2012.10.31 13:47

 ときどき保護者の方に具体的にお話することがあるのですが、子育てそのものを苦労だらけだと考えず、楽しむ気持ちを持たれるといいと思います。楽しむ、親子が一緒に成長する、大切なのはその2点だけです。
 こういうお話をすると「先生のところのお子さんはきっとよくおできになったでしょうから楽なのですよ。うちは違うので・・・」とおっしゃる方もいらっしゃいます。そこで具体的なお話をするわけです。

 以前も書きましたかね。私は息子が小学生のころ、何度も学校から呼び出されました。お母さんではもうお話にならない、お父さんが来てくださいというのです。そこまで言われるのはちょっと珍しいですよ。一度はご夫婦でいらしてくださいとも。計3回だったか4回だったか、私はーー運動会にも行かないのにーー小学校の門をくぐりました。
 小学生ですから勉強ができないぐらいでは呼び出されません。要するに暴れるというのですね。

 暴れる、すぐにキレる。先生からは「少年になったら大変なことをしでかすかもしれません」と脅かされました。その状態をどう考えるか。ここで私たち親側が楽しまなくてはだめなのです。
 私は子どもをたくさん見てきましたから、彼が暴れる理由はよくわかりました。もともと気の弱い子で、幼稚園時代は登園拒否をしていた時期もありました(この状態も私は楽しみましたよ)。のびのび育てていくうちに、ある種の反動が出てきた。他者に対してちょうどいい距離がつかめないので、以前なら泣き寝入ったところをキレる形で自分を押し出すようになった。

 家内には心配することはないと言いました。あれはいずれ内省的な男になるから心配するなと。で、交互に呼ばれては謝りに行きました。
 あるとき、私は玄関先で息子にこう言ってみました。「今日も呼び出しで小学校に行ってくるが、おまえのことを何度も悪く言う先生は許せないので酒飲んでぶん殴ってくるよ」
 息子は慌てましたよ。「それだけはやめてくれ」と行かせまいとする。面白いので、いいじゃないか、親子で暴れたら楽しいじゃないかと言ってみた。「頼むからそれだけはやめて」と泣きそうになったので「な、お父さんもそういう感じで困るんだよ」と頭を撫でてやりました。

 寡黙な彼は、いまでもふと思い出したように「小学生時代のことは忘れてくれよ」と言います。笑っちゃいますよ。
 きのうは大学のゼミで法令の何かについて発表してきたそうです。子育てというのは、苦労だと思いはじめたらキリがありません。どんな出来事も親子で楽しんで成長する覚悟が大切ですね。私の状況でさえ楽しめたのですから、小学校で父親まで呼び出されない皆さんのところはもっともっと穏やかに楽しめるはずです。
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2012.10.30 13:16

 持っているものに感謝すれば人生に満足できますし、持っていないもののことばかり考えていれば永遠に不満だらけです。
 感謝の気持ちはかなり大きい何かではありますね。そこに十代の方も、気づいてくださるといい。たとえばいい点をとりたいという気持ちがある。いまの点数では不満だというわけですね。それはそれでいいと思います。点数を上げていきましょう。

 ただはじめに今の点数ぐらいはとれるようになったことに感謝しなければいけません。志望校合格云々はともかくとして、いい先生やいい教材いい機会に恵まれて、とりあえずは現在の点数がとれるようにはなっている。それは「ありがとう」です。すべてに対してまずありがたいという強い感情を持つ。一度は満足する。
 それを不満ばかり言っている。ないないと探し求めている。はじめから「ないものを探す」という不思議な定義を心に抱いている以上、永遠に見つからない可能性だってあります。

 不満の大きい人はーー悪い人という意味ではないですよーーすぐに心が遠くに飛んでいってしまう。大人でもそうです。いずれはすごいお金持ちになってやると考えて、がむしゃらに働く。そのこと自体は問題ないのですが、いま現在持っているお金に対しては「全然足りない」というむしろ憎しみに近い感情を持っているので、バランスを崩して人生全体がぎすぎすしてくる。ゆとりがないのですね。
 人間の生き方は人間の数だけありますから、まあいいのですが、できれば現状にも感謝しながら穏やかに、それこそ大金持ちになっていったらいいとも思います。

 以前も書きましたが、私は左足に骨の腫瘍を持っています。良性のものなので手術は必要ないと言われたのですが(こういうこと一つ一つにも感謝しています)、寒くなってくると痛むことがあります。今日は少しそうかな。「うん?」という程度。少しだけ脚を引きずる感じ。
 そういうとき、むしろ普段は痛くないことに感謝します。こういう軽い障碍を持っているからこそ、何もないときのーーじつは大変多くのことに恵まれているーー状況に感謝できるのだなと思います。

 そもそも勉強をやらせてもらえる自由、頑張って働くことが可能である人生、たった1人で生きているわけではなく支えてくださる人が周囲にいる生活、そうしたことにまず感謝を捧げてみてください。
 持っているものはたくさんあります。星空だって夕焼けだって早朝の小鳥のさえずりだって、ぜんぶあなたのものと言えばあなたのものです。どれだけの詩人、どれだけの画家、どれだけの芸術家がその素晴らしさを賛美してきたことか。同じものをすでに手にしているのですよ。

 こういうのは哲学だとか道徳だとかではなく、気づきにくい「真実」なのですね。落ち着いてまず感謝してから必要なものを獲得する旅に出てください。それがいちばんの近道です。不満からスタートすると回り道を行くことになります。わかりますか?
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2012.10.29 12:39

 今週もちょっと忙しくて、まだ休みがはっきりしていません。そういう週がたまにあります。そこで今日はーー例によってーー半休という制度を利用しました。夕方、教室に行きます。いまは自宅です。
 半休にするとさすがにやることが多いので、ブログもここで書いてしまおうと思いました。勉強でも何でもそうですが、隙間の時間を有効に活用できるようになると強いですよ。どんなに忙しいときでも案外隙間の時間は出てくるものです。意識的に生きていれば、使えるようになります。

 渋谷教室は池袋時代より規模が大きいので(ありがとうございます)働いているいわゆる「スタッフ」の人数も多い。私以外に教務の仕事に専従している女性が2名、社会科の教材を作られている(ほかにもたくさん担当を持たれています)方が1名、あと英語の大家と国語の大家が1名ずついらっしゃいます(英語国語社会はいつでも質問可能ですよ。他教科は授業のある日に)。
 私はこの方たちと一緒に生徒や保護者の方が満足されるような教室運営をしていく義務を負っています。

 いちばん大切なのは生徒です。続いて保護者の方。私はそう考えています。生徒と保護者の方が対立されている場合ーーめったにないことですがーー私は生徒側につきます。経験上、その生徒によかれと思う道を保護者の方に提示しますが、問題が生じることはまずありません。私は柔軟な人間ですから、自分の意志だけを押し通すようなことはありません。妥協点を探っていく感じでしょうか。
 つぎに先生方や一緒に働く方たちの幸福を、増進できないまでも「損なわない」義務があると思っています。

 そこは大切ですよ。渋谷教室に責任を負うということは、大げさに言えば一緒に働いている方を少しでも幸せにすることだと思っています。先生、スタッフ、いろいろな業者さん・・・どの方からも「あそこはいいところだ」という気持ちを持っていただかないと。
 おととい、じつはスタッフの女性が休憩もとれずご飯も食べられなかったという出来事がありました。私は面談や授業などでばたばたしていて気づきませんでした。

 気づいたときはすでに授業後でした。そんなところから休憩をとっていただいてもーー夜の9時すぎですからーー意味がない。もっと早く私が気づくべきであって、本当に申し訳ないことをしました。彼女は笑って「大丈夫です」とおっしゃってくださいましたが、言い出せない雰囲気があったのだとしたらあきらかにこちらの落ち度です。
 働いている皆さんが同じようにいい気分になれるからこそ、生徒たちも幸せになれると思っています。雰囲気みたいなものは伝播しますから。

 大げさなことを考えたりはしませんが、少なくとも教室長はその教室に関わるすべての人を幸せにするという意志だけは持っておかないと。関係するすべての人の幸福を増進する仕事。考えてみれば、どんな仕事もそうあるべきなのでしょうね。もちろん合格も幸福のためです。日々、意識して歩んでいきたいと思っています。
 
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2012.10.28 12:41

 今日は書くことを何も思いつかないので(たまにそういう日があります)、頭に浮かんできたことをそのまま書くことにします。すみません。
 昔、何かの童話(?)でこういう話を読んだことがありました。神さまが人間を作った。作ってみると人間は神さまに自分勝手なお願いばかりしてきて忙しくて仕方がない。たとえばある人は晴れにしてくれと言い、ある人は雨を降らしてくれと言う。困り果てた神さまは面倒臭くなって、どこかに隠れてしまおうと考えました。

 ところがどこに隠れても人間はやって来る。どんなへき地にでも神さまを求めて到達する。そういう探究心や執念はものすごく強い。そもそもそういう存在として人間を作ってしまったのですね。
 どうしたものかと頭を抱えていると、べつの神さまがあることを耳打ちした。素晴らしい隠れ場所があった。それはじつに格好の場所だということになって、神さまはそこに隠れました。それ以来、ほとんどの人間に見つからないでのんびり暮らしています。
 その隠れ場所とはどこか。どこだと思いますか? 人間の心のなかだというのですよ。

 この話をはじめて聞いたときは幼かったのでふーん・・・ぐらいでしたが、歳をとってからはじつによくできた寓話だと感じるようになりました。心のなかに神さまがいるという感覚はーー私は特定の宗教には関心がないのですがーーよくわかるような気がします。心のなかですから、気がする程度でいいでしょう。
 するとその外郭である身体は神さまが住む神社みたいなものです。自分のなかに神さまがいるのであればそういうことになりますね。

 という意味で、私は健康でいたいという気持ちを持っています。私は比較的健康に留意しているタイプの人間だと思うのですが、根本的な理由はそこにあります。健康になって積極的に何かをしようというのではなく、大前提としてきれいにしておかなければ申し訳ないみたいな感じでしょうか。
 ですから、逆にどなたかが苦行か何かで身体を痛めつけていたりするのを見ると、自分の考え方とは逆だなと感じるときがあります。もちろんいろいろな考え方があっていいですね。

 肉食をしないのはーーたまに食べていますがーー健康のためなのかと訊かれることがありますが、そういうわけではありません。そうであればたとえば息子なんかにも勧めているでしょうが、彼は肉をよく食べています。
 私はいろいろ実験をしているのです。食べるものと精神状態について。現在は肉食をしない感覚を確認している。
 生きるということには勉強したり仕事をしたり地域の活動をしたりという以上の本質的な意味や価値がある。そういうことですね。私はさまざまな実験をして、童話で聞いた心のなかの神さまに出会おうとしているのです。

 

 
 
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2012.10.27 15:58

 しっかりするというのは、1人でしっかり立つということですね。よりかからない。人にでも物にでも、よりかからない。なぜしっかりしないといけないかというと、そうしないと本物の幸福がつかめないからです。一定の条件のもとだけに幸福が発生するという錯覚にとらわれてはいけません。
 他者や物のなかに幸福が内在するような気がするのは錯覚です。他者や物には普遍的な価値はありません。価値を与えているのはその人自身です。

 微妙なお話なのですが、ときどき志望校が自分自身より大きくなってしまう人がいます。何とか高校に合格することだけが価値のすべてになってしまう。何とか高校に合格できなかったら、もう自分はだめだと決めつける。
 それはあきらかにおかしい。あなたの人生の主人公はあなた自身であって、何とか高校ではありません。これは中学でも大学でも会社でも結婚でも同じことです。組織や相手ではなく、あなた自身に価値があるのです。でなければ、あなたとして生まれてきた意味がないですよ。

 あなたの人生なのですから、当然あなた自身に価値があります。それがどうしても何とか高校(中学・大学)に入りたい、万が一失敗したら自分の人生はおしまいだとまで思いつめたりする。まあ、周囲の大人が合格のためにその思いを利用して焚きつけたりするのもよくないのですが。
 何とか高校(中学・大学)に入ったところで、あなたは「永遠の」勝利者ではありません。そんな保証はまったくない。世の中のいわゆる「勝利者」全員が、その高校の出身者ですか? そうではないでしょう。勝利への道は無限にあるということです。

 自分が道を切り開いていくのだという強い意志を持ってください。その覚悟がないとすぐに他者や組織の名前に頼りたくなります。有名校やりっぱな組織に属していれば、たしかに世間の人は「たいしたものですね」と言うかもしれません。しかし、そんなことでいい気分になったり自信をつけたりしているようでは当然のことながら大きな「仕事」はできません。
 私が高校の名声をさらに高めてやるぐらいの気概がないと。入れてよかった! だけではなく、私のおかげでこの高校もよかった! ぐらいの気分で生きないと。

 友情に例えるといいのかな。相手にも利益を与える覚悟が必要でしょう。ただ憧れて依存する気持ちだけだと、対等な関係を保てない。対等の関係でない友情は面白くないですよ。
 志望校とも対等の関係でいてください。学ぶことはたくさんある。尊敬できる先生方や先輩もたくさんいる。しかし、あちらだってこういう自分を教えられて幸せだろうというこれまた気概ですね。実際授業していて、こういう生徒たちで本当によかったと先生側も感じたりするものなのです。

 自分を徹底的に磨く。その手段としての、過程としての志望校(会社、職業、友情、恋愛・・・)です。
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2012.10.26 13:31

 私には非常に敏感なところがありーーそれは必ずしも品のいいことだとは思っていませんーー他者がどういう状態にあるかということが、すぐにわかってしまいます。これがまたいろいろ面倒なのです。
 昔は敏感であることは相手のためにもなるものだと信じていました。困っている生徒がいる。「どうした?」とすぐに声をかける。気づかぬよりよっぽどいいことだと思っていました。

 現在はそういうものでもないと思っています。つまり見て見ぬふりというのも大切だということですね。生徒に限らず、人間変調をきたすときはしょっちゅうあります。そのたびに「どうした?」と訊かれたらうるさくてたまらない。放っておいてくれという気持ちになる。
 ですから、様子がおかしいと感じても感じていないふりをしなければいけない。しかも、感じていないふりをしているなと気づかせないレベルで感じていないふりをしなければなりません。

 まあ、家族であればすぐに働きかけてもいいのでしょう。私は息子が小中学生のころ、彼が心配事を抱えているとすぐにわかりました。玄関に入ってきたときの「ただいま」という声だけでわかりました。顔を見なくても。
 すぐに「今日は何かあったな?」と訊いたものです。実際何かがあった。学年を上がっていくと内容までは話しませんが、とりあえず「おまえもいろいろ大変そうだな」ぐらいのねぎらいの言葉は心がけました。そういう時期は勉強しなさいなどととんちんかんなことも言いませんでした。本人にしてみれば、それどころではないのでしょうから。

 ここに来てくださっている生徒のことはたしかに子どもみたいに感じていますが、彼らはしかし教室に入ってくださったのであって、私個人の弟子(?)になったわけではありません。あちらから求められないかぎり、あまり近づかないというのもまた礼儀かなと思っています。
 もっともこういう感じになったのはここ数年のことです。他者に対して鈍感を装う。装うというか、鈍感であるべき礼を失しないということですね。

 わかっていないのはまるでだめです。しかし、わかっていることを露骨に伝えてしまうのもだめ。わかっているけれどもわかっていないような感じがいちばんいい。そして、万が一助けを求められたら「いったいいつからそうなの?」ではいけないということです。
 人生、奥が深いと思いますよ。
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2012.10.24 12:59

 規則というのは守らなければいけないものですが、もともと人間社会が円滑に進展していくことを目的として数々の規則が作られてきたわけですから、中心はあくまでも人間にあるということをつねに認識する必要があります。大げさなお話ではありませんよ。たとえばご家庭ごとの決まりみたいなものがあると思うのですが、何が何でも従来の決まりに縛りつけることが本人のためになるのかどうか。柔軟に考えられたらいいということですね。

 たとえばーー非常によくあることですーー塾や学校をサボった。
 いい悪いだけで判断したら大変よくないことですが、二項対立方式「だけ」で考えてしまうと見失うことがたくさんあります。「悪いからだめ」で対話が途切れてしまう。対話が途切れるからご本人も成長できない。せっかくの大きな「チャンス」をみすみす逃してしまいます。
 どんな規則違反であっても、ご本人が「悪人になりたい」と強く志願して違反するケースはめったにありません。やむにやまれぬ事情でそうしたのです。

 私も塾や学校をサボったことがありましたが、そのことで後ろめたくはあっても悪い人間になるぞという意識はありませんでした。むしろ必然的な動機があってーーそれをその時代に口頭でうまく表現できたかどうかはわかりませんーーそうしていました。詳しくは書きませんが「頼むからわかってくれよ」という泣き出したいような切迫感があった。
 うちの息子も授業をサボったときがありましたが、私は明るく「どんな気持ちだったかね?」と訊きました。

 ものすごく心地いいのであれば、そういう人生を選択したということですからそのまま勉強をしない生活を続ければいい。何となく落ち着かないというのであれば、授業に出ればいい。彼にとって、自分がどういう人間になりたいかということを直視するいい経験になったのではないかと思います。
 ごくまれに私の授業に出ないで自習室にいる生徒がいます。毎回出ないわけではないですよ。あるとき、ふと出ない。いろいろやることが多くて追いつめられているということが私にはわかる。90分間、ほかのことにあてたいのでしょう。私は彼らのことを「悪くなった」と考えたことはありません。シロウトじゃあるまいし、自分が否定されたと思ったりはしないですよ。

 教室は出たのにまっすぐ帰らなかったとか授業中うとうとしているとかある日まったくやる気がなさそうであるとか、いろいろな時期がありますが、あの子は本当に「悪くなった」と考えたことは一度もありません。何か理由がある。優等生みたいには振舞えないよという緊急信号を彼らは無意識のうちに発信しています。
 私は親ではありませんから、あまり深く詮索するようなことはしません。ただ保護者の方はそのあたり温かく見守ってくださったらいいと思っています。以前も書きました。ただ見ることで守るのです。守るために、ただ見るのです。守るための会話というものがある。その視線の温かみのなかで、彼らはまた自分を取りもどしていきます。大丈夫です。
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2012.10.22 14:35

 昨晩は会社の部署の歓送迎会がありました。大がかりなものではなく、総勢20名ぐらいですね。だいたい2時間かな、飲み食いして終わりです。
 私は専任職としてずっと教室に勤務していますが、うえのほうの人間は動くわけです。区切りの時期に歓送迎会をやる。一緒に働いていた人が動いていくと、私はいつもちょっと感傷的な気分になります。あと一年は一緒に仕事をしたかったという気持ちになる。そういう人間なのですね。

 会がはじまる少しまえに教室を出ました。タワー・レコードでCDを買い会場に向かう。ところがお店のまえでふと足がすくみました。
 何というか・・・皆さんが集まっているところに入っていく勇気というか覇気というか、何かが足りないのですね。ちょっと気おくれした感じがある。どうしようかなときょろきょろしていると向かいにパブがありました。そうだ、あそこで一杯引っかけて気分を大きくしてから行こうと思いたちました。そういう人間なのですよ。

 で、パブでCDの解説を読みながら黒ビールを飲んだ。顔を上げると鏡があり、会場になっているお店の入口が映っています。会社の人間が次々と入っていくところが見える。あ、何々さんだ、何々さんは何々さんと一緒に来たのか・・・という具合にずっとながめていたのですが、こんなことをして喜んでいる自分はちょっと異常じゃないかとも思いました。と同時に、だからこそ価値(?)があるのだとも。私を支持してくださっている生徒は、間違いなく私のこういうところを気に入ってくれているのです。

 いわゆる都立高校なんかに向かない人間の典型だと思いますよ。黒ビール一杯だけというのも悪いかなと思って二杯目をおかわりしました。そのうちだんだん行くのが面倒になってきた。
 大学時代、ゼミの授業の最中にある教授が「これから飲みに行く!」と突然宣言したことがありました。10人ぐらいだったのかな。先生はまえに座っていた女の子に駅前のある店名を告げ「人数を数えて先に行って席を確保しておいて」とおっしゃった。彼女は人数を数えて出ていきました。

 みんなで移動することになったのですが、私は夕闇に紛れて少しずつ歩みを遅らせ、結局1人だけ逃げ帰りました。「みんな」というのが苦痛だったのですね。きらいな人は1人もいないのですが、みんなという形になると何となく障壁が高くなる。
 そんなことを思い出しながら携帯用のプレイヤーでジョニー・ブリストルの名曲「ハング・イン・ゼア・ベイビー」を聴いていたら、ますますこのまま1人で飲み続けたくなってきた。ただ幹事さんに申し訳ないですからね。「急用ができまして」と嘘を言うまでの度胸はない。これまた、そういう人間なのです。

 会? 問題ないですよ。参加すればしたでいつも楽しい。毎回、そうです。わかってはいるのですが・・・結局、そういう人間なのですね。

 
 
 
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2012.10.21 12:23

 作文のことをときどき質問されるのですが、要するに「表現力を鍛えるにはどうすればよいのか」という根本的な問題に尽きると思います。小手先だけでどうこうできると安易に考えてはいけませんね。
 言葉を獲得してきた過程について、思い出してみてください。子どものころお礼を言うときには「ありがとう」と言いましょうと習いました。あるときさらに語尾に「ございます」をつけることを知る。

 ありがとうございます。なるほど丁寧に表現するためには下にございますをつけるべきなのか。ほかにも「おはよう」にございますをつけておはようございますというのがありました。
 しかし「こんにちは」や「こんばんは」にはございますは絶対につけません。なかなか難しいものだということが子ども心にわかってきます。この「わかってくる」過程が貴重なのですね。

 お礼にしたってありがとうございます、が最終地点ではありません。あるとき「胸がいっぱいです」という表現や「言葉では言い尽くせません」という表現をはじめて耳(目)にする。いったいこれは何だ? ということになる。感謝の気持ちをこういう形で表したほうが「ありがとうございます」よりはるかに伝わってくるケースがあることを知ったわけです。
 ちょっと自分も使ってみようかなという気持ちになりますね。ありがとうございますだけではとても足りないと感じるときに、何かしら工夫を凝らしたくなってくる。

 お礼の表現一つとっても拡大深化していくものです。たくさん持っていれば「武器」がたくさんあるのと同じです。すべての概念、すべての思考、すべての感覚、すべての事象について無限の表現方法があります。
 私のこの文章にしたって「作文には語彙が必要」ですんでしまうところを、それだけではあまりにもつまらないので工夫して書いています。
 
 表現を多く獲得する努力をしているかどうか? それはご本人の問題です。作文講座をとっているだけでは足りないですね。たくさん聞く、たくさん話す、たくさん読む、そしてたくさん考えたくさん書くという生活サイクルが重要になってきます。
 毎日の言語生活を活発にしないといけない。作文のときだけ天啓のように語彙が降ってくることはありえません。一歩一歩です。日々の生活そのものがある意味で「作文講座」なのです。 
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2012.10.20 12:50

 思いっきりマニアックな話題を。
 最近、2012年のブラック・サバスのライヴ映像をYoutubeでよく見ています。有名な野外フェスティバルに出演したときのものより、故郷バーミンガムでのライヴのほうがいいですね。
 血液の癌にかかっているというトニー・アイオミが予想よりはるかに元気そうなので安心しました。あの様子なら大丈夫だな。ドラムだけオリジナル・メンバーではないのですが、私個人はあまり気になりません。

 バーミンガムでのライヴは「INTO THE VOID~UNDER THE SUN」という信じがたい曲でスタートしています。そう来たか! ですよ。どちらもヒット曲ではありません。しかし、とくに「UNDER THE SUN」はサバスの本質をついた名曲で、昔私は遊びでやっていたバンドの名前をUNDER THE SUNにしようかと思ったことがありました。
 「WHEELS OF CONFUSION」をやってくれたのもうれしい驚きです。

 現在はそれこそ歴史的名盤と呼ばれているブラック・サバスのアルバム「VOL.4」が発売されたとき(1972年)のことを私は鮮明に覚えています。評価は必ずしも高いものではありませんでした。当時のミュージック・ライフ誌には「バンドとして向上したようです」ぐらいのコメントしか載っていません(ちなみに私はまだその雑誌を持っています)。
 ツェッペリンなんかと比べて格下の扱いという感じは否めなかったですね。もっとも私自身、シングル盤になった「TOMMOROW’S DREAM」にあまりピンとこなかったのも事実です。

 私がこのアルバムを本当にすごいと思いはじめたのは1978年のことで、当時サバスはほとんど消えかかっていました。消えかかっているということが逆に飢餓感を呼び、毎日のように大きな音で聴くようになりました。とくにB面(レコードの裏面)のずるずる感には心底はまりこんだ。こういうひきずるようなリフを次々と考えられるのは、本当に天才だなと思ったものです。
 私はこうしたことを非常によく覚えています。

 サバスからオジー・オズボーンが抜けてロニー・ジェイムズ・ディオが加入したときのこともよく覚えています。アルバム「HEAVEN&HELL」はラジオではじめて聴きました。「ネオンの騎士」が流れてきた瞬間、「レインボーになっちまったじゃないかー!」とちょっと困惑しましたよ。完成度が高いので不満はなかったのですが、ずるずる感は一掃されてしまったようにも感じたのですね。
 イアン・ギラン加入後の「BOAN AGAIN」アルバム(1983年)も発売当日に買いました。夜、アルバムを持ったまま中延から戸越のあたりを歩いたことを覚えています。私の人生はサバスと共にあります。

 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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