2014.03.19 13:21

 高校入試の国語の問題ーーとくに論説文ーーはレベルの高い長文ばかりです。内容的に大学受験とそう変わりません。大人が大人のために書いている文章であって、子ども向けではありません。それも知的好奇心の強い大人向けに書かれたものばかりです。つまりコミック以外活字はまったく読まない大人ーー悪いというわけではないですよーーではなかなか理解できない高いレベルの長文が出題されます。それを10代半ばのあなたが短時間で理解しなければいけない。小手先で何とかなるものではないということをまず覚悟しないと。ちょこちょこと問題集をやればできるというレベルではないのです。
 
 文章を読んだあなたが何を考えるかというところにポイントはあります。へええだけではいけない。この問題について自分はこう思う。あるいは以前この件に関してはちょっと考えたことがあった。もしくは自分はこういうことを知らなかったが言われてみればじつに面白いーー何でもいいのですが、問いを解いて終わりではなくしばらく文章のなかで遊べないといけない。
 読解力がないのでどうしたらいいのだろうと質問してくる生徒は、だいたいこの「文章のなかにとどまってしばらく遊ぶ」ということをしていません。取り入れた情報を血肉にすることを面倒がっているのです。
 
 まだ子どもだからという油断は当然あると思います。ここまで難しいことを理解できなくても仕方がないじゃないかという気持ちですね。それはその通りかもしれません。ただいわゆる「一流」と言われる高校で出題されている論説文を見るかぎりにおいて、出題者の先生はその甘えを許していません。子どもだろうが何だろうがあなたはしっかりした人ですか? 大きな器を作っていますか? と問いかけてきます。
 今年のある難関校の入試問題でこういうのがありました。簡単にまとめてしまいますが、合格した生徒たちは「自力で」簡単にまとめたのですよ。
 
 秩序ある世界というのは、無差別な状態に切断線を入れてあちら側とこちら側の区別を立てることだというのですね。で、こちら側で団結する。あちら側は敵です。排除する。ですから「市民的社会」を作りだすことは、犠牲者作りを内にはらんでいる。つまり「排除されなかった幸運な私たち」は犠牲者作りに共同参加しているというのです。それが基礎的な人間のありかたなのだと。
 ふーん・・・ではないですよ。こういうものを読んではっとしないといけない。自分自身の世界に置き換えて考えてみることです。
 
 学校で、職場で、あるいは自分が所属している集団で、ちょっと冷たくされている人間がいないかどうか。その人がいないところで皆さんでその人のことを悪く言う。実際、ちょっと困ったところのある人なのかもしれません。まったく問題がないわけではないのでしょう。
 ただそうすることで私たちはこちら側の人間として安心していたい側面もある。ですから、その困った人がいなくなってしまうとべつの困った人を作り出す可能性があります。ぼんやりしていて自分が困った人にされてしまっては大変だからです。
 
 人間の性(さが)ではあるのでしょうが、文章を読んだあとで(自分がやっていることはそういう意味合いもあるのだな、少し振舞い方を考えてみてもいいかもしれないな)というところまで考えられているかどうか。
 情報を血肉にするというのはそういうことです。読んでも読んでも読解力がつかないと嘆いている方はそのあたりの心がけてみてください。すぐに効果が出てくると思いますよ。
 
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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