2014.03.31 10:45

 桜が咲いていますね。いきなりわーっと咲いた。行きと帰りで咲いている感じが違ったりして、本当に「いっせいに」という状況が伝わってきます。
 こういうことはしかし、細かく観察していないと気づきません。若いころは桜が咲こうが散ろうがどうでもいいという気持ちでした。全然意識しなかった。個人的に抱えている問題を処理するだけで精一杯だったのですね。自分のことしか見えていない。自分のことしか考えられない。
 
 きのうはお休みでした。教室自体が閉まっていました。天気が悪かったですね。
 息子はアルバイトがあって出かけていった。今月末でそのアルバイトーースーパーで働いていましたーーはやめるという。1度ぐらい様子を見ておこうかと思って、雨のなかを出かけて行きました。
 風がすごかった。途中で傘がこわれてしまいました。非常に気に入っていて長いこと使っていた丈夫な傘なのですが、骨が折れてしまいました。
 
 スーパーに入って息子を探しました。ちょうどゴミを処理しているところでした。大きなゴミ袋を整理していた。前に立ったのですが、全然気づきません。さらに近づいてじーっと立っていた。するとわかったのですね。いったい何しに来たんだ? という顔でこちらを見ている。私はそのまま歩いて商品の棚のほうへ移動したのですが、振り返って見ると依然として私の様子を凝視していました。息子は私のことを「危険な」人間だと思いこんでいるので、変なことをしないか心配だったのでしょう。気持ちはわからないでもない。
 
 自分が大学時代、アルバイト先に知り合いが来ると何となくいやでした。いろいろなアルバイトをしましたが、相手が肉親以外でもいやだった。働いている姿を見せたくなかったのです。息子にもそういう気持ちがあるかもしれません。
 そのあと彼はレジに入っていました。買い物だけ済ませてさっさと帰ろうと思い、ここはやっぱりお酒だろうとりっぱそうな(?)焼酎を買いました。レジに並ぶ。また来たのかという顔をちょっとしていました。ただ前後にお客さんがいるので何も言わない。私ももちろん何も言いません。
 
 接客態度は非常に丁寧でしたよ。小学生のころは暴れてばかりいて親が呼び出されたり(しかも複数回)していたのに、大人になったものです。
 レシートを手渡された。よく見ると担当者の欄に息子の名前が入っています。記念にとっておこうと思いました。お守りみたいな気持ちで財布に入れてあります。
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2014.03.29 14:21

 昔から政治の世界はあまり興味を持てないのですが、いろいろと大変な事件が起きているみたいですね。
 他者を何かで攻撃する。すると同じような要素で自分が他者から攻撃される。そうした現象は政治の世界だけでなく、昔から広く見られるのではないでしょうか。
 情けは人のためならず(正確な意味がわかりますか?)という諺がありますが、どういう理由であれ、他者をとことんまで追いつめるのは危険です。
 
 一般的にどうしても攻撃したくなるようなところは、自分のなかに何かある部分だったりします。どなたかがずるをしてお金をたくさん儲けた。すると攻撃したくなる。純粋に正義感からそうなさる方もいらっしゃるでしょうが、なかにはうらやましくてーー自分が儲からなかったのが悔しくてーー攻撃するケースもあるでしょう。
 世間のお金にまつわる不正事件にまったく腹をたてない人を私は知っていますが、ご本人がそもそもお金に全然興味がない。どうでもいいのですね。
 
 タレントさんの容姿をけちょんけちょんにけなす人なんかも観察しているとご自身のことをもっと認めてもらいたがっている場合があります。あの人ちっとも美人じゃないのにと言う。それによって何かを証明したい。私だって少しぐらい・・・という切ない要素がありそうです。
 去年首都圏で合格するのがいちばん難しい私立男子高校の入試問題に出た梶井基次郎の小説は、Z会進学教室のテキストに掲載されていたものとほぼ同じでした。兄が気の弱い弟を強く叱る場面です。弟はすぐにごまかそうとする。それをそんなことでどうするのだ! と兄は激しく叱責します。
 
 兄は自分で気づいています。自分もじつはいつもごまかそうとするタイプの弱い人間なのだと。それがいやでいやでたまらない。弟のなかに自分のいちばん醜いところを見るとかーっとなってしまって平常心ではいられなくなる。
 私は現在ありとあらゆる他者への中傷を控えることができるつもりですが、それは他者を非難したい気持ちがもたげたときに自分自身をすぐ分析するように心がけているからです。
 
 内側のことを解決することで他者への攻撃を回避することができます。うまいことやりやがって=うまく立ち回れない自分に腹をたてているな。儲けやがって=自分も贅沢をしたいだけだな。異性にだらしないくせに=異性からちやほやされなかったからうらやましがっているな。あいつはすぐサボるから=自分も休みたくて仕方がないんだな。すべてがそんな感じです。
 内側の問題にすることで他者に対して変なことは言わないで済みます。「人を呪わば穴二つ」と言いますね。攻撃的に生きればとんでもない方向から同じぐらいの攻撃を受けるものです。蒔いた種というわけで・・・気をつけないといけませんね。
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2014.03.28 10:43

 私たちが身体を強く意識するのはだいたいが不調を通してです。頭が痛い、歯が痛い、肩が凝る、目がかすむ・・・今年、花粉症の症状がほとんど出なくなって(とはいえいままでに3回だけ薬を飲みました)こうしたことをしょっちゅう考えます。
 毎年毎年、この季節は鼻をぐずぐずいわせて同じ症状の方に会うたびに「今日は花粉がすごいですねー」と嘆いてきました。つまり不調を通じて身体のことを常に考えていたわけです。
 
 今年、鼻がぐずぐすしないことを人さまにわざわざ吹聴しないまでも日々「調子がいいなあ」と強く意識しているかと言えばそんなことはまったくありません。ほとんど忘れているというのが正直な感想です。鼻がぐずぐすいわないこと=快調であることを半ば当然だと思っています。統計的に言えば当然ではないのに当然だと思っている。
 そのあたりに何かありますね。見失ってしまう何かが。きっちり見えているかどうかでずいぶん違ってくるでしょう。
 
 大雪が降ると大変だと嘆く。風が強い雨の日は傘もさせないと文句を言う。酷暑の日は日本も亜熱帯になってしまったのではないかと不安がり、冬の厳しい寒さにさらされてどうにかしてほしいと弱音を吐く。誰しもそういう要素はあると思います。
 で、春が来て暖かくなる。ずいぶん助かっているわけですが、冬を呪った回数ほどは春を賞賛しない。こういうのはお子さんを叱った回数ほどは褒めないのとどこか似ている心理ではないかという気がします。せめて叱った回数と褒めた回数が釣り合うといいのですが。できれば褒めた回数が多いほうが望ましい。褒めてばかりというのがいちばんいいとも思います。
 
 あたりまえのことこそが褒める部分なのですよ。暖かいことを褒めるべきであるのと同じように元気であることを褒めるべきだと思います。鼻がぐずぐずしないことを感謝すべきであるのと同じように食事をとってくれることを感謝するべきだと思います。
 自宅のまえが公園で、ときどきプロのコーチみたいな方(?)が子どもたちにサッカーを教えています。見ていると子どもの動作を見てしょっちゅう「そう! そう!」と褒めています。「そう! いまのいいよ」「そう! それでいい」「そう! ナイス」・・・で、ちょっとまずかったときは改めてお手本を示し、またすぐに「そう! すごくよくなった」と続きます。
 
 子どもたちは「そう!」と認められるのがうれしくていきいきとボールを追いかけている。認めてもらえるのは褒められるのと同じことです。考えてみればサッカーをするうえでは当然の動きなのでしょう。でも「そう!」のひと言が彼らを幸福な気持ちに、自分はやれるのだという気分にさせています。
 すべて同じだと思いますよ。もっと褒める。あたりまえのことでも「そう! よく起きた」「そう! よく食べた」「そう! 今日もよく学校から帰ってきた」と褒めるぐらいでちょうどいいのではないか。そんな風に感じます。
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2014.03.27 10:43

 Z会進学教室、今日から春期講習がスタートしました。今朝は4時半に起床です。5時半に起きるつもりだったのですが、何となく目が覚めてしまった。いくつになっても初日はそれなりに緊張します。
 自宅を出たのは7時半を過ぎていました。3時間好きなことができた。そのかわりちょっと眠いですね。休憩時間に10分ぐらいうとうとしようかと思っています。食事に出てもいつも1時間は使いません。何かのときのために残すようにしているのです。
 
 人生、思い残すことはほとんどないのですが、もう1度だけ犬を飼ってみたいと思っています。柴犬の子犬を飼いたい。いま住んでいるマンションでは犬を飼えないので、ちょっと考えなくてはいけません。
 あまり歳をとりすぎると犬より先にこちらが死んでしまう。それでは犬が困るでしょう。急がないといけませんね。犬に「いぬ」という名前をつけて呼びたいのです。「いぬ、こっちに来い!」と呼ぶと犬が走ってくるーーいい光景じゃないですか。昔飼っていた犬には「エル」という名前をつけていたのですが、「いぬ」のほうがずっと犬らしいと思います。
 
 猫なんかも本当は好きなはずなのですが、じつは母親が非常に猫を嫌っていたので自分の正直な気持ちがわからなくなってしまいました。私は生き物は好きな「はず」なのです。はずなのですが、猫を見ると何となく構えてしまう。そのあたりやはり両親からの影響は大きいですね。
 鳥だとか亀だとか飼いたい動物はいろいろいるのですが、死ぬまでにどこかでやはり犬を飼いたいですね。
 
 老舗のそば屋さんの裏メニューに「ぬき」というやつがあります。メニューには載っていませんよ。お酒のつまみにするものです。天ぬきだとか鴨ぬきだとか。天ぬきというのは天ぷらそばからそばだけぬいたもの、鴨ぬきというのは鴨南蛮そばからそばだけぬいたものです。
 汁の濃度も微妙に調整するらしいのですが、私はまだ注文したことがないので実際はどうなのかわかりません。これを死ぬまでに注文してみたいと思っています。若いのがそんなのを注文してもお店の人に(むりしちゃって)と笑われそうな気がしたので、こうして歳をとるのをひたすら待っていました。
 
 男58歳、そろそろ「お酒とぬきください」がさまになってきたのではないかとは思うものの、緊張しすぎて頼めた試しがありません。かなり難易度が高いと思っていますが、犬を飼うことと「ぬき」を頼んで老舗のそば屋さんでゆるゆると昼酒を飲むことは、死ぬまえにどうしてもやってみたい。
 寝不足で変なことを書いていますね。
 
 
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2014.03.26 14:05

 相変わらず妙なところを1人でうろうろしています。忙しいのですよ。忙しいからこそ行けるときに思い切って行くのです。
 先日、大島に行きました。あ、島ではないですよ。都営新宿線の大島です。そこに昔から行ってみたかったEという酒場があります。知ったのは1998年でした。「下町酒場巡礼」という名著で知りました。ぼんやりしていると行かないまま死んでしまうのでは? と心配になって、仕事の終わりが早かった日に1時間ぐらいかけて行ってきました。
 
 しかし、今日書きたいのは酒場の話ではありません。
 都立のK高校が甲子園に出場しましたね。K高校に合格するのは非常に大変です。今年この教室からは数人の生徒が合格をいただきましたが、楽に入れる高校ではありません。それなりに猛勉強して備える必要があります。
 そのK高校がどうしてこんなに野球が強くなったのか。秘密を探る番組がお店の大きなテレビに偶然流れていました。
 
 それこそ文字通りの「文武両道」ということになります。野球部の皆さんは勉強もよくできる。できるというより、K高校に通うかぎり勉強しないという選択肢はないでしょう。野球一筋(それもまた立派な生き方だと思います)ということであれば、ふさわしい高校がいくつもあるはずなのでそもそもK高校に進学しようとは考えなかったはずです。
 練習時間も場所も限られている。そこで監督の先生が「考える野球」をさせるためにノートをつけさせていました。身体に覚えさせる時間が少ないので、どうしたら少しでも強くなれるのか1人1人にとことんまで考えてもらいたいということなのですね。
 
 勉強に例えると復習の大切さですね。野球部の方が書かれたノートの1部が画面に映されていました。非常にしっかりした文章を書く。それもけっこう長文でした。きっちりとわかりやすく考えをまとめている。たいしたものですよ。反省日記みたいな要素もありました。
 衝撃を受けたのは中心選手のつぎのような記述でした。やるべきことに優先順位をつけている。①②③とあった。あなたならどう書きますか。部活はどこにきますか? 甲子園に出場するようなチームの中心選手(4番を打っている方だったと思います)でさえこう書いていた。
 
 ①に生活、②に勉強(!)、③に部活(野球)でした。
 酎ハイのグラスを片手に思わず小さくうなりましたよ。勉強のほうが上位に来るのか! という衝撃を感じました。
 いいですか。野球のために生活も勉強も犠牲にして・・・ではありません。ここは中学生(高校生)の方も考えてくださらないといけない。それこそ野球選手として生きていく覚悟があれば話は別ですが、中学1年2年ぐらいで「部活が忙しいので勉強の時間がまったくとれません」というのははっきり本末転倒だと思います。
 
 部活が忙しくて・・・と言う弁解めいた言葉のどこかに「好きなことだけをしていたい」「できれば勉強はしたくない」という気持ちが潜んでいたりしませんか。
 そういうことではやはりK高校のようなレベルの高い高校には受からないのです。と言うより、レベルの高い高校で勉強する資格に欠けることになると思いませんか。
 しっかりした生活(自力で起きるとか身のまわりを整理整頓するとか)があり、つぎに勉強があり、そのうえで部活がある。甲子園に出るような生徒(ちやほやされることも多いでしょう)でも優先順位を見失っていないのは、さすがだと感心しましたよ。
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2014.03.24 13:30

 おかげさまで、今日で物理的(?)にも息子は丸20年間生きてきたことになります。午前中に生まれました。なかなか生まれてこなくて大変でしたよ。彼の性格を考えると、世の中に出てきたがらなかったのも何となくわかるような気がします。
 私は昔から生きていることを「当然」だとは考えていません。20年間、息子も私も(もちろん家内も)よく無事で生きてこられたものだという感謝の気持ちを持っています。個人的な努力だけではどうしようもない部分がありますから。
 
 無事に生きてこられたのですから、自分たちだけで喜ぶのではなく世の中に少しでも還元できたらと思っています。仕事でも、仕事以外でも。
 息子とのコミュニケーションはずーっと良好でした。今日は模擬テストの業者さんによる高校入試結果報告会があったので早目に自宅を出ました。目が覚めた息子がせっかくの誕生日に1人ぼっちでは寂しかろうと手紙を残しておきました。ふざけたことばかり書いています。「20年間生きぬいたお祝いに真珠でも小判でも買ってやるぞ」と書いた。忘れているわけではないという気持ちさえ伝わればいいのです。
 
 彼が生まれた日、私は産院にしばらくいました。家内の具合いがよくなかったので、そちらも心配だった。当日は(何か理由があって)直接子どもには触れなかったと思います。真っ赤になって泣いている様子を母とながめていたことを覚えています。
 こりゃ大変なことになったぞと思いましたよ。私はいくつかの塾の講師をかけもちしながら売れない小説を書いていました。金銭的に安定しているとは言いがたい状況です。
 その晩、帰ってから珍しく吐いたのを覚えています。少し飲んではいましたが、酩酊していたわけではない。何か・・・連日緊張が続いて疲れてしまったのですね。この話はときどき息子にすることがあります。
 
 業者さんの報告会は道玄坂のビルが会場になっていました。新宿教室の国語のH先生と偶然帰りが一緒でした。年下ですが非常に頼りになる女性の先生で、駅までお互いの教室のことを話しながら歩きました。
 H先生とお別れして駅構内を出ようとしたところで、貧しい身なりのお婆さんに声をかけられました。あちらははっきり私を意識していたと思います。じつは以前も1度声をかけられたことがあります。小声で、100円でもいいですから・・・とおっしゃった。人目が気になって、私はやりすごしてしまいました。
 
 ただ「このやりすごした」は見栄や体裁からくるものであって、ああしたときにどう振舞うべきかという宿題は自分のなかに残されている感じです。あるいはどなたもいらっしゃらなければお金を渡したかもしれません。しかしそれも相手のためというより、私自身のエゴを満たすためであるように感じます。その証拠に100円では恥ずかしいと考えたりします。
 要するに私は生きるうえであと少しだけしっかりした「指針」が必要であると感じるのです。誰かの真似ではなく、ありとあらゆる場面で自分なりの「指針」に従って自然に行動するべきであると。自宅に帰ったら「大人になった」息子にもこの話をしてみようと思います。
 
 
 
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2014.03.23 12:11

 よりよく生きる。それに尽きますね。つくづくそう感じます。大きな目標を掲げることで、かえって現状が見えなくなっている人もいる。見えなくなるというより、見ないようにしている。若いときはどなたでも多少そういう傾向があるかもしれません。おれ(私)だっていつの日か・・・と大望に燃えながら、その日その時はつまらなく消化してしまう。
 たとえば何かーーアルバイトでもいいのですがーーたいして面白くない仕事を任される。こんなのバイトだからといい加減にやってしまう。それだけで済めばいいのですが。
 
 昔、チラシ配りのアルバイトをしている大学生と話したことがあります。
 その彼があっけらかんと言うわけです。「ほとんど捨てちゃってますよ」と。「ゴミ収集車が来るじゃないですか。時間を見計らってまとめて袋に入れて置いておくとぜんぶ持っていってくれますよ」
 こっちは心配になって大丈夫なのかね? と訊きました。するとそこは考えていて、場所を大移動している。遠くまで電車で運んでから捨てる。先輩からその方法を教わったというのですが、バレても所詮バイトですから・・・という言葉通りで済むのかどうか。
 
 お金を得るために仕事(アルバイトもりっぱな仕事です)をするわけで、それはまあ寝てばかりいるわけにはいかないでしょう。せっかく仕事をするのなら、自分が面白いと思えるような仕事をしたらいいですね。あるいは選んだ仕事を面白いと感じられるように工夫や努力を重ねるべきだと思います(勉強も同じです)。
 彼にしてみれば、一流大学に通っている自分がチラシ配りなんかという気持ちがあったのでしょうが、真剣にやらなくてもという感情は別の場面でも出てくるのではないかと心配になります。
 
 若いころ、大手塾で同僚だった先生でもいらっしゃいました。資格試験を受けている。教えることはアルバイトなので、生徒の出来なんかどうでもいいと仲間のまえでは公言していました。チラシを捨ててしまうのと同じですね。何十年も昔の話ですが、ああいう考え方がクセになってしまうと仮に資格がとれてもうまくいくのかどうか。
 よりよく生きるということは、この瞬間からよりよくということです。まず歩く姿勢を正すことから、呼吸をきちんと整えるところからスタートする。
 
 そういうことをさかんに考えるようになりました。
 きのうは回転寿司のお店でカニ汁というのを飲んでみました。おいしかったのでちょっと慌て気味(?)に飲んだ。気づいてみると口のなかをやけどしていました。薄い皮みたいなのが剥がれるときがありますね。ああいう感じになりました。
 直後にこの1点だけをよりよくしようと考えた。落ち着いて行動するということです。よりよくしなければならないことは大量にあります。しかし、目先のことをまず大切にする。
 
 合格であるとか偏差値を上げるとか仕事で昇進するとか給料を増やすとかーーあるいはスターになりたいとか有名人になってやるぞとかーーぜんぶ大切なのはよくわかります。しかし、だから部屋が散らかっていることぐらいどうでもいい、うっかり忘れ物をするのは仕方がない、脱いだものは畳まなくてもいいだろう、アルバイトなんか適当で構わない・・・と考えているとしたら、ちょっともったいないと思います。よりよく生きて得するのは他ならぬ私たち自身なのですから。
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2014.03.22 12:51

 高校時代の話です。友人がいた。お互いにじつはあまり友情を感じていませんでした。功利的(?)な意味でのつきあいだったのです。
 その男の家に何度か遊びに行きました。話が合わないわけではないので、それなりに楽しかった。ちょっとマザコンみたいな男でした。かなり深い部分で母親に依存している。ただそんなことがわかるようになったのは高校を卒業して何十年もたってからのことです。
 
 商売をされていたのですね。その関係でときどきご馳走を作る。昭和40年代のお話です。豪華なちらし寿司でした。ご馳走を記念日に来てくださった方に振舞うのです。
 私はお客ではなかったのですが、ちょうどそこにいた関係でご馳走になりました。考えてみればそうやってお客さんでにぎわう日に遊びに来ている息子の友だち(私のことです)は迷惑な存在だったでしょう。自分もそこまでは気づかなかった。遊びに来いよと言われるままに出かけていってしまいました。
 
 男のお母さんが彼の部屋にちらし寿司を2つ運んできてくださいました。男はおいしいかとじつにうるさく訊ねてくる。母親の料理が自慢なのですね。米がどうの、卵がどうの、酢加減がどうのとうるさいことうるさいこと。確かにおいしいのですがあまりにも講釈だらけでおちおち味わってもいられません。
 私の反応が不満だったのでしょう。男は本当においしいと思うなら土産に持って帰れと言い出しました。お土産のために大量に作っているのだそうです。彼は私を試すように「おいしいと思ったなら家族にも食べさせたいはずだろ?」と言う。
 
 さすがに図々しいと思ったので「お土産はいいよ」と断ろうとした。すると傷つくのですね。「やっぱりおいしくないんだな」としょんぼりする。しょんぼりするだけではなく、おいしくないならおいしくないとはじめからはっきり言えばいいじゃないかとふてくされる。
 困りましたよ。私は仕方なくおいしいから家族の土産に持ち帰ろうかなと言いました。そうするしかないと覚悟を決めた。男は喜んで母親に知らせに行きました。
「長野がおいしいから2人前持ち帰りたいってさ!」
 
 すると私は彼のお母さんに呼ばれました。怒られましたよ。それこそ図々しいにもほどがあると。怒りが伝わってきました。「仕方がないですから」とお母さんはおっしゃる。「あなたの分だけはさしあげましょう。でもこちらにだって都合というものがあります。あくまでもあなたがお食べになる分だけです」
 あとから来た肝心の息子は母親のまえでは知らん顔です。私は私で何も言えませんでした。自宅に帰って食べたものの、さきほどのようにはおいしく感じませんでした。
 
 この話はときどき思い出します。そのたびに「あれは誤解だ」と心の中で呟きます。心の中どころか、ときには声に出して「あれは誤解だ」と言ってみることさえあります。だれよりも気の弱い自分がよりによって図々しいと思われてしまったわけで、しかしその誤解を解く機会はとうとう与えられませんでした。
 世の中にはじつはこうしたことがたくさんあるのではないかと思います。
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2014.03.21 13:45

 ギターの弦なんかはきつく張りすぎてもよくないですし、逆にゆるゆるでもよくないですね。きつすぎるとすぐに切れてしまいます。ゆるすぎたら音が出ません。あくまでも「ちょうどいい」強さでということが求められています。
 人間の生活もそうですね。勉強生活、学校生活、家庭生活、恋愛生活、選手生活・・・何でもそう。きつすぎてもいけない。ゆるすぎてもいけない。何かうまくいっていないとしたら、それはだいたい楽器そのもの(=人間)が悪いのではなく、弦の張り方が悪いのです。きつすぎるのではないか? ゆるすぎるのではないか?
 
 疲れ果ててしまったのはご自身に非があるとは限りません。ご自身を責めないことです。ちょっと計画がきつすぎた可能性があります。弦をゆるめるといいですね。
 逆にーーたとえば全然成績が上がらないーーのは勉強計画がゆるすぎるのではないですか。必ずしも時間数だけのお話ではありません。全力で心をこめて丁寧に勉強しているだろうかと自問してみてください。たえず音楽を流したり、ときどきメールをチェックしたりしながらだらだらと机に向かっている日はありませんか?
 
  あくまでもバランスが大切です。やる気というのはがむしゃらに一方的に突っ走ることではありません。きちんと計画をたて「よりよい人間になるために」「向上していこう」という意志こそがやる気の正体です。やる気があることをむりをずっと持続することなどと勘違いしないでください。人生は罰ゲームではありません。
 質をよく生きようという意志を持ち、どこまでもあきらめずに試行錯誤し続けることこそ「やる気がある」生き方と言えるでしょう。
 
 私たちにはどうしても使わなくてはいけない生活時間というものがあります。寝ないといけない。食べないといけない。学校や職場に行かないといけない。お風呂に入ったり歯を磨いたりしないといけない。おうちのお手伝いや決められたボランティア活動をしないといけないという方もいらっしゃるかもしれませんね。
 残った時間をバランスよく使えるかどうか。子どものときから勉強ばかりでは早晩破綻してしまうでしょう。かと言って、勉強時間は皆無で部活と遊ぶだけではうまくいかなくなるのは目に見えています。
 
 バランスをどう保つか。
 子どもたちに何かを強制するのであれば、指導者(大人)はバランスについて考えてやらなければいけないと思います。たとえば私の立場で言えば、毎回やりきれない宿題を課したり萎縮するほど厳しく叱ったりしてはいけないということです。
 あくまでもご本人の人間としての向上を願い、むりなく緊張感を保てる指導を工夫する。そうした気持ちは大切だと思っています。
 
 
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2014.03.19 13:21

 高校入試の国語の問題ーーとくに論説文ーーはレベルの高い長文ばかりです。内容的に大学受験とそう変わりません。大人が大人のために書いている文章であって、子ども向けではありません。それも知的好奇心の強い大人向けに書かれたものばかりです。つまりコミック以外活字はまったく読まない大人ーー悪いというわけではないですよーーではなかなか理解できない高いレベルの長文が出題されます。それを10代半ばのあなたが短時間で理解しなければいけない。小手先で何とかなるものではないということをまず覚悟しないと。ちょこちょこと問題集をやればできるというレベルではないのです。
 
 文章を読んだあなたが何を考えるかというところにポイントはあります。へええだけではいけない。この問題について自分はこう思う。あるいは以前この件に関してはちょっと考えたことがあった。もしくは自分はこういうことを知らなかったが言われてみればじつに面白いーー何でもいいのですが、問いを解いて終わりではなくしばらく文章のなかで遊べないといけない。
 読解力がないのでどうしたらいいのだろうと質問してくる生徒は、だいたいこの「文章のなかにとどまってしばらく遊ぶ」ということをしていません。取り入れた情報を血肉にすることを面倒がっているのです。
 
 まだ子どもだからという油断は当然あると思います。ここまで難しいことを理解できなくても仕方がないじゃないかという気持ちですね。それはその通りかもしれません。ただいわゆる「一流」と言われる高校で出題されている論説文を見るかぎりにおいて、出題者の先生はその甘えを許していません。子どもだろうが何だろうがあなたはしっかりした人ですか? 大きな器を作っていますか? と問いかけてきます。
 今年のある難関校の入試問題でこういうのがありました。簡単にまとめてしまいますが、合格した生徒たちは「自力で」簡単にまとめたのですよ。
 
 秩序ある世界というのは、無差別な状態に切断線を入れてあちら側とこちら側の区別を立てることだというのですね。で、こちら側で団結する。あちら側は敵です。排除する。ですから「市民的社会」を作りだすことは、犠牲者作りを内にはらんでいる。つまり「排除されなかった幸運な私たち」は犠牲者作りに共同参加しているというのです。それが基礎的な人間のありかたなのだと。
 ふーん・・・ではないですよ。こういうものを読んではっとしないといけない。自分自身の世界に置き換えて考えてみることです。
 
 学校で、職場で、あるいは自分が所属している集団で、ちょっと冷たくされている人間がいないかどうか。その人がいないところで皆さんでその人のことを悪く言う。実際、ちょっと困ったところのある人なのかもしれません。まったく問題がないわけではないのでしょう。
 ただそうすることで私たちはこちら側の人間として安心していたい側面もある。ですから、その困った人がいなくなってしまうとべつの困った人を作り出す可能性があります。ぼんやりしていて自分が困った人にされてしまっては大変だからです。
 
 人間の性(さが)ではあるのでしょうが、文章を読んだあとで(自分がやっていることはそういう意味合いもあるのだな、少し振舞い方を考えてみてもいいかもしれないな)というところまで考えられているかどうか。
 情報を血肉にするというのはそういうことです。読んでも読んでも読解力がつかないと嘆いている方はそのあたりの心がけてみてください。すぐに効果が出てくると思いますよ。
 
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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