2013.08.31 06:22

 その昔、朝は朝らしく夜は夜らしかった。私が子どものころですね。スマートフォンもインターネットもコンビニエンスストアーも何もありませんでした。夜になると買い物そのものができなくなります。ですから、お店が開いているうちに買い物はすませておかないといけない。
 塾の帰り、途中で何かを食べるということは物理的に不可能でした。自宅で食べるしかない。そうそう、家の近所で屋台のラーメン屋さんを見かけたことがあった。大人になったら食べてみようと考えました。
 
 不便ではあった。不便ではあったけれどもそこにはある種の情緒や節度がありました。朝には朝特有の情緒があり、夜にはこれまた夜特有の情緒があった。朝と夜、感情が違う。24時間いつでも同じではないわけです。朝が来るとこれからみんなが活動をはじめるのだなとわけもなくうれしく思い、夜になると街全体(私は中野区中央というところに住んでいました)がしーんとなってしまって心細く感じたものです。
 毎晩寂しいからこそ翌朝はうれしいのですね。太陽さえ昇れば、起きて活動してもだれにも文句は言われないといううれしさです。
 
 いまはそれこそインターネットで24時間情報を仕入れることができます。メールやラインで1日中友だちとつながっていることもできる。寂しくはないでしょうが、24時間活動し続けられるということは「今日はここからスタートだ!」という新鮮さも失ってしまっている。スタートの喜びそのものを失ってしまった。
 活動をはじめられるということが人間にとってどんなにうれしいか、ちょっと想像してみてください。現在、日本人の多くはその種のメリハリを完全になくしてしまっていますね。
 
 テレビも夜中はやっていませんでした。仮にスイッチを入れてもざぁーっという砂嵐が映るだけでつまらない。つまらないからこそ「明日はテレビを見るぞ!」と改めて思う。翌朝、テレビが放映されている事実だけで幸せでした。
 何もかも便利に手に入る安易な生活によって感情の機微みたいなものも失われた。機微がないから微小なことに感動する心も育たない。秋晴れの気持ちのいいある朝、それでもあの暑い夏が失われたことに対する一抹の寂しさを感じる心も育たない。
 
 自室にいながら世界中の情報を集めることができ、気の合う仲間と24時間わいわい遊んでいられ、真夜中でも何でも好きなものが好きなように手に入る生活はたしかに人類の長年の夢であったと思います。
 しかし、もし私たちが現在の生活に疲れているのであれば、その便利さのなかで本来持つべき人間の活力ーー朝が来たときの快活さや雨が降ってほっとする心の余裕などーーを失ってしまっている可能性もあります。考えるべきなのは、より便利になることではないのかもしれないですね。
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2013.08.30 13:21

 夏期講習が一段落してまたお休みがとれるようになってきました。9月からは基本的には火曜日と水曜日にお休みをいただくことになっています。なかなかうまくいかないかもしれませんが、とりあえず仕事に出てくる日は必ず記事を更新しようと思います。
 昨日は、映画を見に行きました。こんなタイトルの映画、化け物も宇宙人も出ませんから普通だったらわざわざ見に行くことはありません。クリストファー・ウォーケンが出ているというだけで行きました。
 
 新宿の100人も入らないような小さな映画館で見ました。
 クラシック音楽にはあまり関心がないので、ひたすらウォーケンばかり見ていましたよ。すごくおかしいところが1ヵ所ありました。チェロ奏者のウォーケンがパーキンソン病を宣告される場面。彼は一瞬笑顔を見せて「ワオッ!」と大きな声を出します。じつにウォーケンらしいというか何というか・・・アドリブだったのか監督がウォーケンだからということでわざとそんな演技をさせたのか、非常に興味があります。
 おそらくあのシーン以外はしばらくすると忘れてしまうと思います。
 
 平日の昼間ということで、館内はいわゆる「おばさん」が多かった。お友だちと来て、ご亭主は退職しているというような話をされていた方がいらっしゃった。「あなたのうちは大きいからお掃除大変でしょう?」「そうねえ、主人にも手伝ってもらうから」みたいな会話。私はそういうの聞いていないような顔をしてよく聞いているのです。
 映画が終わってから実家に行きました。母親だけがいた。母親がある友人の話をはじめました。友人が怒っているというのです。
 
 友人は病院に行くときに自費でタクシーに乗る。ところがその友人には生活保護か何かを受けている隣人がいて、そちらには高級タクシー(?)みたいなのが無料で迎えに来る。そのことを不公平だと怒っているというのですね。
 私はそんな考え方はよくないと言いました。80歳を超えても自力で人を豊かにする余裕が残っていることを天に感謝して生きなければいけないと伝えてくれと言いました。母親はあなたみたいなお人好しは見たことがないと呆れていましたが、そう考えるべきなのです。
 
 たとえば私は自分の収入についてこう考えています。私のマネージャーは天(でも神さまでもオーバーソウルでも呼称は何でもいいのですが)であって、私はそちらに全面的に任せています。ですから、自分の働きとは必ずしも比例しない部分も出てきます。2倍働いたからと言って2倍の収入があるわけではありません。
 しかし、私は完全に天を信頼していますから、もし私に収入以上の価値が出ているときはどこかに確実に貯金されているはずです。それは必ずしもお金とは限らない。健康であったり周囲(私生活でも仕事でも)の幸福であったり表現することのインスピレーションであったりするかもしれません。
 
 大学を卒業してから今日まで働いてきたわけですが、受け取る収入がそのときどきのベストなのだといつも考えています。お金がほしくないとかそういうことではないのですよ。
 つまり、それほどまでに自分に起きていることーーつまり人生をーー信じているということですね。
 
 
 
 
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2013.08.28 13:04

 ブログがリニューアルされて、しばらくランキング関係のボタン(?)がありませんでした。約20日間ですね。自然に消滅していたので、それならそれでいいやと思っていました。やり方みたいなのもわかりませんし。
 社内のある方がーー担当ではないのですがーーいつも私をすごく応援してくださっていて、またランキングに参加しましょうよと現在のような感じに戻してくださいました。その方はそもそもブログの書き方そのものをーーつまり管理画面への入り方などを一から私に教えてくださった方で、私はとても信頼しています。
 
 長いことボタンがありませんでしたから、順位はずーっと落ちていました。8月22日の段階でブログ村は57位だった。ブログランキングのほうもやはり50位前後だったのではないかと思います。
 もちろんランキングのために書いているわけではないのですが、ずいぶん落ちてしまって応援してくださっていた方に顔向けできないなぁ・・・とはちょっと思いました。もっとも順位を上げたいと思っても、押すボタンそのものがないのですからどうしようもないですね。
 
 ボタンが復活してどうなったか。
 ブログ村のほうしか変遷はわからないのですが、22日に57位まで落ちていたものが、43位⇒13位⇒6位⇒3位と上がってきて、さきほどは2位までのぼっていました。
 ブログランキングのほうも3位まで上がっています。相当数の方が応援してくださっていることが身に沁みてよくわかりました。まさか、こんなに早く上位に上がってくることができるとは思っていなかったので、ちょっとびっくりしてもいます。お手数をおかけして申し訳ない。
 
 ブログの記事についてなのですが、ときどき私自身が自分が書いているのではないみたいだと感じることがあります。調子のいいときですね。私自身以上の何かが出てくるときがある。変な表現ですが、スポーツでも楽器演奏でも芸術活動でもそういう「のりにのった」状態というのがありますね。そんな感じになる。
 表現されたがっている何かが偶然いまの自分を通じて出てきているなという感覚でしょうか。これは授業していてもときどきそう感じる日があります。自力だけではここまで上手に教えられないなという瞬間ですね。
 
 何ごとでも行為に人物が乗っ取られてしまうぐらいになるとうまくいくのでしょう。勉強もそうだと思います。
 乗っ取られた状態に意図的になろうと力んでもうまくいきません。自然にそうなる。走り出してしばらくすると信じがたいスピードが出てくるときがある。ですから狙ってもうまくいくとは限りませんが、そもそもスタートさえしなかったら絶対にうまくいかない。あたりまえですね。とにかくスタートすることが大切です。
 
 いずれにせよ、いつもありがとうございます。
 ランキングのことはーーお手数をおかけすることになるのでーーあまり触れないつもりなのですが、心から御礼申しあげます。
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2013.08.26 11:40

 ときどき、毎日長い時間机に向かっているのになかなか成績が上がりませんというご相談を受けることがあります。毎日毎日何時間もがんばっているのに。
 そういう生徒にはいちばん近くに受けたテストをもう1度解答を見ずに解いてごらんと言います。どの教科も最新のものを解いてごらんと。すると不満そうな顔をする子もいますね。「解答をまだ覚えているので・・・」と。意味がないのではないか? と感じるのでしょう。その気持ちはとてもよくわかります。
 
 それでもいいから真剣に解いてみてくれと言う。
 そうするとだいたい「前回よりは点がとれていました」と報告に来てくれます。「10点ぐらい上がっていました」
 それはそれでいいのですが、10点だけ? 60点台だったのが70点になっていた。ということは・・・1度やったものなのにまだ3割もできていない。そうであれば、本当はかなり問題ですよ。1度やったものーーしかも最新のものーーは解答を見ているわけですから、100点がとれていなかったら悔しがるぐらいにならないと。
 
 ダンスやピアノだったらどうなりますか? 少しだけ踊り間違えたとか、7割がた演奏できたなどというのは通用しないですよ。完璧によどみなく踊れるようになって、譜面を見ずに弾きこなせるようになってはじめて完成です。
 ところが勉強だけは10点上がったからいいやと決めつけてしまう。漢字テストなどの小テストも同じです。いちばん新しいものをやり直してみたら1つ「しか」間違えなかったと満足してしまう。そういう気持ちがどこかにあると物事はなかなか上達しません。
 
 ちょっと厳しいようですが、心構えをお話しているのです。
 勉強を仮に5時間「も」やったと言っても、自分が「知っていること」の確認だけだとしたら進歩がないということがわかりますか? 勉強というのは、いまの自分ができないことができるようになってはじめて前に進みます。内容の難しさは関係ありません。あなたのできないことができるようになったかどうか。それがすべてなのです。そこに気づいてください。
 当然、やったばかりのテストはーー小テストも含めてーーほとんど満点がとれるぐらいに復習がすんでいないといけないですね。
 
 自分のできなかったことをできるようにする時間が本当の勉強時間であり、できることを確認しているのは(それもまた必要ですが)補助的な勉強時間です。
 単語テスト、計算テスト、漢字テスト、さらに大きなテスト、いろいろ夏休みにテストがありました。それがどれぐらい定着しているか1度確認してみてください。
 全然できていない? 慌てることはありません。「ここ」から、「いま」から変えていけばいい。人間の生活はつねにそういうものです。お1人で勉強されている方もいらっしゃるでしょう。やり方さえ正しければ、十分間に合います。どうかがんばってください。
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2013.08.25 11:44

 私は習慣的に1年365日体重を測定しているので、変化があれば日々わかります。お、増えたなと気づき、それが快適でないときは食べる量を調整して快適に感じられる体重まで戻してきました。健康や美容のためというより、快適さのためでした。
 逆にちょっと少ないかなというときもあります。むりに食べたりはしませんが、そのことを頭の片隅に置いて生活するようにします。ちなみに昔から運動は全然しません。歩くだけです。ですから、運動量で体重調節をしたことはありません。
 
 ところが、心のなかは測れないですね。体重計みたいなものがない。するとときどき心がーー精神がーー肥満しているなと感じるときがあります。心が肥満して苦しくなっている。食べすぎたというわけです。
 つまり感情を動かしすぎた。抱えこみすぎた。いまはこんなことを書いているぐらいですからわかっていますが、以前は腹をたてすぎた、喜びすぎた、くよくよ悩みすぎた、同性にせよ異性にせよ他人にのめりこみすぎた、期待をかけすぎた・・・というような状況がときどき起こり、そのこと自体に自分が気づいていないことがよくありました。
 
 身体だってそうでしょうが、心もあまり肥大化してしまうとやるべきことがきちんとできないという状況が生まれてきます。よくないですね。
 身近によくあることですよ。腹がたって勉強ができない、好きな人のことが気になって仕事が手につかない、お金の動きが心配で胃が痛む、子どもが言うことを聞かないので家事どころではない・・・ありますね。ありますが、だからと言ってあなたが苦しみ続けていいというものではないでしょう。心もまた身体と同じように適度にダイエットしていく必要があります。
 
 身体のダイエットについてはじつにたくさんの方法があるみたいですね。書店に行くと膨大な書籍が並んでいて、本当はどれがいいのか見当もつきません。運動で痩せようみたいな本もありますし、食事で痩せようという本もあります。サプリメントみたいなのも見たことがあります。
 心のダイエットにもいろいろな方法があると思います。ですから、私が書くのは私自身が使っている方法で、ご参考までにということです。
 
 感謝と愛情に集中するようにしています。以前も書いたように私の手帳には10(いくつでもいいのですが、とりあえず)の感謝すべき事がらが書かれています。それについて静かなところで時間をかけて1つ1つ瞑想(?)します。
 たとえば健康という項目がある。私だって何から何まで健康というわけではありません。もともと悪い左足が痛い日だってある。しかし、私の周囲にはもっと困っている方もいらっしゃったりして(左足ぐらい、歩けるのだから感謝しないといけないな)と強く思う。自然にそういう気持ちになります。そうやって1つ1つ、心の底からありがたいよなと思えるまで感謝していく。
 
 10の感謝に続けてーー感謝し続けると自然にそうなりますがーー世の中に愛情を投げかけようという意志を確認します。自分にはこんなに「いいこと」があるのだから、少なくとも自分から世界に影を投げかけるような行動だけは慎もうと誓う。そして勉強、仕事、日常生活に戻ります。
 近年の私は1人でいることを好むのですが、それもまた心のダイエットという意味合いを持っています。いい意味でも悪い意味でも他者との関係によって心が肥満するときがあります。それを最小限に抑えたいという感じでしょうか。
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2013.08.24 13:04

 昨晩、私自身自宅で発見したのですが、ブログ村と人気ブログランキングが復活していました。ただどういうわけだか以前と同じ作業をしてもブログ村のほうに記事を書いたという事実が反映されないみたいなので、どうなっているのかいずれ管理してくださっている方に訊いてみます。
 まあ、ありとあらゆる「ランキング」に執着する気持ちはないのですが、こういうものは参加しておくのも礼儀なのでしょう。気が向いたときにでもボタンを押していただけましたらうれしく思います。
 
 夏期講習の中1のテキストに「カント」とか「純粋理性批判」とか「西田幾太郎」とか「和辻哲郎」とかという固有名詞が出てきました。
 これは今年だけ使用している文章ではなく、以前から使っているものです。難しすぎないか? そうではないのですね。こういうのは「あ、どこかで聞いたことがある」というのが大切なのです。固有名詞としてだけでも聞いたことがあるものは、あとでいよいよ本格的に勉強しようと思ったときに入っていきやすい。ですから、手加減することはない。大人の用語、大人の表現、大人の話題をどんどん提供してしまっていいのです。
 
 ただ思想概念は難しいですからね。そこはあまりわからなくても問題ない。何か・・・聞いたことがあるよだけでいい。
 今年、首都圏でいちばん合格するのが難しいと言われている私立高校の国語の入試問題に、やはりZ会進学教室の中1のテキストと同じ文章が出ていました。ただこちらでは昔から掲載していた文章です。梶井基次郎ですね。
 たしかに中1に梶井基次郎は難しいような気もします。ただ知っておいて損がないのも事実です。中1の段階で、微妙な人間心理について大人から説明を受けること自体が楽しいですからね。
 
 2年生の夏期テキストにも柳田國男であるとか寺田寅彦であるとかが載っていました。私は現在テキスト作りには一切参加していませんから、国語のテキストを作成している先生方がこういうものを早くから読ませるべきだと考えたのでしょう。そうあるべきだと思います。名前を頭の片隅に入れておくだけで十分価値がある。
 そのあたりがよく言う「文化的な話題」というやつですね。話題になるだけでいい。受験一辺倒ではないところがいいのですよ。
 
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2013.08.23 10:21

 以前はコンタクトレンズを使用していました。古いですよ。はじめて作ったのは1978年でした。黎明期ですね。ハードコンタクトがうまく合わず、ソフトコンタクトを作りました。毎日洗浄したり煮沸消毒したり大変と言えば大変でしたよ。
 私はそういうところは神経質なので事故みたいなことは起きませんでした。それからほんの数年まえまでコンタクトを使用していた。使用をやめたのにはいろいろ理由があるのですが、そのあたりは省略します。
 
 よく街角でコンタクトレンズのサービス券を配っていますね。渋谷でも宮益坂下の交差点のところに大勢の方がいて、さかんに声をかけています。複数の業者さんが複数の人数で声をかけている。
 私はときどき遠くから冷静にながめてみるのですが、受け取る人はほとんどいません。だいたいの歩行者が黙殺して通り過ぎていくなかで延々と声をかけ、券を差し出す。配っていらっしゃる方も若干つらいでしょうね。精神修養にはなるのかもしれませんが。
 
 おそらく業者さんもあまり効果がないということはわかっていらっしゃるのでしょう。わかっていてもああいう形をとらざるをえない。
 塾の新聞チラシなんかもそういう要素がありますね。ときどき大量の塾のチラシが新聞にはさまっていることがあります。昔、他塾の方から、たくさんはさんでもあまり効果がないのだというお話をうかがったことがありますが、現在はどうなのでしょうか。何の世界でも、多くの方に認めていただくのは大変なことだと思います。
 
 昔、私は小説を書いていてときどき(多くの人から理解されてしまってはつまらない)と考えるときがありました。ブログに書かせていただいているような文章は違うのですよ。そうではなく、いわゆる芸術作品として創作したものですね。自分という特殊な(?)人間が、正直な美学に基づいて創りあげたものをあっさりわかられてはたまらないという気持ちがしたのです。
 編集者の方から「どの話も暗すぎます」と言われたことがありましたが、それならそれでいいやと思いました。相手ーーつまり大衆ーーに合わせようという気持ちにはなれなかった。しかし、こういう考え方は無邪気に目指している「成功」を阻むなとも思いました。
 
 たとえば授業なんかで、私は理解されようとお話しています。あたりまえですね。何とかわかってもらおうと歩み寄る。理解されよう、理解しようという大きな意志があります。
 しかしーーだからこそーー個人的な生活において、私は自身の美学を理解されることを期待していません。また他者を理解しようと努力することもほとんどありません。あくまでも「それぞれ」でいいのです。
 1人ある、という状況をむしろ積極的に楽しみたいのです。
 
 
 
 
 
 
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2013.08.22 13:26

 自習室というのがあります。どんなに教室が稼動しているときもひと部屋だけは確保できるように努力しています。
 先日、その自習室がうるさいというお電話をいただきました。うるさくて自習ができないとご本人が怒って帰ってきたという。お母さまと直接お話しました。非常に丁寧な口調で困っていらっしゃる様子が伝わってきました。申し訳ないとお詫びし、明日から見回りを強化しますとお話しました。
 
 じつは自習室に関してはこれまでもいろいろなことがありました。以前ーー私が渋谷教室に来た当初はーーもっとひどかった。すでに教科の先生から自習室使用禁止を命じられた生徒がいました。どうしても騒いでしまうらしいのです。
 それが少しずつよくなってきた。皆さん、それなりにわきまえてくださるようになった。ただ夏の講習なんかだとやっぱり興奮するのですね。わーっと喋ってしまうときがあるらしい。
 
 こういうとき、単純に「静かに!」などという貼り紙をしてもだめですね。効果はありません。何もしないのと同じです。かと言って、自分も授業に入っていますからしょっちゅう見に行くわけにもいきません。で、どうしたか。
 壁に貼る手紙を「手書きで」書きました。うるさくて困っている人がいると書いた。騒がしい人がいたら注意するのですぐに受付に来てくださいとも書きました。それ以外に終戦の日に困るよ、とも書いたかな。
 
 手書きというところがいいのです。手書きで「困っているぞー」という光線(?)を目一杯出す。
 いい子たちばかりですからすぐに直してくださいます。「あの程度でもうるさがられてしまうのだな」という加減みたいなものですね。それがわかればすぐに改めてくれます。意図的に騒ごうという生徒は1人もいません。じつに協力的ですよ。
 翌日からーーみんなで見回りはしていますがーーとても静かになりました。1件の苦情も出なくなった。
 
 で、ここですね。私は「静かにしてくれてありがとうございます」とまた手書きで貼っておきました。こういうところはそれこそ大事ですよ。あちらが努力してくれたときの大人側の反応ですね。
 たとえばご家庭でも、勉強しなさいと言ったところ勉強をはじめた。さすがに「ありがとう」は言いすぎかもしれませんが、偉いねというねぎらいぐらいはひと言あっていいと思います。あたりまえのことがあたりまえにできるというのはたいしたものです。現代は大人だって当然のことができなかったりする。
 
 たとえ「規則」ではあっても守ってくれたことを確認しているよと伝えるぐらいの配慮は当然あっていいでしょう。見守られているという意識が、彼らの誇りを育てもするのです。
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2013.08.21 10:16

 夏期講習で毎日生徒を見ているわけですが、以前書いたように各人の能力にはたいして差はないのです。ところが気持ちの持っていき方に大きな差がある。それでできたりできなかったりということになる。
 4日目ぐらいになるとどんよりしてくる人がいる。はたから見ていてもわかるぐらいどんよりしている。1つ1つの作業が緩慢で内心で、あーあ、また勉強か・・・と思っていることがわかる。気持ちはわかります。気持ちはわかりますが、ご本人のためにそういう状態にあることはよくないですね。
 
 大人でもそうかもしれません。なかにはいやいや仕事をされている方もいらっしゃるでしょう。やめたいけれども経済的な事情があってやめるにやめられないという方もいらっしゃると思います。勉強にしろ仕事にしろ、問題はご本人の気持ちにあるのですよ。
 こうしてください。朝起きたとき、まず今日1日幸福になるのか不幸になるのかご自身で決めてください。楽しむのか苦しむのか、明るく生きるのか惨めに生きるのか、それをはじめに決めてしまうのです。
 
 まれに人間、惨めになりたいという変な瞬間もありますよ。そういう日もあっていいかもしれません。「破滅派」と呼ばれている作家の小説を読んでいて、この人はわざと惨めな方向に自分を引っ張っていこうとしているなと感じることがありました。惨めさもまた妙な美学につながってくることがあり、私はそういう人生も否定しません。
 ただ、現実的には幸福になりたいという方のほうが多いでしょう。そういう意味で1日「幸福に生きるぞ」と固く心に決めてからスタートされるといいと思います。
 
 そしてーーここからが大切ーーその日、ありとあらゆるところでそのことを思い出すようにするのです。朝食をとりながら「そうだ、自分はこの瞬間も楽しむんだった」と思い出す。電車のなかでも「そうだ、もっともっと楽しもう」と思い出す。駅から学校や塾、仕事場まで歩きながら「たくさん歩いている人たちのなかでいちばん楽しく歩いてやるぞ」と誓いを想起する。
 もちろん勉強中も仕事中ももっと楽しめないかなと質を調整するように心がける。むりだよーではないですよ。どんなことにだって見つけようという気持ちさえあれば歓びの種は必ず潜んでいるものです。
 
 すぐに忘れてしまうのは仕方がない。何度も何度も思い出してください。それこそトイレに入っているときもシャワーを浴びているときも「そうだ、楽しむんだった!」と思い出す。
 私なんかわざと左手で身体を洗うことがあります。すごく洗いにくくて面白い。そうやって何かしら工夫して楽しむという意識を保つのです。勉強も同じですよ。漢字を3回ずつただ機械的に書いて覚えるのに疲れたなら、書きと読みを交互にやってみたらどうでしょう。少なくとも機械的にやっていたときよりは新鮮に感じるはずです。
 
 要するに、自分の幸福に自分が責任を持つということですね。
 
 
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2013.08.19 10:04

 明日、20日はやっとお休みです。連日授業が続くとそれなりに準備や添削なんかで大変です。授業だけでいいのであればまだ気が楽なのですが、突然相談が入ることもある。このまえは来た時点で「フリの」相談の方がいらっしゃって、しばらくタイムカードも押せませんでした。
 いろいろ見知らぬ方からもご相談いただくときがあります。相談だけで終わってしまう場合もありますが、多くの場合あとで入会の意思を示してくださる。頼りになりそうだと思ってくださるわけで、ありがたいことです。
 
 いまは昔の講師仲間とも疎遠になってしまったのですが、以前はこういう仕事をしている知人がたくさんいました。首都圏のあちらこちらの塾で先生をしている。情報が入ってくるわけです。いわゆる経営者の方が気難しくて入会者が減ってしまったと嘆いていた先生もいました。気づかぬうちに相談にいらっしゃった方を傷つけてしまうのですね。
 自分はそのあたりにはとくに気をつけています。入試制度のことを何もご存知ない方ももちろんいらっしゃる。「ナイシンって・・・何ですか?」と質問される。
 
 そういうとき、ちらりとでも(そこから説明するのか・・・)みたいな雰囲気を漂わせたらだめなのです。だめというのは生徒が入ってくれなくてだめという意味ではなく、私自身がだめだということです。それぐらいのことで面倒がったら到底だめでしょう。
 喜んで説明させていただく。複雑なのですぐに理解できなくても問題ないですよという感じで少しずつ話を進めます。そういう気持ちは相手にも必ず伝わる。そういうものです。
 
 昔、こういうことがありました。私はパソコンのことは何もわかりません。わからないまま社内である操作を逆にして、ご迷惑をおかけしたことがありました。具体的に言うと、とりまとめてくださっている池袋教室長のU先生にご迷惑をおかけした。
 U先生はまったく何もおっしゃらなかったので、ミスしたことにさえ気づきませんでした。修復は大変だったみたいです。あとでほかの方からU先生が「長野先生がミスしたのであれば黙って直すのが自分の仕事だ」と高倉健(?)さんみたいなことをおっしゃって黙々と直してくださっていたという話をうかがいました。
 
 不必要に恥をかかせないとか無力感を抱かせないという配慮は本当に大切なことだと思っています。生徒に対してももちろんそうです。
 昨日は相当量の記述問題を扱いました。答案を添削する。「うん?」という解答もなかには出てきます。そこでどの程度の言葉をどの程度の強さで投げかけるか。ただ大きくバツをつけるだけなどというのは、このうえない拙策に思われます。戦意を喪失させてしまったらおしまいなのです。U先生ではありませんが、それこそ高倉健さんみたいに「自分の生徒の間違えは私だけが恥じればいい」ぐらいの心意気で見ていかなければいけない。そんなこんなで、まあ連日だとちょっと疲れたりするのですね。
 
 
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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