2015.03.28 00:01

 今日は真夜中でいきます。
 将棋を指していてーーインターネット専門になっていますがーーどう指しても勝てるという局面になることがあります。ここまでくれば絶対に負けない。駒を何枚渡しても絶対に詰まない。あちらは風前の灯火・・・という感じでしょうか。もちろん逆のケースもあります。そうやって勝ったり負けたりしています。
 そういうとき非常にいい加減に指してしまうことがあります。たとえば詰みがある。20手も30手も読まなければいけない詰みではなく、ほんの数手きちんと読めば詰めることができる。それを同じ勝ちだからと考えていい加減に指してしまう。
 
 これは人生にも通じてきますね。
 生きていると同種の瞬間が多々あるのではないか。それで本当にいいのだろうか? とも考えます。
 私ぐらいの年齢になるともはや自分を他者と比べてどうのこうのはなくなります。私と同年代で私よりはるかに学のある偉い先生も、社会的地位の高い立派な方も、大きな資産を築かれている大金持ちの方もーー数え切れないぐらいいらっしゃいますが、私は私自身であることで日々とても落ち着いています。
 
 しかし、自分自身に対する理想とかけ離れている部分に焦燥感を抱くときがないわけではありません。面白いもので、先が見えてくるとかえってそんな感覚を持つようになりました。
 具体的に書くと、たとえばこういうことです。ここ1年ぐらい、私は自分の食べ方が何となく汚いように感じられて不快になるときがあります。昔はあまり意識しなかった。しかし、この歳になったらもっときれいに食べるべきだという基準値が、勝手に上昇してきてしまいました。これはなかなか難しいですよ。
 
 私の食事風景が他者と比べて著しくひどいということはないでしょう。そこは幼いころからしつけてくれた両親に感謝すべきなのでしょう。箸の使い方なんかもそれなりにきちんとしているはずでした。
 しかし、もっともっとよくできるはずだという気持ちになるのです。将棋にたとえると勝ちだからいいやではなく、正確に詰めたい。食べている最中に汗をかいたりすることがちょっと許せない気持ちになる。あるいはこの季節ですと、食べている途中で鼻がずるずるいってかまずにはいられなかったりするのが気になります。
 汗をかいたり鼻をかんだりしない厳しさが詰みの理想であり、そこに至らない未熟さへの嘆きですね。
 
 何人かで酒席をともにしていてうっかり自分が先に料理に手をつけてしまったようなときも(もう少し待つべきだった)と猛省します。相手(だいたいは年下です)に先にとらせるのだった・・・ということですね。みんなで食べるのだから、それぞれ好き勝手でいいじゃないかではない。少なくとも私はそれではいけないと自分を責めたりする。
 歳をとってからそう考えるようになりました。所作の美学ですね。要求水準はどんどん高くなる。それでいいのだろうとも思います。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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