2012.12.31 12:22

 今年度の最終回は、やっぱり勉強の話題でしめましょうかね。
 先日、ある生徒が国語ができないのだがどうしたらいいだろうと相談に来てくれました。いつも見ている生徒ではなかったのですが、現在私はこういうケースで次のように心がけています。
 相手に「どうできないの?」とは訊きません。どうできないか具体的に質問して対症療法をあてがったりしない。お医者さんで言えば、どこが悪いのか訊ねてすぐに薬を出したりしないわけです。

 そうではなく、本来の「よくできる」状態を示唆する。きみはこうだからこうしなさいではなくーー比喩的に表現するとーー健康とはこういうものだよと話します。ぐっすり眠って正しいものを楽しく食べ、適度に身体を動かしてくよくよしない、それがすべてだよということですね。いい新薬があります(いい参考書があります)とは言いません。
 相手はいろいろ訴えたがりますよ。「選択肢問題が・・・」「記述問題が・・・」「時間が足りなくて・・・」

 気持ちはよくわかります。しかし、まず一回健康を取りもどす努力をしてからですね。それから具体的なことは考えていけばいい。と言うより、健康を取りもどす努力をしているうちにさまざまな症状は消えてしまうのです。例外なくそういうものです。それこそ病気とは違いますからね。正しい勉強法でどのようなトラブルも解決していきます。そもそも人生もそういうものではないかと思いますよ。

 まず、読みなさい。いつも書いている通りです。楽しんでたくさん読みなさい。読むものは何でもいいから、面白くて面白くて活字を追うのももどかしい状態をたくさん経験しなさい。そういう経験を積み重ねていくとスピードがついてきます。ページを見た瞬間に内容がわかることもある。わかるというより、想像できるようになる。
 さらにテキスト、教科書の類は一度やったところをじっくり読み直す。じっくりとはこういうことです。

 文中のすべての表現を「自分で使えるように」する。理解するだけではない。使えるというところに最終目標を置いてください。
 いま私の目のまえに現在使っている中学2年生用のテキストがあります。ぱらぱらめくると、作者がある詩を読んだ感想が書いてありました。「むしろ耳に快いしらべに、ただ恍惚となって・・・」しらべは普通音楽に使いますね。言葉に対して使ってもいいのか! 大きな発見ではないですか。恍惚=うっとりする様子。さっそくあなたの人生で使用してみてください。この繰り返しです。魂をこめてやってみましょう。

 最後に、今年もつたない文章を読んでくださって本当にありがとうございました。感謝の意を表したいと思います。皆さま、どうかよいお年を。
 
Tags :
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2012.12.30 11:48

 今年も終わりですね。毎年毎年、私は1月1日以外ずーっと仕事をしているのでとくに感慨はないのですが、バスなどがいわゆる「正月ダイヤ」に変わっていて(ああ、世間はこういう感じなのか)と思うときがあります。今日なんかバス停で15分ぐらい待たされ、遅刻するかと思いましたよ。
 お店にも1月は何日からという貼り紙が目立ちます。今日からお休みというところが多いですね。

 バブル期はお正月それこそ10連休ぐらいしているお店はざらでしたが、さすがにいまはそんなに休めないみたいですね。1月は4日からというところが多い。お店だけではなく、私が通っている歯医者さんもそうでした。4日から診療をはじめるそうです。
 お正月のお休みをいつとるのですか? と訊かれることがありますが、連休をとる機会はありません。私の場合、長い連休をとれるチャンスは5月と6月の教室が閉まる数日間だけです。

 夜、自宅に帰ると息子が自分の部屋で使用していたストーブを持ってきて「寒いだろ?」と私に向けてつけてくれます。毎晩ではないのですが、そういうことが自然にできる青年に育った。先天的な気質もあるのでしょうが、気を遣える人間に育てたことを誇らしく思います。間違っていなかったという気持ちがある。
 愛情というものを常に形にして見せてきました。温かみを伝えようとあえて大げさなパフォーマンスもしてきた。

 これ以上言わなくてもいい場面で「おまえのことを大切に思っている」と伝えました。これ以上慰めなくてもいい場面で「心配するなよ」と声をかけました。これ以上褒めなくてもいい場面で「本当にたいしたものだ」と繰り返した。
 逆に叱るときはさらりと叱った。もうやるなよ。気をつけろよ。そして、おまえのことを大切に思っているので、親はこういうことを言わないわけにもいかないんだよと明るくつけ加える。明るいですよ。つねに明るい。人間は向日性をどこかに持つべきでしょう。

 それこそ明るくBLACK SABBATHも聴く。陰鬱な芸術も明るく享受するということです。「変な音楽聴いてるな」と息子が来る。「おれはこういう暗いのが好きなんだよ」と笑顔で答える。やりとりそのものはいつも明るい。
 いまは私だけのためにストーブを持って走ってきますが、いずれはその温かみを世の中に活かしてくれたらと親は願いますね。Z会進学教室中3生の冬期講習は明日の大晦日も続きます(中1中2の方はお休みですよ)。

 
Tags :
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2012.12.29 12:11

 冬期講習、私は夕方から授業を担当しています。午前中は担当がありません。その気になれば昼まで寝ていることも可能なのですが、いちおう朝のうちに出てきます。あれこれご相談いただくことも多いですしね。
 起床時間はけっこう早い。以前も書きましたが「不必要に」早いぐらいです。いろいろ遊ぼうとするからですね。起床してすぐに出勤準備というのがいやなのです。

 今日は完全に趣味的なお話を書きます。Youtubeでホークウィンドを聴いていました。あのモーターヘッドのレミーが以前在籍していたバンドですね。1972年ごろ、日本でも一曲だけ小ヒットをとばしました。「シルバー・マシン」という曲。それを聴いていた。歯を磨きながら。
 ふとこの曲は何かに似ていると思いました。しばらく考えて、ザ・ダイヤモンズの「リトル・ダーリン」に似ているということに気がついた。ザ・ダイヤモンズ! 意外な感じで手が止まりましたよ。

 偶然でしょう。流れから考えてサイケデリック・ロック・バンドのホークウィンドがオールディーズを「パクる」とはとても思えません。ついでにザ・ダイヤモンズの映像も見てみた。1950年代のものと2000年代のものと両方出てきました。「リトル・ダーリン」は非常に有名な曲なので、多くの方がーー曲名はご存知なくてもーー一度ぐらい耳にされたことがあるのではないかと思います。ちなみに私はオールディーズも好きなのです。
 うーむ・・・ということで自室に戻った。

 それから今度は将棋の棋譜を並べました。これは映像ではしっくりこないので、わざわざ小さな将棋盤を出してきて机のうえで並べた。昭和40年代の名人戦、大山康晴名人と挑戦者の山田道美八段の第5局ですね。
 これが不思議な将棋なのです。終盤、名人は何度かミスをしています。名人でもこんなミスを・・・という手が出る。そのチャンスをなぜか山田八段は見逃してしまう。私でさえ思いつく手を指さなかった。そのあたり心理的な「何か」があるのでしょう。読みの力ではない何かがありますね。

 山田道美さんという棋士は若くして突然亡くなりました。ちょうど私が将棋を覚えたてのころで、ショックを受けたことを覚えています。没後に「将棋精華」という実戦集が出ました。買ってきて何度も並べたものです。
 大切にしていたのですが、あるとき発作的に捨ててしまいました。私にはそういうところがあるのです。大切にしているものを突然捨ててしまってあとで後悔する。洋服やCDなんかでもそういうことがあります。お金もかな。けち臭い破滅派なのでしょう。

 隣室でまだ寝ている息子に簡単な置き手紙を書きました。言葉を交わせないときは、必ず手紙を書いています。お子さんに置き手紙というのは忙しい保護者の方にはお勧めです。「おまえのためにお風呂をいれておいたぞ」だけでもいい。気持ちは伝わります。
 そんなこんなで2時間半、ゆっくり自宅を出ます。
 
Tags :
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2012.12.28 11:56

 高名な先生が塾の先生は定年を40歳ぐらいにするべきだという意味のお話を書かれていました。「うん?」と思って内容をよく読んでみたのですが、なるほど一理あるなという気持ちにはなりました。なりましたが、そうなると私なんか十数年まえにやめていなくてはならないわけで、それはそれでちょっと困ってしまいます。
 先生はこうおっしゃるわけです。40歳を過ぎると(ご自身も子どもができたりして)情が出てくる。厳しく教えられなくなる。

 それでは到底志望校に合格できないというわけですね。
 確かに単純に合格云々であればそういう要素はあるでしょうね。私も若いころ、生徒にかなり厳しく接していた時期がありました。いまの自分からは信じられないぐらいです。
 先輩方にそうしなさいと教えられた側面もあった。おまえはまだ若いしやさしそうに見える(?)から、厳しくしないと中学生に舐められて収拾がつかなくなるぞと言われました。そういうものかと厳しくしていたのですね。

 そのうち、ただひたすら厳しいというのがどれほどの意味を持つのだろうと疑問に思えてきました。宿題をやってこない小学生(当時は小学生も見ていました)を立たせたりする。涙ぐんでいる子もいます。可哀想だとは思いましたが、そこは心を鬼にして・・・という具合いに、とにかく厳しく厳しく教えていた。
 宿題を忘れる生徒はいませんでしたが、お通夜のような授業が終わって彼らがわーっと教室から出ていくのを見ているうちに何かちょっと違うのではないかという気持ちになりました。

 いまは本当に生徒を叱らなくなりました。彼らがいろいろなことを試みていることには気づいているのですよ。うつらうつらする、携帯をそっと見る、机のしたで漢字テストの答を見る、ほかの教科の勉強をしている、絵を描いている(絵のうまい子が多いのですよ)・・・確かにそういう「瞬間」はありますが、いつもいつもそうだというわけではない。きちんとやっているなかで、魔がさしたように突然そんな日が来る感じですね。
 それをーー注意はしてもーー強く叱ったりはしません。

 もう少し大きい意味での人間関係とか信頼関係を築きたいという気持ちがあります。相手が子どもだから尚更ですね。あの人はどこかで見ていてくれるという感じ。欠点が多い自分でも、いや欠点が多いからこそ遠くから見てくれているという感覚を与えたいのです。
 そういう安心感が成長期の人間には必要なのですよ。私は50歳、60歳、70歳、80歳・・・の、それこそ部族の「長老」のような塾の先生がいて「も」いいと思っています。
Tags :
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2012.12.27 10:53

 冬期講習期間はそこまで遅くなりませんが、ふだんは真夜中自宅に戻ります。荻窪駅前から深夜バスが出ているのですが、これがいつもよりちょっとだけ高い。このちょっと「だけ」というのが変に癪にさわって、西荻窪駅から歩いてしまうことが多いですね。20分かかります。
 この季節、かなり冷えている。寒いですよ。空腹ですしね。先日、こういうことがありました。

 善福寺川のところで何やら音がする。ぴちゃぴちゃと水がはねるような音です。暗闇のなかで足を止め水面を凝視すると2羽の鴨が見えました。片方が身体をよじって水をはねあげています。それをもう1羽がじっと見ている。しばらくすると選手交代して見ていたほうの鴨が同じような仕草で水をはねあげた。それを相手の鴨がじっと見ています。
 交互に、何度も何度も同じことを繰り返していました。遊んでいるのか! 温かい感じがこみあげてきましたよ。

 結局、世の中の美しさというのはこういうところにいくらでも「落ちている」ものなのですね。ただ私たちは気づかない。確かに真夜中の善福寺川の闇の中で、2羽の鴨が親しげに遊んでいる事実に気づけというほうがむりでしょう。ただ気づかないからといって「存在しない」と決めてかかることもなさそうです。
 むしろ、美しいものが何かないだろうかと貪欲に探す姿勢こそ大切だと思っています。視覚に入るとは限りません。音や香りや、あるいは詩的なひらめきという形でやってくるかもしれない。

 来るとき山手線のなかで、ひょっとこのお面を被って踊っている人の映像が流れていました。ひょっとこ踊りはお祝いの席で披露されてきたみたいですね。ばかみたいと言えばばかみたいな踊りですが、そもそも明るさをすぐに「ばかみたい」と切り捨ててしまうのはなぜでしょうか。生きること=祝祭の連続にしてはなぜいけないのか。
 人生を深刻で気難しいものととらえることのほうが高尚であるという一般的な思いこみがあるのかもしれません。

 自分にとっては、勉強も仕事もさまざまな日常活動もぜんぶひょっとこ踊りみたいなものです。「ふざけるだけ」という意味ではなく、何かしら他者に光を投げかけたい気持ちは持っている。光を投げかけたい当人が楽しまずに踊ったところでホンモノの光にはならないでしょうから、できるだけうきうきと踊ります。
 他者を励ますときはうきうき励ますのです。深刻な言葉ではなく波動(?)みたいなもので。高揚感こそ幸せの扉を開くカギですからね。それはまた敏感に伝染するのですよ。
Tags :
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2012.12.26 10:35

 今朝は5時に起きました。冬期講習なのです。本当はそこまで早く起きなくてもいいのですが、いろいろと遊びたかったので早めに起きました。人間、朝もちゃんと遊べる時間を確保しないと。
 ただ早朝の空気というのは独特でーー原点に帰るというかーー変な気持ちになりますね。これが8時9時だと何も考えないのですが。今日は明け初めていく空を見上げながら、自分の原点はどのあたりにあるのだろうなどとばかみたいなことを考えていました。

 おそらくは1972年あたりですね。
 1972年ごろ、自分は大人びた友人に誘われて頻繁に喫茶店に出入りするようになりました。いまでいうところのカフェですか。あるとき、五反田でチェーン展開している喫茶店(わざとぼかしていますが、現在はなくなってしまったようです)に親しい友人と入りました。有線放送からディープ・パープルの「ハイウェイ・スター」が流れていたのを覚えています。

 友人に教えてもらったお店は何となくキープしておく。で、デートのときに使うのです。いかにも常連みたいな顔をして。
 そのお店を3年後に使いました。それまでも何人かの女の子と入った記憶があるのですが、とにかく3年後の記憶が鮮明です。一緒にいた女の子がウェイトレスさんを見て「あの子とどこかで会ったことがある」と言った。髪の長い南国風の、ちょっと珍しいぐらいきれいなウェイトレスさんでした。

 それから2年後、今度は1人で入りました。そのときはただコーヒーを飲みたかっただけなのですが、例のウェイトレスさんがまだいらっしゃったのでびっくりしました。何となくそういうお仕事は長く続かないようなイメージを持っていたのですね。
 この美少女まだいたのか! という感慨があった。ただそれだけのことで、その後はもう行かなかったかもしれません。

 さらに4年後、私はある女の子とデートしました。デート? 本当はそこまでいかないな。
 彼女を自宅まで送りました。そのとき彼女の家のすぐ脇に同じチェーン店舗があった。ただそこは本部みたいなところで純粋なお店ではなかったかもしれません。どちらにしろ遅い時間だったので灯りはついていませんでした。私は店名を見て瞬間的に「ハイウェイ・スター」や美人のウェイトレスさんのことを思い出しました。

 そうやって大人になっていったのか・・・こんな変なことを考え続け時間になると支度をして出てくるのですが、人生ある意味どうでもいいこうした「隙間」がないと行き詰ってしまうような気もします。
 生きるうえでスキはよくないですが、隙間は必要です。そのあたりは受験生の皆さんも意識しておいていいことだと思っています。
 
 
Tags :
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2012.12.24 12:03

 はじめて将棋道場に行ったのは大学生のときでした。近所に明るい感じの道場ができ、面白そうなのでのぞいてみたという感じです。すでに将棋専門誌の「初段になろう」みたいな企画で形だけは「初段」の認定を受けていましたが、実際は2~3級だったのではないかと思います。そんなに強くはなかったですね。それが、ある時点から突然強くなりました。

 もっともいちばん強いときでも町道場四段ぐらいです。段級位に厳しい道場(御徒町とか新宿とか)では三段と認定されました。
 きっかけがありました。あるとき、近所の道場に不思議な中年男性が流れてきました。流れてきたというのも妙ですが、毎日のように来ていたのがある日を境にふと消えてしまった。正直言って、ちょっと崩れた感じの美男子でした。

 いつもネクタイをしめていましたが、昼間の将棋道場に毎日のように来られるわけですからそれが可能な仕事をされていたのでしょう。
 アマチュア名人戦のある県の代表選手になったことがあるという話で、はじめから四段の肩書を持っていました。弱い私とも気軽に平手で指してくれるのですが、あるときーー本当にまぐれでーー私は一度だけその人に勝つことができました。

 それがきっかけになりました。県代表に一度でも勝てたということは当時の自分には衝撃に近かった。そのことが意識のなかで量子的(?)進歩を促した。あれがなければ、私は永遠に「弱いアマチュア初段」(いまの自分がちょうどそんな感じですが)で終わっていたと思います。
 私はここで思い出話を書きたいわけではないのです。ひるがえって中学生(小学生、高校生)が成長できるきっかけは?

 彼らがきっかけをつかんで成長していく過程をたくさん目撃してきました。それは本当に小さな「きっかけ」であって、長期に渡る叱責や強制ではありません。例外なく自信をつけさせるーーある意味では偶発的なーー事件です。あとで語ることはできても、渦中でははたしてそれがきっかけになるのかどうかさえわかりません。
 逆に言うと「自信を失わせるきっかけ」だけはいけない。激励するときには細心の注意を払う必要があります。一般に褒めて伸ばすと言いますが、褒めるというより「自分でも可能なのだ」という自信を与えるということですね。

 私の話には後日談があります。
 便利な世の中になり、いろいろなことが検索できるようになりました。数年まえ、私はアマチュア名人戦の歴代県代表の名前を確認してみたことがあります。彼の語っていた県に彼の名前はありませんでした。代表に選ばれたというのはウソだったのかもしれないですね。しかし、真偽はどうでもいいのです。内在していた私の棋力を引っ張り出してくれたのは間違いなく彼であり、私はいまでもそのことを彼に感謝しています。
Tags :
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2012.12.23 11:20

 あまりにも長く書き続けてきたという気持ちがあります。本題の学習の話に関して書くことがなくなってきてしまいました。書いてみるとどこかで書いたものと同じ話題になっている。
 しかし、ときには国語の話も書かなければいけないですね。

 昨日、熱心な受験生が質問に来てくれました。こういうのが苦手なのですが・・・と見せてくださった過去問がありました。語句の意味の問題。言葉の意味の選択問題で微妙にミスが出てしまう。
 たとえば「やぶさかでない」「気がおけない」・・・たくさん並んでいます。こうした言い回しは無限にあります。出題者もそこは考えていて、それこそ「気がおけない」なんかは出題されすぎてだんだん減ってきたように感じます。

 相手が出題回数の少ないものを探しているのですから、きりがないですね。覚えても覚えても新しい日本語の言い回しは出てきます。では、どうしたらいいか。
 国語の復習の仕方について提案があります。長文問題をどこかでやったらまるばつをつけるだけでなく、言い回しで曖昧なところがないかどうかあとで必ず全文を確認してください。確認というのは、きちんと調べるか人に質問するかして明確にしておくということです。場合によっては記録しておいてもいい。

 おうちの人に説明してもらうとわかりやすいですかね。やぶさかでない、とは? 言葉で説明するのは難しいよとおっしゃるでしょう。要するに協力する気はあるということだよ、ぐらいでしょうか。ニュアンスが伝わってきますね。
 そもそも長文を解いているときにわかりにくい言い回しが出てきたら印をつけておきましょう。あとで調べ(質問し)やすい。わからない言い回しが残らないように心がけてください。

 長文問題は答を覚えているので復習する意味がないのでは? とおっしゃる方が多いので、とっておきの方法を書いてみました。
 国語の力は言葉の力です。日本語の言い回しの力。そうした道具がきちんと揃ってはじめて概念だとか思想次元の勝負になってくる。要旨は理解できても言い回しはあちらこちらわからないものだらけというのは、例えてみればぼろぼろの生地で作った晴れ着みたいなものです。

 とくに受験生の方。ここからは1日1点上げるのでしたね? ただ過去問を解くだけではなく、是非全文の見直しをしてください。1点分どころか4点分も5点分も宝が隠されていることにすぐに気づかれると思います。
Tags :
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2012.12.22 09:56

 私が好む書籍は大きい本屋さんでしか売っていません。あまり売れない本ばかりなのです。神秘主義、精神世界、哲学、宗教学・・・といった棚にあります。ですから、大きい書店に行く。
 あ、難しいものばかり読んでいるわけではないのですよ。おとといは「酒のほそ道」の第32巻を買いました。コミック誌はコンビニエンス・ストアーでも入手できますね。

 というわけで、先日はジュンク堂の池袋店に行きました。あそこまで行けば手に入るだろうという書籍があったのです。
 久しぶりにちょっと池袋教室に寄ってみようかなと思いました。どなたがいらっしゃるかわからないのでちょっと心配でしたが、まさか帰れとは言われないだろうと思ったので、適当に差し入れみたいなのを持って行きました。下で警備の方に「お元気そうですね」と言われました。

 以前ーーと言ってもまだ2年もたたないわけですがーーあったお店がずいぶんなくなっていました。個人店ですね。私が池袋にいた7年間はずーっと存在していたわけですから、いろいろな意味で厳しさが増しているのでしょう。入れ替わりで入ったお店はチェーン店ばかりです。
 教室長のU先生をはじめ職員やアルバイトの方数名、あとお二人の先生にお目にかかりました。渋谷教室に比べると廊下が狭いですね。当時はあたりまえだと感じていたのですが。

 エレベーターが受付まえにあり、各階で停止するたびに小さくキンコンキンコンと鳴っています。ああ、この音を聞きながら仕事をしていたなあという感慨が強く胸に来ました。こういう何でもないことこそ深く心に残りますね。この音を聞きながら仕事ができたということは本当に幸せだったとも思った。
 もちろん渋谷で働いている現在も幸せは幸せなのですが、項目が違う感じなのですよ。皆さんに例えると、中学生活も最高だけど二度とかえってこない小学校時代は本当に楽しかった・・・という感覚でしょうか。

 ふだんはまったく意識していないのですが、考えてみれば私もほんの何年かで退職になります。このまま最後まで渋谷教室にい続けられたとしても池袋で働いていた年数のほうが長くなるわけで、そういう意味では深い愛着があります。
 池袋教室はU教室長のもとで私の時代以上に発展を続けています。チームワークもよくまさに磐石ですね。またいずれ寄らせていただくかもしれません。エレベーターの音を聞きたいなと思ったりするのですよ。
Tags :
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2012.12.21 14:19

 私の息子に対する姿勢は終始一貫しています。簡単に表現すれば「彼の幸福をより増大させる」というだけです。こういうことはシンプルに定義したほうがわかりやすいですね。
 彼の過去、現在、未来を幸福にする。過去は変えられない? いや、変えられますよ。意味が変わってきます。たとえば受験に落ちたとします。落ちたという事実は変わらなくても「だから不幸だ」ではなく、そのあとの本人次第で「かえってよかった」に変えることができます。

 昨日、息子は自転車で事故を起こしました。自転車同士でぶつかったのですね。全面的に非があったのかどうかは難しい問題なのですがーー家内が現場に行っていろいろ確認していましたーー相手は大人でしたから、何となく息子が悪い感じになってしまった。
 私も相手の方とお電話でお話しました。「急いでいたので警察には届けなかった」とおっしゃっていた。常識的なよさそうな方でした。指を傷められたそうで申し訳ないことをしました。自転車の修理代や治療にかかる費用はこちらがご負担することになります。

 事故なんかを起こすと気持ちがすさむものです。そのあたり、私にはとてもよくわかる。とりあえず自分がするべきことは息子を注意したり事故の状況を徹底的に研究して双方の落ち度を割り出したりすることではなく、息子のすさんだ感情を調整してやることだと考えました。
 よく試験が悪かったときに周囲が「勉強しないからだ」とあたりまえの注意をすると「それは関係ない!」と子どもが反発することがありますね。

 あれはご本人もじつはわかっている。わかっていて後悔もしている。つまり傷ついているわけです。その傷に塩をもみこむように「勉強をなぜしなかった?」と叱責したところで効果も全然ないですし、彼らをまったく幸福にしていません。
 理屈ではない。むしろ、テストがサイアクの結果に終わったときほど子どもはメチャクチャなことを言ったりする。あたりちらしたいのですね。正論で応対してもまったく意味がない。静かに聴いてやることです。いずれ落ち着きますよ。

 昨日は息子も混乱してあれこれ矛盾したことを言っていました。家内がふと「不注意だからだ」というようなことを言った。案の定「事故なんて起きるときは起きるんだよ!」と反発していました。
 私は静かに話を聴いてやり、この件に関してはもう心配はいらないから今後は気をつけるようにとだけ伝えました。いつでもどこでもどういう機会でも、子どもをより幸福にする・・・ということしか考えていません。

 保護者という言葉がありますが、保護する者なのですから当然のことだと思っています。
Tags :
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

プロフィール

プロフィール画像
長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

カレンダー

<<   2012年12月   >>
            01
02 03 04 05 06 07 08
09 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

新着記事

月別アーカイブ