2014.07.31 12:03

 人生は自分が選択しているという話を書きたいと思います。そんなことばかり書いていますかね。でも、若い方を見ているとすぐにーー本当にすぐにーー忘れてしまう。忘れてしまって「人生がちっともうまくいかない」と嘆く。
 毎日毎日、ライ麦畑で「そっちに行くと危ないよ」とつかまえる人間がいてもいいのではないかということですね。そっち側に行くと不幸になるからなるべくこっち側においでよという程度です。
 
 けさは人身事故で電車が遅れていました。自分が利用している駅で事故が起きたので、改札口に人がたまっていた。快速は完全にアウト。各駅停車がのろのろ走っていました。駅員に何かあたりちらしているおじさんがいた。ホームのうえでもいらいらしている人がたくさんいました。
 私もできれば電車に遅れてほしくはありませんでした。しかし、だからと言って私は不幸になることをまったく選択しませんでした。
 
 朝、私はいつも人生のよきことに祈りを捧げてから自宅を出ます。自宅前の公園のサルスベリの花が本当に美しい。いまが盛りですね。2本あるのですが、微妙に色が違う。それを見てから幸福な気持ちで駅まで来ました。
 幸福な気持ちというのは意志的に「今日もいい日だ」と選択したからそうなるのであって、だれかに突然プレゼントされたものではありません。自分で自分にプレゼントしている。そういうことです。
 
 せっかくの幸福感を電車が遅れたぐらいの理由で捨ててしまうのはもったいない。電車が遅れたぐらいで捨ててしまうようでは、足を踏まれた、横入りされた、喉が痛い、冷たい目で見られた・・・どんな小さな理由でもすべてふっ飛んでしまうでしょう。何という脆弱な幸福の意志! そんな選択では「人生全体」をとてもとても幸福にはできないですね。
 幸福を選択するということは、仮に何かを失い何かが不調で何かが予定外だったとしても、いずれ自分の人生は満ち足りてくるし、周囲にはそれだけの恵み(家族がいたり学校に行けたり)があり覚悟も能力(足りなければ楽しみながら育てていけばいい)も十分あるという宣言を続けるということです。
 
 それぞれの方の幸福の理由を私は知りませんが、不幸の理由もまた知りません。すべてはご自身の選択で成立していますから変えられるのはご本人をおいて他にいません。
 人生が喜びに満ちている一般的な理由(自由であるとか戦争がないとか夏の夜明けが美しいとか)であればいくつでもあげられますが、それはどなたもご存知ですからわざわざ列挙しません。
 その幸福感を電車が遅れたぐらいの理由で曇らせない意志がカギだと思いますよ。
 
 
 
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2014.07.30 10:21

 人間、つねに試されています。ところが、若いときはそのことに気づかないからこわいですね。
 たとえば親の前、先生の前、大切な人(親友とか仲間とか)の前、あるいは上司の前だけできちんとできていればそれで十分だと考えがちです。1人でいるとき、どうでもいい他人と一緒のときは何も試されていないと勘違いする。その「どうでもいい」油断の堆積がじつはこわいのです。
 昔なら「神さまに見られているよ」的なおどしが効いたのでしょうが、いまは非科学的だと笑われてしまいますね。
 
 勉強もそうです。試験のためだけにやっているというのはこわい。試験に出るからやる、出ないからやらないという発想。自分の知恵だとか知識だとか教養だとかを深めたいという希望はないわけです。出題されるかどうかに終始する。受かるために、必要であるもの「だけ」をつまみ食いしようとする。
 ときどきいますよ。「これ、入試に出ますか?」とすぐに聞いてくる生徒。出ると言うと神経質に印をつける。出ないと言うと「あ、そう」で流してしまう。しかし「知」というのは本質的にそういうものではありません。いずれぜんぶつながってきます。出題されるものだけつまみ食いしてやろうというセコさ(?)では、本質的な知の領域に近づきたがる人間には所詮かなわないものです。
 
 道徳的な生活を送っていれば安泰というのともちょっと違います。路上にゴミを捨てないしお年寄りを大切にしているからうまくいくというものでもありません。そんなことはしっかりした人間であればあたりまえであって、行為以前に器が試されるのです。たとえば「みんなだってやっていないのだからやらなくていい」という考え方がありますが、その考え方は行為に問題があるのではなく、みんなと同じでいいやと考える弱さに問題があるのです。
  
 勉強が頑張れないとかいい加減であるとかそれだけのことならまだいいのですが、すべてについて頑張れなかったりいい加減にやるクセがついていたりすると心配です。
 最近で言えば、スマホ依存症みたいな人がいますね。電子機器が悪い側面がないとは言い切れませんが、依存症になる人はどこかにそうなりたいという願望があったのではないかという気がします。現実を忘れたい、努力しなくても手に入れられる刺激を楽しみたい、自分自身の生活をきちんと管理するのが面倒臭い・・・結果として依存症にという要素は前々からあったのでしょう。はじめに依存症がくるわけではなく、依存症になりやすい人間がくるのです。
 
 どう生きるかということですね。哲学とまでは言いませんが、中学生高校生であっても自分はどういう人間として生きるかということはつねにイメージして行動されたほうがいいでしょう。小さなことでもすぐにイメージするクセをつける。
 学校のテスト中、ときには隣の人の答を盗み見たくなることがあるかもしれません。バレないからいい? それをしているあなたがそのまま将来のあなたです。習慣の通りになります。バレない不正は働く大人になるかもしれない。それで満足であればのぞけばいいですし、それはちょっと輝かしい自己イメージと違うということであればこの瞬間見ない決断を下すしかない。なりたい人間になるというのはそういうことです。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2014.07.29 10:33

 夏休み、いろいろなことをやってやろうという気持ちでいるかもしれません。受験生の方はやはり勉強ですかね。1ヶ月以上あるわけで、やろうと思えば相当のことができます。ところが、毎年「あっという間に終わってしまって何もできなかった」という人がいます。本当に何もできなかったわけはないのですが、そういう感想になってしまうこと自体がもったいない。たとえば、去年の夏休みはどうでしたか?
  毎日を意識的に「くっきり」させてください。今日はきのうと違う。明日は今日と違う。その意識をしっかり持つことです。
 
 生徒にはときどき話すのですが、起きた瞬間に「生まれた!」という気持ちを持つ。また朝が来たか・・・ではなく、生まれた! と迫力を出して起き上がる。そして、その日1日を有意義に送れるように祈ってください。ただ静かに、今日はこれとこれをしっかりやるぞ程度でいいでしょう。そして眠るときはまたその日1日を振り返る。あれはうまくいったけれどもほかの何かはちょっと中途半端だった・・・という反省は出てくると思います。それでいいですから、とにかく1日を無事に乗り切ったことに感謝の念を捧げてください。
 
 こういうことは意志的にやるのです。ただ「感謝します」と口にするだけで形骸化させてはいけません。意志的に、意識的にやる。昨日から今日へーー残念ながらーー生命をつなぐことができなかった方だって世の中にはたくさんいらっしゃるはずです。
 自分はそうではなかった。食事もできたし勉強もやらせてもらえた(勉強する自由が与えられている子どもは世界規模で見ればほんのひと握りでしょう)。さらに好きな娯楽だっていくつかはできた。そういうことをほんの1分でいいから静かに考える。
 
 自動的に生きてしまうのがいちばんいけないと思います。いけないというのは悪ということではなくもったいないという意味です。人間、けっこう自動的に生きている。だから「あれ? 今日の昼は何食べたんだっけ?」ということになる。行動の輪郭がくっきりしていないものだから、その結果として記憶が残らない。
 勉強についてもそうです。ときどき「いま」何をしているのか、何に気をつけるべきなのか、何がいちばん大切なのか勉強しながら意識してください。何を食べたんだっけ? であれば罪もないですが、何を勉強したんだっけ? では受験生は困りますね。
 
 とにかくどこかに遊びに行ったこと「以外」まったく覚えていないというような夏休みにしてしまわないことですね。工夫の仕方はそれぞれだと思いますが、意識的に生きましょう。待ちに待った夏休みをどうか実りの多いものにしてください。
 
 
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2014.07.27 11:43

 私はどこで何をしていてもつねに冷静でいるのがあたりまえだと思っています。自分を見失うようなことがあったらーーいい歳をしてーー恥ずかしいですよ。
 怒りというのはこちらに非がないのに他者から害をなされたときにふとわきあがってきますね。おかしいじゃないか! という感覚。それがないわけではないのですが、そこにもまた何かしらそうなるべき理由があったのだろうと考えるようになりました。直情的に行動することはまずありません。
 
 子どもなんかは理不尽な目に遭うと泣いて怒ったりします。どうしたらいいのかわからない。エネルギーの沸騰がまず「泣く」という形であらわれてくるのでしょう。気持ちはよくわかります。
 先日、めまいの話を書きました。あれこれご心配いただいてどうもありがとうございます。6月に入ってからはいまだに1度も発作は起きていません。めまいのあった朝は保護者会でした。新宿でーーこれ以上電車はむりだと判断してーータクシーで教室まで来た。タクシー内に「優良運転手」という掲示があり、ほっとして「なるべく急いでください」と教室の場所を伝えました。
 
 万が一遅れた場合を考えて携帯電話で教室に連絡を入れた。小学生の授業と、中学生では社会科を担当してくださっている若手のN先生が電話口に出られたので状況を説明し、とにかくできるだけ早く教室に向かいますと伝えました。
 会話は運転手さんにも聞こえていたと思います。するとどうなったか。車があきらかに遠回りするではないですか。いままでも何回かーー電車の突発事故なんかでーー新宿からタクシーに乗ったことはありますから、すぐにわかりました。ただ私は頭を抱えてうずくまるようにしていたので、文句も何も言えません。
 
 1度だけオリンピック記念センターのあたりで「遠回りではないですか?」と声をかけた。このままどんどん変なところを走られたら本当に保護者会に間に合わなくなります。運転手さんは「あれ? そんなことないと思うけど・・・」みたいな返事をしていました。
 お金にするといつもより800円ぐらい高かった。お金を払い領収書をもらいどうしたものかと何日か考えたのですが、結局タクシー会社に苦情を言ったりはしませんでした。相当考えたのですよ。あの運転手さんは私以外の人にもーー相手を弱者と判断したときにーー同じようなことをするかもしれない。事実なのですから会社に伝えて注意してもらったほうがいいのではないか。
 
 しかし、どこかに「うさばらし」的な要素がある。世の中のためと標榜しながら、じつは個人的な「うさばらし」の感情がある。そういう気持ちを活性化させてしまうのはよくないと判断し、あえて何もしないでおきました。 
 それこそブッダならどうするかと考えた。あの運転手さんに遠回りしてやれというよこしまな(?)気持ちを起こさせてしまった自分に非があると考えるのではないか。
 まあ、面倒臭い人間になってきているのかもしれないですね。しかしいまはそういう生き方にひかれるのは事実です。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2014.07.26 10:35

 なかなか休めなくなってきました。来週の月曜日は休室日といって教室自体が閉まります。そのときまでは結局休めないですね。
 休めないときは休めないことを喜びの種にしないといけない。で、休めるときは休めることを喜びにする。幸不幸の主導権はあくまでもこちら側にあり、条件に左右されるような弱々しい生き方は断固拒否する強い気持ちが大切だと思っています。
 
 今週はこういうことがあった。とくにどなたにも話していないのですが、父親が救急車で病院に運ばれました。幸いーーおかげさまでーーとくに急を要するトラブルではなかった様子なのですが、そのお見舞いに昨日は実家に寄りました。
 母親が私の顔を見るなり嘆くわけです。「毎日毎日暑くていやになっちゃうわねー」と。私はすぐに母にそんな考え方はよくないと言いました。夏は暑さを楽しみ冬は寒さを楽しむ。雨の日は雨を楽しみ雪の日は雪を楽しむ心が大切であり、健康な日は健康を喜び病気(母はちょっと不調があります)の日は病気を味わう気持ちを持ってひたすら感謝する。
 
 よくそんな風に考えられるものだと呆れたような顔をしていましたが、私は少なくともそういう人間として日々幸福ですからいいことはほかの方にも勧めてみたいと考えるのが当然と言えば当然なのです。
 父は外出していて留守でした。外出できるぐらいですからもう大丈夫なのでしょう。父がいたら何と言うつもりだったか。「救急車なんていう珍しいものに乗れて本当によかったじゃないかー」と言うつもりでした。家内も息子も救急車に乗ったことがありますが私は乗ったことがありません。基本的にはめったに乗れるものではない。齢92にしてついに乗る機会を得た。そのことをまず盛大に祝わないといけません。
 
 お見舞いの品もカレー(ちょっとだけ高級なやつ)を持っていきました。ますます刺激的に生きてくれという願いをこめて。
 今日も猛暑ですが、私はうれしくて仕方がありません。少し早く出られる予定なので、猛暑の東京をうろうろしてみようと思っています。あえて夏の日ざしのなかでこそ見たい場所というのをいくつかピックアップしてきたぐらいです。そうやって日々楽しみを持ちこんで生きる。
 
 Z会進学教室の連休は例によって8月の半ばです。10日~13日の4連休ですね。そこもまた教室が閉まります。
 先日私が食卓で飲み屋さんの雑誌(そんなのばかり)を見ていたら、息子がのぞきこんできて「ここに行ってみたい」と言ったお店がありました。北千住にある立ち飲みの串揚げ屋さんで、知る人ぞ知る超有名店です。関西風の本格的なお店。そこに息子を連れていってやろうかともちょっと思っています。生きていることを楽しむ意志と楽しむ工夫。人生、それがすべてですよ。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2014.07.25 12:02

 はがねのように固い意志という表現がありますが、それだけではだめなのであってやはり柔軟さが大事だと思います。水こそいちばん偉いと言ったのは老子でしたっけ? やわらかさですね。それがないと人生はうまくいきません。
 たとえばこういうことがあります。生徒が約束を守らなかった。これこれを明日までに絶対やってきますと言ってやってこなかった。そのとき、こちらはどう対処するか。
 
 いつも同じでは能がないですね。仮に約束を破るとは何ごとだ! と叱るとする。それで効果があればいいのですが、逆効果なら考えなくてはいけません。ご家庭でもそうですね。
 どの程度注意するか知恵が求められているように思います。国語の宿題をやってこなかったのは、英語や数学が忙しかったせいかもしれません。そして現在その生徒にとって国語より英語や数学のほうがよほど問題だとしたら、そもそも国語の課題を絶対にやってこいと約束させたこと自体がこちらの判断ミスだった可能性もあるわけです。
 
 柔軟に柔軟に対処できるのが大人の知恵ですが、最近はどの世界でも本当の大人が減ってきているように感じます。マニュアルどおりに対応すればいいと信じている。ところが人生はマニュアルどおりにいかないものです。
 たとえばあるお店のマニュアルに「お客さまがいちばん」と書かれていた。ところがAというお客さんとBというお客さんの利益が対立してしまった。店員さんはどうすればいいですか? 「お客さまがいちばん」を実現するためには、はがねの意志より柔軟さが求めらています。
 
 仕事だけではありません。恋愛なんかも同じ。「不動の意志」で相手のことを大切にしていても、うまくいかなくなる場合があります。毎日毎日ひたすら大切にしますと宣言され続けたら、どなたでもうっとうしくなる瞬間がある。放っておいてもらいたい時期もあるわけで、放っておいても大丈夫な人間にお相手を成長させるぐらいの気持ちが本当は望ましいのでしょう。お互いの関係をうまくいかせるためには、様子を見て柔軟に対処する必要がある。ときには「わざと」冷たくするぐらいでちょうどいいのかもしれません。
 
 若いころは「親身に」指導してさえいれば生徒の支持が得られると頭から信じこんでいた時期がありました。ところがそういうものでもないということがわかってきた。世の中にはじつにいろいろなタイプの生徒がいて、いろいろなタイプの「授業の楽しみ方」が存在するのです。
 成績はもちろん上げたいが、それ以上に文化的な話をたくさん聞きたいという大人びた生徒もいる。「親身に」指示しすぎてかえって子ども扱いしないでほしいという不満を持たれてしまう恐れもあるのです。
 
 私たちが洋服を選ぶときもそうですね。親切な店員さんが密着してくることがありますが、たて続けにアドヴァイスを受けているうちに何が何だかわからなくなってしまったりするものです。親切心がかえって混乱を招くのですね。
 本当にいい店員さんであれば、お客さんによって対応を変えているはずです。「お客さんには親切に」というマニュアルがあったとしても、その親切の質は柔軟にコントロールしている。生きていく過程でそういう知恵を身につけていくことが何より大切だと思います。
 
 
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2014.07.24 11:46

 連休だったからでしょうか。昨日のページビュー数というのが5430になっていたのでちょっとびっくりしました。ふだんは2000台です。5430というのはいままでの記録ではないかと思います。いつもどうもありがとうございます。
 今日で単科ゼミは終了しました。3日間でしたが相当のことができたと思っています。3日間だからできたという部分もあるでしょう。じつはちょっと風邪気味でした。クーラーにやられてしまったのですね。うち(自宅)は寒いのですよ。家内も息子も非常に暑がりで、私にとってはすごく寒いときがあります。
 
 私の部屋は北向きなのでクーラーはありません。なくても大丈夫なのですが、ドアを開けっ放しにしているので、冷たい空気が流れこんでくる。喉が痛いと思っていたら咳が出たり鼻水が出たりしました。
 きのうがひどかった。今日はもう大丈夫です。
 この「ドアを開けておく」のには理由がありまして、昔ーー子どもが幼児のときーーはけっこう閉めていました。すると息子が入ってくるたびに必ず丁寧に頭を下げて「こんにちは」と挨拶するようになりました。
 
 同じ家に住んでいる親子で1日に何度も何度も「こんにちは」もないものだろうと思うのですが、幼児の頭ではドアを開けたらまず挨拶という思いこみがあるらしく、どうしてもこんにちはが直らない。こりゃ大変だということで、少なくとも起きているあいだはドアを全開にしています。
 何かを書いているとき人に見られるとなかなか進まないクセがあるのですが、慣れるにつれてだんだん気にならなくなってきました。昨日からクーラーの設定温度も上げてもらったのでよくなってきました。
 
 おとといは新宿のタワー・レコードでジューダス・プリーストの新譜を買ってきました。約6年ぶりの新譜ですが、非常に聴きやすいいいアルバムに仕上がっていました。彼らもデビューして今年で40年、メンバーの何人かはとっくに還暦を越えています。
 どの曲もどこかで聴いたような感じはするのですが、変に実験的なものを発表されるよりは安心して聴ける面がありますね。年齢の関係でワールド・ツアーはもうやらないそうですが、おそらく日本には来るでしょう。改めて日程が合えば行こうと思いました。
 
 忙しいときでも楽しみは見つけるようにしています。昨日は生徒に話しました。自分は満員電車のなかでも何が何でも毎回1人は面白い人を見つけようと必死になっているので、退屈したりうんざりしたりすることは決してないのだと。
 受験勉強でもうんざりするのではなく何か面白いことを見つけてやろうという強い意志を持ってくれという願いをこめて話しました。面白いものは待つのではなく「見つける」のです。見つけようという気持ちがすべてなのですよ。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2014.07.23 11:40

 ブログを読んでくださっている方のなかには、どこかで夏期講習を受けている方もいらっしゃるかもしれません。最近では学校でも夏休みの講習をやってくださったりしますからね。小学生の方にも中学生の方にも大学受験生の方にも共通するお話を書いておきます。
 授業中はいろいろ大変だと思います。暑いなかで何時間も講義があってぐったり・・・という人もいるでしょう。そのうえ宿題が出る? それはやっておかなければならないですね。
 
 さらにやるべきことがあります。その日にやったことを必ず簡単に見直してください。復習ですね。これをやっていない人がじつに多い。
 たしかに宿題はやってくる。しかし、それ以外はやらない。悪気があるわけではなく、それでいいと信じているのです。塾(や学校)でたくさん勉強した、どの教科の宿題も時間をかけてやった、あとは遊ぶぞというスタイルですね。むりもないと思います。いままでどなたにも言われてこなかったわけですから。
 
 宿題をやるまえにその日にやったことを必ず振り返ってください。振り返るという表現だけだと抽象的なのでもう少し具体的に書きます。
 振り返るときに「作業」と「徹底的に覚える」ことを忘れないようにしてください。作業というのは音読とか何度も書くとかまとめるとかです。量が多すぎて徹底的に覚えることができそうもなければ、せめて覚えるべきもののリストをノートにまとめておきましょう。そうしておけば、覚えなければいけないことがどれだけあるか意識できるはずです。
 
 自力でできなかった問題だけはしっかりやり直すことです。1からやる。やっぱりできないというケースが出てきます。講習に出て「そのとき」は理解した。ところが自分のものになっていなかったということですね。
 頭のいい悪いではなくそういうことは頻繁に起こります。物事を習うというのはそういうものです。ですから、習ったあとで何度も振り返って自分のものにする習慣がいちばん大切になってきます。放っておいたらどうなりますか? 講習には出た。瞬間的には理解した。けれども残らなかった・・・となってしまいます。
 
 復習ですから思ったより時間はかかりません。たとえば現在私が担当している単科講座であれば、問題演習の時間がせいぜい15分ぐらいでしょうか。半分間違えていたとしても10分もあればやり直すことができます。そして万が一再度間違えているようでしたら、盲点みたいになっている可能性が高いのでノートに問題を写しておくといいでしょう。
 個人で勉強している方も同じですね。勉強→終わったではなく、勉強→念のために間違えたところをもう1度→終わったという形を心がけてくださるといいと思います。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2014.07.22 11:47

 Z会進学教室、今日から実質的に夏期講習に入りました。全員が揃うのはもう少し先なのですが、単科ゼミという特別な講座がスタートしています。私は朝の1コマ目に授業が入っています。
 開始が9時半から・・・ということはだいたい9時には教室に入る感じです。8時に自宅を出る。そのために6時には起きます。最低2時間前に起きることにしているのです。
 いつもそんな感じですね。でーーあたりまえなのでしょうがーー遅刻をしたことは1度もありません。私は基本的に待ち合わせ時刻に遅れることはありません。
 
 昔はこうではなかった。しょっちゅう遅れていました。高校2年生のとき、遅刻の多い生徒の名前を担任の先生が黒板に書き出していました。私はクラスで2番でした。1番の生徒はちょっとメチャクチャな登校状態でしたからーーいろいろ事情があったのでしょうーー実質的に「遅刻」の回数では私が1番だったのかもしれません。
 もちろん何度も注意を受けましたよ。それでも私は堂々と遅れて行った。登校途中で顔を見たい憧れの女の子がいたのです。そういう人間だったのですね。
 
 いまでもそういう人間ですが、同時に大人になるにつれて遅れることを恥ずかしく感じるようになりました。寝坊してとか電車が遅れてとか道が混んでいてとか・・・ウソではなくても事情を説明するのが美的ではないと感じるようになりました。
 ただ遅刻魔(?)だった過去がありますから、ほかの方が遅れることに関しては非常に寛容でもあります。どなたかと待ち合わせて仮にその方が遅れてきても、表層だけではなく心の底から腹をたてることはありません。どなたが相手でもそうです。
 
 こういう仕事をしていますが、自分は学生時代怠惰で不真面目でもありました。そうした過去があるからこそ、怠惰であったり不勉強であったりする生徒に腹をたてたりしないのと構図が似ていますね。
 池袋教室時代、ここ渋谷教室でお話する機会がありました。私だけではなく、何人かの先生が話をしました。Z会進学教室大説明会という催しだったかな。自宅から来たのですが、私は念のために1時間ぐらいまえに渋谷に着いていました。そんなに早く来たことがわかってしまうと気恥ずかしかったので近くをぶらぶらしていたことを思い出します。
 
 そのときはまさか自分が渋谷教室勤務になるとは思いませんでした。教室勤務だけでも代官山教室(現渋谷教室)→三鷹教室→池袋教室→渋谷教室と動いてきたわけですが、何があっても私が定刻前に来ていることは一緒に働く方たちの共通認識になっていたと思います。
 ひょっとしたらあの人は遅れて来るのではないかと他人をはらはらさせないこともまた、大切な優しさではないかといまの自分は思っています。そういう「消極的な(?)優しさ」にまで目が行くようになったのはやはり歳をとって経験を積み重ねてきたからなのでしょう。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2014.07.21 11:16

 国語の答案を見ていて点数のとれていない子は頭が悪いとか勉強ができないとかではなく、若干感覚のズレが生じているなと感じることがあります。よくあるのは「まだまだ子ども」という例で、涙を流していたという記述を見てすぐに「悲しがっている」と判断してしまったり笑っていたという記述を見てこれまた単純に「喜んでいる」と判断してしまったりする。
 涙や笑いの陰にある何かを想像しなければいけないとは思いもよらない。ご自身の生活でもまだ「ただ笑うしかない絶望感」みたいなものに襲われた経験は乏しいのでしょう。
 
 こういうのは大人になってくれば自然にわかることですが、本当は小さいときおうちでちょっと話し合いがあるとよかったかもしれません。小学校の低学年ぐらいですね。テストのミスについておうちの方が「どうしてこう考えたの?」とご本人に説明させる機会があってもよかったと思います。
 もちろん追いつめたらいけないのですよ。叱るのではなく、なるほどそんな風に考えたのはすごいねとか世の中の人はこんな風に考えるものではないかとか、ミスをネタ(?)にして人生をあれこれと考えさせる機会があってもよかったという意味です。世間一般の見方とのズレを意識させるだけで効果があります。
 
 さすがに中学生(高校生)ぐらいになるとそうやってのびのびとおうちの方とお話する機会もないでしょう。それこそ「こんな簡単なことがどうしてわからないのだ!」と喧嘩になってしまったら逆効果です。そんなことなら何もおっしゃらないほうがいい。
 ですから、中学生や高校生の方はご自身で正解を見て(あのとき自分はこう考えたのだが、一般的にはこんな風に考える人が多いのか)と吟味してくださるといい。間違えという意識は強く持たず、面白がって遊ぶ感覚ですね。
 
 私のところによく来てくださる生徒がいて、ご自身のノートを見せてくださいます。ミスしたところを私が訊く。「ここは難しいからできなくてもいいけど、ここはどうして間違えた?」という具合に。
 すると彼(彼女)なりの考え方を披露してくれます。小さな勘違いがあったりします。なるほど確かにここに少しだけ書いてあるもんなと認めたあとで、後ろのほうの意見が強くなってしまうものなんだよと雑談程度に告げる。ああ、そうですか・・・で帰っていきますが、そんな振り返りだけでも役に立つものです。
 
 感心しないのは自分でもどうしてその答を選んだのかはっきりしない場合です。試験中気持ちが入っていなかったか深く考えずにもっともらしいものを選んでしまっただけなのか、とにかくじっくり考えていなかった。そんなケースも案外多い(人生でもじつに多い)という事実にまず気づく必要がありそうです。
 条件反射のようにぽんぽん選んでいるだけでは正解に達しないのも当然ですね。どうして自分はこれを選んだのかということを明確に思い出しながら正解と見比べていく。少しずつズレみたいなものは矯正されていきます。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

プロフィール

プロフィール画像
長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

カレンダー

<<   2014年07月   >>
    01 02 03 04 05
06 07 08 09 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

新着記事

月別アーカイブ