2013.02.28 14:46

 対機説法という言葉がありますね。人を見て法を説く。基本的に生徒や保護者の方に対したとき、私はその方だけに合わせてお話します。そういうものですね。勉強の仕方だとか生活の送り方だとか、人それぞれということになる。
 ある生徒には自室で勉強しなさいと言い、ある生徒にはきみは家族のいるところで勉強したらいいよと言う。そのほうがかえって落ち着いてできそうだとぴんとくるものがあるからですね。そうやって人によって真逆のことを言うときがあります。

 お医者さんもそうらしいですね。健康法の本を読んでいたら、そういうことが書いてあった。禁酒するべき患者さんに対して、この人はこっそり飲んでしまって自責の念でくよくよするのではないかと心配な場合、思い切って「少しぐらい飲んでも大丈夫ですよ」とおっしゃるそうです。
 私の周りにも本来は禁酒したほうがいいのかなというご病気を持っていながら「お医者さんにはそう言われなかった」という方がいらっしゃるのですが、それこそ人を見て法を説け的なところがあるのでしょう。だからこそ価値があるのですね。

 昨日の映像講座の撮影で、ふとそういうことができないのだと気づきました。人を見て・・・ということができない。すべての方が対象になっていらっしゃるわけで、すべての方に最大公約数的にお役にたてそうなことをお話しなければいけない。しかも、短時間で。
 難しいなーとつくづく思いました。お料理の作り方なんかとはあきらかに違います。塩を小さじ1杯、胡椒を少々・・・というわけにはいかないですね。見ている方全員のお役にたてるのだろうかという不安は、どうしても少し残りました。

 現場の方はプロ中のプロという感じでいろいろ的確なアドヴァイスを下さりとてもやりやすい雰囲気で撮影は進んだのですが、唯一にこにこしてくださいというのだけはつらかった。私はあまりにこにこしない人間なのですよ。にこにこしてはいけないとご先祖さまに言われている(ウソですよ)のではないかというぐらい笑顔は見せないのです。
 内容的なものとそうした表層的なものと、けっこう悩みました。まあ、すべてなるようになるのがいちばんだという気持ちはいつでも持っているのですが。
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2013.02.27 13:56

 保護者の方向けの映像講座を作る予定があり、私も一部でお話させていただくことになりました。撮影が本日あります。これはZ会進学教室とは違う部署のお仕事なので、詳しくはわかっていない部分もあります。
 ただ、保護者の方が中学生ぐらいのお子さんにどう接するべきかとか、勉強ができる子が後天的に獲得した特質や方法論は当然ながら普遍性を持ちますから、的外れなお話になることはないでしょう。映像にたえうる容姿であるかどうかはちょっと申し訳ないのですが・・・

 こういう仕事をしているのでときどき誤解されることがあるのですが、私は必ずしも成績のよい人間だけを評価しているわけではありません。そのことはむしろ生徒自身が敏感に気づいてくださっています。いろいろ個性的な子がたくさんいて、なかには勉強はどちらかというといまはしたくないという中学生も混じっていますが、それだけでだめだという見方はまったくしていません。それぞれの個性に応じて伸びていってほしいという気持ちが強くあります。

 子どもというのは、私にはある種の秘密兵器みたいに感じられるのです。世の中を劇的によくするための兵器ということです。彼らのためだけではなく、世の中全体のためにどんどん送り出していかないと。「秘密」を頭につけたのは、子どものときはどう伸びていくのかじつはよくわからない部分も多いからです。
 それこそ猛勉強して研究者として貢献するのか、スポーツを通じて人々をエキサイトさせることで貢献するのか、マンガを描いて大勢の人を和ませることで貢献するのか、中学生ぐらいですとちょっとわかりません。

 中学生のとき、私はいわゆる「先生」というのが好きではありませんでした。親ともうまくいかず、先生ともうまくいかず。権威みたいなものに対する嫌悪感があったのですね。私立中学の先生は、いま思えばどなたも本当にいい先生ばかりでした。ところが、幼稚な私にはそのよさが理解できなかった。
 当然、将来ありとあらゆる意味で「先生」のような職業にだけはつかないだろうと思っていました。ところが結果的にこうなっている。こうなったからには、この形で少しでもお役にたたないといけないですね。

 そうやって人生どうなるかわからない。絶対にならないと思っていたものになる可能性だってある。そこがまた面白いところでしょう。
 とりあえずは子どもたちが大きく伸びていくためにご家庭内の環境をどう整えたらいいか、勉強を得意にということであればどのへんに力点を置くと効果的か、さらに具体的にはどんな方法があるのかーーそのあたりですねーー将来的にどういう形で配信されていくのかまだわからないのですが、とにかく自分にできるかぎりのことはしようと考えています。
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2013.02.25 13:24

 このまえふと思ったのですが、私が子どものころはあちらこちらから犬の遠吠えというものが聞こえました。「ワォーン!」というような鳴き声。消防自動車なんかが大きなサイレンを鳴らして走っていくと、つられたようにあっちからもこっちからも「ワォーン!」という声が聞こえてきました。若いころ、実家で柴犬の雑種を飼っていた時期もあるのですが、やはり変な声で鳴いていました。顔を上方に向け、口をとがらせて「ワォーン!」と鳴く。

 何度か鳴いている様子をじーっと観察してみたことがあります。すると横目でこちらを見ています。見ながら「ワォーン!」と吠える。あんまり見ないでくれみたいな表情を浮かべていましたよ。面白いのでじろじろ見つめていたら途中でやめてしまいました。やはり人目のないところで心ゆくまで吠えたいのでしょうね。
 昔の日本映画にも犬の遠吠えはよく出てきます。映像ではなく音だけで。何となく寂しい感じが残ります。

 犬の性質が21世紀に入って大きく変わったという話は聞きませんから、たぶん部屋飼いが増えて聞こえないのでしょう。部屋のなかで遠吠えしているかどうかは知りませんが、外を歩く人間にまで声が届かないのですね。
 散歩している犬を見ても小さな犬が多い。いつだったか鹿みたいな犬を目撃しました。種類を知りたかったのですが、妙齢の女の方が連れていらっしゃったので新手のナンパか? と用心されても困ると思い、質問しませんでした。いい歳して誤解されたら恥ずかしいですからね。男の人だったら思い切って訊いたと思います。

 私ももう一度犬を飼ってみたいという希望は持っているのですが、飼いたいのはあくまでも柴犬なのです。小さい犬は好きですが、自分で飼いたいとまでは思いません。柴犬のちょっと硬派な感じが好きなので、オシャレな犬は似合わないと思っています。
 マンション住まいだと柴犬はちょっと飼えないですね。そもそも私の住んでいるマンションは犬を飼ってはいけない規則になっています。こっそり飼っている方はいらっしゃるみたいですが。

 一戸建てに住む気持ちはまったくないので、おそらく一生飼えないでしょう。ちょっと心残りではあります。遠吠えを聞いてみたいのですよ。息子? さすがに遠吠えはしません。
 小さな希望というのはいろいろありますが、実現しそうでなかなか難しいものがたくさんある。柴犬を飼うというのもそうですが、ほかにも叶っていない小さな希望はいろいろあります。自分次第で叶えられるのですが、条件が整わなかったり時期がうまくつかめなかったりする。

 そんな小さな希望の一つ。一度、仕事が休みの日に豊橋市(愛知県)への日帰り旅行というのをやってみました。もちろん単独行。新幹線で行ってある立ち飲み屋さん(日本一の立ち飲み屋さんだと思っています)でお酒を飲んで、新幹線でさっと帰ってきた。ばかばかしいのですが、一度やってみたかった。
 豊橋駅前から自宅に電話をかけた。息子に「いま愛知県にいるがこれから帰る」と告げたらびっくりしていましたよ。そうか、地方都市ならいまでも遠吠えは聞こえるのかもしれないですね。
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2013.02.24 13:09

 おのれを知るのは非常に大切なことで、世の中の動きにうとくてもご自身を知っていらっしゃる方はどうにでもなる感じがします。逆にやたらと博学でも、ご自身が全然わかっていらっしゃらない方はちょっと心配です。
 若いころは私も自分のことがまったくわかっておらず、不釣合いな異性に憧れて失恋したりしていましたが、この歳になるとさすがに・・・とんでもない勘違いは、なくなってきているのではないかと思います(そうでもなかったらすみません)。

 それでも人間ですから、ほかの方によく言われるとうれしい。お世辞でも喜んでしまう。
 たとえば生徒から「先生のおかげです」とお礼を言われたり、保護者の方から感謝していますというお手紙をいただいたり、ブログのコメント欄にお褒めの言葉をいただいたりすると有頂天にはならないまでも、こつこつ励んでいることがむだにはなっていないという気持ちになります。そういうものでしょう。

 そうしたいい気分は人さまからいただいたエネルギーだと考えるわけですよ。せっかくいただいたエネルギーを独り占めしてはもったいない。みんなで分けないと。
 で、おもに生徒のよいところを探して褒めます。少なくともよい気分にしていただいた分だけはしっかり評価する。よい気分にしていただかなくても褒めはしますが、微妙にエネルギー量が違うような気がする。気分がよいとエネルギーが濃いのですね。

 彼らもまた評価されていやになることはないでしょうから、たとえばご家庭に帰って今日これこれこういうことがあったよと上機嫌で語ってくだされば、さらにエネルギーが乗り移っていきますね。
 だからこそ、スタートになる人間は本当に大事。他者にエネルギーを与えられる人間ですね。和顔愛語などという熟語がありますが、そうした心構えを持たれるだけでも周囲に大きなエネルギーを与えられるでしょう。

 よいエネルギーの連鎖反応が出てくれば、世の中うんとよくなるはずです。環境問題とか科学技術の危うさとか文化間の衝突とか、考えさせられる大問題はいろいろありますが、根本の危機は個々人の心のエネルギーの欠如にあるような気がします。大きな施策も個人にエネルギーが充填されていればこそでしょう。
 方法論も大切ですが、原点はあくまでも個人の心なのですね。
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2013.02.23 12:19

 日本語はなかなか難しいですね。難しいということは面白いということでもあります。単純すぎるものは面白くありません。底が浅いからですね。
 難しいものをじっくり考えるところが面白いのです。1970年に大ヒットしたB・J・トーマスの「雨にぬれても」という曲がありました。バート・バカラックの作品ですね。個人的にはB・J・トーマスが歌ったバカラックの作品では「アウト・オブ・タウン」や「ロング・アゴー・トゥモロウ」なんかのほうが好きなのですが(とくに後者)、それはまあいいや。

 中学生のときにこの曲をラジオではじめて聴きました。当時はラジオが洋楽の情報収集の唯一の道具でした。「明日に向かって撃て」という洋画の主題歌だということもわかった。
 はじめ私はこの曲を「雨にぬれて」という邦題だと思っていました。DJの発音を聞き違えたのですね。「雨にぬれて」というタイトルもとてもいいと感心していた。

 ところが数日後、「雨にぬれても」と「ても」が語尾に着いていることを知りました。深い感慨がありましたよ。「雨にぬれて」よりさらによくなった感じがした。雨にぬれてですとただ雨にぬれているだけみたいですが、「ても」にすると雨にぬれながら何か考えていることややりたいことがある・・・というニュアンスが増幅します。
 雨にぬれてもいいのだ、場合によっては幸せなのだ、後悔なんか何もないのだという感じが伝わってくる。そこが素晴らしいと感じました。

 以前、洋楽でいちばん好きな曲かもしれないと書いたルー・ロウルズの「別れたくないのに」というタイトルもそうです。「別れたくない」や「別れたくないの」ではそれほどの斬新さはありません。「のに」をつけることで、深い悲しみやどうしようもなさみたいなものが伝わってきます。
 助詞の使い方一つでイメージが変わってくる。レッド・ツェッペリンの「胸一杯の愛を」の「を」なんかもそうだな。「胸一杯の愛」と意味は同じでも伝わるものは何となく違う。日本語の面白いところです。

 洋楽の邦題はいろいろありますが、助詞で終わらせるにはそれなりのセンスが必要です。普通は名詞で終わりますね。「愛の誓い」とか「悲しき朝焼け」とか(古すぎる?)。
 洋楽に限りません。タイトルというのは名詞で終わるものが圧倒的に多い。小説なんかもそう。すわりがいいからでしょう。そこを助詞で終わらせる。オシャレですね。

 
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2013.02.22 13:46

 明日、試験の方も多いのではないでしょうか。試験に臨む心構えですが、受かりたいとか合格したいとか変に力むのはよくない。「自分の力が100%発揮できますように」と祈るのが正しい祈り方です。自分のできるかぎりのことができるように、というあたりまえのことなのですが、往々にして「実力を発揮しきれず」に残念な結果になってしまう方が多いのも事実です。自分を100%発揮するという清らかな(?)願望がいちばんよいのです。

 筆記用具を点検しておいてください。念のために多めに持っていったほうがいい。消しゴムは着ていく服のポケットにも1つ入れておいてください。どこかにころがってしまって探したのに見つからなかったという話を聞いたことがあります。借りられますが、精神的に負担になります。
 ウェットティッシュは必ず持っていかれるといいと思います。べたべたしていることがあるのですよ。さっと拭けるようにーーこれまた念のためにーー用意しておくといい。

 体調がよくないことを気にしている生徒が毎年出てくるのですが、私の経験では体調が悪い=不利ではありません。むしろ、いつもより集中できたという人もいます。熱があるとか寝不足だとかを極端に心配しすぎないことです。ほとんど眠れなかったなどというのはまったく心配ない。寝られなかったからだめだという思いこみのほうがよほど問題です。
 朝、目を覚ました瞬間から「合格にふさわしい人間として今日1日を過ごそう」という意志を持ってください。試験開始からだけが勝負ではありません。

 本当はあなたが生きてきたすべてが勝負なのですが、そんなことをいま考えてもはじまらない。せめて今日1日と考えてください。その服装で、その靴で、その靴下でいいですか? 靴下は穴があいていていい? そういうことも含めて「本当にその高校にふさわしいかどうか」考えてください。
 歩くときも校門をくぐるときも、ふさわしい人間であるかどうか考える。ふさわしくないような気がするのであれば、ふさわしいと思える姿勢をとってください。

 休み時間に友だちとできたとかできなかったとか騒いだりしないように。わさわさした気分はこわい。合格などという個人的問題は、1人きりで頑張るという覚悟がなければだめです。試験が終わってから話そうと伝えてください。そうしないとあちらはあちらであなたに依存してきますから、張りつめたものがぐだぐだになってしまいます。
 机に座っているときは、ひとりでに解答が浮かんでくるという気持ちを持ってください。あなたが考えるというより、どこかから正解がやって来るのです。

 知性を黄色で現すことがあります。黄色い炎に自分が包まれていることをイメージする。他者に対して「何かすごそうなやつがいるぞ」という圧迫感を与えることができます。
 1教科失敗してもーー仮にそれが得意教科であってもーー全然心配することはありません。諦めなかったので合格したという話はいくらでも聞きます。問題が難しいときのほうが番狂わせも起こりやすいのですが、諦めてしまう人が多いからです。

 受かる受からないはそれぞれですが、人生の一過程としてそれを活かすのは自分次第です。あなたの人生はここからどんどん上昇していかなければならないわけで、1つの高校の合格だけが何かを約束してくれるわけでは決してありません。粛々と受け止め、自分の幸福は自分が切り開くという強い気持ちを持ってください。
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2013.02.20 13:36

 ときに人生というものはじつに無意味で頼りなく、私たちはそれぞれが完全な孤島としてばらばらに存在している、これからだってどんなひどいことが起きるかもしれないし、未来には希望なんかほとんどない・・・という厭世的な気持ちになることがあるかもしれません。とくに若い方に向かって書いているつもりですが、お年寄りでもそう感じる方はいらっしゃるような気はします。
 私は、そもそも人生に対する信頼感をどうしてもっと子ども時代に教えないのだろうという気持ちを持っています。かつては宗教だとか哲学だとかがそういう役目を担っていたのでしょう。長老(?)が確実に若い層に伝えていた。

 信頼感というものはこちらが持っていなければあちらからも返ってくるわけがありません。わかりやすく書けば、嫌えば嫌われる。人生をろくなものではないと信じこむから次から次へと妙なことが起きてしまうのです。
 先日、大塚のパブでチリを食べました。メニューに「チリコンカン」と書いてあった。母が昔そう呼んでいました。懐かしいので食べてみました。クラッカーがついてきました。そういえば昔、テレビドラマの「逃亡者」でこんなシーンがあったなと思い出した。いまはなくなってしまったバーガー・チェーンのチリにもクラッカーがついてきましたね。

 「逃亡者」のDVDはすべて持ってはいますが、120話もあります。比較的初期の話だったように記憶していますが、それでも70話ぐらいは確認しないといけない。いくら私でもそんなヒマはありませんから、放っておきました。まあ、退職でもしたらもう一度ぜんぶ見てみようかなぐらいですかね。
 昨日、ふと「逃亡者」が見たくなり、適当に手にとったDVDを再生してみました。すると、一発でチリの話が出てきました。おいおい本当かよ・・・とちょっと興奮しましたよ。

 しかし、そういうものでもあるのです。すごい偶然と興奮するべきなのか、これも必然だと落ち着くべきなのか。
 瞬間的には鳥肌がたちましたが、自分の人生観からいくとこういうものなのです。当然なのです。すべてがつながっている。すべて見ているし、見られてもいる。すべて守られているし、守ってもいる。私たち1人1人は孤島ではないし、私たち1人1人の祈りも虚しいものではないということです。強くそう信じられれば。
 生きることの美しさは、結局何をどれだけ持っているかとかどこの学校に通っているかとかだけではありません。生きることがうんと頼りになるという深い信頼感に滲み出てくるある種のご褒美ではないかという気持ちもします。

 冷静にーーここから人生を信じてくださいーーいいことが次々と起きるはずです。いいことが起きるという信念がそうさせるのです。
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2013.02.18 13:54

 息子がうちは普通ではない、とてもうちの会話を友だちに聞かせられないと家内に訴えるそうです。あのお父さんじゃ・・・とも言うらしいのですが、私には気を遣っているのか面と向かって「困る」と言われたことはありません。まあ、言われても直しようがないですけどね。
 家内は息子に「あなたの言っている普通の会話というのはどういうの?」と質問してみた。すると息子はうーんとしばらく黙った。

 ぽつりと「お菓子食べる? とか・・・」と答えたというので、なるほどなあと思いました。こういうのは、それではとばかりに私が「お菓子食べる?」と言ったところで何の解決策にもなりません。「お菓子食べる?」が象徴する世界が確かにありそうです。そして、私は息子の目から見ればあきらかにその世界に属していないのでしょう。
 念のために書いておきますと、現在の私は個性的であろうという努力はまったくしていません。むしろ普通であろうという意志が強い。

 服装でも何でもそうです。若いころはちょっと変な格好もしていました。思い出すと恥ずかしい。目立ちたいとか異性にもてたいとかという気持ちが強かった。結果として、奇抜すぎてかえってもてなかったような気もしています。個性的でなければ・・・という先入観念「も」異性に敬遠された理由の1つだったのでしょう(ほかにもいろいろ理由があることはよくわかっていますよ)。
 いまは洋服を買うにしてもできるだけ普通にと心がけています。お店で「できるかぎり普通」と言うと笑われますけどね。

 受験結果がいろいろと出てきています。第一志望に合格できた生徒も残念だった生徒もいる。難関校合格というのは実力だけではなかなか難しい。運も必要です。では、不合格の人が運が悪いのかというと、そうとはかぎりません。一つの扉を閉めることは、ほかに無限の扉が開く可能性を獲得したことにもつながるからです。
 失恋してしまったら、いままでの相手以上にステキなどなたとでも恋ができるチャンスが訪れているというのと原理的には同じですね。その、無限のチャンスをつかみとっていくのはあなた自身です。合格しても残念であっても、主人公はあくまでもあなた自身。

 残念がっている生徒にまさかよかったとは言えませんが、心のなかだけで「これできみには広大なチャンスが訪れたんだよ」と語りかけるときはしばしばあります。落ちこむ必要はまったくない。むしろ合格された方に「本当に気を引き締めてくれ」とやはり心のなかで訴えることがあります。
 健康診断で健康と言われたら、これからすべての病気にかかる可能性があるということです。わかりますか? どこかが悪いと言われればそこに注力もできるでしょうが、健康と言われたら何もかも気をつけなければ。

 とまあ・・・普通の会話ではないと息子に嘆かれそうですが。

 
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2013.02.17 06:35

 最近、また玄米を食べています。毎食ではないですけどね。
 以前、1年間ぐらい完全に玄米菜食にしていた時期がありました。あのときみたいに徹底してやろうという気持ちではありません。可能であれば、白米よりは食べようかなという程度です。
 カレーとかチャーハンにしてもおいしい。先日は息子が作ったチャーハンを食べてみましたが、けっこうしっかりした味つけで見直しましたよ。

 いわゆるマクロヴィオティックという健康法があります。健康法というよりむしろ哲学と呼ぶべきなのかもしれません。関係書物を相当数読んでいます。最近ではないですよ。以前、自分でそうした食生活を実行していた時期に読みました。
 最近の健康法もマクロヴィオティックという用語を「あえて」使わずに、じつはほとんど同じようなことを提唱しているケースが多々あります。玄米菜食、腹八分目が基本ですね。

 肉体は精神の宮殿ですからね。きちんと整えておいたほうがいいのでしょう。そういう意味で、健康には注意を払っているつもりです。長生きしたいとか何とかというより、身体のことであれこれ迷いたくないのです。それこそーーうっかり忘れてしまえるぐらいーー快適な状態にしておきたい。
 意識するべきなのですよ。するべきなのですが、忘れてしまえるぐらい・・・という贅沢がミソです。心地よく、生きる宮殿ということです。

 きのうは寝ていない。今日もじつはあまり寝ていません。昨晩も帰りが遅く、今日は今日で朝から準備講座が昼まで続き、講演会や面談のあとは夕方レギュラーの授業があります。そこで例によって早朝自宅で記事を書いている。そのため早起きしましたから、2日連続で寝不足です。
 これがしかし、生きている実感ですね。生きているからちょっとハードな日もある。またほっと一息つける休みもある。ふざけるときも真面目なときもある。そういうことですね。

 玄米は続けますが、肉食をまったく忌避しているわけではありません。最近も息子のリクエストで自宅でジンギスカン鍋を食べました。タブーはない。堅苦しい不自由さや深刻さはもう捨てました。
 これもよし、あれもよし。ただこっちのほうが好きかな? ぐらいで最後まで生きていくことになるのだと思います。
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2013.02.16 13:02

 土日は説明会などがあって朝早いわけです。金曜日ーー昨晩ですねーー山手線が遅れていたこともあり、自宅に帰ったのが深夜の0時半ぐらいでした。それからシャワーを浴びたり食事をとったりして、寝たのが2時半ぐらい。朝は6時半に起きたので、4時間ぐらいしか寝ていません。
 するとどうなるか。説明会や授業のときにくらーっとめまいがする瞬間があります。眠いというより、めまいみたいな感覚ですね。

 ずっと立っているからだと思います。座ればいいのでしょうが、座らないと決めているのにめまいごときで座るのはちょっと悔しい。で、ときどきくらくらしながらずっと立っています。
 寝不足のときはどなたもそういう感じになりますね。5時間眠れるとだいぶ楽なのですが、4時間だとやはり少しだけつらいかな。子どものころは2時間しか寝ないで学校に行ったりしていましたが(深夜放送を聴いていました)さすがに歳をとったのでしょう。

 それでも会の終了後、ブログを読んでいますなどと声をかけていただくと素直にうれしいですね。たいしたことは書いていないので申し訳ないのですが、何となくつながっている感覚はうれしい。
 今日はこれから最後の3年生の授業(私の担当するものとしては)ですが、ここはしっかりやって送り出したいと思っています。ここまでくると実力をつけさせるとか何とかというより、運気を高めてやりたいという気持ちが強い。秘訣があるのですよ。私の近くに来てくださった方は運気が強くなるのです。

 運気というものはあると思えばある、ないと思えばない。どうにでも解釈できるのであれば、あると信じてそれも利用したほうがいいでしょう。明るさみたいなものでしょうか。暗くなってしまうと運は逃げていきます。明るく前向きにいく。どういう形になったとしても自分はやっていけるという自信を持つ。試験場で自分ほど輝いている人間はいないと信じて振舞うことです。
 みんな自分よりできそうだなあ・・・とびくびくするのがいちばんいけません。以前もどこかに書きましたが、自分が入ることで感謝するのは自分ではなく進学先の学校のほうだぐらいの強い気持ちを持つことです。
 
 

 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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