめに定義が書いてありました。〔形が昔のかまぼこに似ているので言う〕ウナギ・ハモなどをさき、たれをつけてくし焼きにした料理。
 かまぼこを知らなければさらにかまぼこを調べることになります。
 じつは昔の子どもはそんなことをして遊んでいました。全員がやっていたわけではないですが、私自身小学校時代、友だちと辞書をひきあって「おい、こんな言葉がある」などとやっていたことを覚えています。絶対に相手の知らない言葉を見つけるゲームなんかもやった。中学時代は英和辞典で遊んでいる連中もいたな。
 
 ほかに面白い遊び道具がなかったからですね。ゲームもスマホも何もない。そういうなかで黙々と工夫して遊びました。
 娯楽道具には事欠かなくなりました。遊び方を考える手間もいらない。そういう便利な生活のなかで失っている何かがある。ちょっとそういうことを考えるときがあります。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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