2014.03.24 13:30

 おかげさまで、今日で物理的(?)にも息子は丸20年間生きてきたことになります。午前中に生まれました。なかなか生まれてこなくて大変でしたよ。彼の性格を考えると、世の中に出てきたがらなかったのも何となくわかるような気がします。
 私は昔から生きていることを「当然」だとは考えていません。20年間、息子も私も(もちろん家内も)よく無事で生きてこられたものだという感謝の気持ちを持っています。個人的な努力だけではどうしようもない部分がありますから。
 
 無事に生きてこられたのですから、自分たちだけで喜ぶのではなく世の中に少しでも還元できたらと思っています。仕事でも、仕事以外でも。
 息子とのコミュニケーションはずーっと良好でした。今日は模擬テストの業者さんによる高校入試結果報告会があったので早目に自宅を出ました。目が覚めた息子がせっかくの誕生日に1人ぼっちでは寂しかろうと手紙を残しておきました。ふざけたことばかり書いています。「20年間生きぬいたお祝いに真珠でも小判でも買ってやるぞ」と書いた。忘れているわけではないという気持ちさえ伝わればいいのです。
 
 彼が生まれた日、私は産院にしばらくいました。家内の具合いがよくなかったので、そちらも心配だった。当日は(何か理由があって)直接子どもには触れなかったと思います。真っ赤になって泣いている様子を母とながめていたことを覚えています。
 こりゃ大変なことになったぞと思いましたよ。私はいくつかの塾の講師をかけもちしながら売れない小説を書いていました。金銭的に安定しているとは言いがたい状況です。
 その晩、帰ってから珍しく吐いたのを覚えています。少し飲んではいましたが、酩酊していたわけではない。何か・・・連日緊張が続いて疲れてしまったのですね。この話はときどき息子にすることがあります。
 
 業者さんの報告会は道玄坂のビルが会場になっていました。新宿教室の国語のH先生と偶然帰りが一緒でした。年下ですが非常に頼りになる女性の先生で、駅までお互いの教室のことを話しながら歩きました。
 H先生とお別れして駅構内を出ようとしたところで、貧しい身なりのお婆さんに声をかけられました。あちらははっきり私を意識していたと思います。じつは以前も1度声をかけられたことがあります。小声で、100円でもいいですから・・・とおっしゃった。人目が気になって、私はやりすごしてしまいました。
 
 ただ「このやりすごした」は見栄や体裁からくるものであって、ああしたときにどう振舞うべきかという宿題は自分のなかに残されている感じです。あるいはどなたもいらっしゃらなければお金を渡したかもしれません。しかしそれも相手のためというより、私自身のエゴを満たすためであるように感じます。その証拠に100円では恥ずかしいと考えたりします。
 要するに私は生きるうえであと少しだけしっかりした「指針」が必要であると感じるのです。誰かの真似ではなく、ありとあらゆる場面で自分なりの「指針」に従って自然に行動するべきであると。自宅に帰ったら「大人になった」息子にもこの話をしてみようと思います。
 
 
 
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

プロフィール

プロフィール画像
長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

カレンダー

<<   2014年03月   >>
            01
02 03 04 05 06 07 08
09 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

新着記事

月別アーカイブ