2014.08.18 13:53

 講習の期間、私はだいたい朝から晩まで教室にいます。いつもは昼からですから、それだけ長く滞在していることになります。10時間、11時間という日もーーたまにですがーーあります。
 ブログはいつも教室で書いていますから、授業時間や面談のとき以外はかなり余裕があるはずです。ところがなかなか書けない。ここが人間の面白いところで、たしかに私はいつも仕事場で書いているのですが内容については自由な時間に考えているのです。はっきり決めるというより、こんなことを書こうかなとかこういうのも面白そうだなとかしょっちゅう考えています。
 
 遊んでいる(?)ときに貯めておく。もちろん仕事場でもずーっと仕事だけに没頭しているわけではありません(K代表、申し訳ありません)。ありませんが、緊張はしている。音楽を聴いたりお香を焚いたりはもちろんできませんし、床に寝そべって自由なことを考えたりもできません。寝そべるぐらいなら思い切ってやってみてもいいのでしょうが、生徒たちにはとうとう教室長も気が狂ったと思われるでしょう。
 その緊張した感覚が自由な発想を阻害しているように感じるのです。いわゆる「ハンドルのあそび」が少し足りないのですね。
 
 思いつかないままに食べ物の話を書きます。
 向かいの洋食屋さんに私は合計187回入りました。週に1度しか行かないのですが、2011年から合計するとそれほどの回数になります。
 テレビでも紹介されるような古い洋食屋さんで、いかにも「作っている」感がいい。ソースもドレッシングも何でもかんでもぜんぶ手作りです。昔の洋食屋さんはみんなこうでした。「本部」から送られてくるソースを使ったりはしていませんでした。
 
 それだけに微妙に味が違うときがあります。ほとんどブレませんが、187回も行っているとわかってくる。今日は味噌汁(洋食屋さんなのですが定食には味噌汁がつきます。そういうところも昭和っぽいですね)の味がいつもより薄いな・・・ということがある。
 その落差がまたいいのです。人間が目のまえで作っている実感というのでしょうか。
 授業のとき私はクラスによってわざと違う話をすることがあるのですが、がちがちのマニュアル通りになってしまうと味気なさが出てくるからで、それとちょっと似ていますかね。
 
 洋食屋さんのご主人は私より年上です。以前奥さんが病気をされた。私はその病気について詳しく調べてご主人に伝えました。またご主人自身が小さな手術を受けなければならなくなったときもあります。そのときもあれこれ苦心していい病院を調べました。
 若いころの私は絶対にそういうことをしませんでした。自分だけがそんなことをしても世の中は少しも変わらないと考えていたからです。しかし、いまはそう考えていません。自分がどう生きるかということだけが人間のテーマだと思っています。
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2014.08.17 12:49

 あなたの部活動を私は知りませんが、仮に野球部だったとしましょう。あなたのことを慕っている後輩が来てこう相談してきた。
 先輩、なんで野球なんかしなくちゃいけないんですか? 
 あなたは面食らって質問します。「きみは野球が楽しくないの?」
 すると相手は「楽しくなんかないですよー。毎日毎日練習練習・・・いったい1日に何時間練習すればいいんですか?」と答える。
 
 すればするほどいいに決まっています。しかし、後輩は最低でどれぐらいということを示してほしいみたいですね。正確に表現すれば「できるだけ練習したくない」という意味なのでしょう。そうでなければこの質問は出てこない。
 やさしいあなたは少しだけ考えこむ。質問の角度を変えてみたらいいということにきっと気づくはずです。
 そこで正面から質問してみた。「きみはどうして野球を続けてるの?」
 
 相手は言下に「高校に入りたいからです」と答えた。何とスポーツ推薦で名門校に入りたいという。ちょっと混乱しますね。どうしてその高校に入りたいのか訊いてみました。すると無邪気にこう答えた。あくまでも彼は無邪気なのです。
「だれでも知っている名門校だし楽しそうじゃないですかー」
「だけど」あなたは相手が大切なことに気づいていないかもしれないと危惧して続けます。「スポーツ推薦で入学したらもっともっと野球に打ちこまないといけなくなるけど大丈夫?」
 
 そのときはそのときですよ、と後輩は楽観的です。とにかく合格しないことには何もはじまらないのでスポーツ推薦を狙いたい。しかし、そのためには毎日野球を練習しなければならない。それがとにかく苦痛である。「毎日毎日、練習練習と周囲もうるさくてうんざりです。野球なんかなくなっちゃえばいいのに」
 あなたは困ってしまいますね。
 野球を勉強に置き換えてみてください。志望校が非常に高い。けれども勉強はやりたくないと言う人がいる。
 
 どんなに矛盾しているか、わかりますか? 高いレベルの高校に進むということは、いまよりはるかに勉強したいという「宣言」なのです。あなたが志望校を高く設定した以上、周囲はそれこそ「勉強推薦」(なんてありませんが)で入る気持ちだと固く信じている。当然、高校の先生方も「勉強」を中学時代の比ではなくやってもらおうとてぐすねひいて待っています。そこに「うんと遊ぶぞ!」と飛びこんでいったらどういうことになるか。
 自分をごまかさないというのは大切なことです。野球嫌いの後輩に、あなたは最後には「そんなに野球がいやならスポーツ推薦を狙うこと自体が間違っているよ」と言わなければならなくなるでしょう。
 
 これは責めているのではないですよ。自分自身の本当の姿に気づきなさいということです。そのうえで志望校をかえるのも1つの方法、勉強を好きになる覚悟を決めるのも1つの方法です。「いやいや」のまま「高い志望校」という組み合わせだけは残念ながら存在しないということです。
 
 
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2014.08.16 10:52

 今朝、新宿駅に顔見知りの方がいらっしゃったので何となく逃げました。私は基本的に街なかで知っている方と会うと反射的に逃げてしまいます。こちらから声をおかけすることはまずありません。
 その人のことが好きだとか嫌いだとかそういう問題ではないのです。心の準備が整わない状況で人さまとお話するのが苦手なのですね。ですから学生時代も通学途中で知人の姿が見えると、わざと遠回りしたりしました。やあ、おはよう! というタイプではないということですね。
 
 息子とバスのなかでばったり会ったときも遠巻きに様子をながめていました。そのときは息子が友だちと一緒だったという事情もあります。声はかけなかった。声をかけられたらーー自分ならーー苦痛だからです。
 中学生のとき「ウッドストック」という映画を見に銀座に行きました。初日に友人2人と行った(映画館のまえでヒッピーが花を配っていましたよ)。映画を見たあとで銀座の街を歩いていて、偶然父親とすれ違いました。向こうは何か言おうとした(せっかくなので小遣いでもやろうかと思ったそうです。あとで苦笑していました)のですが、私はとっさに「無視」しました。
 
 悪気はないのです。あくまでも悪気はない。
 昔はこんなこともありました。友人2人とあるところで待ち合わせていた。手前でそのうちの1人とばったり会ってしまいました。私がそのまま歩いていこうとすると彼はびっくりしたように「どこに行くんだよ?」と質問してきました。どうせだから待ち合わせ場所まで一緒に歩こうということなのですね。当然の考え方だと思います。しかし私は「ちょっと買いたいものがあるので」と嘘をついた。待ち合わせ場所までーーそうですね10分かからないでしょうーーその10分間1人でいたいと思ったのです。私の嘘に彼も気づいていたと思います。
 
 現役の(?)友人に対してさえこういう状況ですから、昔の知人にばったり会っても遠くまで逃げてしまいます。クラス会の類に参加しないのも同じ感覚ですね。好き嫌いというより心の準備がうまく整わないので気恥ずかしい。
 例外的に声をかけてしまったときもありました。先日、渋谷教室を出てちょっと歩いたところでときどき行く飲み屋さんのご夫婦を目撃しました。思わずこちらから「こんばんは」と声をかけた。ご挨拶だけして終わりましたが、例外的だったな・・・と自分でも不思議に思いました。
 
 どこかで会ったら(この人にだけは絶対に声をかけよう)と決意している相手もいます。強く決意していなければやはり反射的に逃げてしまいそうなので。
 ただもう33年間も顔を見ていないので、その人だとわかるかどうか自信がありません。名前も住所も知らない。うっかり間違えて関係ない方に声をかけてしまったら悲惨だな。やっぱり何も言わないでおいたほうが無難でしょうね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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2014.08.15 10:26

 私は靴を磨くのが好きなほうだと思います。はじめて靴を磨くようになったのは中学時代でした。校則で制服に革靴を履いていくことになっていました。革靴は汚れますね。母親に週に1度は必ず磨きなさいと言われました。
 当時はひたすら面倒臭いだけで、やり方を母から教わったのですが適当に手順を縮めて、日曜日の夜に大急ぎで磨いていました。靴墨をいい加減に塗るだけでけっこう光りますからね。
 
 そのときに父親の革靴も磨くように言われました。
 当時、私は父とはうまくいっていませんでした。父ほど私を理解していない、理解する気のない大人はいないと思っていました(ただもしあのとき父が私のよき理解者であったら、いまの私はいませんしこのブログも当然書いていないと思います)。ですからほとんど口をきく機会もなかった。叱られて、ふてくされて終わりです。母があいだに入って苦労していました。
 友人のお父さんなんかに豪快な方がいるわけです。そういう話を聞くとただただうらやましかった。
 
 自室にテレビを買ってもらったという友人がいました。当時、自分用のテレビを持っている中学生はほとんどいませんでした。お金もあったのでしょうが、友人のお父さんは「これからは自分の責任で管理することになるぞ。成績が落ちても自分が悪いのだからよく考えるように」とだけおっしゃったそうです。
 友人はのちに本当に成績が落ちてきて「テレビを自室から出した。どうしても見たくなるので」と言っていました。こういうエピソードを見たり聞いたりしていると、それこそ「おまえは意志が弱いから夜の7時半すぎのテレビは絶対禁止」などと得意がっている自分の父親の人生観を悲しく感じました。
 
 靴を磨いていると何となくですが、履いている人物の感じがわかるのです。私は父の靴を磨いていて何度もそう感じました。かかとの減り具合とか革のくたびれ具合などからーーこの人はこの人なりに窮屈な人生を精一杯生きているのだなーーという感じを受けました。14歳ぐらいでそう思いましたよ。毎週毎週磨いていると靴が泣いているような感じがするのです。それはそのまま家庭的に恵まれない状態で士官学校を出て戦地(南方)で敗戦を迎え、それから慌てて大学を出てーー詳しくは知りませんがーーどなたかのコネで民間会社に就職した1人の男の「人生の理不尽さを子どもの代で挽回したい」焦りみたいなものを感じるのです。
 
 私は現在、あえて息子の靴を磨いてみることがあります(靴墨でなくおシャレなドイツ製のクリームで磨きます)。必ずではないのですが、革靴が出ているときに息子がどんなことを考えているかわかるかもしれないと思って磨いてみる。
 するとやっぱり伝わってくるものがあります。と同時に、その伝わってくる内容から彼が追いつめられていない感じを受けて安心したりもしています。
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2014.08.14 11:15

 真ん中ぐらいまで来てしまいましたね。Z会進学教室は今日から後半の授業がはじまりました。とくに受験生の方、ただ流れてしまわないように気をつけてください。
 自分をしっかり保つにはいろいろな方法があると思いますが、まずは「人生は何となく漂いやすいものだ」という自覚が必要でしょう。漂っているだけでは「その他大勢」になってしまいますから、しっかりしようと意識する。何も受験生に限りませんね。どなたであれ、そうした自覚が第1歩になると思います。
 
 私は毎朝まず香を焚いています。カードで占い(真剣にやっているわけではありません)をする。そして日記を書く。一連の行動を通じて今日がどういう意味を持ちそうかということをあれこれ意識するように努めています。
 すべてうまくいくように考えます。仕事も健康も家庭などの私生活も遊びも、ぜんぶうまくいくようにと考える。いままでうまくいっていたのだろうかということも当然考えます。あれをこうしておけばよかったということは無限にありますが、それもまたいまがしっかりしているからいいという話に集約されていく。
 
 先日、ある生徒が私のところに来て「先生は人生で1度も失敗していないのではないですか?」と質問してきました。そう見えるのでしょうか。
 1度も何も失敗しない人間というのが存在するものなのかどうか。たとえば私は中学受験も大学受験も落ちています。不合格=失敗であれば失敗ばかりです。失恋の回数だって受験どころではありません。しかし、そんなことを言っていたら本当にそれこそ「失敗」であって、人間の生活には予定外のことがいろいろと起きてくる。そこをどう対処するか。数多くの失敗を失敗として終わらせない知恵が必要ですね。
 
 仕事のこともまたいろいろと考えます。大人の仕事というのは、とにかく儲かればいいというものでもありません。私の立場だと生徒の人数はもちろん大切ですが、教室の「質」みたいなものが高まっているかどうかということは非常に深く考えます。全体的な成績が上がっているか、自習室がきちんと静かであるか、生徒同士が揉めたりしないか・・・そうしたことが単純な人数以上に大切なのです。社会全体に貢献できないと。人が増えたのはいいが揉め事だらけなどという職場や教室では困ります。
 
 目標人数より少し欠けていても「質」が向上してくれば必ず生徒は増えていきます。すると、慌てて生徒をかき集めたりする以前にやるべきことが自分たちにはあるなというのがよくわかってくる。
 個人的なことでは、たとえばここのところ毎日飲んでいるので今日はアルコール類を抜こうとか昨晩は珍しく肉を食べたので今日の昼は胃を休めようとか、そういうことも考えます。日々そうやっていると、ただ流される機会は少なくなるように感じます。
 
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2014.08.13 12:26

 明日から仕事です。今回の休みはうろうろしました。昨日はーーどこへ行ったかはとくに書きませんがーー17633歩歩いています。本当はもっと歩きました。歩数計をセットしてからそれぐらいということです。
 雨が降っていました。豪雨。豪雨のなか不思議な町を歩きました。ちょっと夢のなかの出来事みたいです。私はその町をよく知っている「つもり」でいた。半世紀以上なじみがありますから。ところが知らないことがあった。それを確認しに行きました。
 
 あとは飲んでいましたよ。御徒町と田端と西荻窪だな。西荻窪には先月、非常にレベルの高い立ち飲み屋さんができました。立ち飲み歴20年の私が言うのですから間違いありません。非常にレベルが高い。よくもまあこんな店を作ったものだ。
 話を聞いてみるとご主人がそもそも立ち飲み屋さんのファンだったそうです。お勤めをしながらあちらこちらで立ち飲み続けた。で、ご自身でもやってみたいということになった。値段設定なんか心配になります。値上げすべきだなあ。
 
 私はだいたいどこに出かけても帰りは西荻窪に戻ることになります。バスがあればバスで。ときどきタクシーで。でも、歩くことが多いですね。帰り道にお店がある。気づくと入っています。困りますよ。帰る途中にそういういいお店があると。
 気づかぬうちに入っている。あとで気づく。あれ? またここにひっかかっちゃったのかと。酔っ払いといいうのはそういうものですね。昨日もさんざん飲んだあとで気づくとそのお店のカウンターに立っていました。
 
 休み中、最新号のBURRN! 誌を読んだ。今年で創刊30年。ひと月もかかさず30年間すべての号を読んできました。増刊号はべつですよ。
 スラッシュという伝説的なギタリストのインタビューが載っていました。そこで彼はこう言っている。「俺の問題は、今この瞬間に起こっていること以上のゴールを定めないってことなんだ。(中略)今でも、どこまで行きたいっていう目標地点を決めたりはしないし、何に挑戦したいとか、何を達成したいなんて考えたりはしない。今その瞬間に自分が何をやろうとしているかが大事なんだ」
 
 おおー、と思いましたよ。「いま」「ここ」を彼もまた説いてくれるのかと。明日から忙しくなります。私もそう。生徒たちもそう。皆さんもそうかもしれませんね。「いま」と「ここ」を大切に、ひとつずつこなしてくださったらいい。行為のなかに香りを感じながら進むことです。「作業」にしない。勉強やお仕事だけではありません。歩くことも電車に乗ることも単純作業にしない。豊かに生きるというのは量の問題ではありません。量はそれこそ同じ24時間。質を高める。毎日がかけがえのない「記念日」です。私ももう少し「気づきながら」西荻窪の立ち飲み屋さんに入るようにしますよ。
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2014.08.10 14:23

 今日からお休みです。自宅で書いています。相変わらず家内のパソコンを借りているのですが、家内も息子も自分専用のパソコンを持っていてうらやましいのでちょっとだけ自分も買おうかなと考えたりします。考えたり。
 以前も書いたように、私は自転車に乗れません。飛行機に乗ったことがありません。ディズニー・ランドにも行ったことがない。このあたり何か・・・もはやアイデンティティ(?)みたいになっているのでいまさら変えられない感じがします。
 
 で、パソコンもこのままいくとそうなってしまいそうなのでいまのうちに入手しておこうかなとも。ただお店に行って「生まれてはじめて自分のパソコンを買います」と宣言するのは恥ずかしいですね。しかし、何もわからないので何もわかりませんと言うしかない。息子に相談したら「おれはよくわからないから」とやんわり同行を断られてしまいましたよ(飲み屋さんにはすぐ着いてくるのに・・・)。
 先日、ある定食屋さんに入りました。夏期講習のときは早めに昼食をとるのでふだん行かないお店にも入れます。
 
 夜は居酒屋さんになります。2階に通された。オールディーズの有線放送が流れている。オールディーズというほどではないか。1960年代のポップスです。このあたり、私は非常に詳しいのです。小学生のときからFEN放送を聴いていましたからね。
 ちょっとだけ高級な居酒屋さんで、ランチ営業時は有線で古い洋楽を流しているお店がけっこうあります。べつのお店で質問したことがあります。「ご主人がお好きなのですか?」と。デイヴ・クラーク・ファイヴの「ビコーズ」が流れていたので。すると「お客さんの好みなんですよ」と答えられた。
 
 なるほど私ぐらいの年代の方が来られるということなのでしょう。懐かしい曲を流しているというわけです。
 定食屋さんの2階で焼魚定食の到着を待っているとふと知っている曲が流れてきました。一瞬、スモーキー・ロビンソンの名曲「ウー・ベイビー・ベイビー」かと錯覚した。しかし、そうではない。ところが、どうしても思い出せないのです。思い出せないというより、私の知っているのはこの音源ではない。音的にはーー古臭いのでーーこちらがオリジナルなのでしょう。
 
 手帳を取り出して繰り返される「ゴナ・テイク・ア・ミラクル」という言葉を書きとめました。8月6日の欄でした。帰宅してからYoutubeで調べてみたところ、ロイヤレッツというコーラスグループですね。ロネッツではないですよ。白黒の映像も発見しました。
 私はローラ・ニーロがカヴァーしたものしか知らなかった。それでちょっと混乱した。オリジナルももちろんいいのですが、ローラ・ニーロの歌がまた素晴らしい。いつだったかこの曲をロック・バーで聴いていて涙が流れているのに気づいたことがあります。悲しいわけではないので、ただ「ああ、涙か」とハンカチで拭う。静かな、けれども何かしら・・・輝かしい瞬間ですね。
 
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2014.08.09 11:57

 夏期講習の前期が本日で(今日は授業はありませんが)完全に終了です。Z会進学教室は明日10日から13日まで休室日と言って教室自体が閉まります。14日から後半の夏期講習がはじまります。4日間の連休ですね。
 お休みのあいだはブログも休みますが、例によって1日ぐらい何か記事を書くつもりです。書くことがあるというより、楽しみだとおっしゃってくださる方がいてくださるので、何か・・・気になるというか心配(?)になるというか、まあ人間関係ですね。ご挨拶代わりに書きたいような気持ちになるのです。
 
 前半の授業終了時、生徒にアンケートをとりました。授業について満足できたかどうか番号をまるで囲めばいいだけの簡単なアンケートですが、なかにはわざわざ自由記入の欄に感想を書いてくださる方もいます。
 私の見ていたある生徒ーー優秀な子ですーーがこう書いていました。
「先生方はほめるのが大変上手だと思いました。学校の先生よりほめられることが多かったのでやる気が出ました。私たちに必要なことを考えてくださって(後略)」
 
 結局、いい先生というのは教え方がどうこうということもあるのでしょうが、生徒にやる気を出させたり明るくしっかり生きていこうと思わせたりすることができる大人ということになるのだと思います。
 そのあたりは歳をとってますます強く感じるようになりました。できる子はずーっとできてきたわけで、いまさらほめても・・・という考え方もあるのでしょうが、それでもすごいと思うことがあればーー漢字テストを「1問も」ミスしなかったりするわけですーーたいしたものだと正直な感想を告げても罪はないと思います。
 
 私たちの生活ぜんぶがそうですね。あたりまえと思えばあたりまえのことでも、表現できる部分は表現してみたらどうでしょう。
 私は家内の作ってくれた食事をおいしいと正直に口に出して言うことがよくありますが、これが逆にまずいときだけがみがみ文句を言う亭主だったら、作るほうは全然張り合いが持てないのではないかと思います。
 適切なときに適切に称えることができるというのは人間だけが持つ非常に高度な能力で、おおげさに表現してしまえば人が神に近づけるのは他者を認められる瞬間だけだとさえ思うのです。
 
 アンケートに書かれていたので「ほめる」という表現を使ってしまいましたが、上から見る感覚だけとは限りません。先輩みたいになりたいですと部活の先輩の妙技を称賛する、すごくおいしいねとお母さんが作ってくださったご飯をたくさん食べる、休まずに頑張ってくださる上司の労をねぎらうためにお菓子を買ってくる、おまえ偏差値が上がったなと仲間の努力を言葉にしてみる・・・そういう工夫ですね。
 自分もこうやってアンケートなんかで生徒にほめられて(?)1歩1歩進んできました。その瞬間はやはり彼らが神さまみたいに見えますよ。
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2014.08.07 11:49

 最近、路上の鳩やカラスやスズメにどこまで近づけるかということをよく試みています。エサなんかまかないのですよ。そういうことではなく、ただ近づいてみる。
 若いころは相手もぱっと逃げてしまったものです。いまはかなり近づいても逃げなくなりました。こういうのは発する「気」の問題だと思うのです。やわらかい気を発するということですね。とげとげしい人間として生きるのではなくーー世の中全体のためにもーー少しでもやわらかく生きる。
 
 私がたまに行く飲み屋さんで、いい店なのに惜しいかな落ち着かないところがあります。ご主人がーーけっこう年配の方ですーーちょっとだけ乱暴なのですよ。お客さんに対しては親切でも、何かしら暴力的な要素が見え隠れする。
 わかりますよ、そういうの。もともと頑固オヤジを売りにしているような部分もあり、ふとお箸を流しに投げたりする。投げなくてもいい距離でわざと投げる。その所作や音がある種の落ち着かなさを演出(?)してしまう。
 
 私自身、授業中はなるべく穏やかに動くように心がけています。飲み屋さんのご主人と同じでお客さん(私の場合は生徒や保護者の方ですね)には丁寧でも、心の中に暴力的な要素があれば落ち着かなさとして外に出ると思うわけです。
 たとえば書き損じたプリントを乱暴に破いていたとか、黒板をすごく乱雑に消したとか、難問を見て舌打ちしていたとかーーいろいろあると思うのですが、あれ? この人、こういう側面もあるのかという感じを与えないように気をつけています。
 
 以前はよく小バエを退治したりしていたのですが、今年は1匹も殺していません。それが正しいかどうかということではなく、これまた穏やかな「気」をまとうため・・・ですね。
 いろいろなことに気づくようになりましたよ。バスが終点に着くとお客さんは当然のようにドアからどんどん下りますが、じつは待っている人の列を分断する形になることが多いですね。ごくごく自然なのでどなたも文句を言いませんが、人さまの前を強引に横切っているのは事実です。
 
 そこはやはり丁寧に会釈しておく。見ているとそんな場面でお辞儀しているのは私だけです。電車の改札口で両側から乗れるものがあります。少しだけ先にこちらがカードを通してしまった。そういうときもまた丁寧に会釈する。礼儀だと思ってというより、私自身がしたくてしている面が多い。
 まあ人間の「最終局面」(あとは死ぬだけ?)みたいになってきていますが、外で会釈する回数がここ1年ばかり飛躍的に増えました。その感情が鳩やカラスやスズメにも伝わっているのではないかと思ったりします。
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2014.08.06 12:20

 世の中、つまらないと思えばつまらない。面白いと思えばこんなに面白いところはありません。繰り返し繰り返し書いているように、つまらなくするのも面白くするのもあなた次第みたいなところがあります。
 もっとも本当に具合の悪い方もいらっしゃいますね。昨日、20年ぐらい昔の友人から連絡をいただいた。精神的に困難な状況にありお医者さんに通われています。一進一退で気力がわいてこないそうです。それでいいじゃないですかと伝えました。
 
 ただ病気でなければ、本当にその人次第です。
 昨日の朝は電車のなかでこういうことがありました。小学生の集団が乗っていました。10人以上いました。5年生ぐらいだと思います。男の子も女の子もいる。みんなでどこかに遊びに行く感じでした。座席に座っている子もいれば立っている子もいる。どの子も本当に楽しそうにうきうきと話していました。
 私はいつものようにドア脇によりかかっていました。そうやって外をながめていることが多いですね。好奇心旺盛なのです。
 
 すると私のまえに2人の女の子が来ました。外を見ながら話しはじめた。共通のお友だちの話題が出た。そのお友だちが「とうとう好きな人ができた」というのです。
「とっても好きな人ができたんだって」
「へえー、だれ?」
「うんと年上」
「へえー」
「うんと年上で・・・30代の、オペラ歌手だって」
 ひっくり返りそうになりましたよ。
 
 そのケースは「好きな人」って言わないだろう! とつっこみたくなりましたが、そういうわけにもいかないですね。
 当人たちはきわめて無邪気なのですが、こんな面白い話はめったにあるものではないですよ。さっそくあちらこちらで話した。教室でも自宅でも話した。みんな笑いますね。罪のないさっぱりした笑いで、いい感じだと思います。この話を仕入れてきた自分も偉い(?)。面白がろうという意志があるからこそ入ってきたのです。人生を祝祭と考えていると光量が増す要素は間違いなくあると思います。
 
 こういうこともあった。電車のなかで変な音をたてている男の人がいました。痰がからまっている人が切ろうとするときに出す音です。皆さんのまえでそんな音をたてるのはあまりいい感じでないのは確かです。じろりとにらんだ人が複数いました。何、この下品なおじさん・・・という感じなのでしょう。
 しかし、私に言わせればそうした行為にすぐ目くじらをたてるのもあまり上策ではありません。真、善、美・・・自分の望むものだけに焦点を置くのです。望まないものは見送るエレガントさを持てるというのもまた大切なことでしょう。 
 
 
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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