2013.01.31 15:23

 これまでどれぐらいの数の居酒屋に入ったことがあるだろうと考えるときがあります。私の場合、割烹とか和食の店とかではなく、完全に居酒屋ばかりですね。吉田類さんや太田和彦先生の映像や書籍を見ていると、知っているお店がずいぶん出てきます。
 居酒屋ではお酒を飲むわけですが、当然少しは食べます。妙なものは頼みません。オーソドックスなものばかりです。

 いわゆるチェーン店にはここのところまったく入らなくなりました。十年ぐらい昔はそうでもなかったのですが、あるときから敬遠するようになりました。私ぐらいの年齢の方だと皆さん同じようなことをおっしゃいますね。食べ物があまりおいしくないからかもしれません。
 まずくはないのにおいしくもない。不思議な感覚ですね。魂がこもっていないからなのでしょう。そういうの、やっぱり伝わってきてしまう。

 チェーン店もずいぶん向上してきているのは知っています。昔みたいなパックに入った業務用のおつまみ(居酒屋経営の雑誌なんかに広告が出ているやつ)をそっくりそのまま出しているようなお店は淘汰されてしまうのかもしれません。それでも個人の手作りというわけではなく、きちんとレシピは決まっている。ブレのなさが、ある意味でつまらなさにつながってくるのですね(このあたり授業と共通するものがあります)。

 最近は凝った家庭料理みたいなのを出す居酒屋さんもありますね。料理自慢のご主人や奥さんが突然独立してはじめたようなお店。おいしいし雰囲気はいい。しかし、私はあまり行くことはありません。上品な料理が目立ちすぎるのですね。
 何というか、だらだら飲んでいてふと食べ物が存在していたことを思い出すぐらいがだらしない酒飲み(=私)にはちょうどいいのです。そういう姿勢を許さない主張が食べ物から発散されていると、それはそれで申し訳なく感じてしまう。

 下町の居酒屋に行くと、じつは今日にかぎって素材があまりよくないなと感じるものが出てくる日があります。値段の関係で仕入れられなかったのですね。それを少しでもおいしく食べさせるためにーーときには微妙にごまかすためにーー味を濃い目にしてあったりする。ずいぶん濃いなと感じるときもありますが、そこがいいのですよ。シメサバが極端に酸っぱかったりすると、いろいろ苦労しているなと微笑ましい。生きた人間が生きた素材を扱っている感じが伝わってくるのですね。

 大塚のEやK、北千住のO、十条のS、湯島のS、神楽坂のI、中野のD、名古屋伏見のD、大阪野田のU・・・ぱっと思い浮かぶのはそのあたりかな。

 
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2013.01.30 14:09

 よくあなたは占いを信じますか? という質問があります。信じる方も信じない方もいらっしゃいますね。いい運勢だけは信じるとか、悪い運勢が出てくるといやなのでぜんぶ信じないようにしているとか・・・飲み屋さんなんかで話題になることがありますね。
 また何々占いは信じるけれどもそれ以外は信じないとか、ユングのような偉大な心理学者でさえある種の占いは信じていたらしいとか、いろいろな説があるようです。

 私は毎朝、カードをひいてその日の運勢を簡単に占っています。ただそこには私の主観が強く入っています。
 そもそも占い用のカードではないのですよ。吉とか凶とかそういうのではない。それを一枚だけひく。数年前まではいいカードが出たときとそうではなかったときの気持ちの差がまだ少しだけありました。それがここ1、2年ほとんどなくなってきた。私自身の人生観の変化に伴って解釈が変わってきたのですね。

 つまりーー何度も書いてきたようにーー私は基本的に人生は祝祭であると考えています。いまはどうしてもそう考えてしまう。うれしいこともお祭りなら、悲しいこともお祭りだと思ってしまう。
 もちろん人さまに押しつけたりはしませんよ。悲しんでいるどなたかに向かって、これもまたお祭りだよなんて失礼なことは言いません。ただ内心では人生というのはそういうものではないかと感じています。最後は自分が死ぬことで私の人生も終わるわけですが、その瞬間もまた盛大なお祭りでいっ! という感覚がある。

 すると悪いカードもそんなに悪く感じられない。「抑圧をかかえている」というカードが出ても「よっしゃー! 抑圧たっぷりの一日を楽しんでみっかー!」になる。「疲れているのでは?」というカードが出ても「くたぶれた人間特有の陰影に富んだ美しさを前面に押し出す一日にするぞー!」となる。
 これは大変だとか困ったとかという気持ちがないのですよ。もちろんいいカードが出れば、それはそれで大喜びです。よくて喜び、悪くて喜び、色の違う祝祭が延々と続いていく感じです。

 都立N高校の推薦試験の作文の問題を見ました。「人間は直面している条件に支配されていない」と書いてあります。「条件のほうこそ、人間の決断いかんに支配されている」と書いてあります。
 言いたいことはいくつかあるのですが、こうした哲学的箴言は何らかの実体験に置き換えられるかどうかです。ある種の人間にとっては世間で言うところの「悪い条件」もよいものに変わってしまう・・・条件を支配するのは一人一人の心構えなのだということです。まあ、ここまで単純化して書いてしまうと深みがなくなってしまうのですが。
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2013.01.28 17:23

 臨時の記事です。

 本日1月28日、自分のところからコメントを書くことができません。本日にかぎって認証の数字が出てこないのです(×印がでてきます)。理由はよくわかりません。
 一般の方と同じ形でブログに入ると認証の数字も出てくるのですが、その状態でコメントを書くのは何となく「なりすまし」みたい(?)にも見えますからやめておこうと思っています。
 
 いただいたコメントは次々に掲載させていただきますが、お返事はここから書けるようになるまでしばらくお待ちください。正直なところ、どうしたらいいのかよくわからないのです。
 よろしくお願いいたします。
 ↑
 授業終了後、直っていました。どうもお騒がせいたしました。
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2013.01.28 15:02

 現在、どういうわけかいただいたコメントに対するお返事が書けない状態になっています。認証数字というのが出てこないのです。そもそも日々私はひたすら記事を書いているだけでブログの仕組みについては何も知らないので、とりあえず書けるようになりましたらお返事を書きます。申し訳ありません。

 さて、公立中高一貫校について。
 公立中高一貫受検コースにつきましては新宿教室のO先生と池袋教室のこれまたO先生が中心になり、各教室の担当の先生と連携して進めてくださっていました。説明会なども両O先生がやってくださった。
 次年度からはそこに各教室長も加わることになり、私たちは両先生からくわしいレクチャーを受けています。お話をうかがえばうかがうほど、うーむ・・・と感じることがあります。

 それは、合否のあとのことです。渋谷教室ですから都内の中高一貫校が対象になりますが、とにかく勉強させていますね。授業時間も格段に多ければテキストも高度、宿題もたくさん出て本当にある意味で私立生以上に勉強させている。勉強に追われてへとへとという中学生もいるそうです。
 私が心配したのは、これでは「普通の」公立中学生との学力差がとてつもなく広がってしまうということです。

 まあ、ここに通ってきてくれている生徒は、少なくとも「ここ」があるので勉強しないわけにはいかないでしょうが、世の中にはそれこそ中1中2時代は定期試験時の僅かな勉強と部活と娯楽だけという子もいます。2年間、それで何とかすんでしまう。
 池袋教室にいたころ(なぜか渋谷に来てからは1件もありません。地域差がありますね)、学校の先生に「塾をやめさせてください」と言われたご家庭が複数ありました。「中1のときから塾通いなんてかわいそうです」という意味のことをおっしゃった。「周囲のどの子もそんなガリ勉していませんよ」と。

 こわいですよ。私立中学生はものすごく勉強しています。公立中高一貫の中学生もーー今回詳しく教わるまで、私はここまで大変だとは考えていませんでしたーー同じようにやっている。国立大学附属中学校も量はともかく質的には相当レベルの高い課題を与えられている。
 一般の公立中学生だけはしかし、勉強がやりたくなければ完全に部活中心の2年間で通ってしまう。それならそれでよしとなってしまう。

 もちろんそれぞれのご事情がありますね。ただ、国公立大学に進みたいとかお医者さんになりたいとかということになったら、それこそ中1のはじめから私立生、公立中高一貫生、国立大学附属中学生に負けないぐらい勉強しなければならない道理でしょう。量だって確保しなければ勝てないですよ。
 仮に先輩に「3年生になって高い内申をとればいい都立高校に行けるから」と言われてもーーそういう側面があることは事実ですーー安心しきって定期テストの勉強だけではいけないということです。

 ライバルは目に見えるとは限りません。とくに大学受験のライバルである私立生や公立中高一貫生の生活は、普通の公立中学に通っている方には見えません。彼らは数年後間違いなくあなたたちのライバルになります。そのライバルが毎日毎日あきらかに自分より多く勉強している・・・ちょっと不気味ではないですか。そのことを忘れないようにがんばりましょうね。
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2013.01.27 10:39

 面接の練習なんかをしていると、どうしても人間の厚みだとか深みだとかについて考えさせられます。厚いからいいとか深いからいいとか単純に考えているわけではないですよ。人はそれぞれ本来の自分自身になるべきであり、自分以外の他者になろうと悪戦苦闘するのは愚かなことに見えます。
 軽い感じで生きたいのであれば、あくまでもポリシーを貫くべきでしょう。軽く、スマートに生きる。そういうスタイルの成功者(?)は世の中にたくさんいます。

 ただ面接試験なんかでは、やはり深みを感じさせたほうが有利は有利でしょう。何かしら大きなものを持っているようなーーひょっとしたら受け取る側の錯覚かもしれませんがーー印象を与えることができるからです。
 たとえば高校を卒業したら一流大学に入りたいと言う人がいます。なぜ? とこちらは当然訊ねます。その回答にやはり深みの差が出てきます。

 自分自身の夢の実現のため・・・というところは皆さんだいたい同じです。ただその表現方法にかなり違いがあります。語彙だけのことではないですよ。笑顔とか視線とか首のかしげかたとか、総合的に伝える色みたいなものですね。単色に近い子もいれば非常にカラフルな子もいる。この子はこちらのことまで考えて、面白く自分の話を聞かせようと努力しているのかと内心感心することもあります。大人とのやりとりに慣れているのですね。まったく怖がっていない。
 いい大学に入りたいということについて、さらにべつの理由を添加する人もいます。なるほどとこれまた感心します。

 真面目不真面目というのとはちょっと違います。真面目でも極端に萎縮してしまう子もいる。失敗を怖がりすぎる。ひょっとすると失敗を厳しく叱られる環境下で生活してきたのかもしれません。言葉の順序などを間違えないようにと強く意識しすぎるあまり、少しでも言いよどむと混乱してしまう。
 ただ、用意してきた台本をそのまま復唱するような感じですと、やはりあまり深みを感じられません。どこかに人間臭さを残しておかないと。「人間の」深みなのですから。

 こういうのはそれこそ一生そうなのでしょうね。私がZ会の講師採用試験を受けたのは前世紀のいつだったかな・・・模擬授業のとき、見てくださる方(3人いらっしゃいました)の性別と年齢を見て、とっさに予定してきたものとは少し違った感じで授業をしてみました。予定してきたもののほうが完璧にできたはずですが、余計な話を入れたりした分だけ即興的な面白さは出たのではないか(採用していただいたのでたぶんそうだったのでしょう)と感じました。
 懐の深さみたいなものでしょうか。勉強するだけでなく、人間的な修養を積むことは大切なことだと思います。

 
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2013.01.26 13:14

 以前、面談をしていてあるお母さまから「要するに、私はおいしいご飯を作っていればそれで大丈夫ですね?」と質問され、はっとしたことがありました。その話はどこかでブログにも書いています(たくさん書いているのでいつのものだか忘れてしまった)。「おいしいご飯」というのはもちろん一つの象徴であり、料理に凝るという意味ではないでしょう。
 お母さまは謙遜しておっしゃっているわけです。難しい勉強のことではもう応援できませんから、私はおいしいご飯作りで応援しますと。

 とてもおおらかな伸び伸びしたお子さんでした。お母さまがおっしゃったセリフとご本人が、お話をうかがった瞬間ストレートに結びついた。こういうご家庭だからあの子は伸び伸びしているのだなと。
 伸び伸びしているというのは、むりする必要がないことを体感的に知っているという意味です。変に背伸びをしない。自分の枠のなかでベストをつくす。私は背伸びをしすぎるのは、逆に萎縮しているからではないかと考えています。

 こういう形の愛情は大切ですね。成績がどうとか合格がどうとかを超えた何かの存在を示唆しています。子どものころ、こうした種類の愛情をふんだんに受け取れた人間は幸福だと思います。
 自分もそうありたいとつねに考えてきました。けさは息子が医者に行くため早起きすると言っていました。大学の追試を受けなければならない関係で、お医者さまの診断書が必要なのです。

 例によって、私は早朝から起きていました。仕事に行く支度をしていたのですが、子どもが目覚めたら何か食べられるものを用意しておいてやろうと考えました。時間もないですからね。ご飯があったので、わさびふりかけの大きなおむすびを作りました。
 何でもいいのです。とにかく「おまえのことを考えていた人間がここにいたぞ」という証だけでいい。息子は私がいるうちにもそもそ起きてきました。「おいしいか?」「うん」それぐらいですね。

 ささやかなことというのは、そのささやかさゆえに貴重な価値を持ちます。大は小を兼ねるでは断じてない。歯と歯のあいだにはさまった何かをナタを使って取り除こうとする人はいません。爪楊枝でさえ入らなければ、小さな歯間ブラシを使うしかありません。
 残っていたご飯でおむすびぐらいが負担にならずちょうどいいのです。それでもするとしないとでは大違いでしょう。息子はさらにふりかけをかけていましたよ。味が薄かったのですね。
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2013.01.25 16:24

 私は子どものころから金銭的には比較的苦労なく生きてきました。ただ私ぐらいの生活で苦労なくと感じられるのは、ある意味で「才能」なのかもしれません。
 一度だけ生活苦(?)に陥ったことがあります。一年だけと表現するべきかな。講師業のみで生計をたてていた時代の話です。いくつかの塾や家庭教師をかけもちしていたのですが、配分をちょっと勘違いしました。

 年度はじめに勘違いするとその年は大変です。実際に働いた分しか収入は入りません。休みが増えれば増えるほど収入は減ってしまいます。
 子どもがまだ幼いころで、家内もパートに出にくい状況でした。親兄弟に泣きつくわけにもいかず、あっという間に借金ができました。長いこと住んでいた賃貸マンションを出て家賃の安いアパートに引っ越しました。家賃が安いだけあってあやしげな住人が多く、夜逃げ事件が起きたりしました。

 それまで住んでいたところはけっこう高級なところだったので、騒音なんかも全然違う。部屋は狭いし環境は悪いし自由はなくなるし、いらいらすることは多かった。
 そういう状況下で考えました。昨年の自分といまの自分と、収入は半分ぐらいになってしまったものの人間的な価値が半分になるわけがない。そんなに簡単に人間の価値が上下するものではありません。収入が減ったという一点だけで卑屈になり、萎縮した人生を送るような形だけは避けようと考えました。

 夕方、きちんとアイロンのかかったスーツを着てゆったりとアパートの粗末な鉄階段を下りました。下りながらこの光景はどなたが見ても不自然であろうと思いました。この階段はここまで優雅に歩く人のための階段ではない。しかし、そこをあえてこれ以上ないぐらい優雅に歩く。天にあるが如く地にも、ですよ。だれが見ても不釣合いであれば、またふさわしい境遇が訪れるだろう・・・
 お金がないというのは深刻な問題ですが、具体的に何もできないのであればせめて深刻さを感じさせないほどの優雅さを保とうと努力しました。

 幸い、一年ほどでもとの生活にもどり借金も返せたのですが、心構えが何より大切だと思いました。
 そうそう、こういうことがありました。私はその苦境に陥るまえ、ある海外ブランドのオーデコロンをつけていました。それもその時期は買えなくなっていたのですが、あるとき電車のなかでその香りをまとった紳士が私のまえをすーっと歩いていくのがわかりました。自分もまたあのオーデコロンをつけられるようになろう! そんなことを考えて胸を熱くさせた日がありました。
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2013.01.23 14:45

 自分以外の家族全員(と言っても家内と息子だけですが)インフルエンザで倒れてしまいました。私はとりあえず大丈夫です。大丈夫ですというより、倒れられないのです。今日は授業、金曜日は会議、土曜日と日曜日は朝からいろいろ用事があります。何日も休むわけにはいかないのですね。
 過去、私は何度か高熱を押して仕事に来たことがありました。休めるときでしたら休んでしまうのですが、そういうわけにいかなかった。タクシーで来てタクシーで帰りました。三鷹教室のときですね。

 高熱が出ているなと思っても、計測しないことにしています。数値を見てがっかりするのがいちばんよくない。気分がよければ、高くても構わないのです。望むところですよ。
 いまのところ、熱もなさそうですし咳も鼻も出ません。ですから、発症しないままいくつもりです。感染はしていると思うのです。そもそもこの季節、街じゅうインフルエンザだらけでしょう。バスのなかも電車のなかも建物内も、人の集るところはそんな感じではないかと思います。そのなかで症状が出る人と出ない人がいる。

 症状が出ても軽く終わる人もいれば重くなってしまう人もいる。ある意味どうしようもない部分がありますね。しかし、体験的にはある程度コントロールできるものではないかとも考えています。びくびく用心しすぎたり、極端に気持ちが落ちこんだりするとよくないですね。
 明るくいかないと。面白そうなことを考えないと。日の光を浴びないと。
 そう言えば、紫外線がこわいということで日の光を極端に避けていると冬の鬱にかかる可能性があるとラジオで言っていました。ときには日ざしを浴びることも大切なのですね。

 去年の今日、私は順天堂病院で専門医に足の腫瘍を診てもらいました。骨の腫瘍と言われ、場合によっては悪い診断が下る可能性もあると思っていました。雪が降っていた。
 これはこれで不便でしょうが何でもありませんと言われました。ほっとしましたよ。何か・・・まだ生きていられるのだから、多少は人さまのお役にたたなくてはと思いました。丸一年たち多少はお役にたてているかもしれませんが、この程度では生への感謝にならないとも思います。もうちょっと頑張らないと。

 大きなスケールで考えることです。インフルエンザもそんなあなたのところだけは迂回していくようになる。ともあれ、皆さんも気をつけて。

 
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2013.01.21 13:34

 いろいろな形の試験がありますね。都立高校の推薦試験では今年から集団討論というものが導入されました。いろいろ心配している人もいるようですので、少しだけ書いておきます。
 まず、討論という名称でエキサイトしないでください。落ち着いてほかの人の話をじっくり聞く。自分の発言時間が短くなる可能性があっても聞くことは重視しなさい。コミュニケーションで大切なのは、やたらと発信することではなく他者の発信してきた内容を冷静に正確に受け止めることです。

 だから耳は二つあるのに口は一つしかないのです。喋ることの倍は聞くという姿勢。今日はみんなの話を聞きに来たぐらいの気持ちを持ちましょう。
 さらにマナーに気をつけてください。先生はあなたの発言以上にあなたという人間全体に注視しています。人格、品性が問われていると考えてください。発信は会話だけではありません。軽くうなずくなどというのも意志を示すという意味では重要な「発信」になります。自分の発言の番ではないからとぼんやりしないこと。礼儀としてうなずく、反対意見に対しても「言いたいことはわかるよ」とうなずくぐらいの余裕を持ちましょう。

 討論の題材はあいまいなものが出るかもしれません。正しいような間違えているようなあいまいなもの。間違っても「人を傷つけるのはいいか悪いか」みたいな題材が出てくることはないはずです。
 たとえばエスカレーターの右側(関西は左側?)歩行は正しいかどうか。こういう問題は正しいとも言えますし、正しくないとも言えます。危ないから正しくない。急いでいる人の便宜をはかるためには正しい。どちらもありうる考え方です。

 できることならあなたは正しい正しくないを超えた立場で見るべきです。つまり「こうした問題にはさまざまな視点があり、単純に善悪の判断はつけがたいものなのだ」という大人の立場ですね。そのうえでどちらかといえば・・・ぐらいでしょうか。
 どちらかといえばぐらいなのですから、あなたの発想は「いろいろな方の意見をうかがって大変勉強になりました」であるべきです。さらに「このことについてはこれからも考え続けていきたいと思います」となるべきでしょう。

 私はあなたにテクニックを伝えたいわけではありません。大きく見るクセをつけなさいということですね。さらに他者の意見を自分のなかにとかしこんで、自分の意見を進化発展させられる賢さを身につけなさいということです。
 討論でライバルを打ち負かしてやろうと変に意気込むと失敗します。相手を助けてやろう、相手も輝かせてあげようという配慮がじつは討論の場自体を成功させ、あなた自身をとてつもなく高貴に見せるということも覚えておいてください。

 とげとげしい雰囲気になる場合もあるでしょう。人と人の組み合わせで当然変わってきます。あなたはつねに慈悲深くあるべきです。あきらかに勘違いしているような意見が出たあとも「みんなが一生懸命考えていることに感動しました」ぐらいは最後に言えるといい。大人は「この子は器が違う」といった印象を受けるでしょう。
 自分が告げようと思っていることをほかの人に先に言われてしまったときは「私もいまの意見に賛成です」と楽をせずにもう一度同じ内容を少しだけ言葉を変えて表現しなさい。

 
 
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2013.01.20 12:47

 例によって日曜日は朝から忙しい。忙しいので自宅で一部だけ書いてきて、たったいま教室で完成させました。
 落ち着いてひとところで書いたほうがいいに決まっています。しかし、なかなかそうはいかないときもあります。そういうときに「全か無か」みたいになってしまう人がいますね。こんな中途半端な勉強ならしなくていいやと。

 気持ちはよくわかります。私もまたそういう人間でしたから。全か無か。若いころはそうやって生きてきた。しかし、どうやらそういうものでもないらしい。
 あるところで少しやり、べつのところで残りをやる。多少不出来ではあっても何もせずにあきらめるよりはいいでしょう。要するに「少しは」勉強したということですね。過去問を一年分解く予定だったのに時間がない。であれば、予定を変更して計算練習でも英単語の暗記でも何でもいいからやってみてください。

 小学生のころ、事情があってほんの一時期新宿区に住んでいたことがあります。西新宿の集合住宅でした。そのときのことはいまでもよく覚えています。学校からグリム童話とかアンデルセン童話とか千夜一夜物語とかを借りてきて読みました。その集合住宅では狂ったように読書した記憶があります。
 早朝と昼と夜と、一日3回ときを知らせるクラシック音楽が鳴ります。有名な曲だったのでしょうね。

 大人になって、どこかで偶然その音楽を聴いた。瞬間的に涙が出ました。ああ、小学生のころほんの何ヶ月か毎日聴いていた曲だと思ったら悲しくもないのに自然に涙が出ました。
 その集合住宅を数年前に見に行きました。いまはべつの施設になっています。坂道をのぼっていって建物の周辺をうろうろしてみました。古い木造家屋の表札を見て、これを見た記憶が・・・という気持ちになりましたが、本当に当時と同じものなのかどうかはわかりません。

 忙しく生きていて、ふとそうしたことを思い出します。たわいもないことが心の浄化につながりますね。
 そう言えば昔ある模擬テストの業者さんの説明会の開始前、会場にピアノ音楽が流れていました。自分が小学生のころ弾いたことがある曲でした。いまでも指だけは動かすことができます。机のしたで静かに動かしてみた。そのときもまた不思議な感慨に包まれました。生まれてきてよかったということですよ。

 
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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