2015.03.04 09:43

 受験が終わり、あれこれと報告が入ります。うまくいきましたという報告もあれば残念でしたという報告もある。全員が第1志望校に合格できればいちばんいいのですが、何百人も生徒がいるのでなかなかそういうわけにはいきません。
 ぎりぎりのところを受けている。「楽で楽で仕方がない志望校」はまずないのであって、受かるか落ちるかわからないぎりぎりのところを受けています。本当に「半々」という感じ。ですから残念な結果というのも当然ありえます。
 
 そのときどう考えるか。それがいちばん大切ですね。残念な結果が出てしまったときにどう考えるか。
 ある程度のショックは当然でしょう。私でさえ「申し訳ないことをした」とショックを受けますから、ある程度は仕方がない。ただずーっと引きずって生きるのはよくないですし、しっかりした生徒はそうはなりません。何日かするときちんと整理をつけています。その能力は大事だと思います。
 
 ある私立高校の先生に聞きました。入学式で泣いている生徒が毎年いる。つまり志望校に落ちた。その私立校の制服を着て入学式を迎えたくなかったということなのですね。そういった生徒を3年後間違いなく志望大学に合格させ、同時に「この高校に来て本当によかった」と笑顔で語ってもらうのが自分たちの仕事ですとおっしゃっていた。
 進学先がどこであれ、必ずいい面と悪い面があるでしょう。人間と同じで長所だけということはありえません。まずは「勉強を続けられる」環境に感謝してください。
 
 あなたには学力があります。志望校に落ちたとしてもぎりぎりのところだったのですから、間違いなく学力や実力がある。いろいろなことを知っているし、考える力もついています。勉強の仕方もわかっている。さらに頑張れたというプライドもあるでしょう。挫折したわけではありません。最後まで頑張ってきたのは見事です。
 肩書きの問題だけですね。A校生ではなくB校生である。しかし、B校にもまたA校にはないよさがありA校では出会えない先生や友だちにたくさん会えるでしょう。
 
 私の机の下には段ボール箱があって、なかに生徒や保護者の方からいただいた手紙が大量に入っています。第1志望に合格できなかった生徒があとで連絡をくださるケースもよくあり、入ってみたらどんなにいい学校だったか(後輩にも薦めてください)という報告をたくさんいただいています。
 息子の友だち、ある私立のすべりどめ校に入った。ほかは落ちてしまった。そこからとてつもなく高いレベルの国立大学に合格しました(落胆せずにうんと勉強したのでしょうね)。そして現時点でもう就職が決まっている(!)そうです。
 何をきっかけに人生を好転させていくかということですね。あなたの人生の主人公はあなたなのですから、すべてはあなた次第です。
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2015.03.02 05:48

 私は今年60歳になります。会社の定年規定がどうなっているのか真剣に調べたことがないのでよくわかっていません。ただこういう仕事ですから、教えることは続けていけるのではないかと期待(?)しています。
 昨日準備講座のことを書きましたが、たとえば新中1生などに対して私は確実に教え方が進歩しているように感じます。技術というより心の問題ですね。若いときよりいまのほうが絶対に包みこむ感情が強くなっている。大切に思う気持ちが厚いということです。
 
 若いときは若いときで精一杯だったわけですが、冷静に考えて昔の私に習うより現在の私に習ったほうが楽しいでしょう。げらげら笑うような楽しさではありませんが、滋味みたいなものは確実に伝わると思っています。
 要するに1つの節目であっても、私にとっては「結果」ではなく「経過」です。途中経過であり、これからおおいに進歩向上していくつもりです。立場がどうであれ、よりよく生きる気持ちに変化はありません。
 
 皆さんも合格不合格、いろいろなことがあったと思います。節目は節目でしょうが、その合格も不合格もあくまでも結果ではなく経過です。それはそうでしょう。ここで人生80年の結論が出るわけがありません。
 何度も何度も書いてきたように幸せであることに自信を持っている人間は、世界中のありとあらゆる学校を卒業しています。特定校の生徒だけが幸せになるというおかしな方程式は存在しません。合格不合格という1つの節目を迎えて、ここから幸せになるか不幸せになるかはこのあとをどう過ごすかにかかっています。「このあと」というのは瞬間の積み重ねのことであり、遠い未来という意味ではありません。
 
 万が一うまくいかなかったとしても「だめだ」という一義的な解釈を自分に押しつけないようにしてください。それは事実というより解釈なのです。まずまずだったという解釈もあります。行く学校があって本当によかったという解釈もあります。こちらの学校のほうが自分に合っているかもしれないという解釈もあります。この経験のおかげで成長できるという解釈もあります。
 人生のありとあらゆる場面でよりよく解釈する能力はやはり大切です。昔、病気でもうあまり長くないと宣告された居酒屋さんのおばさんが「だからこそうんと楽しまなくちゃー!」と笑顔を見せていた話はどこかで書きましたね。すべては同じことだと思います。
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2015.03.01 06:32

 ロック界でものすごく興奮する出来事があったのですが、音楽の話題が続いてしまうとちょっとあれなのでしばらく見送ることにします。しかし、やるなカヴァデール! そうきたか! ですよ。
 友人からのメールで知ったのですが、いくら何でも何かの間違いだろうとはじめは思いました。調べてみたら本当にそうだった。映像も1つだけアップされています。笑っちゃうような泣いちゃうような(?)複雑な感情です。
 
 2月の最終週、休講期間と言って特別な授業(新中1準備講座)以外何もありません。何もないから休めるかというとそういうものでもなくて、私は準備講座をたくさん担当していますし説明会も開いているのでいろいろ動かないといけません。
 講師時代はこういう期間に旅行したものだと懐かしく思い出すことがあります。毎年のように東海地方にある梅園に行きました。人が多すぎてちょっと落ち着かない感じなのですが、今年も入試が終わったなあ・・・と考えながら散策するのが楽しかった。
 
 準備講座では簡単な古文、韻文(短歌や俳句ですね)、小説、説明文なんかをやります。面白く面白く授業する。げらげら笑うような面白さではなくて知的な好奇心を刺激するという意味ですね。とっかかりになるところがどこかにないだろうかと考えながら進めていきます。
 古池や かはず飛び込む 水の音。松尾芭蕉の有名な句ですね。この「や」というのをどう思う? と訊く。おかしいと思わないか。「古池に」あるいは「古池へ」となるのが普通ではないか。
 古池に(へ) かはず飛び込む 水の音。どちらがいいとか切れ字がどうとか細かいことは言わず、いまはただ面白いものだなと思ってもらう。
 
 「くすぐったい気持」という表現が出てきた。いくら辞書で調べてもこういうのは正確にはわからないでしょう。そんなことより、なぜくすぐったくなるのかということを想像してもらう。どういうときに使ったらいい表現かということですね。
 言葉が生きている感じ、だからこそ解釈に幅が生じて面白いという実感・・・そういうものを伝えていきたいと考えます。これを覚えておけとかこれはこういうものだとかだけでは「準備」講座らしくないですからね。何だかよくわからないが中学生の勉強は面白そうだぞという期待感を残せるかどうかが大事でしょう。
 
 そのまま本科に通ってくださる生徒もいらっしゃる。本科でも私は中1生のある曜日の授業を担当します。じつは私は中1を教えるのが好きなのですよ。教えていて楽しい。受験間際ではないので、いろいろと遊びの要素も取り入れられます。こちらが楽しんでいるということはあちらにも伝わります。教えているほうが面白がれるという要素は、じつはけっこう大きいのではないかと思っています。
 
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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