2014.10.15 14:21

 笑いというのは非常に高度な何かだと思うことがあります。動物は笑いませんね。昔犬を飼っていたころ、ひょっとしたらいま笑ったのでは? と感じる瞬間がありましたが(気のせいかもしれません)、基本的には笑わない。
 動物が泣く話は何かで読んだことがあります。先日記事にした加藤一二三先生のエッセイにもすばらしい名曲を聴いてネコが涙をためていたというエピソードが書かれていました。たしかに飼い主が外出するとしょんぼりしていますから、負の感情はあらわれやすいのかもしれません。
 
 しかし、犬や猫がわっと爆笑するシーンはーーあるのかもしれませんがーーめったに見られない。ということは笑いというのは人間だけに与えられた文化なのでしょう。皮肉な笑いはどうなのかわかりませんが、笑っていて気分が悪くなることはまずないですね。緊張状態にあっても、笑うことでかなりリラックスできます。昔、どこかのお医者さんが患者さんに漫才やコントや落語のテープなんかをさかんに見せたところ免疫力が向上したという記事を読んだことがありますが、そういう効果もあるかもしれません。「キング・オブ・コント」みたいな番組(おとといの見ましたよ)を院内で流せばいいのに・・・と思ったりします。
 
 母親が手術をすることになりました。80代の後半です。90代の父親というのも現存する。私には妹がいてーー彼女はちょっと面白い人間なのですがーー献身的に両親の面倒を見てくれているので私は非常に助かっています。
 ただ何もしないわけにもいかないでしょう。仕事が休みのときにお見舞いに行かないといけないですね。入院日は少し先ですが、会議などがあって私はつきそうことができません。妹に行ってもらうことになるでしょう。
 
 先日、母に電話をかけました。大変だねと言った。母は暗い声であれこれ説明していましたが、こういうの深刻になってはいけない。笑いがないと。
 私は途中でさえぎって「棺桶は発砲スチロール製でいいよね」と言った。「消費税も上がって高いから。十分だろ?」母は吹き出しましたよ。「やあねえ」とこたえた。私はさらに言った。「坊主はどうするよ。ニセ坊主みたいなのでいいか」
 そのあとも土葬でいいなとか裏手の川(実家の裏に川があります)にはでに流すからとか言った。まあ、口調も大切なのですけどね。
 
 昔、どこかの国の聖人が亡くなったときの実話を読んだことがあります。その聖人は身体を清めずにそのまま焼いてくれと遺言を残したそうです。参列者は悲しみに打ちひしがれながらそのまま焼いた。
 しばらくすると棺桶からぱんぱんと大きな音がして花火がたくさん打ちあがった。聖人が前もって用意しておいたのですね。参列者の誰もが(いかにもあの人らしい)と思わず微笑んだと書かれていました。死でさえ祝祭に変えてしまった。
 
 深刻になろうとすれば世の中種は尽きません。たとえばこうやってお気楽な記事を書いている私でも、その気になれば雨の降る日は悪い左足が痛むとか左手の小指の爪がぼろぼろになってひりひりしているとか左耳が耳鳴りでよく聞こえないとか、それこそ両親の件、お金の問題、仕事上の悩み・・・と深刻になれる素材はいくつも揃っています。
 ただまったくその気にならないわけですよ。深刻にはならない。どんなことにもユーモラスな要素は潜んでいて、私はそれを嗅ぎつけるのが趣味なのです。
 
 子どものころ、ふざけてばかりいてよく大人に叱られたものです。「こんなとき」にふざけていてはいけないと。
 いまになってみると「こんなとき」だからこそ笑わないといけません。笑いこそ人間だけに許された高度な文化であり、笑いのあるところには神が宿る。笑いをあちらこちらに嗅ぎつけることができる人間は、ひとりじめにしていないで積極的に分け与えないといけませんね。
 
 
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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