2015.02.28 07:36

 先日、フランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズの4枚組CDとDVDを手に入れた話を書きました。彼らのアルバムを買うのも人生最後になるかもしれませんと書いた。
 ところがですよ。今週の火曜日、お休みにして教室には出てきました。仕事のような仕事でないような複雑な(?)用事があり、とにかく来ていた。休みですから必ずしも定刻に来なくてもいい。タイムカードも何も押さないわけですから。
 タワー・レコードでものぞいてみようかと寄り道しました。
 
 サンダーというブリティッシュ・ハード・ロックのバンドが新譜を出したのです。昔は何枚もアルバムを持っていました。ギタリストのルーク・モーリーについてはブログでも取り上げたことがあります。必ずしもバンドとして大好きというわけではないのですが、ルーク・モーリーだけは好きなのです。そういうことってありますね。
 アルバムを買うかどうか迷っていました。たぶん買うことになるのだろうと思いながら洋楽の階に向かった。
 
 サンダーの新譜はずらりと並んでいました。発売されたばかりですからね。ついでにいろいろ見てみました。T・レックスのかつて見たこともないアルバムもちょっと手にとったりした。
 オールディーズのコーナーにも行きました。ジェファーソンというシンガーの「ベイビー・テイク・ミー・イン・ユア・アームズ」という曲が入ったCDをずっと探しているのですが(この曲についても以前記事にしました)、今回も見つかりませんでした。ザ・フォー・シーズンズの棚のまえも通りかかった。で、「!」となった。
 
 アルバム18枚組のボックス・セットというのが売られているではないですか。1つしかない。見てみると私が中学時代ーー1970年代ですーーレコード屋さんに問い合わせてこれも廃盤、あれも廃盤と言われたアルバムがすべて揃っています。レコード・ジャケットの写真を覚えているわけですよ。
 1980年になって渋谷の中古盤専門店でやっと見つけたアルバムも入っていました。「おおーっ!」ということで即決です。思ったほど高くはなかった。
 
 18枚組ですからね。まだぜんぶ聴き終えていませんが、1970年代半ば以降のものはーー大ヒットしたものもーー自分にはあまり面白くないですね。やっぱり60年代中期のものがこのグループの本質的な姿なのだろうと思います。フランキー・ヴァリのコンサートでもその時代の曲がいちばん受けていましたよ。「悲しき朝焼け」とか「雨に言っておくれ」だとかですね。
 サンダーのほうは当日は見送りました。何しろ18枚組ですから。息子に「そんなに・・・死ぬまえに聴き終わるのか?」とからかわれましたよ。
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2015.02.27 09:37

 人間は本当に進歩向上しているのでしょうか。最近はそういうことをよく考えます。科学技術みたいなものはもちろん飛躍的に進歩しました。それは間違いない。しかしそれを使っている人間の内面というか本質というか、そういったものは本当に進歩しているのでしょうか。
 国語の授業のとき和歌の話をすることがあります。昔は意志を和歌でやりとりしていた。直接会話するのではなく、和歌のやりとりで気持ちを伝えていました。好きですということを和歌で伝えた。春が近い喜びを歌で伝えた。
 
 主に短歌ですね。みそひともじ(三十一文字)のなかにありとあらゆる思いをこめた。そういうことが現代人にすらすらできるとはとても思えません。もちろん私も含めてですよ。私の場合、ものすごく時間がかかるでしょうし、どれだけ時間をかけても平安時代の人のように深い歌が詠めるとはとても思えません。
 またどなたかから歌をいただいたとしても解釈できない可能性があります。恋愛の歌であっても(いまの私に恋愛の歌をくださる方がいるわけがないという現実はべつにして)「あ、この人自分のことがこんなに好きなのか!」と気づけるかどうか。
 
 言語センスや知的な理解がひょっとすると平安朝の人間より低下してしまった可能性もありますね。
 生徒にときどき勉強できるようになるために「やらなくていいことはやらないでいなさい」と話すことがあります。それだけ時間をとられますし、気が散る(こちらの要素がこわい)からです。大切なことにじっくり取り組み、余韻まで楽しむぐらいになってはじめて物事は上達していきます。余韻を感じるひまもない・・・というところにうまくいかない原因の1つがあると思っています。
 
 ブッダとかキリストとかソクラテス、孔子、老子、日本の昔の偉いお坊さんや思想家の方たちがしていないことを私たちはずいぶんたくさんしています。それが本当に自分たちの成長の糧になっているのかどうか。
 テレビもない。ゲームもない。携帯電話もスマホもない。そもそも電話がない。コンピュータもない。情報が全然入らない。アイドルはいない。娯楽施設はない。配信される音楽もない。飛行機どころかバスも電車も走っていない。そのなかであれだけの思想を遺産として残せたわけです。
 
 ひょっとすると彼らが偉大であったのは生来的なものだけではなく、何もなかったからかもしれませんよ。ひたすら思考を深める余裕を持てた。冷静に世の中を観察できる力をつけることができた。それが偉大さを生み出す条件だったのかもしれません。どんな偉大な宗教家、思想家、哲学者も現代に生まれていたら余計なことをやりすぎて、どこかで道をはずれていた可能性があると思うのです。孟母三遷という有名な言葉がありますが、現代は引っ越しても引っ越してもくだらないことが追いかけてきます。現代文明の便利さのなかでひたすら酔っているとしたら、ちょっと気をつけなくてはならないと考えています。
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2015.02.25 09:07

 幼時期、田舎の祖父祖母の家に遊びに行って私は将棋というものをはじめて知りました。実家には将棋盤がーー粗末なものもーーありませんでした。将棋盤を見たのは田舎でです。
 父に駒の動かし方を習い一局指してみようということになりました。私はまったく偶然に角道を開けました。定跡なのですが、もちろん知りません。何も考えずに適当に動かしたら定跡だったというだけのことです。父親はそれを見てちょっと怪訝そうな顔をしました。
 
 おまえはどこかで将棋を教わったことがあるのか? 何だか上手だと言われているみたいでやみくもにうれしかった。
 小学生のころ、将棋の強い同級生がいました。先生を負かしたりしている。私も指してみましたが手もなくひねられた。あとでちょっとだけ横から見ていたべつの同級生に「さっきの勝負はどうなった?」と質問されました。私は「引き分けだった」と嘘をついた。嘘をついた瞬間、私を負かした同級生が近くにいることに気づきました。彼は冷たい微笑を浮かべて私をじっと見ていました。未熟な私は彼の死を願いました。
 
 そんな話はどうでもいいか。
 その後将棋に夢中になったのですが、いちばん強かったころは町道場の4段ぐらいありました。4段で勝ち越せていましたからまあまあ強かった。
 いまは初段か2段ぐらいしかないのですが(インターネットでもだいたいの棋力はわかります)、あまりにも負けがこんだりすると少し勉強しようという気持ちになることがあります。全盛期(?)みたいにはなれないでしょうが、少しだけ力を取り戻してやろうという感覚でしょうか。
 
 いろいろな勉強方法を試みるのですが、いちばん効果があるのはやさしい定跡を丁寧に並べることです。これはある時点で本当に効果があると気づきました。
 「将棋大観」という古い駒落ちの定跡書があります。前世紀に亡くなった大山康晴永世名人が勉強したという古典的書物です。その定跡を映像を見るだけでなく、きちんと「盤上に」並べる。たとえば6枚落ちなんかーーさすがに定跡を覚えなくてもどうやっても勝てるぐらいの力はあると思いますがーーあえて解説を読み意味を確認しながら暗記し直す。
 
 逆に効果がないのは最新の定跡や流行の形などを表面上手っ取り早く覚えてしまおうとすることですね。ネットで最新のタイトル戦の情報を仕入れるだけというのも力がつかない。ちょっと勝てたりはしますが、本質的な勉強にはまったくなっていない感じです。
 皆さんの勉強と同じだなと感じることが多々あります。量を稼ぐとかそういう発想ではだめですね。また思いついて1日「だけ」猛勉強するのもいけない。昔ながらの方法でこつこつ手間をかけて理解し覚える。さらにはそれを応用する気持ちを持つことが大切なのでしょう。
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2015.02.23 09:21

 何度も書いてきましたが、私は勉強することのみがすばらしい生き方だとは考えていません。勉強することも確かにすごい生き方の1つですが、ほかにも輝くような生き方はたくさんありますね。
 格闘技に燃える、ギターを弾く、絵を描く、ダンスコンテスト優勝を目指す、囲碁を打つ将棋を指す、歌を歌う、料理の道に精進する・・・すべて甲乙つけがたいすばらしい生きざまであり、どの道がどの道より偉いとか偉くないとかという差はないと考えています。全力というところに価値があるのですよ。
 
 教室には勉強で頑張ろうという方がたくさんいらっしゃる。とりあえずはいい高校に入ろうという意志を持たれている方ですね。では、いい高校で何をするのか。
 いろいろあるでしょうが、当然基本は勉強です。確かに部活動も熱心にやるかもしれません。しかし本気でサッカー中心にやりたい、ギター中心にやりたいということであれば勉強が負担になりすぎても困るでしょうから、いわゆる勉強の「トップ校」は目指さないと思います。二兎を追うものは・・・ですね。
 
 なぜこんなことを書いているか。
 じつは推薦入試は終わっています。終わっているということは合格者が出ています。すごい倍率ですから不合格でも全然心配ありません。昔、ある都立高校の推薦入試で教室からの受験生全員が不合格だったことがありました。私は全然慌てませんでしたよ。はたして一般入試では今度は全員合格です。翌年、保護者会でこの話をしたことを覚えています。
 その推薦入試に受かった生徒というのは、いま何をしているのでしょう。
 
 これを読んでくださっているあなたもそうかもしれない。毎日何をしていますか?
 渋谷教室でいわゆる高い志望校に推薦で合格した何人かの生徒、翌日から何事もなかったかのように連日自習室に来て勉強されています。全然騒がない。全然はしゃがない。静かに勉強しています。
 私のところに「すぐに高校の勉強をしたいのですが」と相談に来た生徒も複数いました。少しでも前に進もうという強い意志を感じます。
 
 彼らは勉強を選んだという自覚を持っています。料理でもダンスでも楽器演奏でもなく勉強を選んだ。そのための難関校合格です。当然、選んだ道をひた走る覚悟ができている。娯楽も必要でしょうし息抜きも必要でしょう。しかし、勉強することが阻害されるほどは遊びませんし休みもしません。自分の選択の責任を黙々ととる。自分との約束を着実に果たす。
 夢みたいなところに受かったー! これからは完璧に遊ぶぞー! では大きな遅れをとってしまう。どの世界も同じだとは思いますが。
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2015.02.22 06:48

 「励ます力」の発売がきっかけになり、以前教えていた生徒が連絡をくださることがあります。先週もそういう男の子と会いました。男の子ではないな。もう30代半ばですから。
 彼を見ていたのは21年前のことで、教えていた塾はZ会ではありません。21年まえはまだぎりぎりZ会の時間講師になっていなかった。私がZ会進学教室の講師採用試験を受けたのは19年前です。
 ですからべつの塾で見ていました。彼がその塾をやめたあとは個人的に見ていた時期があります。
 
 素直ないい生徒でした。ただ内側に固いものがある。非常に強い個性です。それを出さないようにしている。だから一見柔らかい印象を受けるのですが、内側の固い本質が快活に生きていくことを阻むような時期もありました。
 わかりやすく言うとこういうことです。たとえば私はディズニー・ランドに行ったことがありません。皆さんがディズニーの世界が大好きであることは好ましく思っていますし、子どものころは自分もディズニー映画に必ず連れて行ってもらいました。テレビ番組(日曜日にやっていました)も毎週欠かさず見ていた。
 
 しかし、ある時期からあえて避けるようになりました。おそらくこのままディズニー・ランドには一生行かないでしょう。何かいびつでおかしなことになってしまっていることはわかるのですが、スタイルは崩したくない。そういう固さが私自身のなかにあるので、彼の内側の固さやこだわりについてもよく理解できます。
 彼ももうりっぱな大人ですからね。男同士居酒屋で飲もうかということになった。飲んでいるうちに昔の話が出てきました。
 
 そもそも私はどうして彼と直接連絡をとるようになったのかよくわかっていません。昔はそういうことに寛容でお互い住所を教えあって年賀状なんかをやりとりする機会がよくありましたが、最近はずいぶん神経質な世の中になってきました。規則は守らなければいけない立場ですから、気楽な気分で個人的にやりとりをできなくなっています。ちょっと窮屈なところがありますね。
 彼がきっかけを教えてくださった。私は彼の最後のテスト答案に死にたくなったら電話をくれと自宅の電話番号を書いておいたそうです。何となく心配だったのでしょうね。
 
 そして連絡をもらった。まさか本当に死にたくなったわけではないですよ。おうちの方からご相談をいただいたこともありました。
 いまは彼も公的な職場でたくさんの人間を助けています。困っている方の手助けをなかなか自分ほど掘り下げてはできないと思いますと断言していました。誇りを持って働いている様子が伝わります。その姿勢には私からの影響もあるとおっしゃってくださった。慈悲深くということですね。
 
 みんな本当にしっかりしてきます。大切にされたという記憶さえあれば花は開くものです。大丈夫なのですよ。
 
 
 
 
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2015.02.21 07:24

 先日、ちょっと予告めいたことを書きました。幼稚園のときに衝撃を受けた話です。
 私の母はーーひと言で形容するとーー非常に真面目です。冗談がわからないようなところがあります。ですからどこかで教えられたことは、絶対に正しいと信じ切っています。ちょっと危険だとも思います。
 私が幼児のころはまだ太平洋戦争のことを話題にする大人たちがいました。昭和30年代ですね。そういうときに母は軍人さんは偉い・・・みたいなことをさかんに語っていました。
 
 まあ、父も元軍人ですからね。同じ価値観のなかで生きていたのでしょう。
 で、こういうことを私は教わりました。アリがいますね。昆虫のアリです。あれは害虫なのですか? 母は害虫だと言う。見つけたら必ず駆除しなければいけないと教わりました。駆除というのは要するに殺すということです。必ず殺す。
 幼児ですから母の言葉は絶対でした。で、アリを見ると必ず踏みつけるようになりました。わーっと走っていって「えい、えい、えい」と狂ったように踏みまくる。
 
 いつでもどこでもそうしていました。母の言葉以外に真理は絶対にないと信じていましたから。アリだ! 殺せ! アリだ! 殺せ! という生活(どういう生活だよ)でした。
 私の通っていた幼稚園は仏教系の穏やかな幼稚園でした。担任がO先生といって非常にきれいなーー女優さんみたいなーー女の先生でした。私は後年この先生の写真を見て、あまりに洗練された美貌に改めてびっくりしたことがあります。こんな西洋的な美人は昭和30年代の日本に珍しかっただろうと思うのです。
 その日も幼稚園の庭で意気揚々とアリを踏みつぶしていました。日本中のアリを殲滅させるつもりでした。
 
 するとO先生が近づいてきてこうおっしゃった。「アリさんがかわいそうよ」
 先生はそんなことも知らないのかと思い、私は害虫だから殺したほうがいいんですと得意になって説明した。するとO先生は「害虫かもしれないけれども生きものを殺したらかわいそうだと思わない?」と静かにおっしゃった。
 衝撃を受けましたよ。直感的にそうかもしれないと思ったのです。思ったけれども母が間違ったことを言うわけがないと信じたいという気持ちもありました。それからはアリを殺したり殺さなくなったりしました。どう考えたらいいのかわからない。生きる指針を失った気持ちでした。
 
 あれから55年経過して現在の私が指針としていることはただ1点です。2つの道がある。どちらのほうがより慈悲深いか。いくつかの道がある。どれがいちばん慈悲深いか。それだけですね。正しいとか正しくないとかではなく個人的な好みです。「自分だけの道」を見つけていくことが、そしてそのことで少しでも世の中のお役にたてることが、人生の勉強なのでしょうね。
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2015.02.19 08:58

 ブログに体調不良のことを書いたところ、何人かの方から大丈夫ですか? というお問い合わせをいただきました。どうもすみません。火曜日自宅でじっとしていてーーちょうとだけ荻窪まで出かけましたがーーすっかり全快しました。インフルエンザではなかったのでほっとしましたよ。
 日曜日の夕方、突然おかしくなりました。寒気がしてお腹が痛くなった。熱もかなり出ていたと思います。急いで自宅に帰ると息子に「顔だけじゃなく唇まで白いじゃないか」と笑われましたよ。
 
 インフルエンザだったらまずいなということがまず頭にきました。むりすることはできても生徒にうつしてしまってはお話になりません。都立入試直前の大切な時期に教室長が不在というのは・・・ちょっと間抜けすぎるぞと考えた。
 もちろん先生はたくさんいらっしゃるので、実務的なことは何も心配ないのです。ないのですが、世の中小さな相談というものもありますね。小さなというか隙間的な相談。たとえば「この大切な時期に全然勉強する気が起きないのです」とか。
 
 そういうことを教科の質問で大忙しの先生方にすべて聞いてあげてくださいというのは申し訳ない気がします。だからと言って「やる気が出ない」という現実は現実でそこにあるのですから、少年少女にごまかして生きろと抑圧させるのもよくない。そういうことは私が聞いてあげるべきなのです。
 翌朝医者に行こうと考えていたのですが、ひと晩じっくり寝たら治っていました。もちろん熱はなし。せきも鼻水も関節痛も何もなし。ほっとしましたよ。
 
 考えてみれば人間に必要な励ましというのは「隙間」みたいな部分にたくさんあるのかもしれません。隙間の部分が励ましを求めているとでもいうか。
 たとえば全力で満点を目指せ! みたいな励まし方は本当にご本人の胸に響いてくるものなのかどうか。励まされた本人が励ましてもらってよかったと思ってくださらなければ、どんなにいい激励のつもりでもそういうことにならないでしょう。お前なら絶対できる! みたいな激励もそうかもしれませんね。
 
 むしろ「4割ぐらい落としたって全然心配いらないんだから」とか「できるはずのことができないような気持ちになるところが人間の面白いところだね」とか、ご本人が安心できるように伝えてあげたほうがいい励ましになるでしょう。
 拙著「励ます力」について、ときどき「どこで売っていますか?」というご質問をいただくことがあります。本屋さんになかったとおっしゃる。確かに西荻窪の本屋さんでも見かけないので、お手数ですがご注文いただくかインターネットでご購入いただくかということになってしまいます。
 
 渋谷東急プラザの紀伊国屋書店さんでは、ある方から「先週まだ平積みになっていた」とご報告をいただきました。すでに書籍をご購読くださった方でしたので、わざわざ偵察に行ってくださったのでしょう。
 いつもいつも応援いただいて心から感謝いたしております。ブログも続けてまいりますので、書籍ともどもよろしくお願いいたします。
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2015.02.18 01:30

 世に経済学という学問があります。経済について勉強されている方はものすごく多いと思います。経済学の先生もたくさんいらっしゃる。それぞれの方が世の中を豊かにしようと一生懸命努力されていると思うのですが、世界を概観してみるとなかなかうまくいかないですね。研究に研究を重ねてもうまくいかない。
 私はときどき経済というものはひょっとすると人間の本質にそぐわない部分があるのではないかと感じることがあります。丸ごと経済と呼ぶと大げさですね。「自己の豊かさをどこまでも拡大したい」願望と表現したらよいのでしょうか。
 
 人が生きるときーー私なんかもそうですがーーもっともっと豊かになりたいという願望の陰で何かが犠牲になっているのではないか。その犠牲になっているものが見えない部分で強く反発してくるので、表層の経済がうまくいかなくなるということはないでしょうか。専門分野ではないのでよくわかりませんけどね。
 もうちょっと分かち合う感覚があったほうがいいかなと思うこともあります。個としてどんどん豊かになるにせよ、さらに分け合おうという意志。分け合い方の研究に重点を置く。すると少し本質に近づいてくるかもしれません。
 
 人生、大切なことは一生懸命生きられるかどうかということでしょう。一生懸命生きる。一生懸命に生きるに価する人生であるかどうか。起きた物事には意義や価値があるのだと信じ、置かれた立場で一生懸命に生きていく。
 生徒の合否を見ていても、ここから一生懸命生きられるかどうかがいちばん重要だと感じます。首尾よく合格しても「ちょろいもんだ」と甘く見るようではいけない。逆に必ずしも第1志望校ではなかったとしても「高校に通えるのだから前向きに全力を尽くそう」と考えていらっしゃるのであれば、こちらとしては安心です。
 
 とりあえず衣食住が揃っていて義務教育後さらに自由に勉強できる10代というのが世界中にどれぐらいいますか? 日々の暮らしに困窮して勉強どころではない海外の少年少女を取り上げたテレビ番組を見たことがありますが、みんな「勉強したい」と言っていました。勉強が好きというより、勉強しないと現状から抜け出せないからです。勉強して家族や仲間を助ける立場に何とかして自らを置きたい。
 しかし、小さな仕事で小銭を稼ぐ日々を送る彼らには残念ながら学校に通うチャンスはまったくありません。
 
 なりたい自分になる自由、必要なだけの収入を得る自由、家族や仲間を助ける自由、世の中全体に学んだことで貢献する自由・・・どこの高校(大学)に進んでもとりあえずあなたはそうした自由を手に入れることができます。その価値に気づき、厳粛な気持ちで一生懸命生きればそれで十分だと思いますよ。真の成功者とは、そういう人のことを呼ぶのではないですか。
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2015.02.16 08:55

 昨晩は具合が悪く食事もとらずに倒れこむようにして寝たのですが、ひと晩で何とか復活しました。まだ(少しだけ)若いな。疲れたのでしょう。
 2009年にブログをスタートさせてからいよいよ6年になろうとしています。私は私立の中高一貫校に通っていたのですが、そのときと原理的には同じ歳月が過ぎてしまうのかと思うとちょっと感慨深いものがあります。どこまで続くのか自分でもよくわかっていませんが、とりあえず当分は書き続ける予定でいます。
 各種ランキングについてちょっと書いてみます。「人気ブログランキング」「ブログ村」ですね。さきほど見たところ珍しく両方とも1位になっていました。いつもありがとうございます。
 
 この2つのランキングとさらにZ会ブログランキングを合わせた3箇所でトップになることを私はひそかに「三冠王」と呼んでいるのですが、さすがにそういうときはほとんどありません。皆さん、面白いことを書かれていますから当然ですね。
 ランキングは会社の方が面白いので参加しましょうとおっしゃってくださって参加しました。私個人はひたすら記事を書いているだけで、そのへんのやりとりには全然関与していません。また参加するからには少しでも上位に入りなさい的なこともどなたからも一切言われませんから、気楽と言えば気楽です。
 
 6年間参加し続けて面白いなと思うのは、やはり栄枯盛衰ですね。顔ぶれが頻繁に入れ替わる。そういうものなのでしょう。
 書いていらっしゃるものが突然つまらなくなるわけがないので、やはりなかなか記事が続かないのでしょう。書けば書くほど収入が増える・・・という形にでもなっていればまたべつなのでしょうが、皆さん本業のお仕事や勉強の時間を割いて書かれているわけで、忙しくなって中断というケースも多いのだろうと思います。
 
 自分にしてもはじめから収入云々で書いているわけではないですし、現在は仕事中には書いていないので書く理由はどこか遠くに存在する感じです。
 どなたに読んでいただいているかということはあまり意識しなくなりました。読みたくなった方だけがいらしてくだされば、それでいいじゃないかという気持ちです。
 結果としてランキングが上がっていればうれしい。ただ皆さんのお力でランキングを上げてくださいと煩雑なお願いをしたことは1度もなかったと記憶しています。
 
 おおげさなことを言えば、私にとって何かを表現することはすべて愛情なのです。LOVEの愛情ではなく、周囲の環境(もちろん人間も含まれますが)に対する慈しみや大切さという意味の愛情ですね。環境をいとおしんでいく感覚で日々書いています。そして自分にとって書くことが愛することであるように、生きることもまた愛することです。書くことと生きることと愛することは密接につながってきています。おおっ! 病後だけに、何かすごいことを書いているな(うなされているだけだったりして)。
 
 
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2015.02.15 06:44

 最近は毎週耳鼻科に通っています。もう10数年こんなことをやっているわけで、完全に持病ですね。病名も一応あるのですが、要するに何か菌みたいなものがいる。みたいなものというよりそのものずばりがいます。そしていろいろと悪いことをしかけてくる。痒かったり少し痛かったり耳鳴りがひどかったり。1年間ぐらい何もなかった時期もあったのですが、疲れてくるとどうしても弱い部分にダメージが出ます。対症療法しかないらしく薬をもらってつけています。で、週に1回掃除(?)をしてもらう。
 
 先週は忙しくて耳鼻科に行けませんでした。飲みに行ったりできたのにおかしいなとも思うのですが、少なくとも耳鼻科の開いている時間帯は忙しかった。というわけで、明日が待ち遠しいですよ。耳がきんきんいうので自分の話している声がどれぐらいの音量なのかよくわからず、授業をしていて苦労します。声が大きすぎるのも威嚇するみたいでよくありませんし、小さすぎるのももちろんよくありません。
 喉にくる衝撃みたいなもので間合いを計りながら喋るようにしています。
 
 けっこうわかるものです。これぐらい声がかすれるのであれば適正に話しているなということが。
 こういうときの心構えとして、それでも私は否定的には考えていません。「これはこういうものであり、その状態で絶対的に正しいのだ」と思っています。
 もっと重い病気ーー高熱で倒れているような場合ーーでもとりあえずこれはこれで正しいと考えるようにしています。この状態を楽しむ以外に楽しんで生きる可能性は皆無なわけですから発想を転換するしかないですね。起きていることは何か意味があるということです。
 
 もちろん悪い状況は病気に限らず脱したいというのが本音です。可能な限り明るい方向に進んでいきたい。要するにそれが遅々として進まないときの考え方です。そのときはいっそのこと状況に思い切り飛びこんで楽しんでしまおう! という感じでしょうか。
 昨年の今日は大雪で大変な目にあいました。外に出ると雪が積もっていてバスも走っていない。西荻窪の駅までは晴れていても徒歩で20分かかります。そうしたときがらりと気持ちを変えて大雪を楽しむぞー! とファイトを燃やせるかどうか。小学生のころは雪が積もれば積もるほど楽しかった。問題は雪にあるわけではなく、私にあるのでしょう。
 
 この記事を書いていてある出来事を思い出しました。幼稚園のときに衝撃を受けたことがありました。いずれーー近い将来ーーその話も書きますね。
 
 
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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