2014.12.31 07:43

 いよいよ大晦日、今年最後の記事です。
 お正月の特訓授業というのがあります。受験生だけですね。2日と3日の2日間、朝の9時から夕方の6時ごろまで僅かな休み時間と昼食の時間を除いてほとんど勉強しっ放しです。なかなかできないことだと思いますよ。
 仮に自宅にいて勉強しようと決意していても、お正月から9時間近く机に向かっていられるものでしょうか。それがみんなもやっていると自然にできてしまうのですから不思議と言えば不思議ですね。
 
 毎年、脱落する生徒は1人もいません。例外なく、皆さん長時間勉強に励んでくれます。
 お正月ということで、この期間だけお弁当が出ます。それをけっこう楽しみにしてくださっている生徒が多いかな。逆に言えば勉強だらけで、それぐらいしか楽しみがないのかもしれません。たまにはそういう経験も貴重だと思います。
 大昔(?)はお弁当があまりおいしくなかった時期がありました。各教室ごとに業者さんが違っていたりした。約束どおりに持ってきてくださらなかったこともあり、慌てて不足分のお弁当をデパートで買ってきたことがありました(ただこういうときも私は業者さんを決して責めませんでした=運気のためです)。
 
 いまは毎年銀座に本店がある業者さんに全教室統一してお願いするようになったので、びっくりするほど豪華なものではないですがそこそこおいしいお弁当が届きます。
 お弁当というのは、1つの宇宙だと思うのです。完結したものとして、何も足したくないし何も引きたくない。つまり「おかずが足りなそうだから何か買ってこよう」みたいにしたくないのです。カオスを持ちこみたくない。提示された宇宙として、ぜんぶ味わいつくさなければいけない。それだけに1回ごとに食べる量や順番をものすごく考えます。ばかみたいですよ。無口になって難しい顔をして食べる。
 
 今年のお弁当の見本というのが送られてきました。送られてきたといってもホンモノではなく写真ですね。メールで送られてきた。
 それを見ていまからおかずの順番なんかを熟考しています。おじさん、真面目な顔してそんなことを考えているのか! とびっくりなさらないでください。このおじさんは、そんなこと「ばかり」考えているのです。
 中学生向けのお弁当ですから、やっぱり揚げ物なんかが多い。ぜんぶソースだと飽きますが、そこは足さない引かないの精神で入っている調味料だけを使う。
 
 以前、ソースをぜんぶかけていたら周囲のどなたかに「そんなのぜんぶかけたら身体に悪いですよ」と笑われたことがありました。「あ、そうですね」と返事をしましたが、それもまた足さない引かないの美学、精神、信念を貫いているつもりです。あとのことはある意味どうなってもいいので、小宇宙を完結させる。醤油もソースも余ったらごくごく飲む! ぐらいの気迫が大事ではないか。そういう気持ちで今年もいただこうと思っています。
 皆さま、どうかよいお年をお迎えください。
 
 
 
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2014.12.30 07:18

 インフルエンザが大流行しているので基本的に私たち職員は年内教室でマスクを着用することになっています。私はじつはこのマスクというのが苦手で、いままでほとんどしたことがありません。子どものときからそうなのです。
 心理的なものでしょうね。酸素が足りなくなるような恐怖感があるのです。池袋教室時代、ある模擬テストの業者さんの説明会が大宮でありました。マスク着用のことと書かれていた。やはり悪性の風邪が大流行していました。
 
 仕方がないのでマスクをして参加したのですが、具合いが悪くなり途中退出してしまいました。困りますね。
 授業中そんなことになったら大変なので、授業のときはまあマスクはあきらめることにしてあとの時間帯をどうするか。私はーーあたりまえですがーー規則は守るべきだと思っています。子どものころありとあらゆる校則を破ったりしていましたが、現在はもちろんそんな非常識なことは考えません。
 つけたりはずしたりですかね。着用すると心の中までふさがれたような気がするのはなぜなのだろう。
 
 自分の息を感じますね。音もする。内側という感覚がすごくあって面白いことは面白い。メガネが曇るのですが、慣れていらっしゃる方は上手に息をされるのかもしれません。
 インフルエンザは喉を湿らせておくとかかりにくいという話をお医者さん(保護者の方)から聞いたことがありました。こまめに喉を湿らせておくと効果があるそうでーー冬期講習期間でしたがーー私の授業中だけこっそり水分をとらせていいか? とおっしゃるので、規則ではだめだということになっていますが私個人はうるさく規制してはいませんと答えました。堂々とぐびぐび飲まれるとちょっと困るのですが、風邪予防ぐらいなら問題ないですよと。
 
 以前も書きましたが、私はウイルスを退治するという鋭角的(?)な発想をあまり持っていません。軽い疾患の場合は共存共栄こそが唯一の解決策だと考えているので、熱が出てしまったときは「なるべくお前たちを殺さないようにこちらも気をつけるから、そちらもあまり暴れないようにしてくれ」と心の中でウイルスに話しかけるようにしています。
 闘病という概念をなるべく持たないようにしているのです。現象として熱が出たとか節ぶしが痛むとかということを緩和させるだけで積極的には闘わない。それでだいたいうまくいっています。ただ人さまには決してお勧めしません。きちんと治療なさってください。
 
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2014.12.29 07:28

 書籍の宣伝としては、今年最後にしておきます。
 1月5日(来週の今日!)発売の拙著「励ます力」について、いろいろご質問をいただきありがとうございます。これ、おかしいのですよ。私は生徒たちに一切本の話をしていません。授業中もその他のタイミングでもまったく話題にしない。
 話題にしないけれども自分のなかでは強く意識しています。意識しているから話題にしにくいと書くのがいちばん正確かもしれません。そりゃそうでしょう。皆さん、はじめての本が来月出るので買ってください! なんてヘヴィ・メタル道(?)を歩んできたいい歳の男が、突然言えないですよ。
 
 もともとそういう人間として生きてこなかった。彼らも私のうすぼんやりしたところがいいと思ってくれているに違いないのです。損得がわからないような部分ですね。
 内心では入試のまえに出てよかったという気持ちもあります。お守り代わりに試験場に持っていってくださるかもしれない。見守られているという心の支えは大切ですからね。もう少しあとに出版される可能性もあったのですが、この時期でよかったと思っています。
 ただとにかく本のことには直接は触れません。すると生徒も遠慮するのでしょう。私にではなく、事務のお姉さんに「あの先生の本はどこで買えますか」と質問したりしている。
 
 主婦と生活社さんからZ会にご献本いただいたので、渋谷教室にいずれ「見本」を置かせていただく予定になっています。ありがたいことに会社のほうでいくつかの教室にも置きましょうとおっしゃってくださった。鮮やかな、黄色い表紙の本です。
 じつは以前、ブログに「黄色は知性をあらわす」と書いたことがありました。神秘主義の世界ではそういうことになっています。私は生徒にも「試験場におもむくときは黄色い炎に包まれている自分自身を想像するといい」と告げるときがあります。知性の塊になる。「おー、すごいのが来た!」とイメージでも他者を圧倒する。
 
 そのエピソードを編集者の方が覚えてくださっていた。そして黄色でいきましょうということになりました。本当に皆さんのお力で完成できたという感じです。
 編集者の方からうかがった情報を書いておきます。池袋のジュンク堂書店に多めに置かせていただくという話はすでに書きました。渋谷では東急プラザの紀伊國屋書店にたくさん在庫があると思います。紀伊國屋さんはありがたいことに新宿本店や大阪の梅田本店でも多めに置いてくださるそうです。そごう大宮の三省堂、御茶ノ水の丸善、天王寺の旭屋書店・・・他にもいくつかあったかな。
 ご縁がございましたら、よろしくお願いいたします。
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2014.12.28 06:50

 先日、朝刊に外国版の「どっきりカメラ」(?)みたいな番組が大変面白いと紹介されていたので久しぶりに予約して見てみました。寿司歴何十年の一流の職人さんが海外の寿司店で身分を隠して修業します。それがメチャクチャな寿司屋さんで、包丁なんかも全然切れないものを平気で使っている。現地の方は「おいしい」と食べていらっしゃったので、それなりの味ではあるのでしょう。しかし、「寿司」とはかけ離れたものを出していました。
 教えている方はまさか凄腕の寿司職人だとは思っていない。職人さんに向かってそんなやり方ではだめだと叱ったりします。
 
 やり取りが面白かったのですが、とにかく修業を終える。
 そのあと別のイベントで覆面をした日本人の寿司職人が登場し寿司を握ります。それはもう華麗に、繊細に、美しく、おいしく、すばやく作る。お店の方もすごいすごいと大絶賛していました。ところが最後の最後に覆面をとるとじつはさっきまで修業していたおじさんと同一人物だった・・・という落ちがつきます。
 番組を見ていて感じたのですが、やっぱり作法というものはすごく大切ですね。そのことをいちばん痛感しました。
 
 職人さんが包丁を丁寧に研ぐシーンがありました。あちらの方は包丁なんか簡単な道具で時間をかけずに適当に研げばいいと言っていました。そうではないのですね。職人さんは道具の包丁をーー見ていて気持ちがいいぐらいーー丁寧に丁寧に研いでいました。
 また包丁の持ち方なども違いがありました。要するに早く切れればそれでいいと考えて乱暴に切るか、食材を活かすべくつぶさないように切るかの違いです。何もかもがそんな感じで、あちらの考え方と日本式の考え方が大きな対照を示していました。
 
 柔道や相撲なんかでも同じだと思いますが、「自分は喧嘩が強いから」的な発想でその世界に入ってもどうなるものでもないですね。相撲の場合それこそ瞬発力の勝負ですからものすごく力が強ければ何とかなりそうにも感じるのですが、ただの巨漢の力自慢の人間が稽古もせずに大関や横綱になった・・・という話は聞いたことがありません。やはりそれなりに長い修業期間が必要になってくる。
 小中高校生の方は、それなら勉強はどうなのだろうと思いませんか。
 
 まず道具。筆記具や消しゴム、定規、コンパスなんかがきちんと整えられているでしょうか。プリント類は整理されていますか。実際の取り組み方もそう。各教科別にノートは用意されていますか。何でもかんでもテキストに書きこんでいませんか。国語のノートを横書きで書いたり計算式をやたらと省略したりしていませんね。
 さらに練習はどこに「書いて」いるでしょう。英単語や漢字を見ているだけだったり、英文を声を出さないまま読んだことにしていたりする人もいませんか。何をやるかのまえにどのように向かうかという作法こそ大切です。ときどき作法通りにやれているかどうか、正直に見直してみるといいと思います。
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2014.12.27 06:00

 1971年、高校1年生のときに友人と2人で北海道に旅行しました。この友人というのが複雑な関係でもあり、いま思うと本当に友人だったのだろうかという気持ちが少しだけあります。友情だとか愛情だとか意識の中で変質していきますからね。現時点で冷静に判断しようとすると、過去自分には友人というものが1人もいなかったのではないかという変な気持ちになるのです。
 北海道をあちこち回りました。利尻島にも行きましたよ。細かい部分は忘れてしまいましたが、覚えていることもたくさんあります。
 
 私の机の上のスタンドにネックレスがかかっています。おととしぐらいかな、実家で発見して持ってきたものです。
 裏の金属部分に細かい刻みが入っています。1971.8.20ーー8月の20日ということですね。マサキとカタカナで名前が入り、「オホロピリカ」とあります。花のイラスト。さらに阿寒湖とローマ字で書かれている。
 阿寒湖に行ったとき、アイヌのおじいさんがその場でイニシャルを入れてアクセサリーを販売していました。それを買った。
 
 アイヌ語の見本があれこれたくさん出ていました。その中から「オホロピリカ」を選びました。これは明確に覚えています。永遠の美、と書いてありました。
 たくさんの言葉のなかから16歳になろうかという少年が「永遠の美」を選んでしまうところに私の深い病(みたいなもの)があるのだろうとつくづく感じます。「勇気」だとか「飛翔」だとか「勝利」だとか、少年向きの言葉はいろいろありました。その中で「オホロピリカ」を選んでしまった。高校で周囲の快活な少年たちとなかなかうまくいかなかったのも、当然かもしれません。
 
 永遠の美・・・のような何かを求めていたのでしょうね。美人が好き(好きは好きですが)みたいな単純な感情ではなかったですよ。生活の中に美を感じたいという渇望があった。それも常識的な美とは限りませんでした。
 勉強することになかなか美学を感じられなかったのも事実です。たとえば特定の教科の先生がすごく情けなく見えたりした。子どもは大人のことを批判的に見ますからね。それだけでもうその教科はやりたくなくなる。バンドのメンバーの集合写真を見て、音楽を聴きたくないと思うのと同じです。
 
 伝えるものは教科内容「だけ」ではいけないということはつねに考えています。教科を通してべつの大きな何かーーそれが美であれば本当にすごいことですがーーも伝えたいということですね。授業をしながらそういうことを考えています。
 たたずまいみたいなものこそ大切にしたい。すべての大人が子どものまえでそうあるべきなのかもしれませんね。
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2014.12.26 05:09

 もう6、7年同じ床屋さんに通っています。それまではいろいろなお店に行っていました。いろいろなお店に行くついでにある理容室に入ったら、そこがじつによかった。腕のいい理容師さんなのです。
 それ以来、ずーっとそこで髪を切ってもらっています。少しだけ高いのです。しかし、ご主人の腕がいい。年齢をうかがってーー外見が若々しいのでーーびっくりしましたが、現在は80代になられた。
 
 お1人でやっているのですが、仕事がものすごく丁寧なのです。顔を剃るときなんか本当に神業みたいに丁寧。そういうのはやはり感じるものですね。剃ったあとも全然ひりひりしない。それまで通っていたある床屋さんではちょっと乱暴な感じがーー若い男の人だとどうしてもそういう感じが出てきますねーーあったので、こんなに丁寧に顔を剃る理容師さんがいるのかと感動しました。
 髪を切らずに顔だけ剃ってもらいに出向いたこともあります。だいたいひと月に1度ぐらいのペースでうかがっていた。
 
 ところが、今月突然営業しなくなった。ある水曜日、お店が閉まっているので(どこかに出かけたのかな)ぐらいに考えていました。ところがその週はとうとう開かなかった。まあご高齢ですからね。ちょっと心配していたところ、ある日シャッターに貼り紙が。「都合によりしばらくお休みします」と書いてあります。都合により、というところが微妙なところです。
 私がこの理容師さんにひかれるのは腕がいいというだけではないのです。年下の自分がこんなことを書くのは失礼かもしれませんが、じつに教養に富んだご主人なのです。和歌や経典や古典文学、哲学の話題がぽんぽん出てくる。
 
 得意そうに出てくるのではないですよ。ふと「こんなお話がございましたねぇ・・・」という感じで出てくる。ございましたねぇと言われても私なんか半分も知らない。ああ、そうなのですかと聞いているだけで勉強になる。それが面白いので通っていた面もありました。
 ちょっと迷ったのですが、看板の電話番号に何かありましたか? と電話をかけてみました。すると奥さまが出てこられて入院されたとおっしゃっていました。怪我ではないので、年内退院はちょっと難しい感じでした。
 
 そこで仕方なくおとといーー年内最後の休みの日ーーはじめてのお店で髪を刈ってもらいました。何だかすごく変な気持ちがしましたよ。ゴージャスないいお店でしたが、気分的に落ち着きませんでした。早くあのご主人のところに戻りたいという気持ちになりました。
 ご高齢なので退院されてもお仕事を続けられる気力がわいてこなければ店を閉じられてしまうかもしれません。本当にそうなってしまったとき、ちょっと困るなと考えています。気分的な問題でもあるのです。
 
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2014.12.25 07:56

 先日、公立中高一貫校についての研究会がありました。小学校5年生のお子さんがいらっしゃるご家庭を対象にした研究会でした。渋谷教室ではN先生というそちらの専門家(?)みたいな先生がいらっしゃるのでーー授業も担当していますーーそのN先生にお話していただきました。私はちょっとご挨拶しただけです。
 N先生のお話を聞いていて、いろいろとうなずくことが多かった。結局そういうことなのだなと深く印象に残りました。高校受験生にも共通するお話です。
 
 公立中高一貫校の入試問題というのはーー私も問題は見ていますがーー非常に長いのです。長いということはすばやくやらなければいけない。のろのろやっていたら終わりません。集中力を持ち飛躍的に処理能力を高めなければいけません。ぐすぐずしていると全然終わらない。
 また丁寧にやらないといけません。たとえば計算ですね。7桁の計算なんかが普通に出てくる。桁数が多いことにかーっとなってミスをしてはいけないのです。パニックに陥ってはいけない。冷静に、平常心でとるべきものはとらないといけません。
 
 また、どれを先にやってどれを後にまわすかという状況判断も非常に大切です。終わったあとで、ここは本当ならできていた・・・ではだめだということです。手をつけずに残してしまった部分はもともととれなかったところだったぐらいの的確な判断力が必要でしょう。
 さらに作文はしっかり書く。大人の視点で書く。そもそも入試問題そのものからしてーーたとえば木材の写真だけだったりしますーーそこから「読み取る」というよりは「自分の知性や教養や経験を活かして」展開していかなければいけません。そうした蓄積を持っているかどうか。
 
 ということは・・・まとめるとどうなりますか? ①集中力②処理能力の高さ③パニックに陥らない精神力④状況判断の正確さ⑤経験の蓄積や思索の深さ
 要するに「大人」ということです。普通の小学生ではなかなか持てない力ばかりです。しかし、それを持たなければ合格できない。
 机のまえで勉強させるだけでなく、大人になるよう導いていくことが大切ですね。自分で考えさせる。自分で質問に行かせる。自分のことは自分でやれるようにーー起床や食事の後片づけなんかもそうかもしれませんーー指導する。
 
 あなたは勉強だけしていればいいから・・・という形で育ててしまうと当然大人にはなれない。「起こしてあげるから」「一緒に着いていってあげる」「代わりに訊いてきてあげる」「お手伝いなんかいいから勉強だけしていてね」「何でもはいはい言うことを聞くいい子ね」ではいけないということです。
 生活力というかたくましい知性というか、学校側はそれを求めています。食べ物の好き嫌いひとつとっても、理由を他者に説明できますか。ご家庭でもいくらでも鍛えることができる力だと思いますよ。
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2014.12.23 06:59

 昨日いただいたコメントにお返事を書いていて感じたのですが、50代に入って自分はずいぶん変わってきたように思います。容姿が衰えたとかーー加齢によって確かにそういうことはあるのかもしれませんがーー外見的な意味だけではないですよ。内面的なことです。自分でもはっきり自覚しています。
 たとえば私はへヴィ・メタル(音楽)の信奉者として(?)いくつか革製品の服を持っています。ジャンパーとかコートとかですね。へヴィ・メタルの制服みたいな気持ちで30代40代50代の初期に手に入れた。
 
 ずーっと着続けて気に入っているのですが、最近ちょっとかわいそうなことをしたかなと感じるようになりました。いまさらそんなことを考えても仕方がないのですが、何となく動物に気の毒だったという気持ちが働く。革靴だってそうじゃないかということになりますね。そうなのです。革靴に対してもーー靴を磨いているときなんかにーーどんな生活を送っていた動物だったのだろうと考えてしまう。
 かと言って買った服を着ないのではかえって彼らの死がむだになってしまうので、しんみりした気持ちで感謝しながら着ようとは思っています。ただ今後は革靴以外に不必要に新しい革製品を買うことはなさそうです。
 
 肉食についてもちょっとそういうことを考えてしまう。で、回数が減ってきました。魚介類だって植物だって生きているわけで、そんなことを言っていたら食べるものがなくなってしまうことはよくわかっています。それでも食べるとき肉類は少しだけ印象が違うのですよ。もともとはとんかつなんかとても好きだったのですが、ここ数年は食べる回数が激減しています。
 「先」が見えてきたということなのでしょうか。昔の人がよく歳をとって「出家」していますが、こういう心境だったのかもしれないですね。ただ「枯れてくる」というのとはもう少し別の、積極的な何かが働いているようには感じます。
 
 今月は明日24日にお休みをいただくともうお休みがありません。1月1日に休めるだけであとは1月5日の拙著の発売日までずーっと仕事が続きます。そういうことに対しても「世の中の多くの皆さんみたいにお正月ぐらいゆっくり休めたらいいなあ」という感じをほとんど持たなくなりました。
 いずれはいやでも「ゆっくりする日」が来るでしょうから、少しでもお役にたてるあいだは働かせていただこうと考えています。この「いただく」というのは会社や世の中や生徒や保護者の方に対しての謙譲表現であるとともに、その外側にある何かに対しての畏敬の念でもあります。
 
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2014.12.21 06:37

 昨日、いよいよ単行本「励ます力」の見本が自宅に届きました。見本というか、要するに完成品ですね。
 うーん、改めてきれいな本に仕上がったものだと感心しました。書いた私はそのへんのサエない(?)おじさんですが、書籍はとてもきれいです。編集者さんのお力ですね。ブログを見て、こういう感じの本を作ろうと発想されたこと自体が率直に言ってすごいと思いましたよ。子育てに迷われている方がさっと手に取りやすい「やさしい」感じに仕上がりました。お店でも何でも入口が大切ですからね。
 
 やっぱりうれしいですね。自分の書いてきたものがまとまって1冊の書籍になり本屋さんの店頭に並ぶ。
 昔小説を書いていました。30歳までにデビューするつもりが、実際にはじめて文芸誌に載ったときは37歳になっていました。そのときひそかに40歳までには書籍を出したいものだと思った。少しあとになって連載していた音楽誌の編集部の方からも、いずれ単行本にできたらいいですねというようなお話をいただいたこともありました。そんなこんなで、書いていればそのうち本は出るものなのだろうという安易な気持ちを持っていました。
 
 ここ数年ですかね。50代も半ばになった。酔った晩なんかに「とうとう本は出なかったか・・・」とちょっと考えるときがありました。自分はそういう運命ではなかったのだなと。
 もちろん幸せなのですよ。幸せなのですが、幸せにプラスしてたとえばサッカーのうまい人とか歌が上手な人とかがいらっしゃるように、本が出ている人もいらっしゃるわけですね。若いときにそういうことを目標にして生きてきたけれども、とうとう叶わなかったかという感じを持っていたのも事実です。
 
 書籍のお話があったのが今年の6月のことです。とんとん拍子に進んでこういう形になりました。
 編集者さんはわざわざ書店まで営業に出向いてくださっているそうです。私がゆかりのある(たとえば過去に教室長をやっていた)地区の書店さんに多めに置かせていただくお願いに行ってくださる。先日は池袋のジュンク堂書店にいらっしゃったそうです。あそこでは自分も相当たくさんの書籍を買っています。
 その書店の棚に並べていただくというのは・・・何だかちょっと不思議な気持ちがします。
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2014.12.20 07:39

 今年も残すところあと10日ちょっとですね。
 来年、自分はちょうど60歳になります。いわゆる還暦というやつですね。現時点でそこまで生きられるかどうか保証はないわけですが、とりあえず次年度はこのまま渋谷教室で仕事を続けさせていただけるお話になっています。
 その後のことはまだ具体的に何も決まっていません。何も決まっていませんが、自分としてはどういう形でも好きな仕事を続けられたらいいなと思っています。
 
 好きな仕事と書きました。とくにご家庭との相談や授業ですね。授業中、私は楽しいのですよ。若いころはいまほど楽しくなかった。楽しくないと書くと語弊がありますかね。どちらかというとーーかかってくる責任に対して重荷みたいなものを感じていました。たとえば3コマ連続で同じ授業を受け持つとします。クラスがいくつかに分かれている場合ですね。
 当然3つめのクラスを担当するときは1つめのクラスを担当するときよりは疲れています。そのせいでうまくいかなかったらいやだなという気持ちがふと心をよぎる。そんな感じでした。
 
 同じ内容の授業ができないとまだまだ未熟だと考えたりしました。同じ90分で同じ講師で同じテキストで・・・与えるものが違ってくるというのはまずいだろうと。
 ところがいまはあまりそういうことは考えません。やる内容は同じでも話すことは出たとこ勝負みたいな要素があります。少なくとも「まったく同じに」とは考えなくなりました。そのほうが話術として自然であり、結局自然にやったほうが言葉が届くということがわかってきた。
 
 高校生のころ、女の子とデートするまえに話題を決めたりしていた時期がありました。あれとこれをこういう順番で話そう。
 男子校でしたから、女の子と話す機会はそんなに多くはなかった。昭和半ばの男子校の生徒なんて都会でもそんなものでしたよ。緊張してよく喋れない。だからこそ話す内容を事前に決めておくわけですが、そんな話術が面白いわけがありません。あれ? ここでもうちょっとウケるかと思ったのに・・・みたいなことだらけで、普通に話したほうがよっぽど面白かったのではないかと思います。そういう状況に似ています。
 
 ですから、そっくりにはしない。彼らがうんと疲れているようなときはわざと雑談を入れる。こちらに気持ちを引き戻すためですね。その雑談も前もって考えておくというより、最近自分の身の上に起こった印象的な出来事を率直に話します。
 ブログにも書いた「夜中に道に人が倒れていて救急車を呼んだ話」なんかですね。みんないっせいにこちらを見ます。難しい内容にうんざりしていた生徒も顔を上げる。その話題が終わるとまた本題に戻ります。しかし、実際その話をしたのは1クラスのみでした。ウケたからほかのクラスでも・・・とは考えません。自然ではないからですね。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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