2013.07.31 12:10

 講習のときにいろいろアドヴァイスすることがあるのですが、むりやり押しつけたりはしません。そういうの、難しいのですよ。かえって逆効果になることもある。
 横書きで国語のノートをとっている生徒もときどき混じっているのですが、この瞬間から縦書きにしなさいなどと乱暴なことは言いません。できれば講習期間中に縦書きにしてごらんよ、見やすいから・・・ぐらいですね。古文や漢文が出てきたら困るよとも言います。

 Z会進学教室の本科の国語のテキストにこんなノートを作ったらどうでしょうという具体例が挙げられています。
 縦書きのノートを上段下段の2つに分けます。上段に自分が問題を解いたときの解答を書きます。下段は真っ白な状態で残しておく。そして、授業を受けて先生の説明や気づいたこと、正解などを下段に記入します。授業をきちんと聞いていないと下段は埋まりませんね。あとで見て、このときは気を散らしていたなと自分でわかるようになっています。

 皆さんもそうしてくださいという意味ではないのですが、このノートはとても使いやすいので、もしいいノートの作り方に悩んでいる人がいたら参考にしてください。
 ときどきノートをのぞいてみることがあるのですが、下段のあちらこちらに絵が描いてあったりする場合もあります。授業中、描いてしまうのでしょうね。度が過ぎても困りますが、ノートをとっておけばあとで見返したときに懐かしく感じるでしょう。

 昔、すごくよくできる女の子で授業中に起きたことを何でも下段に書きとめてしまう生徒がいました。「窓の外を鳥が飛んだ」みたいなことまで書いている。復習するときに楽しいから、と言っていました。みんな暑そうとか、先生(私のことです)はなぜ真夏でも上着を? とか、授業に直接関係あるようなないようなこともたくさん書いてある。彼女なりの授業の楽しみ方だったのだと思います。
 それぞれが工夫してくださるといいですね。こんなのはどうだろう? とこちらは提示しますが、細かいところは各自工夫してくださるといい。あくまでも「楽しむために」。

 こうしたノートは他教科に応用することもできます。ともあれ、びっしりつめすぎないことです。すかすかな感じで、精神の自由さを保てるようにしてください。それから殴り書きみたいなのはいけません。愛のない土壌には花が咲かないのですよ。まあ、そのあたりちょっと考える夏にしてくださったらいいですね。
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2013.07.30 10:15

 講習のときは朝早いのですが、それでも自宅を出る2時間まえには起きています。本当は3時間ほしいのですが、そうすると5時になってしまう。
 身支度する以外にもいろいろなことをやっています。食事はとりません。長年の習慣になっているだけで、深い理由はありません。コーヒーだけ飲んでいます。

 以前より少しだけ明るくなるのが遅くなりました。同時に暗くなるのも早くなってきた。私は昔からけっこうそういうことに感傷的になる傾向があります。きのう珍しく早く帰ろうと思って山手線に乗ったら日ざしが微妙に弱々しいので、こういうものは見られるうちは見ておこうという気分になり、そのまま窓のそとを眺めながらずーっと乗り続けてしまいました。1周しないうちに下りることは下りたのですが、そのあとも意味なくうろうろしていました。

 早く暗くなる季節が来ると寂しいような気持ちになります。いくつになってもそうなので、根本的にそういう人間なのでしょう。自分が感傷的であることに昔は嫌悪感を抱いていたのですが、あるときからどうでもよくなりました。こうあるべきみたいな生き方が面倒になってきたのです。いまは本当にいきあたりばったりですが、とくに問題も生じないのでとりあえずはこのスタイルでいくつもりです。

 41年前の今日のことを私は覚えています。3人の友人と遊んでいた。不思議なことに3人ともとくに親しいわけではありませんでした。親友みたいな人間は1人もいなかった。しかし、なぜか彼らと一緒にいた。あのとき、41年後に思い出すとは夢にも思いませんでした。
 同じ年、べつの仲間と海に行きました。泳いでいるとき海の家から当時のヒット曲が聴こえてきました。洋楽ですね。その曲名がどうしても思い出せなかったのですが、最近になって奇跡的に思い出しました。

 愚かな高校生でしたよ。渋谷の西武デパートで白いダブルのスーツを売っていた。当時2万円でした。それが買いたくてーーいったいそんなものをどこに着ていくつもりだったのやらーー2週間ぐらい節約したことがあります。
 周囲はちゃんと大学受験のことを考えていましたよ。自分だけがふわふわといつまでたっても漂っていた。担任に「早く目を覚ませ」と言われたことがあります。しかし、私はむしろ自分はみんなみたいに受験という夢を上手に見られないのだと思いました。自分だけが夢を見られないという感覚は・・・その後もずっとどこかに残っています。

 
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2013.07.29 11:15

 昨日はお休みをいただきました。Z会進学教室全体がお休みでした。休室日というやつです。つぎは4日かな。教室が閉まります。
 そうそう、以前も書きましたが新サービスに移行するということで、8月の2日から5日まではブログを書けなくなります。管理画面そのものに入れなくなるそうなので、様子を見て6日以降に新しい記事を書きます。コメントの初期設定がどのようになるのかわかりません。非公開ご希望の方はその期間コメントをご遠慮いただけると助かります。

 昨日は1日ぼーっとしていました。午後ちょっとだけ将棋の研究をした。なるほどという手があり、ノートにまとめておきました。将棋に関してはいろいろな思いがあるのですが、そろそろ最後のチャンスーー真面目に研究するーーだと思うので、少しきちんとやっておきたい気持ちがあります。
 そういうことってありますね。いまさら大会に出ようとか正式に段位を認定してもらおうとかはまったく考えない。しかし、死ぬまえに一定の整理をしておかないと後悔するような気がするのです。

 小説なんかもそうです。推敲しないまま放置してある断片を、これまた発表する予定がなくてもきちんと直してから死にたい。いい加減なままにしておくのは何か後ろめたいのです。個人的に「完成」させておきたいわけですね。
 クリーニング屋さんに行きました。おとといの集中豪雨でスーツがびしょ濡れになった。それを出しました。そのあとDVDを借りた。タイトルに惹かれたのですが、これが・・・久々の大失敗。「新」なんとかというのはあてにならないですねー。ぬいぐるみみたいなオオカミ人間が出てきましたよ。

 夕方、自宅まえの公園のベンチに座っていて20代のころ夕刊紙で読んだ話を思い出しました。
 多毛症という病気があります。昔のヨーロッパで多毛症の方が人間の血を飲むと症状が軽減されることに経験的に気づいたそうです。ヘモグロビンがどうのこうのと書いてありました。それで習慣的に血を飲むようになった。そのあたりからドラキュラ伯爵だとかオオカミ男だとかの伝説ができたのではないかという説がある。本当だかどうかわかりませんよ。
 そういうことを唐突に思い出すのが人間の不思議なところですね。
 
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2013.07.27 13:22

 昔、少年向けのマンガに髪の毛が片方の目にかかっている主人公(とは限りませんが)がよく出てきました。自分も憧れて実際に前髪を片目にかけてみました。わずらわしいですし見にくいですよ。それでも片目に髪がかかっている事実のほうが大切でした。
 大人はそのあたりを理解できません。前髪が邪魔だから切れとよく言われました。冗談じゃない。片目にかからない前髪は髪のうちに入りません。

 歩くときもなるべく前髪が目にかかったままにしたいのですが、油断するとすぐに目が出てきてしまう。そこでそろそろと人形みたいに動きます。
 こういう病的な繊細さ(という呼び方は正しいのかどうかわかりませんが)を自分はけっこういい歳になるまで持っていたように思います。いまは失われていますが、記憶としては残っていてそれはある種の財産になっています。

 昨日、バスの話を書きました。今日もバスの思い出を。
 高校1年生のとき、近所の私立高校の女の子を好きになりました。下校時、私が乗っているバスに「偶然」彼女が乗ってくることがありました。
 あるとき、2種類のバスがたて続けに彼女のバス停に着きました。当然ですが、彼女はまえのーー私が使用していない種類のバスーーに乗った。

 私は衝撃を受けました。あちらのバスに私がいないことはわかっているはずなので、それでも構わないという彼女の気持ちに絶望したのです。
 その晩、ろくに食事もとりませんでした。悲しみというのとはちょっと違う。もっと根本的な、自分なんか誰からも好かれないし生きていてもいいことなんか1つもないのだという憤りを感じました。いまでもその晩の部屋の様子を覚えています。ラジオでビートルズ特集をやっていました。 

 しかし、大人は私のそういう状況を知らない。知らないだけではなく、想像もできない。だから「時間があるのになぜ勉強しない?」などととんちんかんなことを言う。そのとんちんかんさはこちらからはどうにも説明できない絶望的なものでしたし、鈍感な大人たちに説明したいとはまったく思えない種類のものでもありました。すべての大人に対して私は「一生誤解していろ」と思っていましたよ。
 愚かな少年期でしたが、そのことはいまも私の根幹にあります。

 私は少年期の人間ーー生徒はまさにそうですがーーに対して「恵まれているのに甘えるな」的な発想はまったく持っていません。むしろ、彼らが大人からは見えない「内側の得体の知れない何か」によって苦しめられている可能性も十分あると考えています。
 ですから、やみくもに勉強しなさいとは言いません。望むことは、彼らが人間として大きくなるということだけです。抱えているすべての問題がとるに足らないものに変化してしまうぐらいの人間力をつけてくれたらいいと思っています。

 

 
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2013.07.26 11:11

 昔、路線バスの運転手さんになりたいと考えていた時期があります。バスがすれ違うときに運転手さん同士が片手を挙げて挨拶しますね。あれにじんときたというか、あれを毎日やりたいと思ったのです。
 そう思ってーーいちばんまえに座ってーーいろいろ観察しているうちに微妙なことにも気づきました。あまり挨拶したくない運転手さんというのもいらっしゃいますね。つきあいが悪いのではなく、運転に集中したいということなのでしょう。

 しかし、なかにはとにかく挨拶が大切だと考えていらっしゃる運転手さんもいて、たとえば広い道路ですとすれ違うと言っても対向車線のうんと向こうのほうを走っている場合もありますね。その遠くのバスに向かっても手を挙げます。
 律儀に合図を返す運転手さんもいますし、とくに反応のない運転手さんもいます。1回2回反応がなくても挨拶好きの運転手さんはめげませんよ。

 ときどき、他社バスの運転手さんにまで手を挙げる方がいらっしゃることをご存知ですか。珍しいですが、皆無ではない。殺伐とした世の中になってきて絶滅(?)してしまったかなと思っていたのですが、先週何年ぶりかでそういう運転手さんを目撃しました。
 どの運転手さんにも手を挙げる。驚いたように手を振りかえす方もいらっしゃった。私は反応を期待しながらずーっと見ていました。

 人生の温かみみたいなものはこういうところに出てきますね。見ている人は見ている。感じている人は感じている。理解できる人は理解できる。さらに財産にできる人は財産にしている。
 手を挙げている運転手さんご自身は大げさなことを考えていらっしゃるとは思えません。習慣でしょう。それでも知らず知らずのうちに、関係ない人間の心に灯をともしていることもある。
 最後に、路線バスの運転手さんに関する思い出話を。

 1970年代の半ばでした。新宿から自宅方面に向かうあるバスに乗った。その日はつぎつぎと乗客が下りて、私だけになりました。私の座席は運転席からは死角になっていました。突然中年の運転手さんが大声で北島三郎さんのヒット曲を歌い出した。
 私はびっくりして身体をずらし、ミラー越しに運転手さんの様子をうかがいました。当然、あちらもこちらの存在を確認します。それきり歌はやみました。要するにだれもいないと勘違いされたのでしょう。

 夏でした。バスを下りてから、あの運転手さん今度こそ心ゆくまで歌えているかなと考えましたよ。
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2013.07.25 11:57

 夏期講習、どの塾のどの教科の先生もだいたい上限を指示されると思います。これとこれとこれをやっておかないとだめだぞという感じで。英語も数学も国語も理科も社会も上限。そういうものです。ご自身が担当している教科について得意になってもらいたいということになると、どうしても要求は厳しくなります。他教科が大変だろうから自分の科目はサボっていいよとおっしゃる先生はきわめて珍しいのではないかと思います。

 さて、ここが大切。本当に全部の教科の先生がおっしゃることを「すべて」こなそうとしたらいくら時間があっても足りません。全然足りないでしょう。各教科1時間ずつ勉強して自宅に帰る。それで5時間。全教科の復習と課題をこなしたらそれこそさらに5時間以上かかります。毎日毎日10時間以上!
 勉強だけをする夏とでも決めていればできないこともないですが、ほかにもやりたいことはいろいろありますね? ということは、物理的にむりなのですよ。

 で、どうしますか? いちばんいけないのは「適当に怒られない程度に」やっておこうという考え方です。どの先生にもいい顔をしたいという心理はわからないでもないのですが、その発想だと劇的な質の変化は望めない。無難に乗り切るだけになってしまう。
 各人がテーマを持つ。たとえば夏のあいだに英語の遅れだけは取りもどそうとか、得意な数学にますます磨きをかけようとか、理社を何とかしようとか。そのテーマに沿った力学というか、力の入れ具合を大切にしてほしいと思います。

 国語は得意だからちょっとサボってそのぶん数学を・・・という「個人的な」考え方もありだということです。国語の先生には「どうしてやってこない?」と叱られる日もあるかもしれませんが、ぜんぶべたーっと完璧にはできない以上、そして「怒られない程度に」やっておくでは効果がない以上、自分なりのメリハリを利かせていくしかない。わかりますか? 純粋に学習効果のお話をしているのです。

 大人だってそうですね。仕事はいろいろあります。それをぜんぶ完璧にやりこなすことはなかなかできません。だからと言っていい大人が怒られないようにやっておこうというのでは、それこそ進歩も成長も望めません。
 するとやはり各自大切に考えるところが出てくる。ここを得意にすれば自分はうんと輝けるぞという部分ですね。しかし、そこに気づけるかどうか。
 人間ただやみくもに頑張るだけではなく、そういうことを考えられる余裕もまた必要なのだと思います。
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2013.07.24 11:26

 ゲリラ豪雨というのですか、昨日の東京はすごかった。ビルのなかからも雷が落ちるときの「バリバリ」という音が聞こえました。すぐ近くに落ちたみたいです。
 雷が鳴ると思い出すことがあります。息子が幼稚園のころでした。自宅にいるとき昨日と同じように雷が鳴っていました。すると息子がやって来て「ほら」とおへそを見せます。びっくりしましたよ。自分でテープをばつ印に貼っている。

 どこかで「雷さまにおへそをとられる」という話を聞かされたのでしょう。で、工夫してテープを貼った。(これで大丈夫?)というように見せるので、私は何も言わずうなずきました。
 そのときは呆れたのですが、だんだん歳をとってきて結局息子についてずーっと覚えているのはそんなことばかりなのではないかと感じることがあります。この先就職したり結婚したりもするのでしょうが、そんなことより「おへそにテープを貼っていたなあ」と感慨深く思い出すのではないか。

 息子が小学校に入ったときのことです。帰りが微妙に遅い。「まっすぐ帰ってきているか?」と訊くと、どこにも寄らずにまっすぐ帰っていると言い張ります。しかし、微妙に遅い。あくまでも微妙に、です。
 そこで休みの日に私はこっそり彼の帰る様子を見に行きました。青梅街道の反対側から見ていた。すると出てきましたよ。小さいのが集団で。4人ぐらい固まってわーっと。

 校門を出てすごい勢いで郵便局に入っていく。何をしているのかと思ったら、交互にウォータークーラーの水を飲んでいました。それからまたなぜか小学校のほうに戻り、集団で大騒ぎしながらあっちに寄ったりこっちに寄ったりーーよくわからないビルに突入していったりしています。あまりにメチャクチャなので、ちょっと目まいがしましたよ。
 建物のなかに入るとなかなか出てこない。はらはらしているとやがて喚声とともに再び姿をあらわす。それからもあっちに引っかかりこっちに引っかかり、やがて少し落ち着いてそれぞれが帰途につきました。
 
 私は改めて訊いてみましたよ。「今日は寄り道をしないでまっすぐに帰ってきたか?」と。息子は胸を張って「うん!」と答えた。そうか偉かったなと頭を撫でてやりました。
 まあ、いろいろな時期がありますからね。大人になっていく過程を短気を起こさずに見守るというのはこういうことなのだろうと思いました。当時は親をやっていくのも大変だと緊張(?)しましたが、いまではあんなこと自体が財産なのだと感じるようになりました。
 
 
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2013.07.23 13:03

 以前も同じような記事を書きましたかね。確か志賀直哉だったと思うのですが、本当に正しい表現はその場に1つしかないという意味の言葉を遺されています。そのときどきで、的確な表現は1つだけだというのですね。
 そういうものなのかどうか私にはよくわかりませんが、要するにそれぐらいの気迫で書いていたということでしょう。創造する側の厳しさだとか喜びだとかがそのあたりにこめられているというのは理解できます。

 先日、仕事帰りに20代の仲のよさそうなカップルが私の少しまえを歩いていました。手をつなぎそうで、つないでいない。それを見ていて、私はふとこの言葉を思い出しました。
 手をつないだほうがこの場合は正しいのではないかという気がしました。余計なお世話ですが、ここはかすかに手をつないだほうがより正しい感じがする。少なくとも映画であれば、手をつないでという指示をすべての監督が出しそうな絵なのです。

 私はふるまいみたいなものもまた場面場面で正しい形は1つだけなのではないかということを考えています。もっともそれは強迫観念みたいなものではなく、ただ1つの言葉、ただ1つのふるまいを見つけようと「遊んでいる」ぐらいの感覚でしょうか。
 当然食べるものなんかもその瞬間食べるべきものは1つしかないはずなので、以前よりは時間をかけて何を食べるか考えるようになりました。「とりあえずビール!」という大人の決まり文句(?)がありますが、それではいけないということですね。

 聴く音楽もそうです。瞬間瞬間で聴くべき音楽は1つしかないということになるとけっこう迷います。けさはフランキー・ヴァリのソロアルバムを聴いてから自宅を出たのですが、ザ・フォー・シーズンズというグループ内で歌っている彼の歌ではなく、あくまでもソロ活動のものをと意識しました。
 まあ、あまり極端になってきても問題が生じそうですが、勉強するのも運動するのも「正しい形は1つ」と気合いをこめてやってみると面白いと思いますよ。Z会進学教室は今日から夏期講習です。

 
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2013.07.21 11:59

 おー、全然季節感のないタイトル。
 愚かだった(いまもちょっと愚かですが)10代のころ、メタル系のバンドを作って真夏にクリスマスソングでデビューしてやろうなどとくだらないことを考えていたのを思い出します。「ホワイトクリスマス」を思い切りスローに重く演奏してみたらどうだろうと考えたのですが、ドゥーム・メタルなどという音楽が存在する以前の話ですから、密かに先見の明(?)があったのではないかとうぬぼれています。

 今日はメチャクチャにくだらない話を書きます。
 若かったころ、私は異性が好きなくせに異性と出かけるとひどく気疲れするという矛盾を抱えていました。好きな女の子であっても、実際に会うのはちょっと面倒臭い。ある年のクリスマス・イヴ、世間の人たちみたいにデートしたりしないで1人で遊んでいようと思いました。

 で、あえて当時知っていたなかでいちばんすごい飲み屋に行ってみました。ここの「クリスマス・イヴ」はどんな感じなのだろうと興味がありました。
 昭和50年代ですからね。相当すごい店が残っていました。そこは基本的に男の人しか来ない。しかも肉体労働者が圧倒的に多いのです。60ぐらいの屈強そうなおばさんと訳ありの息子さんの2人で営業していました。カウンターのみ、10人近く座れたでしょうか。

 日ごろから、そこではどなたも何も食べない。というより食べ物がいささか危ない(?)。ひたすら飲むだけです。おばさんは変な替え歌(だいたいは卑猥な歌)を大量に知っていて、それを労働者に教える。するといまの私とそう歳の変わらないおじさんたちが無邪気に大喜びする。
 そのうち「ジングル・ベル」のとんでもない替え歌が出てきました。放送禁止用語連発で、とてもここには書けません。書けませんが、あまりにばかみたいで面白い。

 みんな酔っ払っていますから、そのうちカウンター全体で大合唱になりました。おばさんが出だしを大声で歌う。「はいっ!」と合図すると全労働者(私も含む)がその先を歌う。
 なんというか・・・私は楽しくて楽しくてこの瞬間死んでも悔いはないと思ったほどでした。あれは何だったのだろう。
 ときどき中学生がばかみたいなことをやっていて呆れることがありますが、待てよ、あの日の自分よりはましだなと思ったりします。
 

 
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2013.07.20 12:51

 ときどき飲み屋さんなんかで(ここはちょっと・・・)と感じることがあります。そういうお店はだんだん人が来なくなる。ところがお店の方はお客さんが減る理由がわからない。
 お客さんはいちいち指摘しません。何となく気まずいですからね。清潔さに気になる点があるとか食べ物や飲み物の出が遅いとかアルバイトの雰囲気が悪いとか、いちいち文句を言うことはありません。ただ(何となく居心地悪いな)と姿が見えなくなる。

 私は自分の居場所がそうならないように気をつけています。おかげさまでZ会進学教室このご時世に生徒が増えていますが、万が一減ってきたときにはすぐさま対応できるようにしておかないといけないと思っています。つまり、減った理由に気づけるかどうかということです。
 それこそ飲み屋さんだと「街全体がさびれてきた」とか「駅の反対側に大きなお店ができた」とか「この景気では仕方がない」とか、とりあえず外側に理由を見つけようとします。塾であれば「少子化の影響」「過当競争」ということになるのでしょうか。

 しかし、必ずしもそうではない。内側にもきっと理由があるに違いないのです。
 現にさびれた場所にあっても大繁盛している飲み屋さんをーー私は東京中の居酒屋さんを研究(?)していますからーーたくさん知っています。寂しい私鉄駅から10分も歩くのに連日大繁盛というお店も知っている。繁盛するお店には繁盛するだけの理由があり、お客さんはどんなに不便でもわざわざ通うわけですね。私自身がそうするように。

 食べ物だけがよくてもだめ、お酒だけが揃っていてもだめ、接客が変にべたべたしすぎてもよそよそしくてもだめ・・・塾に置き換えるとテキストだけがよくてもだめ、先生が熱心なだけでもだめ、設備だけ整えてもだめ・・・ということです。
 来てくださった方が毎回いい気分になれないようでは問題があると思います。来てよかったと感じてくださらないと。どういう形であれ、元気になって帰っていただかないと。

 自分の授業なんかでも宿題をサボってしまう生徒がいることはいます。そこで仮に「だめなやつだな!」と大勢のまえで罵倒してどれほどの効果があるのか? それよりは「これから頑張ってくれればいいよ」と温かく激励したほうがつぎにつながるのではないか?
 厳しく接するのは悪いことではないと思いますが、伝え方を工夫する知恵は必要だと思います。そうやってどなたにとっても気分のいい空間を作れないといけないですね。

 読んでくださっている方のなかには、部活の部長さん副部長さんなんかもいらっしゃるでしょう。参考になさってください。 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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