2015.03.31 05:43

 心理的な問題というのは面白いですね。この春期講習、私は最初のコマ(9:20~)と最後のコマ(19:40~)に授業が入っています。あとは1コマだけなのでぜんぶで3時間ということになりますね。たいしたことはないですよ。3時間立って喋るというのは私にとってーー授業をすればいいだけですからーー本当に慣れた道であってたいしたことではない。
 なのに滞在時間が長いと妙に疲れを感じます。おかしいですね。ほかに何もしていなくても(というわけでもないのですが・・・)いつもより疲労感が強い。
 
 授業の直前に来て直後に帰るというわけにはいきませんから、だいたい12時間教室に滞在しています。そのことに対して心理的圧迫があるのでしょうか。
 授業そのものは非常にいい生徒ばかりで円滑に進みます。講習が終わったらぜひ本科生として入会したいと相談に来てくださった生徒もいて、担当してよかったという幸福感まで感じるのですがそれでも精神的に疲れる。重労働でもあるまいし・・・歳をとったせいなのかもしれません。
 
 途中、食事どきに外に出るとちょっとほっとします。先日はアルバイトを長いことしてくださっていた方が大学院の関係で3月まででやめてしまうというので、ちょっとしたプレゼントを買ってきました。食事以外にそういうことができる自由をとてもうれしく感じます。好きなことができるというのはあたりまえですがすばらしいことですね。
 8億人だったかな。中学生の方、わかりますね? 地球上ですぐにでも餓死してしまう可能性がある人間の数です。8億以上の人間がこの瞬間、生きるか死ぬかの思いで闘っている。
 
 住居が思うようにならない人はさらに膨大な数にのぼるでしょう。雨漏りして眠れない・・・というレベルの方も含めれば、何十億人ということになりますね。さらに着たい服が着られない人間の数は? 着たい服を着られる余裕を持つ人が「稀有」なのであって、基本はオシャレの余裕がないのが「地球の人間」でしょう。
 そうやって衣食住ですごく恵まれている自分がさらに大きな自由まで手にしているわけですから、疲れるなどとわがままを言っていてはばちが当たりますね。
 
 後半もしっかりやろうと思います。
 
 
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2015.03.29 06:21

 生徒が何を考えているかはだいたいわかります。長いことこういう仕事を続けているので、勘が発達してきたのですね。
 大切なことを黒板に板書する。だいたい皆さん熱心に写してくださいますね。それはそれでもちろんいいことです。さらにそれほど大切ではないかもしれないけれども、知っていると面白いことというのもあります。いちいち黒板には書きませんが、口頭で伝えます。たとえば漢字の書き取りで「予断」と出てきた。
 
 これ、予断を許さないというような言い方で使うことが多いよと口頭で伝えます。どうなるかよくわからないという意味ですね。
 そういう話をぱっとメモする生徒がいる。きれいに書いている時間はなくても残しておいたほうがよさそうだという判断でしょう。反射作用のようにさっと書く。反対にどうしようか? と迷っている生徒もいます。彼らもどうでもいいと思っているわけではありません。メモしようかどうしようか迷っている。迷っているうちに次の話題に入ってしまい、まあいいかな・・・ということになる。
 
 ぱっと動くのはちょっとみっともないという気持ちもあるかもしれません。周囲に「この人はこんなことも知らないのか」と思われる可能性もあります。「予断を許さない」程度の言い回しはとっくの昔に熟知しているという優等生もいる。そういう子はもちろんわざわざメモに残しません。悠然と腕を組んで聞いていたりします。慌ててメモをとるのは、いかにも自分は何も知らないみたいでかっこ悪いかな・・・と考えたりもするのでしょう。
 本当はメモをとりたいような気がしている。しかし、見栄があってメモをとれない。
 
 初心(?)のうちはぜんぶメモをとると決めておくのがいいと思います。悠然と腕を組む姿を周囲のライバルに見せたいときもあるかもしれませんが、気になることはすぐ書く習慣をつけたほうがあとあと役に立ちます。
 学校では間違いなくメモをとる習慣のある生徒のほうが高く評価されます。「先生の話を記憶に残そうとしています」という大きなアピールになるからです。こまめにメモをとる生徒とまったくメモをとらない生徒、仮にテストで同じ点数をとっていても評価を変えたくなるのは人情というものでしょう。
 
 私の授業中も、わかりきったことまでメモをとっている生徒がいます。そこまでやらなくてもいいだろうとも感じますが、こちらから見ていると(とことん吸収しようとしてくれているな)と軽い感動を覚えることさえあり、けっして悪い印象は抱きません。
 いよいよ受験生になるのであればーーそのあたりは1つの作戦としてもーー学校で活かしてみたらよいのではないかと思います。
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2015.03.28 00:01

 今日は真夜中でいきます。
 将棋を指していてーーインターネット専門になっていますがーーどう指しても勝てるという局面になることがあります。ここまでくれば絶対に負けない。駒を何枚渡しても絶対に詰まない。あちらは風前の灯火・・・という感じでしょうか。もちろん逆のケースもあります。そうやって勝ったり負けたりしています。
 そういうとき非常にいい加減に指してしまうことがあります。たとえば詰みがある。20手も30手も読まなければいけない詰みではなく、ほんの数手きちんと読めば詰めることができる。それを同じ勝ちだからと考えていい加減に指してしまう。
 
 これは人生にも通じてきますね。
 生きていると同種の瞬間が多々あるのではないか。それで本当にいいのだろうか? とも考えます。
 私ぐらいの年齢になるともはや自分を他者と比べてどうのこうのはなくなります。私と同年代で私よりはるかに学のある偉い先生も、社会的地位の高い立派な方も、大きな資産を築かれている大金持ちの方もーー数え切れないぐらいいらっしゃいますが、私は私自身であることで日々とても落ち着いています。
 
 しかし、自分自身に対する理想とかけ離れている部分に焦燥感を抱くときがないわけではありません。面白いもので、先が見えてくるとかえってそんな感覚を持つようになりました。
 具体的に書くと、たとえばこういうことです。ここ1年ぐらい、私は自分の食べ方が何となく汚いように感じられて不快になるときがあります。昔はあまり意識しなかった。しかし、この歳になったらもっときれいに食べるべきだという基準値が、勝手に上昇してきてしまいました。これはなかなか難しいですよ。
 
 私の食事風景が他者と比べて著しくひどいということはないでしょう。そこは幼いころからしつけてくれた両親に感謝すべきなのでしょう。箸の使い方なんかもそれなりにきちんとしているはずでした。
 しかし、もっともっとよくできるはずだという気持ちになるのです。将棋にたとえると勝ちだからいいやではなく、正確に詰めたい。食べている最中に汗をかいたりすることがちょっと許せない気持ちになる。あるいはこの季節ですと、食べている途中で鼻がずるずるいってかまずにはいられなかったりするのが気になります。
 汗をかいたり鼻をかんだりしない厳しさが詰みの理想であり、そこに至らない未熟さへの嘆きですね。
 
 何人かで酒席をともにしていてうっかり自分が先に料理に手をつけてしまったようなときも(もう少し待つべきだった)と猛省します。相手(だいたいは年下です)に先にとらせるのだった・・・ということですね。みんなで食べるのだから、それぞれ好き勝手でいいじゃないかではない。少なくとも私はそれではいけないと自分を責めたりする。
 歳をとってからそう考えるようになりました。所作の美学ですね。要求水準はどんどん高くなる。それでいいのだろうとも思います。
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2015.03.27 05:24

 今日27日からZ会進学教室では春期講習がはじまります。今回、私はけっこう忙しくてーーありがたいことですがーー朝スタートのコマも夜の最後のコマも授業があります。早めに帰る、あるいは遅めに来るということができません。
 おまけに母親の再手術がこの期間に控えているので、落ち着かないことは落ち着かないですね。ただそれもまた「全体の意志」だと割り切って、部分の私は全体の意志に従って淡々と生きていくことにします。
 
 その関係で真夜中か朝方しかブログを書けません。変な時間帯に次々アップすることになると思うのですが、異変が起きているわけではありませんのでよろしくお願いいたします。
 Z会進学教室会員(高校受験部の中学生)の方、30日の月曜日だけはお休みですから間違えて教室に来ないようにしてください。この日だけ休室日と言って先生も事務の人間もお休みします。そういう日を1日ぐらい作っておかないと疲弊してしまいますからね。体力的には大丈夫でも授業の質が低下したら大変なので、講習期間必ず休室日を作っています。
 
 そういう日は何をしているのか。
 ぼんやり音楽を聴いていることが多いかもしれません。予習みたいなものはもうちゃんとすませてある(皆さんはどうですか?)ので、自宅で改めてテキストを開いたりはしません。DVDを借りてくることもあるかな。最近はほとんど借りないのですが、先日まったく期待せずに「転落の銃弾」という映画を借りてきたらけっこう面白かったのでーー明け方見ていたせいかもーーまた何か借りてくるかもしれません。
 
 私の部屋のテレビは本当にもう見えなくなってしまいました。3月9日で変換が終わったからです。テレビを見るという選択肢がなくなりました。家族の見ているテレビはありますが、ほかの部屋だと落ち着きません。とりあえずテレビはない。
 パソコンも家内のものなので、いつも見ているわけではありません。映像による刺激が乏しい生活というのは非常にいいことはいい。音楽であれば聴きながら何かができますから。
 
 ちょっと作ってみたい料理があるのですが、特殊な肉が必要なのでなかなか実現できないままでいます。東京三大煮込みの1つ、北千住のOが家庭向けのレシピを書いていたのを古い雑誌で発見しました。特殊な肉300グラムと醤油や料理酒、みりんなどの配分表ですね。長時間煮込むとよいとあります。オヤジさんの「大鍋じゃないとなかなかこの味は出ないけどね」というコメントつきです。
 それをやってみたい。やってみたいのですが、そんなこと、休室日にわざわざやらなくてもいいか。
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2015.03.25 04:58

 真夜中というか・・・明け方ですね。記事を書いたらもう少し寝ます。
 「尊敬する人は?」という類の問いかけがありますが、特定の方のすべてを丸ごと知っているケースはありえないので、質問されたときにはとくに思い浮かびませんと答えることが多い。ぜんぶわかっていないのに安易に尊敬していますと口走ってはいけないような気がするのです。むしろ個々のエピソードに対して尊敬の念を抱くという感じでしょうか。
 先日、こういうことがありました。この話を私はーー現在はもう成人しているーー生徒から聞きました。あとでいろいろ考えましたよ。まだ考えている最中かもしれません。そして非常に尊敬できる内容だと思いました。
 
 その生徒の高校時代の知人(友人と呼べるほど親しくはなかったそうです)が悪いことをして警察につかまりました。つかまった人間は親でも親戚でもなく、なぜか彼に助けを求めてきた。警察から連絡が来て彼は出かけていきました。そこまでする義理はないのですよ。それでも求められるのであれば・・・と出向いていったそうです。
 あとでいろいろなことがわかってきたのですが、相手は散々悪いことをしてきて親子の縁を切られてしまっていたそうです。頼りになりそうな彼に助けを求めてきた。
 
 警察や裁判所に何度も足を運んだと言っていました。できるかぎりの助力を惜しまなかった。彼らしいと思いましたよ。昔からそういう人間なのです。
 お金のことだけではなくあれこれと世話をやいた。ところがーーよくある話ですーー相手は恩人の彼のことも裏切ってしまいました。裏切っただけではなく、また悪いことをして警察につかまった。そのときはさすがに直接の連絡はなかったそうです。
 いまはどこでどうしているやら・・・と彼はため息をついていました。
 
 この生徒は単純な「お人よし」ではありません。同時にまた「世間知らず」というタイプでもありません。冷静に考えて助けることに決めたのでしょう。自分が裏切られる可能性についても事前に予想していたように感じます。
 助けるべきか助けるべきではないかという問題ではなく、思い切って「助ける」と決めた彼はたいしたものだと感じました。損することを予感できてもあえて手をさしのべずにはいられなかった男気ですね。
 
 人間の魅力はそういう部分に強く出てきますね。私はーー以前書いたようにーー迷ったときは「ブッダならどうするか?」と考えて行動するようにしています。これまたブッダという人間を全面的に尊敬しているという意味ではなく、指針に従うことが自分のような人間にはいちばん世の中全体に害にならないように思えるからです。
 得したように感じることもあれば損をしたように感じることもあります。しかし奥深いところでは、本質的な損得はないのだとも考えています。何かが本当に私のものなのであれば、もはやどういう方法でも私から取り除くことは不可能だと考えるからです。
 
 
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2015.03.23 09:46

 テキストに「予習してきなさい」と記載されている場合があります。この予習というやつが案外難しい。国語なんかですと課題文があり問いもついてきます。皆さん、それなりに何かしらやってきます。確かに見てはくるでしょう。見てきた証拠としてノートに問題も解いてくる。
 ただ残念ながら、非常にいい加減である場合も多い。面倒な問いーー記述問題ですねーーはぜんぶ「考えたけどわかりませんでした」ということになってしまう。
 
 もちろん語句の意味をあれこれ調べたりはしていません。問いのみを大慌てで解いてみましたという形の予習です。
 こちらがいきなり説明から入ってしまったらーーそもそもよく考えていないわけですからーー半分ぐらいしか理解できないかもしれない。であれば、むしろその場で10分でいいですから読ませたあとで説明をはじめたほうが効果的です。クラスの授業を担当していると(とくに低学年)そう感じることがしばしばあります。
 
 また、こちらとしては復習こそいちばん大切にしてもらいたいという気持ちがあります。いつも書いている通りですね。1度やったことを「完全に」自分のものにする。ピアノの暗譜と同じ状態まで熟達してほしい。
 大慌てで形だけの予習をやってくる精神状態で、はたしてそこまで復習時間を確保できるのかどうか。そのあたりも非常に心配です。復習テストみたいなものをやると全然できていない。まあ、よくある話ですね。
 
 ですから、私は予習を少なめに出すことがあります。ぜんぶやってきなさいと言ってしまったらどれだけいい加減になってしまうか、ちょっと恐ろしい感じがあるのです。
 優先順位としては①テストのある項目(漢字や単語です)の学習→②学んだ部分の復習→③つぎの範囲の予習という感じでしょうか。
 とくに講習期間はわざと予習を課さない日を作って、いままでのところをぜんぶ見直す作業にあててほしいと告げることがあります。明日の課題は教室内で演習時間をあげるからむりに解いてこなくてもいいよという感じで。
 
 そのあたりやっぱり建前と本音みたいな感じで、いろいろとイレギュラーな要素が出てきます。目的は「最大の効果」ということにありますから、「予習必要」と書いてあるのにやってこない生徒が全面的に悪いとも言い切れない事情があるのです。
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2015.03.22 06:47

 昨年度の受験生の卒業パーティーを3月25日水曜日の晩に実施することになっています。毎年やっているのですが、今年も高校部から教室をお借りして盛大に(?)やります。景品が出るビンゴゲームがあり、私も何か賞品を買って来ないといけないのですがまだ何にするか決めていません。
 あんまり高価なものでも変ですし、まるで役にたたないものでももらったご本人が困るでしょうから、適当に面白そうなものを買って来ようと思っています。
 
 あれがいいかな。入浴剤。
 渋谷のあるお店で「死海の塩」というのを見つけました。何度か買って自宅で使ってみたのですが、死海というだけあって何か厳かな気分になりますよ。私は暗示にかかりやすいのです。けっこういい値段ではあるのですが、そういうあっさりしたもののほうがいいですね。捨てたくても捨てにくいなどという「物体」より、はかなくていい感じ。
 ほかにもフランスの深海の海水塩の入浴剤もあり、それも非常によかった。ただ語感から考えると「死海」のほうが自分にはぴったりくるな。
 
 パーティーはあまり得意ではありません。幼いころから友人の誕生パーティーに呼ばれたりしていましたが、あまり印象に残っていません。おうちの方にご挨拶したり、いろいろ緊張するのがいやだったのですね。
 卒業パーティーのときも私はだいたい静かにしています。今年は副教室長のN先生が先頭に立って大暴れ(?)してくださるそうですので、私はぼんやりしていればいい。ぼんやりするのは非常に得意ですから、思い切りぼんやりしてやろうと考えています。
 
 今年はご馳走に何を注文したのかーー人任せにしているのでよく知らないのですがーーいろいろな食べ物が出てきます。相当用意してもなくなってしまう。中学生はたくさん食べますからね。例年だとピザをとっていましたが、今年は趣向を変えるという話を聞いています。
 自由参加なので人数が読めないところが難しい。足りなくてももちろん困るのですが、こんなに余ってしまったのか・・・というのもまた非常に困る。少しだけ余ったぐらいがちょうどいい。その加減が微妙に難しいですね。
 
 池袋教室時代は変な色紙をプレゼントに出したことがありました。ばかみたいな絵を描いた。周囲が色紙にするといいでしょうと薦めてくださったので描いただけで、自分からまさか私の色紙を賞品に・・・とは言い出さないですよ。
 パーティーが終わってみんな帰ってしまうと、少しだけ感傷的な気分になります。もう2度と会うことがない生徒もいる。そういうものです。いつでも会えるような気がしていますが、そうではありません。今年も集合写真は撮るのかな。写真のなかの私はいつも幽霊のようですよ。心霊写真みたい。自分でも感心します。
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2015.03.21 06:31

 今日も忙しいので早朝に。
 都立(グループ作成)入研のためあれこれ準備をしているときにこういう文章にぶつかりました。「・・・自然の発する嗟嘆の声は、すべて恋の暗喩なのであって・・・」。いちおう嗟嘆と暗喩には注がついていました。嗟嘆は「嘆き」とあります。これはまあわかる。ところが暗喩の注には「『・・・のようだ』等の形式を用いないたとえ」としか書いていない。これで恋の暗喩の意味がわかりますか?
 つまりすでにある程度暗喩の概念を知っていないと理解できないわけです。恋の暗喩というセリフにこくんとうなずける中学生にしかわからない。
 
 いわゆる難関高校の国語の問題にはそういう要素があります。注を見てたどたどしく意味をつなぎ合わせているレベルでは、本質的な理解が伴わない。だからこそ、普段から読書の経験を積んでおかなければならないのですよ。語彙をいちいち調べていたのでは連続的な解釈がままなりません。「恋の暗喩」がすとんと胸に収まってくる「重層的な語感を持つ人間」に成長しておく必要があるいうことです。
 もちろん合格者全員がそこまでいってはいませんよ。国語では点数がとれず、数学で稼いだ人もたくさんいるはずです。
 
 ただ「どうしたら国語ができるようになりますか?」という質問が出てくるととにかくたくさん読んで豊かな言語感覚や教養を身につけて、そのうえで調べて考えなさいと伝えることになります。豊かな言語感覚や教養がほとんどない状態でただ調べなさい、考えなさいではご本人がつらいでしょう。調べても調べても考えても考えても、「恋の暗喩」はぴんと来ない。
 そういう生徒はまた当然大人の会話ができます。優秀な生徒と面接練習をしていると、ここからは一般の中学生にはなかなか超えられない壁だなと感じる瞬間があります。ここからの会話は完全に大人の世界というポイントがある。
 
 大人の会話ができたほうが高く評価されるのは事実であり、私が感心して「きみはどうしてこんなことを話せるのか?」と質問すると、だいたいは「自宅で親(お兄さんお姉さんのことも多い)とよくこんな話をします」と答えます。
 文系理系のどちらに興味がありますかという質問をした。理系ではあるのですが、世の中理系の部分ばかりが突出すると危ないような気がするので、文系の視野を持って抑止していく形の職業が希望ですと答えた中3生がいました。「医者」とか「弁護士」とかというある意味わかりやすい答に比べてーーいい悪いではないですよーー何という含蓄のある答えだろうと感心しました。ふだんから話していなければとても思いつかないですね。
 
 日ごろの会話だとか読書だとか、やはり非常に大切だと思います。勉強ではないように見える部分で差がついてしまうことがよくあるので、ちょっと気をつけてみてください。
 
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2015.03.20 09:23

 昨日は完全にお休みをいただいた。おととい母親の様子は見てきましたし、クリニックにも出かけたので完全に「休み」でした。
 そこで行ってきましたよ、大泉学園教室。M先生とTさんがいらっしゃった。私がお邪魔したときもお話を聞きに保護者の方が2名いらっしゃっていた。M先生は面談中でした。
 本当に駅前なんですね。傘がいらないぐらいです。建物は小さめでした。それはまあ仕方ないですね。
 
 生徒はすでにたくさん来てくださっています。池袋教室から移動してきた生徒も多いそうです。しかし・・・私の感じでは(こんなに来るか?)というぐらい多い。
 2004年に池袋教室ができたときのことを覚えています。初年度の教室長ということで私はそれなりに緊張しました。生徒を集めないといけないですからね。池袋教室はおかげさまで大成功しました。大成功しましたが、出だしはどうだったか。大泉学園教室と同じでお茶の水教室から移動してきてくださった生徒は複数いました。それでも春期講習が終わるまでは苦しかった。
 
 わかりやすく書いてしまうと土日の3Kコースですね。そういうコースがあった。3月度は2名でスタートでした。2名を2クラスに分けました。信用のためにどうしてもそうしたい事情がありました。1クラス1名ですよ。
 春期講習後はすぐに生徒が増えたのですが、そういう出だしだった。はたして大泉学園教室、すでに土曜の3Kコースに2桁の生徒が集まっています。いまからこの人数だと、夏以降は入れなくなってしまうのではないかと余計な心配をしたぐらいです。そういうことは勘でわかりますからね。
 
 教室の空気がやはり丸いのですよ。M先生もTさんもとても穏やかに動く。所作というか、そうしたものが穏やかなのです。ぴりぴりしていない。ものすごく大切な要素で、働いている私たちの日々の全行為が空気感染みたいに教室の雰囲気に上書きされていきます。私たちはその「空気」に責任を負っているわけです。生徒や保護者の方の前だけでにこにこしていてもいい情報がなかなか上書きされません。
 夜はその2004年度池袋中3生の男子(子ではないな)と何年振りかで会いました。
 
 池袋で飲みました。当たり前ですが彼も大人になった。いろいろな話が出ました。女性の話なんかも。
 私は買ったもののほとんど着なかった服(どなたにもあるでしょう)というのもむだではなかったのだという話をしました。人生はすべてそうであるという話を。ほかの服を好んで着たのはなぜなのか。買ったのにあまり着なかったその服の存在こそが大きいのです。前向きに生きているかぎり、むだというものは存在しない。そこに気づけるかどうか。
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2015.03.18 00:17

 今週、いつもと違って水曜日と木曜日をお休みにしました。人員の関係でいろいろなことがあるのです。水曜日も面談予定が入っていますから教室に来ることは来ます。クリニックにも行きたいし母親のところにも行きたいのですが、なかなかうまく時間がとれません。
 飲み屋さんなんかですと開いている時間帯はずーっと開いているので、その気になればいつでも行けます。高齢の親のところは、相手が疲れていない時間帯を狙うことになるのでかえって難しかったりするのですよ。
 
 お休みですが、お知らせしたいことがあり記事を書きました。
 拙著について教室で「渋谷ではどこで売っていますか?」と訊かれることがたびたびあります。そのたびに東急プラザの紀伊国屋書店さんをご案内してきました。多めに置いてくださっているそうなので、いつでも入手可能です。
 ところがですよ。東急プラザそのものがとうとう閉館になってしまいます。複合ビルとして3年後ぐらいに生まれ変わる予定だと新聞にも書かれていました。
 
 ということは・・・もう大きな書店からは撤退か? と心配していたのですが、編集者の方が渋谷メトロ駅直結「ブックファースト」さん(総合書店)と交渉してくださいました。
 
http://www.book1st.net/shops/tok_b01.html
 
 東急プラザが閉館後は多めに置いていただけそうだということですので、ちょっと安心しました。子育て・育児コーナーに置かれることになると思います。そもそも受験を経験することによって、子育てが円滑に進んだり個人がうんと成長できたりということが真の目的ですから、育児コーナーに置いていただけるのは願ったり叶ったりです。
 
 東急プラザにはあと1度だけ入ってみようと思います。前回自分の書籍がどんな風に置かれているか確認するために行ったときが最後だと思っていたのですが、きちんとお別れを言わなかったという気持ちが残っています。きちんとお別れというのは・・・要するに各階をゆっくり歩こうということですね。
 東急プラザは本当に愛着のある施設でした。何しろ目の前の「中野坂上経由中野行き」のバス停をいつも利用していましたから。渋谷で愛着がある施設は他に東武ホテルと西武デパートのB館かな。 B館の地下で20代のアラン・メリルを見たお話はどこかに書きましたかね。店員さんが持ち場を離れてぞろぞろ着いて歩いていました(おいおい)。
 
 ああなりたいと憧れた。そしてこうしかなれなかった。まさしく天と地ほどの違いですが、悔いはないですね。私は私で、真正面から日々いきますよ。励ます力です。
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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