2015.01.31 06:50

 牛のレバ刺しが禁止になったときは大騒ぎになっていましたが、自分はもともと特別に好んでいたわけではないのでさしたる不便は感じませんでした。何かのときーー周囲の方が頼んだりするときーー少し食べるぐらいで、興味深い食べ物だとは思いますが積極的に食べたいわけでもなかったのですね。
 若いころ、友人と2人で飲んでいて壁に貼ってあるメニューのレバ刺しを食べてみようという話になったときがあります。ご家族経営の街の居酒屋さんだったのですが、念のため奥さんに「レバ刺しはありますか?」とたずねてみました。
 
 奥さんは調理場の旦那さんに「レバ刺しどうでしょう?」と声をかけた。まだ残っていますか? ぐらいの意味だと思っていました。すると旦那さんはこう答えました。「だい・・・じょうぶ・・・です」
 ちょっと迷っているような口調だったので、鮮度がぎりぎりのところだったのでしょうか。酔っ払っていたのでぜんぶ食べてしまいましたよ。
 先日、あるやきとん屋さんに入りました。さしさわりがあるといけないので店名は書きません。きれいないい感じのお店で、息子と行ったこともあります。
 
 そのときは将棋の本を読みながら静かに飲むというのがテーマでした。ここのところちょっと将棋のこともいろいろ考えていて、新しい戦法を試してみようかという気持ちがあるのです。具体的に書くと(どなたも望んでいない?)角交換型の振飛車戦法ですね。私は大山升田の両巨頭時代に将棋を覚えた人間ですから、角交換して飛車を振るのは何となく邪道みたいな気持ちがあります。その膠着した発想がいけないのではないか? 荻窪まで行って本を買い求め、さらに電車に乗ってあるお店に入りました。早い時間だったのでカウンター席は空いています。
 
 以前あったレバ刺しはなくなっています。レバーを食べたければやきとんですから焼いてもらわなければならない。そのお店はいいレバ刺しを出すことで有名でしたから(私は食べたことがありませんが)お店もお客さんも残念だろうなとは思いました。
 ふとレバー「ちょい焼き」というメニューが目に入りました。これはどんなものなのだろうと興味をひかれたので1本だけ頼んでみました。すぐに出てきましたよ。あれ? これは・・・温かいレバ刺しでは? 苦肉の策という感じです。
 
 ありなのかな・・・とは思うので、とりあえずお店の所在地も伏せさせていただきました。味? レバ刺しと同じでしたよ。レバ刺しぐらいの・・・おいしさは感じました。そのあたり、あとは自己責任ですね。
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2015.01.30 09:50

 最近はきわめて自然に生きているので、あまり主義や主張に縛られることはありません。そういうのって変化していきますし窮屈でもありますからね。しかし、昔はけっこう頑固なところがあって、たとえば写真に残されることがすごく苦痛でした。10代後半の写真はほとんどないですね。「マーク・ボラン型ヘアー」時代のものは1枚もない。
 息子の幼いときの記録も家内が撮影したものがすべてで、私が意識的に残そうとしたものはありません。
 
 そういう自分がいやだったのですね。目の前でたくさんかわいがっているわけで、それで十分じゃないかという気持ちもありました。
 息子がお喋りできないころのお話です。彼が気に入っている小さな絵本がありました。ものと名前だけが書いてある絵本。たとえばーーあまりよく覚えていないのですがーー「にんぎょう」だとか「うさぎ」だとか「くるま」だとか書いてある。ひらがなだったと思います。にんぎょうのページには人形の絵だけが描いてあります。
 
 それをしょっちゅう持ってきて読んでくれというしぐさを見せる。退屈ですが読んでやります。小さな彼をひざの上に乗せて「にんぎょう」「うさぎ」「くるま」・・・と順番に読んでいく。彼はじーっと絵を見つめています。終わるとすぐまたはじめから読んでくれとせがむ。もういいじゃないかと絵本をしまうと泣いたりします。しょうがないなという感じで繰り返し読んでやりました。
 1人で絵本を見ていることもよくありました。適当なことをーーまだ言葉になっていないーーわめきながらページをめくっています。
 
 私は「くるま」のところでただ「くるま」と発音していたわけではありません。そういうものですね。ほら、これ自動車だよ、ぶ、ぶーって青梅街道を走っているだろう? みたいに話しかけていました。
 あるときくるまのページを指さして息子が「ぶ」と発音しているのに気づきました。はじめは家内が気づいた。でたらめではなく、ちゃんとわかっているらしいと。これは何だ? と訊く。すると「ぶ」と答える。
 
 すごいなあと拍手をすると本人もよほどうれしかったのか真っ赤な顔で一緒に拍手していました。ほかのページもよくよく聞くとたとえば人形のところでは「にんにょ」なんて発音していた。お、すごいすごいと褒めましたよ。
 ちょっとだけ映像に残しておいてもよかったなといまになって思います。いずれにせよあれが原点だからなあ。私は息子がーー小中学校時代ーー何か問題を起こすとその光景をよく思い出しました。で、怒りませんでしたよ。「ぶ」がこんなに大きくなったのか・・・とうれしく思うだけです。
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2015.01.29 00:49

 29日はお休みをいただいているのですが、ちょっとだけご報告を。
 主婦と生活社さんの「励ます力」特設ページに2回目のインタビュー記事が掲載されています。よろしかったらご覧ください。
 
http://www.shufu.co.jp/contents/hagemasuchikara/
 
 写真はすべて編集者さんが撮られたものですが、お店の雰囲気がよく出ています。先日、ある方に「あのお店を教えてください」と言われました。雑誌などにさかんに掲載されていますから書いてしまいますが、中野駅北口近くにある「第二力酒蔵」さんという居酒屋さんです。かれこれ25年ぐらい通っています。
 
 午後の2時からやっていて、早い時間からどなたかと飲むときは都合がいい。第二というからには第一がありそうですがーー以前は第三まであったという噂もどこかで聞いたことがありますーー第一は現存せず「第二力酒蔵」さんしかありません。
 居酒屋さんの話は拙著にも書きました。最後のコラムですね。そのお店のこともじつは複数の方に質問されました。こちらは一切露出せずという形を貫かれているお店なのでーー万が一ご迷惑がかかるといけませんーー店名は遠慮させていただこうと思います。
 
 先日ある方々を大塚にあるそのお店にご案内しました。開店の午後5時まえにのれんが出ています。フライング気味に入るとすでに数名の方がいらっしゃってじっと待っている。スタートはやはり午後5時ぴったり。皆さん注文をなさらず静かにーー腕組みしたりしてーー待っている。
 名古屋の「D」もそうでした。午後4時スタートの段階で店内はほぼ満員。つまり皆さんが早めにいらっしゃって薄暗い店内で適当に場所を取っている。午後4時になると同時に明かりがつく。ご主人が「はい、はじめまーす」と声を出します。
 
 それまでどなたもお酒の注文をしたりはしません。ただじーっと待っている。何だかいじらしいですね。私自身もその中の一員なのですが。
 以前は遠慮してなかなか4時まえに入ることができませんでした。旅行者だという「よそ者」意識もありました。1人客なのに2階に通されて少しだけ楽しくない。だんだん図々しくなってきて4時前にお邪魔するようになりました。
 たかが居酒屋じゃないか・・・ですが、それもまた一瞬一瞬が勝負(?)ですから、いいお店のいい位置でゆっくりくつろぎたかったりしますね。
 
 あれ? 拙著「励ます力」の大宣伝のつもりだったのですが、ちょっとズレてしまいました。まあ、いいですね。今後ともよろしくお願いいたします。
 
 
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2015.01.28 09:34

 コメントをくださった方が「お子さんが床屋さんの待ち時間に本を読んだ」という意味のことを書かれていました。昔はそうやって隙間隙間の時間に活字を読む小中学生がとても多かったように思います。それが最近は激減しています。
 隙間の時間というのはーー電車などの乗り物の中や待ち時間ですね。中にはトイレで読みふけってしまうという子もいました。大人であれば、活字を追っていると面白くて面白くて「あと少しあと少し」と思いながらついつい夢中になってしまうという経験を持たれている方が多いと思います。
 
 なかなかトイレから出てこないと思っていたら本を読んでいた・・・というような話をよく聞いたものです。そういう子が少なくなりました。
 かわりにだいたい映像を見ています。ゲームをやったりスマホを見たり。映像はすごくわかりやすいし刺激的ですからね。
 ただそういう生活一辺倒だとどうしても活字を理解する能力はーー活字ばかり読んでいる子どもよりはーー劣ってしまう。鍛えが違う。「筋力」みたいなものが違う。
 
 ちょっと読んだだけですぐに「何書いてあるんだかまるっきりわかりません」と投げ出してしまう小中学生がいますが、活字をじっくり読んで理解していく回路ができていないからです。わかりませんと言われればこちらは丁寧に説明するわけですが、それはある種「映像化」みたいなところがある。この意見とこの意見が対立しているだろう? と図式化して説明したりします。すると「ああ、そうか」とすぐわかる。
 ところがその図式化まで自力で持っていけないのです。ふだん活字を読んでいないので組み立てていくのが面倒くさいのですね。筋力が弱くて持ち上がらないと言ったらおわかりいただけるでしょうか。
 
 都立の推薦入試のために「作文を見てください」と持ってきてくれる生徒がたくさんいました。中にびっくりするほど文章が上手な子がいます。成績そのものは圧倒的上位というわけではないのですが、作文はとても上手い。
 本をよく読むの? と質問すると例外なく「読書は好きです」と答えます。中には勉強はあまり好きではないけれど、本はたくさん読んできましたと正直に答えてくれた生徒もいました。持っている「ことば」や「言い回し」や「表現技法」の数が違う。さらりと擬人法が使われていたりします。身体で覚えたという感じ。
 
 便利な世の中なので小中学生時代活字をほとんど読まなくても快活に生きていくことは生きていけるでしょう。しかし、そのためにちょっと苦労することもあるかもしれません。文章というのは書き方をただ学んで書けるようになるものでもないのです。それはちょうど「重量あげの秘訣」をいくら勉強しても、筋力が乏しければバーベルがまったく持ち上がらないのと同じ理屈です。
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2015.01.26 09:37

 「親の心、子知らず」という言葉がありますが、確かに「親の心、子知らず」であるとともに「子の心、親知らず」でもあると思います。本当はどちらも加害者兼被害者のような側面がある。ただ親のほうが圧倒的に表現力や権力(?)みたいなものを保持しているため、全面的に親が正しい・・・という形になってしまっていますね。それはやむを得ないところかなとも感じています。
 私が小中学生のころ、こういうことがありました。
 
 私は私立に通わせてもらっていたので、友だちはみんな遠くに住んでいました。相手の家に遊びに行くのもバスや電車を使ってけっこう大がかりでした。両親は礼儀に厳しかったため、友人の家に行くときはきちんとした格好をさせられました。とくに小学生のころは。
 さらに手土産みたいなものを持たされました。お菓子だとかフルーツだとか、どうでもいいと言えばどうでもいい品物です。それを玄関先でおうちの方にお渡ししろと言う。
 
 母からことづかってきました、という口上を覚えさせられましたよ。お母さんではない。母です。ちょっとそこで練習してみなさいとも言われ、もじもじしながらその「気持ちの悪い」セリフを口にしました。そうではない。きちんとお辞儀をして頭を上げてから「母からことづかってきました」とはきはき言いなさいと直される。
 そういうことがきちんとできないのは家庭の恥であり、おまえのためなのだからしっかりしなければいけないと強く言われました。
 
 現在の私は人間はできるだけ品格を高めるべきだとは考えていますが、子どもにとってその上品さはとってつけた演技でしかなく恥ずかしくて仕方がない。さらに近所の同世代のいわゆる「昭和の悪ガキ」(当然そんなのばかりです)に比べて、何という弱々しさ女々しさだという情けなさだけが残りました。
 そこでついに私は手土産を捨てるようになりました。だいたいは新大久保駅のゴミ箱に捨てた。きれいに包装されているものを捨てるのは相当の勇気がいりますよ。こっちの苦労も知らないで・・・と私は非常に不満でした。
 
 どうしようもない話ですが、その年齢なりの見栄だとかこだわりとかもあるものです。自分は息子が幼いころ、常識的なことでも彼がやりたくないと言い出したときはむりに強制せず本人のこだわりを尊重してきました。どうしても新しいきれいな鉛筆を学校に持っていこうとしなかった時期があります。あえてみすぼらしいひどく短い鉛筆だけを持っていく。それこそ家庭の恥だとは思いましたが、ちびた鉛筆でいいよと言いました。
 「親の心、子知らず」はどうにもできないかもしれませんが、「子の心、親知らず」のほうは想像力を働かせることで少し改善しますね。ときにはそんな工夫も必要かもしれません。
 
 
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2015.01.25 07:04

 20歳になるかならないかのころのお話です。ある作家のお墓を見に行きました。ファンというのはそういうことをするものでしょう。
 ある日あるときふらりと行った。命日とかそういうのではない。そんな日にのこのこ出かけていって、それこそ熱心なファンの方と会ってしまったら恥ずかしいという気持ちがありました。ですから冬の日の午後、思いついた感じで出かけていきました。ほかにもいろいろ覚えていることがありますが、それは省略します。
 
 駅からだいぶ歩きました。じつは以前にも来たことはあるのです。10代の夏のことです。やはりふらりと来てみた。そういうこともするものでしょう。
 目的のお墓はすぐに見つかりました。ところがすでにどなたかーー寒空にジャージ姿の1人の若者がーーぶつぶつひとり言を呟きながらお墓のまえに立っていました。そこに私がかぶるように立つのは何となく気まずいですね。私は黙ってお墓のまえを通り過ぎ、奥のほうに進んでいきました。それから適当に時間をつぶした。墓地はけっこう面白いですからね。
 
 10分ぐらいたってもう大丈夫だろうと戻ってくると若者の姿は消えていました。落ち着いた気分でお墓のまえに立つ。お参りというより観光みたいな気持ちなので手を合わせたりはしなかったと思います。
 視線を感じるのですよ。だれもいない墓地のはずなのに、だれかが自分を見ているという強烈な視線を感じる。はたして前方の樹木の陰からさっきの若者がそろそろ出てくるではないですか。こちらを見つめじりじり近づいてくる。
 
 暴力的な感じではないので心配はしませんでしたが、ちょっと面倒なことになったなとは思いました。彼は少しどもりながら「き、きみもこの作家がす、好きなのか?」と質問してきました。覚悟を決めて「ええ」と答える。自分よりは年上であることは間違いない。目の感じでかなり思いつめている(?)かなということは想像がつきましたよ。
 ちょっときみ、ど、どこかでゆっくり話そうじゃないかと言う。ここまできたら仕方がないという気持ちで、近所の喫茶店に2人で入りました。美術や文学の話をした。
 
 これから友だちになろうとも言われたのですが、それは遠慮したいという気持ちがあった。携帯電話も何もない時代です。申し訳ないとは思ったのですが、適当な電話番号を書いて渡しました。彼は自宅に電話を持っていないと言っていました。
 私はのちに彼のことを頻繁に思い出しました。親しかった何人かの昔の友人のことはすっかり忘れてしまっているのに、たった1度だけお墓で会った男のことはよく覚えていたりします。そういうことがありますね。
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2015.01.24 00:40

 24日は朝からすごく忙しいので夜中に書いています。
 拙著のあるページで「のらいぬ」という絵本をちらりと紹介しています。私がこの絵本と出会ったのは1976年か77年のことでした。当時、私は大学生でした。「つらいできごと」があって街を歩いていました。
 要するに自分の無力さを感じさせるような小さな事件でした。当時、太宰治に傾倒していたこともありーー本気ではありませんがーーこういう面倒な事件が起きるから、ひと思いに自殺したくなるんだよなあと考えたりしました。
 
 適当に時間があったので本屋に入りました。音楽雑誌でも立ち読みしようかと思ったのではないですかね。それがどうしたことかふらふら絵本のコーナーに行ってしまい、この本を発見しました。
 内容をご存知の方もいらっしゃるかもしれません。一瞬のうちに読み終わります。各ページ、シンプルな絵と「ひと言」しかありません。
 しかし、私はものすごい衝撃を受けました。静謐な核爆発みたいな衝撃。書棚のまえで理由のまったくわからない涙を流していました。
 
 これは何だ? ではなく、この感情は何だ? でしょうか。
 テーマが孤独なのか友情なのかつかめない。終わり方がよかったのか悪かったのかもわからない。要するに何が何だかわからない。
 そのときはお金をあまり持っていなかったので、べつの日にわざわざ買ってきました。それから今日まで約40年、人生いろいろなことがありました。区切り区切りで相当のものをーーとくに本ですねーー処分してきた。必死になって集めた全集や山田道美九段の「将棋精華」(伝説の棋書)でさえ、あるとき処分してしまいました。
 
 過去との決別みたいな気持ちを何度も持った。しかしこの「のらいぬ」は絶対に捨てませんでした。捨てられないと書くべきなのか。これを捨てるということは精神的に死ぬということになると思ったのです。やり直すのはかまいませんが、死んでしまっては先がありません。
 大切な何かーーそれもお金やパンや名誉ではなく、気泡のように繊細な何か。ふだんは意識していない何か。
 絵本の最終ページは「いつか きっと あえる」で終わっています。いつか きっと あえる。現実にはもう会えないかもしれない。それでもときには「いつか きっと あえる」と呟いて生きていかなければならないのが、人生なのですよ。
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2015.01.23 07:16

 私は自分のスタイルを他者に押しつけたいとは思いません。人それぞれというのがいいですね。ですからとくに「ひとりであること」について話題にするときは、気をつけるようにしています。何しろ私自身がひとりで行動することにあまりにも慣れている(?)ために、少しでも押しつけがましくなるといやだなという気持ちがあるのです。
 単独で行動するというのは何もかもすべて自分で決めなければならないということですね。お腹がすいたらどうするか。そりゃ何か食べるでしょうが、どこで何を食べるかはぜんぶ自分で考えるということです。
 
 いまの時期、自習室に受験生がたくさん来てくださいます。悪いわけではないのですが、つねに「群れ」ている生徒もいる。勉強はしています。皆さん、遊んでいるわけではない。しかし独立自尊のような形で頑張っている生徒と基本的には群れている生徒に分かれています。
 群れている彼らはときどきですが、廊下でふざけたりもする。笑い声や話し声が大きいときには気の毒ですが注意します。いわゆる悪い子は1人もいない。しかしちょっと頼りないなと感じるときはあります。
 
 ひとりでいられないような雰囲気がある。試験が近づいてきたので落ち着かないのでしょう。その落ち着かなさに独力では立ち向かうことができない。どこかに「ごまかしたい」気持ちがある。
 友だちも誰もいない環境で「ひとりで」勉強していると不安で不安で仕方がないということだと思うのですが、中にはそれをあたりまえのこととしてつねにひとりで自習しているたくましい中学生もいます。
 
 愛想が悪いとかそういう問題ではないですよ。見ていると周囲とも簡単な挨拶は交わしています。女の子のほうがひとりでいる率が高いかな。お腹がすけば何かを食べる。群れるのではなく、ひとりでコンビニエンスストアーに行き何かを買って帰ってくる。私は出て行くところも帰ってくるところもただ静観しています。すると本当にあっという間に戻ってくる。
 群れて出ていったグループだとしばらく帰ってこないときもあります。どちらのほうが勉強時間を確保できているか。
 
 集団で頑張るというのも意味のないことではないので群れるなとは書きません。ここまで来たら自分のやり方を通してくださってけっこうです。ただ心の中に「ひとりではいられない」という要素がないかどうか、ちょっとだけ意識してみてもいいかもしれません。群れることで何か犠牲にしていたらもったいないので、それだけは気をつけて。気になる点が出てきたら微調整をかけていかれるといいと思います。
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2015.01.22 01:43

 今日22日はお休みなのですが、ちょっとご報告を。
 皆さまのおかげで拙著は「そこそこ」売れているみたいです。いつもいつも応援してくださって本当にありがとうございます。
 編集者さんが紀伊国屋書店さんで日々様子を見てくださっているのですがーー私自身も本当はそれぐらいするべきなのかもしれませんーーいつの間にか新刊書や育児の棚にも平積みになっていたというご報告をいただきました。いろいろな立場の方のご参考になるかなと思っていたので、うれしいですね。
 
 さらに主婦と生活社さんが「励ます力」特設ページというものを作ってくださいました。
 これ、なかなか面白いのでお時間がございましたらご覧ください。編集者の方にインタビューを受けた内容が掲載されています。 
 
http://www.shufu.co.jp/contents/hagemasuchikara/
 
 インタビューできそうないいお店はありませんか? と相談されたので、このお店を推薦しました。中野にあります。以前池袋教室長のU先生とご一緒したこともあります。ゆったりしていておいしくていいお店。昼の2時から(!)開いています。
 
 インタビューは3回に分けて掲載してくださるそうです。酔っ払っていたので、よく覚えていない部分(?)もないではないのですが、そこは優秀な編集者の方が上手にまとめてくださいました。
 1回目の日報の話は以前ブログにも書きましたね。本来は仕事の報告をするものなのですが、私だとだいたいが「授業と添削と相談」で終わってしまう。それではつまらないので変なことを書くようになりました。
 先日は、ある教室の方に大丈夫ですか? 何かありましたか? と本気で心配されました。さすがにぜんぶは公にできないのですが、20項目のうち出だしの7つだけ書いてみます。 
 
①日本ノ皆サーン、ハジメマシテ。
②ワタシ、ジツハ日本人デース。
③日本デ一番キテマース。
④ドウキテルカゴ説明シマース。
⑤オ味噌汁飲ムタイミング、ゼンゼンツカメマセーン。
⑥チャワンムシ食ベルタイミング、モットツカメマセーン。
⑦アレ、イリマセーン。 
 
 こんなことを書いている私はもう少しで60歳になります・・・珍しいタイプだとは思います。
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2015.01.21 10:49

 ときどきむやみに遠くに行きたくなるのはなぜなのでしょうね。距離的なものではなく、精神的な「遠さ」を渇望することがあります。
 要するに日常と違う感じですね。それを求めていることがある。
 地方都市を歩くのが好きです。それこそ埼玉県や神奈川県でもいいぐらい。ただあまり大きな街だとつまらないですね。たとえば大宮駅周辺や横浜駅周辺は東京と変わりません。少し寂しい感じのところがいいのです。
 
 遠い昔、九州のある街に何日か滞在したことがあります。もちろん1人。
 だいたい飲み歩いていたのですが、ある晩交通手段が何が何だかわからなくなりました。屋台密集地帯に出かけて行った。出かけて行ったのはいいものの、酔っ払って帰り方がよくわからなくなった。でたらめに住宅街を歩いているうちにバス停がありました。普通の路線バス。行き先が書いてある。これでいいだろうと乗ってみたら、目的地に行き着くまで長いこと長いこと。しかし旅に出ている感覚が非常に楽しかった。旅情を満喫しましたよ。
 
 なかなか連休はとれないので旅に出るわけにはいきません。日帰りでちょっと遠くへ行ってみようかとも思うのですが、最近はけっこうお休みの日もーー僅かな時間ですがーー教室に来る用事があります。仕事と言うほど大きな仕事ではなくて、ちょっとだけ立ち寄る必要があったりするのです。
 するとそうも遠くに行くわけにもいかない。受験が一段落してからまたじっくり考えることにします。
 
 もうずいぶん昔ですが、下町を適当に(地図や案内に頼らずに)歩いていて巨大な商店街に出くわしたときがありました。巨大と書くと大げさかな。
 駅からしばらく歩いたところに忽然と出てきた商店街で、まったく予想していなかっただけに大変興味深かった。電気屋さんの店頭で何かを取り上げていたお年寄りの女性が、お店の方に「これ、メーカー品?」とたずねていました。メーカー品という用語自体、何十年ぶりかで聞きましたよ。懐かしい。昭和が生きていますね。
 
 その日もーー酔ってはいませんでしたがーーどこだか位置がさっぱりわからない。適当なバスで移動しました。乗り継いでやっと小岩だか錦糸町だかに着きました。私の住んでいる杉並区まではまだまだ遠い。文字通り旅をしている感覚ですね。そういうものが必要だなと思うときがあります。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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