2014.11.30 07:20

 ばかみたいに将棋に熱中した時期があります。ちょっと病的でしたね。夢中になるというより依存症的な何かです。止まらなくなるのです。
 いまは自覚しているので大丈夫ですが、昔はコントロールできずに相当異常な経験を積みました。たとえばこういうことがありました。ある人と将棋を指した。夜の7時ごろ指しはじめて夜中になり朝が来た。その間、トイレに行くぐらいでひたすら将棋盤に向かっていました。そのまま指し続け昼になり午後になる。それでも何も食べずに指し続けました。結局その日は寝ませんでしたよ。
 
 相手も相手ですね。賭けたりはしていないのです。それなのにお互い夢中になる。止まらなくなります。
 あんな遊びのどこが面白いのですか? と質問されたことがあります。質問した方はまったく将棋を指しません。密室で小さな駒をちまちまとったりとられたりしながら何時間も俯いていて、楽しそうには見えないというのです。大自然の日ざしのもとで、きれいな空気を吸いながらのびのびと身体を動かしたほうがよっぽど楽しいのではないか。言われてみればその通りみたいな気もするのですが、面白いのだから仕方がないですね。
 
 受験期にこういうことがありました。授業中、私はある男と将棋を指していました。小さなマグネットの将棋盤で夢中で指した。そのためにいちばん後ろの席にわざわざ移動していました。担当の先生は温厚な感じで、あまり生徒の様子に注意を払うタイプではないので大丈夫だろうとたかをくくっていました。受験について頭から投げていたという事情もあります。
 あるとき、その先生が私たちに「そこ、いつもいつも何をしているんだ?」とおっしゃった。隠しているものを出してごらん。
 
 ちょうど私のほうに盤が来ていました。お互い指したら先生の目を盗んでさっと渡すということを繰り返していたのですが、ちらりと見えてしまったのでしょう。「出してごらん」
 私は仕方なく机の上に将棋盤を出しました。先生はしばらく沈黙し「ほう、この時期にそんなことを・・・」とおっしゃった。そのまま叱責の言葉も何もなく授業を再開されました。周囲の受験生も不思議な物体でも見るようにちらりとこちらを見ただけです。私は何だかよくわからないが、これはものすごく恥ずかしいぞと思いました。
 
 赤くなって下を向いていると隣の男が小声で「早くつぎの手を指せよ!」と催促してきました。
 その声を聞いた瞬間、いまの自分は将棋が指したいというより・・・どうやって生きたらいいのかわからなくなっているのだとぼんやり考えました。現在の自分は死んでいないというだけで、ろくに生きてもいない。その不安を何かで紛らわせたいだけなのだと。
 あの恥ずかしさは非常にレベルの高い感情だったと考えることがあります。十全に生きていない自身に対する恥ずかしさ。確かに人間ならではの感情ですね。
 
 
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2014.11.29 08:10

 中学生ということは下に弟さんや妹さんがいらっしゃる可能性があります。場合によってはまだまだ赤ちゃんだったり幼児だったりします。珍しいことではありません。
 すると面談なんかにも一緒にいらっしゃることがある。小さいお子さんを置いてくるわけにはいきませんから当然でしょう。実際にあったお話ですのでうんとぼかして書きます。いいお話ではあるのですが、どなたかわからないようにしないといけません。
 
 あるとき、幼児を連れて来られた保護者の方がいた。上の受験生の方はものすごく勉強ができます。勉強ができるだけではなく、人間的にもとてもしっかりしている。面談を担当される先生が「とくにお話することがなくて困りますよ」と苦笑されていました。
 どの志望校も受かりそうなので、どうぞ受験してください・・・ぐらいしか提案できることがないというのです。私は生活態度がしっかりしているところがいいのだろうと思っていました。勉強の不調はある種の「生活習慣病」です。生活習慣が整っていれば自然に勉強もできるようになるはずです。
 
 そうしたご家庭のすぐれた方針の一端を感じる出来事がありました。
 帰っていかれるとき教室で脱いでいた上着ーーコートなどーーを廊下で着ますね。まだ幼稚園に上がっていないような子が1人でちゃんと着られるのかなと私は注視していました。脱いだ上着はくしゃくしゃになっていて、落ち着いて見ないと上も下もわからない。
 大人でさえまごまごしている人がいますね。酔っ払って路上でコートに腕が入らないおじさん(私ではないですよ)を見たことがあります。
 
 おうちの方がお手伝いしてあげないとむりなのではないか。しかし、おうちの方は手を出しません。普通の速度で歩きエレベーターのボタンを押して待っています。
 その子はくしゃくしゃになった上着をていねいに広げました。冷静に上下を確かめ片腕を袖の中に入れた。襟のあたりを気遣いながらそのままもう片方の腕を・・・というところで残念ながらエレベーターが来てしまいました。
 わざと1人でやらせるのだなと感心しましたよ。腕を通しなさいと服を持って待ち構えてやりたくなるのが人情です。しかし、いつもいつもそうしていると大人になれない側面は出てくるのかもしれない。
 
 あの年齢で歩きながらさっとコートをはおるというのはできそうでなかなかできないことだと思います。焦るとメチャクチャになってしまう。それだけ訓練を積んできたのでしょう。ご自身のことはご自身で・・・というご家庭の方針を感じました。
 やっぱり「大人にしていく」視点は大切ですね。生徒が「日曜日の試験は何時からですか?」とたずねてきます。安易に教えてしまうより「配ったプリントに書いてなかった?」とか「壁の貼り紙で確認してごらん」とか答えたほうが、結局は本当の意味で「親切」になるのだなと強く感じました。
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2014.11.28 09:17

 1983年ごろからの日記ーー断続的ではあるのですがーーを残しています。本当は1960年代から書いていたのですが、2回捨てました。現存しているなかでいちばん古い記述は1983年のものです。
 心情みたいなものはあまりわからないように書いてあります。出来事中心ですね。それでもぽつりぽつりとあれがいいとかいやだとか書かれています。昨日、そうした昔の記述を集中的に見ていました。
 
 じつは書籍(たくさんのご声援を心から感謝しています)の最後の校正が昨日からはじまっています。その関係で確認したいことがあった。昔の日記を引っ張り出してきて見ているうちに止まらなくなったというか夢中になったというか、そんなところです。
 そして正直なところつぎのような感想を持ちました。これを書いたのは確かに自分ではあるのだが、この自分はいまの自分と本当に同じ人間なのだろうか?
 それはまあ物理的には同じ身体なのですよ。それはわかっていても、どうしても違う人間のような気がしてくるのです。
 
 20代のころですね。いちばん感じたのはあまりにも厭世的であり、あまりにも傲慢で、あまりにも敬意や愛情がないということでした。現在の自分と比べてです。
 仕事も何もぜんぶきらいだというようなことが書かれている。他者との交わりを完全に断つために大金がほしいと書いてある。おいおい、おれはこんなにひどかったか? と感じました。世の中すべての悪口(?)みたいなのが殴り書かれているような日さえありました。
 
 もちろん現在の自分にも合う合わないというのはあるのでしょうが、少なくともこの瞬間恨んだり憎んだりしている対象は文字通り「何も」ありません。それはまあ、過去ーー日記に書かれているようなさまざまなことーーは実際起きているわけで、職場の変転なんかについても面白いこと「ばかり」ではなかったかもしれません。しかし、だから当時のことを思い出して心がざわつくかといえばそれは一切ない。ときどき確認するのですよ。そして、自分はすべての経験ーー失敗や失恋なんかも含めてーーに心から感謝しているということが明確になるたびに自由を感じます。
 
 昆虫のことを考えました。完全変態とか不完全変態とか。カブトムシ、セミ、アゲハチョウ・・・彼らは成虫になってからも幼虫時代の記憶を保っているのでしょうか? 人間と違って形態まで全然べつですからね。
 ただ私も日記が残っていなければ漠然と「同じ」だと考えていたかもしれません。進化成長とはよく言ったもので、そうやって人間もじわじわと変わっていくのでしょう。生徒諸君にはときどき話すのですが、自己の大きな変化を確認するためにも記録(日記)は残しておかれるとよいかもしれませんよ。
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2014.11.26 09:31

 私ごとで恐縮なのですが、中途半端に記事にしてしまってご心配をいただいたのでちょっとだけご報告しておきます。昨日、高齢の(といちいちことわるまでもないか)母がひと月ぶりに退院いたしました。脚の手術をしたのですが、自宅で少なくとも少しだけ歩いていました。そこまで回復したということですね。いろいろご心配をおかけいたしました。どうもありがとうございます。
 昨日はお休みをいただいていて、私自身昼は血圧関係のクリニックに行った。夜、大学に行っていた息子と中野駅で待ち合わせました。
 
 私1人でお見舞いに行ってもよかったのですが、そこはやはり孫がいたほうがいいだろうと彼を誘った。少なくとも私だったら絶対に面倒がったと思うのですが、彼は協力的で本当に助かります。
 まあ、親子でも違いますね。帰りに少し飲まないかと誘うと検定試験が近いからやめておくよと言う。私なら何があっても飲んでしまうと思うのですが、そういうところもきちんと考えているみたいですね。
 
 就職についてときどき話すことがあります。私は基本的に何でもいいと思っています。自分の好きなこと楽しいことであれば、いずれは花が咲くでしょう。好きなことをして人さまのお役にたつのがいちばんいい。職種みたいなものは楽しそうか楽しくなさそうかだけで決めたらいいし、正規雇用にもこだわらなくていいと考えているのですが、彼は「おれは普通に勤めたい」と言う。どうも私の考え方が普通ではないようで「まあ、おまえの好きにやったらいいと思う」と最後は任せる意志を示して応援するだけです。
 
 中野においしい味噌ラーメンを出すお店があります。昭和の味噌ラーメン。オシャレなお店ではなくおじさんおばさん(私より年上です)の二枚看板(?)で黙々と頑張っています。メニューにはチャーハンだとか餃子だとかも載っている。要するにここのところ次々と姿を消してしまう街の中華屋さんなのですが、昔風の味噌ラーメンに引き寄せられるお客さんが多くしぶとく生き残っています。値段も550円と中野駅前にしては驚異的に安い。
 飲まないのなら食べようかとそこに寄りました。彼は大盛りを食べた。味が濃い、喉が渇くと言っていました。
 
 そのあと? 彼は荻窪から帰りました。私は西荻窪から帰りました。別々の駅から同じ家に帰るところは相変わらずです。もっとも私は途中1軒だけーーここのところよく顔を出す立ち飲み屋さんにーーひっかかりましたが。
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2014.11.24 09:00

 同質のものが引き合うのです。引き合うというと語弊がありますかね。つりあうと表現するべきなのでしょうか。
 ときどき自分の価値みたいなものを上げたいがために特定の高校に進みたがる生徒が出てきます。学校に限らないですね。自分を大きく見せたいので、どうしてもいい会社に入りたいとか特別な世界で活躍したいとかだれもがうらやむような異性(なんて存在するわけがないのですが)と結婚したいとか、類することはたくさんありそうです。
 
 それはしかしあまりうまくいかないですね。くすんでいる(?)自分というのをもし自覚しているのであれば、所属したかったり引き寄せたかったりする対象は輝かしい存在であるわけですから、質が違うことになります。質が違うと関係性はうまくいきません。たとえばご馳走(輝かしい存在)を作っていて1つだけ腐った食材を使うなどということはありえないですね。腐るまではいかなくても1つだけさえない食材を意識的に混ぜるということは絶対にしないはずです。
 さえない食材側はひょっとすると(自分でもここに混じってしまえばおいしく食べてもらえるかもしれない)と感じているかもしれません。
 
 まず、自分を磨くことからはじめてください。磨かれた自分になってはじめて輝かしい対象とつりあいます。こんな輝かしい自分であれば所属する学校も職場も引き寄せる異性も輝かしくて当然だと言えるまでご自身を磨くということですね。
 やみくもにオシャレをするとか勉強するとかというのともちょっと違います。自分を見つける。自分を掘り下げる。自分の魅力に気づきその魅力を深めていく・・・ということです。要するに「何かある」人になる。もともと「何かある」に決まっているのです。それを見失ってしまっているのできちんと再発見する。
 
 学校が全面的にあなたを磨いてくれるわけではありません。もちろん多少は関係あるでしょう。ただし自分で磨こうという意志があればということです。能動的に魅力的になろうと考えないままどんどん魅力的になる人は1人もいません。
 さきほどの料理にたとえれば最高の食材であったから、最高のご馳走作りに使ってもらえたということです。まず自分自身が最高にならないといけないですね。
 ときどき何々高校に入って見返してやりたいと訴える生徒がいますがーーそしてそういう動機も私は十分受け入れてきましたがーーそれ「だけ」では続かないと思います。
 
 他者のことは意識しすぎないほうがいいかもしれません。毎日のすべての思考、すべての行為、すべての言動で私たちは自分自身を創りあげています。それこそ「勉強さえできれば無愛想でいいのか」ということもあるかもしれない。「運動能力さえ高ければ勉強しなくていいのか」ということもあるかもしれない。「異性に人気があれば薄情でいいのか」ということもあるかもしれません。総合的に、どういう人になりたいかというイメージを大切にしてください。
 全思考、全行為、全存在で自己を証明する。証明された自己が輝いている。その結果として輝かしいものに「ぴったり」と言われるようになるのですよ。
 
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2014.11.23 08:26

 ブログの書籍化にともない私個人にいくばくかのお金が入ってきます。はじめは微妙なところでした。それを周囲の大勢の方がいろいろ働きかけてくださって、例外的に(?)収入が入るようにしてくださいました。私は働きかけてくださった方々を知っていますが、こんな私のために大変なご尽力いただいて心から感謝しています。
 それはまあ、「無名のおじさん新人」ですからびっくりするほどの発行部数にはなりません。全国津々浦々の書店に並ぶ・・・という冒険はできなくて当然でしょう。
 
 しかし、正直に書きますがすごく助かりました。ちょうど高齢の母親の緊急手術と長期入院(おかげさまでひと月ぶりに退院できるはこびになりそうです)、さらに実家の改修ーー手すりをつけたり扉を換えたりーーみたいなことと重なった。そういったもろもろの費用に充当できそうです。ほっとしたというか、お金を借りなくてすみそうだというか・・・まあ、そんなところです。
 こういうのは面白いもので、緊急事態が起きなければ臨時収入はなかったかもしれません。「全体の知恵」ですね。一生懸命生きていると微妙な配慮も働くのが世の中ではないかという気がしています。
 
 ただこういうことがあります。
 やはり周囲の方からアドヴァイスを受けました。よく知らない方に「あの人は会社でアルバイトをしている」的な誤解を受けるといけないので、就業時間内にブログを書いたりしないほうがいいかもしれませんよと。それもそうかもしれないという気持ちが働いたので、最近ではこうして自宅で記事をアップしコメントのお返事も自宅で書いています。
 もともと記事の下書きは自宅でしていましたから労力というか手間は全然変わりません。自宅で深夜か早朝に下書きしてーー複数残しておくときもありますーー臨場感を出すためにわざと仕事場で仕上げる感じでした。
 
 コメントだけは仕事の途中でも書いていました。すぐにお返事をさしあげたくなってしまい、採点なんかを中断して書くときがありました。自宅ですべて書くように統一してみると、なるほどこちらのほうが落ち着けていいなという感じもしています。
 書籍が出てからも私は売れるようにあたりまえの努力だけはするつもりです。出してくださった主婦と生活社さんのためでもありますし、Z会のためでもあります。あんなの出さなければよかった、大損だったなどと嘆かれたらやっぱりちょっと悲しいですからね。さらに大げさなことを書いてしまえば、自分のできることで少しでも世の中を明るくしたいという望みは持っています。
 
 書籍のネット予約というのですか、それができるようになっているそうです。息子が真顔で「おれも1冊注文してやろうか?」と言う。売れないことを本気で心配してくれているのですね。私は苦笑して「読んでくれるならプレゼントするよ」と返事をしました。もっとも彼は読まないと思いますけどね。
 生徒によく話します。とにかく好きなことをしろと。好きなことをして幸せになれ。同時に好きなことで周囲を幸せにしろとも。好きなことで自分も他者も幸せにしてほしいということです。上手に生きるというのは、そういうことだと思います。
 
 
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2014.11.22 08:49

 行儀がいい悪いということはありますね。行儀がいいほうが悪いより一般的にはよく受け取られる。それはそうでしょう。
 ただ仮に行儀が悪いとしても生まれつき行儀が悪いというのは理論的におかしいのであって、きちんと教えてもらってこなければ行儀が少しよろしくないのは当然でその子の罪ではありません。オオカミに育てられた少年の話は有名ですが、人間らしくないと叱ったところでそういう生活でしつけられてきたわけですから地面からじかに物を食べたり四足で走り回ったりすることは彼の責任ではありません。
 
 Z会進学教室に来てくださるような中学生(小学生)はもちろんある程度の教養というか文化度というかを持たれているわけで行儀について大問題が勃発することはまずないのですが、多少は出てくることがあります。
 たとえば授業中に私語を交わそうとするとか、隣の答案をのぞこうとする、授業中にこっそり飲んだり食べたりしようとする、自習室で遊ぼう話そうとする、壁に落書きをしようとする、食べかすを床に捨てて帰る・・・などですかね。
 担当の先生が気づけばその場で注意されて(ブロックされて)終わりですが、ぜんぶがぜんぶそういうわけにもいきません。
 
 すると生徒が帰ったあとの教室がちらかっていたりすることがあります。飲み物の空き缶が落ちていたりですね。また先生の書かれる授業日誌に「何々くんが今日は落ち着かなかった」という記述がある。あるいは先生が板書しているときに何か飲んでいる気配があると書かれているときもあります。
 こういうときまとめ役の自分までが熱くなったらいけないのであって、私のすべき仕事は先生や一緒に働いている方が生徒のことを万が一にも悪く思わないように懐柔というか、空気を柔らかく柔らかく持っていくことだと思っています。
 
 もう何年も昔、池袋教室でこういうことがありました。自習室で遊んでいる生徒がいると複数の先生が怒っていた。遊んでいてはいけないというのは事実です。しかし私が本人に訊いてみるとそこには複雑な事情があり、教室で少し息抜きしないとおかしくなってしまうのではないか・・・と感じました。
 もっとも自習室でーーたとえ他の生徒には迷惑がかからないとはいえーー漫然と遊んでいるのを認めるのはまずいでしょう。そこで私は授業前のある教室にその生徒を招き入れて「1時間だけ自由に使っていい」と言いました。ひと月半、そうしました。
 
 結果的に丸く収まりました。1時間息抜きの時間をもらった生徒はちゃんと志望校にも合格しています。しかしこの件は合格したからいいというものでもないように感じます。
 温厚さとか優雅さとか情け深さとかは高い文化度がなければ成立しない要素であり、そうしたレベルの高い空間をいらしてくださっている生徒諸君やともに働く皆さんと創造していくのが教室長の役割であると考えています。
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2014.11.21 09:29

 私は同じ賃貸マンションにかれこれ14年以上住んでいます。これだけ長いのはちょっと珍しいかもしれませんね。昔から「所有欲」というものが乏しく、住まいなんかにしてもほしいと思えないのでずーっと賃貸で通してきました。物事を自分のものにしていろいろとわずらわしくなるのが苦痛なのです。借りているだけであれば何かあったらさっさとお返しして終わりですからね。
 自分の城、という表現がありますが、私の場合ーー負け惜しみみたいなものかもしれませんーー城は心のなかにしかなかったなあ。
 
 両隣に住んでいる方も何回か交代しました。挨拶にいらしてくださらなくてもわかるものです。昔はこうした賃貸マンションでも律儀にご挨拶にいらしてくださる方が多かったのですが、いまはそういうこともなくなりました。さっぱりしているというか、個人的にはそれもまたいいものだと感じています。
 比較的最近、珍しく「越してきました」といらっしゃったご夫婦がいました。ご挨拶どころかお菓子までいただいた。
 
 真面目そうなご主人と非常にしっかりした感じの奥さまで、奥さまは赤ちゃんを抱いていらっしゃった。ちょっと見たかぎりはそんなにお若い感じはなかった。もちろんお若いのですが、小学生ぐらいのお子さんがいてもおかしくないように見えました。しっかりした方たちなので、年上に見えたのかもしれないですね。
 私は息子が赤ちゃんだったときのことを思い出しました。あれぐらいは手がかかって大変だった。夜泣きしたりいろいろありましたから。
 
 家内にもそんなことを話しました。すごく小さい赤ちゃんで、お母さんの胸で眠っているだけなんだ・・・と。
 私の部屋は廊下側にあり、物音がそれなりに聞こえます。いつだったか赤ちゃんみたいなのが廊下で声を出しているのが聞こえてきた。「ぽ、ぽ、ぽ」と意味があるようなないような声を出している。あの子も声を出すようになったのかと思いました。そうした声は何度も聞きました。だんだん人間の言葉らしくなってくるのが微笑ましかった。
 
 と思っていたら、先日は「いち、に、いち、に」と親子で発音しながら廊下を歩いている様子です。歩きはじめたんだ! と衝撃を受けましたよ。親子の幸せな空間を邪魔しないためにそっとのぞいてみたい気持ちを抑えました。
 まさに原点ですね。少しだけお喋りができた、ほんの少し歩けるようになった・・・親は子どものそうした姿を覚えています。あのときの温かみをけっして忘れてはいけないと思います。むしろ積極的に、しょっちゅう思い出してくださったらいい。保護者の方と面談をしていてときどきそう感じます。
 
 いち、に、いち、にの原点ですね。あの頼りない歩みの子がここまでになった。たしかに「うるせーな!」とか「勉強なんかしなくたって勝手だろ!」とか生意気なことは表明されるかもしれない。しかしそれもまた大きな成長です。「あの子だけが頭痛の種」などとおっしゃらずに、よくぞここまで元気に育ってくれたと考えてくださったらいい。
 原点を振り返る癖をつけられれば、少しはお気持ちも楽になると思います。
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2014.11.19 10:10

 書籍の校正がだいたい終わりました。もう1度全体を見るチャンスはあるのですが、基本的には終わり。自分としてはそれなりに力を尽くしたつもりです。新幹線のグリーン車と早朝のホテルの部屋と香を焚いた自室と、納得のいく空間で吟味できました。
 もともと私個人が書いてきた文章ではあるのですが、そこは組織に属しているという安心感もありましたし、今回は「主婦と生活社」さんの編集者の方のご尽力もありました。それは本当に本当に大きかった。ひたすら感謝しています。
 
 校正しながらいろいろなことを考えました。たとえば「出来事」とは書く。しかし「出来る」とは書きたくないわけです。「できる」とひらがなにしたい。こだわりみたいなものが出てきました。横書きであれば算用数字で構わないものを漢数字にしたいとか。
 表紙の見本をいただいたのできのう母親の見舞いに行って見せました。私はそういう俗っぽいこともちゃんと(?)やっているのです。ボブ・ディランのお母さんがおっしゃっていた言葉が残っています。「あの子はちょっと成功するとすぐ私に報告に来る」と。
 
 病院には偶然父親も来ていました。表紙の私の写真を見て「優しそうな感じでよかった」と言っていました。そうなのですよ。切れ者でもやり手でも大物でもない。優しそうな感じでよかった・・・です。
 10代のころ、周囲の大人にそう言われていたかというとそうではない。中学校の先生なんかからは時代の先端を行く「大物」を目指せみたいなことをつねに言われていました。わが校で学ぶのならそれぐらいの志を持ってほしいと。優しくあれ、と言われたことはなかった。とにかく「大物」を目指せでした。あの激励は何だったのか。
 
 当時、私は小さな小さな幸福を求めていました。いずれ好きな女のひとができて結婚でもしたらずっと自宅にいたいと考えた。会社に行って離れているのは寂しいですからね。ずっと自宅にいてできる仕事は何だろうと考えた。
 タバコ屋さんなんかどうだろう? と思いつきました。タバコ屋さんというのがあちらこちらにあったのです。ただ窓口に座っている。お客さんにタバコを売る。ガムなんかも置いてあって子どもにはガムを売る。それでいいやと思った。おれはタバコ屋さんを夢にしようと思った。
 
 周囲の大人に真面目に考えろと言われましたよ。周囲を見てみろと。医学界とか法曹界とか世界をまたにかける一流企業だとか・・・仲間はみんなそういう上昇志向(?)を持っているじゃないか。お前はどうして大きく考えられないのだと言われました。
 けっ! ですよ。おれはだれにも知られず好きな人と静かに暮らしたいだけなのに。そのために生まれてきたのに。
 生きてきて微妙な悲しみが堆積しています。そこがいいのですね。粉雪が積もる感じ。その悲しみが他者への優しさに変容していくように感じます。
 
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2014.11.17 08:10

 中学受験をしない小6コースの授業が進んでいます。4回目は生き方について勉強しました。生き方についてなどと書くと難しい感じがしてしまいますが、小学生対象なのでそこは加減した文章を選んでいます。
 彼らだってこれから大人になっていくわけですから、生き方についてちょっと考えておくことは役に立つのではないかと思いました。おしつけがましく「これこれこういう生き方をしなさい」というのではなく、ふーん、そんな考え方もあるのか・・・程度ですね。
 
 今回(今日も授業がありますが)学んだ文章には単刀直入に書くとこういうことが述べられていました。あなたが正しいことをすれば幸福になれる。間違ったことをすれば不幸になる。だからもし現在のあなたの調子が悪いのであれば、間違ったことをしている可能性がある。
 細かいところは省略しますが、簡単に言えばそういう主旨でした。そしてあなたの人生に起きたことを他人の責任にしてはいけませんと書かれていた。
 全面的に正しいかどうか。そこはいろいろあるでしょうが、興味を持ってくださったらいいですね。
 
 私はちょっとだけこういう話をしました。
 小学生のうちはどうしようもないと思われることも多々あるでしょう。たとえば誰かにいじわるされる。いじめまではいかなくてもそういうことってありますね。しかし全面的に「相手が悪い」と結論づけてしまえば、相手が変わってくれない限りこちらの不幸はどうにもなりません。自分の人生なのに自分では何もできないことになってしまう。
 そうではなく、相手のいじわるを誘発した原因が自分のほうに「も」あるのではないかと考えるクセはつけておいてもいいかもしれない。あれが刺激したかなという要素は考えてみて、直せるものなら直しておくと安心ですね。
 
 ねたみだとかそねみだとかひがみだとかまったく困った感情ですが、人生においてどういう感情を持って生きるかはその人の自由でもあります。こちらで「そう考えるな」と命令したところでどうなるものでもありませんね。
 であれば、変に刺激しないほうがいいケースもあるでしょう。そうやって自分の世界を落ち着いて構築していくということですね。他者が突然乱入してきたと大騒ぎするのではなく、他者の乱入を招いた原因が何なのか冷静に考える。
 
 自分の人生の責任はすべて自分にあると言い切ってしまうにはいくらなんでも小学生は幼すぎます。中学生だってそうですね。しかし、いろいろなことを考えはじめるのは悪くないでしょう。大人になれば、たしかに自分に責任がある不幸というのがたくさん出てきます。浪費癖、暴飲暴食、ギャンブル依存、自己管理不全、怠け癖・・・みんなそうですね。意識しておくことは無駄にはならないと思います。
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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