2013.11.30 12:01

 ご家庭で効果的に励ましてくださるといいのですが、なかなか難しいみたいですね。たとえば私の息子がこう言ったとします。「お父さんは会社でちっとも偉くないから尊敬できないな。もう少し出世したら認めてあげてもいいけど、いまの状態ではお話にならないよ」
 事実は息子の言うとおりかもしれませんが、そんな言い方はないだろうと私は傷つくと思います。そんな励まし方なら何も言わないでくれたほうがよかった。
 
 相手に対してある種の条件があって、その条件に相手が従えば好きになってあげてもいいよというようなのは「商取引」というのであって、愛情から励ましているうちに入りません。ところがそういう形の激励がいかに多いことか。
 私は息子が受験生のころ、勉強できようができまいが内申がとれようがとれまいがどこに合格しようが落ちようがおまえは大切な私の息子であり、一切揺れ動くことはないから安心しろと伝えていました。恥ずかしがらずにちゃんと口頭で伝えました。
 
 生きているだけでいいとも言った。息子は「それだけかよ!」と苦笑していましたよ。
 それは私だって本音の部分では「どこに合格しようが落ちようが」ではない。そんなことを言って、本当にどこにも受からなかったら親子ともども途方にくれてしまう。しかし、大前提として「親だけは子どもを丸ごと受け入れるから安心して生活しろ」というメッセージは必要だと思いました。勉強しないとだめだみたいな話は学校や塾でいくらでも出てくるでしょうから、私が作るべき「環境」はそこではないですね。
 
 ときどき「どう励ましても効果がないので・・・」というようなお話になり、私が直接ご本人と話すケースもあります。するとそれこそ周囲の大人の無意識の「商取引」的な励ましに受験生のほうが疲れてしまっているときもある。
 先生が励ましてくださったおかげで・・・とお礼をおっしゃっていただくときもあるのですが、私は決して「猛勉強すれば絶対に受かる!」みたいな励まし方をしていません。適当なことを言ったところで相手はすぐに見抜きます。傷ついている人間ほど鋭く見抜く。
 
 励ますときは、相手の長所だけを的確に褒める。長所のない人間なんて存在しないですからね。きみはこれこれこういうところはすごいと長所を褒めます。いま点数はとれていなくてもこういうことに関してはたいしたものだと正直に認める。そのうえで相手の希望も聞き、ではこんな高校があるよ、こんな高校もあるよ、入ろうと思えば届くのではないかね? 程度です。
 人間、等身大で認めてくれている人間がいるということがわかり自分自身の輪郭がはっきりしてくるとひとりでに頑張れるものなのです。それを「この時期にこんな成績とるなんて本当にだめね」とばっさり切ってしまう。それこそ「お父さんは会社で偉くないからだめだ」というのと同じです。励まし方に工夫は必要だと思います。
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2013.11.29 13:34

 昨晩、ご質問をいただいた。いわゆるスランプというやつですね。以前は調子がよかったのにここのところうまくいかない。どなたにもあるでしょう。
 勉強だけではないですね。趣味や娯楽にさえスランプはあります。私なんかも趣味の将棋が突然勝てなくなったりしますよ。一生懸命やっているのです。ところが、一生懸命になればなるほど負ける。1度も負けたことのないような相手にまでボロ負けする。やはり精神的なことが大きいですね。
 
 そういうときはーー仮に勉強であればーーやみくもに問題なんかを解いてもますます調子が悪くなるばかりです。気分転換が必要なのですが、ただ遊んでいても効果はありません。
 自分自身を取りもどすという気持ちが大切です。どこか自分らしくなくなっている。それを元にもどす。と同時に優れた人間(勉強ができるという意味だけではありません)が普遍的に持っている特質でいまの自分に欠けているところはどこかということを考える。世の中で優れていると称せられる(平均的な解釈でけっこうです)人間といまの自分はどこが違うか。
 
 以前、あるトップクラスの私立女子高校の教頭先生からつぎのようなお話を聞いたことがあります。
 大学受験が近づいてくる。医学部進学者なども非常に多い高校です。当然、みんな目の色を変えて勉強する。本当にすごい子は・・・と先生は続けられた。最後の最後まで身なりもとてもきれいにしているのですよ。
 なかにはあまりにも勉強が忙しくてなりふり構わなくなってしまうような女の子もいる。しかし、本当にすごい子は決してそうはならないと言うのです。どんなに忙しくても髪の毛なんかをとてもきれいにしている。客観的な視点を失わない。
 
 確かに世の中で一般的に尊敬されているような人物ーー芸術家なんかはべつかもしれませんがーーで、仕事が忙しいからといつも見苦しい格好をしているというような方はあまり思い当たりません。棋士の方もトップクラスは激闘を終え投了(負けを認めること)される瞬間も所作が非常に優雅です。くそー、負けた! みたいなことには絶対になりません。
 あなたも身なりを整え、環境(自室や机のうえなど)を整え、やるべきことを整理して優雅に対処してみてください。勉強のことだけで混乱するような器ではないぞと自分自身に言い聞かせることです。
 
 また「今日から立ち直ろう」と日づけをきちんと決めるのも効果があります。立ち直るために質、量ともに努力するという記念日を作る。今日、11月29日からでもいいですね。やがて「あの日からはこんなにやっているのだから」という集積が実感できるようになります。少しずつスランプは脱します。大丈夫ですよ。
 自分ができるようになるのは公のためだとも考えてみてください。あなたが優秀になる。おれは1番だ、みんなザマーミロ! ではいけない。優秀だからこそあなたは世の中に貢献できるのです。大きく考えましょう。
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2013.11.28 13:26

 昨日は半休にして、イケ面大王立川教室長のW先生と何ヶ月ぶりかで「部活」をしました。はじめは手近なところで飲もうかとも考えたのですが、彼も私も何だか忙しくて部活も年に数えるほどしかできませんからね。ちょっと遠出するかということになり、根岸の名店Kに行きました。ここは書籍や雑誌に数え切れないほど取りあげられているお店ですが、私自身はほとんどうかがった経験がありません。カウンターに座るのが敷居が高い感じがするのです。
 それがきのうはすんなりとカウンター席に案内された。着物姿のお客さんなんかもいて独特の雰囲気。樋口一葉の同級生が云々と話されている方もいらっしゃいましたよ。
 
 小1時間ほどで出たのですが、中だけでなく外にまで並んでいるお客さんがいました。早い時間だったので私たちは運がよかった。
 じつはそのまえに鶯谷駅すぐ近くの半立ち飲みやきとん屋Sで私たちはビールだけ軽く飲んでいたのです。たまの部活なので気になるお店はぜんぶまわっておきたい。こういうの、貧乏性と呼ぶのでしょうか。Sは通り沿いにあり、香ばしいにおいの煙がつねにもくもくと路上に充満しています。立って飲んでいるだけで髪の毛が臭くなるので、さすがに女性の姿はあまり見かけません。奥のテーブル席にはいらっしゃったみたいですが。
 
 その2軒だけで終わらないのが根性のある(?)ところです。
 山手線に乗って「大塚のEに寄ろうか」ということになった。ちょっとKの燗酒と比べてみたくなったのです。どちらもお燗のお酒がおいしいということで有名なのですが、私はやっぱりEのほうが繊細に温度が管理されているような気がしました。こんなことを確かめたくなること自体ちょっと病的ですが、とにかく比較してみたいと思った。
 ところがさすがはお若いW先生、電車を下りたところで「面白そうだから、立ち飲みにしませんか」とおっしゃる。
 
 もちろん異存があるわけがない。それならそれでいいや・・・とこれまた大塚で有名なOに入りました。
 ちょっと意外だったのはーー比較的早い時間ですーーお年寄りが多かったこと。おばあさんが2人いらっしゃった。しかも個人で来店されていたみたいです。焼きそばを食べながら周囲の方と話している。盗み聞きしたわけではないのですが、73歳だとおっしゃっていました。ひょっとするとひとり暮らしをなさっていて、晩御飯の代わりなのかもしれないですね。おひとりで食べるよりはわいわい食べたほうがおいしいでしょう。しかも安くあがります。
 
 考えてみれば、大衆居酒屋にはご高齢の方の社交場みたいな要素もあるのかもしれません。それだけにやはり安くなくてはいけないですね。働いている世代はまあ多少高くても何とかなりますが、いわゆる年金暮らしで倹約しなければならないお年寄りも世の中にはたくさんいらっしゃるでしょう。そういう意味で、市販の「大衆居酒屋ガイドブック」の類には本当は大衆と呼べないようなお店もたくさん混じっています。ここを掲載してしまうかなあ・・・みたいに思うことも多々あるのですが、まあいいか、そんなこと。W先生、年が明けたらまたどこかで行こうね。
 
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2013.11.27 13:14

 今週のお休みは昨日だけでした。WERを見に行く予定だったのですが、上映が21時過ぎの1回きりになってしまっていて見られませんでした。そりゃそうですよー。上映館は教室のすぐお隣です。生徒たちが一生懸命授業を受けて帰ってくるところを狼男の映画を見るために普段着でわくわくしながら教室長が逆に歩いていくという図はちょっと・・・。いずれ、DVDになったら見ようと思っています。すごく面白そうだったのに。
 いろいろと身辺を整理していたら1980年代に買った自己啓発のカセット・テープが出てきました。少なくともいまのマンションに引っ越してからーー13年間はーー1度も聴いたことがありません。
 
 ちょっとだけ(あのテープはどうしたのだろう?)と思い出したことはありました。たぶん自分のことだから捨ててしまったのだろうとも思った。テープは高価なのですよ。高価ではあったものの捨ててしまったのだろうと思いました。
 自己啓発というか、成功法則みたいなやつですね。アール・ナイチンゲールという有名な人のテープです。私はほかにもナポレオン・ヒルの相当量のテープを持っていますが、そちらは車が買えるぐらいの値段でした。ローンを組んで購入したことを覚えています。若かりし80年代のお話です。
 
 懐かしいのでちょっと聴いてみました。なかなかいい話が出てくる。覚えている話もありましたし、はじめて聴いたようなものもあった。
 そのなかに「ダイヤモンドの土地」という有名なエピソードがありました。実話だそうで、ほかの方の書籍でも読んだことがあります。アフリカのある農夫がダイヤモンドを発掘するために自分の土地を売り払って資金を作った。農業なんかやるよりそっちのほうがよっぽど儲かると考えたのですね。あちらこちらさまよい続けたもののとうとうダイヤは見つかりませんでした。彼は傷心のなか河に身を投げて自殺します。
 
 農夫から土地を買った人間も当然いる。土地のなかに小川が流れていた。簡単に書きますが、のちにその人は小川でたくさんのダイヤモンドの原石を発見することになります。つまりもともと農夫が持っていた土地がダイヤモンドの原石の宝庫だったわけです。
 もちろんこのお話には教訓がついていて、そうやって自分のいまいる場所、仕事、学校、人間関係のなかにダイヤモンドが隠されていることに気づきなさいと続きます。ふらふらとどこかに「いいこと」を探しに行くのではなく、いまの自分の生活のなかに見つけなさいということですね。
 
 何か・・・いつも自分が言ったり書いたりしていることに非常に近いなという気持ちがしました。当時はぼんやり聴いていたのですが、潜在意識のなかにこうしたお話がしみこんでいるのだろうと思います。
 いま一度、現実生活のなかにダイヤモンドを探してみてください。
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2013.11.25 13:46

 ときどき勉強してもうちの子はできるようにならないのではないか? というご質問をいただくことがあります。先日はこの子はいくらやってもできるようにならないと感じる生徒はいますか? とも訊かれました。
 私は「いません」と即答しました。「いくらやっても」できない子というのは存在しません。もちろん先天的な特別のご事情でもあれば別ですが、普通に読み書きができて買い物でつり銭を間違えないぐらいの能力があれば「いくらやっても」できないということはありません。
 
 要するに「いくらもやっていない」からできないのです。やるというのは量ではない。2時間漫然と机に向かっている人より30分だけのめりこんでいる人のほうがよくできるようになるというような現象はいくらでも起こります。いやいややっている人に比べて、集中している人はおそらく半分以下の時間で同じ成果を上げられるでしょう。
 数値などの外的な要素で決めてはいけません。自分なりのコツがつかめたかどうか。習ってきたものが復習を通じて「本当に」自分の血肉になったかどうか。
 
 方法は散々書いてきましたから繰り返しませんが、たとえばバットの素振りに例えれば仮に50回と決められていても自分自身がしっくりこなかったらもっともっと振るべきです。それこそ100回でも200回でも自分のなかでカチリとはまった感覚が出てくるまで繰り返す。心をこめ、ボールを打つところをイメージして繰り返す。それをしていなければ残念ながら「いくらもやっていない」のですよ。
 私は私自身がもう1度小中高生活を送るとしたら、つぎの人生では絵を描くことに没頭したいと考えているので勉強はたいしてやらないと思います。それで入れた学校に堂々と入ります。
 
 ですから、全員勉強する人になりなさいというお話ではないですよ。ただ志望校がものすごく高いのであれば、勉強に没頭している人たちと同じ姿勢にならないとなかなか届かない。
 あるトップクラスの高校の先生がおっしゃっていました。「英検準2級をとらないから入試で不利になるということはありません。ただうちの高校に入ってくるような生徒は皆さんあたりまえに英検準2級ぐらいは取得している。要するに勉強が好きなのです」
 私個人は生まれ変わったらその仲間に入りたいとは考えないでしょう。しかし、入りたい人(志望校が高い人)も当然いますね。
 
 勉強が好きですか? 好きではないにしてもせめて面白いとは感じていますか? 好きで面白いのであれば最優先して取り組んでいるはずです。どうですか?
 根本部分を見直していくといろいろ気づくことが出てきます。これは勉強に限りません。得意にしようとしていることに本当に面白がって取り組んでいるかどうか。得意にしたいけれども憎んでいるなどという妙な状況に陥ってはいないか(私の趣味の将棋がある時期そうでした)。それではうまくいきません。そのあたり冷静に分析してみてください。
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2013.11.24 13:46

 生徒たちにときどきアンケートをとるという話を以前書きました。昔からいくつかそういう記述がありましたが、今年もある生徒が「いつも黒板をきれいにしてくださってありがとうございます。おかげで気持ちよく授業が受けられます」と書いていました。
 授業がーーたとえば英数国の順にーー3つ続くとします。英語の授業が終わる。英語の先生がきれいに黒板を消しておく。次の数学担当の先生が黒板を使いやすいわけですね。逆に消し残しがあったりすると落ち着かない。
 
 それは主に私たち教える側のマナーの問題かと思っていたのですが、生徒は生徒なりに見ています。で、きちんと消えていると気持ちがいい。
 昔の私は黒板を消しはするもののどこまできれいであるかということにはさほどの配慮を払っていませんでした。跡が見えなくなればいいや程度。生徒のアンケートを読んでいるうちに、もっときれいに消さなければ・・・という気持ちになりました。伝えるべきことは教科内容だけではないということですね。
 
 10年ぐらい昔、こういうことがありました。講習中の授業は昼休みにお掃除の方が黒板を消してくださることになっています。ですから、先生方は書いたものを消す必要がありません。そのまま教室を出てしまっていい。
 ところが、なかにはご自分が書いたものをざっと消していかれる先生もいらっしゃる。掃除のおばさん(どちらかというとおばあさん?)たちが黒板の前に集って「きちんと消していってくださるのはりっぱな先生だ」とひそひそ話されていたのを偶然耳にしました。
 
 消してくださる係の方がいらっしゃるわけですから、それは義務ではない。お願いしますと教室を出てしまってまったく悪いところはない。掃除のおばさんたちも当然それは理解してくださっている。
 けれども、やはりざっとではあっても自分が書いたものを自分で消しておく人間はりっぱに見えるのですね。その思いやりの心ゆえ。その責任感ゆえ。その行動の優雅さゆえということなのでしょう。
 
 黒板については逆のことをアンケートに書いていた生徒もいました。彼らも礼儀正しいので、悪口は書かない。ただ「黒板を消し忘れる先生がいらっしゃって面白かった」と遠回しに書いている。私自身経験がありますが、まえの授業の先生が黒板を消していなければ当然私が消すことになります。その間、授業は進行しません。
 もっとも私の場合はそういうときに「黒板の消し方」だとか「黒板を消す意味」だとか「消しながら何を考えているか」などを話しながら消しています。何でも勉強です。そう思います。
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2013.11.23 12:35

 知の巨人、クリシュナムルティがこういうことを書いています。私は書籍をストックしておく習慣が一切ない(読んだらすぐに売ってしまう)ため、どの書物だったかは忘れてしまいましたが繰り返し言っています。
 来る日も来る日も長時間、狭いオフィスでやりたくもないうんざりするような仕事をさせられていれば神を求めたくなるのも当然だ。しかしそれは逃避でしかない。
 私はここで神さまの話をしたいわけではありません。
 
 うんざりするような仕事? これは中学生や高校生の皆さんに置き換えてみればうんざりするような学校生活ということになるでしょう。しかし、この「うんざりするような」というのはどなたが決めたのでしょう。クリシュナムルティだからと言って、独断で他者の生活を「うんざり」と決定してしまっていいわけがありません。
 うんざりというのは、働いている(学校に行っている)ご本人の判断であり、定義でしかありませんね。
 
 そこに面白さとか楽しさとかを持ちこめるのは当人だけです。あなた以外のどなたもあなたの生活を楽しくできない。逆にあなた以外のどなたもあなたの生活をうんざりさせることもできません。
 私は左足が悪い。少年期、サッカーの授業があると本当に「うんざり」しました。走ることに違和感があるのです。ちょっと痛い。
 皆さんが大好きなサッカーですよ。あれを毎回毎回「うんざり」しながらやっていた10代の少年がいたなんて! うんざりに対して責任を持つべきなのはサッカーでしょうか、私でしょうか。
 
 仕事(勉強)はただ業績や成績のためにやるものでもないのです。それを通してあなたをどれだけ磨くか、その視点を大切にしてください。どんな仕事(勉強)であっても、あなたがあなたらしくなるための手助けになります。自分ならではの方法論が出てくる。「こんにちは」ひと言でさえ、いろいろな言い方ができます。なりたい自分になるために生きているのですからどんな機会も利用するべきだと思います。
 なりたい自分になるために、高いお金を払ってジムに通ったりワークショップに参加したり留学したりしますね。
 
 それも悪くないでしょうが、日々の仕事(学校生活)のなかで同じように自分自身を見つけ、高めていくことも間違いなくできます。
 私はZ会で社員にしていただいてから約15年・・・少しずつ本来の自分らしくなってきているとも思いますが、そういうのはすべて会社の仕事を通じてーー読書する書籍などは仕事が自然に運んでくる感じですーーでした。クリシュナムルティであれば「うんざりするような」と表現したであろう仕事に面白がって取り組むことだけで、自分らしく(世間的に評価できるかどうかは別問題ということはわかっています)なってきたように思います。
 
 どこか遠くに夢や希望のような何かが用意されているという考え方はそれこそ逃避であり、いまの現実生活のなかに夢や希望そのものを見つける視点こそが大切だと思いますよ。
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2013.11.22 05:25

 時刻をご覧ください。寝るところではないですよ。いま起きたのです。今日は午前中静岡県の三島市(Z会の本社があります)というところで年に1度の「社員会」という催しがあり、全社員が出席します。そのために早起きしました。例によって自宅を出るまでに2時間以上の余裕を見ています。
 きのうは真夜中に帰りました。睡眠時間は3時間半ぐらいでしょうか。社員会のあとはすぐに東京に戻って授業があります。大変は大変かな。
 
 何かーーこの時点で書いてしまうのはまずいのかもしれませんがーー自分の所属する部署が表彰されるかもしれないという噂を耳にしました。噂なのでよくわからないのですが、もしそういうことになれば例のオリコンの高校受験塾全部門完全制覇に続いてZ会進学教室は非常にうれしい評価をいただけることになります。
 まあ、厳しい世の中ですからね。少子化だとか不況だとかいろいろ難しい状況のなかで生徒が増えている、あるいはいい評判をいただいているというのは本当にありがたいことだと思っています。
 
 その秘訣は何か? ということなのですが、私なりに考えるところがあります。ありますが、そんなお話をわざわざ発表しなくてもいいですね。
 先日、ある卒業生ーーご兄弟がいまは通われていますーーがふらりとやってきた。男の子です。べつに特別に用事がある雰囲気でもなかったので、こちらも「元気か?」ぐらいであとは放っておいた。彼は受付と講師室のあいだの虚空をしばらくぼんやり見つめていました。やがて「ああー、ここに来ると癒されるなあ!」とひとり言を呟いて帰っていった。
 
 何か学校でいやなことでもあったのかもしれないですね。とくにそういう感じもしませんでしたが、とにかく教室に来て声に出して「癒される」とだけ言って帰っていった。
 そういう空間を作っているということはあるかもしれません。生徒たちにしてみると事務所とか会社というより大きな職員室みたいな感覚なのだと思います。一緒に働く仲間にもそういう意識は強く、先生ではなくても「ちゃんと復習しておきなさい」ぐらいおっしゃってくださる。暖色の空間が成立しています。
 
 私はよくご家庭を柔らかい場所にしてくださいとお願いしているのですが、環境作りは本当に大切です。ぴりぴりしていたら勉強どころではありません。10代の彼らのほうが私たち大人よりよっぽど情緒不安定なのです。寒色の空間にしてはいけないということですね。
 私は自分が授業する空間をある種の宇宙だと考えています。宇宙の秩序みたいなものを静かに保たないといけないわけで、殺伐とした雰囲気にならないように穏やかさは演出しているつもりです。教室、会社、学校・・・すべての場が1つの宇宙だということですね。
 
 
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2013.11.21 12:53

 おとといと昨日、予定通り連休をいただきました。ありがとうございます。
 耳鼻科も内科も行きました。とくに問題なしです。メガネも作った。妙なことを言われました。「長野さんは老眼と近眼がちょうどよく拮抗している。どんなメガネを作っても近くは裸眼のほうが見えるでしょう」
 そんなことがあるのですね。確かに近くはよく見える。しかし、裸眼だと遠くが全然見えません。大きな教室に立っていると、入ってきた生徒が誰だかすぐにはわからない。そのレベルです。まあ、いちおう新しいものを作りました。月末ぐらいにできあがります。
 
 映画も行きましたよ。「ミッドナイト・ガイズ」ですね。アル・パチーノとクリストファー・ウォーケンが出ている。車を猛スピードで走らせたり銃撃戦があったりはするのですが、この映画のテーマはズバリ「老い」だと思いました。そういう作りになっているのです。
 先が長くない元ギャング。アル・パチーノがこういう意味のことを語っています。暴れて(?)いると昔にもどったみたいだ。いや、昔よりよっぽど楽しい。なぜかわかるか? 一瞬一瞬かけがえのない時間だからだ。
 
 私もそんなにたくさんは残された時間はないと思っていますからね。複雑な気持ちになりましたよ。
 しかし、まあ男というのは本当に幼稚な動物だとも思いました。詳しくは書きませんが、70歳近い男たちが何をやっているのだろうというシーンがたくさんある。成熟した女の方がこの映画を見たら、ちょっと幻滅するかもしれません。もちろんアル・パチーノやクリストファー・ウォーケンには幻滅されないでしょうが、そのへんのオッサンがこんなことをしていたら幼児性を間違いなく軽蔑されるでしょう。
 
 私自身は男ですから、逆にこの幼児性がいいのではないかと考えてしまいます。いくつになっても少年時代と変わらず、女の人をナンパしたりする精神ですね。正直に書きますが、見ていて「こりゃおれも少し見習わなければな」と思ったぐらいです。最近、枯淡の境地みたいになってきているのでちょっと反省(?)しました。
 さらに映画館のポスターですごい映画を見つけた。「WER」というオオカミ男の映画。同じ館で時間帯を変えて上映されています。
 
 インターネットで予告編を見た(仕事場で見たのではないですよ)感じでは、これまで見たオオカミ男の映画のなかでいちばんすごそうです。あの「ハウリング」をしのぐすごさ! こりゃ見に行かなければ死ぬに死ねないということで・・・来週は1回だけの休みなのですが、「WER」を見に行きます。こういうところが本当に幼稚なのですが、まあ勘弁してください。
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2013.11.18 13:08

 昨日の記事を改めて読んでみて、2日間の休みだけで本当にぜんぶこなしきれるかなと心配になってきました。携帯電話だけでも修理しておいたほうがよさそうだという気分になり、教室に来るまえにショップに寄ってきました。午前11時開店なのですが、10分すぎに行ったらもう列ができている。窓口に3人、待っている方が3人。私も番号札を持って適当な椅子に腰を下ろしました。
 窓口がなかなか空かない。何だか皆さん難しいことを相談しています。おそらく店長さんだと思うのですが、フロアーで待っている方に非常に心を配られている男性がいました。
 
 ちらちらとこちらを気にしている。彼はあるおばあさん(失礼)のところにふと寄っていった。ひらめくものがあったのでしょうね。するとヘッドフォンをさしこむと音が消えるという相談でした。私はそういうのちゃんと聞いているのです。ちょっとお見せくださいとしばらくいじっていました。そして、おばあさんに返しながら「こうやってぐっと強くさしこんでみてください」とおっしゃった。
 おばあさんはヘッドフォンを耳にあて「あら、聴こえるわ」と笑顔になった。それで終わりです。そうかーと思いました。あんな相談もあるんじゃ大変だなー。
 
 つぎはおじいさん(失礼)のところに近づいていった。なぜか若者のところには行かない。おじいさんは電波が入らなくなったと嘆いている。なるほどなるほどと店長は機種を受け取り、やはりしばらく見て「これは電波がつながらない設定になっています」とおっしゃった。「え、ほんと?」おじいさんはけっこう大きな声を出しました。店長は「ご迷惑をおかけしてすみません」と礼儀正しく頭を下げ、どこかをいじってしまったのでしょうから電波がつながるように設定しなおしますとあっという間になおしてしまいました。こりゃ、ますます大変だなーと同情しましたよ。
 
 そして、ついに私のところに来ました。「ご用件だけうかがっておいてよろしいですか?」と笑顔を見せる。しかし、私の場合こわれてしまっているからなあ。私はクリシュナムルティみたいに眉間に皺を寄せながら「ちょっとこわれてしまって」と携帯をとり出しました。「裏が・・・」
 店長は「ちょっと見せていただいてよろしいですか」とさっきと同じようにおっしゃった。で、3秒ぐらい。「はい、なおりました。元通りはめておきました。ご迷惑をおかけしましたー」と頭を下げる。
 
 あららららららららーですよ。さっきのおばあさん、おじいさんよりよっぽど簡単じゃないかよー。「ヘッドフォン聴こえない」対「電波つながらない」対「裏ブタとれちゃっただけ」で勝負ということになると、やっぱり1番無能なのは裏ブタとれちゃっただけではないですか? しかし、こんな勝負は勝っても全然意味がない。
 小さくなって出て行こうとすると店長が「ありがとうございましたー」と声をかけてくださった。店員の方の「ありがとうございまーす」という唱和も聞こえてきます。とほほですよ。
 
 教室の仲間には「まあ、人間得意不得意があるから」と慰められました。不得意の分野があまりにも巨大なので、授業は相当がんばらないといけませんね。
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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