2014.09.01 14:09

 東日本大震災の被害の全貌が明らかになっていく過程で、多くの方がそうであったように私自身も大変な無力感に襲われました。自分なんか何もできやしないのだという気持ちですね。どなたのことも助けられないという絶望感というか焦燥感というか、そういう感じを抱きました。慌てて家族で少額の寄付をしたりはしましたが、そんなことだけで到底満足できるものではありません。
 何日かたって「自分は運よく生き残ったのだから、これからは人さまの役にたつことだけをしよう」ぐらいのことは考えました。
 
 ただそれでは何でもやってやるぞということで、たとえば私が仕事のまえに教室のある明治通りのあたりを一生懸命掃除してまわったら、それはそれで大変いいことではあるのでしょうが方向性として何となくズレてきているような感じも持ちます。人さまの役にたつというのはそういう意味なのかどうか。
 逆に病院や図書館や学校を作ったり福祉関係に多額の寄付をするというようなスケールの大きいことだけが本当の善行であって、それができない自分はちっぽけなつまらない人間だといじけてしまうのもちょっと方向性がズレているように思います。
 
 ここにいるのは偶然ではない。偶然を必然に変えるのは自分自身だということですね。
 私ができることはこうやってこの場所でーーいまであればブログの記事を一生懸命に書き、少しでも皆さんに幸せになっていただくこと(タイトルからして「幸せに生きるヒント」!)なのでしょう。明治通りを掃除したり病院を建てたりはしていなくても、自分がいまここでできる最善のことをしているという気持ちは持っています。
 で、書き終わってからは最善のことと考えてたまっている答案の採点をしますし、夜は夜で最善のことと考えて授業に臨みます。
 
 要するに最後の最後まで明治通りは掃除できませんが、それはおそらくちょうどいいタイミングで清掃のお仕事をされる方が同じように最善のこととしてなさってくださるものだと信じています。その方たちを信じているというより、そうした世の中の仕組み(人間が作ったシステムではなく運命)を信じているということですね。
 東日本大震災の直後は生徒たちに「落ち着いて勉強することだけがいまできる最大の社会貢献だと思ってほしい」と伝えました。外の世界がどんなにざわついていても、もう1つの世界(内側)は自分自身でコントロールできるよと。
 
 私が最近考えている「よきこと」は、もちろん他者に親切にすることではあるのですが、さらに1歩進めて、たとえば電車のなかで自分を突き飛ばしたりした人がほかの人に同じように突き飛ばされたりしているのを目撃して「ザマミロ」などとは思わないでいられるようにするということです。
 そうしたとげとげしい気持ちは私から遊離して、いずれどこかでどなたかに実害を及ぼすのではないかという気持ちがするのです。突き飛ばされた瞬間は反射的に腹がたってもその人が被害を受けているところを目撃したら慈悲を感じるよう努力する。そうやって意識を進化させていく過程や実験についてこうやって発表することも、自分にいまできる「よきこと」であると考えています。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

プロフィール

プロフィール画像
長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

カレンダー

<<   2014年09月   >>
  01 02 03 04 05 06
07 08 09 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

新着記事

月別アーカイブ