2014.10.17 13:41

 人間すぐ「全か無か」みたいな考え方をしてしまいますが、そう単純なものでもないように感じます。以前、知人からこういう話を聞いたことがありました。人間ドックを受けたばかりで「健康」というお墨つきをもらって喜んでいた会社の同僚が、就寝中に突然亡くなってしまったというのです。
 同じような話は大昔叔父からも聞いたことがありました。ゴルフ場で気分が悪いと救急車で運ばれた方が、そのまま帰らぬ人になってしまったそうです。直前までゴルフをされていたぐらいですからぴんぴんしていた。この種のお話はときどき耳にしますね。
 
 つまりこちら側に「完璧な健康」というものがあり、あちら側に「死」があるわけではないということです。死という要素は完璧な健康体のなかにもつねに内在している。それがあるときひょいと顔を出すこともある。仕方がないですね。生きているというのはいつかは死ぬことなのですから。
 逆に考えるとこうも言えそうです。完全な不健康=死と定義する必要はない。不健康という状態でーー人間である限りいつかはどなたでも衰える運命にありますがーー充実して生きる選択は十分可能です。
 
 健康と死を反対語みたいに思いこむこと自体が間違いなのですね。人生で大切なのは身体の状態以上に心の状態です。それこそ身体が健康で不幸であるより、少しぐらい不調があっても楽しくて仕方がないほうがはるかに望ましい。
 詳しくは書きませんが、自分のよく知っている人間に子どものころから手足が不自由な者がいます。しかし彼は私よりはるかに快活で、たくさんの友人に囲まれ大学院まで卒業しました。当時テレビで取り上げられていましたよ。非常に豪快な面白い男で・・・要するに閉じられた狭い世界に生きている人間ではないということですね。彼と会うたびに、私は圧倒されっぱなしです。
 
 私は昔から彼を「不健康」とはどうしても考えられません。不自由かもしれませんが、不健康とはまったく感じない。
 自分の左手小指の爪が奇病ではがれてしまった話は何度か書きました。きのうも皮膚科に行ってきました。状態は悪くなったり少しましになったり・・・しかし、大切なのは爪の状態ではありませんね。自分がどういう気分でいるかが大切ですね。爪がどうなっていようと気分がよければ「本来の」私は健康、爪が完璧に治ろうとも気分が悪ければ「本来の」私は不健康です。爪の状態と気分は多少は重なりますが、必ずしも一致しないところが人間の不思議なところでしょう。
 
 母の手術のことをあれこれご心配いただきましてありがとうございました。きのうはお休みをいただいたので、実家に寄ってきました。光のほうに顔を向けるクセをつけるように言った。彼女にとって孫の存在(息子のことですね)がそうだと言うので、では気分がふさいだら孫のことだけをとりあえず思い浮かべるように伝えました。
 光はいつでも内側からやって来ます。意識的に光源に焦点を合わせる。そういうコツをつかんでいくことが、よりよく生きるということなのでしょう。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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