2014.05.18 10:44

 先週、アメリカの大学に留学していた昔の生徒がお土産を持って渋谷教室に遊びに来てくださいました。渋谷教室の生徒ではなく、池袋で見ていた男子生徒です。私が渋谷教室に来たのは2011年ですからここではまだ大学生になった教え子はいません。
 非常に優秀な子でした。都立のトップ校から現役である国立大学に進みました。あまり細かく書いてどなたかわかってしまうとまずいのでーー要するに優秀な人です。
 
 彼とははじめから気が合いました。美男子なのですよ。そういう男の子に共通した上品さみたいなものがありました。友だちと遊んでいるときも大声を出したりしない。穏やかないい環境に育ったのだろうなと勝手に想像していました。
 彼ももう成人です。アメリカでも頻繁にビールを飲んでいたというので、ちょっとだけ向かいのビルの地下にあるバーに行って話しました。音楽を聴きながらアメリカや大学の話を聞いた。
 
 すると突然店内に「スウィート・ホーム・アラバマ」というレーナード・スキナードの70年代の曲がかかりました。彼は「あ!」と言った。大学の応援歌にもなっていたそうです。そうでしょうね。何しろタイトルが「スウィート・ホーム・アラバマ」です。
 これは必然なのか偶然なのか。シンクロニシティーですね。私は偶然のように見えてもこれは偶然ではないと言いました。アラバマから帰ってきたばかりのきみがここに来ているので必然的にこういうことが起きるのだと言った。
 
 彼がこういう話をしていた。母親に感謝していますと。理由を聞いて感心しましたよ。
 たくさんの表現方法を与えてもらえたことに感謝していると言うのです。子どものときからたくさんの語彙をプレゼントされてきた。お母さまが本好きだったので彼もつられてそうなった。また非常に多くの豊かな会話がお互いのあいだを行き来した。その体験を何よりもありがたく思っている。
 こういう感謝ができること自体がただものではない。この感覚は躍起になって作ろうとしたものではなく、愛情に満ちた関係が自然に醸成した「生活の力」です。生活のなかに勉強が自然に溶けこんでいた。
 
 おかしかったのは映画の「タクシー・ドライヴァー」や「ディア・ハンター」の話なんかが出てきたことです。どなたとでもすぐにそんな会話になる。年齢に関係なく、自分はそういうお話のできる方と親しくなるということですね。先日はべつの塾で教えていた生徒ーー彼ももうすぐ40代ーーと御徒町で飲んだのですが、彼とも昔さんざん「タクシー・ドライヴァー」の話をした。細かい場面までお互いぜんぶ覚えていますから。
 ああした芸術作品には時代を超えて人を魅了する何かがある。私は運よくリアルタイムで経験しましたが、彼らは時代を超えて理解している感じです。
 
 この記事もいつか読んでくれるのかな。
 1つだけ訂正させてください。
 ニール・ヤングの「テル・ミー・ホワイ」は「ハーヴェスト」収録ではなかった。「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」に入っている。ちょっと勘違いした。歌詞を読んでみてくれないか。
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2014.05.17 07:28

 今日は朝から忙しいので自宅で記事を。
 きのうはお休みをいただきました。血圧のクリニックに行った。最近、基準値が変わってきたではないですか。そのことを先生が何かおっしゃるかなとも思ったのですが、とくに何も言われませんでした。週刊誌なんかには書いてある。製薬会社とお医者さんが結託して(?)患者さんを大量に作っていると。そうした傾向が事実なのかどうか私にはわかりませんが、たとえば自分の数値で薬が本当に必要なのかということは質問してみてもよかったのかもしれません。
 
 ただ、そういうことを質問すると少なからず相手が傷つくと考えるわけです。もう5年間通い続けています。それを否定するようなことを私から言うこともないだろうという感覚ですね。人それぞれ考え方はあっていいと思いますが、私はここは何も発言しないでおこうと思いました。最大血圧が140を超えてはいけないという価値観のなかにおさまっていようと考えた。もともとたいして気にはしていないのですが、流れというか気配りというかまあそのあたりは大切にしたいと思っています。
 
 家内に言われて保険の何かに行ってきました。本人が来いと手紙が来ていた。すべて家内がやっていたことなので私には全然わからない。とにかく郵便局に行った。
 何かが満期になったのですね。これはそのまま息子の学費に充当させるので「遊べるぞ!」的なものではありません。つまらない気分で出かけて行った。
 窓口のとてもかわいいおねえさんがいろいろ説明してくださるのですが、何を言っているのかわからない。そもそも私は保険の存在すら知りませんでした。
 
 様子がおかしいのであちらは心配するわけです。「ご本人さまですよね?」と。その本人が何が何だか全然わからない。
 そこである時点で「すべて家内に任せていたので私にはまったくわかりません」と告白しました。ああー、そうなのですかとあちらはあくまでも礼儀正しくおっしゃった。
 面白かったのはここからです。この3年間ぐらい大きな病気をされて入院していませんか? と訊かれました。
 
 ありませんと即答した。すると「皆さん、忘れていることが多いのでよーく思い出してくださいね」とおっしゃる。
 ははあ・・・と考えましたよ。ちょっと記憶が危なくなっている老人だと思われているなと。危ないことは危なくてもそこまでではないですよ。ただおねえさんは万が一のことを心配してくださっている。「どうもありがとうございます」と丁寧にお礼を言って帰ってきましたよ。
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2014.05.15 15:44

 今日はものすごく専門的な将棋の話題を。
 プロ棋士の強さをあらわすのにいろいろな方法があると思いますが、わかりやすいものに順位戦があり上位から10人ぐらいの棋士がA級という最上位クラスに在籍しています。その上はもう名人1人しかいない。名人以下10名のA級棋士は簡単に表現すればトップ10ということです。いちばん強いほうから数えて約10人。
 当然、入れ替わりも激しい。少し力が衰えてくるとA級から1つ下のB級1組というクラスに落ちてしまいます。
 
 今年、天才棋士の谷川浩司永世名人がはじめてA級から落ちて話題になりました。すぐに復活されるとは思いますが、谷川先生も50代に入られてさすがに棋力に翳りが見られるのかもしれません。将棋連盟の会長も兼任されているので、ちょっと忙しすぎるという事情があるのでしょう。
 そもそも50代でA級に残っていらっしゃったこと自体奇跡みたいなものでした。谷川先生のかつてのライバルは30代、あるいは40代でB級に落ちてしまっています。
 
 現在名人戦真っ最中の竜王・名人の森内先生ややはりタイトル3冠の羽生先生が現在43歳です。一般的にはそうした天才棋士でも40代後半から少しずつ年齢的な衰えが出てくる。体力的なものもあるでしょうね。タイトル戦なんかですと丸2日かけて闘うこともありますから。
 そのA級に70歳になる直前まで在籍していたのが大山康晴永世名人です。しかも亡くなったことで記録が途絶えた。生きていらっしゃったらさらに更新していた可能性があります。
 
 A級に上がってから44年間、1度も落ちたことがない。長い期間名人についていたので順位戦に参加できなかった時期はありますが(A級で優勝した棋士が名人と名人戦を闘います)、要するにトップの地位から生涯落ちなかったということです。この名人+A級44年間というのは今後もちょっとやぶれない記録なのではないかと感じます。ちなみに大山先生は長いこと将棋連盟の会長も務めていました。真夜中勝負がつき感想戦を午前3時ぐらいまで行い、翌朝の午前中はもう青森で仕事をしたと書かれていました。超人ですね。
 
 その大山先生の昭和62年度のA級順位戦です。相手はお弟子さんの有吉九段。素晴らしいですよ。攻めの強さで定評のある有吉九段が勝率の高い居飛車穴熊に囲って四間飛車の大山先生を猛烈に攻めたてた。並みの棋士ならあっというまにふっとばされてしまったでしょう。それを丁寧に丁寧に受け続けて(受けるというより受ける用意をひとつ手前でしておくような感じ)完全に切らしてしまった。終わってみれば大差です。
 ちょっといま話題のコンピュータ将棋を連想させる指し回しですかね。物事を丁寧にやるためには強い精神力が必要だとも思いました。まあ、興味のある方は1度並べてみてください。「将棋棋譜でーたべーす」に入っているみたいですよ。
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2014.05.14 13:51

 なかなか難しい。保護者の方とお話していてそう感じるときがあります。どのご家庭も子どもを大切にしている。大切に考えている。愛情を持っている。それは間違いない。ただうまく伝わっていないケースも当然あります。そのとき具体的にこれこれこういうところがあなたはいけませんとは言いたくないのです。それぞれの考え方があって然るべきで、一生懸命生きている大人に対して失礼なことは言いたくないのです。
 今日はそういうお話を書きます。
 
 最近ドロシー・ロー・ノルト博士の「子は親の鏡」のお話を持ち出したりしたのは、こういう形で漠然と伝わるといいなと思ったからです。個別に何かを指摘するのではなく、全体の問題として考えてくださるといい。
 望ましくない育て方の結果子どもたちが消極的に生きてしまうというような例がいくつかあげられています。たとえば「子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる」という項目がある。
 
 たいていの方は、これはうちとは関係ないと考えるでしょう。子どもが「引っ込みじあん」の部類に(仮にですよ)属するとしても、馬鹿にしたことなんか1度もないのだから育て方の問題ではないとお考えになると思います。しかし、万が一のことはないだろうか。
 幼いころ、私はときどき母親から赤い服を着せられました。それなりに似合うと考えたのでしょうね。赤い服で床屋さんに行ったり買い物に行ったりする。すると必ず「女の子みたいね」と言われました。相手は褒めているつもりなのでしょう。しかし、私自身はものすごく「馬鹿にされた」と感じました。
 
 10代に入るまでオシャレをすることに恐怖心がありました。大人たちから再び女の子みたいと「馬鹿にされたら」どうしようという恐怖ですね。で、母親が買ってきたあれもこれも着ないとごねた。それこそ大変な引っ込みじあんです。
 テストの点数を直接馬鹿にされなくても、おうちの方が誰々さんは優秀ねー、ご両親もどんなに誇らしいでしょうね・・・と称賛している様子をすぐ横でじっと見ている。こんなのは自分に対する皮肉でしかないと相手が感じてしまったらやはり「馬鹿にされた」の仲間になってしまうかもしれません。そういうこわさ。
 
 「不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる」という項目もそうです。テストは本当に大丈夫なの? と訊きたくなる親心はーー自分も親ですからーーもちろんよくわかります。しかし、そうやってずーっと心配する姿を表明し続けるのは相手のためになるのかどうか。
 たまには豪胆に、世の中なんかおまえの体力と知恵と能力をもってすればどうにだってなるぞぐらい言い切ってしまってもいいと思います。進学先なんかどこだって大丈夫だと言ったところで、相手も本当にどこでもいいとは考えないものです。それこそそれぐらいの知恵は持っています。
 
 無意識に悪い方向に引っ張ってしまっていないかということは、すべての大人(保護者の方に限りませんね)があとから来る者たち(子どもとは限りません。後輩だったり部下だったり)と接するときに気をつけていていいことだと思います。
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2014.05.13 14:13

 疲れたら休む。あたりまえですね。病気になったらとにかく休む。休むしかよくする方法はないですよ。
 風邪をひく。健康的でないということで、むりして筋力トレーニングをはじめたり全力疾走したり食欲もないのに大量に食べたりする人はいません。そんなことをしたらますます具合いが悪くなってしまう。どなたもそういうことは知っている。だからーー薬は好まない方もいらっしゃるでしょうがーー皆さん、温かくして水分やビタミンをたくさんとって静かに寝ています。1週間もすれば回復するのではないですか。
 
 身体のほうはそれでいい。脳や心というより神経ですね。頑張りすぎて神経が参ってしまうことがあります。風邪でダウンするのと同じように神経系統でダウンする。
 ところが発熱したり喉が腫れたりしないものだからダウンしているという事実になかなか気づけない。勉強のことだけを言っているのではないですよ。運動競技だとか趣味だとか。どうも調子が悪い。昔に比べると全然うまくいかない。そういう時期が定期的に来ます。ずーっと絶好調ということはありえない。
 
 その時期、休むどころかがむしゃらに努力したりするとさきほどの風邪の日に全力疾走している人と変わらなくなります。もっともっと調子が落ちてくる。やればやるほど症状はこじれてきます。
 休むのです。神経を休める。落ち着いて静かに生活してください。勉強も練習も「治るまで」休んでいいということです。風邪と同じで1週間もすればだんだん好転してくるはずです。
 
 休めと書きました。遊べとは書いていない。
 ここも大切なところ。風邪で学校を休めるからといって毎日ふらふら遊びに出かけていたら治るはずがありません。神経を休めるために勉強をストップしているぐらいなのですから刺激的なゲームに打ちこんだり、マンガを大量に読んだりして余計に疲れてはいけません。気分転換のつもりでやっていることで疲れ果てている人をときどき目にします。
 どのあたりから調子が狂ってしまったのか考えてみましょう。机のうえの問題だけではなかったはずです。いろいろ複雑な要素がありましたね。そういうことも内省的に考える。乗り越えられたらどんな人間になれますか。この経験を将来にどう活かしますか。
 
 焦ることはありません。長くて半月でしょう。空白の時間が増えたことで生活を乱してしまうとこじれてくる可能性もありますが、乱すかどうかは心構え次第です。
 そのこと(勉強でなくてもいいのですよ)の面白さや楽しさ、できたときのうれしさや得意な気持ち、自由にそれができる環境に生きている幸せに思いをはせてみてください。疲れたら休む。そしてよくなったらまた前進です。
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2014.05.12 13:40

 連休中うろうろしすぎたのでしょう。身体のあちらこちらに不調(?)みたいなのが起きています。いちばん顕著なのがいわゆる「四十肩」。自分の場合「58肩」ですかね。ちょっと右腕の調子が悪い。高く掲げることができません。
 とくに昨日からそういう感じです。黒板に文字を書くときちょっと苦労する。これ、不思議なのですよ。じつは2週間ぐらいまえ、ある人に「四十肩はやりましたか?」と訊かれました。私はいいえと答えた。するとその方が笑いながら「じゃあ、これからですね」とおっしゃった。
 
 「いまは皆さんお若いから50歳とか60歳とかで四十肩になりますからね」というその人の言葉がある種の暗示になっているような気もします。
 こういうのはお医者さんにかけこんでも劇的によくなるわけではないので、何となくやりすごそうと考えています。今週は金曜日にお休みをいただいているのでーーちょっと先だなーー血圧のクリニックに行って来ようと思っていました。そのときに相談してみるかな。いずれにせよほんの数日間でも生活ががらりと変わったことがバランスを崩したのでしょう。
 
 よくあまりにも歳をとってから引っ越すのはよくないみたいなことを言われますが、どんなにいいところに越したとしてもやはり昔とは違うというストレスが生じるのでしょう。ある程度のんびりした心構えでいないといらいらすることも多いかもしれない。そしてバランスを崩してしまう。
 無為に過ごすということもある意味大切なのだと思います。新しいところで張り切りすぎてーーもちろんお若い方は大丈夫ですよーー調子を崩さないようにしないといけませんね。抱えすぎず、少しずつ増やしていかれるといい。
 
 西荻窪の駅から遠くのほうに不思議なビルが見えます。相当の距離がある。休み中、そのビルの真下まで行ってきました。歩いて15分~20分ぐらい。真下からビルを見上げ、これが駅から見えていたのかと考えた。さらに駅に戻って再びビルを見てみました。(あそこの真下までとうとう行ってきたぞ!)と考えた。1度だけ行ったことがあるような気がしていたのですが、車で通っただけだったかもしれません。実際に行ってみてそう感じました。
 こういうことをやって喜んでいるのは人間だけでしょう。犬とか猫とか、もう少し明確な目的を持って行動しているような気がします。
 
 私はこれまでもけっこうこれに類することをやっています。
 A地点から見て気になるB地点に用もなくわざわざ出かけて行きA地点をながめる。そしてまたA地点に戻り、いま行ってきたばかりのB地点を喜びを持ってながめる。
 ふと思ったのですが、死ぬときもそんな感じなのでしょうね。生の地点から死をながめ(考え)る。いよいよのときは死の地点から生をながめる・・・何かしら隠喩(?)になっているような気もしてきましたが・・・
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2014.05.11 11:09

 昨日、あるところで心の病ーー具体的には書きませんがーーで苦しんでいらっしゃる方のお話をうかがう機会がありました。ご当人からではないですよ。状況を詳しくご存知の方から聞いた。遺伝的な要素もあるのかもしれませんが、家族で苦しんでいる。
 私の古い友人にも心の病を発症して亡くなった方がいました。20代のころです。病人の彼に対して私は非常に冷たかった。むしろわざとそうしていました。みんなが思いやりを持って接しているのに友人だった自分が冷たく振舞うことを、クールでかっこいいと考えていました。
 
 リッチー・ブラックモアだったらこうするだろうとかジミー・ペイジだったらこうするだろうとか想像したものです。同情心みたいなものが少しでも芽生えかけるとそれこそ心の弱さだと考えて自分自身を叱責した。もっともっと冷淡にーー要するに他人のようにーー接しようと、より残酷なことを想像して自分を励ましたりしました。
 結果として私は彼の葬儀の類にも一切出席していません。亡くなったという事実を人づてに聞かされただけです。
 
 人間と人間がどこまでかかわりあうかというのはなかなか難しい問題で、私個人はあまりべたべたしたくないという気持ちを持っています。相手が男でも女でもそうです。
 ただ若いころとちょっと違ってきたのは根本に慈悲の気持ちみたいなものは忘れずにいたいと考えるようになったことでしょうか。「愛情」とまでは表現できないですね。そこまでの積極性はなさそうです。慈悲と表現しても正確ではないのですが「愛情」よりは少しだけ近づいたような気持ちがします。昔はリッチー・ブラックモアだったら・・・と考えたところをブッダだったら・・・と想像するようになった。
 
 世の中に不幸になろうと全力で努力する人間はいませんね。誰でも基本的には幸せになろう、幸せになりたいという気持ちで生きている。それがなかなかうまくいかない。うまくいかない理由を外部だけに見つけてしまうと外の世界は自分の思い通りになりませんからいつまでたってもいらいらする、改善しないという事情はあるかもしれません。
 内側に原因を見つけられれば、自分自身でよりよい方向に変えていくことが可能です。ただ本当に病的なものはやはり専門的な治療を受ける必要があるでしょう。
 
 難しい世の中ですからね。不安な要素も大きいと思います。ただ見ている感じでは不安については「現実」として心配するわりに、希望に関してはそんなこと起きるわけがないとまったく現実的にとらえない傾向が強いところに大きな問題がありそうです。
 例をあげるとこういうことです。受験に失敗したらどうしよう、どうせろくな学校に入れないだろうと日々やたらと「現実的に」くよくよする。逆に自分のことだからきっと進学先の生活はものすごく楽しくなるぞと「うきうき」生活したりはしない。
 
 いつも書くようにいいことがたくさんあるーー今日の天気だってそうですねーーのは事実ですし、いいことがたくさん起きそうだと強く予感していると次々と現実化していくのもまた事実です。世の中の仕組みがそうなっているのです。
 どなたもーー大人も子どももーー希望を持って生きる技術が大切ですね。
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2014.05.10 12:55

 今日から教室に出ています。授業そのものは明日からですね。いろいろとやっておかなければいけないことがありました。
 連休はあっという間でしたよ。ちょっと動きすぎて疲れました。歳なのでしょうね。身体のあちらこちらが痛い。基本的に歩きすぎているのです。足が悪いのに歩きすぎている。歩数計を持っているので(歩きすぎだな)という状況はわかっています。わかっていてもぴたりと止まれるものでもない。帰らないわけにはいかないですからね。
 
 ひとつだけ行きそびれた場所があったことにさっき気づきました。電車で15分ぐらいのところなので次の休みにでも行ってみます。
 ある商店街にものすごくいい加減なお鮨屋さんがあったのです。どうなったかーーいまも営業されているのかーー見てみたい。おそらく兄弟だと思いますが、お店の人が2人とも二日酔いなのですよ。ランチの鮨を作りながら小さな声で「飲みすぎたな。吐き気がする」と話している。動きもいかにも二日酔い。昼どきなのにお客は私だけでした。安いちらしずしを頼んだら、乗っている具があまりにも少ないので地の部分(?)、つまり白米がうえからよく見えます。
 
 ご飯の中央に魚の切れ端が乗っているようなちらしずしでした。書いていてさすがにもうつぶれてしまったかなとも思うのですが、握りを食べてみたいような気持ちもあります。衝撃的な体験になるような・・・物好きですかね。
 遠くにある居酒屋ーーブログにも何度か書いたお店ですーーにわざわざ行ってきました。午後4時開店なのですが、皆さん少しまえから堂々と入っていく。席をとるためです。店内は暗いのですが、平気で思い思いの席に着く。
 
 私も静かに待った。午後4時になると電灯がともり、ご主人が「はじめまーす」と大きな声を出す。そして、それぞれが飲み物を注文します。
 開店と同時にわーっと人が入ってくる。だいたい15分ぐらいで1階席(50人以上入れるでしょうか)は満席になってしまいます。2階にもどんどん入りますが、2階はちょっと寂しいので皆さん本当は階下に座りたい。観察していて感じたのですが、ちょっとだけ身体が不自由なお年寄りもたくさん来ていました。ステッキをついていて足取りが危なかったりする。若い方はーーその時間帯はーーほとんど見かけません。
 
 いても30分というところですね。私も今回それぐらいで切り上げました。待っている方がたくさんいらっしゃるのに居座るのは申し訳ないような気がしてしまう。途中で予約の電話がかかっていました。予約ができるとは知らなかった。電話口のご主人が「新幹線が遅れたら電話をください」とおっしゃっていたので、遠方からのお客さんですね。
 おかげさまでいつもどおり楽しく過ごせたというところでしょうか。
 
 
 
 
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2014.05.09 11:43

 私は現在も新聞を購読しています。習慣になっているので朝新聞が来ないとーー旅先などでーーつまらないですね。どんな日も必ず目を通します。どの新聞がとくに好きということはありません。これまで朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、東京新聞と4種類とったことがあります。現在は読売新聞を読んでいますが、いまのマンションに引越したときに勧誘に来たのが読売新聞の販売員の方であったというだけの理由で、それからずっと続いているわけです。
 
 先日の子どもの日だったと思いますが、読売新聞のコラムにドロシー・ロー・ノルト博士のことが書かれていました。高名な教育者の先生で、「子は親の鏡」という子育てのバイブル的な文章は世界中で知られています。
 詩のような短い文章なのですが、ここに貼りつけるわけにもいかないので興味のある方はお探しになってみてください。すぐに見つかります。それぐらい有名です。
 
 読売新聞のコラムでは一部分だけが載っていました。たとえばけなされて育った子どもは人をけなすようになると書かれていました。励まして育てると子どもは自信を持つようになるとも書かれていました。要するに、こう育てるとこうなる的な散文が列挙されている文章なのです。
 考えなければいけないのは親のほうではそんなつもりがなかったのにお子さん自身が(けなされて育った)と意識してしまう危険性ですね。そういうことも十分にありえます。
 
 テストの点数が悪かった。親が答案を見て「何、これ?」と呆れたような声を出す。それだけで(けなされた)と相手が感じてしまうのであれば、やはりこちらの工夫が足りないのです。
 私も自分の子どもを育ててきたわけですが、そういうときは明るく「おー! こりゃやっちまったなー」と声をかけました。点数が悪いことは事実ですからそれは仕方がない。それから「お前は頭そのものはいいのだから油断さえしなければ次は大丈夫だよ」とそれこそ「励まし」ました。そういった工夫こそが子育ての楽しさですね。
 
 犬や猫なんかのペットだって手がかかるからかわいいという要素がありますね。犬や猫が自分で自分の世話をすべててきぱきするようになったら物足りないですよ。手がかかるからいい。
 子育てというのもそういうものです。人間には発達した理性があるので、犬猫以上に感情のもつれが生じてしまうことがあります。成績の悪いお子さんのまえで極端なため息をついただけでも相手は(けなされた)と感じてしまうかもしれません。
 
 こちらが大人であり、目的は少しでもーーすべての意味でーーいい子に育ってもらうことですからまずこちらがすべての言葉や行為に気をつけるべきでしょう。生徒に対しても私個人はそう考えています。やたらと厳しい先生「だけ」ではいけない。大人としての成熟度が試されている。
  とげとげしい家庭で育つと乱暴になるという項目もありました。確かにお子さんの弱点を冷たくずばずば指摘するだけではとげとげしくなってしまっていけない。
 
 どこからでも遅すぎるということはない。最近うまくいっていないなと感じられるのであれば(相手が折れてきたら助けてやろうか)ではなく、この瞬間からご自身から工夫をスタートさせてみてください。
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2014.05.06 16:02

 明日から学校や仕事の方が多いのかな。憂鬱な気分になっている方もいらっしゃるかもしれませんね。勉強ができることを、お仕事があることを幸せだと考えてくださったらいいと思っています。
 与えられているものは考えようによってはすべて幸福の種になりえます。よく「いいことなんか何ひとつない」という表現を見たり聞いたりしますが、夜明けの美しさはいいことではない? 喉が渇いたときの冷たい水のおいしさはいいことではない? 子犬が足元で無心にじゃれてくれるのはいいことではない?
 
 どんなに周囲を幸福で囲まれていても私たち自身のものの見方が障壁になってしまっていては味わうことができません。幸福の鍵は外部にではなく内側にあります。歓喜の気持ちが自然と湧きあがってくるように内部を調整してみてください。新しい何かを探すのではなく、見方を調整するのです。
 美しい夜明けにせよ渇いたときの冷たい水にせよじゃれる子犬にせよ、新しい何かではありませんね。もとからずっと存在していたものです。私たちがやるべきことは存在していたものに気づき認識し感謝することだけです。
 
 かりに勉強や仕事がつらい時期にあるとしても、だからこそ休暇や自由や娯楽の価値が増すのだという事実は意識されていいと思います。対照物が必要なのです。夜がない世界に住んでいる人には昼の明るさや暖かさの価値がなかなか理解できないでしょう。人生の深い理解は対照物についての深い洞察から生まれてくるものです。深みのある人間になりたいのであればーー基本的に世の中はそういう人を求めていると思いますがーー笑って喜んでうきうきしているだけではだめなのであって、ときには(あくまでもときにはですよ)泣いたり悲しんだり落ちこんだりする必要がある。全体が理解できる人には「全体の経験」が必要ですから。
 
 先日、ある方からお香をいただいた。いままで私が知らなかった専門店のものです。これが素晴らしく香りがいい。年寄りの私が書くのも何ですが、年寄り臭くない。
 私は基本的にあまり欲のない人間だと思うのですが、もうちょっと味わいたいという気持ちになかなかあらがえない。1本が消えてしまうとすぐに次に火をつけたくなる。夜中に目が覚めるたびに焚いているぐらいですからちょっと病的ですかね。
 旅をする機会があったらお香も必ず持っていこうと思います。前回の旅行のときーー昨年ですねーーはこうではなかった。いくつになっても幸せは増えるものですね。
 
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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