2013.04.30 03:44

 連休がスタートしました。予定通りうろうろしています。20代のころ、あるところで竹やぶを目撃した。連続的に観察する機会があったのですが、成長のあまりの早さにびっくりしました。こんなに急速にでかくなるものか? という恐怖さえ覚えた。大げさではないのですよ。それぐらい短期間に伸びていた。
 あの竹やぶはどうなったのか? なくなっていましたよ。なくなっていましたが、その近くにべつの竹やぶを発見した。要するに、そういう一帯だったのでしょう。

 だから何? ですね。しかし、個人的には気になって仕方がなかった。
 遠い昔、短いあいだ勤めていた塾の跡地も見に行きました。環状7号沿いにその塾はありました。建物自体新しくなり、巨大なマンションになっています。そこに行った。近辺をうろうろしました。当時、食事をした店がまだ残っていた。30年以上経過しています。ここでこういう感じで建物に入ったよなとうろついていたら、マンションの3階部分から男の人がじーっとこちらを見ていることに気づきました。

 なるほど、いかにもあやしいですからね。さっきから建物のまえを行ったり来たりしている。ときどきうつむいて考えこむ。小さくひとりごとを呟いて首をかしげる。ずっと見ていたのでしょう。
 通報されるかな? という気持ちはしたのですが、悪いことをたくらんでいるわけでもないのでそのままうろうろしていました。近くの歩道橋から建物全体をながめた。当時は未熟な「先生」だったなとも思いました。騒がしい小学生相手に本気で怒ったりしていました。厳しくやりなさいと指示されていたからでもあるのですが、いまの私ならまったくべつの形で接すると思います。あのころ、レインボーの「アイ・サレンダー」が流行っていたな。

 吉祥寺から中野に至るバスにも乗りました。33年ぶり。ここはこうなったのか! という感慨があった。ものすごく気になっていた一画があるのですが、あまりにも一瞬ではっきりわかりませんでした。わからないものの、じつは現在住んでいる荻窪からもそのあたりを走るバスが出ていることに気づきました。改めて行ってみます。
 こういうことをしていて何になるのかよくわかりません。よくわかりませんが、個人的には必要な何かなのです。

 要するに生きた、ということの確認なのだろうと思います。生きて、何かをした。いろいろな方にご迷惑をかけてきましたが、反面少しだけはいいことをしたかもしれない。いずれにせよ、生きた。そして、ときどき「あの竹やぶはどうなっただろう?」と考えてきた。
 明日(今日)は少し遠出しようかと迷っています。「あの踏切はどうなったのか?」1978年に子猫を助けた踏切があるのです。いや、あそこは行かないままのほうがいいのかな。
 
Tags :
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2013.04.28 12:04

 Z会進学教室(首都圏高校受験ですね)、今日から授業はお休みです。明日からは5日間教室も閉まります。基本的にその期間はブログもお休みするつもりです。1日ぐらいちょっとのぞいてみるかもしれません。そのときは記事も更新したいと思っていますが、具体的な予定はたてていません。
 まとまったお休みのあいだにいろいろなことをしようと考えています。するというか行くというか見るというか。

 初日から動かないとあっという間に終わってしまいますからね、連休というのは。明日からさっそくうろうろしようと思っているものの、行きたい場所があまりにも多くてどこから手をつけたらいいのやら。
 行かなくてもいいけれども行っておきたい場所。好きだった年上の女の人が入院していた病院のまえにあった喫茶店。大学時代ひそかに憧れていた女の子とただ1度だけ歩いた坂道。親しかった友人が過去に住んでいたという私鉄沿線の街(複雑ですね)。実際は書ききれないぐらいあります。
 ぜんぶ女性がらみというわけではないですよ。

 結局、失われてしまう(しまった)からいいのだという感覚があります。
 いまは本当に便利な世の中になってきて、好きなときに好きな映像を再現したり音楽を聴いたりすることができます。「一回きり」という切実さがない。たとえば私は今日も電車のなかで音楽を聴きながら教室に来たのですが、途中でしょっちゅう進めるわけですよ。この曲はもういいやと。自分の好きな曲しか入っていないはずなのに、そういうことをする。
 10代のころ、ラジオから好きな曲が流れてくるとそれこそ全身の毛穴からとりこむぐらいの気迫で臨んだのとはえらい違いです。

 映像もそう。テレビの洋画劇場で見たかった洋画が放映されるのを知ると、準備万端整えてトイレもすまし家族に静かにしてくれと頼みこんで真剣に見ました。録画なんかできなかったですからね。それでものちのちまで主人公の所作をたくさん真似できましたし、セリフも記憶していた。真剣に見ていたわけです。
 いつでも聴ける、いつでも見られるという気安さが少なくとも私をひどくいい加減な人間にしているような気がします。

 失われる、あるいは失われたからこそ尊い。
 結局、生きるということもいずれ失われてしまうという感覚があるから一生懸命になるのでしょう。これが永遠に生きられるということになってくると、まあいまはだらだらして勉強は500年後からはじめるか・・・みたいな感じにもなりかねない。有限性の強烈な自覚こそが人生における原動力ですね。
 これからは曲を1度聴きはじめたら絶対に途中でやめないという縛りをかけてみようと思いました。そうして歩く。楽しみになってきましたよ。
 
 
Tags :
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2013.04.27 12:38

 ときどき高校の先生とお話する機会があるのですが、名声だとか進学実績みたいなもの以上に「本校の期待する生徒の姿」といういわゆる「理念」ですね、そうしたものをきちんと把握しておいてほしいというお話になることがあります。進学実績がいいという理由だけで入学されて「学校が合わない」と悩まれても困ってしまうということでしょう。
 確かにそういうことはあると思います。たとえば都立のトップ校なんかですと、やたらと「中心的役割」とか「リーダー」「リーダーシップ」「みんなを引っ張っていく」という表現が出てきます。

 そういう生徒に来てほしいということですね。それは限定した場所でのリーダーではない。どんなときも、ということです。みんなが騒いでいる授業中もです。仮に原因が多少先生のほうにあったときもですね。
 あの先生はだめだ、で終わらせない。若干荒れた授業がもし展開されているのであれば、そこをどう円満に収めていくか、中心になって何とかしようという意欲や知恵を持った生徒。それこそ「リーダー」です。

 私が高校時代もいましたよ。英語の授業、クセのある先生で荒れました。大騒ぎになったりする。そういうとき「まあまあ」という感じで周囲をなだめる生徒がいました。「ちゃんとやってる奴らが気の毒だからさ」と騒いでいる連中にも気を遣う。みんなが彼を認めているので少しだけ静かになります。先生にもまた「おれら、うるさくてすみません」などと言う。彼自身は少しも騒がないのに。
 彼は部活でも部長を務めていました。現役で国立大学の医学部に進学した。当然だと思いました。どこでも人を引っ張っていく胆力があった。彼みたいな生徒を「リーダー」と呼ぶのです。そういう生徒をあちらは期待している。

 ひるがえって同じ空間でこの私は何をしていたか。
 その授業時間、私はすべて将棋研究にあてると決めていました。教科書なんか出しもしません。ずっと将棋の研究に没頭する。おかげで強くなりましたよ。いまでも覚えています。定期テストで100点満点の10点をとった。本当は30点ぐらいとれたのですが、あえてーーみんなを驚かせようとーー1桁の点数を狙った。通知表には10段階で「2」がつきました。母親に嘆かれましたが、こちらはバス停で見かける女の子のことで頭がいっぱいでそれどころではありませんでした。
 当然ながら、こういうのは「リーダー」とは呼びません。

 私はあなたに「リーダー」になってほしいと言っているわけではありません。そこは誤解しないでください。私は私のような人間が好きですから、風変わりな(?)生徒のことも心から大切にしているつもりです。それは伝わっているとも思っています。
 ただあなたが目指している高校があなたの方向性と乖離している可能性もあるわけで、そこのところだけはあなたご自身の幸せのために、くれぐれも間違えないで選択してほしいと思います。
 
Tags :
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2013.04.26 13:34

 昨晩、こういうことがありました。帰り道、コンビニエンスストアーでペーパーフィルターだとかビールだとかを買った。ついでにカップスープ(息子が好きなものです)を2つ買いました。レジに持っていくと、手許が狂ったのでしょう。スープは3つ買ったことになっていました。
 店を出てすぐに気づきました。それから私はしばらく路上で考えた。しばらく考えて、そのまま何も言わずに帰りました。

 息子がいたので、スープとレシートを見せ、これこれこういう・・・と話しはじめたら、息子は遮るように「どうせ何も言わずに帰ってきたとかそういう話だろ?」と先回りして言いました。私が「なぜわかった?」と訊くと、彼はニヤリとして「おれもそういう男だからさ」と答え、自分の部屋に戻ってしまいました。
 なるほど、と考えさせられましたよ。私は私も(ついでに息子も)こういう人間でよかったのだと思っています。

 幼いころーー小学校5年生でしたーー同じようなことがありました。当時、駅員さんが窓口で直接切符を売っていた。小学生の私は大人の切符を渡されました。その代金を払い、改札を通ってなかで待っていた父のところに行った。「大人に見られたよ」とむしろうれしがって自慢した。
 すると父が怒り出しました。そういうことをきちんと言えない人間はだめだと言うのです。で、すぐに切符をとりかえてもらってこいと言う。ついでにお金も返してもらえと。

 1人で窓口に戻り(どうやって改札を通り抜けたのかまでは覚えていません)交渉しましたが、1度改札を通ってしまったらだめだと言われました。駅員さんも忙しそうで、何となくそう言われたような気がします。父のところに再び戻って曖昧に告げました。
 その日、ものすごく叱られました。おまえはいつもいつも気が弱くてそんなことでこの先どうやって生きていくつもりかと叱責された。さんざん叱られて、寝る直前にもう一度呼び出されて怒られました。

 自分自身が好きであるというのは幸福になる第一歩です。他者を幸せにできる第一歩でもありますね。自分自身に対して憎しみを抱きながら、世の中を幸せにしていくことなんて本当はできないですよ。自分を肯定できることこそ「はじめの一歩」です。
 どういう顔かたちをしているか、どういう気質を持っているか、それこそ人それぞれですね。そういうなかで「自分が許せない」という形に年少の者を追いこんでいくことだけは避けなければならないと思っています。

 父や母が私の気の弱さをいやがっていたことはひしひしと伝わってきたので、少年期にはそうした自分を克服しようと努力した時期がありました。粗野で無神経な感じをわざと演出したりした。本当に混迷の時代でした。子どもにとって両親に好かれないというのはある意味致命的なことですからね。あのままとうとう自分を見失って生きてしまった可能性だってありました。
 太宰治を読んだのが、弱いままでいいのだと確信したきっかけだったとは思うのですが、とにかく本来の自分に戻れたのはよかった。昨晩、路上でそんなことを考えていたのです。
Tags :
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2013.04.25 13:48

 分水嶺などという表現はこういうときには使わないのでしょうね。
 今年、やけに体力が落ちてきたような気がします。このブログを書きはじめてもうすぐ丸4年になるわけですが、私はほとんど病気らしい病気をしてきていません。たまに熱が出たという日があってもそれこそ1年に一回、ひょっとすると2年に一回ぐらいでしょう。病気で仕事を休んだことは社員にしていただいてからそれこそ1度もないですし、まあ、丈夫ですね。肉体的な条件云々より精神面なものが大きいと思います。

 健康に留意しているかと言えば、そんなことはないのです。昔からーー一般的に言えばーーかなりむりをしています。簡単に書くと「寝ない」「食べない」「アルコール類を好む」という感じですね。そういうライフスタイルが好きなのです。よく寝てよく食べてほどほどに飲めばいいのでしょうが、そうすると何か負けたような(?)気持ちになる。ヘヴィ・メタルの洗礼を受けた人間がそういうことではいけないだろうと考える。
 若干めちゃくちゃでも、乱暴に生きたいのです。それで困ってきませんでしたから。

 ところが、むりがきかなくなってきました。じつは昨日の休み、私はまた熱を出して寝こんでいました。途中、血圧の薬をとりにふらふらしながら医者には行ったのですが、あとはほとんど寝ていた。
 2月3月4月と今年にかぎって月に1度は発熱しています。この事実はちょっとショックですね。本当にむりがきかなくなってきたなという実感があります。おとといは研修がありました。研修だけで帰ろうと思っていたので、前日はほとんど眠らなかった。そして、朝から固形物は一切とらずに夜いきなりビールを飲んだ。何十年もしてきていることです。

 それで平気だったのが、また発熱してしまった。幸い、1日寝ていればこうして仕事に来られますが、いずれそういうわけにもいかなくなるでしょう。
 これはとても不思議な心理なのですが、衰えてきたという自覚があるとわざと乱暴なことをしたくなるのです。乱暴なことをして(まだ十分大丈夫だ)と自信をつけたくなるのですね。
 しかし、さすがに3ヶ月連続で発熱となると少し考えようと思ってきました。歳をとって、得るものと失うもののバランスにもっと注意を払うべきなのでしょうね。皆さんもお身体はくれぐれも大切になさってください。
Tags :
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2013.04.23 07:24

 具体的にどういう感じになるのかわかっていないのですが、今日は午前中から他教室で「研修」というものがあり、夕方まで渋谷にもどれません。自宅で記事を書いています。
 というわけで、本来火曜日は休みなのですが今週は水曜日だけですね。月末から休室日に入るのでそんなに大変な感じはありません。
 先週は島朗さんという棋士の「心の鍛え方」という本を読みました。将棋の本というより人生論として面白かった。

 非常に共感できたのが、いくつかの将棋の勉強方法でした。中学生の勉強と同じだなと思いましたよ。島先生と親しい一流棋士が、有望なお弟子さんに推奨している勉強方法が紹介されていました。
 棋譜をならべるとき「勝った側」から一度ならべ、次に「負けた側」からもう一度ならべ、最後に棋譜そのものを暗記するという非常に手間のかかる方法です。お弟子さんはプロ棋士の卵ですから、一度ならべれば理解できます。しかし、そこで終わりにしない。

 覚えるまでというところがミソで、私が「本当にできるようになりたいのなら」とお話している方法とまったく同じです。
 要は復習の仕方なのです。ノートを見直しました程度ですと(何もやらないよりはずっといいのですが)どうしても甘いところが残る。本当にトップクラスの力をつけたいのであれば、もう一度同じ問題に取り組みすらすら解けるようにしておく必要があります。ある意味、暗記にも近いですね。はたしてそこまでやっているかどうか。

 英語の先生が本文を自宅で心をこめて最低20回以上音読しなさいとおっしゃるのもこれまたそういうことですね。理解しましただけで止めてはいけない。血肉にしないといけない。「血肉にする」などと表現しても具体的にどうすればよいのかよくわからないでしょう。
 そこで先生は「暗記するほど」とおっしゃる。あるいは「最低20回以上」と伝える。テストまえだけではないですよ。それを日々の習慣にする。そういう人間になるということです。

 勉強方法は人それぞれです。しかし、暗記するということになると相当手間がかかりますね。かけた手間=勉強量と考えれば、多ければ多いほど勉強していることになります。ざっと見て理解できたというような省エネ勉強法が恥ずかしくなる。ただし、すごく大変ですよ。ですから、全科目でそうする必要はありません。何が何でも得意にしたい科目があれば、志望校がすごく高ければ、ぜひそうしてみてください。
 いろいろなものに手を出すのでなく、やったことを覚えてしまうまで繰り返す。何を勉強するにせよ、いちばん効果的な方法です。
Tags :
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2013.04.22 13:14

 将棋のプロ棋士対コンピュータという一連の催しがあったのですが、プロ棋士側が負け越しました。とうとうそういう時代が来たかという感じです。
 衝撃を受けたのは、プロのなかでも最強ランクのM八段までが敗れたことです。いくら何でもこの人だけは負けないだろうという気持ちがどこかにあった。私の見た感じではーー棋力が低いので本当のところはどうなのかよくわかりませんーーコンピュータ側の圧勝に見えました。この先生がこんな負け方をしてしまうなんて・・・と絶句しましたよ。

 もっと強い方が判断されればそんなに差はないのかもしれません。しかし、あそこでこうやっていれば勝っていたのにという感じの局面はなかったようにも思います。私はもちろん人間側を応援しているので(私にとってプロ棋士というのは神さまみたいな存在です)、接戦にさえ持ちこめなかったというのは本当に悔しいですね。
 もっと強いプロ棋士となるとタイトルを持っている名人だとか竜王だとかになってきますが、次年度そういう方がコンピュータと対決なさるかどうか微妙なところだと思います。失うものが大きすぎるような気も・・・

 じつは私はM八段を電車のなかで見かけたことがありました。池袋である電車に乗ったら目の前にM八段がいらっしゃった。学究肌で有名な先生だけあって、そのときも大きなバッグのなかから棋譜のようなものを取り出して真剣にご覧になっていた。一日10時間ぐらい将棋の勉強をされるときもあると以前雑誌で読んだことがあります。
 そういうすごい先生が負けてしまう。コンピュータ将棋の黎明期は、この私でさえ楽に勝てていましたから進化の速度はものすごく速いですね。

 昭和の大棋士に升田幸三という先生がいます。瞬間最大風速的にはひょっとするといちばん強かったかもしれません。ときの名人に駒をひいて(ハンデをつけて)勝ったのはこの先生だけです。
 自戦記を読んでいると「油断した」とか「どうやっても勝ちだと思ってうっかりした」とか「持ち時間のない相手がぽんぽん指してくるので自分は持ち時間はたくさんあったがわざと同じように指した」とか、人間臭いことがたくさん書いてあります。そうやって大逆転で負けたりすることがあるのですが、その「揺れ」が非常に面白い。

 コンピュータにはそういう感情がないですからね。ただただ指してくる。いくら時間を使っても疲労することもありません。
 プロ棋界、大激震だとは思います。ただやはり人間に教わらないと人間は伸びないと思います。それは自分で教えていて強く感じる。昨日、非常に体調の悪い生徒があるクラスにいました。「少し休むか?」と訊いたのですが、けなげにも「がんばります」と言う。そういう子にどう声をかけてやれば次につながるか、クラス全体が安心できるか、瞬間的な判断を機械がするのはなかなか難しいでしょう。

 機械に「よくできました」と褒められるより、人間に「よくやった」と褒められたほうが当然伸びますね。それは将棋や塾だけではなく、スポーツなんかでも同じでしょう。これからも棋士の先生の存在意義が低下することはないと信じたいのですが、それでもどなたかプロ棋士が、コンピュータをこてんぱんに負かしてくれないかなとはちょっと思いますね。
Tags :
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2013.04.21 09:28

 昨日、はじけたことを書いたので非常にすっきりしました。今日は真面目なことを書きます。人生、バランスです。遊んでばかりいてもいけない。勉強ばかりでも続かない。右に行ったり左に行ったりバランスをとりながら一歩一歩進んでいく。
 お子さんへの声かけについて。私は昔から言葉というものは「心の舟」だと思っています。こちらからあちらに舟を出している。

 ある王国からべつの王国に舟が着く。相手の港の状態も何も考えずにぼろぼろの舟が乱暴に入港してきたらいやでしょう。荒っぽい言葉遣いというのは、そうしたものだと思います。「ばかじゃないの?」「いつもいつもだめなんだから」「最低だな」--相当乱暴な運転ですね。
 私はーー生徒に対してもそうですがーーぼろぼろの舟で乱暴に相手国に入国していくのはこちらの恥だと考えています。乱暴な言葉遣いをしないいちばんの理由はそれです。一国の王として自分が恥ずかしい。

 舟に積んでいるものがゴミみたいなものであれば、さらに相手国に迷惑がかかります。積んでいるもの=言葉の内容でしょう。できるだけ宝を積む。喜んでもらえるものを探し出してお贈りする。相手が子どもでも大人でも同じです。
 漢字テストに私はコメントを書いているのですが、そんなときもなるべく希望のある表現をと心がけています。「不合格」とか「やる気がないのか」とか「これではだめ」などとは間違っても書かない。これまた相手国に失礼だという気持ちもありますし、自国を辱めないためでもある。

 子どもというのは未熟ですから発展途上国的な整っていない部分は当然あります。小学生中学生だけではなく、高校生だってそうでしょう。発展途上はそれこそ発展の前身なわけで、その状態を「許せない」というのはちょっと慌てすぎです。下水道がないなんて許せない! ではなく、下水道を作る手助けをしてあげるべきですね。
 いずれは立派な先進国に生まれ変わっていく過程を私たち大人(親)は助けてあげないといけない。そのためにきれいな舟にたくさんの宝を積んで優雅に港に入っていく。これが基本中の基本です。

 大丈夫だよ。眠っている力があることは親がいちばん知っている。丁寧さはだんだん育っていくから一緒に心がけよう。勉強そのものを面白く思える日がすぐそこまで来ている。ずいぶんしっかりしてきたじゃないか。だれが何を言っても、おまえは私の誇りだ。顔つきがきりっとしてきた。おまえは大物だ。
 私は子どもが幼いころ、おまえはきれいな顔をしていると暗示にかけるようなことさえ言っていました。男の子ですからべつにどうでもよかったのですが、褒めることにお金も手間もかからないのですから褒めたらいいのです。他者を褒める努力がご自身の優雅さを高めているのですから。

 コミュニケーション云々と難しく考えすぎず、ひたすら心の舟に宝を積んで優雅に入港してあげてください。いい親子関係が築けるはずです。

 
Tags :
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2013.04.20 13:20

 真面目な記事が続くとどうしてもくだらないことを書きたくなります。私は自分が真面目な人間だと誤解されると耐え切れないのです。いい加減な人間がときどき立ち止まって少しだけ考えている・・・という感じに見ていただけると理想的なのかな。とにかく真面目ではありません。面白おかしく生きたいというのが根底にあります。
 今日は思い切りくだらないことを。

 自宅ではBSチャンネルが入らないのですが、Youtubeで吉田類さんの「酒場放浪記」を見ることができます。先日、偶然衝撃的な出会いがありました。
 お店の女の人。うわー、これはかわいい! と思った方がいました。かわいいと言ってもお歳は40ぐらいですかね。しかし、どう見てもかわいいものはかわいい。ご家族経営の大衆酒場です。インターネットでお店を確認したのですが、口コミを見るといいお店だとは皆さん褒めていらっしゃるものの、どなたも若奥さんがかわいいとは書いていない。それはないだろう! まず、若奥さんかわいいだろう! と腹がたち(?)ました。

 で、当然出かけて行った。もちろん1人です。お店は駅のすぐ近くにあります。
 運よくカウンターに座れました。するといらっしゃいましたよ。色白で華奢ですごくかわいい。漠然と下町の都立高校を卒業したのではないか? と思ったりしました。何十年も続くお店だそうですから、地元の学校に通われたでしょうね。
 あまりにもかわいいのでしばらく朦朧としていました(血圧のせいかもしれません)。ひとしきりくらくらしたあとでビールやホッピーを飲みながら冷静に観察した。

 お勘定のとき彼女の指先がかすかに私のてのひらに触れたのですが、全身に電気が走りました。
 さて、こういう話はどなたにしたらいいのか。当然立川教室長のイケ面W先生ですね。ものすごくかわいいのでYoutubeで確認してくださいとお話した。するとすぐに確認してくださった。確かにいい感じですねーとわざわざメールをくださいました。私はもう1度行きたいのだが、半ば恋愛感情みたいな気持ちがして恥ずかしいので着いてきてくれないかとお願いした(女子高生かよ!)。

 さすがはW先生。つぎの部活はここにしましょうとお返事をくださった。というわけで・・・つぎは御徒町に行ってきます。
Tags :
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2013.04.19 13:51

 昨日の続き、自分自身になりきるということについてです。
 アンケートで見る限りーー生徒は本音で書いてくださっていると信じていますーー私は現在「先生」としてはまずまずの評価をいただけているのではないかと思っています。この年齢になりますと急速に彼ら(中学生)の支持を得られなくなってしまうケースもあります。そういう事例は本当にうんざりするほど見てきました。

 はっきり自覚していることなのですが、私には物事を教える立場の人間として著しく欠如している資質があります。それは、情熱についてですね。情熱がない、ではない。なかったら続かない。そうではなくて、情熱をうまく伝えられないのです。もう少し正確に書くと伝えたくないのです。
 いい先生というのはおおむね「情熱的」です。そういうことはわかっている。ただ少年期のいろいろなことを思い返して、私は教える側の人間として可能なかぎり熱くならないようにしようと決めました。

 まったく情熱的に見えない先生でうまくいっている先生がはたしてどれだけいらっしゃるのか、不安な部分はたくさんあった。しかし、もう十数年ーー若いときは不安のあまり情熱を演出した時期もありましたーーそれでやってきて生徒から苦情を言われたことはありません。淡々と、愛情をこめて教えているつもりです。
 結局、そういうことなのですよ。どこかから理想的なモデルを見つけてきて、自分をそのモデルに似せようとあたふたする。そういう姿勢が目立つとお子さんはかえって不信感を抱きます。

 私は自分の息子とキャッチボールをしたことが1度もありません。サッカーの真似事をしたことも1度もない。文字通り1度も、です。ただそれは私が子どもをどうでもいいと考えているからではなく、自分はそういう人間として生きてきたという正直な姿を彼に提示したかったからです。息子のためにサッカーボールの1つも上手に蹴れるようにならなくちゃ・・・と40過ぎて生まれて初めてサッカーの練習をするよりは、こうとしか生きてこられなかった人生観に自信を持ち、べつの形で息子を大切にしてやりたいと思ったのですね。

 サッカーそのものを否定するとかそういうことではないのですよ。わかりやすいように例を挙げただけで、息子が小さいときは彼の望むままサッカー教室に通わせたこともありました。
 何かをお手本とせず、等身大の自分として話もしたし遊びもしたし人生について語りもした。自分が何を美しいと思い、どういうことをかけがえのないことだと考えているか。そうしたことはきちんと伝えてきた。いろいろ話していく過程で、彼はあるとき「だからお父さんは女の人にもてるんだな」と言った。残念ながらそれは誤解ですが、いろいろなことが確実に伝わっているようには思いました。

 彼が私のことを信頼してくれているのは、私が権力者だからでも肩書きがりっぱだからでも大金持ちだからでもありません。自分のなかの真実を生きようと悪戦苦闘してきた1人の小さな人間であることが如実に伝わるからで、それは生徒たちが先生を信頼するのと共通する要素を持っていますね。
 土日はすべて仕事でしたから、私は息子をあまりかまってやれなかった。あるときそのことをぽつりと言った。するとーーこの話は以前も書きましたねーー彼は「おれはずいぶん大切にしてもらったと思うけどな」と答えた。親子関係で大切なのはこちらが自分を見失わず、一生懸命「その人として」生きる姿を伝えることではないかと思うのです。
Tags :
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

プロフィール

プロフィール画像
長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

カレンダー

<<   2013年04月   >>
  01 02 03 04 05 06
07 08 09 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

新着記事

月別アーカイブ