2014.01.31 12:20

 人と人とのコミュニケーションは言葉だけではありませんね。とくに歳をとってきてからそう感じるようになりました。たとえば息子と私は強い絆でつながっていますが、言葉によって成立した関係ではありません。言葉以外のものでこうなったのです。
 私は彼のことを信頼していますが、およそ言葉によるものではありません。彼が何を考えどう行動しているか、詳しい説明を受けたことはないですよ。ちょっとした仕草や動作などで理解できるものがあるのです。
 
 言葉を喋れない相手とのコミュニケーションもあります。ペットとか。ペットが何を考えているかだいたいわかりますが、言葉によるものではない。哺乳類だと比較的考えを読み取りやすいのではないでしょうか。本当に心がつながってくるとーー自分の場合ーー亀が何を考えているかわかりました。ミドリガメ。毎日世話をしているうちに、家族のなかで私にだけは安心しているなとかいまはのんびりした気持ちでいるなとかとてもよくわかりました。死んでしまったときは悲しかった。近所の公園に埋めにいきました。
 
 植物の場合はどうなのか。
 昨晩、雨が降って道路が濡れていました。例によって夜中に駅から歩いていたのですが(昨晩は温かかった)、湿り気を帯びたいい匂いがしました。そのとき、ふと周囲の草や樹が喜んでいる感じがしました。何かが見えたり聞こえたりしたわけではないですよ。ただ何となく喜んでいる感じが押し寄せてきた。
 錯覚なのかなとも思い、裏道にある八重桜を見に行きました(こんなことばかりしていてなかなか帰らない)。
 
 その樹とは以前から気持ちがやり取りできているような感じがしていたのです。枝をさわるとやっぱりうれしがっている感じが伝わってきた。ぜんぶ錯覚かもしれないのですが、こちらに強く作用してくるのは事実です。世の中が違って見えてくるということですね。
 昨日の記事に亡くなった方のことを書きました。近所のお店のマスターだったおじさんですね。そのお店のまえもあえて通ってみました。取り残されたお店の看板がいかにもしょぼんとしています。ああ、「物」との交流もあるものだなとつくづく思った。
 
 こんなことを書いて何を伝えたいのか。
 いろいろな方がいらっしゃって、いろいろな時期があると思います。さまざまな理由で、つらい出来事もあるかもしれません。ただこの世界は、見えている聞こえている以上の祝福された空間であり得るということです。
 合格不合格いろいろあります。多くを語りませんが、ここから元気を出してください。人生には隠された神秘というものがあるのですよ。祝福された空間は、自分で見つけ出していこうという気持ちが大切です。
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2014.01.30 13:57

 火曜日水曜日と連休をいただきました。昨日は一瞬だけ出てきました。いろいろと先生方に連絡をとっておかなければいけないことがありました。
 昨晩は昔の生徒と待ち合わせていました。そのまえにちょっとだけ寄った。11年ぶりだと彼は言っていました。確かにそれぐらい経っています。経ってはいるのですが、会話は非常に滑らかに進みました。人種的に同じなのです。2軒はしごして、けっこう早い時間に別れました。あちらは朝から会社ですからね。
 
 また会うとは思うのですが、いつになるかはわからない。会わなければいけないという「しばり」がない関係は、非常に気楽でいいですね。また11年後と言われると生きている自信があまりないのですが、2~3年であれば生きているような気もします。
 彼も四捨五入すれば40代になるわけで、高校時代とは当然変わっています。変わってはいますが・・・やはり本質はあまり変化しないものですね。だから安心できる側面がある。何気なく誕生日を聞いた。1月のある日。私にとっても意味を持つ日でした。
 
 1年365日をぜんぶ個人的な記念日にしてから死ぬというのが私の夢なのですがーーそしてすでに100日分ぐらいは埋まってきているようにも思いますがーーその日は朝大学で試験があり、そのあとあるところで昔1度だけ入ったことがある喫茶店を偶然再発見した日でした。高校時代女の子との思い出のあるお店なので、何年も探していたのに見つからなかった。それがひょんなことから見つかったのです。
 非常にいい気分になって自宅に戻り、午後2時からFEN放送でラテン音楽を聴きました。女性シンガー(ペギー・リー?)の「カム・クローサー・トゥ・ミー」という曲がかかった。それをラジオから直接録音しました。
 
 カセット・テープに日づけを書いておいた。1970年代のお話です。そのカセットを私はまだ持っています。基本的にはカセットはすべて処分しましたが、何となく捨てられなかったのですね。今年の記念日もテープを聴きました。よれよれで音はひどいのですが、それでもあの晴天の日の華やいだ気分をまざまざと思い出します。
 私は彼に「きみの誕生日は偶然自分も毎年祝っていた記念日だ」というようなことを伝えました。詳しく説明するのは面倒臭いので、それだけです。
 
 今日は自宅から西荻窪の駅まで歩きました。町内の掲示板に訃報が貼ってあった。近所で有名な面白いおじさんがいました。お店をやっていた。私は入ったことがないのですが、ちょっとした有名人でした。ドアに「夫婦だけで30年間やっています」みたいな毛筆の半紙が掲げられていたりしました。それが昨年だったかお店を閉められた。
 その方が亡くなったというのです。上記のカセット・テープの日づけと同じでした。来年からはテープを聴きながら、生徒とおじさんのことも思い出すことになりますね。
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2014.01.27 13:09

 昨晩、保護者会がありました。各教科の先生にお話をしていただくのですが、私自身が聞いていてもとても勉強になる。やっぱりそうか・・・と感じることが多いですね。どの先生もーーZ会の先生は相当レベルが高いのは確かですーーいいお話をされたのですが、なかにこういう話題がありました。皆さんのお役にたつと思うので、ちょっと書いておきます。
 
 数学の先生がおっしゃった。若いころ、水泳をやっていたそうです。「水泳はやみくもに泳いでも決して速くなりません。速く泳ぐためにはその人にぴったり合った正しいフォームを見つけなければならない」・・・そんな感じの内容でした。
 数学も同じだというわけです。やみくもにたくさん問題演習すればできるようになると思いがちですが、そういうものではない。正しいフォームの探究こそが成績向上のカギになる。
 
 将棋でもそういうことはあります。やたらと対局しまくる人がいます。実戦で力をつけようというのでしょう。ネットではそれこそ何万局も指している人がいる。そういう方が皆さん強いかというと必ずしもそうではない。たくさん指したことがーーこれは私自身のことですよーーちっとも棋力向上に役立っていない。むしろ初期のころより雑になったぶんだけ、あるいは自信を喪失した分だけ弱くなっているような気持ちさえする。いまの自分がはじめのころの自分と対局したら負けるだろうなと思う。
 
 正しいフォームを見つける。どうしたらいいですか? 間違えたところを徹底的に見直すことです。答を覚えるのではなく、どうして間違えたのか、どういう心理状態だったのか、何と何を組み合わせれば正解にたどりつくのか、そもそもこの問題の根底にある分野をきちんと理解しているだろうか。そうしたもろもろの要素を深く反省し、勉強し直さなければいけませんね。答を見て「あ、そうなの」ではだめということです。ミスの反省にうんと時間をかける。フォームを少しでも望ましいものにしていく。
 
 国語でもそう。大量に問題を解いている人がいます。雑にならなければそれでもいいですよ。しかし、人間たいていは飽きてきます。面倒になってくる。その状態でフォームが本当にいい方向に整うかどうか。むしろ崩れてしまうことだってあるかもしれません。
 私は入試のシーズンに入試問題を連続では解かず、長文だけ読んでおくことがよくあります。連続でたくさん解くとどうしても雑になって変なミスをする。すると本当に難しいのはどれなのかがわからなくなってしまうのです。
 
 数をこなせば何とかなると安易に考えないようにしてください。勉強だけではないですね。ダンスも歌も楽器演奏もスポーツも囲碁将棋も・・・お祈りだってそうかもしれません。
 人それぞれ自分に合ったフォームがあります。最近話題になっている元大リーガーの野茂投手、プロ入り前に「あのフォームでは通用しない」とおっしゃっていたプロ球界の大御所がいらっしゃたことを覚えています。しかし、野茂投手は冷静に独自のフォームに磨きをかけ続けました。その結果が日米を通じての大活躍です。確かに実戦力(実践力)は大切でしょう。しかし、フォームの点検も怠らずに。どうか頑張ってください。
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2014.01.26 09:58

 人それぞれなのでしょうね。ある生徒がーーダンスを習っているそうですーー上手なダンサーを見ていると自分も踊り出したくなるという意味のことを語っていました。私はいくら上手なダンサーを見ていても全然踊りたくなりませんから、そこは人それぞれ触れる場所が違うのでしょう。同じようにテレビでサッカーの試合を見ているとサッカーをしたくていてもたってもいられないと言っていた男の子もいました。彼自身も相当上手みたいでしたよ。
 
 私の場合、示唆に富んだ文章を目にすると自分も何かを書いてみたくなることがありました。とくに若いころですね。庄野潤三の「静物」、萩原朔太郎の初期の詩、梅崎春生の「黄色い日々」、村上春樹の「風の歌を聴け」、ヘミングウェイの「殺し屋」なんかを読んだ直後、猛烈に表現したくなったりしました。1つの話としてまとまるかまとまらないかはどうでもいいのです。とにかく噴出してくる欲求があり、それを形に残したいという感覚ですね。実際やってみると亜流のつまらないものしかできないのですが、とにかく衝動だけは感じました。
 
 ショックを受け熱病みたいにうなされているあいだは「正しい影響」にまで至っていないのでしょう。少し時間を置くと興奮が醒めてきて整理されます。受けた衝撃が自分の個性のなかに少しずつ溶けこんでていく。
 将棋でもプロの先生の手を真似してみたくなるときがあります。勝てそうだからというより面白そうだから・・・ですね。真似したくなる手と全然真似したくならない手があるので、そこが各人の個性なのでしょう。
 
 ミュージシャンの場合はやはり他の音源からの影響が大きいと思います。影響が大きすぎてパクリみたいになってしまうこともある。ご本人は「リスペクト」などとおっしゃるのですが、影響が昇華されていないうちに発表してしまうと軽く見られますね。かつてロックの世界ではレッド・ツェッペリンのクローンみたいなバンドがたくさん出てきましたが、ああいうのもご本人たちは悪気がないのだと思いますよ。「おーっ! こういうのやろーぜ!」的な感覚で同じようなことをやってしまったわけですね。
 
 絵画でもそういうことがあったみたいです。「ジャポニスム」運動というのですか。洋画に日本画の影響が入った。日本画を見てそれなりに衝撃を受けた西欧の画家の気持ちは何となくわかりますね。ゴッホやモネなんかも日本風の絵画を残しています。
 自分の個性を創りあげていく過程で、だれからも何からも影響を受けないということは不可能です。昇華できるかどうか、その意志と能力が試されるということですね。
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2014.01.25 12:46

 今年に入って、すぐ近くの回転寿司屋さんが閉店になりました。頻繁に利用していたので残念です。ぱっと行ってぱっと食べるには非常に便利でした。まあ、考えてみればあまり人は入っていなかったかな。
 と思っていたら、続いてすぐ近くにあるとんかつ屋さんも閉店になりました。こちらはけっこう有名店だったみたいです。有名店ではあっても、やはりあまり人が入っていなかった。世間では景気が上向いていると言われていますが、どうなのでしょうね。
 
 自宅の近所にコンビニエンスストアーがあります。昼どきは近くの工事現場で働いている方たちがお弁当を手に大行列を作っています。皆さん、いまは本当に外食をしないのですね。近くにおそば屋さんだとか昔風の食堂だとかあることはあるのですが、いつもがらがらです。
 値段的なものもあるのでしょうが、自由にしていたいという気持ちが強いのかもしれません。お店に入るとそれなりの規則(?)があります。携帯電話を使ってはいけないというような。それがわずらわしいのでしょう。
 
 個人店はなかなか大変です。私自身はめったにチェーン店には入らないのですが(立ち食いそば屋さんとC&Cだけは別です)、すいているから個人店に行くという側面もあるので確かに経営されている側は大変だと思います。
 子どものころは利用しているクリーニング屋さんも個人店でした。ときどき母親と一緒に行くことがあったのですが、オヤジさんは冬でも上は丸首シャツ1枚でもうもうたるスチームと闘っていました。独特の臭いを覚えています。標語が貼ってありました。「進んでやるのは上の上、真似てやるのは中の中、言われてやるのは下の下の下」と書いてあった。
 
 理髪店のオヤジさんからも10分間でカットだけしますというようなお店があちらこちらにできて同業者が苦しくなったという話を聞かされたことがあります。きちんとしたお店に行くと3倍も4倍もお金がかかる。倹約家のお客さんが逃げてしまったのでしょう。
 そのオヤジさんご自身は非常に腕がいいので、あまり困っていないように感じます。料金も標準より高い。それでもーー現に私もそうですがーーお客さんが入っています。お得感を与えない限りお客さんは来てくれないということですね。
 
 ある人がファーストフード店の挨拶はぜんぶマニュアル通りなので本当の意味での挨拶になっていないということをエッセイに書いていました。心がこもっていないと。
 逆に若い世代の方はそこが気楽という面はあるのかもしれません。個人店であればチェーン店ほどのマニュアルはないでしょうからどうしても臨機応変みたいな部分が要求されてくる。その臨機応変のやり取りがいやだから個人店を避けているというケースもありそうです。「それおいしいかい?」みたいなことでさえ答えるのが面倒だという心理は、ちょっとだけ心配でもありますね。
 
 
 
 
 
 
 
 
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2014.01.24 09:19

 今日は本部教室で会議があります。そのあと渋谷に戻ってすぐ授業になってしまうため自宅で書いています。いつもは少し早目に教室に行ってだれもいらっしゃらないところであれこれ考えて書くわけで、環境が違ってくるとちょっと書きにくかったりします。
 教室では自然と生徒や勉強のことを話題にしたくなる。どなたもいらっしゃらなくてももともと生徒やほかの先生方と共有している空間だからでしょう。発想がそちらに寄ってくる。
 
 ところが自宅では当然目に入るものが違う。私はキッチンのテーブルで相変わらず家内のパソコンを使用しているのですが、テーブルのうえには家内や息子が食事をしたあとのコップや皿が並んでいました。朝は忙しくて片づけるヒマがなかったのでしょう。それを一部流しに運び、僅かなスペースを空けてパソコンを運んできた。ラップの箱だとか食塩のビンだとかペットボトルだとかが視界に入ります。
 こういう空間でいきなり受験のことなどを考えられるものではないですよ。環境は大切ですね。
 
 私はある意味でそろそろ人生観に結論を持つ時期ではないかという気もしていて、基本的には人間に対してやさしく振舞いたいという気持ちがあります。厳しさは大切だと思うのですが、私個人の厳しさにはどうしても濁ったものを感じるのです。他者に厳しくしたいときの自分は絶対に「興奮していて」「うさをはらしたい」感情を持っています。わかるのです。教育的な配慮から愛情を持って厳しくすることができない事実が見えてしまうので、生徒を強く叱るということはしないようにしました。
 
 ときどき惜しいなと感じるのは、やはり心構えに雑なところがある生徒です。たとえばレストランで本格的に料理の修業をしている人間だとかプロの野球選手を目指している若者なんかがこういうことでは叱られるだろうなというときは、冷静に注意するようにはしています。塾ですから「勉強のプロ」になってもらわないといけない。
 それこそ「今日も包丁忘れてきました」とか「グローブ探したんですけどどっかいってしまいました」とかあり得ないでしょう? それが筆記用具とノート忘れました、テキスト貸してくださいはあたりまえということでいいのか?
 
 同じように勉強しているときの机のうえがメチャクチャになっているなどというのもよくないですね。調理台が汚れているとかグラウンドが散らかっているというのと同次元の問題です。
 そのへんはちょっとご本人に考えていただかないといけない。ほかの道で一流を目指す人間だったら、この心構えこの環境で「そのこと」をしているだろうか。ときどきメールをしながらのほうがいい相撲がとれるんですなどということが通用するものだろうかということです。
 
 あれ? 自宅でも勉強のことを書いてしまいました。書きはじめるとそういう気持ちになるのは職業病みたいなものなのでしょうね。
 
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2014.01.23 12:58

 最近はあまり意識していなかったのですが、いつのまにやら記事が1400本を超えていました。いつもありがとうございます。
 きのうおとといはお休みをいただいたのですが、教室にはちらりと来ました。本当にこの時期、なかなか休めません。おとといは緊急の用件で自宅からあるご家庭にお電話を入れた。教室のスタッフから「困っている生徒がいるので助けてあげてほしい」というメールが来たのです。そんなことも起きるのですよ。場末の酒場で飲んだくれていなくてよかった。
 
 面接の練習や作文の添削などがあります。面接の練習のときには「きみが合格して得をするのはきみだけではないということを考えなさい」とアドヴァイスしています。高校(大学)のほうだって得をするようにしろということです。そういう人間になろうという強い意志を持っているかどうか。
 少なくとも推薦で合格できたら楽だし儲けもの・・・みたいな姿勢で行ってはいけないよと伝えます。担当の先生はすぐに見抜きます。仮にいまはとくに誇るべき何かがなくても、いずれは必ず世の中に貢献できる人間になりたいという志ーーそういう感情をしっかり握りしめて面接試験に臨んでほしいということです。
 
 唐突ですが、私は人づき合いのいいほうではありません。単独行動を好むので友人も極端に少ない。昔からずっとそうでした。ちょっと勘違いした時期もあって、友人知人を増やそうと努力したこともありました。それなりに楽しかったのですが、やはり疲れるのですね。
 長いつき合いの人間もほとんどいません。喧嘩別れするわけではないのですが、交際を維持するためだけに定期的に会うということはしません。楽しいから交際するのであって、交際自体が目的になるのは気が重いのです。
 
 私に「ときどき連絡をしてくる」昔の生徒というのがいます。どれぐらい昔かというと約20年ですね。それぐらい昔。ある男の子ーーと言ってももう30代後半になるのかーーから今年突然連絡がありました。どこかで飲みに行きませんか? と。
 最後に会ったのが10年ぐらいまえです。新宿でだらだらとお酒を飲んだ。高校卒業後、彼は手紙を書きたいので住所を教えてくれと言ってきました。伝えたいことが山ほどあると。私はいいよと軽い気持ちで教えました。
 
 ブログにも書いたことがあります。結局、彼との文通(?)は延々と続きました。彼が数えたところ、お互いに100通(!)近く書いたそうです。まだ20世紀のころでした。何年も何年も手紙だけやりとりした。その彼と来週会うことになっています。
 つぎに会うのはまた7~8年たってからになるでしょう。私は生きているかどうかもわからない。でも、そういうつき合いがいいのですね。中途半端な駅(?)で待ち合わせました。昔もある陸橋の上で待ち合わせたことがありました。変わらないですね。
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2014.01.20 13:21

 あえて触れずにきたのですが、大学受験生の方はセンター試験が終わりましたね。ごくろうさまでした。高校受験のいわゆる過去問添削が大量にあるのでざっと新聞で見た程度なのですが、国語は難しかったような気が・・・そんなことはないのかな。
 思い出すのは2年前、息子が受験したときのことです。センター試験を大失敗したと言って帰ってきました。もともとそんなに成績がいいわけではなかったのですが、とにかく大失敗したそうです。彼自身が信じられないぐらい悪かった。
 
 友だちもみんな受けていますから、わかるわけですよ。いつも自分より成績が芳しくない友だちよりはるかにできなかった。緊張したのかもしれませんが、そういうことってありますね。いちばん大切なときに失敗したりする。どなたでもそういうことは起きうるものです。
 息子は自宅ではいつもとても穏やかなのですが、その日はちょっと荒れた感じになりました。それなりに勉強はしていた。1年間だけですが真面目にやっていました。それがどうしてこういうことになったのだという自身の不甲斐なさへの怒りみたいなものが渦巻いていたのだと思います。
 
 そういうとき、言葉であれこれ励ますほど虚しいことはありません。私はただごくろうと肩を叩いたり背中に手を置いたりしました。言葉よりよほど温かみがあります。だいぶたってから「まあ、いいじゃないか」ぐらいは告げたかもしれません。
 彼のなかでは目標にしてきた国公立の大学はもうだめだという気持ちがあったでしょう。私大の受験までにどう気持ちを立て直すか。立て直せなければ全滅もあるかもしれない。しかし、ここで「気持ちを立て直せ」みたいなことを他者に言われるほどいやなことはないですね。そういうものです。
 
 何も言わずに黙って見守っていました。夜になって少しだけ元気が出てきた。「社会ができたことだけは収穫だ」というようなことを呟いたりしている。元気をくれという信号だと思って、それはたいしたものじゃないかと言った。何でも得られたものがあるのはすごいことだと。とにかく余計な励ましはしなかった。頑張るなら頑張るでいいし、あきらめるならあきらめるでもいい。本人の判断に任せようという気持ちでした。
 とくに後遺症もなく、息子はまた勉強をはじめました。結局受験結果は3勝2敗で終わったのですが、それなりに気に入った大学の希望した学部(ぜんぶ本人が選びましたから)に入れたことはよかったと思っています。
 
 大切なのは本人そのものであるということが相手に伝わるようにご配慮いただけたらと思います。点数がとれてもとれなくても大切さは変わらないということですね。究極的には、そういう愛情を人間は求めています。自分が自分の判断で行動しているだけで大切に思ってくれる他者。代償を何も要求されない深い愛情。その予感に励まされて生きていける部分があります。
 せめて子どもにはそういった予感を与えてやりたいものだと思いました。過去形ではないですね。いまもそう考えています。
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2014.01.19 12:59

 昨晩のフランキー・ヴァリの公演(終盤はすごい盛り上がりでした)は場所が日比谷公会堂でした。これまでにあそこに入ったことがあったかどうか・・・しかし、古い。本当に「昔の建築」という感じです。椅子は極端に小さく(昔の日本人が小さかったということでしょう)、階段が恐ろしいほど急です。
 たとえば「シェリー」が大ヒットしたのは1962年。私でさえ完全に後追いのファンですが、それでも58歳になります。となると私よりもっともっと年上の方もいらっしゃった。
 
 階段の途中でふと休憩されたりしている。一気にうえまでのぼれない。それぐらい歳をとった人間には急な感じです。
 会場は古かったものの音は悪くありませんでした。耳鳴りが続いていたのがちょっと残念でしたが。全曲ーー1曲残らずーー私は知っていました。改めて相当なファンだと思いましたよ。たった1回の公演なのでフランキー・ヴァリも頑張った。79歳で約2時間のステージはけっこうハードだったのではないかと思います。実質彼のソロコンサートみたいなものでしたから。
 
 ヒット曲はほとんど網羅していた。「シェリー」も「君の瞳に恋してる」も「瞳の面影」も「神に誓って」も「あの素晴らしき夜」もすべてやりました。「君はしっかり僕のもの」を演奏するときに憧れのフランク・シナトラの歌を聴いて自分たちらしくアレンジしたというような話をしていました。あとは「レッツ・ハング・オン」や「雨に言っておくれ」「悲しきラグ・ドール」なんかもやった。
 バックの演奏もしっかりしていました。とくに歌うように叩けるドラマーは印象に残りました。完全にメロディーになっています。あんな風に叩くのは私の好きなメタル系のドラマーには難しいかもしれません。
 
 見ていていろいろなことを考えました。考えてしまうのが自分のよくないところなのですが。考えているうちに涙が出てきた。個人的なお話を正直に書くのは恥ずかしいのですが、何かのお役にたつような気持ちもするので書いてみます。
 要するにフランキー・ヴァリを14歳から聴き続けているわけです。若いころは「毎日」聴いた。中学高校時代、本当に両親と激しくぶつかったものです。それこそフランキー・ヴァリのレコードを聴いていて「くだらないものを聴いていないで勉強しろ!」と怒られ、ものすごく反発したりした。「そんなくだらない音楽がおまえを大学に入れてくれるのか?」とも言われた。そういう光景を1つ1つ思い出しました。
 
 あのとき、2014年の1月18日にフランキー・ヴァリのコンサートに行けるのだということをもし誰かが教えてくれていたらあそこまでは反発しなかっただろうと思いました。もう少し他者に優しく、もう少しあちらこちらに配慮して、もう少しましに生きられたかもしれない。と同時に、こんなことを考えながら実際この場に身を置けたということは、この生き方で十分だったのではないかというようなことも考えました。
 そんなこんなで気がつくと涙が出ていました。もっとも最後は何も考えずにただ引きこまれていましたが。今朝もフランキー・ヴァリのCDを聴いて自宅を出ましたよ。
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2014.01.18 10:43

 昨年の9月13日、フランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズの最初で(おそらくは)最後の日本公演が予定されていました。どうしても行きたかったのですが、仕事の都合で不可能でした。運命だとあきらめかけていたところ、あちらの都合(映画の撮影があったそうです)で奇跡的に延期になりました。
 そして、今晩振替え公演があります。夜の授業はないので行ってきます。前売り券を買ってあります。
 
 この話はもう何度も書きましたね。1970年の3月24日、私は友人2人と1つの石ころを順番に蹴りながら中学校から私鉄駅まで歩いていました。終業式でしたよ。普通に歩いても15分ぐらいかかるのですが、とにかく早く帰りたくなかったのですね。裏道をわざとのろのろと順番に小石を蹴りながら歩きました。
 すると突然、大きな音で洋楽が流れてきた。ステレオのヴォリュームを間違えたという感じで。それが大ヒット曲「シェリー」の一節でした。私は衝撃を感じて、2人に「この曲、知らない?」と訊いてみました。
 
 音はあっという間に小さくなってしまって、もう聴こえません。友人の1人はあっさり知らないなあと言う。興味がないという感じでした。もう1人はーー本当に愉快な男でしたがーー日本の変なグループの名前をあげて「あいつらの新曲に間違いない」と呟いた。それはないだろうと思いましたよ。英語でしたから。
 それから私はすっかり無口になって歩きました。さっきのメロディーを忘れないように頭のなかで繰り返していたのです。自宅に帰ったら母親に訊いてみようと思った。母は少しだけポップスを聴いていました。
 
 ところが自宅に着いた時点ではほとんど記憶に残っていない。心の奥の奥に残っていてもメロディーとして浮かび上がらせることができないのです。ピアノで再現しようともしましたが、あまりにも記憶が薄くてうまくいかない。そうこうするうちに本当に忘れてしまいました。
 その晩、何気なくラジオの深夜放送にチャンネルを合わせたら、偶然その曲がかかっているではないですか! ザ・フォー・シーズンズの特集番組でした。私はこの運のよさは「選ばれているのだ」と本気で思いました。そんな風にして人の運命は決まってしまうものなのですね。
 
 ただ「シェリー」の大ヒットから当時すでに8年も経っていた。情報も少なく、レコードを入手するのは大変でした。毎年3月24日が来るたびに何年前の今日、自分は本当の意味で生まれたのだなどと考えたものです。あの出会いがなければーー音楽だけではなくーー自分はこうなっていなかったと思うのです。
 さらに24年後の3月24日、これまた偶然息子が生まれました。そういう偶然というのは人生に多々ありますね。祝福されているのだと感謝しています。
 
 世間では「君の瞳に恋してる」がいちばん有名でしょうか。フランキー・ヴァリももう79歳だそうです。フォー・シーズンズのほうはメンバーもたびたび入れ替わっていますし何を期待していいのかよくわかりません。とにかく「歴史」を目撃してきます。「たそがれの夢」を演奏してくれないかな。マイナーな曲なのでむりかな。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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