2014.10.05 09:31

 先日「ジャージー・ボーイズ」という記事で、私は「不便だったからこそ幸せだった」と書きました。そのことをずっと考えています。
 夢中になったフランキー・ヴァリという歌手について、全然わからなかった。わからないし音源も手に入らない。そういうなかでじりじりしながら自分自身で調べていく。あるいは何とか音源を手に入れようとFEN放送の懐メロ番組(土曜日にやっていました)を毎週必ず聴く。何年も何年もそうし続けて、本当に大好きなアーティストに「育った」わけです。
 
 男女関係もこういうものではないかとふと思いました。最近の若い方はあまり激しい恋をなさらないという記事を読んだことがあります。草食系と呼ぶのですか? がつがつしていない。結婚もしてもしなくてもいいという方が昔より増えてきたそうですね。
 便利すぎるのではないか? そう思います。連絡のとりたいときに連絡がとれる。電話でも活字でもどちらでも可能です。濃密につながっている。自分が若いころはそうではありませんでした。
 
 たとえば何か気になることが出てきても、夜になると一切連絡がとれませんでした。メールだのラインだの何もありません。携帯電話もない。自宅の電話では家族に会話を聞かれてしまう。わざわざ公衆電話にかけに行くのですが、逆に向こうの女の子が家族のまえなので話せない。
 共通の友だちに公衆電話で電話をかけて、さっきの自分の発言はこれこれこういう意味だと彼女に伝えてほしい・・・というようなわけのわからない連絡をしたことも1度や2度ではありませんでした。そこまでしてもこちらの気持ちが本当に伝わったかどうかは翌日になるまでわからない。心配で眠れずじりじりしながら朝を待つ。
 
 たいていなあんだ、心配することはなかったのか・・・という結果になるのですが、とにかくすぐに連絡がとれないこと自体がお互いの気持ちを高めた事実はあったと思います。会うのだって大変でした。いまの時代と違って自分の両親の世代は男女交際にけっこう厳しかった。電話をかけたらあちらのお父さんに「うちの娘に何の用だ!」と怒鳴られたりしました。電話を切られたり手紙を捨てられたりしたこともありましたよ。
 それでも相手を好きだという気持ちは変わらない。変わらないというより、妨害が入ることで負けるものか! とかえって強くなる。
 
 あの抵抗感(?)がすべて消えてしまって、のべつまくなしに「いま何してるの?」みたいなコミュニケーションがとれてしまったら、(この思いが伝えられないなんて!)という激しい感情はわきたたないかもしれません。
 空白の時間、沈黙の時間、耐え忍ぶ時間が愛情を育てていたのですね。その期間があまりにも切ないので一緒にいたいと願う。
 不便さがいろいろなものを育ててくれた。勉強だってそうかもしれません。お兄さんから譲られたお古の参考書1冊しかないとなったら、汚かろうが何だろうが隅から隅まで読もうとするでしょう。しかし5冊も6冊も持っていたら、そこまで熱を入れて読むかどうか。ちょっと意識してもいい問題かもしれませんね。
 
 
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2014.10.04 06:05

 まだ早いですね。今日は午前中から保護者会があり教室でブログを書く時間がなさそうなので自宅で書いています。
 昨日はお休みをいただいて法事に出ました。故人がカトリックだった関係で、会場は教会でした。司祭の方がこうおっしゃっていた。「死ほど平等なものはない」私もそう思います。お金持ちにも貧乏な人にも、いい人にもいわゆる悪いことをする人にも、死は平等に訪れます。もちろん私にも訪れる。
 
 そうした「得体の知れないもの」に対して意味もなくおびえるというのがいちばんよくないやり方だと考えています。そこはさほどの根拠はなくてもいいですから、死に際して「自分ならきっとうまくやれるだろう」という気持ちを持つことが大切です。どこでどういう形でこの世とお別れすることになるか、現時点では自分にはよくわかりません。ただ私はものごとを慈悲深くエレガントに乗り切っていこうという意志をつねに持っていますから、その延長線上で死ぬときもきっとうまくやるでしょう。
 
 台風が近づいている。直撃を受けるかもしれないし受けないかもしれない。きちんと授業ができるかどうか不安です。しかし私まで(どうしようどうしよう)ではいけない。仮に直撃を受けてもそのときは皆さんと協力して「やはり落ち着いてエレガントに」乗り切るでしょう。うまくいくかいかないか結果をあれこれ心配する以上に、自分の特質を信頼する気持ちのほうが強いということです。問題は物事にあるのではなく、対処する人間のほうにあるのです。
 法事のあとで80代の後半になる母のところに行ってきました。彼女は今月大きな手術を受ける可能性があります。お見舞いを持っていった。
 
 当然、母親にも言いました。いやだろうけれども手術そのものはいいも悪いもない。淡々とこなすしかない。それに対してどうふるまうかというあくまでも個人の選択だけなのだと。
 降りかかってくる災難と言えば災難に、どう向き合うか。個人としての質だけが求められているということです。一般論で言えば・・・みたいなことで個人の尊厳を落としめたらつまらない。一般的には・・・ではなく、「私は」です。母はそう考えるようにすると笑っていました。
 皆さんの受験も同じですね。落ちたらどうしようと右往左往するだけではいけません。
 
 自分ならどういう形でも、あるいはどこに進んでも、きちんとそれこそエレガントにやっていけるはずだという自己信頼を持ちましょう。周囲の大人(私もその1人です)は不安がっている子どもに「おまえならどこでもやれるから大丈夫だ。そういう人間になることを何よりも目指しなさい」と落ち着いて伝えられないといけない。大人まで一緒におろおろして「落ちたら何もかも終わりだぞ!」「台風が来たらパニックだ!」「手術するなんてどうしよう!」「死ぬのがこわくて仕方がない!」では、あとから来る者たちは困ってしまいます。いいお手本にならないと。
 
 ・・・というようなお話でも保護者会ではしようかなと思いながらこの記事を書いています。
 そうそう、きのう「ジャージー・ボーイズ」を見てきましたよ。いい映画でした。映画はやっぱり1人でじっくり見るのがいいですね。フランキー・ヴァリ役の俳優がホンモノのフランキー・ヴァリに似ているところがよかった。あとクリストファー・ウォーケン。あれもまた「演技」というより「人間」ですね。
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2014.10.02 13:12

 毎日の仕事の終わりに「日報」というものを書く決まりになっています。関係のある方にお送りして、自分が今日何をしたか確認していただく仕組みになっています。だいたいどのお仕事でもそんな感じでしょう。
 私の仕事は基本的に授業だとか説明会だとか面談だとか、あとは採点や生徒や保護者の方からのさまざまなご相談ですね。その繰り返しで目新しい仕事が突然出てきたりはしません。ですから箇条書きにすると面談・授業準備・授業・採点・相談・・・ぐらいで終わってしまいます。
 
 それでいいのですが、それだけでは華(?)がないだろうとわざとばかばかしいことを書くようになりました。読んでくださっている方に少しでもサービスしているつもりなのですが、じつはかなり昔こういうことがありました。
 あるお若い社員の方が仕事がうまくいかなくて悩んでいらっしゃった。同世代のお友だちに「長野さんの日報を読むときだけが救いだよ」とぽつんともらされたという話が私のところに伝わってきました。そんな風に思ってくださる方がいらっしゃるのであれば、これは責任重大だぞと思いました。で、ますますバカなことやエロいことを書くようになった。
 
 何度か上の方から叱られました。やりすぎです、と。で、少しトーンダウンする。するといろいろな方から最近どうしたのですか? 以前みたいにはじけたことも書いてくださいよというリクエストをいただく。そこでまた少しずつばかばかしさをアップさせていく。
 いまは上の方が理解してくださっていて、楽しませようとしているだけなのだから何を書いてもいいですよとおっしゃってくださるので、そりゃすごいですよー。あまりにもすごくてお見せできないのが残念です。え? ご覧になりたい? 
 
 うーん、ちょっと危険だなと思うのですよ。今日、はじめてこのブログにたどり着かれた方もいらっしゃるかもしれません。その方がご覧になったら呆れ果ててもう戻ってきてくださらないかもしれない。
 日報はせいぜい10名程度の方に送ればいいのですが、送ってほしいとおっしゃってくださる方がどんどん増えてきて、いまでは60人以上の方にお送りしています。一部だけ公開してみますかね。たとえばある日はこう書いた(毎日20項目書いています)。  
 
⑭来週、「お母さん講座」最後の撮影があります。
⑮最終回の挨拶・・・みたいなものもある。
⑯全裸で挨拶しよう。
⑰大雨のなかずぶ濡れの生徒が来た。
⑱困っているのですぐにタオルを数枚買ってきました。
⑲そういうところ少しでも迷ってはだめです。
⑳自分から助けようという視点がないと。←世の中をより豊かにするのは自分から。 
 
 万が一誤解されると困るので書いておきますが、もちろん全裸で挨拶なんかしていませんよ。少しだけ何かおかしなことを書こうと努力しているのです。これがなかなか思いつかなくてじつは大変だったりします。私ももう58歳ですからね。しかしーーこのブログもそうですがーー私は「表現」でしか世の中を明るくできないような気もするので、頑張って変なことも書いていきたいと思っています。
 
 
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2014.10.01 13:39

 フランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズをモデルにした映画が上映されています。非常に評判がいいようですね。今年の1月、私はフランキー・ヴァリのコンサートに行ってきたのですが、そもそもは昨年来日するはずだったのが、映画の撮影の関係で今年に延期になっていました。昨年だと授業があって行けなかったので、個人的には延期されて助かりました。なかなか感動的なステージでしたよ。
 いつだったかブログにもいちばん思い入れの深いアーティストはやはりフランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズだと書いた記憶があります。
 
 そうなるのですよ。ブラック・サバスやリッチー・ブラックモアやCHARさんなんかも同じぐらい好きなのですが、思い入れという点ではザ・フォー・シーズンズでしょうね。
 このグループに夢中になるには、私はちょっと時代的にズレていました。ビートルズでさえ中学生のときには解散しています。ザ・フォー・シーズンズの本当の全盛期はビートルズ旋風の起きる前ですから、後追いみたいな形で好きになった。それだけに音源が手に入らない。ベスト・アルバムだけは入手できたのですが、LPレコードの裏に広告が出ている他のアルバムを探すとぜんぶ廃盤になっていました。
 
 中学生のときです。レコード屋さんで調べてもらった。これもこれもこれも廃盤ですと言われました。何かありませんか? と食い下がって、あと1枚だけ「悲しきラグドール」の入ったアルバムを取り寄せてもらうことができました。
 2枚のアルバムを手に入れるのに数ヶ月かかりました。調べたり注文したり大変でしたよ。さらに高校に進んで、海外からレコードを取り寄せてもらうシステムが存在することを知りました。これまた非常に手に入りにくいレコードの辞典(?)みたいなやつを友だちに見せてもらって、フランキー・ヴァリが本国ではソロアルバムを出していることを知りました。
 
 中野のブロードウェイにあるいつも行くレコード屋さんに頼んでみると、取り寄せられるかどうかわからないが取り寄せることができたとしても3ヶ月ぐらいはかかるだろうと言われました。それでもいいからと頼んだのですが、とうとう連絡は来ませんでした。
 大ヒット曲の「君の瞳に恋してる」が入っているかどうかアルバム名だけでは判断できなかったのですが、いちかばちかみたいな気持ちで取り寄せようとしたのです(ちなみにCD化されたものを私は持っています)。私は当時から毎月発売されるレコードのカタログ誌を舐めるようにして読んでいたので、ついに1972年のある日フランキー・ヴァリの「君の瞳に恋してる」のシングル盤が再発されたことを知って狂喜乱舞して買いに行きました。
 
 そのシングル盤は先輩に取られてしまったのですが、ああいう苦労というか努力というかさまざまな経緯があったからこそ、これだけ夢中になったし思い入れも深くなったと思うのです。
 昨晩、今日はこの話を書こうと決めていたので改めてYoutubeでフランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズと検索してみたところ、出るわ出るわ、いままで私が聴いたことのない音源まで出てくるではないですか。
 この便利さが何かを失わせているなとも思います。こんなに簡単に手に入ってしまったら、中学生だった私は人生を傾けるほど夢中にならなかったと思います。不便だったからこそ、逆に幸せだったのですね。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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