2014.04.30 13:47

 自らの意志で生まれてくる人はあまり多くはないでしょうね。気がついてみたら何となく生まれていたという方が圧倒的に多いのではないかと思います。私なんかもそういう人間で、気づいたら生きていました。
 死というものをはじめて意識したのは幼稚園に入る前日でした。正確に覚えているのには理由があります。その日、私は家の近くの大きな河に落ちました。10メートル近く落ちていくあいだにかなり時間があり、はっきりと(ああ死ぬのか)と考えました。実際は怪我1つしませんでした。奇跡だ・・・みたいに言われましたよ。
 
 で、生きてきた。好きなことばかりやってきたように思います。いわゆる「軟派」だったのでしょうね。小さいころから喧嘩やスポーツより絵だとか音楽だとかが好きでした。
 音楽に関しては、はじめは日本のグループ・サウンズというのが好きになった。ザ・タイガースとかザ・ジャガースとか。ジャガースの岡本信さんがいまの私と同じぐらいの歳で数年前に亡くなったときはちょっとショックでした。グループ・サウンズのあとは洋楽に興味を持ちました。そんな話は何度も書きましたね。
 
 好きなことばかりしてきたわけですが、歳をとって多少は世の中全体のことも考えるようになってきました。できれば人を助けたいものだと思う。何をどうするという具体的な行為はともかくとして、生きていてあまり他人に迷惑をかけたくはない。そして、可能であれば人助けをしたいと思います。
 西荻窪駅に貼ってある「いのちの電話」のポスターに「あなたのお母さんではありませんが・・・」みたいなことが書いてあった。そうそう、こういう感じはあるなと思う。
 
 私はだれのお母さんでもないですが、困っている人がいればできることはしたいと思います。こういうのは難しい要素があって、私自身がすごく負担に感じるようであれば助けられる人もいやでしょう。自然にお手伝いできれば・・・という感じでしょうか。
 私はどなたでも勉強をしたほうがより人を助けられるようになると思っています。どこの大学を出たとか資格がどうとかという大げさな話ではないのですよ。勉強をしない人よりした人のほうが世の中の仕組みに詳しくなり、手助けの方法もたくさん認知できるのは当然です。
 
 何のために勉強するのかという根本的な問題がありますが、おそらくは人間として生まれてきて何かしら世の中の役にたつ、人助けをする、その機会を広げるために多くのことを学ぶのでしょう。
 法律で人を助ける方も農業で人を助ける方も医学で人を助ける方も料理で人を助ける方も音楽で人を助ける方もいらっしゃると思います。方法論はさまざまであり、多様性のなかに世の中の豊かさは存在します。得意なことを選べばいいですね。
 
 勉強がほとほといやになっている方も、そのことはちょっと意識してみてください。ここで完全に放棄してしまうとひょっとするとものすごい人数を助けられた可能性のあるあなたが結局ご家族ぐらいしか救えなくなってしまうかもしれません。そのあまりの「もったいなさ」は意識されてもいいように思います。
 あなたのお母さんではありませんが・・・というのはいいフレーズですね。あなたが勉強されることで多くの人間があなたを「お母さん」のように感じられたらいいなと思っています。
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2014.04.29 12:51

 横のカレンダーをご覧いただくとよくわかります。白くなっているのが記事を休んだ日です。つまりそこは仕事も休んでいます。4月のカレンダーを見ていただくと火曜日がほとんど休みになっているのがおわかりになると思います。1日だけは来ていた。ただこの日は春期講習でしたからね。本科4月度の授業がスタートしてから火曜日には1度も来ていないことになります。
 こういうのはやはりまずいと感じるわけです。週休2日制になっていても教室長が特定の曜日を絶対の定休日にしていたら何となく困る方がいらっしゃるような気がします。
 
 本当は15日の火曜日に半休の予定で出て来ようと考えていました。ところが発熱してしまってずっと自宅で寝ていました。今月は風邪をひいたせいで予定がだいぶ狂いましたよ。翌週もまだ具合いが悪くてだらだらしていました。今日、やっと来ることができました。
 先生方が授業日誌というのを書いてくださるので授業の様子はじつはよくわかっています。だれがうつらうつらしていたとかだれが宿題をサボっていたとか、私はみんな知っています。それでもやはり教室の空気を吸う必要があります。
 
 平日の火曜日木曜日金曜日は授業がないのでうまくばらけて休めるといいのですが、連休もまた取りにくいのです。連休は本当に取りにくいですよ。去年も休室日などの特別な期間以外はなかなか連休はとれなかった。連休の形でもちょっとだけ出てきたりしていました。授業がなくても相談や面談が入ってきてしまうのですね。
 こうやって気を張っているとちょっと疲れることもあります。休みの日でも突然電話がかかってきたら出ていかなければならない。先生が遅刻したとか代講の必要が出てきたとか、何度かありました。
 
 昔ーー池袋教室のときですーー火災報知機が誤作動して生徒が動揺したという事件もあった。ちょうど夏休みで、私は昔の生徒の陶芸品を買い求めるために私鉄沿線のある駅近くにいました。そこに連絡が来た。何だかよくわかりませんが、あとでご家庭に説明を求められる可能性もあります。スーツ姿ではありませんでしたが、すぐに買い求めた陶芸品を持って教室に向かいました。
 幸い先生がお1人慌てて逃げてしまった(?)以外とくに問題は生じていなかったのですが、まあそんなこんなです。逃げた先生もすぐに戻ってきましたよ。
 
 1度、休みの日に熱っぽくて上半身裸で蒲団に倒れていたら国語の先生が来られそうもないのですぐに来てくださいという電話がかかってきたことがありました。あー、こんな調子の悪い日は休みでよかったーと夕方風呂から上がってだらだらしていた。そこに突然連絡が・・・
 びっくりしてすぐに服を着てネクタイをしめた。不思議なものでそういう流れのなかで体調の悪さはまったく意識しなくなりました。気持ちの張りはやっぱり大切ですね。
 
 
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2014.04.28 13:56

 先日、池袋で会社の方何人かと飲みました。細かく書くとごちゃごちゃしてくるのでーー要するに総勢4人で楽しく飲みました。
 そもそも池袋で待ち合わせたのですが、私は例によって少しだけ早く着き街をうろうろしていました。自分が渋谷教室に移ってきたのは震災の年ーー2011年の3月です。それまで2004年から丸7年間池袋教室で仕事をさせていただいていたことになります。池袋という街はさまざまに評価されていますが、私にとってはひたすら懐かしい場所です。
 
 昔、教室があったあたりをまずうろついてみました。するとずいぶんお店がなくなっています。それも個人経営のお店がなくなっている。
 地域でいちばん古いと言われていたそば屋さんがべつの屋号のお店(うどん屋さん?)に変身していました。値段もすごく安く設定されている。高速道路近くにあった老舗のそば屋さんもいつのまにかなくなっていた。見るからに古くから続いていた感じだったのですが、ほんの3年で消えてしまいました。どこのお店もうまくいっていれば続いているわけでしょうから、やっぱりあまり景気がよくないのですね。
 
 ちょっと離れたビルの最上階で外国人の方がやっていたカレー屋さんは心配していた通り消えてしまいました。本格的な味でナンと一緒に出てくるのですが、けっこう気に入っていて2週間に1度ぐらいは足を運んでいました。そこは空になったままあとのお店も入っていません。ちょっと気づきにくい場所なのです。
 個人店がいつのまにかチェーン店のラーメン屋さんに変わっているところもありました。そうやって30分ぐらいでしょうか。あちらこちらをうろうろしました。もちろん残っている個人経営のお店もあり、そのうちの1軒には4人で入りました。当時、週に1度ランチに通っていたお店です。
 
 教室長という形でお仕事をさせていただいたのは三鷹、池袋、渋谷の3つの街です。講師としては横浜や新宿なんかにも通っていましたが。それぞれに思い出があります。生徒や保護者の方、一緒に働いた仲間や先生方のことはもちろんよく覚えていますが、それとはべつに街に対する愛着みたいなものも強く残っています。近隣の飲食店も含めて思い出になっているのですね。
 ですからお店がなくなっているとちょっと寂しい感じがします。このあたりでもすでにとんかつ屋さんやカレー屋さん、回転寿司屋さんがなくなっています。味が悪いわけではないだけになかなか難しいなと思います。
 
 当面、私は渋谷教室を守る形になると思います。教室にかかわってくださるすべての方の幸せを守るということですね。近所の飲食店なんかも関係ないと思わずに、大切に(?)していきたいと考えています。
 
 
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2014.04.27 10:44

 人生がうまくいかないときーーこれは勉強でも仕事でも人間関係でもすべてに共通しますーー往々にして私たちは1からやり直そうと考えます。1からすべて新しくしようと。
 しかし、本当はそんな風に考える必要はありません。1からぜんぶ新しくする必要はない。比喩的に書けば、学校をやめたりいままでの教科書や参考書をすべて捨てたり塾を変わったり仕事をやめたり新しい土地に行って人間関係を1人目から構築し直したりする必要はないということです。
 
 必要なのはまずすべてはすでに揃っているのだということに気づくことです。やるべきことは持っているものの組み換えだけなのですよ。
 いまのままの教科書、参考書、通信の教材、塾、いまのままの仕事、人間関係、それを自己の気づきによってどのように組み換えていくか。その作戦というか方針というか、それさえしっかりすれば必ず状況は好転します。必ずです。なあんだ、捨てなくてよかったよとほっとできる日が必ず来ますから安心してください。
 
 でも・・・という人はいるでしょう。何も食べる気にならないのです。どれもこれもおいしくない。そんなお店に通っていてはだめなのではないですか? 思い切って違うお店で食べるべきなのではないですか?
 そういう疑問が湧いてくるのは当然ですね。違うお店、違う学校、違う職場、違う人間関係。ただ表面だけを取り換えてもまた同じようなことが起きてくる可能性があります。取り換えるのではなく自己を組み換える覚悟ですね。編成し直すと言ってもいいかもしれません。食べる気にならないのはそもそも空腹ではないからです。根本はそこにある。そのことに気づく。そして空腹状態を作る作戦をたてる。
 
 愛情関係がうまくいかないのは、ひょっとして「よきこと」を欲しがる気持ちが強すぎて自分から与えようという思いが不足しているからかもしれません。お子さんにもっともっと積極的に愛情を与えよう、与えたいと「つねに」本気で考えているかどうか。あれとあれとあれをぜんぶこなしたらまあご褒美をやってもいいか・・・ぐらいではないですか?
 こちらがそうであれば、あちらもまた同じような形で返してくるものです。どうせたいした愛情を受けられないのだからいい加減にやっておけばいいやと手を抜いたりする。悪循環を断ち切るには積極的な組み換えが必要ですね。
 
 空腹状態を作るためにしばらく食べないでおく工夫が必要になります。人生であれば組み換えのために考える期間がいりますね。すでに持っていることを信じ、どこをどう組み換えたらよりうまくいくかどれぐらい食べたらお腹が減ってくるか、ちょっと考えてみてください。
 ちょうど連休に入りますね。持っているものの何をどれぐらい活用したらいいのか計画をたてるのにいい機会です。生まれ変わるというのはそういうことです。輝くべき本当の自分の作り方に気づくということですね。
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2014.04.26 13:11

 世間では今日から連休ということになるのでしょうか。Z会進学教室のお休みはもう少し先です。今年は5月4日~10日までの1週間授業がお休みになります。教室自体が閉まるのは5日~9日まで。
 今年はとくに予定をたてていません。例によって見てみたいところがいくつか出てきたので少しうろうろするつもりです。やっぱり昔行ったところがどうなっているか気になりますね。去年はわざわざ上井草まで竹やぶを見に行った。今年は中野区のある路地を歩いてみたいと思っています。地味ですね。
 
 今日ぐらいになってやっと本当に元気になってきました。熱があったのは先週のはじめです。長引いていますね。それだけ体力が衰えているのでしょう。今朝、電車のなかでまったく座りたい気持ちにならなかったのでやっと完治したなと思いました。
 風邪は息子にもうつってしまいました。彼はたいして熱は出なかったのですが、どういうわけか蕁麻疹が出た。医者に行ったら、免疫力が落ちているので蕁麻疹が出たのだと言われた。そういうことがあるそうです。
 
 すごく痒いらしいのです。がしがし掻いている。がしがしという擬声語がぴったりくるような掻き方で。例によって底抜けに明るいのですが、痒いものは痒いですからね。がしがし掻く。
 痒くて目が覚めたと言っては掻き、痒くて眠れないと言っては掻く。それでもとにかく明るい。薬を飲んで大学に行きます。私だったら休んでしまうのですが。
 彼ががしがし掻く音を聞くのがなぜか楽しかった。これは生きているぞ! という感じがしました。本当に生きている実感がある。熱があってぼんやりしているのとは違って「生きている感」が強いわけです。
 
 面白いので「もっと掻け!」と言った。生きている感じを出せと。
 いまはいい薬があるのですね。すぐにおさまりました。3日分しか薬も出なかった。それで完全によくなりました。
 8日に開花した近所の八重桜はまだ何とかもっています。ずいぶん散りましたが、まだ痩せた感じの花が半分ぐらいは残っている。最後まで見届けてやろうと思っています。熱があるときも毎日ふらふらしながら樹の下を歩いて駅まで通いました。そんなことをしていたから治りが遅かったのかもしれません。
 
 
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2014.04.25 13:38

 今日は午前中本部教室で会議がありました。全体会議というやつですね。いろいろな方のお話を聴く。きちんと聴いている瞬間とあまり集中していない瞬間があります。ただもういい歳ですから、自由に切りかえられるようにはなっています。きちんと聴こうとしながら集中できないという状況におちいることはありません。
 ただたとえば体調がすごく悪いとか心配事があるとか、何かしら原因があって集中できないケースは考えられます。大人数のなかにはきっとそういう方もいらっしゃるでしょう。
 
 昔、恋愛中のある先生(Z会の先生ではありません)からお話をうかがったことがある。授業中もお相手の女性のことばかり考えてしまうというのです。真面目なのですよ。すごく真面目な先生でした。相手の女性を好きで好きで仕方がない。片ときも忘れられない。「というより・・・」と恥ずかしそうに打ち明けてくれました。「片ときでも忘れたら罪になるような気持ちでいっぱいなのです」
 私はーーいろいろな考え方があっていいと思いますーー自分自身を完全に見失ってしまうような恋愛はあまり好ましいと思わないので、ふーんぐらいでしたかね。授業中でさえその状態では会議どころではないでしょう。
 
 集中力に欠けるという言い方がありますが、病的に散漫になっている人は珍しいのであってだいたいはほかのことで埋まっている感じです。集中力を発揮するスペースが必要なのにその「空きスペース」がない。何かが詰まっている。
 心配事かもしれませんし好きな人のことかもしれません。ものすごくお腹が空いていて食べ物のことばかりちらついたり夜遊びに行く予定があってそわそわしてしまうという例外的な日もあるでしょう。
 
 つまり集中するためには前段階が必要だということですね。集中を必要とされる作業に入るまえの段階で、本当にいまの自分は落ち着いて他人の話が聴けたり作業できたり考えられたりするだろうか? ということを確認しないといけない。
 そのひと呼吸を置けるかどうかで相当変わってくると思います。生徒の皆さんにとってはそれが休み時間なわけで、10分の休み時間を文字通り10分間まるまる大騒ぎして過ごしてしまうと集中できるかどうかの確認ができないままつぎの授業に突入することになってしまいます。
 
 Z会進学教室、来年度で30周年になります。そんな話も出てきました。当時、Z会が教室を開くために講師募集をはじめた新聞広告を見つけ応募してみようかな・・・と心を動かされたことがありました。
 私はまだ20代で先生としてちょっと自信のない部分もあった。もう少し経験を積んでからでも遅くはないだろうと思い、それからちょうど10年ぐらいたってから講師に応募しました。それが今日につながってきている・・・そんなことも考えていました。
 あれ? なんだかちっとも会議に集中できていないですね。
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2014.04.23 13:18

 教室の隣のビルの話を書きます。駅側のビル。最後に残っていたテナントさんも出てしまったみたいで、最近は入口が閉鎖されています。ひょっとすると建て直す(?)のかもしれません。古いですからね。
 じつはーー昔も書いたことがありますーーあのビルには思い出があります。いまを去ること40年近く前、大学生だった私はビルの4階にある将棋の道場にときどき来ていました。当時は初段で指していた。席主はTさんという大変な強豪でした。全国レベルのアマチュア将棋大会で堂々と優勝されるような方です。若いころはいわゆる「真剣師」をされていたという噂も聞いたことがあります。
 
 友人と来ることもありましたし1人で来るときもありました。土曜日なんかは何十人というお客さんが詰めかけてきて満員に近かった。いまから考えるとちょっと信じられない光景ですね。渋谷の将棋道場はここだけではありませんでした。娯楽が少ない時代だったからでしょう。どこの道場もそれなりに混んでいました。
 そのころ、この界隈は夜になるとちょっと寂しい感じがしました。車は通っていても人通りがない。遅い時間に道場を出ると全然人が歩いていない。すぐ近くのボーリング場がある施設の1階が喫茶店で、夜の10時ぐらいには閉まっていた記憶があります。
 
 高校生のころ、その喫茶店にもよく来ていました。女の子とのデートで使う。
 いま考えてみれば本当に愚かな高校生でしたよ。おそらくいまも愚かな50代なのでしょうね。
 日曜日の朝、いきなりビールを注文したことがあります。高校生の私がですよ。当時は規制がゆるかった。同世代の女の子はどうしたの? とびっくりしている。当時、アリス・クーパーというロック・ミュージシャンに心酔していたのです。ミュージック・ライフ誌を読んだら「アリス・クーパーは朝からずーっとビールを飲んでいる」という意味のことが書いてあった。こりゃおれも真似しなくちゃいかんぞということになった。
 
 あたりまえですが、ふだん飲みませんからね。あっという間に酔っ払った。顔が真っ赤になり、ふわふわしたいい気分になり、最後は何が何だかわからなくなりました。デートも何もあったものではありません。
 近くの宮下公園のベンチで長いあいだ横になっていました。女の子はつまらなそうに無言で隣に座っていましたよ。ぐるぐる回る頭で(これでもう自分たちはおしまいだ。どうしておれはいつもヘマばかりするのだろう)と考え悲しくなりました。と同時に(やっぱりおれはこうなるか!)とうれしいような変な気持ちも湧いてくる。破滅願望がつねにどこかにあるのですね。
 
 ビルの中を思い出したい気持ちがあったので、昨年残っていた2階の居酒屋さんに入ってみたことがあります。奥行きがけっこう深くて、そうそうこういう作りだったと思い出しました。道場では奥のほうで「おばさん」がラーメンを作っていたのを覚えています。
 2011年の3月に私が渋谷教室に来た当時はまだ1階のラーメン屋さんも営業していたのですが、時は流れます。ちなみにそのラーメン屋さんは突然なくなりました。きのうまで普通に営業していたのが、ある日忽然と姿を消した。ちょっと話題になっていましたよ。
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2014.04.21 15:37

 昔、ある聖人がこういう質問を受けた。「あなたのような聖者になる秘訣は何ですか?」するとこう答えたそうです。「眠いときに寝て食べたいときに食べることです」
 なーんだ・・・ではないですよ。現代の文明人はどうでしょう。眠いときに寝られる人というのはどれぐらいいるものなのか。眠くないときにむりやり寝ようとしている人のほうが多いかもしれません。睡眠薬なんかの消費が増えているそうでーー私は眠くないときは寝ないと決めているのでいまのところお世話になる機会はありませんがーーいわゆる「睡眠時間」の確保に苦労されている方が多くいらっしゃるように思います。
 
 食べるほうはどうでしょうね。これまた食べたいけど我慢して食べないようにしているという方、逆に食べなくてはいけないけれどもおいしく食べられないという方が多くいらっしゃるように感じています。ダイエットだとかコレステロール値だとか皆さんいろいろ苦労されている。
 要するに、あたりまえのことをあたりまえにするのは簡単そうに見えてすごいことなのですね。意識せずにできる人は、生き方の達人なのでしょう。
 
 食べたいときに食べて眠いときに寝る。
 勉強をできるようにするというのも結局単純な言葉で表現できてしまいます。「習って真似て覚える」それだけです。たったそれだけ。
 まず習う必要がある。学校で習う。もうちょっと難しいことをやりたければ、Z会進学教室のような塾でも習う。入試の問題は学校の定期テストより難しいですからね。とくに受験生はたくさん来てくださいます。習うところまではだいたい横一線です。同じ先生が同じ空間で同じテキストで教えています。
 
 集中力云々ということがよく言われますが、習う段階で差をつけられているようではお話にならない。とにかくよく聞く。きちんとノートをとる。
 つぎは真似る。自宅で同じようにもう1度やってみる。すらすらいかなければもう1度。まだすらすらいかない。ではもう1度。何回やればいいのですか? ではないですよ。回数ではありません。個人差がありますから、すらすらいくまでとしか答えようがありません。タレントさんの歌や踊りを真似たことがあるでしょう? たどたどしかったらおかしいですね。先生が授業中英文を音読されたようにすらすら読めるようになっていないのであれば、残念ながらまだ足りないのです。
 
 最後に「覚える」です。
 ここは少し工夫しないといけません。単純に暗記するだけではちょっと物足りない。自分のものにする覚悟ですね。
 たとえば俳句を覚えたとします。「古池やかわずとびこむ水の音ーー松尾芭蕉」だけでは頼りない。自分はいままでこういう静けさを味わったことがあっただろうかと考える。古池というからには相当古い池なのだろうがそれはどこで判断したのだろうと想像する。音によって静けさを表すとしたらほかに何がふさわしいだろうと思い浮かべる。俳句でほかに静けさを強調したものはどんなのがあるだろうと調べてみる。
 覚えるというより、人生の一部にしてしまおうという気持ちですね。
 
 
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2014.04.20 11:31

 1969年というのは私が中学2年生になった年でした。本格的に洋楽を聴きはじめたのもそのころです。はじめて買った洋楽のシングル盤がクリフ・リチャードの「しあわせの朝」。これは以前も書きましたね。それまではタイガースとかジャガースとか、いわゆる日本のグループ・サウンズものばかり買っていましたから、進歩と言えば進歩なのでしょう。
 よくわからないまま「洋楽がかかるから」というだけでFEN放送(現AFN放送)を聴くようにもなりました。深夜放送も聴きました。やはり洋楽がかかるからです。みのもんたさんなんかが出てこられたころです。
 
 そのころこの曲をどこかで聴いています。アメリカではそこそこヒットしたみたいですが、日本ではどうだったのか。
 FEN放送ですからね。何というグループの何という曲なのか全然わかりません。いまでも覚えていますよ。ジェファーソンという男性シンガーが「ベイビー・テイク・ミー・イン・ユア・アームズ」という曲をヒットさせていた(この曲も名曲です)。FEN放送でDJが発音した通りに手もとの紙にカタカナで書きとめた。ベイビー・テイク・ミーまでは聞きとれましたが、あとは何が何だかわからない。くそー! ですよ。そんな日々でした。
 
 中学生のころというのは不思議な感じでした。自分が大人になっていくのがよくわかる。わかると同時にとまどいを覚えました。
 性的な好奇心も芽生えてくる。街なかの清涼飲料水の何でもない水着姿の女性のポスターがやたらと気になるようになりました。ある時点から突然そうなった。1つにはどうしてそうなるのかわからない困惑があり、もう1つにはそうなることで大切な子ども時代が失われてしまうのではないかという嫌悪感がありました。水着のポスターをなるべく見ないようにしようと真面目に考えたりしていたのですから、ある意味重病です。
 
 ポピュラー音楽の魅力というのは一概に表現できるものでもありませんが、たとえばこういうことはあるかもしれない。
 宇宙人が突然私のところにたずねてきたとします。友好的な宇宙人ですよ。で、「地球に存在するポップソングというものの典型例を聴かせてほしい」と言ったとします。私は自信を持ってこのスパイラル・ステアケースの「More Today Than Yesterday」を推薦するでしょう。この曲をすみずみまで味わえばポップスの本質がよくわかりますよと。
 
 じつはこの曲のタイトルは何年も何年もわかりませんでした。1995年ごろまでどうしてもつきとめられなかった。FEN放送で思い出したようにぽつりとかかる。必死になって聴きとろうとするのですがむりでした。とくにグループ名。しまいにはこの曲をラジオで耳にしたら、もう何もかも投げ出して部屋の真ん中で踊り出すと決めた。何もかもうっちゃって踊る。それぐらいしないと名曲に対して失礼だという気持ちがあった。
 それが情報化社会になり、いろいろなことがわかってきてついにはCDまでたどりつきました。いまでは映像さえ見られます。
 
 どんどんどんどん高揚していく曲調が素晴らしい。それでいてどこかしら哀愁が漂います。しあわせって寂しいね、みたいな感覚がある。
 いわゆる「一発屋」の形で終わってしまったらしいのですが、これだけの名曲を残せたのですからいいのではないかと思います。
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2014.04.19 15:52

 いろいろとご心配をおかけしました。昨日も(血圧のクリニックに行っただけで)自宅でじっとしていました。おかげさまでほぼ風邪は治りました。食べ物の味がしないとか電車のなかでどうしても座りたくなってしまうとか・・・感覚的な違和感だけは残っていますが、これはまた熱が上がりそうだという感じではありません。
 八重桜は今日も満開に近かった。樹の下で写真をとっていた親子連れがいました。近所では有名な樹なのかもしれません。
 
 ある中華料理店、私はおそらく5、6回入ったことがあります。町のラーメン屋さんですね。何でも提供しているお店です。雑誌が置いてあってテレビがついていて、カウンター数席とテーブル席が2つ3つあります。
 20年以上まえからあったように記憶しています。ご夫婦でずーっと営業している。正直に書いてしまうとあまりおいしくない。何を食べてもそれほどおいしくない。ただーーだからでしょうーーつねに空いている。そのせいで途中休憩もありません。待たずに必ず食べられる。ゆったり座れる。
 
 そうしたゆるさが魅力と言えば魅力であり、昨日のように体力的に弱っているときは(あそこで確実に食べよう)みたいな気持ちになります。だらだら雑誌でも見ながら食べればいいかなと。
 そのお店のすぐ近所には行列ができる有名なお店があります。そちらも親子経営の狭い中華屋さんで、雑誌やラジオ(テレビは見ないのでわからない)なんかには何度もとりあげられています。開店前から大行列です。私は列に並ぶのが苦手なので、そこでは2度しか食べたことがありません。
 
 きのうはゆるいほうのお店でチャーハンを食べてみました。ううむ・・・やっぱりあまりおいしくない。ご飯がべちゃべちゃした感じ。チャーハンは渋谷教室近くでもあちらこちらで食べ比べているのでそれなりに違いがわかります。町のラーメン屋さんの素朴なチャーハンです。具材が手に入らなくてという理由ではないでしょう。調理担当のおじいさん、お客は私しかいないのですからチェーン店のアルバイトの店員さんより丁寧に作れたはずなのですが。ひょっとするとーーご本人は無意識でもーーこの程度で十分だという気持ちがあるのかもしれません。
 
 工夫しなくてもいいやという気持ち。工夫したところでどうなるものでもないという気持ち。あるいは変に手間をかけたら面倒だという気持ち。
 もっとも私はお店に文句を言いたくてこんな文章を書いているわけではありません。私たち自身の生活のなかにもそうした無力感が潜んでいやしないかということですね。日々の勉強や仕事。ベストを尽くしていないということは自分自身わかっている。でもきのうもおとといも1週間前も1ヶ月前もこれでやってきたのだから、いまさら変えるのはかったるいという倦怠感。
 
 何十年も通用してきたのだからという自負もあるかもしれません。通用してきたのは事実でしょう。しかし、個人的にさらによくするには? と考えることは価値のあることだと思います。
 きのうのおじいさんだって作るときに鍋の振り方1つ、油の加減1つ工夫すればもうちょっと上手に作れたかもしれない。しかし一般的に「なぜこの瞬間からそうするのか?」という変な抵抗がそうした気力を阻害してしまいます。なぜこの瞬間から油を加減するのか? なぜこの瞬間から計算を丁寧にするのか? なぜこの瞬間から仕事場の環境を整理するのか? 同じことですね。
 
 なぜこの瞬間からなのか? なぜ明日から、来月から、新体制になってからではいけないのか?
 それは私たち全員がこの瞬間以外には生きていないからです。明日からはーー未来は来るかどうかわからない。自分だってあのころはーー過去はもう変えられない。
 自分の力で何とかできるのは、現在という言葉に置き換える隙間さえも存在しない(すぐ過去になってしまいます)この瞬間瞬間しかありません。
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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