2014.10.11 08:08

 今日も忙しいので自宅からです。
 民話は人生の奥義を伝えるためのある種の手段だったのではないかと感じることがあります。大切なものを無味乾燥なお説教ではなく「お話」によって示唆するわけです。示唆する。暗示する。読み解いてごらん・・・という形で伝授しようとしたのでしょう。
 花咲かじいさんはその最たるものではないか。何しろ「花」ですからね。「花」というのはご自身や周囲の幸福を意味します。どのようにしたら幸福の花を咲かせることができるのか。
 
 愛情深い老夫婦という設定になっています。「頭のいい」でも「地位のある」でも「お金持ちの」でもありません。あくまでも愛情深さが幸福への入口なのです。
 大切なことは愛情深くあることだと言いたいのです。わが子同然に育てていた犬が「ここ掘れワンワン」と鳴いた。掘ると宝が出てきます。犬というのはもちろん象徴であり、周囲のすべてに「犬」が存在する。周囲に愛情深く接することで利益を得た。利益を見越して愛情深くするのではなく、利益は結果的なものです。
 
 私がすごいなと思ったのは、以下のくだりです。隣のおじいさんがこの犬を殺してしまいます。隣のおじいさんだって極悪人というわけではない。ただ利益を最優先させて犬を「利用」しようとした。愛情からではなく、利益をもたらす手段として犬に近づいた。
 虐待された犬が示した地面を隣のおじいさんが掘ってみるとガラクタが出てきました。怒って犬を殺してしまう。このとき愛情深いおじいさんは悲しむだけで隣のおじいさんに復讐しようとしたりはしませでしたん。こういうところにも多くの知恵が隠されている。何かを憎んでいるあいだは自分もまた憎む対象によって縛られているのです。そこに気がつきなさいということです。
 
 犬のお墓の横に木を植えた。その木で臼を作る。このあたりは忍耐が必要であることを示しています。短期間で大もうけしようとあくせくしない。愛情深いおじいさんが臼をつくと宝物が出てきました。隣のおじいさんがまたまた欲を出して臼を借りてついてみるとまたもやガラクタが出てきました。
 他人のやり方を慌てて真似ても意味がない。腹をたてた隣のおじいさんは臼を燃やしてしまいます。まったくやりたい放題ですね。やりたい放題だけれども残念ながら利益は出ない。幸せにもなれない。そんな生き方をしていませんかということです。
 
 愛情深いおじいさんは臼を燃やした灰をーー夢に示唆されてーー枯木に撒きます。すると花が咲く。そのことでご本人も幸せである。周囲の方も幸せである。ご自身の幸せは周囲の幸せに一致するという法則を意味しています。
 隣のおじいさんは最後の最後まで真似をする。形だけ「学習」した。いわゆる功利的に生きようとした。灰が大名の目に入り、とがめを受けます。愛情の欠落した合理主義はこわいですね。たしかに善人のおじいさんは夢に助けられたりはしています。しかしその夢を運んできたのは愛情です。生きるうえで本当に大切なのは、愛情深くあることだけだという深い知恵ですね。
 
 幸福の入口を探す。それは私たちの中に隠されていた。他者に愛情深く生きる。恨んだり憎んだりで日々をむだに過ごさない。それこそが入口です。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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