2013.10.31 13:37

 明日からは11月です。毎年、この時期に受験生の方に同じメッセージを伝えています。まったく同じ内容にはなってしまいますが、受験生の方は入れ替わっているわけでまるで意味のないことでもないと考えています。
 いままでのことはもういいです。努力してきた方はもちろんそのままでいい。問題は(じつはあまり頑張ってこなかったなあ・・・)という方。とりあえずそのことはもういいですから、ここからは心を入れ替えて「1日1点」上げていくつもりで真摯な努力をスタートさせてください。
 
 全教科で1日1点でいい。もし、本当にその通りにできたらあなたは志望校に合格できるはずです。まだ何ヶ月ありますか? 可能性は十分あります。漢字1つできないものができるようになっただけで2点上がる。2日分も上がる。
 これは高校受験も大学受験も(中学受験も)同じことです。そういう「目」を持って勉強に向かうということ。醒めた意識で対象に向かう。「今日1日どこかで必ず1点分稼ぐぞ」という気持ちで向かう。
 
 朝目覚めたときと夜眠るとき祈るといい。自分自身に対して祈る。「今日1日1点だけは上げられる自分でいてくれ」と目覚め、「今日も1日1点分をありがとう。我ながらよくやった」と眠りにつく。その繰り返しです。
 勉強というのは目的地があるように見える。つまり合格ですね。合格するために努力する。ところがその目的地と現在のあなた自身との変な乖離(かいり=意味を調べてください)が妙な浮遊感になって受験生をむしばむことがあります。勉強することに対しての現実感が稀薄になる。じつはこれは勉強に限った話ではありません。仕事なんかもそうですね。
 
 巡礼そのものが聖地であるという諺(?)があります。そうやっていま生きること自体が目的であるべきなのです。受かるために勉強しているのではなく、いましている勉強そのものが自分の目的なのだと感じてください。出そうだからやる、出ないかもしれないから手を抜くではいけない。損得勘定みたいな姿勢では、ものごとは成し遂げられません。
 受かるかどうか、そんなことはある意味どうでもいい。とにかく目のまえの課題に全力で取り組みどこに進学しても実力者である自分自身になるのだという冷静さが大切です。
 
 全力というのは、うんと先の結果を予想しないということです。あまりにも過去と未来をうろうろしすぎて現在にいない人が多い。社会のーーもう少し踏みこんで表現すれば経済至上主義みたいなものがーーあなたをつねに未来に誘おうとしています。将来の夢か将来の不安、その側面からだけ人々にたくさんのお金を使わせようとしている。
 過去に生きている人もいます。昔はこうではなかった、あのアクシデントで自分はだめになった・・・過去にとらわれすぎている。しかし、あなた次第ですよ。ここからです。ここから1日1点主義で生きてください。あくまでも「結果」として、うまくいくはずです。
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2013.10.30 13:49

 S先生からいただいた太宰治と三島由紀夫のご著書を読んでいて、成功者というのは何だろうと改めて考えさせられます。一般的には太宰治も三島由紀夫も大成功者ということにはなるのでしょうが、1人の子どもの親としてたとえば息子にああいう人生を送ってもらいたいとはなかなか考えづらいものがあります。何となく・・・表現が難しいのですが、部分が全体を食ってしまったような、部分だけが成功して全体がうまくいかなかったような微妙な印象を受けるのです。誤解のないように書いておきますが、私は太宰も三島も文学者としては無条件に崇拝しています。彼らの芸術的価値がどうのこうのというお話ではありません。
 
 北千住にOという有名な大衆酒場があります。「大衆」ということに限定すれば間違いなく日本で1、2を争う居酒屋だと思います。
 ここのオヤジさんは「人間国宝」とまで呼ばれていて、じつによく働きます。もう80歳を過ぎています。それでいてきびきびと一生懸命働いていらっしゃる。見ていて気持ちがいいですよ。人気店ですからお客さんはつねに何十人もいる。そのお客さん1人1人の動向を、息子さんと2人でじーっと見ている。で、ちょっとした動きも見逃さず「おいきたー!」とものすごい早足で注文をとりにきます。気づかないふりみたいなことは絶対にしません。
 
 私なんか動きがおかしいですからね。自覚があります。考え事をしていたりすると意味もなくうなずいてしまったりひとり言を呟いたりします。Oでもついそんなクセが出てしまって、オヤジさんが「おいきたー!」と目のまえに来てしまったことがありました。「すみません。何でもありません」と謝りましたよ。
 お店は何度も何度もマスコミに取り上げられ北千住の象徴みたいになっています。毎日毎日大勢のお客さんでごった返している。
 
 何かのインタビューで、ご長男はたしか医学部に進まれたというお話をされていたように記憶しています。そのときのオヤジさんの口調からは何となくお店を継ぐことのほうが医学部進学より価値があるように考えていらっしゃるニュアンスを感じて微笑ましくなりました。結局ご次男が継がれたのでまったく問題はなかったのですが、ちょっと残念だったのかもしれないですね。
 いまの私は、このオヤジさんなんかそれこそ人生の「成功者」だと感じます。自分も80歳過ぎてーーそれまで生きられるかどうかかなり疑問ではありますがーーあんな風に世の中のために働けたら幸せでしょう。
 
 全体として生きるのはじつに大切なことだと思うわけです。その人全体を活かすということですね。また世の中全体のために生きるということ。それが自然にできるかどうか。そういう部分まで手を伸ばすのが、じつは本物の教育なのでしょうね。
 Oは大人数では難しい。いらっしゃるのであれば、お1人かお2人がいいと思います。女性同士でも入れますからご安心(?)ください。
 
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2013.10.28 13:37

 Z会進学教室のいくつかの教室で国語の授業を担当していらっしゃるS先生は有名な太宰治の研究者で、いくつか著作も持っていらっしゃいます。先日、新刊の「太宰治と三島由紀夫」という高価なご本をいただきました。
 先日と書きましたが、正確には昨日です。260ページぐらいある本をまる1日でほとんど読み終えてしまいました。ものすごく面白い。昨日は休憩のときに少しでも先を読みたかったので、肉食を避けている私がわざわざとんかつ屋さんに入ったほどです。読む時間と場所を稼ぎたかった。
 
 私自身、若いころ太宰治のことは大変好きでした。哲学科に在籍していたのに卒業論文は太宰治を取り上げたぐらいです。それぐらい心酔していた時期があります。
 ぜんぶ太宰と同じことをしようとした。だらしなく酒に酔って・・・という意味の記述を見つけて、自分もあえて「だらしない」酒飲みになろうと努力した。大学の授業にはほとんど出席していなかったという記事を見つけて、自分も授業なんかに出ているようではだめだとある期間ほとんど大学に行きませんでした(当然、落第)。全集も揃え、書簡集まで読みました。
 
 私は大学のとき「も」女の人には全然もてませんでしたが、やたらと心中や自殺の話ばかりしていたからだと思います。できれば未遂でいいので、そういうことをしてくれる女の人はいないものかと考えていた。20代で心中未遂の経験1つないようではみっともなくて生きていけないと・・・まあ、とんでもない思い違いをしていたものです。そんな危ない男の人とおつきあいしてくださる女性はいませんでしたよ。
 太宰が亡くなったのが30代、三島由紀夫が亡くなったのが40代ですか。三島由紀夫に関してはなぜかほとんど接点がない。ご縁がなかったのですね。
 
 以前、書いたように私はビートルズやキッスの音源を1つも持っていません。私ぐらいの年齢の方は音楽ファンでなくても何となくビートルズやキッスのアルバムを持っていたりするものですが、私にはその機会がなかった。
 きらいというわけではなく、何となくご縁が薄かった。そういう感じで、三島由紀夫の書いたものを真剣に読む機会はありませんでした。太宰の作品ももう10年以上読んでいません。そもそも小説というジャンルが、人生に必要なくなってきている感覚もあります。
 
 改めて太宰の作品をーーS先生の著作のなかでーー読んでみて、すごいメロディー・メイカーだったのだなということに気づきました。ちょっとクサいメロディーも、平気で真正面からぶつけてくる。昔の映画音楽みたいな感じですね。そういうところが非常にわかりやすく、感動したくてむずむずしている(どなたでもそういうときがあると思います)人間を上手に泣かせてくれるのでしょう。そんなことを考えながらあっという間に読んでしまいました。
 
 それと同時に、やはり歳をとってよかったと思いました。太宰にしろ三島にしろ、以前感じていたより幼く見えます。何が何だかわからない怪物のような存在ではなく、もろい人間的な部分が透けて見える。
 ただ、そのあたりのことはいちいち人さまに発表することでもなさそうですね。いずれにせよ、S先生には感想文でもお送りしようと思っています。文学関係の書籍を面白く読んだのは本当に久しぶりでした。
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2013.10.27 11:39

 お子さんと親しくコミュニケーションをとられるといいというお話をよくしています。するとときどき「どういう話をしたらいいのかわからない」とおっしゃる方がいらっしゃいます。「私もあまり喋るほうではないので・・・」
 なるほどなと思います。ただこういうことは難しく考えないでください。できるだけお話してみてくださいというだけのことで、お話できなかったら大変なことになるというわけではありません。言葉や話題が少しでも積みあがれば理想的だということですね。
 
 学校の教科書だとか塾のテキストだとかーー国語のものがわかりやすいと思うのですがーーどんなことが書いてあった? というのもいい声のかけ方です。今日はどんな文章を読んだ? ぐらいですね。
 仮に「子どものときの記憶について書いてあった」と彼(彼女)が答えたとします。いちばんはじめの記憶について書いてあった。そういうときは「あなたのいちばんはじめの記憶は何だった?」と質問してあげるといい。「何歳のときの、どんな思い出?」
 
 勉強というわけではないですから、あちらも快活に答えるでしょう。そういう何でもない雑談というのは楽しいものです。楽しく演出するべきだとも思います。
 相手の話を聞くときはときどき質問してあげるといい。それは夏? 冬? そこにはほかに人がいたのか? 音は聞こえた? 映像だけか? なぜ映像だけなんだろう。そうして今度はご自身の生まれてはじめての記憶についてお話になったらいい。たとえば私(長野)のはじめての記憶は、病院の手術台のうえでした。全身麻酔をかけられるときに非常に不快な匂いがしたことを覚えています。
 
 さらに全身麻酔や手術やお医者さんや入院や健康の話に移っていくといいと思います。むりに続ける必要はないですよ。しかし、せっかく相手も乗ってきているのであれば良好な関係を築き大人の言葉を聞かせてやるいいチャンスです。
 あるいはテキストで小説を読んだとします。「どんな話だった? その話はだれが書いた? その作家はいまも生きている?」と質問してやる。場合によってはちょっと調べてみようと一緒に(ここはけっこう大切です)調べてみてください。「ずいぶん昔に亡くなっているな。文章は古臭かった?」と訊く。
 
 そんな古い人の文章が、どうしてテキストに載っているのだろう? 
 ひとつの例です。毎回、こうしてくださいというわけではありません。こうやって話を広げていく。他人同士ではないのですから、失敗しても大丈夫です。とにかく話す姿勢を見せる。
 こういうときに塾で書いたノートを持ってこいとかそんな理解じゃ話にならない、もう1度問題をぜんぶ解き直してみろとか面倒なことをおっしゃるとうまくいきません。そういうところまでは踏みこまない。あくまでもこちらの好奇心を発動させるという次元にとどめておくのがよいのです。
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2013.10.26 13:14

 中学生の方は読めないかな。「もうろく」と読みます。歳をとっていろいろ衰えてきたときに使います。とくに思考力や記憶力ですね。
 私のことです。どうもちょっと耄碌してきた。まだ早いですかね? 個人差もあるのだろうと思います。さっきいただいたコメントのお返事を書こうとして「『お』コメントをありがとうございます」と書いてしまった。そんなところに「お」をつけたらおかしいですよ。気づいたからよかったものの、そのまま掲載してしまった可能性もありました。
 
 先日はこういうことがあった。少し離れたところに立ち食いそば屋のUがあります。FとかKではなく、Uです。私は立ち食いそばを食べたいときは、わざわざ離れたUに行くことにしています。
 なぜか。思い出があるのですよ。高校時代、学食が完成した。そして、このUが入ってきたのです。当時は天ぷらそば(うどん)ときつねそば(うどん)ぐらいしかなかったのですが、何度か利用したことがありました。とくにおいしいとは思わなかった。思わなかったものの1970年代の思い出として残っている。ギルバート・オサリバンやアルバート・ハモンドとダブるわけですよ。
 
 ですから、わざわざUに行く。
 先日、食べ終わって「ごちそうさま」と店を出ようとしたときにいつものことなのですが、お店の方が「またお越しください」とおっしゃった。私はーー変な時間帯だったのでお客さんは私1人でしたーー思わず足を止めて「はい!」と大きな声で返事をしてしまいました。返事をした直後に(いまのはあまりに不自然だな)と気がついた。あちらは型どおりの挨拶なのですから、子どもじゃあるまいし足を止めて「はい!」はないでしょう。向こうの方も戸惑ったような顔をしていました。
 
 また、こんなこともあった。
 フランキー・ヴァリの奇跡の日本公演、日程が延期になったおかげで行くことができます。チケットを買いに行った。渋谷のヒカリエのなかにチケットぴあが入っています。そこで買うことにした。
 ご記入くださいと紙を渡されたので名前を書きました。最後に「様」がついていますね。私はいつも自分の名前を書いたあとで「様」を斜線で消します。ちょっとした礼儀(?)みたいなものです。ところがどうしたことか、そのときは丸で囲んでしまいました。気づかずにそのまま提出した。
 
 長野正毅様の「様」だけ丸で囲われているわけですよ。受付の方がさらに何か書きこまれているのですが、異様に「様」が目立っています。何だか、おれは偉いんだぞ! と主張しているみたいで恥ずかしくなりました。どうして囲ってしまったのか、不思議です。
 まあ、こんな風にしてだんだん変になっていくのでしょう。困りますよ。私ももうあまり長くはなさそうですね。
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2013.10.25 13:37

 先生方と生徒のことをよく話します。教室までいらしてくださる中学生(小学生・高校生)であれば、いわゆる「ワル」はいない。そういう生徒はいないのですが、すごく疲れている子というのはやはりいます。やる気がないのではなく、疲れていてやりようがない。
 先生方がおっしゃるわけです。「あの子はなんでいつもいつもぐたーっとしているのだろう?」と。どの学年にもいる。いつも疲れている。
 
 しかし、肉体的にいつもいつもというのは不自然です。激しい肉体労働者ではあるまいし、そんなことはまずありえません。つまり精神的な何かが彼(彼女)の快活さをブロックしてしまっている。
 ご本人の罪ではない感じもするのですが、あくまでもスイッチを入れるのはご本人であるべきです。「やる気スイッチ」という流行語(?)がありましたが、他者からの働きかけだけを待つ甘えた気持ちは自助的な努力を放棄させてしまうでしょう。
 
 子どもだけではありませんね。大人でもそうです。ご本人に悪気があるわけではない。だいたい本当に悪い人間がそんな風にぐたーっとばかりしていないですよ。突っ伏しているだけでは悪いことさえできません。
 何となく働く気がしない。何となく子どもを育てる気がしない。何となく眠っていたい。何となく約束が守れない・・・いろいろなケースがあると思います。場合によっては新型うつとか何とか病名がついてしまう場合もあるかもしれません。
 
 私が提唱したいのはこういうことです。
 新鮮さを取り戻しなよということ。細胞だってどんどん入れ替わっている。どうしてあなたの人生だけ永遠に同じだと決めつけてしまうのですか。どうせいいことなんかない、きのうと同じだろうと決めつけてしまうのですか。
 場合によってはいつもいつも同じ友だちとつるんでいるのがよくないようにも思います。もちろん人間としてはあなたも友だちも悪くない。ただ「つるむ」姿勢に永遠のだるさをもたらす変な相乗効果が働いているのかもしれない。
 
 個として立つ。友だちとは仲よくしますが、トイレには1人で行く。食事するときは本当に食べたいときに食べたいものだけを1人で買ってくる。遠回りして帰ろうぜと言われたら、今日だけはさっさと帰ってみる。
 文字を今日だけはていねいに書いてみる。今日1日だけは時間が余っても机に伏せない。今日1日だけは声に出して読んでみる。今日1日だけはもっともっと人に親切にする。今日1日だけはゆっくり噛んでみる。
 あなたの真新しい1日をなぜかけがえのない記念日にしないのか、とても不思議です。もったいないことをしている事実に気づきなさいということですね。
 
 昔、書きました。ヨガか何かの技法で「生まれて初めて世の中を見るように見なさい」という面白いものがありました。いたるところでその目を持ち続けろと書いてあった。それが活き活きとした感覚を呼び戻す。
 そうやって授業も受けてくれたらいいのです。どの授業でもつまらなく感じるとしたら自分が悪いのだとはっきり言っていた優等生がいましたが、彼とあなたの違いは能力の差ではないのですよ。新鮮さを保つ工夫ーーそういうところが違うのです。
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2013.10.24 14:41

 昨日はお休みをいただいたのですが、横浜で朝から神奈川新教育さんの神奈川県高校説明会があり、行ってきました。渋谷教室には神奈川県の生徒さんもたくさんいらっしゃるので(以前、池袋教室にいたときは埼玉県の生徒さんが相当数いらっしゃいました)、ひととおりの知識は身につけておかないといけないのです。
 朝の混雑具合いがわからないので、念のため早めに自宅を出ました。岡野町の西公会堂というところで実施されたのですが、早すぎて1番に着いてしまいましたよ。
 
 じつは今日は進学研究会さんの入試説明会に参加してきました。こちらは北池袋の私立高校の講堂で実施されるのですが、何年まえだったかこちらでも1番に着いてしまったことがあります。
 私はどんなときでも早く起きて準備していますから、催しに遅れることはまずありません。バスや電車が遅れたときのことまで考えて用意しているので、トップで着いてしまったりするのですね。あんまり早く着くとちょっと気恥ずかしいのですが、遅れて行くよりは礼を失していないとも考えています。昨日も「こんなに早くから待たせていただいていいですか?」と訊いたのですが、気分よくどうぞどうぞとおっしゃってくださった。
 
 10年以上昔にはこんなこともありました。
 高校部の説明会があった。私はお話する予定になっていました。ところが会場である新宿教室に着いてみると濃紺のブレザーのボタンが1つだけとれていることに気づいた。自宅を出るときからとれていたのでしょう。不覚でした。特徴のあるボタンで、これはみっともないなと思った。かわりのボタンはない。で、どうしたか。
 会がはじまるまでに1時間以上ありました。それだけ早く来ていた。まだデパートなんかの開いている時間帯ではなかったのですが、高円寺駅前に24時間営業の洋服屋さんがあったことを思い出した。
 
 高円寺まで行きましたよ。片道10分程度なので十分に間に合う。まとまった現金は持っていなかったので、カードで新しいブレザーを買った。店内で着替えて新宿教室に平然と戻りました。古いやつはコインロッカーにしまっておいた。一緒に話をすることになっていた女の方に「この服、たったいま買ってきました」と事情を話すと、すごく笑っていました。解決方法が微妙だったからですかね。
 横浜という街にはいろいろな思い出があります。昨日は会終了後ーーお休みなのでーーぶらぶら歩いてみました。死ぬまでもう2度と行かないだろうというところも見た。印象を心に刻みこんでおいた。おかげで1日に15000歩以上歩いていましたよ。
 
 
 
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2013.10.21 13:50

 いつだったかある生徒に「歴史上、もっとも尊敬する人物はだれですか?」と質問されたことがあります。私はおそらくブッダではないかと答えました。日ごろ考えたこともないですからね。おそらくですよ。おそらくですが、そうずれていないだろうと思います。
 それでは日本人ではだれをいちばん尊敬しますか? とも訊かれました。これまたおそらくですが、ギタリストのCHARさんではないか。尊敬というよりは憧れですね。そういった感情を抱くことはめったにないのですが、とりあえず答えました。
 
 今日、渋谷駅にそのCHARさんの大きなポスターが貼られていました。近寄って見たところ、ギター・マガジン誌が彼の特集号を出したみたいです。帰りに西荻窪の本屋さん(私はなるべく地元の個人店を利用するようにしています)で買って帰ろうと思います。その本屋さんは終電まで開いているので便利なのです。
 CHARさんは私と同い年で、私は彼がデビューする以前から噂を耳にしていました。高校生のころです。下北沢に同年代のすごいギタリストがいると話題になっていました。
 
 私はふだん同時進行的に何冊かの本を読んでいます。きちんとぜんぶ読む場合もありますし、適当に流し読みで済ませてしまうときもあります。マンガ以外はだいたい電車のなかで読むのですが、最近非常に面白い記事を目にしました。
 変わった書物なので、あえてタイトルは出しません。中学生が読むような本ではないですね。お勧めする気持ちになれないのです。ただ非常に示唆に富むエピソードが書かれていた。それはこういう話でした。
 
 寓話です。ある王さまが歩いていて砂利で足を痛めた。怒って国じゅうを柔らかい革で覆いつくせという命令を出した。相当頭にきたのでしょうね。
 側近の1人がもっといい考えがありますと助言した。「王さまの足を柔らかい革で覆ったらいかがでしょうか?」それが靴のはじまりだと書いてありました。
 しかし、この話はそれだけでは終わらない。非常に考えさせられます。
 
 つまり、全体にばかり目を向けていないで自分自身を何とかしろという暗示ですね。世界を変革しようなどと夢物語みたいなことばかり語っていないで、まず自分自身のことをもっと深く考えなさいということです。
 私はーー正直なところーー政治や経済で人間がどんどん幸福になるとはまったく考えていません。社会のシステムをあれこれと変革する「だけ」で人類が救われるとは到底思えないのです。救われるには、ご本人が救われる人間になる以外に方法はない。つまり「自分の足を柔らかい革で覆う」しかないと思っています。
 
 その書物には、たとえば世界の貧困の本当の原因は個人の貪欲さにあるとも書かれていました。だから、いくら社会のシステムを変えても貧困はなくならない。それよりは個々人が貪欲な気持ちを捨てなければならないと気づくべきであるというわけです。
 私はこの考え方を正しいと断言するものではありません。しかし、示唆に富む話であることは事実です。世界というのは所詮個の関係性で成立しているわけですから、個の変容なくして世界が劇的に変化することは到底ありえないと考えるからです。
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2013.10.20 12:54

 Z会進学教室ではときどき生徒にアンケートをとっています。ですから、自分がどれぐらい支持されているかということは明確にわかります。アンケート結果を必ずしも鵜呑みにしてはいませんが、無視するわけにもいきません。
 現在の自分は、若いときほど支持を得ていないと思います。それでもまあまあというところにはいるかもしれない。バンドに例えるとブラック・サバスとかジューダス・プリーストというわけにはいきませんが、サクソン(イモ? けっこう好きですよ)ぐらいの位置にはいるように感じます。
 
 歳をとってよかったと思うこともあります。
 昨日どうしてそういう話題になったのかよく覚えていないのですが、何かの説明をしているときに夢のなかで泣く話が出てきました。じつは私自身も若いときーー大学生のころですーーそんな朝がありました。
 悲しい夢を見た。別離とかそういう夢です。とうとう別れてしまったのか。で、ふと目が覚めた。まぶたのところに指を持っていくと、本当に涙が出ていました。ああ、悲しくて目が覚めたのだなと思った。
 
 そのことを授業中に何となく話しました。話さなくてもいいことではあるのでしょうが、話すだけの価値があるような気がした。私は彼らに、こうした20代の朝の思い出は自分にとってかけがえのない財産だと伝えました。ひょっとするとそんなことしか本当の財産はないのかもしれないとも。
 ふつう恋人同士とか親友同士とか親密な関係でないと出てこない話でしょう。だからこそあえてした。
 
 授業で何をやるかということは決まっています。カリキュラムがありますから、勝手なことはできません。それこそ文法の説明なんかはどの先生もそんなに変わらない。以前も書いたように「かろ、かっ・く、い、い、けれ」は「かろ、かっ・く、い、い、けれ」でしかない。
 ただどういう形であれ、漠然と人生の深さを予感させることは可能です。きっかけみたいなものですね。「きみたちにもそんな朝が来るかもしれない」という感じでこの話題は終えました。
 
 今日は「中学受験をしない小学生」のクラスで、文明の発展のおおもとは時計を発明したことであるという文章を読みました。時間の概念が文明の発達を促した。
 おうちでお兄さんお姉さん、場合によってはご両親に「文明はなぜ発展したと思う?」と質問してごらんと言いました。食卓でそんな話題が出ること自体がすごく実りが大きいと思うわけです。本来は大人のほうから投げかけてくださるといいのですが、小学生から提案しても悪くない。ああではないかこうではないかという空気の濃密さが役にたつと思います。
 
 勉強ができるようになるということは人間的にも大きくなるということですが、その際に大切なことが1つだけあります。
 人生に対する畏怖心みたいなものは失ってはいけないですね。「おれは天才だ!」だけではいけない。仮に本当に天才であっても、自分は所詮部分であり部分は絶対に全体には勝利できないのだという謙虚さは必要でしょう。そのためには何かの拍子に人生の深淵をのぞきこむ、あるいは予感する必要がある。いつもそういうお話ができると理想的なのですが・・・
 
 
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2013.10.19 07:03

 今日は朝から忙しいので自宅からです。
 有名なところではレッド・ツェッペリンの「グッド・タイムス・バッド・タイムス」で、ベースだけ1回多くフレーズを弾いてしまった箇所がありました。もしかするとその後手を加えられてしまったかもしれませんが、少なくともはじめて発売されたレコードではそうでした。
 ディープ・パープルの「イントゥ・ザ・ファイアー」でもイアン・ペイスのドラムがもたつくところがあります。案外気づかれていない。これは現在の音源では修正されているみたいですね。いろいろなバージョンが出ているので、よくはわからないのですが。
 
 古いところではザ・フォー・シーズンズの「アローン」という曲。コーラスが終わったところで「ウ」という発音が瞬間的に聴こえます。ひょっとするともう1回歌おうとした人間がいたのかもしれない。古いレコーディングですから、そういうこともありえますね。
 いろいろミスがありますが、これから書くミスはひょっとすると日本中で私以外どなたも気づいていないかもしれません。どうでもいいことなのです。どうでもいいことなので、大切なのです。
 
 B・J・トーマスですね。「雨にぬれても」が小学校の教科書にも出ていた。あのB・J・トーマスが「雨にぬれても」のあとに「アウト・オブ・タウン」というシングル盤を出しました。1970年かな。私個人は「雨にぬれても」よりこちらのほうがはるかにバート・バカラックらしいと思います。この曲と「ロング・アゴー・トゥモロウ」。バカラックの真骨頂が表れている。
 中学生のときにLPレコードを買いました。ヘッドフォンで何度も何度も聴いた。当時は音源が自由に手に入りませんから、手持ちのレコードを繰り返し繰り返しひたすら聴いたものです。すると「うん?」という箇所が出てきました。
 
 その後、CDも入手しました。まったく同じ録音なので、同じ箇所で「うん?」となった。ゲップみたいな音がするのですよ。ゲップを我慢したような音。少なくとも喉を鳴らす音です。かすかに、一瞬だけそういう部分があります。
 Youtubeでもわかりますが、ヘッドフォンをつけないとだめですね。それに気づいてからはこの曲に対する印象が少しだけ変わりました。それでもB・J・トーマスは好きですし、いい曲なのは間違いない。
 
 こういうタイプの「歌手」が少なくなりました。静かな伴奏があって、そこに個性的な歌をのせていくという形が最近ではむしろ珍しくなってきている。
 近年のB・J・トーマスのライブ映像も見ましたが、あまり大きな会場ではなさそうでしたよ。「アウト・オブ・タウン」も歌っていました。例の箇所に来るとふとゲップの音がするような気がするのですが、もちろんそんな音が入るわけがありません。もう少しゴージャスなバック演奏がつくといいのでしょうが、彼の歌は枯れた感じなのであれはあれでいいのかな。
 
 
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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