ご家庭で効果的に励ましてくださるといいのですが、なかなか難しいみたいですね。たとえば私の息子がこう言ったとします。「お父さんは会社でちっとも偉くないから尊敬できないな。もう少し出世したら認めてあげてもいいけど、いまの状態ではお話にならないよ」
事実は息子の言うとおりかもしれませんが、そんな言い方はないだろうと私は傷つくと思います。そんな励まし方なら何も言わないでくれたほうがよかった。
相手に対してある種の条件があって、その条件に相手が従えば好きになってあげてもいいよというようなのは「商取引」というのであって、愛情から励ましているうちに入りません。ところがそういう形の激励がいかに多いことか。
私は息子が受験生のころ、勉強できようができまいが内申がとれようがとれまいがどこに合格しようが落ちようがおまえは大切な私の息子であり、一切揺れ動くことはないから安心しろと伝えていました。恥ずかしがらずにちゃんと口頭で伝えました。
生きているだけでいいとも言った。息子は「それだけかよ!」と苦笑していましたよ。
それは私だって本音の部分では「どこに合格しようが落ちようが」ではない。そんなことを言って、本当にどこにも受からなかったら親子ともども途方にくれてしまう。しかし、大前提として「親だけは子どもを丸ごと受け入れるから安心して生活しろ」というメッセージは必要だと思いました。勉強しないとだめだみたいな話は学校や塾でいくらでも出てくるでしょうから、私が作るべき「環境」はそこではないですね。
ときどき「どう励ましても効果がないので・・・」というようなお話になり、私が直接ご本人と話すケースもあります。するとそれこそ周囲の大人の無意識の「商取引」的な励ましに受験生のほうが疲れてしまっているときもある。
先生が励ましてくださったおかげで・・・とお礼をおっしゃっていただくときもあるのですが、私は決して「猛勉強すれば絶対に受かる!」みたいな励まし方をしていません。適当なことを言ったところで相手はすぐに見抜きます。傷ついている人間ほど鋭く見抜く。
励ますときは、相手の長所だけを的確に褒める。長所のない人間なんて存在しないですからね。きみはこれこれこういうところはすごいと長所を褒めます。いま点数はとれていなくてもこういうことに関してはたいしたものだと正直に認める。そのうえで相手の希望も聞き、ではこんな高校があるよ、こんな高校もあるよ、入ろうと思えば届くのではないかね? 程度です。
人間、等身大で認めてくれている人間がいるということがわかり自分自身の輪郭がはっきりしてくるとひとりでに頑張れるものなのです。それを「この時期にこんな成績とるなんて本当にだめね」とばっさり切ってしまう。それこそ「お父さんは会社で偉くないからだめだ」というのと同じです。励まし方に工夫は必要だと思います。
2013.11.30 12:01
- カテゴリ :子どもへの接し方
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