2014.02.28 10:59

 都立高校の合格発表日なのでいちおう教室で待機しています。合格した方、残念だった方、連絡をくださる方がいらっしゃるかもしれません。
 数年前、自分の息子が都立高校(難関校ではありません)に合格して自宅から塾に連絡しているところを偶然目撃しました。私からは合格しても不合格でもお礼を伝えるように言ってありました。「合格したよ」というような口の利き方だったので、電話を切ったあとでもう少し敬意を払って接したらいいよと注意をした記憶が残っています。
 
 息子が通っていたのはいわゆる町塾でした。中学の友だちと自転車で通っていた。当時はあまり勉強を好む感じではなかったので、こちらの期待が大きすぎると大変だろうという気持ちでした。むりのない範囲で、まあ人さまからばかにされない程度に勉強してくれたら高校はどこでもいい・・・ぐらいでした。
 少年時代、私は周囲から期待されることが非常に負担だった記憶があり、息子には同じ思いをさせたくないと考えていました。むりのないようにということばかり配慮していた気がします。
 
 5年たつのですね。最近は、20歳の誕生日が来たら一緒に飲みに行こうぜなどと約束しているのですから時間がたつのは早いものです。
 Z会進学教室は3月から新年度に入ります。新年度は火曜日、木曜日、金曜日のどこかでお休みをいただくことになると思います。うまくいけば週休2日とれるかもしれませんし、うまくいかなければもちろん出てきます。仕事に来るのがいやというような感情は現在の私にはほとんどありません。働きたくてもーーいろいろな意味でーー遠くない将来働けなくなるかもしれないので、お役にたてるあいだはお役にたちたいという気持ちです。
 
 ときどき、ブログが更新されていないと私の健康状態を心配してくださる方がいらっしゃいます。私みたいなつまらない人間のことを気にかけてくださって本当にありがとうございます。基本的にーーいままで1度も例外はありませんがーー仕事に来た日は必ずブログを更新します。半休という半分お休みの日も書くようにします。
 火曜日、木曜日、金曜日のどれかで更新されていない日は休んでいる可能性がありますのでご安心(?)ください。
 
 このブログを書いているあいだ、いくつか合否連絡がありました。残念な結果にもかかわらずわざわざいらしてくださった生徒もいました。すべては「いまから」「ここから」です。それは合格しても同じですね。人間の生活には「いまから」「ここから」以外の何もないのですから。
 勉強してーー結果(というより本当は経過)がどうあろうともーー損をすることは決してありません。勉強できる環境にいるというだけでじつは世界における勝利者(世の中にいずれは還元しないといけませんよ)なのですから、気持ちを落ち着けてこの先ますます頑張ってくださったらいいと思います。
 
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2014.02.26 13:26

 私がいちばん将棋が強かったのは30歳~35歳ぐらいのときでした。いわゆる町道場、少し甘めのところでは4段で勝ち越せましたし厳しめのところでも3段で勝ち越せました。
 まあ、趣味ですからね。そんなに目の色を変えてやっていたわけではありません。プロの先生方でさえ40代50代になると棋力が落ちてきます。私ももちろんそうです。現在はインターネットで指すだけですが、よく負けるようになりました。
 
 ただ3段4段の人に負けるのは仕方がないのでしょうが、もっともっと低い棋力の方にまで負けるようになりました。2級ぐらいの方に負けると、さすがにこれはちょっと衰えすぎではないかと情けなくもなってきます。
 過去、何度かそう感じて勉強をしました。たとえば流行りの戦法の定跡をざっとおさらいする。これは一瞬勝率が上がりますが、その戦法を使えなかったりすると効果がありません。プロ棋士の実戦譜を並べてみたり詰将棋を考えてみたり、いろいろ手は尽くしました。
 
 それなりに成果があったようなないような・・・そのうち、いつも生徒たちに話しているように基礎の基礎から勉強しなおしてみたらどうだろう? という気持ちになりました。将棋を習いはじめた人が勉強するようなことをばかにしないでもう1度やってみるということですね。
 で、駒落ち将棋の本を並べはじめました。たとえば6枚落ちの指し方。その定跡を1手1手解説を読みながらじっくり並べてみた。皆さんの勉強に例えたら、教科書を音読しながらノートに書き写すような地道な勉強です。
 
 正直な気持ちとしてはたとえば6枚落ち(上手は王さまと歩と金銀しかありません)であれば、私はプロの先生にだって勝てるのではないかと思います。定跡なんか知らなくても、平手と同じ指し方でおそらく勝てるでしょう(4枚落ちだと危ないかな)。
 ところが、そうやって1手1手並べていくと「勝つ」という将棋が持っている最大の命題以上の何かが出てくるのです。専門的になりますが、たとえば香車が9ニというマス目に成っても9三というマス目に成ってもどちらでも間違いなく勝ちます。結果は100%同じです。しかし、9ニではいけない明確な理由があるのです。
 
 それは目先の勝ち負けがどうこうという理由ではありません。将棋の本質から考えての理由であって、いずれべつの局面で必ず役にたつ考え方なのです。いわゆる「本筋」というやつですね。
 毎日少しずつ勉強していました。勉強をはじめてひと月、めきめき勝率が上がってきましたよ。現在は10連勝以上しています。やっぱりいくつになってもきちんとした勉強をしないといけないのだなとつくづく思いました。生徒にはいつも基本的なことをばかにしないで丁寧に毎日続けなさいなどと偉そうなことを言っていたのですが・・・
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2014.02.24 13:24

 今日は都立入試の日ですね。この件についてはあえて触れません。ごくろうさまでした。結果はどうなるかわかりませんが、万が一思ったような結果が出なくても持っている幸せについては見失わないようにしてください。

 私自身の担当する授業ではそんなお話もしました。「殺されるわけではないのだから」と。今後も勉強を続ける自由も権利もいくらでも与えられています。どこで学んでも勉強は勉強です。ご本人と人類の集積してきた叡智と、1対1みたいな関係です。

 

 その気になればおいしいご飯を食べられたり温かいお風呂に入れたり好きなテレビを見られたりふかふかの蒲団のうえで眠れたりという小さな幸せも大切に。喜ぶにしても悲しむにしても荒っぽくなってはだめです。繊細さを大切にしないと。荒っぽく生きてしまうと大人になって人生全体が不安定になります。こういうことは年寄りだから言えるのです。

 いわゆる「太く短く生きればいい」という考え方もあるのですが、生きているうちに少しだけ長く生きてみたくなったりして豪快に生きることとの整合性がうまくとれなくなってくるケースをときどき目撃します。

 

 まあ、ちょっとゆっくりしてください。で、つぎに何をしますか? 勉強ですね。上級の学校に進むということは、遊びに行くのではなくいろいろなことを勉強しに行くのです。中学校でも高校でも大学でも大学院でも同じことです。

 さて、全然関係のないお話を書きます。私の学生時代の知人で大変有名な人間がいます。どれぐらい有名かというと、ちょくちょくテレビに出ている。相手は私のことをよく覚えていないと思いますが、こちらはいつも応援しています。そういうものですよ。宣伝したりはしませんが。

 

 学生時代から彼は大物感を漂わせていました。ひとかどの人物になるだろうということは、私を含めて周囲のだれもが予想していた。

 ここが難しいところ。成績が1番とか先生に認められているとかそういう単純なことではないのですね。勉強はもちろんできるのですが、そこに彼の焦点はなかった。ですから、成績が悪かった自分も相手にしてもらえました。人生観みたいなものでしょうね。ひとかどの人物になるために何をしたらいいのかということが大きく見えていたのではないか。設計図が大きかったのですね。

 

 校則を破ったりもしていましたよ。決して「いい子」になろうとはしなかった。ただし弱いものいじめをしたり卑劣ないたずらをしたりということはありませんでした。制服のズボンの裾幅なんか人間の本質と全然関係ないのにと彼が苦笑していた姿を覚えています。

 私は彼に憧れてーー変な意味ではないですよーー彼の真似をよくしていました。彼がオレンジ色のワイシャツ(!)を買ったときは私もすぐに同じようなシャツを探した。彼が髪を伸ばしはじめたときは私もすぐに髪を伸ばしました。

 

 私たちはもう何十年も前に行き来がなくなりましたがーー私は学生時代のすべての仲間と別れてしまっています。そういう人間なのですーー現在の自分のなかにもやはり彼の影響が残っています。具体的に説明するのは難しいのですが、10代で受けた影響はやはりすごく大きいですね。

 彼は昔こんなことを言っていました。「おれは変わった人間なのではなく、世の中が退屈なのでわざと変なことを言ったりしたりしているだけなのだ」と。私はときどき、自分もそうなんだよと心の中で呟くことがあります。

 

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2014.02.23 10:43

 将棋の升田幸三元名人の名言です。升田名人はかなり個性的な先生だったそうで、こうした名文句も単純にご自身の自慢話として語られていたみたいですよ。
 子どものころ、私は升田先生がテレビでインタビューを受けているシーンを見たことがありました。何だかメチャクチャなことをおっしゃっていた。インタビュアーは大笑いしているのですが、大量の作り話も混じっている感じがしました。サービス精神が旺盛だったのでしょうね。
 
 升田先生、眼光はあくまでも鋭く風貌は古武士のようです。私は晩年の升田先生を偶然中央線のなかでお見かけしたことがありました。例によってドアにもたれかかって立っていると阿佐ヶ谷駅から着物姿の宮本武蔵みたいな人が乗ってきた。それが升田先生でした。奥さまが一緒にいらっしゃった。
 足元がちょっと危ない感じではありましたが、ものすごい存在感。はじけるように若者が席を立ちました。升田先生だと気づいていたのかどうか。只者ではないと感じただけかもしれません。先生は片手をちょっと上げよろよろと腰を下ろした。
 
 おー、生の升田幸三を見たぞ! と感動したのですが、そんなことを話す相手がいません。どこかで家内には話しましたかね。ふーん・・・ぐらいで終わりです。京都の路線バスの車内で沢田研二さんを見かけた話のようには乗ってこない。
 じつは昨晩、元生徒らしき若者ーー男性でしたーーから相談を受ける夢を見ていました。長い長い夢で、どこかで目を覚ましながらさらに続きを見たような印象まで残っています。
 
 正確には覚えていないのですが、組織のなかで自分が正当に評価されなくていやになってしまったという相談でした。社会人になった昔の生徒からたまにそんな相談を受けることがあるのです。
 私は彼に、確かにきみはものすごく能力が高いと思うと言いました。またきみより立場が上の人でも組織内であまりきちんとしているように見えない人間もいるかもしれない。しかし、そのゆるさこそがじつは世の救いでもあるのだと力説しました。
 
 きみね、たどりきていまだ山麓という言葉の意味がわかるかね? と夢の中で私は偉そうに語っていました。いかにも自分が考え出したみたいに。
 目覚めてから「あれはぜんぶ升田先生の受け売りだったな」と思うとおかしくて仕方がない。私にはそういういい加減なところがあります。まあ、それこそそのゆるさがいいのですよ。スキだらけなので、歳をとっても中学生とうまく話せるのだと思います。
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2014.02.22 09:12

 ずいぶん昔のことですが、辞書をぜんぶ読むと張り切っていた中学生がいました。大きな辞書です。広辞苑か何かですね。自分は物を知らない、常識がない、言葉も知らない、国語ができない・・・だから辞書をぜんぶ読むことにしたというのです。
 おいおいとは思いましたが悪いことではないのでまあ、むりのない範囲で読んでご覧よと言いました。しばらく本当に読んでいた。けっこう面白いですよと言っていました。
 
 私もときどき広辞苑をただ読んでみることがあります。純粋な好奇心からですね。「へまむし入道」というのを見つけたときはふーんと感心しました。へのへのもへじみたいなやつですが、見事に絵ができあがる。
 辞書を読むまではいかなくても、用があってひいたときはそのページぐらいはながめるクセをつけられるといいと思います。これがやり出すとなかなか面白い。新しいことを知り、あやふやなことをはっきりさせる喜びが感じられるようになると思います。
 
 そういう意味では紙の辞書のほうがいいですね。大きな視野で見ることが可能です。先日は偶然「松の葉」という言葉の意味を知りました。ひょっとすると常識なのかもしれませんが、お恥ずかしいことに私は知りませんでした。「寸志」と同じだそうですね。
 中学生の方は「寸志」の意味をご存じなくても仕方がないですね。僅かな贈り物ぐらいの意味があります。それを「松の葉」と表現するときがある。贈り物の上書きに書くというのです。知らなければ「松の葉? 変なものを贈ってきたな」ということになってしまいます。
 
 さらに調べていくと「松の葉に包めるぐらいのもの」という謙遜の気持ちがこめられているということがわかりました。目上の方に何かを贈るときに使う。
 英語の辞書を読むのが好きという生徒もいます。これは相当数いましたよ。単純に英語が好きなのですね。休み時間に女の子同士で「何とかって単語の意味なーんだ?」などと遊んでいるところを目撃しました。よく聞く単語が出てきた。ところが大人の私まで意味を忘れてしまっていました。あとでこっそり調べましたよ。
 
 勉強と完全な娯楽のあいだに中途半端な領域があります。歴史マンガを読むとかテレビの教養番組を見るとか科学館や水族館に行くとか、勉強の一種ではあるけれども遊び心を持てる世界が存在します。
 そういう領域を大切に考えてくださったらいい。勉強ができる人は勉強以外の生活で勉強に近いことを取り入れています。そのあたりにも少し光をあててみてください。
 
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2014.02.21 13:12

 心構えみたいなものを訊かれることがあります。平常心ですよ。ふさわしい人間であればふさわしい結果を得るものです。逆にふさわしくない要素ーー努力の欠如だとか見栄だけであるとか強制された選択であるとかーーが大きければ、いい結果を得られないこともあり得ます。それはどの世界も同じだと思いますよ。
 よく将棋のプロ棋士の方が「あの大一番に勝っていれば自分の人生は変わっていた」というようなことを書かれています。そういう大一番というのがあるのですよ。
 
 九分九厘昇級できそうだったのに最後に信じられない相手に敗北して昇級を逃したとか、連勝して相手を追いつめていたのに連戦連敗してタイトルを失ったとか。そういうことはままあります。残念だった棋士は「あれに勝っていたら人生は変わっていただろう」と言います。
 一方で、そういう負けを経験しながらもやっぱり勝ち進んでいくすごい棋士もいます。見ているとどんなに強い先生でもやはり信じがたいーーダメージが相当残るであろうーー敗北を喫することがあるのです。それこそ詰めをうっかりしたとかあと1勝というところまで来ていながら、まさかの3連敗4連敗で負けたとか。
 
 しかし、そういった強い棋士は「あれに負けたから自分はだめになった」とは決しておっしゃらないですね。要するに「勝っていたら人生は変わっていた」というのはある意味で真実かもしれないのですが、「負けてしまったから人生がだめになった」と嘆くようなやわな精神ではやはりトップに立てないということなのだろうと思います。
 手痛い敗北のあとはまた当然のように勝ち進み、淡々とタイトルを獲得したりしています。自分にはこの地位が当然であるというように。
 
 現在の棋士の先生方は紳士ですから、インタビューなんかでは「運がよかった」みたいなことをおっしゃっていますが、内心は自分が勝つのはある意味で当然ーーふさわしい努力を心がけているということですーーだと思っていらっしゃるのではないかと感じることがあります。野球選手なんかもそうですね。
 あなたがふさわしいのであれば結果は必ず出ます。目先のどの学校に進もうとも、ふさわしい人間であればふさわしい結果を得るでしょう。幸福な人は数え切れないぐらいいるわけですが、全員が同じ学校の出身者ではありません。それぞれがそれぞれの道で、ふさわしい幸福を得ているということですね。
 
 落ちたらどうしようとか認められなかったらどうしようとか、いらいらされる気持ちはよくわかりますが、ご自身を小さく評価するクセをつけてしまわないように。いつも書くように肩書き以上に「頑張れる自分でいる」「頑張れる自分を信じられる」ということのほうがはるかに大切です。
 いずれ大人になるとふさわしい肩書きが向こうから飛びこんできます。落ち着いて「なりたい自分にふさわしい人間になるのだ」と考えて行動してください。この行動というのは勉強のことだけではありません。日常生活のすべての行動ということです。
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2014.02.20 14:02

 長いこと生きていますから思い出がいっぱいあります。いい思い出もあればそうでもない思い出もあります。ただ楽しくない思い出をあえて何度も思い出そうとすることはないので、基本的にはいい思い出だけが残っています。
 また美化しすぎてどこまでが本当だったのか正確にはわからなくなってしまったようなものもあります。お若い方には信じがたいお話だと思うのですが、本当にそういう「思い出」があるのですよ。
 
 若いときーー高校時代ですねーー友だち3人と海に行きました。泊まりがけで。泳いでいるときはばらばらになりますね。並んで泳ぐものではないでしょう。
 私は少し沖まで出ていきました。そして海辺を振り返った。8月の頭でしたから海岸は大賑わいです。壮観でしたよ。喚声が絶え間なく聞こえてきます。海の家がずらりと並び、スピーカーから大音響で洋楽が聴こえました。FEN放送を流しているのですね。甘いポップソングが流れてきた。友人の1人がこちらに向かって泳いできました。「この曲なんていう曲?」と言った。
 
 全米で1位になった曲でした。自宅でもFEN放送を聴き、ミュージック・ライフ誌を隅から隅まで読んでいた私はヒット・チャートに詳しかったですからね。「ルッキング・グラスの『ブランディ』だよ」と即答した。
 その友人とは高校卒業後、別れてしまいました。面白くないことがあったのですね。大学時代に1度だけ会ったことがあります。気まずい感じで酒を飲んだのですが、ふと彼が「海で流れてた曲何だっけ?」と訊いてきました。しかし、そのときの私はどうしても思い出せなかった。「ほら、おれが泳ぎながら訊いた曲だよ」なんて言われても見当もつかないですよ。
 
 あれはルッキング・グラスの「ブランディ」だった! と思い出したのはほんの数年前でした。Youtubeでいろいろなものを見ているうちに偶然最近のルッキング・グラスの映像にぶつかりました。40年たっているわけですね。「ブランディ」を歌っている初老のシンガーはおそらくオリジナルメンバーでしょう。こんな曲があったなあ・・・と懐かしく見ているうちに、ふとあのとき流れていたのはこの曲だった! ということに思いあたりました。この曲を聴きながら、海辺を振り返った。頭上にまばゆい太陽が輝き、心地よい風の中で完璧な夏だと感じたものです。
 
 ところが深く考えると、私は友だちに曲名を質問されていなかったような気がしてきました。気がしてきたというのは、もう確かめようがないからです。確かに「ブランディ」は流れていた。それだけは確実なのですが、質問はされていなかったかもしれない。ということは、数年後の居酒屋でもやはり質問されていないはずだということになります。
 何かしら美化したいものがあるのですね。人生を美しく彩りたい。そういう気持ちが記憶をあやふやなものにしてしまうのでしょう。
 
 追記です。おととしの8月17日にルッキング・グラスに関しては同じような記事を書いていましたね。あとで気づきました。
 
 
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2014.02.18 17:46

 オリンピックの報道一色で、先日の大雪の被災地情報が少なすぎるような気もします。事情がよくわからない部分もあるのですが、亡くなられている方も相当数出てきているみたいなので、もうちょっと全体的な動きが機敏だと安心できます。
 インターネットでときどき様子を探っています。雪で立ち往生したあるパン会社のトラックの運転手さんが荷台のパンを困っている皆さんに配られたみたいですね。
 
 善意の行動が大騒ぎになっていました。よくぞやってくださったということでしょう。パン会社の株価まで上がったという書きこみまでありました。運転手さんの独断なのかどうかわかりませんが、その行動は賞賛されて然るべきであると思いました。
 ただ、私はその運転手さんがふだんの生活において別格の聖人君子のような方とは限らないと思っています。もちろんわかりませんよ。わかりませんが、要するに「市井の善人」ということなのではないでしょうか。
 
 世の中を支えているのは、そうしたなんでもない「市井の善人」ではないかと感じることがあります。この支えているというのは文字通り「破滅に至らないようにブレーキをきかせている」という意味です。非常に大げさな意味において、じつはそうした方たちの善意の集積が地球や人類を救っているのではないかと考えるのです。
 世の中には政治や宗教や教育や軍隊などのさまざまなリーダーが存在しますが、そういう方たちの力以上に善意の人間の力の集積は大きいのではないか。
 
 私のクラスの生徒でもいましたよ。雪の日に何をしていたかと訊いてみた。その子が窓から外をのぞくと車が動けなくなっているところが見えたそうです。その子はどうしたか。ふーん、大雪だなあ・・・ではないですよ。
 スコップを持って車のところまで行った。そして雪をどけてあげたそうです。まだ中学生です。中学生ではあるけれども困っている人がいたら自分にできることはしようという意志を持っている。私は褒めましたよ。車に乗っていらっしゃった方も感激されたと思います。大感激でしょう。その方がその感激分だけでもどこかでまた他者のために使ってくださったらいいですね。
 
 こういうことは学歴がどうとか偏差値がどうとかというのとはちょっとべつの側面が出てきますね。世の中をよくするために勉強をする。世の中をよくするためにいい学校を目指す。それはたしかにその通りでりっぱなことだとは思いますが、その過程で見失ってはいけないことも多々あるということですね。
 パン配送の運転手さんや雪をどけてあげた中学生は特別な人間であると考えて終わらせてしまうのは残念です。いますぐむりなくできる善意の行動は、すべての人々が意識されていていいのではないかと思いました。
 
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2014.02.17 13:16

 勉強のことを書きたいのですが、わかりやすく例をあげます。昔の偉い人ーーブッダとかキリストとか老子とかーーはさかんに例をあげてお説教しています。そのほうが伝わりやすいと考えたからでしょう。このブログは基本的には小中高校生のかたに読んでいただいていると思いますので、わかりやすいように例をあげます。
 先日の大雪の朝、私はある教室に応援に行くことになりました。電車が止まっていて、たどりつけない方が大勢いらっしゃった。自分の家はその教室からそう離れていないので、十分応援に駆けつけることが可能だと考えました。
 
 ただバスが走っていません。もちろんタクシーなんかつかまるわけがない。となると約20分間(足元が悪いために結果的には30分近くかかりましたが)、雪道を歩かなければいけません。雨も降っていますし、少しだけ左足の悪い自分には相当大変です。
 しかしどう考えても行かないという選択肢がない以上、歩くしかない。であれば思い切り面白がろうと強く決意して自宅を出ました。早朝なので基本的にはどこも雪かきされていません。ときには靴のなかに水が入り、ときには脛のあたりまで雪に埋もれ、ときには脇を走る車に泥水をかけられ、しかし基本的には「おもしれー!」と考え続けました。
 
 歩いているうちにだんだんわかってくることもありました。あのあたりに足を踏み入れると危ないなとかあそこはすべりやすそうだなとかうっかり水たまりに落ちてしまってもどういうタイミングで足をあげれば被害が最小限度にとどめられるなとか。
 さらにあちらの道を通るべきだったかとかまえを歩く人をどこで追い越すべきかということも考えられるようになってくる。靴のなかは水浸しですし寒いですし身体も濡れていますから、肉体的には愉快ではありません。愉快ではないのですが、つまらないかと言えばつまらなくもない。あくまで「おもしれー!」ですよ。自分で決めたことですから。
 
 「思い出したくもない」という感情は一切残っていません。いますぐ再現したいわけではないものの、万が一同じような状況になったら今度はどの道を歩いてやろうとか、少し休憩を入れて歩いたほうがいいなとか、要するに復習みたいなものまでできています。
 勉強をはじめる前の心理状態を意識してください。1時間であれば1時間、どうしたって机に向かわなければいけないということであれば、好きではなくても「面白がろう」という気持ちは絶対に必要です。
 
 どんな作業も面白がる前向きな気持ちを持つことによって、実りが出てきます。雑になっているなとか3回書くと覚えるなとか声に出して読むと気分が楽になるなとか、少しずつ見えてくる。見えてくるぐらいまで面白がるべきですよ。
 生きていくうえでのちょっとした工夫なのですが、前向きな人は皆さんそうなのです。前向きな人が何でもかんでも得意だと思ったら大間違いです。苦痛に感じることだってたくさんあるでしょう。ただそのときが来たらーー雪道を歩く、勉強をするーー面白がらなければ損だと考えているのですね。
 
 それも人生の一部ですから。いやでいやでつまらなくて・・・という時間を大量に持つことで貴重な人生を消費するのは、あまりにももったいなくないですか?
 
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2014.02.16 14:19

 いやー、びっくりしましたよ。
 自宅のまえは公園になっています。けっこう広い。休みの日、ベンチに座って空を見ていることがあります。何年も前、いわゆるUFOみたいなものを目撃したこともありました。
 その公園のベンチにけさの8時ごろ真っ白な人が座っているではないですか。全身が真っ白なのです。真っ白。「えーっ?」という気持ちで凝視してしまいました。犬を連れたおじいさんも同じように凝視していました。
 
 するとこれが雪で作られた人形なのです。だいぶ溶けてはいるのですが、じつに精巧な人体の形をしています。頭部があり胴体があり足がちゃんとついている。近づいてじろじろ見たりはしませんでしたが、子どものいたずらではありません。雪だるまなんかとは全然違う。本当に計算して作られた「人体」という感じでした。
 子どもには絶対に作れないでしょうから、大人がわざわざ作ったのでしょう。いつからいる(ある)のか。この溶け具合いであれば明け方?
 
 慌てて携帯で息子に電話をかけました。アルバイトがあるので日曜日は早くから起きています。興奮気味に「ベランダから公園を見てみろ」と言った。雪で作った人間がベンチに座っているぞ。変な表現ですが、ストレートに伝えるためにそんな言い方をしました。
 作った方を想像した。どう考えても子どもではない。しかし、中高年の方があんな不思議な像を「わざわざ」作るとも考えにくい。分別ある大人はすぐ「何のためにこれをするのか?」と考えてしまいます。理由がないことはやりません。情熱の噴き出すままに創作してしまったとすればやはり20代の方でしょうか。
 
 芸術的な衝動ということですね。気持ちはわからないでもありません。
 先週、昔書きかけた小説についてふと気になった点が出てきました。10年以上まえに書いたものです。どなたにもーー家族にさえーー見せたことはありません。若い男の子が昔好きだった女の子の家を見にいくシーンです。そこに「小窓からは洗剤のボトルらしきものの影が見えた」という一文をどうしてもつけ加えたくなり、探し出して入れました。純粋な内部からの呼びかけであり、何のために? とはまったく考えませんでした。そういう心理もまた面白いものです。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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