2015.01.19 09:20

 Z会進学教室ではーーどこの教室でもーー入試が近づいてくると受験生の方自由参加の「壮行会」という催しを実施しています。渋谷教室はだいたい日曜日の夜ですね。先生方にも集まっていただいてお話をする。で、士気を高めていただくわけです。
 昨晩行いました。いろいろといいお話があった。緊張していいのだということをおっしゃっていた先生がいらっしゃった。緊張して当然なのだと。むしろある程度緊張しなさいと。
 
 大量の参考書を持ちこんで混乱しないようにというお話もありましたし、最低限休み時間にながめられる参考書やノートを持っていきなさいというお話もありました。一見矛盾しているようですが、要するに「落ち着ける範囲のことをしなさい」という内容は共通しています。
 あれもこれもわからなそうだ、どうしよう・・・とかーっとなってしまいそうであれば何も持参しない。何もないと不安で不安で仕方がないという人は何か持っていく。そういうことです。
 
 私はーーいつもそうですがーー瞬間に生きる大切さについてお話しました。
 昨日もブログに書きました。夏休みのことを悔いてもそれはもうどうしようもない。高校に入ってから本当に頑張ってやると強く決意していてもそこには手が届かない。だから確実に手にしているこの一瞬一瞬を全力で生きてほしいという話をしました。
 具体的なことも話したので、いらっしゃらなかった方のために書いておきます。受験生だけではなくいろいろな立場の方のご参考になるかもしれません。
 
 瞬間というのは勉強しているときのことだけではありません。人生というのは、目に見えて有意義なことをやっている瞬間だけで構成されているわけではない。連続していますから、どうでもいいようなことをしているときもある。こんなこと早く終わらせなければ・・・という瞬間もたくさん出てきます。
 そこもまた真剣に熱をこめて愛情深く必死でやりなさいということです。瞬間に生きるというのはそういうことです。食器を洗わなければいけない。ゴミを出さなければいけない。部屋を片づけなければいけない。いろいろあるでしょう。
 
 そうしたことを(大切な勉強や仕事があるのに「くだらないこと」をやっている場合じゃないよ)ではなく、心をこめて全力でやる。こんなに大事なことは世界中に1つもないのだという気迫でやる。全力で食器を洗う。全力でゴミを出しに行く。全力で掃除する。勉強するときと同じ丁寧さ、繊細さでもって臨むのです。
 人生すべてそうやって生きる。無意識に・・・ということがないようにくっきりと意識して日々を生き切るということです。生きるのではなくて生き切る。そういうお話をしました。
 
 死が怖いのは十全に生き切った自信がないからだというお話もしました。彼らはまだ14、15歳です。私の話はあらかた忘れてしまうかもしれません。それはそれでいいと思っています。
 この記事を書いている最中、息子が大学に行ってきますと玄関を出ていこうとしていました。私は書くのを中断してドアを開けたまま後ろ姿を見送りました。「行ってきます」「行ってらっしゃい」と言葉も交わした。全力で見送りました。それからまたこの記事をーー全力でーー書いています。
 
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2015.01.18 08:10

 人生、長いと言えば長い。焦らないことです。何をもって勝ち負けと考えるのか難しいですよ。勝っているようで負けている。負けているようで勝っている。アインシュタイン博士が亡くなるまえに「生まれ変わったら平凡な配管工になりたい」とおっしゃっていたという有名なエピソードがあります。華やかな生活のなかで、つらいことも多かったのかもしれません。
 肩書きとか所属している団体とかだけですべてが決まると考えるのは少し安易かもしれないですよ。個人のあり方こそが大事でしょう。
 
 個人のあり方と言っても、昔のことをああだこうだと批判されたらたまったものではないですね。よかれと思ってしたことが悪い結果に結びつくケースはいくらでもあります。「あんなことをしなければよかった」となるのかどうか。よかれと考えて断行したわけですから、責められない部分も当然あります。
 試験のあとで(もっとやっておけばよかった)と感じている方もいらっしゃるでしょう。しかし本当に大切なのは「ここからどう立て直すか」ということです。
 
 人間が自由に使えるのは「この瞬間」だけです。半年前もっと勉強しておくべきだったかもしれませんが、そこはもう手を触れることができない。半年後には猛勉強しているかもしれませんが、そこもまたいまは手を触れることはできません。
 自由になるのは、この瞬間だけです。
 ですから、うまくいっていてもいなくても「瞬間の帝王」として生きてください。つまらないことに時間とエネルギーを浪費せず本当に自分を生かす道を考えて歩んでください。
 
 3年前になりますかね。うちの息子がセンター試験を受けてきました。すごくできなかったそうです。いままでのどの模試よりもとれなかった。負けたことのないライバルよりうんと点数が低かった。私もちょっと意外な感じは持ちました。
 さすがにしょげていました。私は慰めも叱りもせず、ただ「よくあることだよ」と告げました。つらいだろうなとは思った。しかしすぐに立ち直るとも信じていましたし、そういう雰囲気の家庭だという自信もありました。
 
 夜になって少し元気が出てきた。やれるだけやるというようなことを呟きはじめた。それでいいのです。「やれるだけやる瞬間」を一生持ち続けてごらんなさい。どういう道に進もうが、うまくいかないわけがありません。生き方そのものが大成功です。
 うまくいかなかった方はもっと大きな意味であなた自身が試されているのだと考えてください。人生の踏ん張りどころです。どのような失敗もあとに活かすことができれば失敗とは呼びません。「経験」という名称に変わります。
 
 あなたのすごさを見せてくださったらいいと思います。あなたのためだけではなく、世の中全体に益するために見せてくださったらいい。ここから本当の自分の歴史がはじまるのだと小さく呟いてみてください。惨めでも何でもないですよ。実際にそうするつもりなのでしょう? いまからがスタートです。約束しましょう。ついにあなたは「本気」になりました。世の中を助けてください。約束です。
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2015.01.17 09:04

 陰陽道というのがありますね。昔関係する書籍を読んだ記憶があります。式神というのが出てきます。陰陽師の手先になっていろいろなことをする神さま(?)です。わかりやすく言うとポケモンみたいなものでしょうか。
 私は「言葉」というのは式神に似ていると考えています。人間から出ていってあちらこちらでさまざまなことをする。いろいろな影響を与える。無限に可能性はあるわけですが、できればーーあたりまえですがーー「いいこと」をしてくれたほうがいい。
 
 先日、私は渋谷の東急プラザの紀伊国屋書店さんまで自分の書籍が売られている様子を観察に行ってきました。驚いたのは東急プラザが閉館になるという事実でした。私は渋谷近くの中学高校に通っていましたから、東急プラザには子どものころから出入りしていました。当時はレコードショップもあり、洋楽のアルバムを試聴したりしました。
 レターメンのアルバムを聴きました。「恋のダウンタウン」。ペトゥラ・クラークの大ヒット曲のカバーです。高校生になってからはトイレで制服から私服に着替えたりもしました。
 
 で、女の子とデートする。デートと言っても街中をうろうろするだけなのですが、とにかく東急プラザにはご縁がありました。それがなくなってしまう。
 参考書のコーナーに平積みになっているのが見えました。ある方から育児か自己啓発の書棚に置いたほうが親切ではないかというアドヴァイスをいただいたのですが、私が勝手に並べ替えるわけにもいかないので遠巻きに見ていました。
 そのとき、何だか式神みたいだなと思いましたよ。心の中で声をかけている自分に気づく。行く先々で手当たり次第に人助けをしろよと。
 
 私は自分自身のことは、まあつまらない人間だと思っています。卑下しているのではなく、むしろ肯定的な意味で書いています。健康な男子が自転車にも乗れないくせに偉そうにするなよということですね。
 しかし、私の「言葉」は確実に人さまを元気づけるでしょう。行く先々でその方自身の力を思い起こさせるはずです。じつは「私の」言葉ではない。「その方の本来の力を思い出させる」言葉なのです。それが詰まった黄色い秘密兵器。
 
 完全に捨てられるまで汚れても破れてもどんなに粗末に扱われても、とにかく「タフに」読んでくださる方を励まし続けてくれよと念じました。10分ぐらいうろうろしていたのかな。表紙をじーっと見ていらっしゃる方がいたので逃げ出して(?)きました。
 記念に上階で食事しました。東急プラザで食事をするのはこれが最後でしょう。堅牢な建物もいずれはなくなります。しかし言葉はいつまでもいつまでもいつまでも残る。強いですね。
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2015.01.16 07:37

 1980年代アル・パチーノの映画を見ていたら、刑事を演じる彼が犯罪者たちに向かって「いいニュースと悪いニュースがある。どちらから訊きたい?」と問いかけるシーンがあり、オシャレな表現だなと感心した覚えがあります。
 その映画はのちに三鷹教室に勤務していらっしゃったTさんという方が録画してくださり、何度か自宅でも見ています。VHSのテープなのですが、いまでも残っています。ひょっとするとあちらでは頻繁に使用される言い回しなのかもしれません。
 
 私にも日々いいニュースと悪いニュースが届きます。
 まず悪いニュースから。このブログで近所にすごく美しい八重桜の樹があることを繰り返し書いてきました。夜、ほろ酔い加減で帰ってきて角を曲がると突然満開の夜桜が見える。わかっていても毎回毎回はっとします。それぐらいーー樹木そのものが大きいからでしょうーー毎年見事な花を咲かせている。もちろん冬場はくしゅんと(?)しているのですよ。私は樹のしたを歩くたびに「いまはそうであってもきみがどれぐらい美しいかは私が知っている」と話しかけてきました。ちょっと探してみたところ、昨年の4月14日の記事にもいままで見た八重桜の中でいちばん美しいと書いてありました。
 
 その樹が突然なくなりました。火曜日の晩、発見して唖然とした。昼間じっくり見てみたら切り株だけ残っていました。人があまり住んでいないような古いアパートの敷地内に生えていたのですが、もしかするとアパートそのものも取り壊されるのかもしれません。切り株に話しかけましたよ。
 一期一会とはよく言ったもので、私は自分の命がいつまでもつかわからないとか、遠くに引越してしまってこの道を歩かなくなるかもしれないとかは考えたことがありますが、樹そのものがなくなるとは想像したこともありませんでした。こういう形で自分と世界一美しい八重桜との関係が終わろうとは・・・。
 
 さらに手術したばかりの高齢の母親がもう1度手術することになりました。またひと月入院しなければいけない。妹夫婦が献身的に両親の世話をしてくれるので私の負担は最小限に抑えられてはいるのですが、心配は心配です。ちょうど受験期だからなあ。落ち着きません。
 では、いいニュースとは何か?
 こうした不意の悲しみや日常の心配事を味わえるのも生きてこの世に存在しているからであって、そのこと自体が私のすごくいいニュースです。悪いニュースを書けること自体がいいニュース。
 
 私だけではないですね。どなたにとってもそういう要素があると思います。生きていればいろいろなことが起きます。行為としても感情の動きとしても、さまざまな問題が生じてくる。その状況を丸ごと楽しむ。楽しめなくてもせめて「味わう」。生きていることを味わう。苦い食べ物がみんなまずいわけではないのと同じで、悪いニュースが何もかも絶望的であるとは限りません。悪いニュースの外側をいいニュースが覆っています。何もかも光のほうへ顔を向ける契機にしていく。そういうことですね。
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2015.01.14 09:15

 これから書くことは道徳の話ではありません。礼儀の話ね・・・ととらえられると、そもそも伝えたいことがかすんでしまうように思います。私はすべての方の人生全体の向上を願っているのであって、彼らの振舞いについてはほとんど気にとめません。自分自身が礼儀正しくありたいとはつねに思っていますが、他者の行為にいちいち腹をたてる人間ではないのです。そのこと自体が私の礼儀正しさの定義なのです。
 過去問の添削をしてほしいと持ってくる受験生がたくさんいます。作文と記述の問題。ふだん教えている子も教えていない子も来ます。
 
 ふだん見てもらっている先生のほうが的確なアドヴァイスができるのではないかとも感じるのですが、基本的に私が彼らの申し出を断ることはありません。ぜんぶ見ます。ぜんぶ見て添削する。感想を話す。人数がたくさんいるので丁寧には書けませんが、この時期になるとけっこう書けていますからね。
 著しくできない生徒はいません。みんな同じぐらいと言えば同じぐらい。ただはなはだしく違っている要素が1つだけあります。
 
 それはどのように持ってくるか、です。
 問題と模範解答とコピーした解答用紙に書いた自分の答を持ってくる生徒がいます。見てほしい箇所ぜんぶにきちんと付箋が貼ってある。毎年都立高校の問題は解いていますから模範解答まではいらないのですが、念のために確認してほしいという意味もあるのでしょう。模範解答も参考にしながら解答用紙に書かれた生徒自身の記述や作文を読みます。
 ノートだけを持ってくる生徒もいます。作文もノートに書いてある。マス目のなかに入っているものではありません。
 
 問題点に気づかないこと自体が少しこわいと感じるわけですよ。特定年度の私立高校の問題を私が持っていない可能性についてはまったく考えていない。実際、この問題は持っていないので本文も持ってきてくれないかということが何度かありました。
 ノートに作文が書かれているということは・・・字数は私に数えてくれということになりますね。その手間に気づかない。実際数えるわけですが、途中消されていたりつけ加えられていたりして正確には数えづらい。作文用紙の使い方が本当にわかっているかどうかも確認できません。
 
 こちらがやりやすいようにものすごく配慮してくださる生徒と普通にノートを提出してくださる生徒、半々ぐらいです。同じぐらいいい子で同じぐらいできます。私もまったく同列に彼らを扱っています。
 しかし、それこそ生きていく過程でさまざまなことに配慮できるというのはすごく大きな財産でしょう。人生で大切なことは・・・結局気づけるかどうかなのですよ。これこれこうしたら「もっとよくなる」と気づけるかどうか。よくなるではなく「もっと」よくなるです。よりよく生きている方とまだそこまではたどり着けていない方の違いは、気づきにこそあると思いますよ。
 
 過去問の提出の仕方でさえこんなに違う。人生すべての部分で「少しの違い」が連動して大きな差がついてしまう。何よりご自身のために「よりよく生きるには?」と注意深く点検される癖をつけられるといいでしょう。
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2015.01.12 07:26

 あるとんかつ屋さん。教室の近くにあります。定食類を頼むとご飯と味噌汁と千切りキャベツのおかわりが自由。自由と言っても3回も4回も可能なのかどうかはわかりません。しかし、皆さん1つぐらいはおかわりしているような感じがします。味噌汁が多いですかね。
 私は定食類というのはお弁当と同じで完結した宇宙だと考えているので、基本的におかわりはしません。お腹が空いていても宇宙らしく完結させたいという気持ちを持っています。
 
 1度だけキャベツの千切りをおかわりしたことがあるのですが、はじめにかけるものを間違えたという事情がありました。おいしいと思わないものをうっかりかけてしまった。こういうときはなかったことにしようと思い、キャベツだけをとにかく食べてしまいました。そして改めて1から宇宙をやり直した。
 作戦ですよ。落ち着いていつものようにーー私の場合カキフライなのですがーーすべて完食しました。残すのも「宇宙」が中途半端に終わるみたいでいやなのです。昼の食事で残すことはめったにありません(昨年は1回だけかな)。
 
 するとある方がこういうことをおっしゃった。
 その方はやはりおかわりをなさらないそうです。ところが周囲は次々とおかわりする。するとどういうことになりますか。「おかわりをしない自分のお金でおかわりの人の分も払っていることになるかと思うと、ちょっと抵抗があります」
 なるほどー、そういうことになりますか。その発想は斬新だったので、私はしばらく考えました。私が千円払う、おかわりの人も千円払う。おかわりはその人だけ。するとおかわりの人はちょっとだけ得をします。お店が損をしないのはおかわりをしない私も同じ千円を支払っているからでしょう。
 
 そこで私は言いました。おかわりをしないことで無意識のうちにたくさんの人間を喜ばせているのならすごいことではないですか? 知らず知らずのうちにほかの方のお役にたっている・・・そういう発想で終わらせてしまっていいと思います。そう思えば自分自身が幸せでいられますからね。
 私はたとえばーーいろいろ言われるーーNHKの受信料なんかもあえて口座振替でお支払いしています。昔は毎週NHKの将棋講座を見ていました。いまはテレビそのものをほとんど見なくても、それぐらいは恩返ししようかなと。もちろん自分の考えを人さまに押しつけたりはしませんよ。
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2015.01.11 06:52

 私が生徒と話すときに気をつけていることがたくさんあります。その中の1つについて書こうと思います。
 私は彼らに期待しているわけです。どう期待しているかというと、まずいい生徒であってほしい。つぎに勉強ができるようになってほしい。さらに志望校に受かってほしい。最後の最後にはご本人が幸せになるだけではなく、世の中全体を少しでもよくしてほしいという期待があります。いずれにせよ、1人1人の幸福を願って話すことになりますね。
 
 幸福を願うがゆえに厳しいことを告げなければならないときも当然出てきます。そんなやり方ではだめだよと注意するとき、私は彼らを不快にさせたいと考えて言っているわけではありません。
 そのやり方だとーー塾ですからーー勉強ができるようにならないよという意味で話す。あるいは志望校に受からないよという意味で注意します。場合によってはそのまま適当な人間になってしまっていいのですか? という意味で話すこともあります。宿題を毎回サボる、ちらちらとカンニングする、友だちの答を丸写ししている。
 
 ただーーここはものすごく大切なのですがーー長期的な幸福(つまり成績向上とか志望校合格など)のために短期的幸福(今日もまたいい気分だというような)を著しく損なうようなことはしないように気をつけています。
 短期的な幸福というのは生きていくエネルギーですから重視しないといけません。気分を害する形はなるべく避ける。これとこれはこのままだとまずいと思うよと告げても、何が何でもその場で矯正しようとしたりはしません。
 
 今年の冬期講習でも国語のノートが横書きの講習生がいました。最初の授業でノートは縦書きに・・・と注意はしました。それでも横ということはそれなりのこだわりがあるのでしょう。冬期講習はほんの数日しかありません。
 彼らが本科に入ってくれれば強制的に直させるとは思うのですが、ほんの数日の接触であればやりやすいようにやらせたほうが教科の実力がつくのではないかという気持ちもあります。もしかしたら学校の気に入った先生から横書きでいいよと言われているのかもしれない。それを初対面のおじさん(=私)が「だめだ、すぐ直せ!」と命令したらそのこと自体が気になってうまくいかないでしょう。
 
 繊細なのですよ。それぐらい繊細に考える人間だから少しは教える資格もあるのではないかと思ったりします。人に何かを教えてしかも効果をあげる(私の場合ですと国語を好きになってもらうとか国語の点数が少し上がってくるとか)というのは難しいことで、本当に神経を使わなくてはいけないですね。時代も時代で、彼らはきつく言われることに慣れていません。万が一のことを考えて接する必要があります。
 実の親子関係にもそうした部分は必要だと思います。わが子を傷つけたい親はいませんね。注意をするのは将来の幸福を思ってのことでしょう。
 
 しかし、彼らが大泣きしたり激怒したりなげやりになったりする注意では、あきらかに短期的な幸福を「著しく」奪ってしまっています。まして「バカじゃないの」とか「いつまでたってもだめだな」とか「きっとろくな人間にはならないぞ」とか・・・短期的幸福を粉砕するような表現はできるだけ避けたいと思います。長期的な幸福を願う。短期的な幸福に十分配慮する。その前提でもたくさんアドヴァイスすることは可能だと思いますよ。
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2015.01.10 07:35

 ときどき生徒に授業に関するアンケートを書いてもらうことがあります。とくに講習のときは全教科についてアンケートをとります。春期も夏期も冬期も毎回とる。
 見ていていろいろなことに気づきます。とくに感じるのは上のクラスに行けば行くほど満足度が高いという事実です。当然のようにも思えますが、何かあるなとも感じます。同じテキスト、同じ先生、同じ範囲の授業内容なのに満足度だけが高い。もともと学力があるので授業が理解しやすいという面は確かにあるでしょう。理解できるので満足する。
 
 と同時に「知的好奇心」も旺盛なのですね。非常に大切なことで、あるクラスでは「もっとテンポよくやってほしかった」と書かれていた先生が、最上位のクラスでは「あたりまえのことでもわかりやすく何度も繰り返してもらえたのがよかった」となる。あるいはあるクラスでは「解く時間が短かった」と書かれていた授業が最上位のクラスでは「自分の力では授業中にやりきれないとわかったおかげで自宅でも勉強する習慣がついた」と書かれています。与えられたものをどう活用するかという意識差が大きいように思います。
 全教科自分に合った完璧な先生だけが揃った学校や塾というのはーー残念ながらーー存在しないわけですから、授業を最大限活かすための距離のとり方は上手にならないといけませんね。
 
 私個人のことを書きます。
 今回の冬期講習で、私は中3と中2の生徒を見ました。ぜんぶで50人ぐらいでしょうか。そんなに多くはありません。多いときは100人ぐらいになることもあります。Z会進学教室にはいい先生が揃っているので、なるべくいろいろな先生を見てもらいたいという気持ちもあります。それでふだん見ている1年生はほかの先生に担当していただきました。
 自分の授業についてのアンケートを見るわけです。匿名で書けますから、ふざけて書いても叱られるわけではありません。
 
 しかし、そういう生徒がいないのですよ。自分の見たクラスは皆さん例外なくきちんと書いてくださった。マルをつける形式のものでそれだけでもいいのですが、自由記入欄に感想を書いてくださる生徒もいました。
 面白かったとか、楽しかったとか書いてくださる。面白かったというのは私にとってはちょっと意外でした。私はもう若くありません。昔は10代の彼らの気持ちを引こうとしておかしなことも喋っていましたが、最近はさすがにギャグみたいなことは一切口にしなくなりました。それだけに自分としてはちょっと退屈かな? という思いがどこかにあります。
 
 それを複数の生徒が「面白かった」と評価してくださった。それこそ科目や勉強の面白さでしょう。それ以外に何もないわけですから。多少なりともそれが伝わったというのは、やっぱりうれしいですね。
 私もいつまで現役で教えられるのかなという気持ちは持っています。それでもこうやって別種の面白みを伝えられているうちはまだ大丈夫かなと思ったりします。面白おかしい芸はなくても、文化度を高くして好奇心を持っていただくということですね。
 
 
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2015.01.09 07:52

 火曜日にお休みをいただいた。1月1日をべつにすれば久しぶりのお休みでした。前日、1月5日に生涯はじめての書籍が発売されました。どんな感じで売られているのか見に行って来ようと喜び勇んで(というほどでもないか)自宅を出ました。家族にも「見てくるよ」とわざわざ宣言して出て行った。
 もうおわかりだと思いますが、結局私は自分の書籍が売られているところを「あえて」見ないまますごすご帰ってきました。「何しに行ったんだよ」と息子に笑われましたよ。
 
 ある書店、確実に本があることはわかっているのですが何となく気恥ずかしい。見ると赤くなるような気がする。べつにおじさんが1人書店の通路で赤くなっていたって世間は気にしないわけですが、おじさん自身はすごく気になります。見ないで帰ったほうがいいかな・・・みたいな気持ちになり、べつの階で哲学や宗教の本をちらちら見ているうちにどうしてもほしい本ーーけっこう高いーーが出てきたのでそれだけ買って「ま、次の機会でいいか」と帰ってきてしまいしたよ。
 自意識過剰ですね。わざわざ明確に「見る」ために出かけて行って見ないで帰ってくるというのは我ながらさすがです。
 
 会社の方が書店で写真を撮って私に送ってくださった。それを見てはじめて(ほう、こんな感じか)と感心したりしています。
 私が直接お話したわけではないのですが、ある先生が事務の方にこういう言葉をかけられたそうです。教室に私の書籍が掲示されているところを見て「長野先生はこういうことをするのが得意ではないでしょう」とおっしゃった。ちなみにこの先生は私をよくご存知です。お互い非常に似たところがある。「含羞の文化」が共通しているのです。太宰治みたいなことを書いていますが。
 
 先生はさらにおっしゃった。こういうこと(宣伝)をするのは苦手かもしれない。それでもこの本は多くの人の思いが詰まっているいい本なのだから、苦手であっても少しでも皆さんにお知らせするよう頑張るべきでしょう。また聞きですから少し違っているかもしれませんが、要旨としてはそういう意味のことをおっしゃった。
 そのご意見にははっとしました。会社の内外を問わず、ものすごくいろいろな方に助けていただいた。皆さんの総力で完成した書籍なのですから大切にしないと。
 
 サインをとおっしゃってくださった何人かの方にサインもさせていただきました。いや、まあいいじゃないですか・・・と照れてしまっては逆に申し訳ないですからね。裏表紙が黒いのですが、金や銀や黄色いペンで書くととても映えます。黒い裏表紙も、じつはデザイナーさんが私がブラック・サバスが好きなことを意識して黒くしてくださったそうです。心の中で皆さんにお礼を呟きながら書かせていただいています。どうもありがとうございます。
 
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2015.01.07 09:57

 今日の話題は多くの方のお役にたつのではないかと思います。表面的にはどうということのないお話ですので、できればあとでちらりと思いだしてみてください。・・・というのは、私にもよくわかっていない面があるからです。しかし、ここには何かあります。幸福の原石みたいなものが確実にある。
 5日の朝、私は山手線に乗っていました。まだそれほど混んでいなかった。9時台ですからね。ピーク時は過ぎている。反対側のドアのところに親子連れがいました。お子さんは幼稚園に入るまえかな。男の子でした。顔を確認するにはちょっと混んでいました。
 
 原宿駅で電車が止まった。車内アナウンスがあり、後続の電車が遅れているため3分間停車しますと告げました。そのとき男の子は「何で走らないの?」と脇にいらっしゃったお母さんに質問していました。声だけが聞こえた。
 3分間というのはけっこう長いですよ。少しいらいらした雰囲気が漂ってきた。人もどんどん乗ってきて混みますからね。朝ですし、異常はないのだから早く走れよと不満を持つ方もいらっしゃるでしょう。じつは私も少しだけそうでした。2限目の開始前までには着きたいと思っていました。
 
 しーんとした中で男の子の声が響きます。
 運転手さん、喉が渇いちゃったんじゃない?
 私は思わず振り返って改めて男の子の姿を確認しようとしました。でも、低い位置なので見えない。うれしそうに笑っていらっしゃるお母さんだけが見えた。
 このタイミングで「運転手さんの喉が渇いて電車が遅れている」とは大人は絶対に思いません。無邪気だとかかわいいとかですましてしまえばそれで終わりなのですが、その解釈でいちばん得をしているのはじつはその子自身ではないでしょうか。要するに「この3分間でだれがいちばん幸せか」という競争(?)です。
 
 運転手さん、いまごろごくごく何か飲んでいるのかなーと想像する。
 もちろん大人がそういう発想を持とうとしても無理ですよ。無理ではあるのですが、ふざけんなよ、勝手な都合で遅れるんじゃねえよ! などと憤るよりはましな「大人」の発想もきっとある。そして、そういう見方を選択して生きることもできるはずです。
 人生の幸不幸は局面局面の認識の能力次第です。その選択を意識的にする努力はやはり大切なのではないか。幼な子のようにならなければ天国には入れない・・・という言葉を残したのはイエス・キリストでしたっけ?
 
 物の見方のことを意味しているのでしょうね。理知的であるがゆえに世の中に対して皮肉な解釈がついつい癖になって、ご自身が不幸になってしまってはいけないということでしょう。
 はじめに書きましたが、この件については私もずーっと考えています。幸せになる鍵はいたるところに隠されているのに、私たちはうっかり見過ごしてばかりいるような気がします。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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