2014.08.31 10:12

 Z会進学教室の全授業は日曜日からスタートします。まだ8月31日ですが、今日から新学期になります。Ⅱ期ですね。要するにふだんの生活に戻りました。
 これからはだいたいーーⅠ期と同じでーー火曜日と木曜日にお休みをいただく形になると思います。金曜日も授業はありませんが、会議が頻繁に入りまして出てくる機会が多い。ブログも火曜日と木曜日お休みします。ときどき自宅で何か書くかもしれません。
 
 ブログをはじめたころは必ず自宅で下書きしていました。不安だったのですね。最近はそこまでしなくても完成できるという自信(?)が着いているので、書くことを決めておくぐらいでしょうか。テーマについてはそれこそつねに考えていて、いくつもストックしてあります。
 家を出る前にその中のどれにするかということを決めてしまう。するとあれとあれを具体例として書こう・・・みたいなこともひとりでに決まってきます。
 
 平日の仕事が14時からなので、それまでに完成させてしまうのが理想ですね。ときどき自分でも理由がわからず書きながらテーマそのものを変えたくなるときがあり、そういう日は14時までに書きあがらなかったりします。
 ときどき昔の記事を振り返るのですが、けっこう同じことを繰り返し書いていますね。勉強方法、親子関係、人生について、私自身の体験の4分野とも同じことが繰り返し出てきます。
 
 さかのぼってぜんぶ読んでいただいたら大変ですから、大切なことはつねに表現していくというスタイルでいいのだろうと思っています。1600本近く書いてきました。まったく新しい経験はそもそも私の人生に存在しません。
 私自身は秀才でも何でもありませんでした。むしろ勉強ぎらいでした。あるときからつねに憎しみみたいなものがあった。しかし、冷静に考えてそれは科目そのものに対する憎しみではなく、その周辺部に存在する人間関係の難しさーー親子関係の悪化とか先生や優等生に対する反発とかーーに起因していたと思います。
 
 勉強したくないと正直に訴えてくる生徒も何人かいますが、理由を聞くと「だって、お母さんが・・・」とか「成績のことばかりうるさく言われるし・・・」とか「すぐできる子と比べられて・・・」とか、ほとんど科目内容以外の理由を挙げます。
 ああ、あのころの自分と同じだなと思う。上手な激励の仕方というのがあります。勉強だけではないですけどね。周囲の方がよりよく生きられる励まし方でなければ、むしろ何も言わないほうがいいのかもしれません。周囲の方がよりよく生きられるようにという切実な思いこそが、人間社会には必要なのでしょうね。
 
 
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2014.08.30 11:35

 人間、歩くときに左足を踏み出しながら右手を前に振りますね。右足のときは左手。チンパンジーなんかもそうなのでしょうか。
 あえて手をまったく振らずに歩いてみるときもありますが、やはりちょっと歩きにくい。バランスの問題なのでしょう。いろいろ試してみると面白いですよ。勢いよく手を振るとすごくいい感じですが、ちょっと変な人に見えるかもしれません。行進しているみたいですからね。
 
 小さなお子さんなんかでうまくバランスがとれないらしく、手と足同じ側を出しているのを目撃することがあります。左足と同時に左手を前方に振っている。すぐにもどりますけどね。やはり歩きにくいのでしょう。そうやって「歩き方」を覚えていくのですね。
 私も同じ側を出すというのをときどき試してみることがあります。変な感じですが、けっこう前には進みます。慣れてくると(慣れる必要もないですが)テンポよく進みます。加速がついてくる。普通に歩くより速くなったりする。
 
 では、走ったらどうなるのか? という疑問が湧いてきました。同時に同じ側を出して走ったらどうなるか。
 こういうことはばかばかしいからとやめてしまってはだめなのであって、やってみたければーーどなたにも迷惑はかからないわけですからーーやってみればいいのです。何についてもこの歳でそんなばかなこと・・・とはじめからあきらめない。それが豊かな人生というものです。
 ただ人気のあるところではちょっとやりにくい。走るわけですから、直線距離も確保しなければいけません。
 
 きのうの晩、教室に私以外どなたもいらっしゃらなくなったので廊下をそのスタイルでちょっと走ってみました。左手左足、右手右足。するとこれが全然進まない。頑張っていろいろ工夫してみましたが本当に走れませんでした。
 興味のある方は走ってみてくださいよ。ふだん無意識で本当にバランスよく走っているということに改めて気づかれると思います。
 私はふだんの生活では走ることはほとんどないのですが、こういうことはやってみるのですよ。すると楽しい。すごく楽しかった。ときどきおかしくて笑ってしまいました。
 
 そうやって人生を楽しく生きる。お金も何もかかりません。やはり、楽しもうという意志が大切ですね。
 
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2014.08.29 14:07

 いろいろな文化圏があり、昔はそれぞれ独立していた感じですね。それがごちゃまぜになってきた。風土病なんかが全世界に広まっていったりします。
 小さいスケールで見ても、たとえば東京もいわゆる「山手」「下町」みたいな区分はだんだん曖昧になってきているように感じます。山手の方が下町に遊びに行く。下町の方が山手に遊びに行く。行くどころか住むことだってあるでしょう。
 
 下町のある大衆酒場、私はもう前世紀から行っているのですが、前世紀はほとんど女の方を見かけませんでした。それこそ地元の女の人さえ来なかった。入れなかったのですね。ところがいまはすごくたくさんの女性が遠くからいらっしゃるようになりました。女性同士というお客さんもいる。
 働いている方がおっしゃっていました。その方は40歳ぐらいですが10代のころ、そのお店でアルバイトしていたことがあるそうです。当時はちょっと荒れている感があったとおっしゃっていた。肉体労働者の方が多くて、喧嘩が勃発したりした。雰囲気はずいぶん変わりましたというお話でした。
 
 先日、こういうことがありました。
 これまた下町のある大衆酒場、カウンターだけのお店です。そこもまた女の方がちらほらいらっしゃるようになりました。私の隣に2人連れの女性が座った。私と同じぐらいの年齢ですから、まあ「おばさん」ということになるのかな。きれいな方でしたよ。
 脚を組もうとしていきなり私の足を蹴った。蹴ったというよりぶつかったのですね。何か挨拶があるかなと思ったらまったくない。しばらくして組みかえるときにもまたあたりました。腹はたちませんが、「失礼」ぐらいおっしゃってもいいのにとは思いましたよ。
 
 豪快に何本もタバコを吸うのですが、狭いカウンター席なので灰が飛んでくる。それもまた気にしない。そのお店はいつでもタバコOKなのです。私は煙には抵抗ないのですが、灰は・・・
 彼女たちの話を聞くともなく聞いていると語尾が「・・・しねえからさあ」みたいな感じでした。これはいわゆる文化の違いだなと思いましたよ。いい悪いではない。お行儀は私のほうがよいでしょうが、お公家さんみたいな気持ちでは乗り切っていけない業界(世界)も当然ある。そういう文化圏で生きていらっしゃるのだなと思いました。
 
 以前は交わることのなかった文化圏同士がお互いを知って、作法の違いでいざこざが起きるというのは大きな目で見れば戦争なんかもそうですね。文化が人間を人間らしくさせたのは事実でしょうが、その文化が逆に人間に破滅的ないざこざを起こさせる。なかなか難しい問題だと思います。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2014.08.28 13:36

 単語の順番がひっくり返ると全然意味が違ってきてしまう言葉がありますね。「あいつ家出したんだって」若いときには家出ぐらいするものでしょう。お腹がすいたらきっと帰ってきます。心配しなくても大丈夫。興奮しないで冷静に「あいつ」の話を聞いてくださったらいい。
 ところが「あいつ出家したんだってよ」ということになると、これはけっこう深刻(?)かもしれません。冷静に話を聞くどころか、もう友だちを続けることは不可能かもしれません。家出と出家ではそれぐらい違います。
 
 20年まえ、子どもが生まれるころある高校生(当時は高校生も教えていました)に「先生なんか子どもが生まれたらけっこうバカ親になるでしょうね。すごいバカ親ぶりを発揮すると思いますよ」と言われたことがあります。
 相手にはまったく悪気はないのです。私は相手をよく知っていました。友だちのことなんかも絶対に悪く言わない陽気な少年でした。ははあ、親バカと間違えているな・・・とは思いましたが、会話の流れでいちいち訂正したりはしませんでした。
 
 親バカ(バカ親?)の話を書きます。
 息子が昨日からあるドラッグストアーでアルバイトをはじめました。きのうはお休みをいただいていたので、夜は自室でお酒を飲みながら借りてきたロバート・デ・ニーロのDVDを見ていました。デ・ニーロがじつの息子をたずねていく場面があった。そんなシーンを見ているうちに何となくむずむず落ち着かなくなってきたので「ちょっと様子を見てくる」と家内に告げました。
 家内はあきれて「初日に・・・やめなさいよ」と言った。酔っ払っていますしね。
 
 しかし、どうしても様子を見たくなったので出かけていった。レジにいましたよ。研修中という札が立っていました。外国製の入浴剤を出すと通りいっぺんの礼儀正しい挨拶のあとで、ほぼ無声音で「いったい何しに・・・」と呟いていました。
 レジをすませてからも外からしばらく様子を見ていました。視線を感じたのでしょうね。振り返って再度びっくりしたような顔をしていた。
 
 夜遅く、息子はアルバイトから帰ってきました。けっこううれしそうに「おー、お父さん、今日は来たなー」と笑う。来られることはいやでも来るタイプ(?)の親であるという認識はあるのでしょうね。外からも見てただろう? と言うので、正直に見てたよと答えました。
 私は彼の中学時代の職業体験の職場にもこっそり2度行きました。親バカと言えば親バカ、バカ親と言えばバカ親ですね。しかし自分の本質がそうなのであれば、ごまかさずになりきるべきだとも思っています。息子の名前の入った入浴剤のレシートは、自室の壁に貼ってあります。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2014.08.26 13:26

 年上でも年下でもご自身をしっかり見つけている方、見つけようと努力なさっている方のことは無条件で尊敬します。どういう方向でもいいのです。自分はこれこれこういう世界に行くのだという目的意識を持てる方はすごいと思います。
 生徒のことも尊敬しますよ。しばしばすごいなと思う。勉強に限りません。卒業生で試験監督のアルバイトに来てくださる高校生、真夏でも学生服を着てきます。「これが自分の正装ですから」と言う。そういうこだわりというか、「人生考えている」感というか、やはり年下でも尊敬してしまいます。
 
 いまは勉強は適当にやろうと思っているとはっきり「わかっている」方もいます。それはそれで人生を考えていますね。ご本人がわかっていればいい。高校に入って遊びに来てくださったとき「高校が楽しいので1年浪人させてもらうつもりです」と宣言してその通りになった。「高校時代思い切りいろいろな活動ができたので、浪人したことに後悔はまったくありません」とおっしゃっています。自分の人生を自分の意志で構築しているわけで、尊敬できる人間だと思いました。
 いちいち口にしませんが、そうやって生徒に対して尊敬の念を抱くことがあります。
 
 いちばんまずいのは、何も考えていないケースですね。大人でもあまり考えていない方はたくさんいるでしょうが、無意識で生きていればそれだけ失敗するリスクは高くなると思います。ひょっとすると失敗したことにさえ気づかない可能性がある。
 何しろどこに向かって運転しているのかわからずに車を走らせているわけです。どこにたどり着くつもりなのかご本人がわからない。右に曲がったらどうかとアドヴァイスされてあるときは右に曲がる。逆に左に曲がったらどうかと勧められてあるときは左に曲がる。人生がそれでは、さすがにまずいだろうと思います。
 
 何時間ぐらい勉強すればいいのですか?  と質問してくる生徒がいます。ものすごくできるようになりたいのであれば「何時間」と限定した勉強ではだめです。終わるまでずーっと勉強し続ける気持ちが必要です。
 教室である先生がある生徒に「15時間」とおっしゃった。その生徒は非常に高い志望校を本気で狙っています。先生のアドヴァイスは絶対に15時間やりなさいという命令ではなく、きみはとことんやれる人間だと信じているという激励のように私には響きました。単に高校合格云々という意味ではなく、それぐらいやる日もいずれは来るぞという暗示ですね。
 
 はたして彼はどうしたか。
  朝から教室に来て授業が終わってからもいちばん最後まで自習室に残っていました。夏期講習期間は教室を21時に閉めることになっていたのですが、それを過ぎても先生に質問している。私たちも質問している生徒を定刻だからと追い返すような真似はしません。
 笑顔を見せて「15時間は難しいですね。今日はまだ11時間ちょっとしか・・・」とおっしゃって帰っていく。あなたも「本気で」何かに打ちこむときには、この話を思い出してください。こういう姿勢を持てる人だけが、その道の成功者になれるということです。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2014.08.24 12:34

 私は小学校のときから私立に通っていました。制服でした。濃紺の冬服とグレーの夏服。冬服は10月1日から夏服は6月1日から「全員」着用と明確に決められていました。
 気が弱かったので10月1日と6月1日はかなり緊張しました。万が一自分だけ間違った服を着て行ったら大変なことになると思ったのです。何度も何度も母に確認する。「本当に今日からこの服でいいの?」
 母はすごくいやがりましたよ。男の子がそんなことでぐずぐず言うものではない、と。
 
 1度登校途中10月1日に夏服を着て登校してきた下級生を目撃したときがありました。自分が間違えていると勘違いして、息が止まりそうになりました。様子を見ながらのろのろ学校に行ってみると、さっきの下級生が校門のところで泣いているではないですか。濃紺の集団のなかで彼1人がグレーでした。先生が声をかけて慰めていました。
 私はほっとしました。そのころは子どもでしたから間違えてきた仲間に対しての慈悲心みたいなものはありませんでした。他人の失敗をあざ笑うような、ある種残酷な感情を持っていたように思います。
 
 季節の変わり目に服をクリーニング屋さんに出しますね。私はわりとこまめにそういうことをするほうなのですが、ある時期ーー数年まえからーー冬着た服は次の夏の終わりに、夏着た服は次の冬の終わりに出すようになりました。
 今日もじつは冬のスーツを出してきました。本来は冬が終わったころ(3月ぐらい?)に出すべきなのでしょう。それを8月の終わりに出す。早めに出しておいて死んだら損だと考えはじめたのです。3月に冬服をきれいにしておいても次の冬まで生きているという保証はないので、もったいない気がするのです。
 
 しかし、ここ(8月24日)まで来ればーー事故でもない限りーー今年の冬は私は生きているでしょう。そこでおもむろに冬服をクリーニングに出しはじめたというわけです。コート? コートはいよいよ厳冬まで生きているという確信が持てる10月の終わりぐらいに毎年出すようにしています。
 こういう考え方は洋服が傷んでよくないそうですね。季節が終わったらすぐにクリーニングに出すのが常識だそうです。家内や息子はそうしています。
 この話を皆さんにしたところ、2人の方が「なるほど」と感心してくださいました。それどころか自分もそうしようとおっしゃっていた。
 
 変なことを書きますが、そのクリーニング屋さんに1人非常に魅力的なパートのおばさんがいます。私もいい歳ですからまさかナンパしようなどと余計なことは考えず、どうしてこの人だけ魅力的に映るのだろうと考えました。
 するとやっぱり明るいのですよ。どんなに忙しくても、私だけではなく(あたりまえですね)どのお客さんに対してもとても明るい。こういうところは見習わなければいけないと思いました。不機嫌さというのは隠そうとしても滲み出たりしますからね。意志の力もある程度必要だと思います。
 
 
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2014.08.23 11:15

 朝刊に、大手予備校が大量に校舎を閉める(かも?)という記事が載っていました。本当にそうなるのかどうか不確実な要素があるのかもしれません。少子化のせいで予備校に頼らなくても大学に合格できる高校生や浪人生が増え、いろいろと厳しい面が出てきた・・・と書かれていました。
 私の知人もかつて何人も大手予備校で講師をしていました。90年代初頭、私も「試験を受けてみませんか?」と誘われたことがあります。当時はやりたいことがあり、忙しくなりたくなかった(地方出張が前提でした)のでとうとう機会はありませんでした。
 
 稼げるよという話も聞きました。単純に中学生の塾よりお金がかかるし、生徒もたくさん来ていたということなのでしょう。
 こういう世の中になってきますと、確かに「合格だけ」というのではちょっと物足りなく感じられてしまうかもしれません。現実に「合格だけ」であれば塾や予備校に通わなくても大丈夫だと判断されて、生徒が減っているわけです。これは私自身をも直撃する問題であって、自分も生徒(や保護者の方)に何を与えられるかということは深く考えなければならないと思っています。
 
 もっともこれは塾や予備校の先生と生徒の関係だけではないですね。親子関係にも似た要素があると思います。
 生活の面倒さえ完璧に見てやっていれば、それだけで彼らが幸福であり健全に育っていくものだと即断してしまっていいのかどうか。
 私は自分の教室の生徒たちが授業(だけではありませんが)を通して「活性化」してくださったらいいと考えています。活性化というのは、わかりやすく言えば明るく、前向きに、希望を持って活動を続けてくださったらいいということです。何だかわからないけれどもとにかく元気になるので塾に行くぞ! みたいなノリノリの(死語?)感覚ですね。
 
 ふつふつとパワーが湧いてくるというのが1番なのであって、なるほど実力は少しついてきたものの気持ちはふさぐばかりだ・・・ということでは絶対にいけない。
 同じように、自分の息子が生活のうえでは何の不安もないが親の顔を見ていると元気も何も湧いてこないというのでは育て方として間違えているのではないかと思うのです。
 付加価値という言い方は味気ないですが、渋谷教室に限らず現在Z会進学教室が大盛況なのは「実力がつく」以上の何かを確実に提供できているからでしょう。生徒たちのアンケートを見ていてもそう実感します。
 
 このブログもそういう存在でありたいと願っています。人の数だけ正しい道はある。ここからスタートすればすべてうまくいきます。深刻になりすぎず、あれこれお祝いしながら試してくださったらいい。成功の定義はどこかで何かを得ることではなく、刻一刻と全力で現在を生きることです。そのことを実感してくださったらいいですね。
 
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2014.08.22 13:41

 2つのテーマを並行させて書いてみます。
 毎年、この時期になると「読書感想文をどうしよう」という相談が出てきます。何をどう書いたらいいのかわからない。読書感想文の書き方については以前も記事にしたことがありますが、まあ今年も少し書いてみますかね。
 1つの書物をはじめから最後までべたーっと感動しながら読むケースはめったにないと思います。山あり谷ありでしょう。とくに面白い部分というのがある。
 
 Arch Enemyというロック・バンドがあります。いわゆるヘヴィ・メタルのバンドで、私は昔から好きでアルバムも持っていました。今年「ウォー・エターナル」という新作を出したのですが、ヴォーカルが代わったので様子を見ていました。アルバムを買うのであれば、プロモーション・フィルムを見てからにしようと思った。「ウォー・エターナル」はYoutubeで見られますから。
 で、見たのですが・・・これが素晴らしかった。感動しました。ただこんな感想では何も伝わらない。「いい曲で感動しました」は感想になっていないということです。
 
 フィルムのスタートから1:30たったところ。はじめて見たときそれこそ衝撃を受けてキッチンの椅子から立ち上がりましたよ。あまりのかっこよさに、還暦近いじいさん(私のことです)が興奮して「おおーっ!」と声を出した。
 ギタリストのマイケル・アモットが演奏の途中で一瞬静止する。それも利き手のほうでギターのネックを持ち身体から離すような不自然な仕草を見せる。一瞬です。
 私がこれまで見た数々のギタリストの動きのなかで1、2を争う美しさだと思いました。
 
 どなたかに説明するには一緒にフィルムを見てもらって1:30のところで「ここ、ここ」と説明するしかありません。と同時に、当然「この場面の何がいいの?」という人もいるでしょうから、理由を論理的に展開する必要があります。さらにここをすごくかっこいいと思えてしまう自分はどういう人間なのかということにまで言及する必要が出てくるかもしれません。
 読書していて強く動かされた部分は抜粋して作文用紙に書いてください。写すのです。そのうえでどこがどう素晴らしいのか、自分が素晴らしいと感じる理由はどこにあるのかを述べる。最後は、自分が何者であるかというところまで掘り下げる。
 
 抜粋する箇所は1つとは限りません。ここもいい、ここもまたいいというところが出てくるでしょう。次々書き抜いていけば2枚3枚なんてあっという間です。
 マイケル・アモットのあの動き(というより静止)の根本にある精神は歌舞伎なんかの伝統芸能に共通するものがあるように感じます。同じ文化的背景を持った人間なら当然「おっ!」と乗り出すはずだという確信を持ってやっている。と同時にわかる人だけわかればいいという潔さがある。
 こちらはこちらでわかる人にだけわかればいいよさがわかるというところに誇りを持つ。そういうことなのだろうと思います。
 
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2014.08.21 11:32

 「受験」勉強ばかりしていてもなかなか勉強そのものはできるようにならないものです。もっと大きな何かが必要です。
 私が現在見ている中1のクラスにすばらしく聡明な生徒がいます。国語だけではなくどの教科もできる。慌てなくてもいずれ秘密は明かされる(?)だろうと思っていました。わざわざ呼んで「きみはどういう勉強をしている?」などと質問しなくても、何日か一緒にいれば自ずから理由はわかってくるものです。
 
 テキストに向田邦子さんの文章が出てきました。生前の姿をテレビや雑誌で何度か拝見しているので「さん」をつけたくなってしまうのですが、特別な意味はありません。
 向田さんの話を私がちらりとしようとした。すると彼は小さな声で「飛行機事故・・・」と呟きました。本当に小さな声で。
 そもそも向田邦子さんの名前を聞いたことがある中学1年生というのがどれぐらいいるでしょうか。飛行機事故で亡くなったのはもう30年以上昔です。高校生でも知らない方はたくさんいますよ。
 
 私は授業を中断して、きみはどこでそれを知った? と質問してみました。みんなのまえで目立ってしまうのは好まないという感じで「うちの人が・・・読んで・・・」みたいな返事でした。ひょっとすると彼自身もエッセイぐらいは読んだことがあるのかもしれません。
 彼はそのまえに太宰治が出てきたときも静かに反応していました。向田邦子さんをご存知なぐらいですから太宰治、夏目漱石、芥川龍之介・・・あたりは当然いろいろ知っているでしょうね。順番的にそう思います。
 
 要するに教養ですね。そういうものがーー運よくーーふだんの生活のなかでどれだけ身についているか。
 勉強として向田邦子さんに出会う・・・というのはある意味で「痩せた」経験でしかないでしょう。面白がっておうちの方のお話を聞いたり楽しみのために読んでみたりという経験のほうが分厚く心に残るものです。「教養の複線」(?)が太い子は、やはりできるようになります。
 周囲の大人(ご家庭だけとは限りません。私たちもそうです)はそのへんを刺激してやらなければいけないと思います。
 
 以前志賀直哉のある小説について私が「つまらなかった」と正直な感想を述べたら、すぐにその文庫本を買ってきた女子中学生がいました。「どれぐらいつまらないか確かめようと思いました」というのです。そして「読みはじめたばかりですけど私にはけっこう面白い」とおっしゃっていた。そうした知的好奇心がすぐ発動するかどうか。
 そのあたりに「すごく」できる生徒の秘密があると感じています。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2014.08.20 11:22

 教室は明治通り沿いにあります。銀行が入っている大きなビルの7階ですね。そこに高校受験のZ会進学教室はあります。大学受験生の教室は9階です。ときどき大きな催しをするときに9階の大教室をお借りすることがあります。
 隣にかなり古いビルがあります。2011年に私が来たときにはまだ複数の店舗が入っていました。1階はラーメン屋さんでした。1度だけ入ったことがあります。2階の居酒屋さんにも1度だけーー仲間とーー入ったことがありました。
 
 じつは1970年代、私はその建物に何度も入ったことがありました。この話もどこかで書きましたね。4階に将棋の道場があった。T先生という席主が開いていたのですが、このT先生は有名なアマチュア強豪で、かつてはいわゆる真剣師だったという噂がありました。
 当時、私はやっと初段ぐらいでしたので強豪の先生に教えていただく機会はありませんでした。同じ棋力の方と勝ったり負けたりを繰り返していました。土曜日なんかはーー当時は娯楽も少なかったせいでしょうーー道場は満員になりました。繁盛していたのですね。
 
 渋谷にはほかにもいくつか将棋道場がありました。井の頭線からはお弟子さんに中原永世名人がいらっしゃった高柳先生の道場が見えました。高柳道場は畳席で、やはり何度か入ったことがあります。
 自宅に古い将棋雑誌が1冊だけあります。何となく残っていた。1975年のもの(中原名人と大内八段の名人戦の棋譜が載っています)なのですが、教室の隣の道場の地図入りの広告が掲載されていました。なぜかビルの名称は現在と違っています。いろいろ権利関係があるのでしょうね。
 
 そのビルがいよいよ取り壊されるそうです。8月の半ばから工事がはじまると聞いていました。なかなかはじまらないなと思っていたら今日関係者みたいな方がたくさん集まっていたので、いよいよはじまるのでしょう。
 ちょっと寂しいような気持ちもあります。昨年わざわざ2階の居酒屋に入ったのも、中がどんな感じか思い出したかったからでした。入ってみて、そうそうこんな風に奥行きがあったなと懐かしく思った。
 
 1970年代、このあたり夜は暗かったですよ。夜が暗いのはあたりまえですね。そういう意味ではなく、いまほど店舗がなかった。人工的なあかりが乏しかった。
 ビルのすぐまえに電話ボックスがありました(いまはありません)。道場を出たあとでそこから電話をかけたことを覚えています。五反田と池袋ともうひとつどこかの街のビジネスホテルにかけた。空きがあったら1人で泊まろうと考えたのです。大学生のときです。空室はないと断られ(あやしかったからでしょう)、自宅に帰りました。変なことをするでしょう? でも、私は本当はそういう人間なのです。
 
 
 
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

プロフィール

プロフィール画像
長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

カレンダー

<<   2014年08月   >>
          01 02
03 04 05 06 07 08 09
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

新着記事

月別アーカイブ